国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(30) 根本かおる

 国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第30回は、根本かおる(国連広報センター所長)からの寄稿です。

 

コロナ時代のメンタルヘルスを考える 

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2013年に国連広報センター所長に就任。それ以前は、テレビ朝日を経て、1996年から2011年末まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)にて、アジア、アフリカなどで難民支援活動に従事。ジュネーブ本部では政策立案、民間部門からの活動資金調達のコーディネートを担当。WFP国連世界食糧計画広報官、国連UNHCR協会事務局長も歴任。2012年からはフリー・ジャーナリストとして活動。コロンビア大学大学院修了 ©︎ UNIC Tokyo

 

著名人のメンタルヘルスに関するニュースが相次いでいる。俳優の深田恭子さんが、7月スタートの連続ドラマの出演を降板した。所属事務所の芸能活動休止の発表では、昨年春から体調を崩し、今年5月に医師から「適応障害」と診断されたという。仕事のことは忘れてゆっくり休養し、再び元気な「深キョン」スマイルを見せて欲しい(私は特に彼女がコメディエンヌぶりを全開して主演した『下妻物語』の大ファンで、気分がふさいだ時にこの映画をみると心が軽くなる)。

 

さらに、テニスの大坂なおみ選手も、2018年の全米オープンで優勝してからうつ病に苦しんでいることを告白した。公表するのには大きな勇気が要ったことだろう。心身が万全でない中で決断するに至った大坂選手にエールを送りたい。テニスからしばらく距離を置いて、休養に専念して自分らしい「これから」を見出して欲しい。また、私自身も記者会見やパブリック・スピーキングでの緊張や失敗を数多く経験し何とか今に至っている当事者であり、「自分を自分よりよくわかっている人間は他にいない。大坂なおみを語らせたら、私が一番」ぐらいの開き直りを持って発信するのを楽しむようになって欲しいと老婆心ながら思っている。

 

さて、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大で、経済・雇用・教育をはじめ、あらゆる分野において将来が見通せなくなっている。さらに、日頃頼りにしていた家族・親類縁者・仲間たちにも、思うようには直接会えなくなっている。だからこそ精神的な支え合いが必要になる。しかしながら ― 私はある日本を含めた国際世論調査のデータから衝撃を受けた。国際調査会社のIPSOSとイギリスの研究機関が共同で日本を含め世界28ヶ国を対象に行った調査を、今年3月に発表したものだ。3月8日の国際女性デーに合わせて公表されたが、その調査内容はジェンダー分野を越えてコロナ禍における人々の意識を理解する上で興味深い。

 

「COVID-19の世界的大流行を受けて、私は以前より地域の人々を助けるようになっている」という設問に対して、そう思うと回答した人の割合は、全体の平均が33パーセントだったのに対して、日本は10パーセントで28ヶ国中最低だったのだ(表1)

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表1:パンデミックによって前より地域の人々を助けるようになったと回答した人の割合が緑で示されている

 

さらに「COVID-19による混乱の中で、あなたの友人と家族からどの程度支援を受けたと感じるか?」に対して「支えてもらった」と回答した人の割合は、28ヶ国の平均が71パーセントだったのに対して、日本は38パーセントで圧倒的な最下位(表2)。下から2番目のポーランドの55パーセントまではなだらかに下降しているものの、日本で大きな段差を伴う減少となっている。

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表2:パンデミックの中で、友人と家族から支援を受けたと感じたと回答した人の割合が緑色で示されている

 

これらの回答のデータだけを見ると、「支える・支えられる」という地域のつながりや友人・家族からの直接の支援の関係が、日本で希薄に受け止められているのかもしれないということが浮かび上がってくる。それは即ち「助けて欲しい」という声をなかなか上げにくくなっていることも示している。

 

長期化するCOVID-19により社会全体で不安の増大やモチベーションの低下があり、これはうつや適応障害をはじめ、メンタルヘルス上の課題を生みやすい。メンタルヘルスの問題は元気な人と外見からはなかなか区別がつかず、周囲からのサポートを受けづらく、そして誰にでも起こりうることである。

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WHOもパンデミック当初から、メンタルヘルスの重要性を発信してきた ©WHO

 

実は私自身も、うつと適応障害の苦しみを当事者として経験したことがある。これからメンタルヘルスの問題に直面する人、今直面している人たちにとって、その対処方法の参考になればと思い、自分の経験について語ろうと思う。自分のこの苦い経験について書くのはこれが初めてのことだが、専門医や周囲のサポートを受けながら乗り越えられるものだと知って欲しい。

 

十数年前、国連難民高等弁務官事務所の仕事で新しい任地に日本から単身赴任してまもなくして、不安や緊張が強くなり、眠れないことや気分がふさぐことが多くなった。それまで一つのオフィスを切り盛りして成果を出していたのに対して、海外赴任で仕事環境・人間関係に大きな変化があったのに加え、新しい職場で自分の所掌すべき分野が長らく手つかずに放置されてきていたことに気づいた。自分の手に負える範囲を越えていた上、自分がイメージする「自分らしさ」を全く発揮できず、日に日に自信を喪失していった。オフィスの自席にいることがいたたまれず、10分おきにお手洗いに駆け込んではため息ばかりついていた。

 

プライベートでも、単身赴任で時差の大きな日本の家族ともなかなか話せなかった。サポートしてくれるネットワークに乏しく、大きな孤独感を抱えていた。赴任の時期がヨーロッパの暗くて長い冬の入口だったことも影響しただろう(太陽光を浴びることで活性化される「セロトニン」という脳内物質が精神的な安定に寄与すると言われている)。

 

気づけばベッドから起き上がれず、かと言って、ベッドの中にいて眠れるわけでもない。そうこうするうちに、食事の味がしなくなり、食べることが億劫になり、家の中でも立ち上がれない状況に陥った。もちろん医者に診てもらってはいたが、日本と違って彼の地では完全予約制。医者も患者も英語を母語としない者同士でのカウンセリングは、今にして思えば歯車がかみ合っていたとは思えない。数カ月間、経験したことのない体調不良が続き、思い切って療養のため日本に帰国した。帰国のためのフライトは十数時間。他人と密接する密閉空間にギリギリ耐えることができた。空港から自宅にたどり着いてテレビを点けると、バンクーバー五輪を中継していた。好発進していた織田信成選手は靴紐が切れて一転悪夢に、そして高橋大輔選手が3位で表彰台に ― 「人生いろいろ」と思ったことをいまだによく覚えている。

 

日本でかかった医者とは相性がよく、徐々に回復し、半年で日本を発って再度任地に向かった。前回の失敗を繰り返さないように、まだ夏のうちに復帰したのだが、頼りにしていた医者から離れざるを得なかったことが大きかった。再びみるみるうちに体調を崩し、日本に帰国したが、「もう自分は職場に戻れないかも」との予感があり、打ちのめされ度は大きかった。

 

病気になった当時の自分は、痛々しいほどに「優等生」で、悪い意味で「完璧主義者」。よく言えば真面目、裏を返せば融通が利かず、人の目ばかりを気にしていた。夫には「いい年して『優等生』なんて。『人生こんなもんだろう』と気楽にやってくれ」と言われた。仕事が人生の柱となっていただけに、病気で人生の優先順位を見失い、帰国した東京で、ふと気が付くと地下鉄のプラットホームの端を歩いていた。助けられたのは、勤めていた国連機関が、職員の長期の疾病休暇取得に寛容だったことだ。転勤を多く伴う、紛争と隣り合わせで治安状況が不安定な任地を多く抱え、ストレス度の高い職場環境だけに、メンタルヘルス上の問題に苦しむ職員は少なくない。

 

帰国してしばらくは、心療内科医への通院と近所の買い物以外は一日中ソファーに横たわり、窓から雲が流れるのをぼーっと見ていた。テレビでも、バラエティー番組のけたたましい笑い声に耐えられず、見るのは専らニュースと教育・教養番組のみ。文字を読むのも辛かった。しばらくすると、カウンセラーの勧めもあり、自分の気持ちが前向きになることやモノを書き出し、努めて行うようになった。私が実際に行ったことを以下に紹介する。

 

 

スポーツ選手が集中力を高め平常心を保つための「ルーティン」ではないが、気持ちが崩れそう、否定的になりそうになった時に、これらを意識的に行うと気持ちが整うことを知った。さらに、自分に出来なかったことではなく、出来たことに目を向けて、小さな達成感を積み重ねていく、ということだ。「きょうはこれができた」「あそこまで行けた」と記録を付けた。

 

また、日本での療養中に東日本大震災津波に遭遇したことも、自分が一直線ではなく斜め方向に進む選択をすることに背中を押した。多くの方々が命を落とし、住む家を失う中で、自分の抱える問題がいかに小さなことか思い知らされると同時に、長年海外で培ってきた難民支援の経験を今こそ日本に還元すべきでは、と思ったのだ。避難所の運営上の課題は難民キャンプに通じるものが多分にあり、また復興過程についても共通点は枚挙にいとまがない。多くの市民団体が震災復興支援の在り方について積極的にセミナーを開催し、政府に提言を行っていたことにも勇気づけられた。層の厚い市民社会の存在と知見の深さを実感した。

 

そんな中、ブータンの国王夫妻が被災地を訪問し、にわかにブータンが「幸せの国」としてブームになったのだが、そのブータンから国籍をはく奪され追放された難民たちに寄り添って支援活動をしてきた身としては、あまりにも一方的な伝えられ方がいたたまれなかった。この課題について詳しく書けるのは自分だけ、ただ組織に属したままでは迷惑がかかる ― 震災後の日本につなげながらブータン難民について本にまとめたいという気持ちと国連機関に所属しなくともきっとどうにかなるだろうという気持ちから、2011年いっぱいで国連難民高等弁務官事務所を退職した。そして、フリーの立場から2012年に2冊(いずれもブータン難民関連)、2013年に1冊(日本の難民受け入れについて)本を上梓し、その後2013年夏から縁あって国連事務局の日本における出先事務所にあたる国連広報センターに勤務している。国連の活動全般に関する広報発信を柱とする非常に守備範囲の広い仕事内容だが、これまでのところやりがいを持ってやって来ることができた。

 

これらの経験とうつ・適応障害からの回復、そして人生の中間地点での一直線ではなく斜め方向に進む選択は、より楽に生きられるよう人生をリセットする上で、必要なことだったと今では思っている。年齢を重ねるとともに、いい意味での「図太さ」「いい加減さ」も身に付いた。苦手なことも「トライしてみるチャンス」、緊張を伴う大舞台も「みんなに見てもらえるチャンス」と捉えられるようになった。さらに、今ある自分を支え、今立っているステージを作ってくれている多くの関係者や自分の周りのチームに感謝する気持ちも強くなった。主治医を定期的に受診し、微量の服薬を続けつつ、自分のこころと付き合っている。

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COVID-19の影響が続く中、いまいちどメンタルヘルスを保つ大切さが認識されている ©WHO/G. Motturi

 

このコロナ時代、なかなか思ったように物事は進まない。水が半分入ったコップを見て、「半分しかない」ではなく、「まだ半分ある」と考える気持ちが大切なのはもちろん、気候危機や感染症対策といった途方もなく大きな地球規模の問題も解決策を紐解いていけば、個人のアクションのレベルにまで突き詰められる。個人レベルに存在する力が集積して解決策が生まれる。「どうせ」という無力感ではなく、個人に備わった解決への力に目を向けたい。それは、メンタルヘルスを良好に保つ一助にもなると確信している。

 

日本・東京にて

根本 かおる