連載第2回 「難民・地域住民 統合型の居住区」という新しいモデルを、チーム力で推進(上)
根本かおる国連広報センター所長は、毎年国連と日本との協働が展開する現場のオペレーションを訪問し、日本の皆さんに報告しています。第7回アフリカ開発会議が今年8月に横浜で開催されるのを前に、3月10日から20日までの日程でケニアにおける国連の活動を「SDGs推進の国連のチーム力、そして日本とのパートナーシップ」を主眼に視察してきました。
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開発の遅れた地域が、難民20万人の第2のふるさとに
3月10日到着後、2日間にわたるナイロビでの国連諸機関からのブリーフィングを経て、3月13日、早速国連機に乗り込んで向かったのが、ケニア北部トゥルカナ県の北西部にあるカクマとカロベィエイです。ちなみにトゥルカナでは160万年前の人類の化石が発見され、「人類発祥の地」とも知られています。
アフリカ大陸を南北に縦断するプレート境界の巨大な谷「グレート・リフト・バレー(大地溝帯)」の崖やケニア山などを見やりながら、カラカラに乾いた大地の上を飛行することおよそ1時間半で、突然人口密集地が現れました。
ケニアが受け入れている難民の数は2018年12月の時点で50万人弱。南スーダンとの国境に近いカクマ難民キャンプと数十キロ離れたカロベィエイ居住区には、全体のおよそ4割にあたる19万人たらず(内訳はカクマに15万人、カロベィエイに3万6000人)、主には南スーダンから、それ以外にもソマリア、コンゴ民主共和国、スーダン、ブルンジ、エチオピアなどからの様々な国を逃れてきた難民が暮らします。
実にシンプルでそっけないカクマ空港に降り立ち、迎えに来てくれていたUNHCRフィールド担当者を見てビックリ。「私、あなたにお世話になりましたよね?」何を隠そう、前回2009年にカクマを視察した時に案内役を務めてくださったエスター・ロピーさんだったのです。「そうよ、私はまだこの事務所にいるのよ。ウェルカム・バック!」この偶然に何とも嬉しくなってしまいました。
2016年のリオ・オリンピックには、「難民選手団」を国際オリンピック委員会(IOC)が史上初めて結成し派遣しましたが、選手10名のうち5人がカクマ難民キャンプで暮らす難民だったことでも知られるカクマ。このキャンプの歴史を振り返ってみましょう。開設されたのは(南スーダン独立前の)南部スーダンからの難民が避難してきたのに伴い、1992年のこと。私が2009年にカクマを訪問した際には、2005年にスーダン政府と反体制派のSPLMとの間で包括的和平合意が締結されたのを受けて、南部スーダンのふるさとに帰る準備で多くの人々が忙しくしていました。
しかしながら、その後南スーダンは2011年に独立を遂げ、国連の一番新しい193番目の加盟国となったものの、2013年12月、最大の部族であるディンカ族出身の大統領派とヌエル族出身の副大統領派の間で武力衝突が勃発して内戦に発展。カクマからの南スーダンへの帰還はストップし、再び南スーダン難民たちが避難してくるようになったのです。トゥルカナ県西部地域の人口のおよそ4割を難民が占めています。
彼らを受け入れているトゥルカナ県は南スーダンのほか、ウガンダ、そしてエチオピアとも国境を接し、県としてはケニア第2の面積を誇ります。しかし辺境ゆえに長い間開発から取り残され、深刻な貧困状況は先述の通り。非識字率は9割以上になります。さらに、近年は慢性的な干ばつが追い打ちをかけ、放牧中心の人々の暮らしを圧迫しています。また、地域コミュニティーに比べて難民の方が支援を手厚く受けているという格差の現実もありました。
ピンチをチャンスにした知事の英断
南スーダンからの避難者の増大で、カクマ難民キャンプがもともと予定していた7万人のキャパシティー範囲を大きく超過。大規模な帰還の見込みもなく、難民たちのほとんどはここを第2のふるさとと考えています。
人口過密による環境への負の影響などがある中、2015年、難民たちを地域コミュニティーから切り離して難民キャンプで支援する形ではなく、難民と受け入れコミュニティー双方に開放された居住区をカクマからおよそ数十キロ離れたカロベィエイに新たに設けようという動きが生まれました。
難民・地域住民双方に恩恵が行きわたるような統合型の支援の形に大きく舵を切ることになったのです。これは「難民は指定されたキャンプに」を基本方針としてきたケニアの難民受け入れにとって全く新しいモデルを示すことになり、世界的に見ても先駆けとなるものです。
トゥルカナ県政府は土地1500ヘクタールを新居住区建設のために提供することを決定。「難民たちの集住があるからこそビジネスチャンスが生まれ、投資がある」と考えた、国連WFP勤務の経験を持つトゥルカナ県のナノック知事のリーダーシップが大きかったと聞きます。
さらに、2015・16年に世界銀行とUNHCRが調査を行い、難民の存在が地域に対して総じてプラスの効果があると結論づけたことも関係者の背中を押したと聞きます。
知事の後押しを得て、カロベィエイのみならず、県全体の開発計画を、それまで陥りがちだったプロジェクト・ベースの個別対応ではなく、分野横断型の統合計画として、国連をはじめとする援助機関とともに一体感を持って強力に推し進めることになりました。またこれは、ケニアにおける国連チームとしての調整力・結束力が試される場であることも意味します。国連チームとトゥルカナ県政府との協働は「カロベィエイ統合社会経済開発計画(Kalobeyei Integrated Socio Economic Development Plan))に結実し、試験フェーズを経て、現在は2018年から2022年までの第1フェーズに入っています。
世界銀行グループの国際金融公社(IFC)が昨年行った調査から、カクマの経済規模はおよそ5600万米ドル(62億円)にものぼり、その経済活動の多くが難民の存在によるもので、2000以上もの事業者や店が存在することが明らかになっています。難民の7割がスマートフォンを所有。携帯電話を活用した電子マネーがそれを下支えしています。
カクマに到着して表敬にうかがったカクマにおけるケニア政府代表も、「カロベィエイ統合社会経済開発計画の推進が国の内外の注目を集め、視察が絶えません」と大変誇らしげに語っていたのが印象的でした。カクマ周辺ではケニアのインド洋沿岸部からカクマ、カロベィエイを通って南スーダンへと抜ける回廊となる道路の整備が世界銀行の支援を受けて進み、さらにトゥルカナ県で石油の埋蔵が発見され、周辺は活況を呈しているようです。トヨタのサービス・ステーションの開設も検討されていると聞きました。
私は長くUNHCRの職員として国連の難民支援活動の最前線で活動してきましたが、難民を受け入れる側の行政がここまで前向き姿勢を示すことはなかなかないことです。驚くと同時に、「早く新しいモデルの居住区が見たい!」と心がはやります。
UNHCRは2016年9月の「難民と移民に関する国連サミット」において採択された「ニューヨーク宣言」を受け、難民受け入れ国への負担を軽減して難民の自立を支援することなどを柱とする「包括的難民支援枠組み」を新たに掲げました。
この包括的難民支援枠組みは「難民に関するグローバル・コンパクト」が昨年12月に国連総会で採択される流れを推進してきました。カロベィエイは、「包括的難民支援枠組み」を一早く実践した好事例でもあります。
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