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「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(32) 日比絵里子さん

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第32回は、日比絵里子さん(FAO駐日連絡事務所長)からの寄稿です。

 

大洋州勤務を終えながら見たコロナ - 世界では飢餓急増の一年

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神戸市出身。上智大学法学部で法学士、英国レディング大学大学院で国際関係学修士号、米ワシントンDCジョンズホプキンズ大学大学院(SAIS)で国際関係額修士号取得。国連人口基金UNFPA)のニューヨーク本部、ウズベキスタン事務所、アジア太平洋地域事務所に勤めたのち、2011年にFAO入職。ローマ本部戦略企画室にシニア・オフィサーとして2年間勤務した後、紛争下のシリア事務所長としてダマスカスで3年半にわたり人道支援に携わる。2016年から大洋州14ヶ国を担当する大洋州事務所長としてサモア独立国に赴任。2020年9月から現職。 ©︎ Eriko Hibi

コロナ禍の中での異動

新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で、世界をつなぐ交通網が遮断され混乱が起きた昨年の春、私は南太平洋のサモアにいた。サモアを含む大洋州14ヶ国の国連食糧農業機関(FAO)代表としての任期を終える準備をしていたが、4月に日本に異動という辞令にもかかわらず、まったく動きがとれない状況だった。考えてみれば当然だ。コロナ禍の影響が拡大した昨年春の時期は、世界のどの国でも移動は困難だった。世界の主要都市から距離があり、普段から移動手段が限定されている大洋州島嶼国が、国境封鎖や入国規制、航空便の減便などのコロナ対策の影響で、ますます孤立することになったことは驚くことではなかった。


そもそも、大洋州島嶼国は航空便の選択肢が少ない。様々な要因がある。主要中継地や隣国から距離がある。行き先が限定される。便数が少なく曜日が限定される。頻繁にキャンセルされる。競争が少ないため、価格も高い。何よりも移動は不便で時間がかかる。体力勝負の世界だ。


例えば、サモアに滞在しながら担当国であるパラオに出張した際、アピアサモアの首都)を出発後、オークランドニュージーランド)、ホノルルとグアム(米国)を経由し、コロール(パラオ)へ。片道だけで17,000キロを超える。乗り換えの時間も長く、3日くらいかかって「ぜーぜー」の到着である。サモアの隣のトンガ王国に行くのもオークランドやフィジーを経由してV字型で飛ぶのが定番だ。また、サモアからローマに行った時は、安い航空券のせいか、片道55時間もかかり疲労困憊して到着したのを記憶している。 

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(外務省ウェブサイトより)


大洋州はコロナ禍でますます孤立したが、孤立のおかげか、私の担当する国では、少数の例外を除き、新型コロナ感染はほぼなかった。それでも人は移動しなければならない時もある。欧州や中東に戻れない出張者の旅程を立てて準備・交渉することは至難の業だった。次の中継地の入国制限が突然変更したため、中継地で搭乗を拒否された行き場のない出張者への対応など、無事に最終目的地に着くまで気が抜けない。ちなみに私自身の場合、日本への異動が実現したのは、待つこと三ヶ月の昨年7月末。オークランドシドニーの二つの経由地の時間制限を超えないように緻密な計算を重ね、各国保健当局の事前承認をとりつけ各国大使館から中継用ビザを取得、経由地で入国しないように繋げながら、無事に羽田に到着。成功したのが奇跡かと思った。そのようなルートを正確に調べあげ、的確な情報を迅速に通知していた在サモア日本大使館には感謝の言葉しかない。日本人だけでなく多くの人が、時宜を得た有益な情報の恩恵を受けたことは特筆すべきだ。


残念ながら、私がサモアで動けなかったあいだに母は他界していた。人生初の日本勤務が決まった時は、これで母と最後の時間を過ごせるかと思ったが、結局コロナで間に合わなかった。実に悔しい。私のようなケースは少なからずあるようだし、そもそも海外で仕事をしていると、通常でも親の死に目に会えない可能性が高くなると言われたとしても。
 

コロナで世界の飢餓人口が急増

さて、本日のテーマ、このパンデミックが世界の食料や栄養の問題に与えた甚大な影響についてとりあげたい。今年7月、FAOが関連国連機関と共同で出した報告書「世界の食料安全保障と栄養の現状 2021」によると、2020年の世界の飢餓人口は、最大8億1100万人と推定される。一年で最大1億6100万人も増加したことになる。ちなみに、一年でこれだけの飢餓人口の増加があったのは何十年ぶりのことだ(下グラフを参照)。栄養を考慮すれば、数値はもっと悪くなる。世界では30億人が経済的理由から栄養バランスのとれた食事をとることができない。2030年までに飢餓をゼロにすることを目指す持続可能な開発目標(SDGs)には逆行している状況だ。  

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飢餓状態の人々の割合(灰色の線)も人口(オレンジ色の線)も、過去5年間は漸増、ほぼ横ばい。2019年から2020年への増加率はここ何十年も見られない規模のものだ ©︎ FAO


新型コロナの感染拡大は、この飢餓急増の大きな要因と考えられる。供給サイドから見ると、生産に必要な肥料や飼料などの農業投入材が入手できない、移動規制などにより生産に携わる人が現場に行けない、生産された食料がサプライチェーンの混乱や寸断で市場に到達しない、外食産業や観光業向けに生産されたものが行き場を失う、など多様な要因が考えられる。一方、需要の側面から見ると、失業や所得の低下などにより貧困に苦しむ人が増え、その結果、経済的に食べ物を十分に購入できない人が増えたことが一因だ。世界銀行によると、2020年にはコロナによって、新たに1億1900万から1億2400万人が極度の貧困に苦しむようになったと推定。供給側でどれほど有効な政策的介入をしても、根底にある貧困や不平等を解消しなければ、世界の飢餓や栄養不良は解消できない、というのが今年の報告書の重要なメッセージである。
 

パンデミック当初の島嶼国の食料事情

前述の通り、新型コロナの感染拡大が始まった昨年前半は、私はサモアにとどまっていた。食料輸入に依存する島嶼国では、サプライチェーンの寸断や混乱は不安につながる。しかし、実際には買い占めなど、当初懸念していたような混乱はほぼ見られなかった。コンテナ船などによる供給網は継続、不定期に飛ぶ航空便によりニュージーランドなどからの物資も入ってきていた。何よりも、現地産の野菜や果物、肉などが入手できたことは大きい。これは私がサモアという大洋州の中では比較的大きな国に居住していたことのメリットである。もっと土地が狭い環礁の国、例えばキリバスとかツバル、マーシャル諸島などでは、そもそも国内での食料生産が限定されていることもあり、コロナ禍での状況ははるかに厳しかったと推察される。このような状況下で、FAOは野菜の種苗の配布、データや統計の分析、政策提言などの支援をいくつかの国で実施した。

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FAOが支援するオセアニアの島国ニウエの学校菜園。ここで野菜づくりを学んでもらい、地域の家庭菜園と野菜の消費を奨励 ©︎ Eriko Hibi


供給の問題以上に深刻だったのは、コロナによる所得への影響だ。島嶼国の多くは観光収入と海外からの送金に依存する。観光業は真先に影響を受け、多くの人が仕事を失った。失業した都市部の住人の多くが、出身の農村部や離島に戻り、自給自足あるいはそれに近い状況のコミュニティで食べつないでいた。大洋州島嶼国の場合、農村や漁村のコミュニティが、「社会保障」のような役割を果たしたと言える。一方で、海外からの送金が少なくなったり途絶えたりしたことで、都市部だけでなく農村部の経済にも大きな影響が及んだのであろう。その後、長期的な影響も出たのではないだろうか。


不動の重要課題 - 気候変動

さて、世界の飢餓の根底にあるとして必ず言及されるのが、「紛争」「気候変動などの環境問題」そして「経済ショックや経済停滞」の三つの要因である。新型コロナ感染拡大による影響は、まさに深刻な経済ショックと言えよう。コロナにより甚大な影響を受けた世界の食料問題について話してほしいと言われることが多い。しかし、各国の生産者や食料関係の専門家の圧倒的多数が、コロナ禍においても、既存の長期的課題、特に気候変動、生物多様性喪失などが、これまでと変わらず、いや、これまで以上に重要であることを強調したことを特筆したい。「深刻さではコロナと比較にもならない」と断言した島嶼国の生産者の声を思い出す。


食料の生産段階(農業、林業やその他の土地利用)での温室効果ガス排出は人為のガス排出の約四分の一と推定される。それに、食料の加工、流通、消費、廃棄などの段階も含めた食料システム全段階での排出を加えると34%に達する。先月、気候変動に関する政府間パネルIPCC)第6次評価報告書の第I作業部会報告書(自然科学的根拠)が公表された。人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がないとしたうえで、最近の気候システムの変化の規模は、何世紀も何千年もの間、前例のなかったものである、と指摘する。報告書は畜産や窒素肥料・厩肥の利用などが温室効果ガス排出に繋がっていることにも言及。一方、気候変動の影響により猛暑や干ばつや豪雨などの極端な気候現象が激しさを増し頻発するようになると予想。それにより生態系、農業、畜産、水産などに大きな影響を及ぼすという。食料は気候変動と切っても切れない関係にあるだけでなく、一蓮托生の状態だ。

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気候変動は、サバクトビバッタの発生拡大を促している ©︎ FAO/Petterik Wiggers


生物多様性の喪失も重要な課題だ。食料生産はやり方により生物多様性衰退につながる。例えば農地拡大のための原生林伐採が一例だ。FAOが2019年に公表した報告書では、農作物の総生産量の3分の2を占めるのは植物9種のみ、畜産の97%を支えるのは8種のみ、魚種資源の3分の1が乱獲されており、淡水魚種3割が絶滅危惧種に指定されている。他方、生態系も食料生産も、生物多様性に依存せざるを得ない。生物多様性も、食料生産と相互に影響する関係だ。


これまで、食料と環境は両立できないというゼロサム的な見方が比較的強かった。しかし、プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)、人新世、などの言葉とともに、岐路に立つ地球を今どう救うかという声が高まり、このような相互依存関係を強調するような考え方に国際社会のパラダイムが移行しつつある。

 

システムという概念

この一連託生の考えに則り登場したのが「食料システム」の概念だ。生産、加工、流通、消費、廃棄など食料や農業のサプライチェーンを縦割りにとらえず、体系立てて考慮するものだ。環境の課題の他にも、実に多くの課題を含む。栄養、肥満や過体重、生活習慣病、食料のロスや廃棄、消費者の所得と生計、貧困と不平等、紛争と食料、農家の高齢化、女性の登用、若者参加、家族農業、食の安全、学校給食、食文化と伝統、違法漁業、技術革新、バイオテクノロジー、農業補助金などの政策、統計やデータ、貿易と通商、水資源、災害への備え、ONE HEALTH(ワンヘルス)などは一部の例に過ぎない。複雑で多岐にわたる発想だ。このような認識のもと、「システム」全体を持続可能なものとする変革に着手しようという声が広がった。この大きな変革を目指して9月23日に開催されるのが、国連の食料システムサミットである。


食料システムサミットでは気候変動を含め、持続的な食料システムを考えるうえで不可欠な課題が多岐にわたり取り上げられる。各国での国内対話の結果や世界の科学者グループによる提言などが持ち込まれ、食料システムを強靭で持続可能なものに変革するため、今後の課題に関してコンセンサスをつくることを目指す。


注意すべきは、このサミットで出てきた合意や勢いを、食料以外の課題を扱うグローバルなイベントに繋げることで、その火を絶やさないことだ。その意味において、10月11日から開催される第15回生物多様性条約締約国会議(CBD COP)や、10月31日から開催される第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)などは重要な試金石となる。特に12月に日本で開催される東京栄養サミットは、食料システムサミットの結果を引き継ぐ重要なイベントとして期待されている。


もちろん、何よりも注目すべきは、各国で実際にどのような行動がとられどのような変革につながるのか。せっかくのグローバルな合意や熱意が絵に描いた餅にならないよう、私自身も日本から積極的に関わっていく心づもりだ。

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ミクロネシアのバナナ市場で ©︎ Eriko Hibi

日本・東京にて

日比 絵里子