執筆: 根本かおる国連広報センター所長
この夏は日射しが痛いほど強烈だ。高温と多湿で、命に危険なほどの暑さを体感している。「熱中症対策アラート」が頻繁に発令され、体調を崩さないためにめっきり外出が減ってしまった。習慣になっていた週末のジョギングも、中断している。気候変動と健康との関係をこれまでになく痛感している。7月下旬から8月初めにかけて2週連続で、全国の熱中症による搬送が1万人を超えた。
今年7月の世界の平均気温が、いずれの月を対象にしても、史上最高となった。1991年から2020年の7月の平均よりも0.72℃高く、1850年から1900年の7月の平均よりも1.5℃高い。年平均で1.5℃上昇したわけではないものの、「1.5℃上昇」の世界をイメージする手掛かりにはなるだろう。
「地球温暖化の時代は終わった。地球沸騰化の時代が到来した」と、7月の事態を受けてアントニオ・グテーレス国連事務総長は記者会見で危機感をあらわにしている。
国連本部での #世界気象機関 @WMO の最新の報告書の発表(7月27日)に際し、アントニオ・グテーレス国連事務総長は、「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来した。」と記者団に語り、劇的かつ早急な気候アクションの必要性を訴えました。 pic.twitter.com/9VRMNr69Rp
— 国連広報センター (@UNIC_Tokyo) 2023年7月31日
この高温熱波 は大規模な気候災害を引き起こしている。春以降続いているカナダの森林火災による大気汚染は、ニューヨークをディストピアのようにオレンジに染めた。同じく熱波と山火事に見舞われている米国では、600万戸もの住宅が森林リスクの増大のために保険に加入できなくなっている。地中海沿岸の国々での山火事に続き、日本人にとってリゾート地として馴染みのあるハワイ・マウイ島でも大規模な森林火災が起こり、米国での山火事としては過去100年で最悪のものになった。
同時に、地球が温暖化するにつれて、海水温が上昇し、大気中の水蒸気が増え、ますます激しく、より頻繁に、より深刻な豪雨が発生し、洪水につながることが予想される。日本、韓国、中国ではこの夏、まさにそれが起こっている。また、フロリダでは海水温の上昇でサンゴの白化が大規模に進むなど、生物多様性の喪失にも拍車が掛かっている。
次から次へと続く大規模な気候災害のニュースを前に、ニュースの受け取り手である私たちの心は麻痺してしまう。ニュース報道には、ややもすると事件・事故・災害などネガティブなニュースに注目しがちな傾向がある。職業柄日常的に多くのニュースに接することが必要な私も、大量の暗いニュースに触れていると受け止めることができなくなり、意図的にニュースを遮断する時間を設けることにしている。自分にとって、心が侵食されるのを防ぐ自己防衛策でもある。
イギリスでの調査結果によると 、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが始まった当初、人々はこの未知の感染症について積極的に情報を集めようとしたが、悲惨なニュースばかりが重なって耐え難くなると、人々はニュースへの心の窓を閉ざしてしまった。調査に協力した人々は、終わりのない危機のリストに直面して絶望に圧倒され、自分自身を守るためにオフにしたと回答している。情報を入手することよりも自分自身のウェルビーイングを優先することを選択した、メディアには人々の気持ちを上向かせるニュースやパンデミックから抜け出す方法などについてもっと取り上げてもらいたかったなどと指摘している。来る日も来る日も破滅論的な破壊と喪失のニュースばかりで警告が多すぎると、人々の心を麻痺させるだけではなく、恐怖と諦めの念を植え付け、その先の思考をストップさせてしまう。問題を問題として伝えるだけでは、不十分なのだ。
ではどうすれば、気候危機について危機感を持って伝えつつも、危機打開の解決策と可能性に自分事として目を向けてもらうことができるのだろうか。今年3月に公表された「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」第6次評価報告の統合報告書は、「私たちがこの10年に行う選択と行動が数千年にわたり影響を与える」と指摘し、私たちが地球をつないでいけるかどうかの分岐点にあることを示している。そのような重要な分岐点にあって、人々の諦めや無関心が勝ってしまうような事態は何としても避けなければならない。コミュニケーションに携わる関係者が力を合わせて、解決のためのアクションをそれぞれのやり方で可視化し、人々を巻き込んでいくに価する大問題だろう。ロイタージャーナリズム研究所の「デジタルニュースリポート2023」も、ニュースを回避する人々が明るいニュース・解決策を提案するニュース・複雑な出来事を理解するのに役立つ解説を望んでいることを浮き彫りにしている。
長年コミュニケーションに携わっていて感じるのは、私たちはチャレンジする人の姿にこそ共感し、希望や可能性を見出すということだ。だからこそ、気候変動という大きな課題に対して問題意識を持って行動する人々のストーリーを可視化し、閉ざされがちな思考回路をほぐして「私にもできる(かも)」と感じてもらい、巻き込んでいくことが重要だろう。だからこそ、国連広報センターでは日本の多くのメディアとともに、気候アクション提案型の「1.5℃の約束」キャンペーンを昨年から展開している。
地球の気温上昇を1.5℃に抑えるための余地はどんどん狭まりつつあるが、社会の仕組みを脱炭素型に大きく舵を切って排出量を大幅に減らしていけば、最悪の結果を回避することができる。まだ間に合ううちに、関心を失った、または気候危機に目覚めたばかりのオーディエンスを対象に、より効果的な巻き込み型コミュニケーションが必要だ。気候変動について知ってはいるものの、積極的に情報を収集していなかったり、危機の大きさに圧倒されていたりする人々に、いま一度気候変動について強い関心を持ってもらいたいのだ。地元の農業、旬の食材、趣味のスキー、夏の高校野球、水、子どもの健康、年老いた両親など、人々が気にかけていることと気候課題とを点線でつなぎ、気候に関する警告を人々に関係あるものとして提示することができるだろう。
さて、では「日本」を考えてみよう。若者に関する国際比較調査で、日本では他国と比べて気候変動への危機感の低さや自分事化が進んでいないことが明らかだ。同時に、気候変動対策を取ることに対して、「機会」よりも「負担」 と捉える傾向が強い。「エアコンの設定温度を28℃に」などの「我慢」型の節電が対策の主流として語られがちだったことも関係しているかもしれない。これからは気候変動対策について、より快適でお得な生活を営むためのライフスタイル変革 という打ち出し方が一層大切になるだろう。国内での年代別調査では、気候変動を心配する気持ちは年代が上の世代の方が下の世代よりも強く、行動に関しては下の世代が上の世代よりも実践していることが明らかになっており、気候変動について年代を越えてともに考え行動することがポイントだろう。
環境省も昨年秋から「脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動」を立ち上げ、その運動を支える官民連携協議会には700を超える企業・自治体・団体などが参加している。国民運動の愛称も、脱炭素の「デカーボナイゼーション」と環境にやさしいの「エコ」とを掛け合わせた活動を指して、「デコ活」に決まった。愛称とともに、脱炭素につながる快適でゆたかな暮らしのイメージを共有しつつ後押しして欲しい。
振り返れば、今は当たり前になっている食品パッケージに記載されている栄養成分表示も、禁煙・分煙も、ビデオ参加を活用した会議やイベントも、使い捨てレジ袋をもらわずにエコバッグを使用することも、少し前には当たり前のことではなかった。いずれも社会のニーズや国際的な潮流などに押されて、世の中に広まったものだ。排出量削減の努力の見える化を進める動きが加速する中、私たちが栄養成分表示を参考にしながら食品を買うように、従来のものよりどれだけの量・比率で排出量削減につながるかという情報を手掛かりに製品・サービスを選ぶ ことが主流になる時代ももうすぐ来るかもしれない。
忘れてはならないのが、気候変動で一番深刻な被害を受けるのは、最貧国や小さな島国、スラムに暮らす人々、住民、そして若者・子どもやこれから生まれてくる世代だという点だ。地球温暖化をはじめとする気候変動の原因である温室効果ガスの排出にほとんど関わっていない彼らに、気候変動の影響のしわ寄せが行ってしまうことについて、「クライメート・ジャスティス(気候正義)」のレンズを通して見つめることが必要だろう。現在と過去の世代が作り出した負担をこうした人々に押し付けることは、気候正義に反するものだ。彼らへの共感と連帯を大切にするとともに、持続可能な開発目標(SDGs)が提示する経済・社会・環境を統合的にとらえるアプローチと「誰一人取り残さない」との原則が、気候変動へのアクションでも不可欠だ。
「気候正義は、道徳的要請であると同時に、効果的で世界的な #気候変動 対策の前提条件です」@antonioguterres 事務総長#気候正義 とは、気候変動に関する意思決定と行動の中核に、公平性と #人権 を据えることを意味します。#気候危機 を含む環境問題は人権の問題でもあるのです。
— 国連広報センター (@UNIC_Tokyo) 2023年6月19日
#1.5 ℃の約束 pic.twitter.com/txRCxUUTFJ
この原稿を執筆中の8月15日、画期的なニュース が飛び込んできた。米国モンタナ州で5歳から22歳までの子どもと若者16人が州政府を相手取って起こした気候訴訟で勝訴したのだ。モンタナ州憲法第9条第1項はすべての州民に「清潔で健康な環境」を約束し、きれいな環境が州民の権利として明文化されている。報道によると、判決は、州政府の不十分な対応によって排出された温室効果ガスが、原告側の子どもや若者に経済的な損失や肉体的・精神的な損害などを与える重大な要因となっていることが証明されていると結論づけた。温室効果ガス排出量が増えるごとに、原告の損害は増え、気候変動による損害が固定化される危険性も指摘。その結果、州民に認められている「清潔で健康的な環境の権利を侵害し、違憲である」としている。
世界的に気候変動に関する訴訟は増加傾向にあり、国連が7月に発表した調査によると、世界で気候変動に関連した訴訟は2017年(884件)から2022年(2180件)にかけて2倍以上に増えている。ほとんどは米国の訴訟だが、2180件のうち約17%は開発途上国での訴訟だ。モンタナ州での勝訴が他の気候訴訟にもインスピレーションと刺激を与える だろう。
国連総会は2022年7月に「清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利」を人権と認める決議を採択した。さらに2023年3月には、気候変動と人権に関する国際司法裁判所(ICJ)の諮問的意見を求める決議を採択した。4年前に太平洋の島国フィージーの大学の学生たちが授業での議論を出発点に太平洋諸国の指導者たち宛てに手紙をしたためたところ、バヌアツが反応し、この決議案を主導したのだ。決議は、気候変動の悪影響から現在および将来の世代の権利を守るために、国家が負うべき義務とは何かを明らかにすることを目的としている。ICJは今後、気候変動に関する裁判に引用される可能性のある提言を作成することになる。
9月の国連総会ハイレベルウィーク期間中の9月20日には、グテーレス国連事務総長の呼び掛けで「気候野心サミット」が開催される。加速度的に気候変動が進む中で、野心・信憑性・実施の3つの分野において真のファースト・ムーバーズとファースト・ドゥーアーズ(先行者および実行者)のみが発言の機会を得られると事務総長は語っている。
11月30日からドバイで開催される気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)に向けた前哨戦だ。
国連広報センターではこの機会をとらえ、「やればできる」の精神でクリエイティブに発想して行動する人々のストーリーを中心に、世界が気候課題に取り組む危機感と熱量とを「1.5℃の約束」キャンペーンを通じて発信していく。