国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めた新ブログシリーズ。2020年最後となる第26回は、田中美樹子さん(ガイアナ国連常駐調整官)からの寄稿です。国連常駐調整官は国連システムが開発支援を行う国において、事務総長の命を受けて国連諸機関を束ねるポジションです。田中さんは2020年12月現在、日本出身のただ一人の国連常駐調整官です。
コロナ禍と選挙危機の中での国連の役割:ガイアナからの考察
ガイアナで初めての新型コロナウィルス感染者はニューヨークから帰国して亡くなった女性で、3月11日のことでした。ちょうど3月2日のガイアナでの総選挙の集計の不正で騒然としている真っ只中でした。野党勝利の決着が付いた8月2日までの5ケ月間、ガイアナの人々は政治と新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の二重の危機に見舞われました。
ガイアナは南米唯一の英語国で、日本の約半分の面積の領土はギアナ高地の天然資源豊な熱帯雨林に覆われた内陸部と、肥沃な湿地帯が延びる大西洋沿岸部に分かれ、人口はわずか75万人です。英領時代のアフリカ奴隷貿易とインド契約労働制度に端を発した民族構造を受けて1966年に独立したガイアナではアフロ系とインド系ガイアナ人のそれぞれに支持基盤を置く二大政党による人種政治が根付きました。憲法が、政権を握る大統領と政府の双方に多大な権限を与えていることも手伝って総選挙は常に激しい権力闘争と人種間競争と化し、以前は人種間暴力も頻発していました。二大政党間の協力は希有で、政権交代ごとに公共政策・公職も変わり、継続的な人材開発・経済投資・行政運営は困難となります。また沿岸石油生産開始でガイアナが今年石油生産国の仲間入りしたことで、今回の総選挙は激戦と暴力の発生が危惧されていました。
3月2日の選挙当日は円滑に投票が進みましたが、問題は首都ジョージタウンの票集計で起きました。各政党代表者と大勢の国際監視団の目前で選挙管理官が与党連立有利の不正数増しを行いました。野党は即座に選挙不正を訴え裁判所から最終選挙結果宣言の差し止め令を取り付け、さらに全投票用紙の再集計を行う展開となりました。この間、数々の訴訟・遅延・不正工作が政府与党と選挙管理委員会内の共謀者によって繰り広げられました。政府と国営メディアは連日与党勝利の虚偽と野党陰謀のプロパガンダを流し、ネットでのヘイト・スピーチも多発しました。コロナと政治の二重危機に国民が疲弊した中、8月2日に野党勝利の選挙結果が選挙管理委員長によってようやく発表され、負けた大統領は譲らず裁判に訴える中、新大統領と新政府は就任し、選挙に終止符が打たれました。不幸中の幸いでコロナ対策の外出制限も手伝って、政党支持者の抗議デモは少なく、暴力は児童が一人バスの焼き討ちで犠牲になったのと放火事件数件に留まりましたが、それでも尊い命が失われました。
国連常駐調整官として私は22の国連開発機関で構成される国連国別チーム(UN Country Team、 略してUNCT)の活動と安全を取りまとめていました。国連本部の政治平和構築局と国連人権高等弁務官事務所と連日情報分析をし、選挙過程と政治動向や人権侵害とネット上のヘイト・スピーチを注意深く追っていました。私がガイアナ国内で米英加欧大使と緊密に情報交換と戦略調整する一方、本部はカリブ共同体(CARICOM)や米州機構(OAS)などの地域機構と綿密に連絡を取りながら、国連の対応を図りました。選挙不正が発覚した直後にはグテーレス国連事務総長が大統領と、イエンチャ政治担当事務次長補が野党党首とそれぞれ話し、公正かつ平和な選挙の収束を訴えました。また時機を見て私もツイートやプレス声明を出して迅速・公正な収束と非暴力を訴え続けました。政治平和構築局の調停チームも待機していましたが、当事者に対話意思はなく動員に至りませんでした。
その一方で、コロナが広まる中、国連の緊急支援は極めて重要でした。選挙前に議会・内閣も解散しており、政府は最低の予算しかなく行政機能は麻痺状態でした。不正を続ける政府を国際社会が支援することは難しく、国連機関が国際緊急支援の大部分を担っていました。中でも世界保健機関(WHO)と Pan-American Health Organization(PAHO)*1がガイアナの医療体制と人命を救ったと言っても過言ではないと思います。加えて国連児童基金(UNICEF)、国連人口基金(UNFPA)、国際移住機関 (IOM)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連エイズ合同計画(UNAIDS)も教育、母子保健、エイズ保持者保健、ジェンダーに基づく暴力や家庭内暴力の防止・対応、ベネズエラからの避難民への支援など各方面で活躍しました。私はUNCTのコロナ支援の調整と各大使館や外国開発機関との連絡調整に専心しました。8月に発足した新政府は即座にWHO/PAHO代表と私を政府のCOVID-19政策チームに加え、総括的なコロナ対策、経済救済措置、生活保護措置に緊急予算を組んで取り組み、国連も積極的にそれを支えています。
IOM, UNHCR, PAHO/WHO, FAO join hands to give solar batteries to North Rupununi radio station. Radio will help indigenous communities control #COVID19 spread. Thanks to GTA @GuyanaTourism for the relay. @UNGuyana @IOM_Caribbean @Refugees @PAHOCaribbean @FAOCaribbean pic.twitter.com/TXrvwgDTfV
— Mikiko Tanaka (@miktanaka) September 4, 2020
選挙の収束を機に国際支援は再開し、石油に着目した海外の政府・民間投資家の関心も集まっています。しかし選挙危機とコロナ禍の閉塞感から解放されて市民・経済活動も8月から活性化し、コロナ件数は急速に増え、現在の累積件数は5800件(人口75万)です。コロナで親や家族を失った人、職・所得を失った人、学校閉鎖でインターネットもなく授業が受けられなくなった児童や生徒、外出規制で家庭内暴力から逃れられなくなった女性など、犠牲は多大なはずなのに、統計不足で実態は完全に把握できていません。持続可能な開発目標(SDGs)を考える上でよく使われる多面的貧困・脆弱水準にあると思われる人はガイアナに3〜4割いると推定されます。まさに彼らこそが社会経済構造の弱点を突くコロナ禍の一番の犠牲になっていることは容易に想像できます。
石油による歳入を雇用創出、格差縮小と貧困撲滅に還元することが新政府の最優先課題です。それには、政治・経済・社会構造の是正が必要で、政府、野党、財界、市民社会の協力が欠かせません。この難題を前にコロナ復興からSDGsに向け、国連がガイアナで何をすべきか、どう貢献できるかが目下の課題です。
2020年はコロナ禍・政治危機のみならず、国連75周年や世界各地で広がった民主主義運動や人種差別反対運動が相重なり、SDGs・人権・正義などの地球規模問題を見直す年となりました。開発援助を長年続けて来た国連・国際社会が格差・不平等を生み出す社会経済政治構造を根本的に変えることができなかったことを反省させられます。
近年、グテーレス事務総長の指揮下で始まった国連改革は、持続可能な開発のための2030アジェンダとSDGsの壮大なビジョンに見合った国連開発システムを創出しようとしています。国レベルでの国連開発協力を調整する135の国連常駐調整官(Resident Coordinator、略してRC)はグテーレス事務総長とアミーナ・モハメッド副事務総長のリーダーシップのもとで任務が強化されました。国レベルでプロジェクト・技術支援・政策助言を行う数々の国連開発機関からなる国連国別チーム(UN Country Team 、UNCT)内の横の調整も従来の重要な役割ですが、それ以上に各国が“誰一人置き去りにしない”形での SDGs達成に向けて包括的な開発方針戦略を打ち出し、実行し、結果を出すためにUNCTが一体となって貢献すべく指揮を執る責任があります。
対政府支援もさることながら、市民社会、内外の民間企業、世銀・地域開発銀行、各開発協力国等SDGsに基づいたパートナーシップを促進することも必須です。国連の中でも、従来各国で活動して来た国連開発機関以外に地域経済委員会、本部事務局、各種専門機関に豊富な知的資産があり、国に必要な情報・支援をRCが動員できるようになったのも国連改革が開いた戦略的な機会です。また、RCを支える国連常駐調整官事務所(Resident Coordinator Office、略してRCO)の政策分析能力が強化されたのも大きな進展で、UNCT、政府その他パートナーとの政策・戦略対話の質も大幅に向上しました。
例えばガイアナでは戦略計画担当のチームリーダー、エコノミスト、平和・開発アドバイザー、人権アドバイザー、コミュニケーション・アドボカシー担当官、データ・モニタリング担当官のRCOチームがUNCTと協力してコロナ禍中の社会経済緊急政策の参考事例をまとめて政府に提言したり、SDGsから最も取り残された脆弱者のプロフィールや気候変動の影響による海面上昇からの沿岸部地域の被害リスクを細かく分析し、政府と中長期のSDGs推進戦略の政策対話に繋げています。また選挙制度・民族関係問題・憲法改革の分野において、市民社会組織との対話や各大使館・開発機関との戦略調整会議を執り行っています。コロナ禍で危機感が蔓延しSDGs推進の緊急性が増す中で、UNCTには積極的に改革の波に乗っている機関と出遅れている機関と足並みは揃わず難しい部分もありますが、RCの仕事は非常におもしろくなり、確実に国連は変わって来ていると実感しています。
あとがき:3月からほとんど自宅勤務でバーチャル業務でした。多くの人たちが失業したり生活難を強いられる中、仕事と生活が維持できることのありがたさを実感しました。コロナリスクも鑑み、精神面を含めた健康管理に留意し、ヨガ、料理、読書、ピアノなど自宅での活動を広めました。日常が変わることで新たな発見もできました。庭のマンゴーの木の花から青い実が生って少しづつ大きくなってほんのり赤みがかるまでの過程を初めて観察しました。朝、熟して落ちたフルーツを一部鳥やアリのために残しながら拾い集めてはアイスクリーム、ムースケーキ、マンゴー・サラダなどいろいろ作って見ました。マスク作りも手掛け、隣に住む一人暮らしのおばあさんのミシンを借り、おばあさんが数十年前にそのミシンでウェディング・ドレスを縫い上げたと素敵な結婚式の写真を見せながら語った中で、当時のガイアナの貧困や人種差別の中で生き延びる苦難も垣間見ました。本も読み漁り5年前に買ったKindleは寿命が尽きてしまいました。感動したお勧め本を脚注*2でご紹介します。11月の米大統領選挙は連日連夜テレビ付けで、ガイアナの選挙過程を彷彿とさせ、民主主義とガバナンスの尊さを教えられました。振り返るとちょっと成長した一年だったと思います。
新年もまだまだ大変そうですが、皆様がご健康でコロナを乗り越えられますよう祈願しております。
田中 美樹子