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「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(29) 進藤奈邦子さん

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めた新ブログシリーズ。第29回は、進藤奈邦子さん(WHO感染症危機管理シニアアドバイザー)からの寄稿です。

 

COVIDの行く先 ー 世界保健デーに思う

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1990年東京慈恵会医科大学卒、医師、医学博士。英国王立内科医協会フェロー。2014年フランスロレアル女性科学者特別賞受賞、2019年イタリア国立スパランツァーニ研究所「科学の母」賞受賞。米国ダナ・ファーバー研究所附属病院、英国セントトーマス病院、オックスフォード大ラディクリフ病院にて臨床研修。専門は内科学、感染症学。国立感染症研究所情報センター主任研究官を経て2002年厚生労働省よりWHOに技術派遣、2005年よりWHO職員。危険感染症発生情報の収集と解析、現地調査及び対応を担当。2018年1月よりシニアアドバイザーとしてWHOの感染症危機管理のブレイン役を勤める。 ©︎ Nahoko Shindo

 

「まさかこんな世の中になるなんて、誰が想像したでしょう。

パンデミックが全てを変えてしまいました。」

 

日本に住む親しい友人から、ジュネーブの私の手元に届いたクリスマスカード。次の文章に移ることができず、しばらくこの二行をじっと見ていました。少なくともこの20年あまり、私が仕事として積み上げてきたことの全てがパンデミックのためだったので、何か私の知らない言語で、意味の分からないことが書いてあるかのように感じたのです。自分が異次元に浮遊しているようにも思えました。

 

感染症の「地球防衛軍」とも言える私の同志たちも、この異次元感覚にさいなまれながらこの一年を過ごしてきたのではないでしょうか。津波のような仕事量に押しつぶされそうな毎日。自明ともいえる単純な基本がどうしてわかってもらえないのか、実行できないのか、大きく脱線していくパンデミックの運命をなんとか軌道に戻すことはできないのか。動く標的を全力で追いかける日々。


一日の終わりが近づくころ、人気のないエントランスホールを横切り執行理事会会議室に入ると、煌々と照明に照らされて今日もカメラの前で静かにプレスカンファレンスに臨むテドロス事務局長が見えます。

 

テドロス事務局長はどんなプレッシャーや混乱の下でも決して声を荒げることはなく、いつも真っ黒な大きな瞳に静けさを漂わせ、じーっと目を見据えて話されます。2002年にWHOに勤め始めてから4人の事務局長にお仕えしましたが、テドロス事務局長は不思議度ナンバーワンです。驚異的な精神力と体力の持ち主で、本当にこの人は自分と同じ人間なのかと思うことしばしばです。柔らかく静かで、ちょっとハスキーな声は説得力抜群です。テドロス事務局長はWHOスタッフを「きょうだい」と呼びます。私のことも名前の前に、「マイ・シスター」をつけて呼んでくれます。悪い気はしません。みんな一つの家族なんだということなんです。私たちのほうが、本当の家族より過ごす時間が長いのは明らかです。

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WHOテドロス事務局長、第147回執行理事会にて(2020年11月16日)©︎ WHO

 

執行理事会会議室。WHOのジュネーブ本部で最大の会議室です。木をふんだんに使ったこの巨大な空間は、高い天井から自然光のような照明が降り注ぎ、吸音素材のおかげで静寂なことこの上ありません。後方の椅子に身を沈め、正面に掲げられたWHOのエンブレムを見上げ、静かなテドロス事務局長の声を聴き、気持ちを落ち着かせて元気をもらい帰途につきます。

 

地球防衛軍、と言いましたが、私たちが目立たず取り沙汰されないほうが地球は平和だということです。取り沙汰されていないときに着々とパンデミックの準備をしていたのです。いえ、している「はず」でした。パンデミック対策の成功は9割が準備にかかっているといっても過言ではありません。2009年新型インフルエンザパンデミックの直後に組織された国際保健規約(IHR)検証委員会の議長Harvey Fineberg氏(当時米ハーバード大公衆衛生院学長)はその最終レポート発表時の記者会見で、「世界は重症のインフルエンザ、あるいは類似の地球規模かつ遷延する公衆衛生上の危機に対して病的なまでに準備不足」と述べました。WHO感染警戒プログラムではこの言葉を受け、過去のアウトブレークのデータと様々な指標を組み合わせ、いわゆる新興・再興感染症の「ホットスポット」を割り出し、それらホットスポットに照準を合わせて準備を積み重ねてきました。もちろん地域事務局のリーダーシップと国オフィスやパートナーの協力なしにはできないことです。また、パンデミックインフルエンザ枠組み条約(PIPF)[i]を作り地球規模の準備を進めてきました。2014〜2015年に起こった西アフリカのエボラウイルス病(旧名:エボラ出血熱)の大爆発では、危険感染症が世界の危機管理問題として初めて国連安全保障理事会の議題になりました[ii]パンデミック問題を政治のアリーナに持ち上げるために2017年にはGlobal Preparedness Monitoring Board[iii]が設立され、世界に警鐘を鳴らしてきました。 

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トルコでは、鳥インフルエンザ感染の対応の一環で、ヴァン大学病院にて亡くなった患者さんのベッドを消毒した(2005年)©︎ Nahoko Shindo

 

母なる地球は少しずつページをめくりながら、これから先何が起こるのか教えてくれていたと思います。1997年香港での最初の鳥インフルエンザ(H5N1)の人感染、2002〜2003年の重症呼吸器症候群SARS, 2004〜2005年ふたたび大規模になってもどってきた高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)、2009年新型インフルエンザパンデミック(H1N1)、2012年中東呼吸器症候群MERS、2014〜2015年西アフリカエボラウイルス病、2015〜2016年ジカ熱、2017年鳥インフルエンザ(H7N9)。アジア、とくに中国南東部は科学的根拠に基づき最もパンデミックの起源となる可能性が高く、中国およびその周辺諸国は真剣にパンデミック準備策に取り組んできましたし、世界銀行をはじめ多くのドナーエージェンシーが資金提供して下さいました。その結果、アジアはほかの地域に比べ、COVID-19に強固な体制で立ち向かうことができましたが、米州や欧州は対岸の火事と思ってはいなかったでしょうか。

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西アフリカ、エボラ出血熱のフィールドレスポンスを指揮した(2014年)©︎ Nahoko Shindo

 

WHOは、COVID-19は対応次第ではパンデミックにならなくて済んだのではないか、と今でも真剣に考えています。テドロス事務局長は2020年3月にCOVID-19の状況を「パンデミック」と表現しました。この時点でも各国の真剣な科学に基づいた囲い込みがうまく行けば流行拡大を抑え込めるかもしれないと考えていました。もう覆水盆に返らず、の状況になってしまったのはインド亜大陸や米州にも感染爆発が起きた夏ごろからです。

 

WHOがパンデミック宣言をしなければならない感染症は、当時も今もインフルエンザだけです。パンデミック宣言により、PIPFで約束されたパンデミックワクチンの製造にスイッチが入り、抗インフルエンザ薬やパンデミックワクチンの無償、あるいは割引供与が始まる取り決めができているからです。普段は季節性インフルエンザを作っている製造ラインを一度止め、パンデミックワクチン製造に切り替える必要もあります。もともとパンデミックは誰かが宣言したからパンデミックなのではなく、現象(Phenomenon)です。ある病原体が引き起こす感染症が世界的に拡散し、健康被害を起こす状況を言い、たとえばHIVエイズの原因ウイルス)は潜在的パンデミックになった感染症の一例です。

 

WHOは国連の健康に関する専門機関であって、その最高の意思決定機関は194の加盟国代表で構成される世界保健総会です。その世界保健総会が満場一致で採択した世界保健規約[iv]に基づいてWHOが宣言できる最高レベルの警報はPHEIC(Public Health Emergency of International Concern, 公衆衛生上の国際緊急事態宣言)であって、その宣言は2020年1月末にすでに発令されています。この時点ですべての国で緊急対応が取られるべきでした。3月のWHOによるパンデミックという認識の表明は、欧州での、それにイランでの感染爆発により、パンデミック封じ込めがほぼ失敗に終わったとの最初の敗北宣言にほかなりません。

 

地球温暖化森林伐採国際紛争、飢餓、都市化、高度に発達し多様化した人の移動と交易。すべてが新興感染症の発生を促し、爆発が起こりやすい土壌を作っています。WHOの統計によると、一年間に170余りの「パンデミックの芽」が発生していて、およそ5年に一度は感染症による顕著な社会的現象が観察されています。COVID-19はそのうちの一つであって、パンデミックはこの先起こるかどうかが問題なのではなく、いつ起こるか、が問題なのです。

 

もともと人の病原体でない微生物が人間を宿主として生き延びようとするとき、必ず初めは非効率的な現れ方をし、感染が爆発することによって多くの遺伝子変異が起こり、微生物は適応に叶った変異を見つけ出し、より感染しやすいものに変異していきます。個体として脳を持たない微生物は数と確率試行で脳の機能を代替して生き残りを目指します。個体として最も発達した脳を持つ人類が、その知恵を統合して勝てないはずがないのです。ただ、人間には社会があり、習慣があり、人々の信念と欲求があります。この裏をかいてくるのが、脳を持たないけれども群として生存繁栄を目指す微生物の賢さなのです。COVID-19の病原体コロナウイルスは、人間が社会的動物であることに目をつけ、パンデミックになることに成功したのです。

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高機能N95マスクの装着テスト。空気漏れがないことを確認してSARS病棟へ(2003年)©︎ Nahoko Shindo

 

21世紀は何事も劇的に変化する世紀です。足し算でも掛け算でもなく、指数関数的にです。しかし、まだAIにすべてを任せられるところまでは来ていません。携帯アプリなど、先端テクノロジーを使うことで接触者把握ができると高を括って、専門員による聞き取り調査をしっかり行わなかった国は、接触者把握が不十分で封じ込めもうまくいきませんでした。一方、日本では基本に忠実な方法で保健所の保健師を動員してより丁寧に調査をしたため、接触者把握が正確で対応も効果的なものになりました。動員された調査指導員たちは接触者リストを根気よく割り出しただけでなく、接触者に対する保健衛生指導も徹底して行い、フォローアップ訪問や、症状が出た接触者の訪問検査なども行いました。COVID感染拡大阻止対策の基本は正確な接触者把握であり、そのために労を惜しんではなりません。COVID-19の病原体はクラスターを作ることで広がり、クラスターなしには逆に広がれませんでした。だからこそ接触者把握を徹底してクラスターをしっかりと追うことが封じ込めの基本です。早々に市中感染(あちこちに患者が発生して接触歴がわからずクラスターを追えない状態)と諦めてきめ細やかな調査を放棄した国はその後制御不可能な感染蔓延の状態に陥り、ロックダウンを余儀なくされたのです。

 

そして日本が絞り出した3密。今3CとしてWHOも世界に発信しています。そして今度はワクチン。ワクチン開発は急速に進み、緊急使用のワクチンが使われ始めています。同時に世の中では抑え込めなかった感染爆発をワクチンをあたかも万能薬のように考えて、ワクチンを接種していれば自由に行動できるようになる、また、ワクチンパスポートのように、ワクチンを打てば証明書がもらえて海外に自由に渡航できるようになる、という風潮も広まっているように思います。しかし、それが果たして正しい解決策なのでしょうか。このワクチンはあくまでも緊急対応のワクチンであって、重症化と死亡を減らすことが最大の目的です。新しいプラットフォームで作られたワクチンで、その効果や中長期的健康被害はまだまだこれから議論されていかなければなりません。ワクチンを打った人が感染しない、感染させない、ということもまだ十分にわかっていません。手洗い、マスク、人と人との距離を取る、といった公衆衛生対策はこれまでも、ワクチン接種開始後も、引き続き対策の要です。ワクチンはあくまでもトランプでいう手の内のカードの一枚で、ほかにも強いカードをそろえ、またそれらのカードを組み合わせて勝負しなければ勝つことはできません。切り札は使い方を間違えると切り札の役割を果たせないということです。

 

今回の緊急事態は、ウイルスの感染拡大による実際の感染症による「パンデミック」と、大量の情報が氾濫するなかで不正確な情報や誤った情報が急速に拡散して社会に悪影響を与える「インフォデミック」が並行して起こったことも特筆すべきです。ソーシャルメディアなどを通じて起こったこの「インフォデミック」で誤情報や風評が流布して人々は混乱し、正しい情報が伝わりにくくなり、パンデミック対応が困難になりました。政治的決断も世論に影響を受け、科学的に推奨される対応をすぐ政策に反映する、というようなサイエンスとポリシーも今までのようにはすんなりつながりませんでした。そのほかのパワフルな「グローバル・トレンド」[v]により、パンデミックの運命が決まっていったのです。近い将来COVIDがどうなっていくのか、未来を考え、すべての重大なリスクを洗い出し、あらかじめ対策に向けて準備していく。それが私の今の最大かつ緊急のタスクです。

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シエラレオネのケネマ病院にてラッサ熱患者の治療にあたった時に共に働いたWHOスタッフや現地の人々と(2005年)©︎ Nahoko Shindo

 

スイス・ジュネーブにて

進藤 奈邦子

 

[i] Pandemic Influenza Preparedness Framework https://www.who.int/influenza/pip/en/ accessed March 2021

[ii] https://www.bbc.com/news/world-africa-29262968 accessed March 2021

[iii] https://apps.who.int/gpmb/ accessed March 2021

[iv] International Health Regulation (2005) https://www.who.int/publications/i/item/9789241580496 Accessed March 2021

[v] Global Trends 人口増加、都市部への人口集中、移民・移住、高所得国の高齢化社会、貧富の格差拡大、第四次産業革命、新勢力の台頭など。https://www.dni.gov/index.php/global-trends-home accessed March 2021