前回のブログ記事では、「誰一人取り残さない」という根本的な理念と「普遍性」、「統合力」という基本姿勢に後押しされて、「持続可能な開発目標(SDGs)」を含む「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の推進というニューフロンティアに恐る恐る足を踏み出したことを綴った。
その後の歩みについて記そうと思ったのだが、まずウクライナ紛争に触れずにはいられない。新型コロナウイルス感染症の世界的大流行が3年目に入り世界が疲弊する中で、ウクライナ危機が起こり、平和があって初めて持続可能な開発があり、その逆も真なりということを浮き彫りにした。
同時に、ウクライナ危機は戦後の国際秩序を揺るがす重大な事態ではあるが、一般的な関心ではウクライナの陰に隠れてしまっているシリア(紛争ぼっ発から12年目)、イエメン(同じく8年目)、ミャンマーやエチオピアなどの危機、さらには進行する気候変動という最重要課題を忘れるわけにはいかない。
昨年から国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の評価報告書が順次「世界の気候科学の声」として発表されているが、気候危機は思っていた以上に速いスピードで進み、その影響はより広範、より頻繁になっている。ウクライナ危機を受けた燃料価格の高騰は、化石燃料に頼り切ることがいかに国家にとって脆弱かということを浮き彫りにするものだ。さらに、食料価格の高騰も、ウクライナ紛争と同時に、背景には気候変動の影響がある。経済・社会・環境のバランスの取れた開発の舵取りが、平和と安定、そして持続可能な社会のためにいかに大切かをあらためて痛感する。
さて、話を戻そう。SDGsの実施が「よーいドン」で世界中で2016年1月1日にスタートした当時、SDGsの「名前」「呼び方」をどうしよう、というところでまず躓いたのだ。
「サステナブル・ディベロップメント・ゴールズ」という舌を噛みそうな名称からして問題だった。英語圏では、国連と連携してカラフルなSDGsのロゴとゴールごとのアイコンを考案したNGO「Project Everyone」が「The Global Goals for Sustainable Development(通称The Global Goals)と言い換えて啓発ビデオなどを制作していたが、日本語の世界ではThe Global Goalsとしたところで意味が伝わらない。さらに、国連加盟国が正式に採択した言葉はあくまでも「Sustainable Development Goals」であり、日本政府も「持続可能な開発目標」という訳語を使用し始めていた。SDGsというアルファベット3文字にsをつけた略称ももちろん日本では意味不明。「エス・ディー・ジーズ」ではなく、「エス・ディー・ジー・エス」と読む人も少なからずいた。
それならば、アルファベットの略称を「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)」や「NGO(非政府組織)」のように、「SDGs」というアルファベットのつながりと「エス・ディー・ジーズ」の読み方とをセットで刷り込みを徹底して浸透させる方がいいかもしれない、と腹をくくった。
次に直面したのが、SDGsの17のゴールそれぞれのアイコンとともに使われているキャッチフレーズの日本語化の課題だった。オリジナルは英語で作られ、英語に加えフランス語・スペイン語・ロシア語・アラビア語・中国語の6つの国連公用語については国連本部が定訳を決めているが、日本語は公用語ではないため、日本の国連広報センターに任されている。
採択当初は英語オリジナルを国連広報センターで日本語に直訳して使っていたのだが、よく練られて作られた英語のコピーも、直訳ではその意図を汲むことができない。かねてから広報発信課題についていろいろとアドバイスしてくださっていた博報堂の方々から「これでは何をすべきなのか、何をして欲しいのか、伝わりにくい」とのコメントをいただいた。これから2030年まで使い続ける大切なキャッチフレーズだ。ここはエネルギーを注いで、単なる翻訳を越えた心に響くメッセージを考えようと思い、専門性を通じて社会課題を解決している「博報堂クリエイティブ・ボランティア」のチームの方々と一緒に乗り出したのだが、いやはや、これがなかなかに大変な作業で、多方面の意見を調整することの難しさを知らされた。
SDGsは幅広いコンサルテーションを経て作られたものだからこそ、多くの関係者が当事者意識を持つに至っている。日本語化においても、多くの関係者に準備段階で共有しながら意見を聞き、国連が説明責任を果たしてこそ、できあがったキャッチコピーがその真価を発揮する。「博報堂クリエイティブ・ボランティア」チームのコピーライターの方には、国連広報センターからインプットするとともにそれぞれのゴールの背景資料を読み込んでいただいて、素案を考えていただいた。それを国連諸機関の駐日事務所、市民社会、日本政府関係者、企業関係者などの幅広いアクターとそれぞれコンサルテーションを重ねたのだ。
このプロセスで印象に強く残るものとして、ゴール8のキャッチコピーがある。原文は「Decent Work and Economic Growth」だが、日本語では「働きがいも経済成長も」になっている。「Decent Work」は「ディーセント・ワーク」と日本語化されることも多いが、それでは意図することがなかなか伝わらない。それを「も」という助詞を添えて「働きがい」と表して「働きがいも経済成長も」と表現することを、コンサルテーションの結果、国際労働機関(ILO)駐日事務所がOKしてくれた。
同様に、ゴール11の「Sustainable Cities and Communities」という無味乾燥なフレーズを「住み続けられるまちづくりを」とメッセージを加味したフレーズにしていただけたことも、「住み続けられる」という言葉がその後の自治体レベルでのSDGs実践の段階でイメージを膨らませ背中を押すことができたのではと思っている。ゴール12の「Responsible Consumption and Production」というこれまでの開発の目標にはおよそ存在しなかった新機軸の目標について「つくる責任 つかう責任」と提案してくださったことで、この課題が他人事ではなく、当事者感溢れる自分事になった。
こうして2016年3月2日、「みんなで使える、みんなのためのキャッチコピー」を通じて、日本語版SDGsアイコンを公開するに至った。いま日本のあらゆるSDGs関係者が当たり前のように使用しているSDGsのキャッチフレーズの背景には、このような生みの苦しみがあったと知って欲しい。
幸運にも、2016年のG7の議長国は日本。5月のG7伊勢志摩サミットはSDGsの実施が始まってから最初のG7サミットになる。この機会を逃す手はない。そういう気持ちから、SDGsのキャッチコピーの日本語化で協力していただいた「博報堂クリエイティブ・ボランティア」のチームの方々に再びお世話になり、UNICEF親善大使の黒柳徹子さん出演のSDGs公共広告を突貫工事で作っていただいた。
G7伊勢志摩サミットに向けた市民社会との共同記者会に何とか間に合わせ、会見の中でお披露目するにこぎつけた。非常にシンプルなメッセージを黒柳さんに力強く伝えていただく中で、「エス・ディー・ジーズ」という読み方が際立つ仕上がりの作品で、その後も渋谷のスクランブル交差点の大型スクリーンなどで上映した。
日本政府がG7伊勢志摩サミット直前に、総理大臣を本部長として全ての閣僚が参加する「SDGs推進本部」という会議体を作ったことも大きかった。日本は全省庁横断的なSDGs推進の組織を他国に先駆けていち早く作ったことになる。
そして、SDGs推進本部を支える、有識者からなる「SDGs推進円卓会議」がその年の9月に発足し、私も構成員のひとりとして関わってきた。2016年12月には日本政府としての「SDGs実施指針」という基本的な方針が策定された。
こうして政府側の「容れ物」は少しずつ形作られていったのだが、世の中の関心はというと、何とも寂しい状況だった。このままではおよそSDGsの読み方さえも知られないままで達成期限の2030年を迎えてしまうだろう。
SDGsを社会に浸透させるためのチャレンジについては、今後の回に委ねたい。