国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第10回は、稲場雅紀さん(一般社団法人SDGs市民社会ネットワーク 政策担当顧問)からの寄稿です。
新型コロナウイルスをSDGsを通して考える
新型コロナ、いつまで「新型」?
「新型コロナ」がメジャーな課題として世界に登場してから半年になるかと思います。この「新型」という言い方、いつまで続けるのかな…と気にしているのですが、このまま定着するのかもしれませんね。なにせ、新幹線ができた1964年から、私たちはかれこれ57年もの間、「新」幹線と言い続けているわけですから…。
私は、保健・医療の専門家ではありませんが、1989年、19歳の時に、横浜の日雇労働者の街・寿町で、日雇労働組合の医療班に参加して以来、保健・医療に取組んでいます。寿町で私が学んだのは、「生活習慣病」といわれる非感染性疾患やアルコール依存、また結核といった病気が、いかに経済や社会の在り方と密接に関係しているか、ということでした。また、エイズの問題に取り組み始めたのは、1994年、横浜で開催された国際エイズ会議の頃からです。
新型コロナの拡大で、計画中のセミナーやシンポジウム、講演会などを中止にしなければならなくなってきたのが、2月末から3月の頃だったかと思います。たしかにコロナは深刻だが、自分の考えで判断するのでなく、「右へ倣え」で中止しているような雰囲気がNGOの中にもありました。乏しい材料の中からでも、「右へ倣え」ではなく、自ら考え、判断するところから始めたい…そのためには、一度、自分に近い歴史に立ち返ってみよう、ということで、私は何冊か、8-90年代のエイズの運動に関する本を再読することにしました。
新型コロナとエイズは、異なったタイプの感染症ですが、一方で、「新興感染症」という意味では共通しています。こうした病気が登場した時の社会的な反応にも、似たところがあります。エイズが登場したときにも、その存在を否定したり、軽く見たりする動き、以前から差別や偏見にさらされてきた人々に責任をなすりつける動きがありました。エイズが初めて登場した80年代初期、米国でのことでしたが、当時の米国の政府は、対策に消極的で、いつまでも重い腰をあげませんでした。日本でも、エイズの存在を隠したり、対策を遅らせたり、特定のコミュニティにその責任を擦り付けるといったことがあり、これが「薬害エイズ問題」を引き起こしました。
しかし、その中でも立ち上がり、粘り強く取り組んだ人たちがいました。HIV陽性者をはじめ、社会の中で厳しい状況に置かれ、感染にさらされてきたコミュニティ、市民社会の動きがありました。共感を持って、保健・医療の枠組みを越えて動いた専門家や医療従事者の運動がありました。その結果、エイズへの取り組みは、保健医療の狭い業界にとどまることなく、芸術・文化の領域、国際政治、経済、貿易などの領域に広がり、現代の国際保健アジェンダの広がりを作り出す原動力になった、と言えるかと思います。
新型コロナは、エイズへの40年間の取り組みが切り開いた歴史の「後」に登場した新興感染症です。この40年間、地球温暖化が進み、途上国の人口の都市への集中とともに、大気汚染などの環境汚染も深刻化しました。エイズへの取り組みをはじめ、結核、マラリアなどの感染症への取り組みが進展する一方で、急速な都市化と相まって、「食と農」に関わる状況が大きく変化し、途上国においても、肥満、糖尿病、ガン、高血圧といった非感染性疾患が拡大しています。高齢化も着実に進行しています。これらはいずれも、新型コロナの重症化の脅威を増幅しています。
一方、私たちには、近い歴史の中で得た経験と教訓があります。エイズの歴史は、感染症の課題に保健医療の面からのみならず、包括的に取り組むこと、コミュニティの力を開花させることの大事さを教えています。私たちは、新型コロナへの取り組みにあたって、近い歴史の経験に学ぶことができるのです。
SDGsを新型コロナ対策に活かす
もう一つ、私たちには「SDGs」があります。上に述べた「都市化」や「大気汚染」は、SDGsゴール11の課題になっています。「食と農」の在り方はゴール2に、非感染性疾患はゴール3に書かれています。さらに、ロックダウンなど新型コロナ対策によって生じる「二次被害」の中には、例えば「ステイ・ホーム」で生じる女性へのケア労働の負担や、ジェンダーに基づく暴力、「ステイ・ホーム」の中で、精神障害者、高齢者などへの家庭内の虐待や、LGBTへの家族や地域からの迫害などがありますが、これらの課題は、ジェンダーであればゴール5、暴力であればゴール16に指摘されています。不安定雇用の状況にあった人々が仕事を失って困窮化する、また、子どもの教育が途絶することで、教育へのアクセスにも格差が生じてくる…こうした課題は、ゴール1(貧困)、ゴール4(教育)、ゴール8(格差)、ゴール10(不平等)などに明記されています。こうみると、大きなことが分かります。そもそも、新型コロナにせよ、エボラ・ウイルス病にせよ、環境破壊や生物多様性の喪失の中で、人間と動物がこれまでと異なった出会い方をした結果生じた「人獣共通感染症」です。この課題は、ゴール15(陸の生物多様性)に書かれています。
つまり、新型コロナは、すぐれてSDGs的な感染症なのだ、ということです。新型コロナに正面から向き合い、その克服に取り組むことは、すなわち「SDGsへの取り組み」でもあるのです。逆に言えば、SDGsにしっかり取り組むことで、新型コロナや、その次にくるかもしれない新たなパンデミックにも対応できることになります。
私が政策顧問を務めている「SDGs市民社会ネットワーク」では、「SDGsを指導理念とする新型コロナ対策を」と提案しています。新型コロナ対策を、誰が、誰と、どのような根拠と権限に基づいて立案・実施するのか、また、何かあったときに立ち戻るべき原則として何を採用するのか。この点がクリアになっていれば、国民・市民は、余計な不安を抱えることなく前向きに「ウィズ・コロナ」の時代を乗り切ることができます。この課題にこたえるのが、平和と公正、透明性、公開性、参加型民主主義をうたうSDGsのゴール16と、さまざまな主体の連携・協働に基づくパートナーシップをうたうゴール17です。コロナ感染がすなわち「気が緩んでいる」とみなされ、個人の行動に関する情報が暴露されたり、いわれのない批判を受けるかもしれないという不安があれば、とくに、普段から差別や偏見にさらされているコミュニティや職業にある人々は、クラスター追跡などに対してオープンになれません。逆に、ルール形成に自分の属するコミュニティや業界のリーダーが参加でき、個人情報や人権が守られ、不当な暴露や攻撃に対処する手立てが明確であれば、人々はより安心して、情報開示に応じられるようになるでしょう。「ウィズ・コロナ」時代のいわゆる「新しい生活様式」の在り方について何を考えていけばよいのかについても、SDGsは明確な輪郭を与えてくれます。新型コロナ対策に「SDGsの持てる力」を活用するのは、良いアイデアではないかと思いますが、皆さんどう思われますか?
未来世代に何を残せるか
1980年初頭から40年を数えるエイズへの取り組みは、私たちが教訓となしうる多くの崇高な、偉大な歴史を残しつつ、今も進行しています。一方、今後少なくとも数年間、私たちは新型コロナと共に生きることを余儀なくされるでしょう。新型コロナと人間の関係史は、いわば「始まったばかり」です。近い距離の歴史として、新型コロナと人間の関係史を学ぶであろう未来世代に、私たちは何を残せるでしょうか。それは、今、私たちが何をするかにかかっています。「手洗い、マスク、ソーシャル・ディスタンシング」以外にも、私たちがやれることは数多くあると思います。最近言われるようになった「新しい生活様式」についても、「心がけ」や、「新たな技術の導入」といったことに、取り組みを限る必要はありません。コロナ危機は、私たちの社会や制度の「弱いところ」を明るみに出しました。この社会を、どう「コロナに強い社会」にしていけるのか、SDGsなどを活用して、みんなで考え、取り組んでいきましょう。
日本・東京より
稲場 雅紀