2019年夏に日本で劇場公開され、その後世界各地で上映中の映画『天気の子』は、天気が大きなモチーフになっています。この作品に命を吹き込んだ新海誠(しんかい・まこと)監督は、自分自身の実感や時代の気分としての「天気」が出発点だったと振り返ります。
「映画を作るにあたって、今の観客が何を見たいかをまず考えます。そして今、日本人が気にしているのは何かと考えたときに、天気かな、と。気候変動のこともあるけれど、それ以前に天気は僕たちにものすごく密接に関わっていて、気分を左右する大きな要因ですよね。天気は万人に関係していると考え始めたのが作品づくりの起点でした」
あらすじ
天候の調和が狂っていく時代に、離島から東京に家出してきた男子高校生の帆高(ほだか)。しかし、生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事はオカルト雑誌のライター業だった。連日雨が降り続ける中、祈るだけで晴れにすることができる不思議な力を持つ少女・陽菜(ひな)と出会う。ある事情を抱えて弟とふたりだけで暮らす陽菜に惹かれていく帆高。2人は運命に翻弄されながらも、自らの生き方を選択する。
新海監督は『天気の子』が気候危機そのものをテーマにした作品ではなく、あくまでも本質的には“ボーイ・ミーツ・ガール”の物語だと断りながらも、気候は非常に重要なインスピレーションの源だと強調します。
「現実の実感として、夏が来るたびに雨量は確実に増えている、豪雨災害が増えていることを日本の観客は共有しているはずだという認識で、世界設定を作っています。でもその中に啓発的な意図は込めていませんし、むしろ『気候変動』や『温暖化』という言葉は注意深く取り除いていきました。『啓蒙してやろう』『正しい思想を教えてやろう』というような説教的な態度は、観客には敏感に察知されてしまうものです。それによって映画が避けられてしまうような事態は防ぎたかったんです。それでも気候危機や温暖化に関する何らかのメッセージは読み取ることが可能なようには作っていますが、人によって読み取る人もいれば気づかない人もいると思います」
日本国内、そして海外で観客やマスコミと接する機会の多かった新海監督にとって、国によって反応が鮮やかに異なることは印象的なことの一つです。
「日本の観客について言うと、気候変動を連想する人はほとんどいなかったような気がします。上映後のティーチインでも、日本の観客から環境問題について聞かれることはほとんどありませんでした。日本のメディアもそういう場ではないと思っているのか、(気候変動について)聞いてきませんね。ところが、アメリカ、イギリスやフランスなどのヨーロッパ、そしてインドでは、ジャーナリストが尋ねることのメインはほぼ気候変動。観客の感想も、ジャーナリストの態度とある程度比例しているように感じました。例えばヨーロッパでは、エココンシャス(環境配慮型)ではない企業の製品は消費者から選んでもらえなくなってきているという現状があると思います。そういう国では、観客が映画から読み取るメッセージも必然的に変わってきますよね。日本の観客はこの映画と温暖化を結び付けて考える人はほとんどいなかったようで、そこはやはり国ごとの事情を反映しているのだと思います」
それはなぜなのか。新海監督なりに分析していただきました。
「今の温暖化がこれほどはっきりと目に見える形で危機的状況を及ぼす以前から、日本は他の国と比べて自然災害がとても多い国でした。だから良くも悪くも、環境の変化に過剰適応してしまっていると感じます。人間にはとても自然をコントロールできない、自然にはかなわないという感覚が、僕たち日本人のベースにはあるのではないでしょうか。それはある種の逞しさやしなやかさであると同時に、どこか諦念のようにも感じます。日本人の謙虚さでもあるかもしれません。しかしその感覚は、気候危機への明確なアクションが求められている現状では、マイナスに作用してしまっているのかもしれませんね」
「昨年の夏から秋にかけての台風は日本に大きな被害をもたらし、一部の観客からは “『天気の子』はまるで現状を予言していたかのようだ” という反応もありました。でも台風の報道はあっても、そもそもなぜこれほど台風が巨大化しているのかという報道はあまりされません。日本の観客の多くがこの映画から温暖化を連想しないということと、台風の原因に温暖化があることに思いが至らないということは、根本は同じだと思います」
新海監督の話は、10代の気候活動家であるスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさん、そして日本の若者が置かれている状況にも及びました。
「気候変動はそもそも世代(間)の問題を浮き彫りにする課題ですよね。グレタさんが怒っているのもそこ。グレタさんの行動を見て、気候危機に対して10代が運動を起こすというのは、彼らにできる唯一の政治参加がそれなのだという印象を受けています。自分たちの行く末を真剣に考えたときに、今これをやらないと自分に跳ね返ってくるという実感があるからこそのアクション。なんて冷静で合理的な行動ができるんだろうと思います。同時に、日本の観客の意識が気候変動にほとんど向かないのも、無理もないことなのではないかと思います。彼らも僕たちも、余裕がないんです。ほとんどの普通の人は目の前の日々をクリアすることで精一杯で、10年・20年後の滅びが約束されていたとしても、そこに立ち向かうことはなかなかできない。人間の持っているお金とか余暇は限られていて、特に若い世代の人たちの持ち分が減っていっているというのが実情だと思います」
メインのテーマにこそしてはいませんが、『天気の子』は若年層の貧困や閉塞感というものがモチーフに描き込まれています。
「例えば昨年公開されて大ヒットした『ジョーカー』など、最近は社会階層の二分化をテーマにした映画が増えています。『天気の子』も、主人公2人は『貧困層』です。今みんなに共感を持ってもらえるキャラクターを考えたら自然とそうなりました。(昨年カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した)韓国の『パラサイト』も同じ。同じ時代に同様のテーマが扱われるのはある意味で当然のことです。今自分が気になっていることをテーマにしようとすると、時代は自ずと作品に写るものだと思っています」
『天気の子』の英語タイトルは『Weathering With You』。Weatherには天気と並んで「乗り越える」という意味があります。迫りくる気候危機に代表される不透明な時代をともに乗り越えるために、エンターテインメントには何ができるのでしょうか?
「時間やお金が限られた中で映画館に来てもらうためには、相応の戦略と努力が必要です。ち密な画を描いてスクリーン映えする映像を作り、深く感情を揺さぶる音楽を生み出し、誰にどう届けるべきかという広報のあり方をひたすらに考えて、何とか形にしていきます」
「映画を作ることは経済活動ではありますが、それによって少しだけでも世界が良くなってほしいという願いを、僕たち作り手は共有していると思います。でも、大上段に正義を説くような作品では観客には届きません。それでも、観客は単純に楽しみたいだけではなくて、何らかの衝撃を受けたい、人生や世界観が変えられてしまうような何かを観たいはずだと思うんです。人々の時間とお金と関心は限られていて、映画も環境問題(への取り組み)も、ソーシャルゲームもSNSも、皆でその限られたものを取り合っているわけです。ですからそれら全てに、せめて善良なもの、人々を幸せにするものが少しでも含まれているといいなと願っています。僕たちも、そういう気持ちで映画を作っています。(『天気の子』の)根底には気候危機から受けた衝撃もあることを観客に知ってもらえたら、とても嬉しいです」