今年は「世界人権宣言」が採択されてから75周年の節目です。国連創設の3年後に現代人権法の礎となる文書が生まれた背景には、第二次世界大戦中で特定の人種の迫害や大量虐殺などを許してしまった経験から、人権問題が国際社会全体にかかわる問題であり、人権の保障が世界平和の基礎であるという考え方が主流になったことがあります。30条からなる人権宣言は、すべての国のすべての人が享受すべき基本的な市民的、文化的、経済的、政治的および社会的権利を包括的に規定するものです。
採択から75年経った今、国連人権条約機関の委員や国連の人権特別報告者を務める専門家の方々に「人権とわたし」をテーマに、国連での活動や所管する人権分野の動向などについて、シリーズで寄稿していただきます。シリーズ第4 回は、2017年から2020年まで、国連障害者権利委員会委員を務めていた石川准さんです。
障害者権利委員会委員としての4年を振り返って
私は2017年から4年間、障害者権利委員会という障害者権利条約の条約機関の委員を務めました。条約機関とは、国際人権条約の締約国が条約の規定をどのように履行しているかを監視する、独立した専門家機関のことで、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の下に、9つの主要人権条約すべてに設置されています。条約機関は、締約国が条約を履行するよう促すことで、人権の普遍的かつ効果的な保護を実現することに貢献しています。
条約機関の任務はそれぞれの人権条約によって規定されており、障害者権利委員会の任務は、以下のとおりです。
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締約国から提出された報告書を審査するとともに締約国政府との建設的対話を実施し、締約国に対して、条約の履行状況を改善するための勧告を行う。
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条約の特定の条項に関する一般的意見を採択し、その解釈を明確化する。
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個人からの申立てを審査し、人権侵害が認められる場合には、締約国に対して適切な措置をとるよう勧告する。
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締約国による系統的または深刻な条約違反を調査し、締約国に対して適切な措置をとるよう勧告する。
障害者権利委員会の委員としての4年間は、忘れがたい経験でした。私は春と夏の2回、ジュネーブでそれぞれ4週間を過ごしました(もっとも、最終年はコロナのため、春は中止、夏はオンラインでの開催となりました)。月曜の早朝から金曜の夕方まで、長い会議が続きました。当初、英語の長時間シャワーで私の脳は極限まで疲労し、シャットダウンすることもしばしばでした。
そんなとき、庭の芝生の上にピクニックシートを敷いて仮眠をとることもありました。連日の会議の激務を乗り越えるためのささやかな工夫でした。
2019年からは、さらに責任が増し、副委員長として審査国政府との建設的対話の議長などの役割を果たしました。
建設的対話では、ギリシアの代表団が休憩時間に会議室のなかで円陣を組んで答弁の準備をする姿が印象深く、熟議の長い伝統を感じました。ルワンダは大量虐殺の悲劇を乗り越え、政府は修復的正義の努力を積み重ねており、障害者政策においても積極的な姿勢を見せ、未来に希望を感じました。
国別報告者として、ミャンマーやパレスチナの障害者グループ・市民団体からは直接切々とした訴えを聞き、障害者権利委員会への厚い期待をひしひしと感じました。
インドの女性障害者のグループからは交差的差別の訴えを聞きました。「交差的差別」(Intersectional discrimination)は聞きなれない言葉かもしれません。少し説明します。交差的差別は、個人が複数のアイデンティティや社会的カテゴリーに属しているために経験する重層的な差別を指します。インドの女性障害者は、障害と性別、さらに身分、宗教、階級に関わる交差的な差別を経験していると訴えました。
ところで、障害者権利委員会の会議は国連欧州本部の会議室で開かれます。広大な欧州本部の敷地内や周辺には、平和や国際協力を象徴するさまざまな彫像やアートワークがあります。
なかでも「壊れた椅子(Broken Chair)」は有名です。壊れた椅子は高さ10メートルにもなる巨大な椅子で、国連欧州本部の前の広場に、国連欧州本部と向き合うように、応答を求めるように設置されています。壊れた椅子の一本の足が折れたデザインは、対人地雷の使用禁止を訴えており、「ハンディキャップ・インターナショナル」という市民団体がスイスのデザイナーに制作を依頼し、1997年8月に国連広場に設置されました。ジュネーブ市民から絶大な支持を受け、今日まで平和へのメッセージを送り続けています。
ジュネーブはレマン湖の西端に位置する湖畔の都市です。そこから西にローヌ川が流れ出し、リヨンを通って南下しマルセーユのあたりで地中海に注いでいます。アルプスの最高峰モンブランはジュネーブの東方、フランスとイタリアの国境にあり、天気が良ければジュネーブからはっきり見えるそうです。湖は冬の寒さを和らげ、夏の暑さを抑える役割を果たしています。
ジュネーブにはおいしい食材がたくさんあります。ペルシュという湖の淡水魚もそうです。私がジュネーブに行く機会があればもう一度食べたいと思うのがペルシュのフリットです。クリスピーに揚げられたペルシュは、レモンを添えて食べることが一般的です。
ヨーロッパの諸都市はおそらく多くの日本人がイメージするよりもずっと北に位置しています。ジュネーブは北緯46度、パリは48度、ベルリンにいたっては52度です。稚内は北緯45度ですから、いかに北に位置しているかわかります。ヨーロッパの人々が、夏の到来を待ちかね、夏の終わりには早くも暗い冬のことを思って憂鬱な気分になるというのは頷けます。
障害者権利条約の話にもどしましょう。この条約は主要人権条約のなかでも最も遅れてできた条約です。遅れてできた条約だからこそ、それだけ新しい考え方を取り入れた条約ともなっています。
この条約には多くの重要な考え方が盛り込まれていますが、特に革新的とされる考え方や原則として以下の点が挙げられます。
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障害者もまた、すべての人権と基本的自由を平等に享受する権利を持っていると規定している。
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障害を、障害を持つ人が社会と相互作用するときに生じる障壁として再定義している。
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障害者が直面する障壁の除去のための環境調整を拒むことを含め、障害を理由とする差別を禁止する法整備を締約国に求めている。
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すべての人がアクセスしやすいように設計された商品や環境を実現する施策を締約国に求めている。
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障害を持つ人々が自分の人生についての決定を下す能力と権利を持っていることを強調し、そのための支援を締約国に求めている。
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障害を持つ人々が社会の全ての面で完全に参加する権利を確保するように締約国に求めている。
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独立した監視枠組みを国内に設置し、障害者の、監視への参画を確保するように締約国に求めている。
障害者権利条約は日本にも大きなインパクトを与えました。条約批准のために制度改革が実施され、障害者基本法の改正や、障害者差別解消法の制定などが実現しました。また内閣府障害者政策委員会が設置され、政府は障害者権利条約の批准に際して障害者政策委員会を「独立した国内監視枠組み」に指定しました。
私は内閣府障害者政策委員会の委員長を2012年から10年務めました。国連障害者権利委員会による対日審査はコロナの影響で遅れ、2022年の夏に実施されました。私も独立した国内監視枠組みの責任者として審査に出席し、冒頭ステートメントで、知的障害者などの法的行為能力を制限する成年後見制度から法的行為を支援する支援付き自己決定制度への改革が検討されていないこと、精神障害者の非自発的入院と緊急手段でも最終手段でもない身体拘束をなくすためのロードマップが策定されていないこと、特別支援学校と特別支援学級に在籍する児童生徒が引き続き増加しており分離教育からインクルーシブ教育へのパラダイムシフトが行なわれていないこと、を主要な懸念事項として指摘しました。
主要な懸念事項を示しえたこと、独立した国内監視枠組みをなんとか機能させられたこと、監視枠組みが機能していることを建設的対話の場で示しえたことで肩の荷が下りた思いです。
改めて国連障害者権利委員会と内閣府障害者政策委員会の活動を振り返ってみると、多くの人々がそれぞれの場所と立場でできることを行い、それが繋がって道が開けてくることを実感できたのは得難い経験でした。