国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本【連載No.6】

国連ガイドツアーでSDGsの啓発促進

 

みなさま、こんにちは。国連広報センターの千葉です。

 

これまで5回にわたって、ハイレベル政治フォーラム(HLPF)を起点に、ニューヨークで日本の取り組みを発信していたイベントやSDGs達成のために汗を流す日本人の方々をご紹介してまいりました。

 

本連載はこれが最終回となります。

 

最後にお届けするのは、私が国連本部で参加したガイドツアーの体験報告と、ツアーのコーディネーターを務める日本人国連職員、中野舞子さんのインタビューです。

 

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国連ガイドツアーのホームページ
  https://visit.un.org/

 

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国連ガイドツアーのQRコード
アプリで開けます
https://visit.un.org/content/discover

 

ガイドツアーの朝

 

私が国連ガイドツアーに参加したのは帰国日の朝でした。

 

当日朝早く、ホテルでチェックアウトの手続きを済ませ、時間的なゆとりをもって国連本部に到着。

 

国連総会ビル入り口付近に置かれ、出張中、毎日、その前を歩いて通り過ぎていた屋外展示のブロンズ彫刻があらためて目にとまります。銃身の先を結んで発砲できないようにした拳銃のモニュメントです。

 

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ルクセンブルクからの寄贈モニュメント
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

このアート作品の前を通り過ぎて、国連総会ビルに入ると、国連職員としてグラウンド・パスを与えられていた私は会議棟(1階)まで足を延ばし、大きな窓越しにイースト・リバーと対岸のロングアイランド・シティーを臨むイースト・ラウンジで、ツアーの開始時刻を待つことにしました。

 

そこは、国連加盟国の政府代表団のための休憩の場であり、舞台裏の交渉の場です。早朝の時間帯だったので、まだ人影はありません。

 

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朝日が川面に映えるイースト・リバー
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

眼前を静かに流れるイースト・リバーを眺めていると、本連載の第2回でご紹介した日本政府代表部の岸守さんをはじめ、ニューヨークでお世話になった方々、事前の準備でいろいろと助けていただいた方々、そして職場の上司や同僚たちの顔が思い浮かびます。

 

そうした多くの人の支えがなければ、私のニューヨーク出張と取材活動は不可能でした。あらためて、そのことを思い、お世話になったすべての人への感謝の気持ちを心に深く刻みつけたあと、ツアー開始時刻に間に合うよう国連総会ビル内のツアー集合場所へと移動しました。

 

ガイドツアー開始

 

ツアー集合場所に指定されたインフォメーション・デスクの付近には、私が予約したツアーより、ひとつ前のツアーのグループが集合し、まさに出発しようとしているところでした。

 

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インフォメーション・デスク
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

私が予約したのは日本語で行われるガイドツアーです。

 

親子で一緒にご参加の方を含めて、全員で10人ほどの方々が集まっています。

 

午前9:45分。

 

私たちのツアーを担当するガイドの荒木絵美さんが迎えに来てくれました。

 

いよいよ出発です。

 

会議棟に移動し、エスカレーターで2階にあがります。

 

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会議棟を2階へと上がる
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

右手には、日本国際連合協会が国連に寄贈した平和の鐘が見えます。

 

 

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国際平和デー(9月21日)に平和の鐘をつく国連事務総長
©UN Photo/Eskinder Debebe


荒木さんは最初に国連の主要機関やその活動の概要などを紹介したあと、私たちを誘導して、施設内のいろいろなところを案内してくれました。

 

 

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国連の活動概要を紹介する荒木さん
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

そのいくつかを簡単にご紹介します。

 

ツアーの見所のひとつは、会議棟2階にある安保理議場でした。

 

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安保理議場で、ガイドの荒木さんの説明を聞く
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

安保理の場合、会合が開催されていると、見学をすることができないそうですが、幸運なことに、この日、安保理会合の予定はなく、議場の見学が許されました。私たちは傍聴席に座り、馬蹄形のテーブルとノルウェー人画家ペール・クローグ作の大きな壁画を前に、荒木さんの説明に耳を傾けました。

 

会議棟の同じ階で、経済社会理事会や信託統治理事会の議場も見学しました。それぞれの議場では、経済社会理事会の閣僚会合、政策対話が開催されていたことから、議場傍聴席のうしろを足早に通り抜ける見学となりましたが、国連会議の臨場感を味わえました。

 

経済社会理事会議場は前々日にHLPFのスペシャル・イベントとして、本連載の第1回第3回でご紹介したビジネス・フォーラムが開かれていたところです。経団連の二宮さんが日本企業のSDGsへの取り組みを発表していらっしゃったことを思い出しました。

 

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ちなみに、この日の午後、経済社会理事会の閣僚会合では、HLPFで前日に採択された閣僚宣言(第1回ブログ)が投票に付されました。投票の結果、同宣言は賛成46、反対1(米国)、棄権0で採択されました。HLPFの3日間の閣僚会合(16日―18日)は経済社会理事会のハイレベル会合(16日―19日)の一部として開催されていることから、HLPFで採択された閣僚宣言はこうして経済社会理事会に送付され、同理事会の閣僚宣言としても採択されるのです。

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総会ビルで、総会議場も見学しました。

 

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国連総会議場
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

総会議場は、まさに持続可能な開発目標(SDGs)が国連加盟国の全会一致で採択されたところです。前回のブログでご紹介した国連広報局の須賀さんは、この議場でSDGs採択の場面を見届け、プレスオフィサーとして国連発出の記事を書かれたのです。

 

ツアーでは、会議場ばかりでなく、その他にも、施設内の歴史的なモニュメントや寄贈品などもたくさん見せてもらいました。

 

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ノーベル平和賞とメダル
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba


その中には、2001年に故・アナン事務総長と国連に授与されたノーベル平和賞とメダルもありました。展示されているものが実物であることを荒木さんから案内されると、思わず、みんなで目を凝らして展示ケースの中を覗き込みました。

 

また、長崎に投下された原爆で被爆した聖アグネスの立像が原爆のきのこ雲の写真を背に設置されていました。立像の背中は爆風の熱で痛々しく焼けただれています。

 

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聖アグネスの立像
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

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聖アグネス像の立像(背中)
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba


今年8月、グテーレス国連事務総長が長崎での平和祈念式典に出席するため訪日しましたが、滞在中、浦上天主堂にも足を運び、国連本部に寄贈されたことを光栄に思う、と事務総長自らツイッターに綴ったのがこの立像のことでした。

 

ツアーには、持続可能な開発目標(SDGs)に関する案内もしっかり組み込まれていました。

 

広い廊下を歩いていると、途中で、大型液晶ディスプレイが設置されていて、ガイドがSDGsのロゴやビデオを映し出して説明できるようにしてあります。

 

荒木さんはそこで立ち止まり、ディスプレイを使いながら、2030年の未来の地球と命を紡ぐすべての人々へと思いを馳せ、SDGsを自分事として考える大切さを訴えました。

 

私たちのグループで誰よりも熱心に荒木さんの説明に耳を傾けていたのは、東京からご両親と一緒にガイドツアーに参加した小学生の松江恵都(ケイト)さんと弟の万里(バンリ)くんでした。

 

いつの間にか自然に二人の周りにツアー参加者の皆さんの輪ができました。

 

参加者のみなさんが二人にやさしい眼差しを向けていました。

 

私は思わず、カメラのシャッターボタンを押して、その時間を写真におさめました。

 

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SDGsの説明を聞く
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

ツアーはあたたかなぬくもりを感じさせながら、私たちに地球の現状と未来への視点を与えてくれました。

 

ツアーが終わり、私は荒木さんに感謝を申し上げたあと、このツアーを組んでくださった中野さんとのお約束の場所へと向かいました。

 

 ツアー中にケイトさんとバンリ君のご家族と連絡先を交換していた私は、帰国後、お父様にツアー中の写真をお送りしました。すると、お父様は、近況を知らせてくださいました。とても勇気づけられる内容でしたので、ご紹介します。

 

「・・ツアー参加のあと、世界の中で起きている様々な問題とこれからの未来、SDGsの意義と重要性について子供と話し合いをすることができました。自分たちが暮らす地域社会だけに限らず、世界の国々、地球に視野を広げて、自分が何をできるのかを考える良い機会になりました。・・あれからケイトは、Goal 5(ジェンダー平等を実現しよう)に興味を持ちました。女性の持つ可能性と影響力をもっと世の中に広げていきたい、と言っています。バンリは Goal2(飢餓をゼロに)に興味を持ちました。僕は食べ物を粗末にしない、残さないようにする、と言っています・・」

 

 

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 コーディネーター 中野さんのインタビュー

 

中野さんのお話を伺ったのは総会ビルの地下1階のオープンな喫茶スペースでした。そこには、国連グッズや国連切手の販売店やブックショップが並んでおり、奥のほうには、ツアーガイドの皆さんの控室があります。

 

中野さんは明るく気さくな雰囲気の方でした。チャレンジ精神に富み、人一倍努力家であることもそのお話から伝わってきました。

 

 

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中野さん、総会ビル地下一階で
©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

コーディネーターの中野さんのお仕事はツアーの予約受付から、日程調整、担当ガイドの割り当て、そして苦情処理まで及びます。

 

現在、ガイドツアーはさまざまな国籍のガイド約20人によって、6つの国連公用語と、日本語、韓国語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語などで行われているそうですが、中野さんは他の3人のコーディネーターとともに、日々、日本語だけでなく、そうしたすべての言語のガイドツアーの調整管理を担っていらっしゃるのです。

 

ちなみに、日本語ガイドツアーは現在、この日私たちのツアーを担当してくださった荒木さんと、もうひとり、松浦さんという方の二人体制で行っているそうです。

 

中野さんは2016年12月に国連に入り、以降、2017年10月までの約1年間、ツアーガイドを務めたあと、コーディネーターになられましたが、今でも、ガイドの人数が足りない場面などでは、ご自身もガイドの制服に袖を通すことがあるということです。

 

中野さんは、今のガイドの制服が新しいデザインで、エリ・タハリという有名なデザイナーがつくったことを教えてくださいました。昨年9月の国連総会で世界各国の指導者による一般討論が行われるのを前に、その制服を披露するファッションショーが開かれ、大々的にメディアに取り上げられて話題を呼んだそうです。そのときは、中野さんもまだガイドだったことから、他のガイドたちと一緒に新しいデザインの制服を着て、このファッションショーに参加されたということでした。

 

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2017年9月のファッションショー開催後に
日本、中国、韓国のガイドたちで記念撮影(右端が中野さん)
©Maiko Nakano


私は、ガイドツアーがSDGsを組み込んでいることについて、ガイドの皆さんがどう思っているのかを聞いてみました。中野さんはまず、ツアーが国連の三つの柱(平和と安全、開発、人権)でバランスよく構成されていることを述べたうえで、SDGsはその三つをつなぐ説明を容易にしていると強調していました。そして、ガイドとしては、何よりも、世界には今、国連ですべての加盟国が合意して決めた共通の目標があるんだということを説明できることが嬉しい、SDGsがあるのとないのとではツアーのもつ説得力がまったく違うと思う、とおっしゃっておられました。実際、ガイドの皆さんはツアーのなかでSDGsの説明にもっとも力が入るそうです。

 

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ツアーガイドの控室で
©Maiko Nakano

 

いろいろな国の出身のツアーガイドたちがともに協力し、さまざまな国から国連を訪れるひとたちにマルティラテラリズムを体現する国連とSDGsを説明して、インパクトを与える。そのことをガイドの皆さんは大きな喜びとし、誇らしく思っていらっしゃるのです。

 

「ニューヨークを訪れた日本人の方々にはぜひ、国連本部のツアーに参加していただきたいと思います。日本人のガイドの数は限られていますが、ご希望があれば、可能な限り、日本語ツアーを設定します」と中野さんはおっしゃっていました。私は、ニューヨーク国連本部のガイドツアーのコーディネーターを中野さんのような日本人国連職員が務めていることは日本人にとって、とてもラッキーなことだと思いました。

 

最後に、私は、普段とても明るい中野さんがくじけそうになったときに、どのように自分を奮いたたせているのかをお聞きしてみました。

 

中野さんは自分が力を得てきたという一編の詩を教えてくださいました。

 

中野さんが小学校六年生のときに学校で習ってから、自宅の勉強部屋の壁に貼って、心が弱くなったり、折れそうになったりしたときに、口ずさんでは自分を励ましてこられたそうです。

 

それは、武者小路実篤の詩でした。

 

「やればできる」 武者小路実篤

 

 できる できる

真剣になれば できる

 

できないと思えば できない

できると思えば できる

 

どこまでも 積極的に

できることは できると信じ

永遠に自分は 進歩したい

 

できる できる

かならず できる

 

 中野さんは今でも、くじけそうになったときには、この詩を口ずさみ、元気を取り戻し、目標に向かって、また明るく歩みはじめるのだそうです。 

 

中野さんが教えてくださった一編の詩は私にとって、東京に持ち帰る最高のお土産になりました。 

 

中野さんにふかくお礼を申し上げて、インタビューを終えました。

 

 これでニューヨーク滞在中に私が計画したすべての取材が終わりました。

 

 国連総会ビルを出て歩いていると、弾を撃たない拳銃のブロンズ彫刻がこの日の朝に見た姿とは逆向きの姿で目にとまりました。 

 

モニュメントは素材のブロンズの色を背景の木々の葉の鮮やかな深緑にやさしく溶け込ませ、後方左の金色に輝く地球のオブジェとともに、まるで新しいメッセージを発しているように見えました。 

 

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©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

-武器をつくり使ってきた人間は、武器を捨て、平和な社会をつくることもできるはず。 

 

-自然を傷つけてきた人間は、自然を治癒して、持続可能な社会を築くこともできるはず。

 

 風景と一体化して、そう語っているように見えました。

 

できる できる

かならず できる 

 

後景の木々の葉をやさしく揺らす風のなかに、ガイドツアーのコーディネーターを務める中野さんの口ずさむ詩の一節もまた聞こえたような気がしました。 

 

(了)

 

 

 

 (連載ブログ 国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本)

第5回 ~ SDGsを舞台裏で支える日本人国連職員たち 
第4回 ~ HLPFでの日本の市民社会の情報発信、そしてインタビュー
第3回 ~ HLPFでの日本企業、経団連の情報発信について
第2回 ~ HLPFでの日本政府の情報発信取材と星野大使インタビュー
第1回 ~ ニューヨーク国連本部でみたハイレベル政治フォーラム   

SDGsの広まりを京都で実感!

国連広報センター所長の根本です。SDGsの実施は、思いや関心を持った個人や組織が傍観者ではなく、プレーヤーとして参画できるという点で画期的だとかねがね感じています。国連で採択された文書にありがちな「神棚に祭る」ものではなく、「自分事化して使いこなす」ことが求められる、みんなのための世界目標だからこそ、理性を越えた、感情に訴えるワクワク感や、ワザワザではなくついつい実践してしまう楽しさ・手軽さなどが大切だと思います。 

  

例えば、昨年の沖縄の「島ぜんぶでおーきな祭」を皮切りに大規模イベントの会場で吉本興業が実施している「そうだ!どんどんがんばろう!」スタンプラリーがあります。頭文字を並べるとSDGになるこのスタンプラリーは、人気芸人の顔をあしらったゴールごとのスタンプを台紙に17個全部集めると、景品がもらえるというもので、昨年4月の開始以来、これまでに4万人の子どもや家族連れが楽しみながらSDGsに触れる機会になりました。

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京都国際映画祭開催期間中、岡崎公園で実施されたスタンプラリー UNIC Tokyo/Takashi Okano

同社が企画・運営を担う「第5回京都国際映画祭~映画もアートもその他もぜんぶ」(10月11日―14日)でもこのスタンプラリーは大人気で、好天に恵まれたおかげで5000人が参加。

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京都西本願寺でのオープニングセレモニーを前に参加者とともに記念撮影 UNIC Tokyo/Takashi Okano

京都国際映画祭は「映画もアートもその他もぜんぶ」と謳うだけあって、映画にとどまらずコンテンツが盛りだくさんのお祭りで、その多くにSDGsが盛り込まれていました。

映画祭2日目の祇園花月は「SDGs花月」と銘打って、木村祐一監督のドキュメンタリー作品「ワレワレハワラワレタイ~ウケたら、うれしい。それだけや。」上映と上映後のオール阪神・巨人をまじえたスペシャルトーク、観客にSDGsを2つ選んでもらって即興でネタに入れてバトルする「SDGs-1グランプリ」(トレンディエンジェルかまいたち横澤夏子、チョコレートプラネット、ノンスタイル)、そして「SDGs新喜劇」(川畑泰史、すっちー、酒井藍の3座長が勢ぞろい)と、それは豪華な内容でした。

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映画「ワレワレハワラワレタイ ウケたら、うれしい。それだけや。オール阪神・巨人宮川大助・花子 編」上映後のスペシャトーク UNIC Tokyo/Takashi Okano

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SDGs‐1グランプリ:ゲストとして登壇する国連広報センター 根本かおる所長 UNIC Tokyo/Takashi Okano

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SDGs吉本新喜劇のみなさんと共に壇上でコメントを述べる根本かおる所長 UNIC Tokyo/Takashi Okano

即興でのネタ作りということでお笑い芸人の皆さんが普段は見せない真剣な表情を垣間見ることができましたし、昨年のSDGs-1グランプリから一歩踏み込んだ内容的な深まりがあり、手ごたえを感じました。2年連続で優勝に輝いたノンスタイルには、国連グッズを賞品として差し上げ、国連広報センターのツイートで気に入ったものがあったらリツイートしてほしいと発信への協力をお願いしました。

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SDGs1グランプリで2連覇を達成したNON STYLE UNIC Tokyo/Takashi Okano

また、今年の「SDGs花月」は何と言っても、お客さんサービスが手厚かったですね。SDGsビンゴの要素を取り入れ、早くビンゴを達成した人は新喜劇出演者と記念撮影の機会が!観客の皆さんにとっても忘れられない思い出になったことでしょう。

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SDGsビンゴで盛り上がる会場 UNIC Tokyo/Takashi Okano

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ビンゴ達成の観客、新喜劇出演者の方々と共に記念撮影 UNIC Tokyo/Takashi Okano

さらに今年は、笑いや新喜劇のネタのみならず、脱出ゲームやロボット「ペッパー」の子ども向けプログラミングワークショップのシナリオにもSDGsを盛り込み、身近なものとして大人も子どもも参加者を巻き込む可能性を示してくれました。

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10月13日(土)『京都国際映画祭2018』とのコラボレーション企画として「異言語脱出ゲーム~淳風大学からの卒業 SDGsバージョン~」が元・淳風小学校にて開催。UNIC Tokyo/Takashi Okano

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異言語脱出ゲームに参加するジェフ・ブレーズ課長 UNIC Tokyo/Takashi Okano

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ゲームの参加者とともに記念撮影 UNIC Tokyo/Takashi Okano

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10月14日(日)、イオンモールKYOTO Kotoホールにて、『SoftBank Robotics presents Pepper プログラミング特別教室 for SDGs』が開催。 UNIC Tokyo/Takashi Okano

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プログラミングの成果を発表する参加者 UNIC Tokyo/Takashi Okano

ニューヨークの国連本部から広報局でエンターテインメント業界との連携を担当するジェフ・ブレーズ課長が参加。「ここまでSDGsを包括的に発信している映画祭は例がない」と感嘆の声を上げていました。

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ワークショップ参加者の児童に感想を聞くジェフ・ブレーズ課長 UNIC Tokyo/Takashi Okano

映画祭のセレモニーの挨拶の中で、門川大作京都市長が自然な流れでSDGsについて触れていたのも、昨年との違いとして印象に残りました。SDGsをより多くの人々に自分事化してもらえるといいなあと感じています。 

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岡崎公園門川大作京都市長とともに UNIC Tokyo/Takashi Okano




国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本【連載No.5】

SDGsを舞台裏で支える日本人国連職員たち 

 

みなさま、こんにちは。国連広報センターの千葉です。

 

今年7月にニューヨークに出張し取材したハイレベル政治フォーラム(HLPF)を起点にして、ブログを綴らせていただいております。

 

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©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba

 

今回は、私がニューヨークでインタビューした、SDGs達成の取り組みを舞台裏で支えていらっしゃる日本人国連職員の方々をご紹介したいと思います。

 

ご紹介するのは3人です。

 

1人目は、JPOとしてユニセフの水と衛生のセクションに勤務する松橋明裕子さん、2人目は、国連広報局のベテラン職員である須賀正義さん、そして3人目が、日本の総務省からの出向で国連経済社会局のSDGsモニタリング・ユニットで働く小川友彬さんです。

 

3人の方々の出身職業はそれぞれ、看護師、新聞記者、統計専門家で、所属機関、その活動もまったく異なります。でも、お話を伺ってみると、人道支援、統計、広報という仕事はSDGsのもとにともにつながり、その達成に向かう世界の国々の歩みを舞台裏で、それぞれの側面から支えていることをつよく感じました。

 

ユニセフで支える 松橋明裕子さん

 

まずは、松橋さんから。

 

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©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba


出張前に外務省国際機関人事センターにご相談したところ、「ちょうど今年のHLPFでレビューの対象となったSDGsのゴール6「安全な水とトイレをみんなに」の分野でJPO*として貢献する方がいらっしゃるということで、ユニセフで働く松橋さんをご紹介いただきました。

 

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*JPO(Junior Professional Officer)派遣制度とは、将来的に国際機関で正規職員として勤務することを志望する若手邦人を対象に外務省が実施している制度です。日本政府が派遣にかかる経費を負担して一定期間(原則2年間)各国際機関に職員として派遣して知識・経験を積む機会を提供し,派遣期間終了後に正規職員としての採用につなげるものです ⇒ シリーズ「わたしのJPO時代」をあわせてご覧ください。

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インタビューの依頼を快くお引き受けいただいた松橋さんが勤務するユニセフ本部の建物、ユニセフハウスは、国連本部ビルから急ぎ足だったら10分ほどのところです。

 

一部改修中のユニセフハウスを訪れると、建物は広い通りに面していましたが、入り口は通りから少し奥まったところにありました。受付のスタッフに松橋さんと面会の約束があることを伝えてしばらくお待ちしていると、松橋さんが迎えに来てくださいました。

 

松橋さんは品がある芯の強さとやさしさをあわせもつ雰囲気の魅力的な方でした。

 

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©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba

 

水と衛生(WASH)のセクションのフロアーにご案内いただき、お話を伺いました。

 

松橋さんは、ニューヨークで、WASHセクションの人道チームに所属。WASHセクターの人道支援を改善することと人道危機が起きた際のショックを和らげるためのWASHの開発分野へのアドボカシーを担当していらっしゃることを説明してくださいました。

 

松橋さんは、2016年4月から2018年4月まではエチオピアの事務所で働いていらっしゃったそうです。

 

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©UNICEF Ethiopia
2016
Mersha

 エチオピアは干ばつが何年も続いたり、民族間紛争で国内避難民が多数発生したり、コレラ感染が長期に蔓延したりして支援は困難なものである一方で、支援予算の規模は大きく、その使途については政府の意思も強く、援助機関との調整が難しかったけれど、それだけに、やりがいのある仕事だったと松橋さんは振り返っておられました。

 

現在、人道支援は、教育、水と衛生、シェルター、栄養、保健などセクターごとに国連諸機やNGOsが協働し、重複をなくし効率を高める調整をはかるクラスター・アプローチというしくみで行われていることを松橋さんはご説明くださいました。各クラスターではそれぞれ主導機関が決まっていて、WASHの分野でいえば、ユニセフが主導機関を務めています。そのため、松橋さんはエチオピアでもこの分野での援助がもっとも効果を生むよう、現地国政府、国連機関やNGOなどの調整にあたっておられたのです。

 

ちなみに、このクラスター・アプローチという援助のありかたは2005年、スーダンダルフールにおける人道対応のレビューに基づく人道活動の主要な改革の一環として導入されたものです。それを決めたのはIASC=Inter-Agency Standing Committee。さらに遡っていえば、このIASCは1991年12月採択の国連総会決議46/182を受けて、1992年6月に設置され、それ以降、緊急援助調整官のリーダーシップのもと、機関間調整のための第一義的なメカニズムとなっています。松橋さんのお話には、このIASCという言葉が何回も出てきました。

 

こうして、松橋さんはユニセフに勤務しているものの、ユニセフがWASHの主導機関であることから、ユニセフのミッションのことばかりを考えるのではなくて、WASHのセクター全体としての成功を考えておられるのです。

             

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 「ユニセフとして、子どもと女性に水と衛生を届けることはもちろん大切ですが、さらに、政府やその他の援助諸機関、ドナーと一緒になって、WASHをどこまで成功させることができるのかを考えていなければなりません。ユニセフだけでは、WASHは成功しません。WASHのセクターとして活動を調整しながら、そして、みんなでSDGsという同じゴールに向かうなかで具体的な成果をおさめることが大切なのです。」

 

ユニセフで働く松橋さんが繰り返し、共通のゴールということをおっしゃっていることが印象的でした。

 

最後に、松橋さんはご自身が国連で働きたいと思ったきっかけは、中学生のときに見たあるテレビのドキュメンタリー番組であることを教えてくださいました。それはまさに援助物資が届くべきところに届いていないことについての特集だったそうですが、その番組を見た松橋さんは、途上国で窮状にある人たちへの思いとともに、「なぜ?」という素朴な疑問が心から離れなかったそうです。そして、いつか途上国で、支援を必要とする人に物資が確実に届くような援助をしたいというつよい思いをもったのだそうです。その後、松橋さんは看護大学に通い、いったん看護師になりますが、10代のときの思いを捨てられず、青年海外協力隊に参加してマダガスカルで援助活動に携わります。そして、公衆衛生を専門的に学ぶために海外の大学院に進学。資格要件が揃って、JPOに応募されました。そして今、中学生のときに疑問をもった援助が届くべきところに届かないということがないようにするため働いていらっしゃるのです。松橋さんのお話を伺っていると、あらためて、若いころに純粋に抱く素朴な疑問や夢はそのひとの生き方を決定づけ、そのひとをつくる大切な原動力になるのだということをつよく思いました。

 

広報で支える 須賀正義さん

 

松橋さんのインタビューを終えユニセフハウスを出た私が次に向かったのは、国連事務局ビルでした。

 

同ビルの11階にある国連広報局(DPI)のニュース・メディア部ニュース・コンテンツ課で勤務する須賀正義さんをお訪ねしました。

 

須賀さんはとても温厚なお人柄で、柔和な笑顔が素敵な方でした。

 

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©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba


須賀さんは好奇心いっぱいの私にオフィスを案内してくださいました。

 

映像を撮影したり、編集したりするスペースも見せていただき、ニュース・コンテンツ課が、国連発出ニュースのコンテンツであるテキストをはじめ、オーディオ(ラジオ)、ビデオ、写真、インフォグラフィクスなどを多様なメディアで制作している部署であることがよくわかりました。

 

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国連広報局の撮影スタジオ
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba

 

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視聴覚編集室
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba

 

「ホットデスキング」(複数の職員が机やコンピューターを共有するシステム)が導入されたオフィスで須賀さんの同僚たちがコンテンツづくりに勤しんでいる様子も見せていただきました。

 

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ホットデスキングのオフィス
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba

 

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ダブルスクリーンのPCで作業する須賀さん
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba

 

11階のフロアーには職員共用のキッチンスペースもあって、そこで職員たちは食事をしたり、休憩したりすることができるようになっていました。その場所で、須賀さんにお話しを伺いました。

 

須賀さんは、ニュース・コンテンツ課に8か国語の言語チームがあり、ご自身が英語チームに所属して、UN News の英文記事を執筆していることをくわしく説明してくださいました。

 

毎日、複数の英文記事を書くという須賀さんですが、最近は、一日に一つはSDGsの関係の記事が含まれているとおっしゃっていました。

 

私がお訪ねした日も、午前中にSDGsに関するハイレベル政治フォーラム(HLPF)のスペシャルイベントとしてビジネスフォーラムが開催されていたことから、少し前にその記事を一本書きあげたところだったそうです。

 

須賀さんにとって、最大の課題はいつでも、難しいことをできる限りわかりやすく伝える、ということです。難しいことについて書こうとしたら、その背景を知らないひとにもわかるように書かなければいけない、でも、それは口で言うほどやさしいことではなくて、たとえば、SDGsにしても、考えてみれば、持続可能な開発、sustainable developmentという言葉自体が難しい概念で、SDGsのニュースをわかりやすく伝えるつもりなら、面倒でもそこのところから考える必要がある、ということを須賀さんは話してくださいました。

 

須賀さんはまた、記事の与えるインパクトということについても考えておられました。現在、解析ツールなどを利用して、ウェブページやSNSのアクセス数値はわかるようになっているけれど、ほんとうに大切なことは、深いところで読者の行動変容をもたらすインパクトを記事が与えられたのかということ、アクセスの数値が高いことは重要であるものの、記事を書く人間としては、それだけで安易に満足することがあってはならないということです。

 

そして、須賀さんが執筆された、世界津波の日(11月5日)に関する記事のことに話が及びました。

 

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UN Newsのウェブページ
“FEATURE: Feudal-era Japanese village leader stands as beacon for tsunami education”

 

この記事は国連広報センターからのアプローチで始まり、さまざまなパートナーの協力を結集してつくられた記事という意味で良い評価を受けたとのこと。でも何よりも大切なのは、それが読者の行動変容を促したかどうかということ、こうした記事を読んだ方がそれをきっかけにして、津波に備えた訓練の大切さを考えて避難場所を確認したり、家族で話し合ったり、地域の訓練に参加したり、実施したりするなどしたときに初めて、その記事はインパクトがあったということがいえるのだと思う、と話してくださいました。須賀さんは、あくまでも謙虚に、真摯に、記事を書くということに向き合っていらっしゃいました。

 

そんな須賀さんにとって、SDGsは特別なものだそうです。

 

2015年9月25日にSDGsが国連総会で採択されたとき、須賀さんはまさにその場にいて、プレスオフィサーとして、SDGs採択に関する記事を書かれたのです。そして、須賀さんが定年(65歳)を迎えるのは2029年9月27日。つまり、須賀さんが国連を離れた翌年にSDGsは達成期限の年を迎えます。国連職員として、SDGsの最後の年を見届けることはできないけれど、その前年までSDGsとともに過ごすということ、自分にとってSDGsは、運命共同体のような存在なのです、と須賀さんは感慨深そうにおっしゃっていました。

 

須賀さんのご経験についてもっと知りたい方は、須賀さんが以前、国連広報センターに寄稿された記事もあわせてお読みください。⇒「国連広報局のプレスオフィサー須賀 正義 さん」(注:取材時のお役職名は、マルティメディア・プロデューサーです)

 

統計で支える 小川友彬さん

 

最後にご紹介するのは、小川さんです。

 

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国連統計部のオフィスで
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba

 

小川さんは、総務省から出向という形で国連に派遣された方です。実は、小川さんは現時点で、すでに一年間の任期(昨年9月ー今年8月)を終え、東京に帰任されていますが、7月にはまだ国連で統計部のSDGsモニタリングセクションで、持続可能な開発目標(SDGs)の232の指標(indicators)*の利用に関して、担当国際機関との調整を行ったり、各国政府向けのガイダンスを提供したりしておられました。出向中の小川さんにくわしいお話をお伺いしたく、オフィスをお訪ねしました。

 

(注:小川さんがニューヨークを離れた後、総務省から別の方が着任しておられます)

 

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* 2015年に国連総会で採択された「私たちの世界を変容する:持続可能な世界のための2030アジェンダ(Transforming our world: the 2030 Agenda for Sustainable Development, A/RES/70/1)」と題する決議が打ち出したSDGsの17の目標と169のターゲットには、その進捗状況をはかるため、200を超える指標がつくられています。それらは上記決議とは別に、SDG指標に関する機関間専門家グループ(IAEG-SDGs = Inter-Agency and Expert Group on Sustainable Development Goal Indicators)によって「グローバル・インディケーター・フレームワーク」として策定され、統計委員会を通して、国連総会で承認されました(A/RES/71/313, Annex、2017年7月)。169のターゲットの指標をすべて数えると244件ですが、複数のターゲットにまたがり重複するものを除くと、その数は232件となります。

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お忙しい小川さんでしたが、その日時だったら時間を空けていただけるということでオフィスをお訪ねしたのは、松橋さんと須賀さんのインタビューの翌日の夜です。この日はHLPF最終日で、私は夕方から環境省のサイドイベントに出席していましたが、それを早めに抜け出して、小川さんのオフィスが入るOne UN Plazaへと向かいました。国連本部からファースト・アベニューを挟んで向かい側の建物です。ニューヨークの夜はかなり遅くなっても日が落ちずに明るいとは聞いていましたが、もう午後7時半を回ろうかという時間帯にもかかわらず、街はほんとうに昼間のようでした。小川さんは就業時間外にもかかわらず私を快くお迎えくださいました。仕事場を案内していただいたり、写真など撮らせていただいたりしたあと、オフィスに近いこじんまりしたレストランに場所を移し、食事をしながら、ゆっくりお話を伺いしました。

 

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右の建物がOne UN Plaza、左はChurch Center
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba


数学をこよなく愛し東大大学院で解析学微分方程式を研究したという小川さんは穏やかでさわやかな正義感を感じさせる雰囲気の方でした。

 

冒頭にご紹介したとおり、小川さんのお仕事はSDGsの指標に関する担当国際機関との調整や各国政府向けのガイダンス提供です。

 

SDGs自体、法的拘束力を有するものではないように、その指標もまたmandatory(義務)のものではなく、それぞれの国の自発性に任されていますが、各国があまりにも逸脱した指標を使っていると、SDGsのグローバルな進捗状況をはかることが難しくなり、その達成も危うくなることから、国連としては各国に前述のフレームワークの利用を奨励し、国連統計部がその調整やガイダンスの仕事を担っているのです。途上国の統計に関する能力開発支援はそれ自体がSDGsの目標17になります。小川さんは自らのお仕事について、ていねいに説明してくださいました。

                                    

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各国におけるSDGsの進捗状況はこうして指標ごとに集められ、公開されていますが、そこにはあまりにもショッキングな数字を見つけることになるかもしれません。たとえば、SDGsの一丁目一番地ともいえる指標1.1.1の「性別、年齢、雇用形態、地理的な場所などでみた、国際貧困ライン(1.9ドル)未満で暮らす人の割合」について、各国の状況をみてみると、その割合が高い国がたくさんありますが、そのなかでも、マダガスカルという国の割合は非常に高く、70%です。国民の7割近い人々が1日1.9ドル未満で暮らしているという状況は日本人にとって想像するのはなかなか難しいことですが、統計はその現実を私たちに容赦なく突き付けます。小川さんは指標があるからこそ、そうした統計が収集される、と指標の意義を強調しておられました。

 

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持続可能な開発目標(SDGs)指標のウェブページ
https://unstats.un.org/sdgs/



また、小川さんは、SDGsのターゲットに含まれる包摂的(inclusive)、強靭な(resilient)、持続可能性(sustainability)などの言葉が、指標にどのように落とし込まれているのかをみることの大切さを繰り返し述べておられました。

 

日本で一般の方々が指標まで見ることはないかもしれないけれど、たとえばゴール3(すべての人に健康と福祉を)の下の指標には、重大な感染症ばかりでなく、精神疾患や自殺など、先進国の課題も指標に落とし込まれていることはもっと認知されるべきだと思います、と小川さんはおっしゃっておられました。

 

また一方、指標と一口に言っても、SDGsの指標にはアウトカムとアウトプットという性格が違う指標が混在しており、たとえば、環境関係でアウトカムといえば、二酸化炭素の濃度となるところ、SDGsのゴール13(気候変動に具体的な対策を)のすべての指標は温暖化対策を講じている国の数など、アウトプットと呼ぶべきものであり、そうした国の数が増えることはアウトカムを生むための重要な条件ではあるものの、それが即、地球環境が良くなっていることを示す数値ではないということなど、それぞれの具体的な指標について冷徹に認識してこそ、SDGsの達成に向けた努力を考えることができるはずです、と指摘しておられました。

 

小川さんのお話しはとても興味深く、あっという間にときが過ぎました。普段あまりスポットライトを浴びることがない統計、SDGs指標の大切さがよくわかりました。SDGsはさまざまな条約や行動計画などが打ち出している個別の目標やターゲットを17の目標と169のターゲットにまとめて「見える化」しましたが、それらの達成に向けた努力の成果と現状を「見える化」するのは指標とそれをもとに収集されるデータなのです。小川さんのお話しを伺って、そのことをふかく認識しました。時計をみると、その針は、夜10時をとうに回っていました。平日の夜、こんなに遅くまで、お時間を割いていただいた小川さんに心からお礼を申し上げました。

 

――――

 

私がインタビューした3人の日本人国連職員の皆さんは所属先も仕事の内容も異なる方々でしたが、最初に綴らせていただいたように、ユニセフでWASHの活動調整を行うJPO職員の松橋さんも、国連ニュースの記事を書いてSDGsの啓発促進を担う広報職員の須賀さんも、統計のプロとして指標に関する仕事に携わる政府出向職員の小川さんもそれぞれ、他国出身の職員と一緒になってSDGsの目標の達成に向かって働いていらっしゃいました。多国間主義を体現する国連という場で、人類共通のゴールのために働くことで得られる喜びを皆さんからつよく感じました。

 

私のニューヨークの公式出張期間は、小川さんをインタビューした日で終わりました。本来はこの日の便に乗って日本に戻らねばなりませんでしたが、私にはどうしても国連本部で参加したいプログラムがありました。訓練を受けた若いガイドたちが国連本部を案内してくれるツアーです。私はもう一日、ニューヨークでの滞在を私費で伸ばして、翌日の午前中にツアーを予約して参加することにしました。皆さんはご存知でしたでしょうか。日本語ガイドツアーがあること、日本人職員がガイドおよびコーディネーターを務め支えていることを。ツアーに参加してみると、そこでは、SDGsの啓発促進も行われていました。私はコーディネーターを務める日本人職員の方にお話しを伺ってみました・・・。

 

次回は本連載ブログの最終回、どうぞお楽しみに。

(連載ブログ 国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本)

第6回 ~ 国連ガイドツアーでSDGsの啓発促進
第4回 ~ HLPFでの日本の市民社会の情報発信、そしてインタビュー
第3回 ~ HLPFでの日本企業、経団連の情報発信について
第2回 ~ HLPFでの日本政府の情報発信取材と星野大使インタビュー
第1回 ~ ニューヨーク国連本部でみたハイレベル政治フォーラム

 

                            

笑いの力でSDGs普及啓発を -「世界に受けた」と手ごたえ

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国連広報センターの根本かおるです。8月22・23日にニューヨークの国連本部で開催された「第67回 国連広報局/NGO会議」の場で、吉本興業電通SDGs市民社会ネットワークの方々と一緒に、日本で様々な分野のアクターが連携してSDGsの発信に協働で取り組んでいる事例について発表する機会がありました。世界から集まった聴衆から多くの反響があり、自分たちが日本で行っていることが世界でも通用するということに手ごたえを感じた次第です。

あまたある国連の会議の中でも、この国連広報局/NGO会議は市民社会の代表や若者らが主役で、参加者のみならず、会議の企画・運営やスピーカーも非政府の人々が中心に担っています。

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UN Photo/Loey Felipe

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UN Photo/Loey Felipe

 それだけに会議の雰囲気も柔らかく、好感が持てました。朝のウォーミングアップとしてヒップホップのセッションもあったほどです! 


            

最初の発表は会議2日目の午前の全体会合。定員700名程度の部屋は満席、かつ会議の模様がストリーミング中継され、アーカイブにも残るという場でした。

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UN Photo/Mark Garten

   

登壇者左から国連広報局アウトリーチ部 ジェフリー・ブレース課長、吉本興業 羽根田みやび執行役員電通 國枝礼子ディレクター、国連広報センター 根本かおる所長 

電通は吉本とのパートナーシップに加えて、社としてこの春実施したSDGsに関する生活者意識調査をもとに、現況と今後の課題と可能性を浮き彫りにするとともに、職員や役員、社を越えてクライアントに対して行っているSDGs研修・ワークショップについて紹介しました。会場に大きなインパクトを残し、終了後も多くの方々が感想を伝えたり、コンタクト先の交換などのために私たちに駆け寄ってくれました。  

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発表後、中国メディアのインタビューに答える吉本興業 羽根田執行役員(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

そして2日目午後には、吉本興業電通SDGsに取り組むNGONPOの中間支援組織である「SDGs市民社会ネットワーク」の黒田かをり代表理事を加え、エンターテインメント企業・広告会社・市民社会によるワークショップを私の司会進行で行いました。

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「Japan, Asia and Beyond: How an Ad Agency, the Entertainment Industry and Civil Society Are Promoting SDGs to Communities and Businesses (日本、アジア、そしてその先へ:広告会社、エンターテインメント業界そして市民社会による、地域とビジネス界へのSDGsの広め方)」をテーマにワークショップを開催

全体会合では10分でしか紹介できなかった内容をさらに深く掘り下げ、吉本のSDGsに関する地方自治体との連携や「アジアに住みます芸人プロジェクト」を通じたアジア展開、カンヌ広告賞での「SDG Lions」部門新設など最近の広告業界の動向などに言及。

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画面右からSDGs市民社会ネットワーク 黒田かをり代表理事電通 國枝礼子ディレクター、電通 水越悠輔シニア・アカウント・マネージャー、吉本興業 経営戦略室 B・ジャヤティラカ氏、吉本興業 生沼教行チーフプロデューサー、国連広報センター 根本かおる所長(写真提供:吉本興業

さらに、「誰一人取り残さない」というSDGsの大原則を重視して活動を行うNGONPOが発信や人々の巻き込みの面で感じている課題をメディアや広告企業との連携でいかに克服しているか、また、広告ガイドラインの策定の過程で市民社会の立場から緊張感を持ってどのような注意喚起を行ってきたかなどについて、最近の事例を交えて発表を行いました。(会場での発表資料(プレゼンテーション)はこちら

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『フューチャーランナーズ ~17の未来~』を会場で紹介

このワークショップでは、日本国内でSDGs実施に奔走する市民社会や地域のリーダーたちを取り上げたフジテレビの番組シリーズ『フューチャーランナーズ~17の未来~』の英語版も上映され、大きな拍手が巻き起こり、国境を越えて共感を喚起することのできる映像の力をあらためて感じた次第です。スクリーンを観ながらうなずく参加者の姿が印象的でした。

吉本興業電通SDGs市民社会ネットワークの方々はいずれも、今回の会議での発表についてそれぞれに手ごたえを感じていらっしゃいました。吉本興業の羽根田さんは「私たちの抱える芸人たちの取り組みが世界にも受けた、評価していただけたことはとても嬉しい」、電通の國枝さんは「国連で民間企業がこのように発表できること自体が驚きだったし、自分たちの取り組みを世界と共有できた意義は大きい」、SDGs市民社会ネットワークの黒田さんは「日本の市民社会として国連の会議のサイドイベントを企画しても、今回のように国連本部の中の大きな会議室で多くの方々を対象に話せることはまずない。国連広報局/NGO会議の存在を日本の市民社会に広く伝えたい」と語っています。

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今回の会議に参加した日本チームと共に(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

実を言うとこの私にとっても、ニューヨークの国連本部の会議で発表するのは初めてのことで、パートナー団体の方々をお連れしていることもあって、緊張の伴うものでもありましたが、結果として大きな成果につながる会議出席となり、努力した甲斐を感じると同時にほっとしています。会議全体の内容も、国連憲章の前文の最初にある「われら人民」にふさわしく、市民一人ひとりの力に訴えかける、大変力強い内容でした。2019年の第68回国連広報局/NGO会議はアメリカ・ユタ州の州都ソルトレイクシティーでの開催になります。いつか日本開催が実現できれば、と小さな野望を抱きました。

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NYで活動するライブリズムパフォーマンスグループ「COBU」が閉会式で演奏を披露(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

パレスチナのガザで活動する若手女性起業家とジェンダーやビジネスについて語らう

9月6日、ガザの若手女性起業家のマジド・マシュハラウィさんが国連広報センターを訪問しました。ジャパン・ガザ・イノベーション・チャレンジ ( Japan Gaza Innovation Challenge )が主催するビジネスコンテストで2016年に優勝、環境に優しい建設用ブロックを開発・販売する「Green Cake」という会社の設立、家庭用の太陽光発電機器を提供する「SunBox」の共同設立など、マジドさんは実業家として目覚しい活動をしています。今回、国連広報センターインターンの王郁涵、倉島美保、大上実、呂揚の4名が、マジドさんと、ガザの現状、ジェンダー問題、ビジネスなど、様々なテーマについて意見交換を行いました。

 

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マジドさん(右から3番目)と写真撮影@国連広報センター

 

~インタビュー~

インターン(以下I):マジドさんがビジネスを始めたきっかけは?

マジド(以下M):ガザでは、爆弾によって人の命が奪われ、街が破壊されている現状があります。実際に、爆弾が窓に投げ入れられて、人の命が奪われる姿を目の当たりにしたこともあります。その時、何かを変えていかなければならないと感じ、どうすれば変えることができるのかを考え続け、ボランティアに参加しました。土木工学を専門に勉強した経験を活かして、紛争によって破壊されたガザの建物の跡地から取り出した焼却灰を利用して、新種ブロック「Green Cake」を考案しました。

 

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2014年の紛争で崩壊したガザの街
©UN Photo/Shareef Sarhan

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新種ブロックGreen Cake製造の一コマ
©Green Cake

 

I:会社経営で苦労することはありますか?

M:経営は本当に難しいです。「SunBox」という会社には多国籍の人が働いており、彼らが満足して仕事ができるためにはどうすれば良いか、また、仕事に対して積極的に取り組めるようにするにはどうすれば良いかをいつも考えています。いまは資金調達よりも人材育成に焦点を当てています。会社経営をしていて、人をマネジメントすることの難しさを感じました。

 

I:ガザの現状はどうなっていますか?

M:良い部分と悪い部分があります。ガザの大学就学率は中東で最も高く、ほぼすべての子どもが学校に通っています。一方で、卒業後の進路が不安定で将来に希望が持てず、これから先の将来を考える機会が与えられていないことが問題です。問題の原因は紛争です。産業が破壊され、経済が停滞しているため、十分な雇用を生み出せず、失業率が高まっています。特に女性の失業率は約6割、若年層では8割に達していると言われています。

 また、ガザでは社会参加が制限されることがあります。ガザでは、多くの女性は若く結婚して家庭に入ることを期待されており、就職先を探すのは至難の業です。女性に限らず、能力ある若者はたくさんいます。専門知識やスキルを持ち、才能溢れる人が大勢にいるのに、それを活かすチャンスがありません。女性でありながらエンジニアでもある私は、このような状況に本当にフラストレーションを感じます。だからこそ、自ら起業をして、ガザの人々に希望のある未来を作っていきたいと思っています。

 

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マジドさんにインタビューをするインターン

 

I:成功までの経緯は?

M:大学4年生のときに、「Green Cake」のアイデアが浮びました。アイデアを形にするため、リサーチして資料をたくさん作りました。ビジネスプランやキャッシュフロー計算書を作りましたが、教授に見せたら、「なんだこれは!」と資料を跳ね返されたこともありました。大学生活では苦い思い出も少なくなかったですね。

 初めは、ビジネスについて何もわかりませんでした。ビジネスのやり方を学ぶためにアメリカへ行き、MIT Enterprise Forum, Pan Arab Region主催のアラブ・スタートアップ・コンペティション(Arab Startup Competition)に参加しました。そこでは、MITの教授や2億円を稼いだ起業家と出会い、「ビジネスってなんて壮大な世界なんだ!」と触発されました。そして、私も「SunBox」を始めたのです。クラウドファンディングで資金調達し、「Green Cake」では9人、「SunBox」では10人を雇いました。そこからビジネスは進んでいきました。

 

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MIT Enterprise Forum, Pan Arab Region主催のアラブ・スタートアップ・コンペティション社会起業家部門2位を勝ち取ったマジドさん
©Majd Mashharawi

 

I:ガザの女性はどのような立場に置かれているのですか?

M:ガザの社会は保守的な側面があり、女性は若くして家庭に入らなければいけないケースがあります。実際に、結婚問題を抱えていた女性メンバーは私たちのプロジェクトから身を退き、ある時期から連絡が取れなくなりました。私が思うに、彼女の結婚が少なからず関係していたと思っています。若く、夢と才能にあふれた女性の多くが、大学在学中に親が決めた相手と無理やり結婚させられるケースもあります。結婚後、大学に行くことはもちろん、夫の許可を貰わないと外出ができない女性も存在します。まるで箱のような場所で暮らしている女性がたくさんいるのです。

 

I:世界中の女性へのメッセージをお願いします。

M:自由以上のものは必要なく、自由であることに感謝することです。才能を持っているなら、それを正しいことのために使う方法を考えるのです。自分自身の個性を追求し、一人の独立した人間として生きていくことが大切です。経済的自由さえあれば、社会的圧力のもとで生きなくとも、生活する力を得ることができます。他人にコントロールされないために、希望を持って前へ進める力強い人間をめざしてもらいたいと思います。みんなで力を合わせて、自分が主役である人生にしていきましょう。

 

I:若い起業家へのメッセージをお願いします。

M:ビジネスで何よりも大事なのは、人と人とのネットワークを築くことです。資金や資本を調達する唯一の方法はすべて、人と人とのつながりから生まれます。ビジネスを始める前に、だれがサポートしてくれるのか、どれくらいの人が共感してくれるのかという観点を持つことが大切です。メンター・コーチ・アドバイザーといったサポーターを見つけることが、ビジネスの成功に繋がっていきます。

 

インターンの感想~

 貴重な経験を共有してくれたマジドさん、インターン一同感謝しています。本当にありがとうございました。ジェンダーの課題やビジネスの壁に何度もぶつかりながらも、様々な挑戦をして乗り越えていったマジドさんの前向きな姿勢や、活き活きとビジネスを語る姿に多くの刺激を受けました。

 また、自分で自分の限界を決めることなく行動を起こし、ガザを良い方向に変えようとするマジドさんから、強い責任感を感じました。私たちインターンにとって、今回お会いしたことは新たに多くのことを考えるきっかけとなりましたし、何か自分も行動したいという思いに駆られました。マジドさん、今後のご活躍を応援しています。

 

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マジドさん(一番左)と語り合う国連広報センターのインターンたち

 

こちらのブログもご覧下さい↓

http://blog.unic.or.jp/entry/2018/06/28/110710

国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本 【連載No. 4】

HLPFでの日本の市民社会の情報発信、そしてインタビュー 

 

みなさま、こんにちは。国連広報センターの千葉です。

 

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国連事務局ビルを前庭から見上げて
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba



今年7月にニューヨークに出張し国連本部で取材したハイレベル政治フォーラム(HLPF)について、ブログを綴らせていただいております。

 

今年のHLPFでは、日本の自発的国別レビュー(VNR)はなかったものの、政府、ビジネス、市民社会など、日本の各セクターの方々がさまざまな形で、日本のSDGsへの取り組みについて情報発信をしておられました。

本ブログでは、そうした情報発信の様子や私が現地でお会いした日本人の方々をセクターごとにご紹介しています。

 

日本の市民社会 -SDGsジャパン

 

今回のフォーカスは、日本の市民社会です。

 

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SDGsジャパンのウェブサイト
https://www.sdgs-japan.net/

 

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*HLPFでの日本の市民社会の活動を取材するにあたっては、SDGs市民社会ネットワーク(SDGsジャパン)の稲場雅紀さんにご相談しました。SDGsジャパンは、日本の市民社会において持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた取り組みを進めるさまざまなNGO/NPOが参加するネットワークです。SDGsジャパンが産声をあげたのは2013年。SDGsの形成のための多国間交渉に日本の市民の声を反映させるために「ポスト2015NGOプラットフォーム」として設立されました。その後、SDGs採択翌年の2016年4月に再編成されて、SDGs市民社会ネットワークとして始動。2017年2月には法人格(一般社団法人)を取得され、今年8月現在、およそ100団体が参加するネットワークとして活動を展開中です。アフリカ日本協議会の代表で、SDGsジャパンの代表理事を務める稲葉雅紀さんは、安倍首相を本部長とするSDGs推進本部のもとに設置されたSDGs推進円卓会議のメンバーとして、日本の市民社会の声を代表すべく活動していらっしゃいます。稲場さんから、HLPF開催期間中にSDGsジャパンのメンバー団体が主催するサイドイベントやニューヨークに赴いた方々を紹介していただきました。

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今年のHLPFでSDGsジャパンのメンバー団体が主催するサイドイベントは二つありました。その一つは結核を、もう一つは子どもに対する暴力をテーマにしたものでした。両サイドイベントはいずれもHLPFの前半の週の開催ということで、後半の週にニューヨークに赴く私の参加が叶うことはありませんでしたが、稲場さんは後半の週にもニューヨークに残っていらっしゃるSDGsジャパンのメンバー団体のお二人をご紹介くださいました。

 

その一人は、子どもに対する暴力をテーマにしたサイドイベントの主催団体の一つであるワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)でアドボカシー(政策提言)を担当するシニア・アドバイザーの柴田さん。もう一人は、ジャパン・ユース・プラットフォーム・フォー・サステイナビリティ(JYPS)の運営委員会理事の大久保さんです。

 

子どもに対する暴力撤廃を訴える -WVJの柴田さん

 

まずは、WVJの柴田さんのインタビューからご紹介します。

 

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ワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)の柴田哲子さん
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba

 

実はニューヨークでのさまざまな活動にお忙しい柴田さんとお会いする時間を設定できたのは現地に到着してからでした。なんとかHLPF閣僚会合2日目のお昼前に1時間ほど、お時間をいただけることになり、私はその日のスペシャル・イベント、ビジネスフォーラムの午前中のセッションを少しだけ早く抜け出して、指定の場所へ急いで向かいました。ご指定いただいた場所はVienna Café。実は、私は1日目には国連本部ビル内で、いったいどの建物のどの階のどこら辺にどの会議場があるのか、なかなかわからずに迷ってばかりいましたが、2日目になるとようやくそれぞれの会議場の位置関係が立体的にわかってきて、Vienna Caféもすぐにわかりました。ビジネスフォーラムが開催された会議棟2階の経済社会理事会議場から、総会ビル地下1階のVienna Caféまでは少し離れていましたが、Vienna Café はハイレベル政治フォーラムのVNRsの会場として使われているConference Room 4の近くで、国連職員、外交官やNGOの方がたが利用できる喫茶スペースです。コーヒーやサンドイッチなどもカウンターで購入して食べることはできるのですが、その時間帯は、とても混んでいて、カウンターも長い行列。私はとにかく急いで二人が座れるテーブルと椅子だけを確保して、柴田さんをお待ちしました。当日、Vienna Caféは予想以上にひどく混雑し、人の往来も激しかったので、無事にお会いできるかなと心配しましたが、柴田さんが私を見つけてくださいました。

 

柴田さんは言葉使いがていねいで、凛としながらも物腰が柔らかい、とても素敵な方でした。

 

柴田さんは、ワールド・ビジョン・ジャパン(WVJ)が世界の子どもを支援するワールド・ビジョン(1950年創設)の想いを受け継ぎ、1987年に設立された国際協力団体であること、またSDGsジャパンにおいては、その他の4団体(国際協力NGOセンター、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン、アドラ・ジャパン、アフリカ日本協議会)とともに、途上国開発全般・開発資金ユニットの幹事団体として活動されていることを説明してくださいました。

 

 

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そして、柴田さんは、WVJが今、SDGsの目標のなかでもっとも力を入れて活動していることの一つが、ターゲット16.2 (ゴール16のターゲット2)の「子どもに対する虐待、搾取、取引及びあらゆる形態の暴力及び拷問の撲滅」であること、このSDGsターゲットについては市民社会の活発な動きがあり、日本政府も市民社会とともにこの課題解決に前向きな姿勢を示し、積極的な資金拠出などを行なっていることを話してくださいました。

 

今年4月に東京・品川のユニセフハウスで開催された、子どもに対する暴力の撤廃に関する、WVJを含むマルティステイクホルダーのイベントにもお話しは及びました。このイベントは、私も参加し、ブログで詳しく綴っておりますので、ぜひそちらをあわせてご覧ください。

 

子どもに対する暴力撤廃に向けて:『子どものための2030アジェンダ:ソリューションズ・サミット』参加報告会

 

柴田さんは、WVJの優先課題として、その他にも子どもに関する重要な課題がたくさんあるけれど、WVJは今年のハイレベル政治フォーラム(HLPF)で、子どもに対する暴力という課題にフォーカスをあてた情報発信を行うことを決め、国連事務総長特別代表事務所(子どもに対する暴力担当)、子どもに対する暴力撤廃のためのグローバルパートナーシップ(GPeVAC)、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンなどとともに、今年のHLPFのレビュー対象のSDGsゴール11(レジリエントな社会)」を考えて、「平和でレジリエントな社会のためのパートナーシップ:子どもに対する暴力撤廃を通じて」と題するサイドイベントを主催したことを話してくださいました。開催日は前半の週の7月12日、場所は、マンハッタン中心部にあるScandinavian Houseで、セーブ・ザ・チルドレンの堀江由美子さんや共催団体の代表者や中南米の若者とともに、柴田さんもパネリストとして登壇したサイドイベントだったそうです。

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7月12日のサイドイベントで共催者と一緒に
柴田さんは右から3番目
©ワールドビジョンジャパン

前述のとおり、私がこのイベントに参加することは叶いませんでしたが、柴田さんによれば、サイドイベントでは、政府、市民社会、研究者、国際機関など多くの方が参加され、日本における子どもに対する暴力撤廃のアドボカシーについて、とても意義ある発信を行い、関心を喚起することができたそうです。日本の事例について多くの質問、意見交換も活発に行われて盛会だった、と柴田さんは振り返っていらっしゃいました。

 

昨年のハイレベル政治フォーラムにも足を運んでサイドイベントを開催されたという柴田さんが今年あらためて思ったのは、「ああ、やはり、HLPFでいろいろな課題に関して大切なイニシアチブ、政治的な動きが生まれている」ということだったそうです。世界の政府、ビジネス、市民社会の各セクターから多くの人たちが集まってくるハイレベル政治フォーラムのようなところで日本での取り組みを発信することの意義をニューヨークで強く感じていると述べておられました。

 

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サイドイベントで発言する柴田さん
©ワールドビジョンジャパン

さらに、柴田さんは、国連でSDGsが採択されてから、WVJにおける自らの動きかたにある変化がでてきた、と話してくださいました。その一つ目は、日本からニューヨークなどに出向き各国政府や市民社会、国際機関と対話をするなど、国際的なアドボカシー活動に関与する機会が増えたこと。そして、二つ目は、国内外で、今までは疎遠だった分野のNGOとの連携が増えたこと、だそうです。「これまで、WVJはセーブ・ザ・チルドレンなどのような開発・人道分野で活動するNGOとの連携は多くあったものの、ヒューマンライツ・ナウやヒューマン・ライツ・ウォッチといった人権分野で活動するNGOとの連携の機会は殆どありませんでした。でも最近はそうした人権NGOとも連携することが多くなり、それと同時に、WVJと自分自身の活動の幅が広がりました。今も広がりは増していて、そのプラスの影響はとても大きいと思います」と話してくださいました。

 

小学3年生の娘さんがいらっしゃるという柴田さんは最近、2030年というのは自分の娘が成人したころなんだなあ、とよく考えるそうです。一人の親として、大人として、世界の子どもたちにSDGsを達成した地球を引き継ぎたい、SDGsのターゲット16.2を達成するために頑張りたい、との強い思いをあたたかい眼差しで話してくださいました。

 

最後に、柴田さんは、ご自身が今、東京大学の大学院に通って「人間の安全保障」を学んでいることを教えてくださいました。子どもに対する暴力をテーマに論文を執筆し、実践と学問をつなげて貢献したい、との思いからだそうです。前日に星野大使から教えていただいた「人間の安全保障」とSDGsのつながり(連載ブログの第2回で紹介)の一端を私はこの日、柴田さんに見たように感じました。

 

子ども・若者としての意見を述べるーJYPSの大久保さん

 

次は、ジャパン・ユース・プラットフォーム・サステイナビリティ(JYPS)の運営委員会理事の大久保勝仁さんをご紹介します。

 

JYPSは日本の若者たちのネットワーク集団で、大久保さんはその代表です。

 

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日本政府代表のレセプションでJYPSのメンバーと
右から3番目が大久保さん、その左隣が筆者
©UNIC Tokyo Kiyoshi Chiba


大久保さんも柴田さんと同様にニューヨークでの活動に多忙を極めておられましたが、私がニューヨークに到着したその日の夕方であれば、どうにかお時間を割いていただけそうだことで、当日午後6時過ぎ、宿泊先のホテルにチェックインして荷物を置いてから、近辺の簡易食堂でお会いしてお話を伺いました。

 

大久保さんは背が高くて活動的なカッコいい青年であるとともに、気取りのない心優しい人でした。

 

大久保さんは、JYPSが日本の若者たちの緩やかネットワークで、若者の意見がさまざまな政策に反映されることを目的として活動を展開していること、そして、HLPFの場においては、「主要グループとその他のステークホルダー(MGoS)」の中で、子どもと若者の部門であるMajor Group for Children and Youth(MGCY)の中心的なメンバーのひとつとして活動していることについて、いろいろと話してくださいました。

 

持続可能な開発について議論する政府間会議の場であるHLPFにおいては、子ども・若者の主要グループ(MGCY)を含めて、女性、先住民、地方自治体など「主要グループとその他のステークホルダー(MGoS)」の参加が奨励されており、HLPFの開催形式など規定する国連総会決議(A/RES/67/290) によって、それらのグループはすべての公式会合に参加すること、あらゆる公式の情報/文書を入手すること、公式会合で発言すること、文書提出ならびに書式および口頭の貢献を行うこと、提案をすること、国連加盟国と国連事務局との協力によるサイドイベントや円卓会議を主催することを認められています。JYPSは日本の若者を代表して活動しているばかりでなく、世界の170か国の6,000を超える若者グループが参加登録するMGCYの中心的なメンバーとして活動を展開し、HLPFにおいて子ども・若者の声を届けるべく努めているのです。たとえば、昨年のHLPFにおいて、日本政府がVNRsに臨んだ際には、岸田外務大臣(当時)のプレゼンテーションのあと、タイ政府、カナダ政府の代表に続いて、MGCYから、大久保さんの前任者である小池宏隆さんが質問しました。

 

大久保さんは、JYPSがそうやって子ども・若者を代表して、実際にHLPFで意見表明を積極的に行っている存在であることを誇らしげに語ってくださいました。

 

 

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サイドイベントで発言する大久保さん
©JYPS

 

大久保さんによると、最近、JYPSの有力メンバーとして、「Japan National Young Water Professionals(Japan-YWP)」があらたに参加したということでした。Japan-YWPは、International Water Association(IWA)日本国内委員会(IWAの日本支部)の下部組織として、2010年3月5日に設立され、日本水環境学会、日本水道協会などと密接な連携をとりながら、上下水道・水環境に関連する分野の学術的研究・知識の普及・水環境保全への積極的な貢献を目的とした若手中心のプロ集団だそうです。子ども・若者といっても学生ばかりではなく、JYPSは、こうした若い専門家のネットワークも擁しているのです。Japan-YWPの参加もあり、今年のHLPFにおいては、大久保さんがJYPSを代表してSDGsのゴール6(安全な水とトイレを世界中に)に関連するサイドイベントでパネリストの一人を務めたそうです。

 

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最前列の左端が大久保さん
ユース特使は2列目中央の花柄ジャケットの女性
©MGCY

さらに、大久保さんは、他の国のユースとともに、国連のユース特使、ジャヤトマ・ウィクラマナヤケさんとの対談に臨み、世界各国のユースを取り巻く現状などに関する意見交換も行ったことを話してくださいました。

 

そして大久保さんは、JYPSのその他のメンバーの方々が活躍し、サイドイベントのモデレーターを務めたり、VNRsで発言したりするなどHLPFでいろいろな情報発信に臨んでいたことを熱心に話してくださいました。

 

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世界各国から参加した若者たちの集まり
セントラルパークで
©MGCY

現在、大学院で建築を学びながらJYPSの活動を続ける大久保さんの原動力となっているのは、大学生のときのスリランカへのバックパックの旅にあるそうです。

 

大久保さんがスリランカを訪れたのは大学2年生の冬で、カヌーに乗って行った先は、とても貧しい漁村。大久保さんが感激したのは、現地の人たちの精神的な豊かさでした。大久保さんは現地の人と一緒に食事をしたり、小さなバケツを使って身体を洗ったりして、現地の人に溶け込みながら、とても楽しいときを過ごしました。そして、物質的ではない、とても大切な何かを教えられたという思いをもって日本に帰ってきてしばらくしたころ、大久保さんはその村が台風で壊滅したことをニュースで知ります。大久保さんは、貧しいなかでも自分に対して心やさしく接してくれた村人たち一人ひとりの顔を思い出しました。気がついてみたら、大学を休んで、再びその村へと向かっていたそうです。でも、現地につくと、大久保さんの眼前に広がっていたのは、政府によって封鎖される一方で、インフラも復旧整備もなかなか進まずに、村の人たちに対するケアは十分提供されていない状況でした。大久保さんはとても大きなショックを受けます。制度上の問題がある、と強く思ったそうです。

 

そこから、大久保さんの思いはどんどん強くなり、まもなく、HABITAT for Humanityという居住問題に取り組むNGOに加入するなど、行動を起こすようになったのです。

 

「自分はそんなに優秀な人間ではありません、でも、そんな自分が今、JYPSの代表となり、HLPFで若者の声を代弁しようと努めています。思いを持ち続けていれば、ひとは誰でも、何でもできるのです」と大久保さんは謙虚に、でも力強く話してくださいました。

 

―いまでも、スリランカの気が良くてやさしい人たちの顔が忘れられない、ほんとうに弱い立場の人が意思決定に参加できるしくみ、制度をつくりたい-

 

何度もそう語る大久保さんから、あつい本気がまっすぐに伝わってきました。

 

もう一つのサイドイベント 結核を終わらせるために

 

冒頭に申し上げた通り、今年のHLPFでは、日本の市民社会によるサイドイベントがもうひとつありました、結核に関するサイドイベントです。

 

このサイドイベントはHLPF前半の週の開催で、その主催団体であるアフリカ日本協議会の稲場さんも早く日本に戻られたことから、私自身が現地で参加したりお話をお聞きしたりすることは叶いませんでしたが、そのテーマの重要性は言うまでもありません。

 

簡単にご紹介いたします。

 

このサイドイベントは7月11日にニューヨーク日系人会ホール(マンハッタン中心部)で開かれました。

 

持続可能な開発目標(SDGs)はゴール3(すべての人に健康と福祉を)で、結核の流行を終わらせることをターゲットのひとつ(Target 3.3)にしていますが、サイドイベントは、国連総会で今月下旬に結核に関する会合が開催されることを視野に入れるとともに、今年のHLPFがゴール11(住み続けられるまちづくりを)をレビュー対象としたことを踏まえて、「結核への人間中心のアプローチ=より健康な都市と人間居住のために」というテーマのもとに開催されました。

 

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パネリストは、日本政府代表部の別所浩郎大使、ポーラ・フジワラ氏(世界結核肺疾患連合科学ディレクター)、レオ・バルンボ氏(国境なき医師団米国政策ディレクター)、マイク・フリック氏(「治療行動グループ」エイズ結核ディレクター)の皆さんでした。

 

このサイドイベントが視野に入れたのは、今月26日に国連総会で開催される、結核に関する初のハイレベル会合です。その会合のテーマは、「結核を終わらせるための連帯:グローバルな感染症への緊急の世界的対応“United to end tuberculosis: an urgent global response to a global epidemic”」。日本の別所大使が共同議長を務め、世界各国の首脳たちが結核対策強強化を目指して政治宣言を採択する予定です。

 

結核はほんとうに恐ろしい病気です。

 

卑近な話で恐縮ですが、私の母もまた結核に冒された一人です。私が7歳のときに父が脳溢血で他界し、それからしばらくしてから。母はまだ30代でした。小さい私は自宅でしょっちゅう母が血を吐く姿を見て育つことになりました。洗面器いっぱいに血を吐いて倒れる母を助けたくてもどうしてよいかわからず、ただ背中をさすってあげることと救急車を呼ぶことしかできませんでした。小さいころの私にとって、結核とは、母を苦しめる怖くて憎い病気であると同時に、すぐそばにいる哀しい母のことでした。病院に長期入院して治ったと思うとまた再発という繰り返しの状態が長い間、執拗に続き、完治したといわれてからも、母の肺が十分に機能することはありませんでした。がんをはじめ、生涯、病気続きだった母はけっきょく結核の痕跡が命とりになりました。

 

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総会ハイレベル会合のウェブページ
https://www.un.org/pga/72/event-latest/fight-to-end-tuberculosis/



今もなお、結核の流行は終わっていません。2016年時点で、世界じゅうで一年間に1,040万人が結核に感染し170万人が命を奪われているのです。

 

SDGsターゲット3.3 ― その達成を願ってやみません。

 

―――

 

ハイレベル政治フォーラム(HLPF)そのものの取材に関するブログは今回で終わります。次回は、ニューヨークで私がお会いした、SDGsを舞台裏で支える日本人国連職員の方々をご紹介します。

(連載ブログ 国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本)
第6回 ~ 国連ガイドツアーでSDGsの啓発促進
第5回 ~ SDGsを舞台裏で支える日本人国連職員たち 
第3回 ~ HLPFでの日本企業、経団連の情報発信について

第2回 ~ HLPFでの日本政府の情報発信取材と星野大使インタビュー
第1回 ~ ニューヨーク国連本部でみたハイレベル政治フォーラム

 

 

 

写真で綴る、国連事務総長の訪日 2018


8月7日から9日までの3日間、アントニオ・グテーレス国連事務総長が日本を訪問しました。今回の主な目的は、長崎平和祈念式典への出席です。

昨年7月には国連で核兵器禁止条約(the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)が採択され、発効に向けた議論や取り組みが進められている中、今年5月には、ジュネーブ軍縮アジェンダ「Securing Our Common Future」を発表し、人類を守り、人命を救う、未来世代のための軍縮を訴えたグテーレス事務総長。今回の訪日でも、被爆者の方々との”強い連帯”を示し、2度と原爆の被害者を出さない、というメッセージを日本、そして世界に向けて発信しました。

”No more Nagasaki, never more Hiroshima, not any more hibakusha being necessary”
(ノーモア・ナガサキ。ネバーモア・ヒロシマ。これ以上の被爆者を出してはならない)

 

*** 

 

8月7日夜、グテーレス事務総長が日本に到着!

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グテーレス事務総長を羽田で迎える(右から)デイビッド・マローン国連大学学長、根本かおる広報センター所長、中満泉国連軍縮担当上級代表 @UNIC/Takashi Okano

 

*** 

 

8月8日には早朝からのインタビュー取材の後、国連広報センター所長根本かおるとインターンとパチリ。

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©UNU/Daniel Powell

 

その後、首相官邸に向かい、安倍総理との会談、および共同記者会見に臨みました。

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©UNIC/Takashi Okano

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©UNIC/Takashi Okano

会談では 、唯一の被爆国である日本は「核兵器のない世界」の実現に向け、国連と協力して取り組んでいくことで一致しました。また、北朝鮮から非核に向けた具体的な行動を引き出すためには、安保理決議に基づく措置の完全な履行が必要だという認識を再確認し、日本政府の拉致問題解決に向けた対話をめざす取り組みにも支持を伝えました。

事務総長は総理との共同記者会見で、今回の訪日には被爆者との深い連帯を示すという特別な意味があると述べました。日本について、「多国間主義を支える柱であり、また国連の重要なパートナーである」と評価し、平和や人権を推進する努力に感謝を表しました。

 

その後、政府専用機で長崎へ。

 

8日午後、長崎に到着したグテーレス事務総長は、田上富久長崎市長をはじめ地元の関係者と懇談を行ったほか、被爆者の方々にも面会しました。

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©UN Photo/Daniel Powell

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©UN Photo/Daniel Powell

被爆者からひとりの人間として直接話を聞きたい、という事務総長本人の希望を受けて、対話は車座で行われました。被爆者の方々の話に静かに耳を傾け、思いを受け止めました。

事務総長は、「広島と長崎の原爆を生き延びた被爆者の方々は、ここ日本のみならず、世界中で、平和と軍縮の指導者となってきました」と被爆者の方々に敬意を表しました。「ノーモア広島、ノーモア長崎」という大切なメッセージを広く伝えるため、そして核兵器が二度と使用されぬよう全力で取り組まねばならないとの思いを一層強くしたと述べています。被爆者の方々との対話は、事務総長にとって訪日プログラムの中で最も重要な時間のひとつとなりました。

 

この日は、グテーレス事務総長がかねてより望んでいた浦上天主堂にも足を運ぶことができました。

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若者に迎えられる国連事務総長浦上天主堂にて @UN Photo/Daniel Powell

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高見三明大司教より説明を受ける国連事務総長浦上天主堂にて @UN Photo/Daniel Powell


 

*** 

 

翌9日午前、グテーレス事務総長は、河野外務大臣と朝食会にて会談しました。国連改革や北朝鮮情勢に関して意見交換を行い、軍縮・不拡散に向けて共に協力することで一致しました。

 

続いて、長崎原爆資料館および国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れました。

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原爆資料館では山里小学校の子どもたちの歓迎を受けました ©UN Photo/Daniel Powell

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子どもたちは平和祈念式典でも合唱を披露しました ©UNU/Daniel Powell

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子どもたちと折り鶴を折るグテーレス事務総長 ©UNU/Daniel Powell

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原爆資料館を見学 ©UN Photo/Daniel Powell

 

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被爆した長崎の街を表現した模型の前で足を止める国連事務総長。彼の隣で説明するのは中村館長 @UNIC/Yasuko Senoo

 

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平和祈念館の追悼空間にて ©UNU/Daniel Powell

 

そして、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館での記者会見に臨み、核廃絶への強い決意を表明しました。被爆後の惨状を乗り越え活気ある街を作り上げた長崎の不屈の精神を称賛し、「核兵器が二度と使われないようにするのは私たち一人ひとりの義務だ」と訴えています。

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©UNU/Daniel Powell

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©長崎市

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「すべての原爆被害者、そのご家族のみなさま、そして長崎にお住まいの方々との深い連帯を私は表明します。私のメッセージは明確です。勇気ある被爆者の叫びに続くこと ― 長崎を二度と繰り返さないように、と」

(“I express my deep solidarity with all the victims of the atomic bomb, their families and Nagasaki community. My message is very clear repeating the cry of the courageous Hibakusha. Nagasaki never again.”)

記者会見後に残したメッセージには、そう書かれていました。

 

この後、被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました。式典には、核保有国を含む71ヵ国の代表も参列しました。

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©UN Photo/Daniel Powell

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©UN Photo/Daniel Powell

 "Let us all commit to making Nagasaki the last place on earth to suffer nuclear devastation."
(私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう。)

現役の事務総長として初めて、長崎での平和祈念式典に参列したグテーレス事務総長はスピーチで、全ての国に対して核軍縮に全力で取り組むように呼びかけました。母国ポルトガルとも深いつながりのある長崎への訪問は、事務総長にとっても特別なものとなったようです。

 

***

 

“Peace is not an abstract concept and it does not come about by chance. Peace is tangible, and it can be built — by hard work, solidarity, compassion and respect.”
(平和とは、抽象的な概念ではなく、偶然に実現するものでもありません。平和は人々が日々具体的に感じるものであり、努力と連帯、思いやりや尊敬によって築かれるものです。)長崎平和祈念式典でのスピーチより

 

被爆者の平均年齢は82歳を超え、長年、戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えてきた被爆者の減少が懸念されています。

日々生活する中で、頭の隅に追いやられてしまう「日本は唯一の被爆国である」という事実。

もし再び戦争が起こったら。

もしまた核兵器が使われたら。

家族や友人、大切な人を失うことになったら。

 

平和に過ごせるのが当たり前ではないということを噛み締め、平和のために何が出来るのか考えなければいけない、と痛感する3日間となりました。

 

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©長崎市

 

今回の国連事務総長の訪日に関してはこちらもご覧ください:国連と軍縮


インターン 安部・布施)