今年は「世界人権宣言」が採択されてから75周年の節目です。国連創設の3年後に現代人権法の礎となる文書が生まれた背景には、第二次世界大戦中で特定の人種の迫害や大量虐殺などを許してしまった経験から、人権問題が国際社会全体にかかわる問題であり、人権の保障が世界平和の基礎であるという考え方が主流になったことがあります。30条からなる人権宣言は、すべての国のすべての人が享受すべき基本的な市民的、文化的、経済的、政治的および社会的権利を包括的に規定するものです。
採択から75年経った今、国連人権条約機関の委員や国連の人権特別報告者を務める専門家の方々に「人権とわたし」をテーマに、国連での活動や所管する人権分野の動向などについて、シリーズで寄稿していただきます。シリーズ第3回は、自由権規約委員会で委員を務める寺谷広司さんです。
世界人権宣言採択75周年に寄せて―自由権規約委員会委員の立場から
東京大学大学院法学政治学研究科教授。東京大学法学部を卒業後、東京大学、北海道大学などで国際法、国際人権法、国際刑事法などを専門に教鞭をとる。1998年-2000年ケンブリッジ大学ローターパクト国際法研究所客員研究員、2010-11年コロンビア大学ロースクール客員研究員、2010年ミシガン大学ロースクールおよび、2015年コロンビア大学ロースクールの交換客員准教授・教授も務める。国際法学会理事、国際法協会理事、等。2017年-2021年強制失踪委員会委員。2023年から自由権規約委員会委員。
1.はじめにーー世界人権宣言の誕生
1948年12月に採択された世界人権宣言が、今年、採択75周年を迎えます。4分の3世紀は中途半端な数え方かもしれませんが、しかし、人のほぼ一生分(世界の平均余命は約73歳)だと考えると、なかなか感慨深いかと思います。国連(United Nations)は、その主たる目的は国際平和・安全の維持ですが、民主主義・人権保護を目指して枢軸国と戦った連合国(United Nations)側がつくった組織でもあります。世界人権宣言は第3回の国連総会で、冷戦開始の少し前に反対票なく採択されました。
2.後継者としての自由権規約
世界人権宣言は国連総会決議として採択された文書なので、法的拘束力がありません。また、宣言はするものの、履行を確保する制度上の裏付けがありません。そこで、その後、条約化を目指して20年近くをかけて議論して採択されたのが、社会権規約と自由権規約の2つです(自由権規約の選択議定書を含めて数えれば3つです)。2つに分けて採択されることになったのは、当時の国際社会の認識として自由権こそ「本当の」人権であり、社会権はそうでなく、条約化されるとしても別々の条約とすべきだとする理解があったためです。この状況は、国際情勢の東西対立や南北対立とも対応しています。
自由権規約には現在173国が批准しており、相当数の普遍性を獲得しています。そして、この自由権規約の国家による履行を監督する機関が、自由権規約員会です。英語の正式表現は“Human Rights Committee”というごく普通のものですが、これは当時、並ぶものがほとんどなかったためです。その後この種の委員会が増えたため、日本語では「自由権規約委員会」と表記して区別するのが一般的になっています。
対比的にいうと、上記事情のために社会権規約自体には履行確保の委員会が条約に規定されておらず、経済社会理事会がこれを設置したのは1985年になってのことでした。また、自由権規約にやや先行して人種差別撤廃条約も1965年に採択されており、監督機関を有しませんが1948年採択のジェノサイド条約を人権条約の先行として位置づけることも多いです。ただし、これらは特定主題の条約であり、社会権規約や自由権規約のようにカテゴリカルに広く権利を対象としているものとは対比できます。
3.自由権規約委員会のお仕事
では、委員会は実際にはどのように国家の条約履行を監督するのでしょうか?
代表的には国家報告制度があります。各締約国が自国の人権状況の報告書を自身で作成して、それを委員会が審査します。いわば国家の自己評価なので、国家側からしても第三者から強制される性格が少なく利用しやすい制度です。もちろん、自己評価なので評価が甘くなるのではないかと思うでしょう。そこで、国家から独立した国内人権機関(日本にはありません)や、市民社会からの情報提供が重要になってきます。カウンター・レポートなりアルタナティヴ・レポートなりと呼ばれます。国家報告の審査は、国家代表と委員会の間で二日にわたって対話形式で計6時間行い、その後に、委員会内で検討し、最後的に「総括所見」という報告書を提出します。日本については、昨年2022年に第7回の国家報告審査が行われました(ちなみに、委員は出身本国の審査には加われません)。
The Human Rights Committee oversees the implementation of the International Covenant on Civil and Political Rights by Member States. States must regularly submit reports, and the Committee provides recommendations. The 138th session opened in Geneva today. https://t.co/qpUwbX8VnP pic.twitter.com/yTCJUadrQa
— United Nations Geneva (@UNGeneva) 2023年6月26日
今年ジュネーブで開かれた第138回セッションの様子。
履行確保のためのもう一つの重要な柱は、個人通報制度です。先に挙げた(第1)選択議定書を選択した国のみ参加するいわばオプショナル・コースであり、現在117か国が参加しています(日本は同議定書を批准していません)。国内で利用できるすべての措置を尽くした後、被害にあった個人が訴えを直接に委員会に持ち込めます。これが画期的な制度であったのは、1966年当時、国際社会といえば基本的には国家間関係であるところ、個人がそこに登場するからです。最終的には、裁判所でいう判決に相当する「見解」を委員会が出します。
自由権規約委員会は、18名の国籍の異なる選挙で選ばれた委員から構成されます。現在の男女比は11:7で、地域では欧米がやや多く、アジアからは韓国のSohさんと私だけでややアンバランスです。委員たちの現在ないし以前の職は、私のような大学教員のほか、裁判官、検事、外交官、人権擁護者、国連職員などですが、この委員会は特に法律に精通している人がほとんどであることが特徴で、委員会への信頼の源泉の一つになっていると個人的には思っています。
会期は年3回、ジュネーヴで行われます。通常、3月、7月、10月で、それぞれ4、5週間ほどです。これだけでは足らず、実際には公式の会期の一週間前から半数近くの委員が「ボランティア」で集まって個人通報の審議をしています。個人通報制度は他の人権条約機関にもありますが、老舗でかつカバーしている権利の範囲の広い自由権規約委員会への付託件数は突出していて、処理し切れていないためです。「ボランティア」とはいえ、そもそもこの作業がないと委員会の仕事が回らないので、誰かが必ずやらないといけません。このほか、コロナ禍を経験した人類の英知でオンライン会合が会期外でも時々あります。日本から参加するときは時差の関係で通常深夜に及びがちで、体力的には少々きついです。また当然ですが、国家報告なり個人通報なりの準備自体は会期期間外になりがちです。私の体感では、半年近く、委員会の業務に関わっているような気がします。ちなみに、当地での生活費等を除くと給与名目の支給はありません。ええ、かなりブラックな団体というべきかもしれません。
4.委員としてのmindset
ここまで書いていていて何ですが、実はこの原稿は2023年の10月会期に出かける飛行機の中で書いていて、暗い機内で独り目を瞑っていると、なぜ、こんなハードな仕事をしているのだろうかと想いを巡らせがちです。筆者の本業は大学教員であり、法学という実務的な学問を専攻しているとはいえ実務家ではありません。本業の論文執筆は締め切りを守られることの方が珍しくなりましたし、小さい子供と離れて過ごすのは少々きついところもあります。幸い、私の所属する大学と同僚、妻をはじめ家族の理解・協力があるので、何とかやっていけています。
モチベーションの一つは、やはりこの仕事自体が楽しいからです。自分の専門分野の最前線を見ることができ、能力のある同僚達――そして、それより多くいる後ろで支えてくれているスタッフ達――の献身的働きぶりには心の底から感銘を受けています。しかし、より大きい側面は、あえて臆面もなく言えば「世のため人のため」です。あるいは、自分が恵まれていることの社会への恩返しです。逆に、自分のためならここまではやらないし、多分できないと思います。もっとゆったりしたペースで、もっと家庭生活とバランスを考えて仕事をするでしょう。そもそも研究者になる人間は、自分で好き勝手にやりたい人種です。ですから、自分のする決定が、関係者の人生をかなり直接に影響するというのは結構なプレッシャーとなります。何でもかんでも人権侵害と言って済むような話ではなく、実際に、様々なバランスの中で悩むことは多く、委員会内でもよく意見は対立します。それは研究対象として悩ましい論点だというタイプだけでなく、諸々の矛盾や無力感を引き受けることでもあります。「世のため人のため」――そして、意見が違ってもそうした志を共有できる同僚委員と励まし合い、共により良い社会を作ろうと思えることが大きな支えです。
意外に思うでしょうけれど、私自身は「人権」を崇高な理念だとは思っていません。人権は、個々人の幸福の条件であって、幸福は各人で努力しなくては実現できませんし、人権を持っているからと言って立派な生き方ができるわけではありません。しかし、考えてみて下さい。拷問されないとか、恣意的に逮捕されないとか、そんなの、当たり前じゃないですか。つまり、崇高な理念であってはいけなくて、当たり前の現実でないといけないんです。人権が政治体制を問わずに実現されるべきだというのは、それが当たり前の条件だからと私は理解していてます。しかし!多くの国で、それが実際には難しいのです。
5.結び
迂闊にも、委員としての心の在りようを晒しました。ところで、これもまた当然のことですが、人権の保護・伸長といったことは自由権規約委員会だけでできるわけではなく、むしろ、諸国家、各国の諸団体、市民社会、そこに属する人々、つまり社会に生きるすべての個々人の心の在りようにかかっています。
先に、自由権規約は世界人権宣言とは異なり、法的拘束力があって委員会による制度的な履行確保を備えていると言いましたが、そうした制度も、個々の委員や関係者の志、さらには社会の各所で生きている個々人の志がなければ動きません。世界人権宣言の起草者の一人であるエレノア・ルーズベルトさんの有名な言葉が繰り返し引用されるのは、この点からしてもとてもよく理解できます。
“Where, after all, do universal human rights begin? In small places, close to home – so close and so small that they cannot be seen on any maps of the world. Yet they are the world of the individual person; the neighbourhood he lives in; the school or college he attends; the factory, farm or office where he works.
https://www.un.org/en/teach/human-rights
結局のところ、普遍的人権はどこで始まるのでしょうか。小さくて、身近な、それゆえに世界のどんな地図でも見つけられないすぐ足元から始まるのです。けれども、それこそが一人一人が生きている世界なのです。人権は、暮らしている地域、通っている学校や大学、働いている工場や農場、オフィスなどから始まるのです。(国連広報センター訳)
委員会の仕事で世界人権宣言を参照することはあまりないのですが、世界人権宣言は人権の保護・伸長にとって重要な源泉だといえるのです。Happy birthday、75歳、おめでとう。これからも宜しく。