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ケニアで考える:SDGs推進の国連のチーム力、そして日本とのパートナーシップ (4)

連載第4回 青い海、白い砂浜、そしてテロとのたたかい(中)

→連載第4回 青い海、白い砂浜、そしてテロとのたたかい(上)はこちら

 

「青い海、白い砂浜」の裏側で - しのび寄る暴力的過激主義のかげ

 

この「青い海、白い砂浜」の美しいイメージとは裏腹に、インド洋沿岸部はケニアにとっての暴力的過激主義を未然に防ぐための最前線です。モンバサを中心とする沿岸部では、地理的・宗教的なつながりもあり、ソマリアを拠点とするイスラム武装過激派のアル・シャバーブからの勧誘を受けて若者が暴力的過激主義に関わってしまうなどの危険性があるのです。また、地域に広がる麻薬の常習や非行グループの横行なども、こうした勧誘の素地になると言います。 

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モンバサ近郊の街角で(本文と直接の関係はありません) Photo: IOM/Yoko Fujimura

ケニアでは2011年から2015年の5年間に、200を超えるアル・シャバーブに関係した爆発物や自動小銃による事件が発生しています。今年1月15日には、高級ホテルなどが入るナイロビの複合施設がイスラム過激派武装勢力「アル・シャバーブ」に襲撃され、テロによる襲撃事件が大きな懸案です。テロへの脆弱性を示す「Global Terrorism Index」 (10に近いほど脆弱)を見ると、最新の2017年の状況を踏まえた2018年版では6.114と世界19位、順位が3つ上がってしまっています。「The Economic Value of Peace」

 報告書によると、ケニアの場合、暴力に対応するための経済コストは国内総生産の7パーセント相当にのぼります。テロとのたたかいはケニアに重く圧し掛かる優先課題なのです。

  

ソマリアからの帰還した人々の言葉

 

「ディアニでレンガ職人をしていましたが、生活が苦しかった。自分が家計を担っていたので、『月に800ドルになるもっと稼ぎのいい仕事がある』と知り合いになった男から聞き、その誘いにのったのが間違いでした。お金に目がくらんでしまいました」 そう語るバラカさん(仮名)は26歳。モンバサからほど近いリゾート地、ディアニの近郊の出身です。2013年2月、仕事の詳細を知らされないまま、勧誘を受けたバラカさんが他の10人の若者たちとともに連れていかれた先はソマリアでした。バラカさんには、ケニア内務省との連携協定に基づきソマリアからの帰還者への支援を担う国際移住機関(IOM)を介して面会しました。 

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ソマリアで軍事訓練を受けざるを得なくなってしまいましたが、訓練の結果、兵士には向かないと不採用。月1万5000ケニア・シリング(およそ150米ドル)が3ヶ月間支払われただけで、より収入の多い仕事からは程遠い、厳しいものでした。ソマリアで途方に暮れ、救いを求めてモスクに通う中で知り合いになったソマリア人の牧夫に助けてもらって、カヌーでケニアに脱出することができました。2015年2月のことでした。

 

IOMの調査によると、アル・シャバーブの勧誘に乗った若者の多くが、教育機会の欠如、貧困、雇用機会の欠如などを主な理由として挙げています。連載第1回でお伝えしたように、ケニアの国全体での貧困率は2005/2006から2015/2016の10年間で46.6パーセントから36.1パーセントにまで下落したものの、ナイロビと地方との間に深刻な格差があります。モンバサを中心とした沿岸部の地域でも高いことが以下の地図からも見て取れます。 

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さらに、ケニアの人口の7割以上が30歳未満で非常に若い人口構成ですが、以下の図表から若年層で失業者の割合が高くなっていることをお分かりいただけるでしょう(全体の失業率は11.5パーセント)。

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安全保障・治安維持とあわせて、暴力的過激主義の温床になりかねない貧困層の底上げや都市部と農村部の格差の解消など、総合的な対策がテロの発生を未然に防ぐ至上命題となっており、その努力がケニア政府と国連チームとの連携で行われています。国境管理・出入国管理体制への協力をはじめ、コソボイラクをはじめ元兵士の社会統合支援を幅広く手掛けてきたIOMは、暴力的過激主義予防と対策についてケニア政府と覚書を調印するに至っています。テロ対策についてはケニア政府のNational Counter Terrorism Centre(NCTC)が陣頭指揮を行い、2016年には総合戦略を策定、国連チームも「開発支援枠組み」の中で暴力的過激主義の防止と対策を最優先課題の一つに掲げて国連諸機関の努力を集約しています。

 

アル・シャバーブを離脱して帰還した人々の社会復帰については、政府側がまず無害化したところでIOMに紹介し、社会統合と安定化のための支援をIOMから受ける、という仕組みになっています。このIOMの活動には日本政府からの財政支援が活用されているのです。

 

バラカさんがケニア政府のスクリーニングなどの手続きを経てIOMに紹介されたのは、2018年。彼のスキルや希望などを踏まえ、日本政府からの財政支援を通じたIOMからの社会統合サポートとして、バラカさんはバイク・タクシーを営むための二輪車を受け取ることができました。

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ソマリアからディアニに戻ってきた人の多くが殺されているので、自分も殺されるのではと怖くて、誰にも会いたくありませんでした。人目につきたくないので、バイク・タクシーの運転は人を雇って任せています。こんな思いは他の人にはしてほしくありません」

警戒感から終始ピリピリした様子だったバラカさんでしたが、話が家族に及ぶと、ようやくわずかながら笑顔が見えました。「結婚して、子どもが一人できました。IOMからのサポートで暮らしを立て直すことができました」 

 

女性も例外ではない

 

暴力的過激主義の影響を受けるのは男性だけではありません。女性の帰還者としてIOMを通じて面談したハシナさん(仮名)はバラカさんと同じディアニの出身。まだ10代だった2010年、ある男性と知り合い、一目ぼれして結婚。仕事のない夫が「職探しのためにディアニを離れたい」というのにハシナさんも当然のこととして連れ添っていったところ、着いた先はソマリアのキスマヨにある、若い家族が多く住む大きなキャンプでした。ハシナさんがアル・シャバーブの兵士のためのキャンプであると理解するのに長くはかかりませんでした。「後になって考えるとあまりにできすぎた流れだったので、おそらくソマリアに連れていくことが目的で私に近づいたのでしょう」とハシナさんは振り返ります。 

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 夫は任務について何も語ろうとはせず、3ヶ月のキャンプ外での任務と3週間のキャンプでの休養というパターンを繰り返していました。ところが、2012年1月、突然夫の訃報が届きます。「死亡した状況などについて何の情報も与えられず、悲しいのに加えて、混乱しました。これから私はどうなってしまうんだろうという大きな不安に襲われました」と振り返るハシナさんは、出来事から7年経った今も辛そうです。

 

4ヶ月後、ハシナさんはキャンプから抜け出し、ケニアのラムから来ていた漁師に船に乗せてもらってケニア側に戻ってくることができたのです。「ソマリアに行っていたことを知って、家族になかなか受け入れてもらうことができませんでした」と話すハシナさん。帰国後再婚し、子どもが一人生まれましたが、夫はある日突然いなくなってしまい、今はシングル・マザーとして育てています。そんな状況にあって彼女が自立の道を歩めているのは、IOMからの社会統合支援を受けて仕立ての仕事ができるようになったからです。「子どものためにも頑張りたい。子ども服にも挑戦したいと思っています」ハシナさんの表情が少しだけ柔和になりました。

 

女性は単なる被害者にとどまりません。暴力的過激主義においてより能動的な役割を担っていることがUN Womenが日本政府の支援を受けて行った委嘱した調査から浮き彫りになっています。暴力行為の実行や情報収集、勧誘に加え、かくまったり、食事を提供したり、金銭を集めたり送金したり、けがの手当てを行ったり、アル・シャバーブのキャンプで家事を手伝ったり、子どもたちに過激主義を植え付けたり、兵士に「妻」を仲介したりなどの役目が挙げられます。 

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 ソマリアから帰還した女性たちへの聞き取り調査からは、経済的な困窮や不平等感、「イスラム教徒が標的になっている」という固定観念などから思想的・宗教的に引き込まれたということと並んで、ハシナさんのように夫やパートナーについていくなど姻戚・婚姻関係によることが大きな原因として浮かび上がっています。さらに、モンバサでは、調査に応じたケニア政府の担当者の話では、一家の大黒柱がソマリアに行ってしまうなどして経済的に困窮し、やむを得ず売春や軽犯罪に走るケースが増えているそうです。

 

さらに、調査は女性たちが暴力的過激主義を未然に防ぐ上でネットワーク力を発揮できる点に着目して、女性グループを通じたコミュニティー内の信頼回復や女性たちの力の底上げなどを提言しています。

  

コミュニティーの底上げでテロを未然に防ぐ

 

「いずれはホテルの影響に乗り出したいと思っています。そのために貯金をしています」とおおらかな笑顔で語ってくれたのは、29歳になるサルマさんです。彼女が食堂を営むモンバサ近郊のシャンズは、夜になるとネオンライトの灯るバーなどが並ぶ歓楽街で、麻薬の常習なども課題になっていると聞きます。 

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写真中央がサルマさん。一日の売り上げは50ドルにもなる

ここで三輪自動車のタクシー「トゥクトゥク」のドライバーや行商人などにスナックを売るキオスクから始めたサルマさんは、国際移住機関を通じた日本政府からの支援を受け、小さな食堂を持てるようになりました。チャパティを焼く器具もそのサポートで揃えたもので、店内には日の丸のステッカーがありました。 

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ひっきりなしに客が。最初は露天だけで始めたが、拡張して後ろに食堂を構えるようになった

今では二人の女性を雇用し、彼女たちもサルマさんをロールモデルにいずれは自分の店を持ちたいと考えています。また、出稼ぎのマサイの行商人にとってはサルマさんは栄養のある食事を提供してくれる大切な「おふくろ」さん。毎日ここに立ち寄って食事をするのが楽しみだと言います。 

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マサイの行商人の二人。家族から離れての暮らしで、サルマさんの食堂での食事を楽しみにしている

このようにIOMは先述したソマリアからの帰還者への社会統合支援と並び、ケニア政府と連携して潜在的にテロに加わる可能性のある地域を対象に個人あるいはコミュニティー単位で底上げを図っているのです。

  

小規模事業者を支援して雇用を拡大

 

IOMの支援の形態には、テロに走る危険性をはらむコミュニティーからの雇用を推進する小規模事業者へのサポートもあります。IOMモンバサ事務所の藤村陽子所長は波及効果が大きいと見込んで小規模事業者への支援を今後より積極的に実施していきたいと語ってくれました。 

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モーゼスの写真スタジオで。中央はIOMモンバサ事務所の藤村陽子所長

「写真撮影には単なる仕事を越えた、自己表現の喜びがあり、だからこそ、社会から疎外されがちな若者たちを救うことができます」と熱っぽく語るモーゼスは、IOMからの支援を受けて高性能の日本製カメラを一台そろえ、モンバサの市内に写真スタジオを立ち上げることができました。麻薬の常習者だった人や仕事のない若者たちを積極的に雇い入れています。

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ノリのいいモーゼスのチームと Photo: Modan Photography

日々の暮らしのために結婚式や会議での撮影も行いますが、やはり力が入るのはクリエィティブな仕事です。先日もこのスタジオでケニアの著名なモデルとの撮影セッションをチームで行ったと言います。宝物のように扱っているキヤノンが彼の相棒です。  

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「写真展などを企画して、チームの作品の発表の機会を作っています。悩みは、使える高性能カメラが一台しかないこと。もっとあれば、若者たちにより多くの機会を作ってあげることができます。是非ご支援を!」とアピールを忘れない、楽しくそして熱い人物でした。 

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IOMチームと。マイケル・ピリンジャーIOMケニア事務所長(後列左から2人目)、藤村陽子IOMモンバサ事務所長(前列左端)、井上悦子プロジェクト・マネージャー(前列右から2人目)と Photo: Modan Photography

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