シリーズ第2回は、南スーダン派遣施設隊第9次要員政策補佐の中塩愛さんです。50年以上にわたった紛争がようやく終わり、2011年に独立したばかりの南スーダンは、インフラがほとんど整備されていません。南スーダンの国連平和維持活動(PKO)部隊(国連南スーダン共和国ミッション:UNMISS))は、国内避難民の安全と人権を守る活動や、援助物資を届ける支援を行うなど、南スーダンの平和と発展の土台を支える、縁の下の力持ちの役割を果たしています。その中でも日本の派遣施設隊は、国内避難民や国連職員が使う敷地内の施設の整備など、UNMISSを支える重要な役割を担うとともに、人々の生活と援助機関の活動に欠かせない道路の補修などを実施しています。
第2回 南スーダン派遣施設隊 中塩愛さん
~「世界で一番若い国」の平和を支えるブルーベレー~
中塩 愛(なかしお あい)
1990年生まれ。2013年東京大学法学部卒業後、防衛省入省。東南アジア、大洋州などとの防衛交流や防衛関係予算の編成に携わった後、陸上自衛隊中部方面総監部へ赴任。2015年12月より、南スーダン派遣施設隊の政策補佐として、南スーダンへ派遣。
母なるアフリカの大地で
肌に突き刺さる日射し、喉を焼く灼熱の大気、風に舞い上がり、容赦なく目や鼻に襲いかかる土埃―――、日本からはるか1万1000km離れたアフリカの地で、世界で一番新しい国の未来のため、国連の一員として汗を流す自衛隊員がいます。「南スーダン派遣施設隊」、それが私たちの呼び名です。
長い南北紛争の果てに
この夏、東アフリカ中央部に位置する南スーダンは、5歳の誕生日を迎えます。
さかのぼること5年。2011年7月9日、世界地図に新たな一国が加わりました。住民投票の結果、99%という圧倒的な支持を得て、南スーダンがスーダンから平和裏に分離独立を果たしたのです。アフリカで54番目、世界で193番目の独立国、世界で一番若い国。真新しい国旗を誇らしげに翻し、明るい希望とともに新たな歴史を刻み始めた南スーダンですが、実は南北スーダンの現代史は、悲しくも50年以上にわたる長き民族紛争に彩られたものでした。
アフリカで最長と言われた南北紛争の結果、南スーダンのあらゆる社会インフラは未整備のまま放置されてきました。現在ですら、国内には電気も水道もほとんど普及しておらず、ナイル川のほとりでは、洗濯や水浴びをしている隣で、飲み水を汲んでいます。首都ジュバから全土へ向けて人道支援物資などを輸送する必要がありますが、道路の大半は未舗装で、雨季になると沼地と化してしまい、人も車も通れません。
こうした状況の中、数々の国連機関やNGOが、南スーダンの発展のために力を尽くしています。私たちPKO部隊の役割は、人々の生活や援助機関の活動に不可欠である「安全で安定した環境」を維持するとともに、彼らの活動基盤となる道路や施設を整備すること。いわば、発展の土台を支える、縁の下の力持ちといったところです。
UNハウスとカスタムマーケット間の道路整備を行う派遣施設隊 ©陸上自衛隊
施設部隊はミッションの中核を担う
新生国家南スーダンを支援するため、独立と同じ2011年、国連南スーダン共和国ミッション(以下、UNMISS)が設立されました。UNMISSからの要請を受け、日本は2012年1月から施設部隊「南スーダン派遣施設隊」を首都ジュバへ派遣しており、現在は約350人が活動しています。
先述のとおり、この国には舗装道路というものがほとんどありません。首都ジュバでさえ、道路が舗装されているのは中心部のみ。しかも、経年劣化により舗装が剥がれて大きな穴が空き、下の土が剥き出しになっているところも珍しくありません。首都と地方をつなぐ物流網は非常に脆弱で、広大なサバンナの只中を、中古車がガタガタと大きく揺れながら、猛烈な土煙を巻き上げて走っていく光景がよく見られます。
こうしたか細い道路は、しかし、南スーダンの人びとの生活基盤であると同時に、支援物資などを全土へ届けるために死活的に重要なライフラインでもあります。施設部隊は、主要な補給路の補修を行うことで人々の生活を支え、援助機関の物資輸送をサポートしています。
UNハウスとカスタムマーケット間の道路整備を行う派遣施設隊 ©陸上自衛隊
施設部隊の活動は、道路の補修にとどまりません。
首都ジュバは平穏であり、市場には様々な食べ物や生活用品が並び活気にあふれていますが、その一方で、紛争の間に家を追われた国内避難民約2万8000人が、国連の保護区域でテント生活を送り、国連機関やNGOの支援を受けています。施設部隊は、こうした区域のフェンスやゲートの構築や修理を行い、避難民が安心して暮らせる環境を維持しています。
国連職員の職場やPKO部隊の住居となるプレハブを建てるなど、国連の活動基盤を整備するのも、施設部隊の重要な役目です。また、自衛隊は高機能の浄水機材を保有しているため、他国部隊への給水活動も行っています。生活に水は不可欠ですから、給水活動には土日も正月もありません。
施設部隊の活動について、ある国連職員は次のように表現しました。
「施設部隊は、このミッションにとって血液のようなものだ。人間が血液なしでは生きられないように、ミッションも施設部隊なしでは立ちゆかない」
派遣施設隊の給水活動の様子 ©陸上自衛隊
国境も時代も越え、国際社会の一員として
派遣施設隊約350人のうち、私は唯一の事務官として派遣されています。プロフェッショナルである自衛官がスムーズに活動できるよう、派遣施設隊とUNMISS司令部との連絡や調整を行うのが主な役目です。
PKOというと、いわゆる「先進国」がポスト紛争国を「支援」するというイメージを持たれがちですが、実は、UNMISSにはエチオピアやルワンダといったアフリカ諸国も部隊を派遣しており、また、司令部でも、マリ、ナイジェリア、ガーナなど、数多くのアフリカ出身者が重要なポジションで働いています。
もちろんアフリカのみならず、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカ、果ては南太平洋の小さな島国まで、その多様性はまさに、国連の掲げる‘Respect for Diversity’(多様性の尊重)の精神を具現化しています。
バックグラウンドとなる歴史や文化は様々ですが、共通するのは、国際社会の一員として互いに支え合うのだという思いです。私と同い年のカンボジア隊の女性が、穏やかに微笑みながら語ってくれたことがあります。
「約20年前、日本はカンボジアのPKOに参加して私の国を支えてくれた。日本がしてくれたことを、今こうして南スーダンに返せることを誇りに思う。そして、アフリカのPKOに参加できるまでになったカンボジアの姿を、日本人に知ってもらえてうれしい」
彼女も私も1990年生まれの26歳。1992-93年のカンボジアPKOを直接目にしたわけではありません。しかし、だからこそ彼女の言葉は、私たちの活動が、今この時代の南スーダンを支えるだけでなく、将来の国際協力をも促すことを予感させてくれるものでした。
UNMISS司令部で、様々な国籍の同僚と働く中塩政策補佐 ©陸上自衛隊
世界と共に歩む
国際協力は、時と場所を越えてのギブアンドテイクとも言えるかもしれません。
憎しみや貧困を払拭し、国際社会の平和と安定を図ることは、我が国自身の安全保障にも大きく寄与します。日本はアフリカから石油や鉱物資源などを輸入しており、アフリカの安定と開発は我が国にとっても重要な課題です。そして何より、日本は国際社会からの莫大な援助によって戦後復興を遂げた過去があり、今でも、地震など災害のたびに世界各国からの支援や励ましを受けているのです。
日本国憲法前文には、以下のようにあります。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。・・・(中略)・・・日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成することを誓ふ」
日本は、国連PKO予算の実に約10%を分担しています。派遣施設隊の活動は、日本国民の皆さん全員による国際協力でもあるのです。
風がアフリカに似た熱をはらむ夏、歩き出したばかりの国家・南スーダンの未来に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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UNMISSのラジオ局「ラジオ ミラヤ」のモーニグショーで、中塩政策補佐のライブインタビューが放送されました。6か月の任務を終え、南スーダンを離れるにあたって収録されたもので、中塩政策補佐は「南スーダンの平和構築に貢献でき、光栄でした」などと語りました。放送内容のテキスト(英文)はこちら >>>
中塩政策補佐の肉声が聞けるオーディオのリンク(英語)はこちら >>>