国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第33回は、杢尾雪絵(もくお ゆきえ)さん(UNICEFレバノン事務所代表)からの寄稿の前編です。
新型コロナウイルスのパンデミックが子どもたちに与えた多大な影響 (前編)
新型コロナウイルス感染症の発生から、この年末には早くも2年が過ぎようとしています。世界各地でワクチンの普及が進む中、一見、子どもたちは新型コロナウイルスによる最悪の健康被害からは免れたように思われています。しかしながら、実は新型コロナウイルスのパンデミックは子どもたちの毎日の暮らしに多大な影響を与え、今でもそのリスクは衰えていません。一般的には、新型コロナウイルスの医療的リスクや被害は少ないと思われている子どもたちですが、コロナ禍において最も顕著な犠牲者になっているともいえます。世界的な新型コロナウイルスのパンデミックは、全世代の子どもたちに大きな影響を及ぼしており、回復には何年もかかる可能性があります。
新型コロナウイルスに関する知識が世界的にもまだ行き渡っていなかった初期段階の2020年7月。その時点で、世界的にも評価の高い医学誌「ランセット」は、「パンデミックの間接的な影響として食料と必須医療サービスへのアクセスが断たれることで、100万人を超える子どもが死亡する危機が起こるリスクが有る。」という警鐘を鳴らしていました。開発途上国の大部分で感染が更に広まっていますので、場合によっては100万人という数字も過小評価ということにもなりかねません。実際、新型コロナウイルスがもたらした社会的影響を世界的に見ると、このパンデミックは既存の不平等を拡大し、さらに多くの貧困層や社会的弱者に広範囲での打撃をもたらしたとも言えます。
では、新型コロナウイルスのパンデミックが子どもたちの生活に与える最も深刻な影響とは何なのでしょうか。やはり、一番懸念されるのは子どもたちの精神にきたす影響です。成長過渡期にある子どもや青少年が、心身ともに健康に発育していくためには、心理的な安心感や、社会とのつながりといったことが、言うまでもなく大変重要となります。しかし、新型コロナウイルスのパンデミックは、子どもたちの日常生活、特に社会生活に劇的な変化をもたらしました。
新型コロナウイルスは、全世界で15億人以上の子どもや若者の継続的な教育を妨げてきました。多くの国で長期間の学校が閉鎖が行われ、この過去1年半の間、子どもたちの日常の活動は、ほぼ完全に家の中に限られてしまいました。私が現在暮らしているレバノンでも、学校は小中学校から高校・大学まで、全国的にすべての学校が1年半閉鎖となりました。ようやくこの9月に再開しましたが、場所によってはまだ閉鎖されている学校もあります。
コロナ禍の都市閉鎖中のレバノンでは、家にいて課外活動のできない青少年をサポートすべく、国連児童基金(UNICEF)の青少年活動の一環として、10代の若者たちからいろいろな声を聞いてきました。青少年たちの声はとても切実でした。ある若者は、「今年は大学受験のための統一試験を控えているのに、このままだとどうなるのかとても心配です。半年以上も何も勉強できていない気がします。イライラする気持ちが募って、誰かから話しかけられてもつい大声を出したり、ドアを閉めてしまったりします。どうして良いのかわかりません。」と言っていました。また他からは、「友達と集まったりできなくなったし、結婚式などの冠婚葬祭も行われない。お葬式さえも電話のみ。まるでボトルに閉じ込められているような生活。」といった声も聞こえてきました。
学校での活動は子どもや青少年の日常生活の大半を占めており、学校は教育を受ける場所を提供するだけでなく、社会との繋がりや人間関係の構築など、子どもの成長に大きな役割を担っています。子どもが学校に行けないということは、まずオンライン学習のようななじみのない遠隔教育に適応するという課題が子どもたちに課せられます。それに加えて、生活パターンの変化や孤立感、教育の遅れなどによる、子どもたちのストレスレベルが非常に高くなりました。直接目には見えにくいものの、こうした面での子どもへの影響は、多大なものがあると言って過言ではありません。さらに、多くの子どもたちが、通常の身体運動の機会を失いました。自由に外で遊べない子どもたちのストレスは想像しがたいものがあります。こうした心理的ストレスは、子どもたちの将来の可能性と人生の展望にも影響を与えてしまいます。パンデミックによる心的外傷や不安神経症、うつ病等を乗り越えるには時間がかかり、この後も長い期間にわたって人々を苦しめるかもしれません。特に子どもたちは、より敏感にメンタルヘルスの長期的な影響を受けるでしょう。
また、学校閉鎖と遠隔教育により、貧困格差や社会的差別がさらに顕著になりました。学校閉鎖期間中、いろいろな国で遠隔教育を通じて教育プログラムが提供されてきましたが、遠隔教育を通して子どもたちがどの程度の学習効果を出せたのかは、はっきりとわかっていません。また、遠隔の教育の多くはインターネットを通じてのオンライン教育が多く、こうした教育方法は国家間での格差を生むだけにとどまらず、国内での貧困格差や教育格差を生むという構造がますます顕著になりました。インターネットやデバイスへのアクセスが、すべての子どもたちに平等に与えられたとは言い難く、「デジタル・ディバイド(情報格差)」という言葉まで出てきて、教育へのアクセスが以前にも増して格差社会を浮き彫りにした形です。
さらに、新型コロナウイルスがもたらした大きな懸念の一つは、家庭内暴力の増加です。子どもたちが家で遠隔教育を受ける一方、多くの親たちが在宅勤務となりました。家族が一緒に家にいて活動をするというのは、家族間のコミュニケーションと家庭内の活動の機会が増えるという前向きな部分がありますが、すべての家庭がスムーズにそのような環境を保っているとはいえません。残念ながら場合によっては、必ずしも家庭が子どもにとって安全な場所であるとは限らず、中には様々な種類の虐待の被害を受けている子どももいます。貧しい家庭における限られたスペースは、過密状態のためにストレスレベルを上昇させ、欲求不満や、家庭内の諍いの増加、そしてしばしば精神的および身体的暴力をもたらします。親は子どもたちの前で日常生活を送ることを余儀なくされ、おとなたちも心理的ストレスを蓄積する中、子どもたちに影響を与える家庭内紛争や暴力が増えているという現状があります。
新型コロナウイルスは経済活動にも大きく影響しました。多くの人が失業したり労働時間が短縮されたりしている中、親たちの焦点は、子どもの世話を中心とするよりも、各家庭の経済的安定性を確保することに移っています。さらに核家族の家庭では、親がウイルスの被害に遭った場合に、誰が子どものを世話するのかという問題も出てきており、子どもの放置やネグレクトにもつながっています。
たとえば、レバノンには150万人ものシリア難民や、50万人のパレスチナ難民が暮らしていますが、難民への影響はさらに大きなものでした。難民の多くは居住権をもたないため、定職につくことができません。実際、殆どの難民は、日雇労働と人道支援で家庭を支えているのが現状で、コロナ禍の過去一年半の間に、シリア難民の貧困率は、9割以上が極度の貧困に達しているという非常に憂慮される調査結果が出ています。また、児童労働に従事する難民の子どもの数はここ1年の間で倍に増えてしまいました。コロナ禍で親御さんの失業が増える中、農作業や廃棄物収集など過酷で危険な労働に携わる子どもがたくさんいる状況です。
社会における経済格差の構造は、貧困層であるほど、こうした問題に直面せざるを得ないという問題を抱えています。貧困と子どもへの暴力やネグレクトがつながっているという状況は、貧困の世代間連鎖を生み出す要因ともいえ、この悪循環を断ち切るような社会政策が必要となります。さらには、こうしたコロナ禍における社会経済格差は、貧困レベルを増加させるリスクを伴っており、国連世界食糧計画(WFP)は「飢餓の大流行」が起こるという警告も出しています。同声明によると、世界中の何千万人もの子どもたちが極度の貧困に直面する可能性があると予測されており、妊娠中および幼児期の栄養不良と貧困が子どもの身体的健康に悪影響を与える可能性があることを指摘しています。
また、世界のあらゆる国で、新型コロナウイルス感染予防のための緊急事態宣言や都市封鎖といった政策がとられてきましたが、こうした期間は、老いも若きも同様に、多くの人にとって、パソコンやスマートフォンを見る時間の増加をもたらしました。オンラインで遠隔教育を受けていた子どもたちも例外ではありません。パンデミックに関係なく、オンライン上のエンターテイメントにはリスクが伴いますが、新型コロナウイルスの感染の蔓延で、情報伝達に新たな脅威が発生しました。フェイクニュースです。特に新型コロナウイルス感染予防やワクチンの効果などに関して、有害な誤った情報が多く出回りました。このように情報に関するリスクが高くなるだけでなく、睡眠パターンの混乱や一般的な社会不安の高まりは、子どもたちの心身に悪影響を与えます。
このようにみると、新型コロナウイルスが社会にもたらした影響は、医療面にとどまらず多岐にわたって人々の暮らしに、特に子どもたちの健全な成長に脅威をもたらしたと言っても過言ではありません。特に貧困層の、社会から取り残された子どもたちに対するパンデミックの影響がさらに大きくなっていることが懸念されます。すべての子どもたちが日常生活の大きな変化を経験しましたが、貧困格差は子どもたちの毎日の生活に大きな影を落としているのが事実です。パンデミックに対処できる状況にあるのはごく一部の子どもたちだけで、実際は世界中の多くの子どもたちがあらゆる面で過酷な状況を強いられ、さらには将来への展望にさえも影響を及ぼしているという現実に直面しているのです。
こうした危機的状況が子どもたちに与える最終的な影響は、パンデミックが終わるまでにどれだけの時間がかかるかにかかっているともいえます。私たちが今行動しない限り、この社会的危機に巻き込まれた子どもたちは、そこから抜け出すのに大きな労力と時間を必要としてしまうでしょう。このパンデミックの悪影響が、子どもたちのこの先の生活を変えてしまうというリスクを認識して子どもたちを守っていかない限り、社会の将来の発展にも弊害が出てきます。
では、パンデミックの危機がまだ終わっていない今、世界の子どもたちのために何をしなければいけないのでしょうか?
後編では、その具体策や子どもたちを守るための包括的な取り組み、そして課題についてお伝えします。
レバノン・ベイルートにて
杢尾 雪絵