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「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(15) 水鳥真美さん

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第15回は、水鳥真美さん(国連事務総長特別代表(防災担当)兼国連防災機関長)からの寄稿です。 

 

気候緊急事態下におけるコロナ禍からの復興

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2018年3月、国連防災機関(UNDRR)のトップとして、国連事務総長特別代表(防災担当)に就任。それ以前は、外務省で大臣官房会計課長、在英国日本大使館公使・広報文化センター所長、総合外交政策局安全保障政策課長、総合外交政策局国連政策課長、北米局日米地位協定室長などの要職を歴任後、2011年から英国イースト・アングリア大学付属セインズベリー日本藝術研究所統括役所長を務めた。一橋大学法学部卒、スペイン外交官学校で国際関係ディプロマ取得。 ©︎ UNDRR

         

コロナ禍により世界は、前例のない厳しい状況に直面しています。日本では緊急事態宣言が解除され、私が住むスイス・ジュネーヴでも生活は徐々に新常態に移行しようとしていますが、収束に至る道筋は平坦ではありません。世界全体を見ると7月下旬に感染者数は1,500万人、死亡者数は60万人を越えました。特に米州、南アジアでは新型コロナウィルスは依然として猛威を振るっており、アフリカ大陸では、第一波のピークは来年になるとも言われています。世界はまだまだコロナ禍第一波の渦中です。そして、パンデミックの恐ろしさは、世界のどこかに克服できていない地域が存在する限り、誰にも、どこでも、安全・安心は確保されないことです。


そういう厳しい状況の中ではありますが、我々はもう一つの緊急事態下にあることを忘れてはなりません。それは、「気候緊急事態(climate emergency)」です。コロナ禍同様これも世界的な現象であり、過去20年間に発生した自然災害の9割は気候変動に関連しており、その数は倍増しています。日本では太古の昔からどちらかと言えば、地震津波、火山噴火といった、いわゆる、地質災害が恐れられて来ました。その日本でも近年、毎年のように台風、豪雨、洪水の頻度と強度が増しています。今年もまた、九州に始まり各地で記録的な豪雨が続き、多くの尊い人命が失われ、甚大な経済的損失が発生しています。亡くなられた方々、そのご家族の方々、そして住居、生活の糧を失われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

熊本、鹿児島、宮崎に甚大な被害を与えた洪水により、愛する人や家を失ったすべての人たちに想いを寄せています。避難所でのCOVID-19感染防止の取り組みとともに、懸命な救助活動が行われています。


災害ほど人々の生活に大きな爪痕を残し発展を阻害する現象はありません。その災害の大半が気候変動に関連している以上、気候変動からのリスクを軽減できず、そこからの被害発生を食い止めなければ、2030年までに達成すべき「持続可能な開発目標(SDGs)」の実現は不可能です。例えば、目標1:貧困の撲滅について見れば、毎年世界中で2,600万人が災害により貧困層に陥っています。また、目標8:経済成長に関しては、災害による全世界の経済的損失額は毎年5,200億ドルに及びます。いずれも世界銀行の統計です。また、気候関連災害による全世界の経済的損失額は上昇傾向にあり、2017年には3,000億ドル以上となりました。

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1980年から2019年までの気候関連災害の発生数とそれによる経済損失を表したグラフ ©︎ Swiss Re and UNDRR


このような状況に鑑み、2015年に日本を含む国連加盟国が採択した、防災・災害リスク軽減策としての「仙台防災枠組」、気候変動対応策である「パリ協定」、そして「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を三位一体のものとして達成しなければならない、そういう認識が国際場裡では確固たる方向性となっています。そして、日本でもこの機運が盛り上がっています。6月末、私が長を務める国連防災機関(UN Office for Disaster Risk Reduction, UNDRR)は、環境省内閣府と気候変動に強靭な世界の実現を目指して公開シンポジウムを共催しました。


このシンポジウムを通じて発信されたメッセージは、「気候変動適応策と防災・災害リスク削減策という二つの政策の統合性、シナジーを確保することが不可欠」ということです。これは具体的に、何を意味するのでしょうか。気候変動対策には、大きく分けて2つあります。一つは、気候変動の元凶である温室効果ガスを削減するための緩和策です。緩和策無くしては、人類は気候変動によってもたらされる危機的状況、climate emergencyを乗り越えることはできず、コロナ禍が霞んでしまうほどの大きな社会的、経済的困難に直面することは必至です。しかしながら、緩和策の進捗が未だ危機を回避するに十分ではない中で、気候変動によって受ける影響を少しでも和らげるための適応策への注目度も近年増しています。


昨年9月にグテーレス国連事務総長が招集した気候行動サミットにおいても、社会の強靭性を増すための適応策推進の必要性が強調され、世界銀行、緑の気候基金開発途上国の適応策支援を増やしています。

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2019年に行われた気候行動サミットのオープニングでスピーチするグテーレス事務総長 ©︎ UN Photo


気候変動適応策と災害リスク軽減策の間には、多くの共通した政策目標があります。例えば、洪水対策としての堤防強化、宅地のかさ上げ措置は、両政策の目的を同時に達成する術です。にもかかわらず、多くの国では、気候変動適応策は環境担当省、災害リスク軽減策は防災担当省が担当し、政策の統合性確保、予算の効率的使用が実現できないという、いわゆる、縦割り行政の弊害が見られます。


一方で統合性の実現に成功している例もあります。興味深いのは、南大洋州島嶼国の事例です。この地域の国々はすべからくハリケーン、洪水といった気候変動関連の災害の脅威に晒されています。ツバル、キリバスマーシャル諸島は、海面上昇によって国全体が海中に没してしまうという存亡の危機にすら晒されています。一方でいずれの国も人的、財政的資源が乏しく、縦割り行政を許す余裕もない中、これを逆手にとって気候変動対応策と災害リスク軽減策を一つの省庁に担わせ、持続可能な開発目標達成につなげるという三位一体を政府機構、政策実現のあり方に反映させています。Joint National Action Plan for Climate Change and Disaster Risk Management、通称JNAPSと呼ばれるこの方針は、2009年にトンガで初めて策定され、2017年以降はPacific Resilience Partnershipという域内全体の方針になっています。


小泉環境大臣、武田防災担当大臣が国連防災機関とともに、気候変動と防災のシナジーに関するシンポジウムを開催することを決められたことからは、省庁の壁を乗り越えてこの二つの問題、更には持続可能な開発目標の達成に一致して取り組もうという両大臣の強い決意が伺われ、国連としても心強い限りです。

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新型コロナウイルス感染症の影響で筆者(中央画面)はオンラインで公開シンポジウムに登壇し、小泉環境大臣(左)と武田防災担当大臣(右)ととも熱い議論を交わした ©︎ UNDRR


気候変動は、このまま対策が進まなければ世界に未曾有の影響を与える緊急事態ですが、コロナ禍ほどの切迫感を持って対応できていないのが現状です。パンデミックの即時の影響と比較して、気候変動の影響はじわじわと時間をかけて現れて来るためでしょうか。しかしながら今年もまた日本が見舞われた大規模豪雨災害を見れば、気候緊急事態は待った無しの危機であると言えるのではないでしょうか。


防災、災害リスク軽減の分野における日本の知名度は世界的に確立しています。数多くの大規模災害に見舞われてきた日本の強靭性強化分野における取り組みは世界的に評価されています。建築基準制度の整備、強靭なインフラ建設といったハード面のみならず、毎年の防災白書の発行、包括的防災戦略の策定、そして防災教育の普及、啓発活動の充実を進めていることはつとに知られています。また、日本は防災分野に特化した国際協力に力を入れている数少ない援助国の一つです。その日本において、近年気候変動関連の災害で人命が失われ、多大な経済的損失が発生していることは、驚きをもって受け止められています。日本ですら対応できないほど気象災害の猛威が加速度的に強まっていることについて大きな懸念が持たれています。そして、日本が今後、どのようにして気象関連災害への防災対策を強化して行くのかを世界は注目しています。


防災分野における日本の世界的知名度に限らず、環境分野においても日本は京都議定書の策定を可能とした国です。また、世界のどこに出張しても日本ほど多くの方が官民を問わずSDGsのバッジを胸につけている国はありません。コロナ禍が猛威を振るい、気候変動が世界中の人々の生活を脅かしているにもかかわらず、一致してこの危機を乗り切ろうという連帯が欠如しているのが現在の国際社会の現実です。持続可能な開発目標の達成には大きな赤信号がともっています。


日本を含む全ての国にとり、コロナ禍からの復興、特に経済、社会問題の克服が待った無しの課題であることは疑う余地もありません。一方で、コロナ禍が明らかにしたことは、世界中の国々の繁栄、その繁栄を阻害するリスクは、いずれもつながっているということです。


我々の生活を脅かすあまたのリスクがつながっているという点につき、再びコロナ禍に視点を戻して考えて見ましょう。新型コロナウィルスは何らかの野生動物が感染源であると考えられています。背景として、世界の人口が増え続けている中で、野生動物の搾取、森林破壊、生態系の破壊が進むことにより、人と野生界が接触する機会が増えていることが指摘されています。国連環境計画のアンダーセン事務局長は、このままでは「今後数年間で動物からヒトへ移る感染症は絶え間なく発生することになるのは、科学的に明らかだ」と警告を発しています。そして森林破壊、そして自然を破壊した上で無秩序、無制限に拡大する人間の居住地域は、多くの途上国において、洪水被害の増大、深刻化にもつながっています。


災害について語る時、「自然災害」という言葉がよく使われます。しかしながら近年我々を襲っている災害の頻度、強度は「自然」に増しているわけではなく、人間の営みが背景となっています。コロナ禍につぐ第2、第3の感染症の世界的発生をくい止めるためには、我々の営み、経済活動のあり方を考え直すことが不可欠です。気候緊急事態も産業革命以来の人類の活動が発展と繁栄をもたらしてきた一方で、もはや地球の正常な営み、持続可能な開発が達成できない状況に我々を追い込んでいます。人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与える新しい地質時代、「アントロポセン(人新世)」に我々は突入してしまったのです。

新型コロナウイルス感染症も災害も、予防が一番の解決策だ ©︎ UNDRR 


コロナ禍からの復興がコロナ禍以前の状況に戻ってはならず、より強靭、よりグリーン、かつ公平な新常態への復興とならなければいけないのは、こういう危機的な状況を背景としているからです。


戦後、一貫してグローバル・アジェンダの実現を引っ張ってきた日本が気候変動、災害リスク軽減、生態系の保存、そして持続可能な開発達成において、国際社会で指導力を発揮することを世界は再び待ち望んでいます。


スイス・ジュネーブにて
水鳥 真美

「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(14) 秋山信将さん(後編)

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。読者の皆さまに今後の日本と世界を考えてもらう一助となるよう、執筆者には組織を代表するのではなく個人の資格で、時には建設的な批判も含めて、寄稿いただいています。第14回は、秋山信将さん(一橋大学大学院法学研究科/国際・公共政策大学院教授)の寄稿の後編として、国際機関の体制や機能、また他ステークホルダーとの連携の有用性について考えます。

※文中の写真はいずれもイメージで、文章と直接関係はありません。

 

コロナ危機は新しい、実効的な多国間主義を考える契機である(後編)

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一橋大学大学院法学研究科/国際・公共政策大学院教授。2018年より同大学院院長を務める。それ以前は、2016年から2018年まで外務省に出向し、在ウィーン国際機関日本代表部公使参事官として、核セキュリティ、原子力安全を中心に国際原子力機関IAEA)での原子力・不拡散外交に携わる。また、2010年、2015年の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議には日本政府代表団アドバイザーとして参加。最近では、外務省の「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」メンバーを務める。一橋大学博士(法学)© ︎Nobumasa Akiyama

 

新たな多国間主義のあり方を目指して 

今後の多国間主義を通じた国際協力を考えるにあたって二つのカギとなる考え方を示したい。一つは、グローバル・ガバナンスの「重層化」である。そしてもう一つが、「マルチ・ステークホルダー」化である。いずれも国際機関をめぐる議論においては目新しい概念ではない。しかし、今回のパンデミックの中でのマルチラテラリズムの危機を目の当たりにし、改めてガバナンス改革の方向性としてこの二つの重要性を確認したい*1

 

今回の感染症パンデミックのようなグローバルな規模の危機への対処の実効性を高めるためには、対策のループホール(抜け穴)を作らないという点で国際的な協調が不可欠である。例えば、今回の新型コロナは、感染力が比較的強いために、時期は相前後するものの世界各地に蔓延しており、また免疫のメカニズムも明らかになっていない。一方で人の往来を完全に遮断し続けることは不可能である以上、世界規模での対応が必要であり、そのためには、グローバルな対応における「ウィーク・リンク(弱い鎖の輪:一つの輪が弱ければ鎖は役に立たないことの喩え)」を作らないことが重要である。その国際協調を実現するプラットフォームは、国際機関、今回の場合には世界保健機関(WHO)が中心となるが、国際機関のキャパシティやマンデートを考えると、国際協調をその枠内で追求するだけでは不十分である。

 

今回、WHOに対して、その危機対処ぶりに関して各国から多くの不満が寄せられていた。中国との間で、とりわけ初期段階において情報共有が円滑にできていなかったのではないか、またWHOから提供された新型コロナウィルスの特性や対処方法に関する情報が不適切であったのではないか、といった不満である。こうした不満が出るのは、新型コロナが新しい感染症であったことや、主権国家の集合体である国際機関の宿命として効果的に業務を遂行するためには、当事国たる加盟国と協調的な姿勢を取る必要があったということで理解できるが、そのことは、WHOの統治体制の見直しやエンパワーメントが不要ということを意味しない。

 

しかし、主権国家の集合体としての国際機関の側面を考えると、国際機関そのものの能力を強化するという国際協調体制改善の方向性の限界も認識したうえで、国際機関の強化と並行し、国際協調の重層化とネットワーク化を通じた、グローバル・ガバナンスの能力強化の方策を志向することも必要である。具体的には、有志国家間での協力体制の強化や、民間レベルにある専門知識や情報ネットワークの活用のために、エピステミック・コミュニティ(Epistemic community: 知識共同体、専門知を持つ人々の集団)/市民社会といった多様なステークホルダーのコミットメントを高め、国際機関と連携を取りつつ、国際社会全体としての能力向上を図るという方向性である*2。新型コロナの危機における国際社会の対応ぶりは、こうした形のガバナンスの改善が必要かつ有効であることを示している。

 

新型コロナは未知の感染症で、感染力や症状などが解明されておらず、また、効果的な治療法はいまだ確立されていない。そのような中で、政府の持つ情報や能力だけでは対応が追い付かず、各国政府の対策の策定にあたって感染症の専門家の役割に注目が集まった。さらに、感染者数や感染のパターン、あるいは症例などのデータが出始めると、政府や政府と密接に連携している専門家だけでなく、大学や研究所などに所属する研究者が、SNSなどを通じて情報や知見を交換しながら、様々な知見が蓄積されていくという現象がみられた。しかも、このような情報の交換と知の蓄積は、医学界、疫学の専門家という狭いコミュニティに留まらず、数理統計学や心理学、人工知能(AI)によるビッグデータ解析など多様な領域の専門家を巻き込む形で広がっていった。

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新型コロナウイルスのワクチン開発が世界中で進められている ©︎ UN Photo/Loey Felipe

 

このような専門家のコミュニティ(エピステミック・コミュニティ)は、政府の対策に対する「ピア・レビューワー(peer reviewer: 一種の査読者)」の役割を果たし、またある時には政府外の専門家の知見や情報が、政府内部の政策形成過程の中に取り入れられ、手探りの中で進められていた感染症封じ込め対策の改善に貢献したと言っても良いであろう。

 

また、言うまでもなく、感染症の症例に真っ先に触れるのは医師であり、そのほかの医療従事者である。新型コロナ危機において、中国政府からの情報提供のあり方に関する不満や不信感が国際社会に充満したが、従来の政府の担当窓口を通じたWHOへのコミュニケーション(通報や情報提供)が国家の利害関係の中で適切に機能しえないのであれば、医師や研究者といった非政府や市民社会の主要アクターが直接参加し、情報を提供・共有できるようなネットワークを構築することも一つの方策であろう。

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アフガニスタンイスラムカラで、新型コロナウイルスによる脅威に最前線で対応する医療従事者たち ©︎ UNOCHA

 

このようなエピステミック・コミュニティのネットワークを通じた早期通報、情報共有、そして集まってくる情報の科学的検証をネットワーク上の集合知にも一部頼りながら、公的なチャネルで活動するWHOを補完し、関係国やWHOに対し、蓄積されたデータによるエビデンスをもとに代替案を提示しつつ対応を促したりすることを可能にする。エピステミック・コミュニティのチャネルに情報が流れ、様々な、しかし専門的な知識に裏打ちされた情報や知見が社会に共有されることにより、国際機関や各国は、ある種のピア・プレッシャーも受けることとなり、国際機関や各国政府は、自らの危機への対応力(responsiveness)、情報公開等における透明性(transparency)や政策の妥当性や適切性に関するアカウンタビリティ(accountability)を高めていかざるを得なくなり、結果として国際社会全体での危機対応能力が向上することが期待できる。

 

その際に留意すべきは、このようなエピステミック・コミュニティのメンバーで、ネットワークを通じ早期通報を行った者が、国家の利益を損ねたという理由から当該国政府により罰せられるというような可能性もあるという点である。例えば感染症の情報というのは、国家安全保障に直結すると考えられており、そのような情報を漏洩することを禁じる国もある。また、政府の威信や国民からの信頼を維持するという観点から、政策の失敗ともとられかねない感染症の流行に関する情報の提供を躊躇する政府も出てくるであろう。しかし、国境を越えて影響が広がるパンデミック危機においては、一国の国益よりも国際公益を優先させるべきである。さらに言えば、国内においても、ある地域での感染症の流行を隠ぺいすることにより、国内の他の地域での感染症の蔓延を引き起こすリスクもある。そこで、そのような「公益通報」行為を行った専門家(whistleblower: ホイッスルブローワー)の権利保護の方法についても考える必要性があるだろう。その意味では、安全と人権の衡平性を確保する観点からも人権や民主主義の専門家の関与も欠かせない。

 

他方で、災害時に見られる社会的な現象に「インフォデミック(infodemic)」がある。ソーシャルメディア上などで真偽や出所不明な情報、あるいは「フェイクニュース」と呼ばれるような虚偽の情報が流通し、これらの情報が人々をパニックに陥れることによって社会的な混乱が生じるような状況が、今回の新型コロナのパンデミックでも、世界各地で生じていた。そのためには、誤った情報が否定され、その代わりにより確度の高い、出所の明らかな情報が流通されるべきであるが、エピステミック・コミュニティのネットワークを通じて発信される情報に、そうした「フェイクニュース・バスターズ」的な役割も期待しても良いのではないだろうか。

 

このようなネットワークはまた、医療機器や防護服など緊急時対応のための資機材の備蓄や生産拠点の所在に関する情報をあらかじめネットワークに登録しておき、緊急時には、感染症の流行状況やトレンドを適切に把握・予想して、資機材を相互に融通するためのプラットフォームとして活用しえるかどうか、検討しても良いであろう。新型コロナ対応で世界的に医療資機材が不足し、奪い合いになったことは記憶に新しいが、もしこのような危機対応時における資機材の相互融通が効率よく行えるようなネットワークが構築されれば、各国ごとに備蓄や生産体制を囲い込むよりも効率的かつ、おそらく迅速に物資の供給が可能になるであろう。

 

おわりに

新型コロナ危機によって、国際機関を通じた多国間協力への悲観論が高まっている。しかし、国際社会は、グローバルな取り組みを必要とする問題が深刻化している(そして、そうしたグローバルなイシューを単独でリーダーシップをとって解決できるような超大国が存在しない)今こそ多国間主義を必要としている。そこには、主権国家の集まりとしての国際機関が抱える制度的制約という構造的な問題が立ちはだかるが、それを悲観もせず、また理想論に固執することもなく、どう乗り越えるかを、従来の思考の枠組みを超えて柔軟かつ複眼的に考えていくことが求められよう。

 

本稿では、一つのアイディアとして、多国間主義の実効性を確保するためには、国際機関自体のガバナンスを改革していくことも重要であるが、その国際機関が政策領域のグローバルなガバナンスを、エピステミック・コミュニティ/市民社会のネットワーク化を通じた重層性を確保していく形で強化・改善していく方向性について述べた。このような重層性は、開発支援や、国際保健の分野でも公衆衛生など、すでに様々な政策領域においてみられる現象であるが、今後、政策の専門的技能や情報を国際機関などの公的セクターが独占することは一層困難になるであろうし、それを考えると、いかに民間(市民社会)という別のレイヤー(層)の国際協調ネットワークを構築し、公的レイヤーの国際協力との間での相互補完性を高めていくことは自然の流れのように思える。加えて、このような国際協調の重層化は、多様性と民主的価値を重視するリベラルな国際秩序における規範との親和性も高い。その観点からは、こうした多国間主義の重層化(ネットワークの構築)を、民主主義の有志国が支援に動いても良いのではないだろうか。

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UNDPの支援のもと、バングラデシュのコミュニティーワーカー達は、衛生用品の配布と新型コロナウイルス予防の啓蒙活動を行なっている ©︎ UNDP Bangladesh/Fahad Kaizer

 

さらに言えば、ともすれば、米国と中国という、対立を激化させている超大国の間にあって、パワーポリティクス的パラダイムで国際政治を見がちな日本ではあるが、同時に、日本ほどあらゆる面で国際社会との繋がりがなければ成り立たない国家はない。そのような国にとっては、より強靭且つしなやかなグローバル・ガバナンス、すなわち重層的なガバナンスは、良好な国際環境を構築・維持するうえで大きなメリットでもあるわけで、日本がこのようなネットワークづくりをスポンサーするくらいのビジョンがあっても良い。なお、これは、現下のパンデミック危機の中で浮上した別の重要なテーマである、データのフェアで公正な取り扱いに係るルールや規範作りという、ポストコロナの社会経済生活あるいは国家と個人の関係を規定しかねない大きな課題にも連なるテーマであると言える。

 

本稿で述べたガバナンスの重層化は、多国間協調のあり方をよりよくしていくための、一つのアイディアに過ぎない。しかし、今後、より良い多国間協調、あるいはグローバル・ガバナンスの制度設計と実現について、多くの人々がアイディアを出し合い、相互にレビューすることは、実はグローバル・ガバナンスを改善するうえで、多くの人たちのコミットメントを促すことにもつながり、それ自体にも重要な意義があると考える。

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Forum of Small States (FOSS) は、6月に国連憲章署名75周年記念イベントを開催し、多国間主義の重要性について議論した ©︎ UN Photo

 

日本・東京にて

秋山 信将

*1:新型コロナウィルスに対するWHOの対応とそこから導かれるガバナンス改革の在り方についての詳細は、拙稿「新型コロナウィルス対応から見る世界保健機関(WHO)の危機対応体制の課題」、日本国際問題研究所レポート、2020年5月17日を参照。

*2:エピステミック・コミュニティについては、International Organization, Vol. 46. No. 1. (Winter 1992)の特集号を参照。

「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(13) 秋山信将さん (前編)

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。読者の皆さまに今後の日本と世界を考えてもらう一助となるよう、執筆者には組織を代表するのではなく個人の資格で、時には建設的な批判も含めて、寄稿いただいています。第13回と第14回は、秋山信将さん(一橋大学大学院法学研究科/国際・公共政策大学院教授)からの寄稿を二部構成でお送りします。今回は前編として、パンデミックにおける多国間主義、そして国際機関の体制改革の重要性について考えます。

※文中の写真はいずれもイメージで、文章と直接関係はありません。

 

コロナ危機は新しい、実効的な多国間主義を考える契機である(前編)

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一橋大学大学院法学研究科/国際・公共政策大学院教授。2018年より同大学院院長を務める。それ以前は、2016年から2018年まで外務省に出向し、在ウィーン国際機関日本代表部公使参事官として、核セキュリティ、原子力安全を中心に国際原子力機関IAEA)での原子力・不拡散外交に携わる。また、2010年、2015年の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議には日本政府代表団アドバイザーとして参加。最近では、外務省の「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」メンバーを務める。一橋大学博士(法学)©︎ Nobumasa Akiyama

 

はじめに:グローバリゼーションの反逆

新型コロナが我々の生活に与えた影響は、質的にも、また規模の面でも莫大なものであることは言を俟たない。

 

人類の、あるいは国際社会の発展の歴史という視点から見ると、今我々は、我々がこれまでたどってきたグローバリゼーションの歴史から逆襲を受けているようでもある。「国際社会」がグローバル化していく過程は、また、感染症グローバル化する歴史でもあった。

 

コロンブス交換」とは、アメリカの歴史学者ルフレッド・クロスビーの有名な言葉だが、食物や動物など多くのものが大陸を超えて行き交うことで、世界中の生態系、社会生活を変えてしまったことを指す。この「コロンブス交換」によってヨーロッパにはジャガイモやトウモロコシがもたらされ、アメリカ大陸には、牛や馬、ヒツジといった家畜がもたらされた。ほかにも奴隷がアメリカ大陸にもたらされ、世界の生態系や生活様式などあらゆるものが変革した。両大陸間で交換されたものはそれだけではない。感染症もまた「コロンブス交換」によって大西洋を渡った。ヨーロッパからアメリカ大陸には、コレラ、インフルエンザ、マラリア、ペスト、天然痘結核などがもたらされた。遺伝的に免疫を持たないアメリカ大陸の先住民族は、これらの病気によって壊滅的な被害を受け、レコンキスタから100年後、メキシコの原住民の人口はレコンキスタ前の3パーセントにまで減少してしまったとの研究もある。

 

また、アメリカ大陸からヨーロッパにもたらされた感染症の一つに梅毒があると言われている(諸説ある)。ヨーロッパにおける梅毒のアウトブレークがはじめて記録されたのは1494年のことだった。フランスの侵略を受けていたイタリアのナポリで起きたものである。このヨーロッパでの初めてのアウトブレークからわずか4年後の1498年には、梅毒はアジアに到達していた。そして、日本ではじめての梅毒の記録は、1512年の大坂での症例である。ヨーロッパへの伝播から20年で(ヨーロッパから見て)世界の東の果てまで到達したということになる。ちなみに鉄砲は、種子島に伝えられたのが1543年なので、8~9世紀の唐で銃の嚆矢といえる「火槍」が発明されてから600年ほどかかったことになる。ある意味では、感染症は、戦争のあり方を、そしてそれによって政治のあり方を変えることにもなる近代的な兵器よりも、30年も早くグローバル化したということになる(なお、その40年後には日本は世界最大の銃保有国になっている)。それでも、当時新しい病気が地球を一周するのには20年かかった。

 

しかし、新型コロナは、中国の武漢で初めての症例が世界保健機関(WHO)に報告されたのが2019年12月で、それからわずか5か月で世界中ほとんどの国で感染が確認され、死者の数は半年で50万人近くにまで膨れ上がった。

 

現在のところ、この感染症に対する有効な治療方法は確立されておらず、ワクチンなど感染を防止する医学的手法が見つかっていないため、人の移動が著しく制限され、また物流も滞っている。アウトブレークの第二波、第三波を避けるためには、今後も人やモノの移動は一定程度制限されるであろうし、かつてのレベルにまで人やモノの流れが回復するのには時間がかかるであろう。カネや情報の移動はそれほど制約を受けないのかもしれないが、生産や物流などの経済活動は停滞し、いくつかの分析は世界経済の回復には数年を要するとの見方を示している。

 

一方、密集を避け、リモートでの会合が常態化するなど、人々の行動様式も変化していくであろう。感染症の封じ込め対策を進める中で、人々の間には、移動の自由を奪い、そして安全のために自由を抑圧することを一定程度許容するマインドを生んだ。これは、国家の権威への依存の高まりと民主主義や人権といった、これまでの我々の「自由な」社会が依って立ってきた基盤の浸食でもある。

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アルジェリアでも、フェイスマスクをつけて食料品(パン)を販売している ©︎ ILO/Yacine Imadalou

 

また、新型コロナのパンデミックは、国際協調が「主権国家」の前にいかに脆いものであるかを白日の下にさらした。シェンゲン条約による人の往来の自由は閉ざされ、輸送途中のマスクや人工呼吸器でさえも国家間で奪い合う事態まで起きるありさまは、近代か中世を彷彿とさせるようでもあった。いくつかの国は、今回の危機を教訓に、医療機器などを戦略物資と位置付け国産化を進めたり、また産業のサプライチェーンの国内回帰などを進めようとしている。

 

国際秩序を支えるはずの大国に目を向けると、いち早く危機からの脱出を宣言した中国は「健康一帯一路」戦略を打ち出し、「マスク外交」にいそしむ。そして、米中の戦略的競争が激化する中で、米国首脳は、国内政治的要素もあるとはいえ、パンデミックの発生に関し中国責任論を強硬に展開し、さらにWHOについて、その立場が中国寄りであると批判し、脱退を宣言した。この数年、米中の戦略的競争と対立の激化の中で、地政学復権が言われている。新型コロナのパンデミックをめぐる国際政治の喧噪は、こうした見方を補強するようにも思える。「主権国家」の本質がむき出しになった現在の状況では、国際協調という言葉がむなしく響く。

 

グローバリゼーションは止まらない:多国間主義は重要であり続ける

しかし、グローバリゼーションによって受ける恩恵にいったん味を占めた人類は、グローバリゼーションという人類の発展パラダイムを放棄することはできないであろう。加えて、情報やデータ、通信など、おそらく今後我々の生活を規定していく上で極めて重要な意味を持つことになるであろう技術は、不可避的に「国境」という概念とは親和性が薄い。

 

おそらく、我々は、当面のところ、変容しながらも深化するグローバリゼーションと主権国家の権力の肥大化という二つの潮流が引き起こすパラドクスの渦の中で泳いでいくしかないのであろう。

 

感染症パンデミックに留まらず、経済格差と不平等、気候変動問題、テロ、大量破壊兵器の拡散など、今国際社会が抱える問題は、グローバリゼーションが変質し、主権国家間の利己的な利益追求が主流となる近代(あるいは19世紀的世界)へと国際政治の時計の針が逆回転したとしても、それによって解消されるものではないどころか、深刻さを増すことになろう。その原因も影響もグローバルな課題は、いずれにしても国際社会の協調なしに解決することは不可能であり、国際社会は、これらの問題を解決することなしに、持続可能で平和な生活を獲得し維持することはできない。

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シリアにある避難民テントで佇む少女 ©︎ UNICEF/Omar Albam

 

本来であれば、このような国際協力を調整し推進する役割をになうのが国際機関であるはずだ。しかし、残念なことに、国際機関もまた、新型コロナの犠牲者となりつつある。WHOによる新型コロナの危機対応については、アウトブレーク初期の段階で適切な情報提供や移動制限等の警告を発することができなかったという、組織の活動の実効性に係る不満が高まったことは否定できない。それゆえに各国からの信頼を獲得するのに失敗したという面はあろう。だが、トランプ大統領のWHO脱退宣言に象徴されるように、各国からの批判の中には、WHOが中国の影響下にあり、中国に対して妥協的なアプローチをとったがゆえに正確な情報を国際社会に対して伝えることができなかったのではないかという、中国の台頭に対する脅威論を念頭に置いたような極めて政治的な文脈での批判も少なくなかった。

 

しかし、そもそも国際社会は主権国家によって構成され、国際機関はその主権国家の集合体でもある。感染症の流行に関わる情報は、経済活動、社会の安定にとって大きな影響を与えうるものであり、国家安全保障という観点からも極めて高い機微性を備えているということに留意する必要がある。理念上は、そうした各国の個別利害を乗り越え、国際社会全体の福祉のために自国(自政府)に不利な情報であったとしても積極的に情報を共有し、国際機関(今回の場合にはWHO)をハブとして国際協力を推進すべきなのであろう。しかしながら、現実にはそのような理想的な協力体制の構築は容易ではない。

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イランで新型コロナウイルスの対応にあたるWHOの職員や公衆衛生の専門家たち ©︎ WHO

 

中国からWHOへの情報提供に関しては、今後様々な調査などでその実態が明らかになっていくであろう。その是非については、正確な情報や調査報告を受けて議論することが必要である。同時に、一般論で言えば、このような国際機関加盟国からの情報提供の不備や協力的な姿勢の欠如というのは、中国に固有の問題ではなく、他国であったとしても起こりえる事態でもある。これは、善悪の問題というよりも、国際社会の構造自体に由来する問題である。主権国家という制度、そして秩序や法執行をつかさどる中央権力が不在で、各主権国家がそれぞれ独立して存在し、時に利害をぶつけあうのが国際社会の現実である。

 

もちろん、それが現実だからと言って国際機関不要論や国際協力批判論に与するのは単純に過ぎる。すでに述べたように、国際社会の安定と繁栄を望むのであれば、国際社会における協力なしに解決が不可能な諸問題に取り組む必要がある。それは、気候変動や大量破壊兵器の拡散、経済格差や不平等などの問題は、放置しておけば人類の生存や我々の社会の持続可能性に大きなリスクをもたらすものであるからだ。

 

であるならば、今挙げたような国際社会の制度的な特性と、それによってもたらされる国際機関の機能的限界をよく見極めて、国際機関をどのように活用するのが最適なのか、という視点からもう一度国際機関の体制や機能を見直すガバナンスの改革を構想していくべきであろう。

 

後編では、この国際機関の体制や機能、また他ステークホルダーとの連携の有⽤性について、考えてみたい。

  

日本・東京にて

秋山 信将

「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(12) 村上由美子さん

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第12回は、村上由美子さん(経済協力開発機構OECD)東京センター所長)からの寄稿です。

 

ピンチはチャンス – よりよいアフターコロナ社会を目指して

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2013年に経済協力開発機構OECD)東京センター所長に就任。 OECDの日本およびアジア地域における活動の管理の責任者を務め、政府、民間企業、研究機関及びメディアなどに対し、OECDの調査や研究、及び経済政策提言に取り組む。それ以前は、主にニューヨークで約20年間投資銀行業務に就き、ゴールドマン・サックス及びクレディ・スイスのマネージング・ディレクターを務めた。著書に「武器としての人口減社会」がある。上智大学国語学部を卒業、米国のスタンフォード大学修士号を取得、ハーバード大学院で経営修士課程(MBA)を修了 ©︎ Yumiko Murakami

 

私が勤める経済協力開発機構OECD)は本部がフランスのパリにあり、多くの同僚が新型コロナウイルスに感染しました。幸いにも命を落とすケースは免れましたが、重症化し入院治療を受けるスタッフもいました。そんなフランスも、コロナウイルスの収束へ動き出しています。OECD本部は6月1日から段階的に出勤が始まりました。まだまだ限定的ですが、少しずつ日常を取り戻しています。

 

コロナ後はより強く包摂的な社会を構築しなければならないという問題意識を持った各国のリーダー達は、OECDで政策議論を再開しています。こうした議論に貢献すべく、OECDでは新型コロナウイルスに関するデータや政策提言をまとめた特設サイト(リンクを開設し、コロナが経済・社会・教育・貿易・租税・環境などに与える影響を分析したポリシーブリーフをこれまでに100本以上公表しました。 

新型コロナウイルスの特設サイトの日本語版を立ち上げ、最新のデータや政策提言を発信している © OECD

 

日本でも緊急事態宣言が解除され、社会経済活動が再開しました。公衆衛生上の危機的状況はピークを過ぎたかのように思えますが、強烈な打撃を受けた日本経済は多くの社会課題を顕在化させ、その解決には大胆なアクションが必要です。コロナウイルスは全ての人の健康の脅威となり、無差別に全ての人の生活を脅かします。しかし、コロナウイルスの影響から身を守る手段は、それぞれの人が置かれた社会経済的な立場により大きく異なります。その結果、コロナ危機の影響をより強く受けた人達は、生活の再建により多くの時間とリソースが必要になります。国全体で適切な対策をとらなければ、コロナが社会の分断に繋がる危険性も高まります。

 

新型コロナウイルスによるパンデミック以前から、日本は男女の経済格差がOECD加盟国中最も大きい国の一つでした。男女の賃金格差は約25パーセントもあります(表1)。安倍内閣の成長戦略として女性活躍が推進され、この数年間で女性の就業率は7割まで上昇し、今はアメリカよりも働く女性の割合は高くなっています。しかし、多くの女性が就業しても、男女の賃金格差の是正には繋がっていません。意思決定を行うリーダーや管理職のポジションに就く女性は依然として少なく、男性と比較して低い立場で働くケースが多いのが現実です。特に、非正規雇用やパートタイマーの女性割合は高く、報酬や職の安定性が不十分な状況下に置かれています。このような男女格差が、コロナ危機を経て更に悪化する可能性は否定できません。外出制限により多くのビジネスが影響を受けていますが、特にサービス業の中小企業で働く非正規労働者は、最も被害を大きく受けている可能性があり、その多くが女性です。失業や減給の影響を受けても、コロナ不況の中、再就職は容易ではないでしょう。

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表1:OECD加盟国における男女の賃金格差。日本のデータは黄色く表示されている(クリックすると画像を拡大表示できます) © OECD Gender Data Portal

 

休校で子供達が在宅している家庭でも、男性より女性により負荷がかかる構造が見えてきました。コロナ危機以前から、日本では男女の無償労働時間に大きな隔たりがありました。家事や育児に費やす時間は、OECD加盟30カ国の男性の1日平均が136分なのに対し、女性は262分と2時間以上も長いという統計があります。日本の場合、男性の無償労働時間は41分と特に短く、OECD加盟国の中でも最低レベルです(表2)。リモートワークが普及し、通勤時間もなくなり効率良く働けると期待されましたが、家事や育児の負担が増え生産性が低下したと感じる女性が多いことが様々な調査で指摘されています。また、子供の休学により止むを得ず欠勤しなければならないケースは、圧倒的に男性より女性が多いようです。

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表2:家事などの無償労働に費やす1日当たりの時間。男性の無償労働時間に費やす時間は黄色く記されており、日本(下から4番目)の男性の無償労働時間は最も短い(クリックすると画像を拡大表示できます) © OECD Gender Data Portal

 

さらに日本の抱える深刻な問題として、子供の貧困があります。特にひとり親家庭の子供の貧困はOECD加盟国中最悪のレベルです(表3)。背景には、男女の経済格差や、離婚後の親の扶養義務不履行などがありますが、コロナウイルスはそのような苦境にさらに拍車をかけることになりそうです。ひとり親家庭のほとんどが母子家庭ですが、彼女達は男性より経済的に不安定な場合が多く、コロナ不況の影響を受けやすい立場にあります。加えて、休校中の子供達の面倒も一人で見る以外に選択肢はありません。休校中の子供達は、インターネット環境が整っていれば学校や塾のオンライン学習で勉強の遅れを取り戻すことも可能かもしれませんが、貧困家庭ではそのような環境を整えるのは困難でしょう。コロナウイルス感染拡大以前から深刻だった子供の貧困問題が、パンデミックによってより悪化しないよう、我々は早急に対策を打ち出さなければなりません。

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表3:子供がいる世帯で家計を支える大人が一人の場合(ひとり親家庭)と複数の場合の貧困率(クリックすると画像を拡大表示できます) © ︎OECD Family Database

 

ピンチはチャンスという諺があります。今回のコロナ危機により引き起こされたピンチをいかにチャンスに変えることができるのか、私達一人一人が考えなければなりません。男女の経済格差や子供の貧困はコロナ以前から日本にとって大きな課題でした。日本社会に内在していた格差問題が、コロナウイルス感染拡大により顕在化してきた今こそ、この問題の真の解決策を探るチャンスだと捉えることができるのではないでしょうか。コロナ後を生きる私たちに求められるのは、単に社会生活をこれまで通りに戻すことではありません。コロナによって露呈した様々な社会の矛盾や不平等をどうすれば乗り越えられるのか、知恵を出し合いながら行動することが必要なのです。

 

変化は少しずつ芽生えているのではないでしょうか。例えば日本ではなかなか普及しなかった電子署名なども、コロナ禍を機に導入する企業が出始めています。これによって今後企業間の取引などビジネスのスピードはさらに加速するでしょう。オンライン診療の普及や非接触技術・医療テックの進歩など、コロナが撒いた新たなイノベーションの種はこれから大きく花開く可能性があります。変化は技術面だけにとどまりません。オンラインミーティングの普及で、物理的に集まらなくてもコミュニケーションや意思決定は可能だと気付いた人も多いのではないでしょうか。私たちのマインドにも、コロナによって大きな変化が起きています。

 

重要なのは、こうした変化の中核に、持続可能な開発目標(SDGs)の精神である「誰一人取り残さない」を据えることです。コロナによって加速度的に進む変化の根幹に「誰一人取り残さない」という視点を盛り込み、一人一人が包摂的な社会を作るアクターとなって行動すれば、ビフォーコロナ時代から根強く残る男女格差や子供の貧困などの問題にも解決策を打ち出せるのではないでしょうか。そして、個人・企業・国のすべてのレベルの行動によって包摂的な社会を作ることができれば、懸念されるコロナの第二波、そして将来起きるかもしれない未知のパンデミックに備えることも可能なはずです。

 

問題を見て見ぬふりをするのは、ビフォーコロナで終わりにしましょう。アクションを必要とする方向へ私達一人一人が主体的に動けば、アフターコロナの世界はビフォーコロナよりも良い社会になるはずです。


日本・東京にて

村上 由美子

「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(11) 国吉浩さん

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第11回は、国吉浩さん(国連工業開発機関(UNIDO)事務次長)からの寄稿です。  

 

ニュー・ノーマルでも変わらぬもの

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2017年に国連工業開発機関(UNIDO)事務次長に就任。同ポストへの就任直前は、2016年からUNIDO東京事務所長。それ以前は、経済産業省、国立研究開発法人新エネルギー・産業技能総合開発機構(NEDO)、東京工業大学などで、イノベーション、エネルギー、技術協力、安全規制など、技術に関わる様々な政策・制度の立案・実施に従事。東京大学工学部卒業、ケンブリッジ大学国際関係論修士京都大学エネルギー科学博士。© UNIDO

 

日本では緊急事態宣言が解除されてから、一ヶ月以上が経過。その後もぶり返しの懸念が消えたわけではありませんが、少しずつコロナ後の社会へ向けて動き出しつつあります。私の勤務する国連工業開発機関UNIDO:United Nations Industrial Development Organizationがあるオーストリア(ウィーン)を含め、ヨーロッパ各国も制限を徐々に緩め、慎重に社会経済活動の再開を進めています。

 

オーストリアは、ヨーロッパで最初に感染爆発が起こったイタリア北部と国境を接していることもあり、いち早くロックダウンの措置をとりました。スーパーなどでのマスクの着用も、ヨーロッパ諸国の中ではいち早く義務化に踏みきりました。それまでマスクの着用は覆面禁止法により禁止されていたので、180度の方針転換です。こうしたオーストリアの措置や最近の段階的緩和は、うまく行っている例として、日本のメディアでも紹介されていました。とはいっても、6月30日時点で、オーストリアの確認感染者数は累計約18,000人、死者数は約700人。直近一週間の新たな確認感染者数は一日平均54.6人ですので、国の人口が約900万人と日本の14分の1程度であることを考えれば、数字を見る限り日本の方が遥かに良い状況にあります。

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地下鉄などウィーンの公共交通機関に貼られているマスク着用指示のステッカー。コロナが広がるまで、マスクを着用することは覆面禁止法で禁止されていた。 © Hiroshi Kuniyoshi

 

コロナへの対応は私達の生活を大きく変えました。UNIDOも、現在では段階的に職場復帰を進めていますが、3月中旬から5月中旬まで職場をほぼ完全に閉鎖し、在宅勤務をしていました。途上国の産業発展のために世界中を飛び回って仕事をしていたものが、突然ほぼすべての仕事がオンライン会議に置き換わりました。世界各地で展開しているプロジェクトでも、PPE(マスク、手袋、防護衣等)の製造、流通に役立てたり、医療廃棄物の処理を進めたり、といったコロナ下ならではの緊急対応を数多く行いました。

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UNIDOの建物内のエレベーター。18人乗りだが、現在は最大4人までの制限となっている。© Hiroshi Kuniyoshi

 

コロナ後も、途上国の衛生、医療関係の産業を力強く支援していくことになります。そして中長期的には、より幅広い産業分野で、寸断されたサプライ・チェーンの回復、生産能力の強化などにより、持続的産業発展を支援していきます。日本の経済がコロナに伴って大きな打撃を受けたのと同様、世界各国の経済が大きなダメージを受けています。特に、体力のない途上国はその被害が大きくなるだろうと予想されています。

 

『コロナ後』と言ったときに、近いうちにコロナが基本的には収束した社会となるのか、何年にもわたる長い期間コロナと共存していく社会となるのか、今の時点では見通せません。いずれになるにせよ、『コロナ後の社会』がこれまでの社会と大きく異なるものとなることは間違いないでしょう。ライフスタイル、ワークスタイルから、サプライ・チェーンなどの産業形態、世界経済・政治まで、あらゆる分野にわたっていわゆるニュー・ノーマルが議論されています。

 

ニュー・ノーマルを考えた時、オンラインによる在宅勤務の増加・定着など、コロナ後それまでの社会と変わるものはいろいろ想像できますし、それらを見通しておくことはもちろん重要です。同時に、人類として何を変えずに守るべきか、さらにこれを機により積極的に進めるべきか、を考え、コロナ後により良い社会を構築していくことが重要だと思います。 

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ウィーン市内のマスクをつけられた彫像。こういう発想は、世界共通のようだ。 © Hiroshi Kuniyoshi

 

一例は、気候変動への対応です。各国のロックダウンにより、経済活動がとまり、温室効果ガスの排出量は激減しました。国際エネルギー機関(IEA:International Energy Agency)の報告によれば、2020年の二酸化炭素排出量は前年比-8%と試算されています。しかしこれだけ痛みの伴う強制的措置による減少でも、このレベルの排出量で今後推移しては、パリ協定の目標を達成することはできません。クリーンなエネルギーの導入や省エネのさらなる推進はもとより、ライフスタイルや社会制度の変革も含め、抜本的な対策を講じる必要性が示されたと言えるでしょう。そして、気候変動対策はコロナと同様、国境を超えた課題であり、世界が協力して取り組んでいくことが不可欠です。

 

もう一例として、経済を見てみましょう。コロナショックは、経済の安定が如何に重要かを再認識させました。そして、グローバル化した世界が如何に脆いかを示しました。サプライ・チェーンが寸断され、人の移動が制限され、消費、生産、投資のあらゆる経済活動が停滞しました。今後世界的大不況が長期間続くことは、残念ながらほぼ間違いありません。しかし逆に言えば、これまでの日常の繁栄が、グローバルな繋がりなくしては達成できないことを改めて明確にした、とも言えます。特に日本は、国土も資源も限られており、また人口減少傾向で国内市場には限界があります。世界と価値を共有して、その中で日本の繁栄を考えていかなければ成り立たないことは、明らかです。コロナ後のより良い社会の構築には、世界の経済とそれを支える産業を、しっかりとしたものにすることが、大前提となります。

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皮革、自動車、衣服などがコロナの影響を大きく受けている。なお、皮革や衣服は、多くの途上国で主要な製造業である。

 

そして最後に、途上国経済を考えてみたいと思います。途上国が世界の経済に占める割合はどんどん大きくなります。例えばアフリカをみてみると、現在その人口は約13億人ですが、若い人が多い人口構成であり、2050年には約25億人になると試算されています。これは、アフリカが、豊富な資源に加え、消費市場としても、労働力としても、日本の産業界にとって極めて大きな魅力を有していることを意味します。一方、途上国は、日本など先進国と比較して、様々な課題を抱えています。例えばコロナへの対応をみても、医療体制や設備の脆弱さはもちろん、日本で当たり前のように奨められている『手洗い』をする水さえない地域も珍しくありません。そして仮に途上国のどこかでコロナが収束せずに残る事態になれば、世界からコロナが永遠になくならないこととなります。経済発展のための基礎となる産業の基盤も、まだまだ十分ではありません。今回のコロナの事態を受けて、世界的に需要が低迷する中、先進各国が国内や近隣へ生産拠点を移転する動きもみられます。そうなれば、途上国は世界市場から一層取り残されることになり、途上国だけではなく、世界にとっても大きな損失となります。

 

さて、コロナ後の世界をより良い社会とするために、日本として何ができるでしょうか。気候変動への対応には日本の産業が有する、環境・エネルギー技術を世界に広げていくことが効果的でしょう。経済活動においては、他の国との信頼関係を構築しつつ、ともに繁栄していくという姿勢が重要です。新たな途上国へ生産拠点の分散化をすれば、サプライ・チェーンの強靭化にも繋がります。日本の良いモデルや技術を共有していくことも、途上国のためになり、日本産業のビジネス展開にもなります。ある日本の企業は、アフリカの国で手洗いを習慣づけるよう、アルコール手指消毒剤の提供を数年間続けてきています。日本企業の保健衛生、水・廃棄物処理技術などを途上国で活用してもらうのも良いかもしれません。UNIDOでも、日本政府の支援を得て、東京事務所(ITPO東京)が、日本企業の技術を途上国に展開するプロジェクトを進めているところです。もちろん、日本の技術が役立つのはこれらの分野に限りません。幅広い分野で協力し、途上国の生産能力の強化、多様化をサポートすれば、投資、貿易の増加をもたらし、途上国の持続的産業発展にも繋がります。

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オンラインセミナー「COVID-19後の世界における生産ネットワークの未来」 6月30日(火)に開催した。本セミナーの議論(英語)はこちらから視聴可能

 

今回はテーマを絞って述べましたが、これらに限らず、これまで人類が築き上げてきた様々な共通の価値観、それが今、コロナによって試されているのだと思います。この共通の価値観は、持続可能な開発目標(SDGs)の17の目標に集約されています。17の目標のどれ一つとっても、コロナ後も引き続き、人類にとって極めて重要で、強力に進めていくべきものと思います。私たちは、変わるものに目を奪われがちですが、そこは柔軟に対応し変化を受け入れつつも、守るべき基本は堅持してブレないこと。それが人類のさらなる発展のために、重要なのではないでしょうか。これがグローバルな時代における『不易流行』だと思います。

 

オーストリア・ウィーンより

国吉 浩

「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(10) 稲場雅紀さん

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第10回は、稲場雅紀さん(一般社団法人SDGs市民社会ネットワーク 政策担当顧問)からの寄稿です。  

  

新型コロナウイルスSDGsを通して考える

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2017年に「一般社団法人SDGs市民社会ネットワーク」を設立、代表理事、専務理事を歴任。現在は政策担当顧問として、SDGsの普及や政策提言に取り組む。それ以前は、90年代に横浜・寿町の日雇労働組合での医療・生活相談活動、レズビアン・ゲイの人権課題への取り組みを経て、2002年より(特活)アフリカ日本協議会の国際保健部門ディレクターとしてアフリカのエイズ・保健問題に取り組む。2009年より「ミレニアム開発目標」(MDGs)の達成を目指すNGOネットワークの責任者を務めた。共著書に「SDGsを学ぶ」(法律文化社)、「『対テロ戦争』と現代世界」(お茶の水書房)など。©︎ Masaki Inaba

 

新型コロナ、いつまで「新型」?

「新型コロナ」がメジャーな課題として世界に登場してから半年になるかと思います。この「新型」という言い方、いつまで続けるのかな…と気にしているのですが、このまま定着するのかもしれませんね。なにせ、新幹線ができた1964年から、私たちはかれこれ57年もの間、「新」幹線と言い続けているわけですから…。

 

私は、保健・医療の専門家ではありませんが、1989年、19歳の時に、横浜の日雇労働者の街・寿町で、日雇労働組合の医療班に参加して以来、保健・医療に取組んでいます。寿町で私が学んだのは、「生活習慣病」といわれる非感染性疾患やアルコール依存、また結核といった病気が、いかに経済や社会の在り方と密接に関係しているか、ということでした。また、エイズの問題に取り組み始めたのは、1994年、横浜で開催された国際エイズ会議の頃からです。

 

新型コロナの拡大で、計画中のセミナーやシンポジウム、講演会などを中止にしなければならなくなってきたのが、2月末から3月の頃だったかと思います。たしかにコロナは深刻だが、自分の考えで判断するのでなく、「右へ倣え」で中止しているような雰囲気がNGOの中にもありました。乏しい材料の中からでも、「右へ倣え」ではなく、自ら考え、判断するところから始めたい…そのためには、一度、自分に近い歴史に立ち返ってみよう、ということで、私は何冊か、8-90年代のエイズの運動に関する本を再読することにしました。 

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1999年にメキシコシティで行われていた、エイズに関する啓発を目的とした授業の様子 ©︎ UN Photo

 

エイズの歴史から学ぶ:新興感染症と人間の関係

新型コロナとエイズは、異なったタイプの感染症ですが、一方で、「新興感染症」という意味では共通しています。こうした病気が登場した時の社会的な反応にも、似たところがあります。エイズが登場したときにも、その存在を否定したり、軽く見たりする動き、以前から差別や偏見にさらされてきた人々に責任をなすりつける動きがありました。エイズが初めて登場した80年代初期、米国でのことでしたが、当時の米国の政府は、対策に消極的で、いつまでも重い腰をあげませんでした。日本でも、エイズの存在を隠したり、対策を遅らせたり、特定のコミュニティにその責任を擦り付けるといったことがあり、これが「薬害エイズ問題」を引き起こしました。

 

しかし、その中でも立ち上がり、粘り強く取り組んだ人たちがいました。HIV陽性者をはじめ、社会の中で厳しい状況に置かれ、感染にさらされてきたコミュニティ、市民社会の動きがありました。共感を持って、保健・医療の枠組みを越えて動いた専門家や医療従事者の運動がありました。その結果、エイズへの取り組みは、保健医療の狭い業界にとどまることなく、芸術・文化の領域、国際政治、経済、貿易などの領域に広がり、現代の国際保健アジェンダの広がりを作り出す原動力になった、と言えるかと思います。

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2016年に開催された世界エイズデーの特別イベントに参加したエイズ活動家たち ©︎ UN Photo

 

新型コロナは、エイズへの40年間の取り組みが切り開いた歴史の「後」に登場した新興感染症です。この40年間、地球温暖化が進み、途上国の人口の都市への集中とともに、大気汚染などの環境汚染も深刻化しました。エイズへの取り組みをはじめ、結核マラリアなどの感染症への取り組みが進展する一方で、急速な都市化と相まって、「食と農」に関わる状況が大きく変化し、途上国においても、肥満、糖尿病、ガン、高血圧といった非感染性疾患が拡大しています。高齢化も着実に進行しています。これらはいずれも、新型コロナの重症化の脅威を増幅しています。

 

一方、私たちには、近い歴史の中で得た経験と教訓があります。エイズの歴史は、感染症の課題に保健医療の面からのみならず、包括的に取り組むこと、コミュニティの力を開花させることの大事さを教えています。私たちは、新型コロナへの取り組みにあたって、近い歴史の経験に学ぶことができるのです。 

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HIV差別をなくすキャンペーンを行う国連人権高等弁務官事務所 ©︎ UN Photo

 

SDGsを新型コロナ対策に活かす

もう一つ、私たちには「SDGs」があります。上に述べた「都市化」や「大気汚染」は、SDGsゴール11の課題になっています。「食と農」の在り方はゴール2に、非感染性疾患はゴール3に書かれています。さらに、ロックダウンなど新型コロナ対策によって生じる「二次被害」の中には、例えば「ステイ・ホーム」で生じる女性へのケア労働の負担や、ジェンダーに基づく暴力、「ステイ・ホーム」の中で、精神障害者、高齢者などへの家庭内の虐待や、LGBTへの家族や地域からの迫害などがありますが、これらの課題は、ジェンダーであればゴール5、暴力であればゴール16に指摘されています。不安定雇用の状況にあった人々が仕事を失って困窮化する、また、子どもの教育が途絶することで、教育へのアクセスにも格差が生じてくる…こうした課題は、ゴール1(貧困)、ゴール4(教育)、ゴール8(格差)、ゴール10(不平等)などに明記されています。こうみると、大きなことが分かります。そもそも、新型コロナにせよ、エボラ・ウイルス病にせよ、環境破壊や生物多様性の喪失の中で、人間と動物がこれまでと異なった出会い方をした結果生じた「人獣共通感染症」です。この課題は、ゴール15(陸の生物多様性)に書かれています。

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つまり、新型コロナは、すぐれてSDGs的な感染症なのだ、ということです。新型コロナに正面から向き合い、その克服に取り組むことは、すなわち「SDGsへの取り組み」でもあるのです。逆に言えば、SDGsにしっかり取り組むことで、新型コロナや、その次にくるかもしれない新たなパンデミックにも対応できることになります。

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北京の自宅からオンライン授業を受ける小学生とリモートワークをする母親 ©︎ UNICEF/UNI304636/Ma

 

私が政策顧問を務めている「SDGs市民社会ネットワーク」では、「SDGsを指導理念とする新型コロナ対策を」と提案しています。新型コロナ対策を、誰が、誰と、どのような根拠と権限に基づいて立案・実施するのか、また、何かあったときに立ち戻るべき原則として何を採用するのか。この点がクリアになっていれば、国民・市民は、余計な不安を抱えることなく前向きに「ウィズ・コロナ」の時代を乗り切ることができます。この課題にこたえるのが、平和と公正、透明性、公開性、参加型民主主義をうたうSDGsのゴール16と、さまざまな主体の連携・協働に基づくパートナーシップをうたうゴール17です。コロナ感染がすなわち「気が緩んでいる」とみなされ、個人の行動に関する情報が暴露されたり、いわれのない批判を受けるかもしれないという不安があれば、とくに、普段から差別や偏見にさらされているコミュニティや職業にある人々は、クラスター追跡などに対してオープンになれません。逆に、ルール形成に自分の属するコミュニティや業界のリーダーが参加でき、個人情報や人権が守られ、不当な暴露や攻撃に対処する手立てが明確であれば、人々はより安心して、情報開示に応じられるようになるでしょう。「ウィズ・コロナ」時代のいわゆる「新しい生活様式」の在り方について何を考えていけばよいのかについても、SDGsは明確な輪郭を与えてくれます。新型コロナ対策に「SDGsの持てる力」を活用するのは、良いアイデアではないかと思いますが、皆さんどう思われますか? 

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’’この困難を共に乗り越えよう’’  (Illustration by Leyah Mirza)

 

未来世代に何を残せるか

 1980年初頭から40年を数えるエイズへの取り組みは、私たちが教訓となしうる多くの崇高な、偉大な歴史を残しつつ、今も進行しています。一方、今後少なくとも数年間、私たちは新型コロナと共に生きることを余儀なくされるでしょう。新型コロナと人間の関係史は、いわば「始まったばかり」です。近い距離の歴史として、新型コロナと人間の関係史を学ぶであろう未来世代に、私たちは何を残せるでしょうか。それは、今、私たちが何をするかにかかっています。「手洗い、マスク、ソーシャル・ディスタンシング」以外にも、私たちがやれることは数多くあると思います。最近言われるようになった「新しい生活様式」についても、「心がけ」や、「新たな技術の導入」といったことに、取り組みを限る必要はありません。コロナ危機は、私たちの社会や制度の「弱いところ」を明るみに出しました。この社会を、どう「コロナに強い社会」にしていけるのか、SDGsなどを活用して、みんなで考え、取り組んでいきましょう。 

 

日本・東京より

稲場 雅紀

「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(9) 三次啓都さん 

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第9回は、三次啓都(みつぎひろと)さん国連食糧農業機関(FAO)事務局長補 兼 林業局長)からの寄稿です。 

 

自然と共生したより良い日常を取り戻すために

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2017年に国連食糧農業機関(FAO)事務局長補 兼 林業局長に就任。それ以前は、国際協力機構(JICA)で森林・自然環境保全グループ長、青年海外協力隊事務局副局長、農村開発部長を務め、マラウイカンボジア、フィリピンでの駐在勤務を含め、長年、開発援助の分野で経験を積んできた。神奈川県鎌倉で過ごすも(鎌倉高校卒業)、自然に憧れて北海道へ。北海道大学農学部を卒業、英国のレディング大学で林業普及の修士号を取得 ©︎ FAOForestry

 

私の勤務するFAO本部は、イタリアの首都ローマにある。ここは、古代ローマ遺跡を中心とした人気の観光都市であり、またイタリア料理をふんだんに味わえる食の都でもある。近年は観光客の激増で、遺跡や都市の中心部はオーバーフロー気味であったが、それが一転したのが3月初旬からのロックダウンであった。COVID-19の世界的な拡大を受けて、既に1月下旬ころから観光客は減少し、スペイン階段、トレビの泉、コロッセオはがらがらであった。チルコマッシモ競技場、カラカラ浴場といった遺跡群に囲まれた場所に位置するFAO本部の周辺も、普段は絶えない観光客の流れがすっかり途絶えてしまった。 

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イタリア随一の観光地であるトレビの泉からも人の姿が消えた ©︎ Hiroto Mitsugi

 

ロックダウンに入り、イタリアへの入国、住民の外出や移動は厳しく制限され、FAOのスタッフも在宅勤務を余儀なくされた。唯一、住民に許されたのは、スーパーや薬局での買い物や近所での散歩やジョギングのみである。これを機に外に出てみれば、春の到来を告げるように新緑が芽生え、花が咲き誇り、鳥はさえずる、しかしそれ以外はすっかり静まり返っているといった具合だ。レイチェルカーソンの著書「沈黙の春」では、“春が来ても、鳥たちは姿を消し、鳴き声も聞こえない。春だというのに自然は沈黙している”との下りがある。ここでは、“春が来て、鳥はさえずり、花々は咲き誇る。人や車は姿を消し、話声も聞こえない。春だというのに人間は沈黙している”という状況である。街からは人も車も消え、その代り、空気は澄み、青空が続く。もちろん医療従事者や物流を支えている人々が働いていることは言うまでもない。

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FAO事務所の屋上からチルコマッシモ方面を臨む景色 ©︎ Hiroto Mitsugi

 

既に多くのところで語られているが、人の移動、経済活動が止まり、二酸化炭素排気ガスの排出は減少、人間の干渉が減ったところには生き物が回帰してきた。気候変動の会議を重ねても削減が進まなかった二酸化炭素の排出は、ウイルスの発生により激減した。二酸化炭素そのものは見ることができなくても、排気ガスの減少が澄んだ空気を呼び戻したことは、ロックダウン下に置かれた人は、多かれ少なかれ実感しているはずである。COVID-19は、人間の活動と環境との関係を視覚化させてくれたのではないだろうか。

 

今年2020年は、FAOが5年に一度行っている世界林業報告(Global Forest Resources Assessment)の年である。5上旬にサマリーレポートを発表した(7月初旬には各国報告を含めた全体報告を出す予定)。同レポートによれば、陸地面積の31%(約40億ヘクタール)を森林が占め、1990年以来、17千8百万ヘクタール(リビアとほぼ同面積、日本のおよそ4.6倍)の森林が消失している。過去30年間、世界の森林は引き続き減少しているが、その減少率は鈍化してきている。

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Global Forest Resources Assessment 2020 Key findings ©︎ FAO

 

昨年は森林火災が大きく報道されたこともあり、少し不思議な感じを抱くかもしれない。森林破壊の主な原因は農地への土地変換であることは、2015年の林業報告の他、様々な報告でも触れられているが、農牧地転用のための森林破壊は今でも進んでいる。昨年のアマゾン川流域での森林火災も農地のための火入れに起因したものと考えられている。世界を見渡すと、アフリカが占める森林破壊の割合は高く且つ拡大しているが、世界全体の森林破壊面積は減少し、一方で、様々な地域で植林や森林保全の取り組みが進んだことから、その結果、森林の減少率は鈍化しているのである。

 

FAOでもGreat Green Wallというアフリカでの砂漠化防止を目指した植林プログラムや、熱帯林の保全プログラムを進めている。水源林保全や防災のための植林や森林を守る取り組みが世界中で行われている。直近の5年は詳細については各国の報告を待つ必要があるが、SDGsの合意に伴う各国の政策実施や開発金融機関等の資金増がその背景にあることは間違いないだろう。このような取り組みを歓迎する一方で、私たちは今ある森林を守り、持続的に利用する方向に一層注力していく必要がある。スピードが減速したとはいえ、森林はこの瞬間も減少を続けているのだから。

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Green Great Wallイニシアティブの一環として植林活動をする人々(セネガル) ©︎ Benedicte Kurzen / NOOR for FAO

 

しかし、ここに来て、私たちはCOVID-19による影響に気を揉んでいる。ロックダウンにより、多くの国々は経済活動が停滞し雇用の問題が発生している。海外からの移民労働に支えられている先進国の産業、また農村からの出稼ぎに支えられている都市の様々なサービス業では、今後、雇用の回復が見込めない場合、労働者は自国へ、そして農村へと戻る可能性が極めて高い。その場合、農村の人口圧が上昇することが予見され、農業以外の就業機会が見込めない限り、農地の拡大に伴う森林破壊に結びつく可能性が高い。

 

人の移動規制に伴う交通量の減少は、エネルギー需要を低下させ、原油価格を押し下げている。その結果、バイオマス再生可能エネルギーの市場での競争力を失わせる結果をもたらすだろう。森林による木質バイオマスエネルギー(木炭やペレットなど)は、森林の持続的な利用の一つであり、また木炭生産は途上国では農村部の貴重な生計手段ともなっており、長期的に需要が低下すれば森林経営や住民の生計手段の点でも影響は大きい。 

新型コロナウイルスが森林産業に与える負の影響は、人々の生活や産業にまで広く及ぶ © FAOKnowledge ︎

 

これらの影響を最小化、更に新たな機会と捉えるためには、森林に関連した雇用(Green Job)や、ITを活用した農村部での雇用機会を増やすことで、森林への影響を回避するだけではなく、都市の人口集中の緩和や農村の均衡ある発展を可能にしたい。また原油価格の低下に対しては、二酸化炭素の排出を減らすことへのインセンティブを一層増やすことにより、バイオマスエネルギーへの影響を抑えられるはずである。

 

森林は、木材やパルプを供給する資源として私たちの生活に関わっているだけではなく、炭素を備蓄する機能、そして動植物を育む生態系を維持している。なかでも熱帯林の生態系は特に複雑で多様なことで知られている。この多様な生態系からは今でも新しい植物や昆虫の種が見つかるなど未知の領域が大きい。もう30年ほど前になるが、リベリア北部、ギニアとの国境にかけて広がる熱帯林の森林資源調査に赴いたことがあった。熱帯熱マラリアの予防薬処方の為に感染症のドクターを受診した際に、森に深く入ると未知の感染症に掛るかもしれないから気をつけなさい、と言われた。幸い、その時は何もなかった。ただ、その地帯の森林は、リベリアの政変、経済開発などの影響を受けて徐々に開発が進み、2014年、その地域でエボラ出血熱がブレイクした。

農地拡大などにより最も生物多様性に満ちた土地である森林が破壊されている © F︎AO

 

新興感染症の約60%が動物由来であると言われている。エボラ出血熱はオオコウモリからの感染と言われ、類人猿のゴリラも感染した。COVID-19についてはまだ発生源は特定されていないが、野生動物との関連が報道されている。事実関係が今後明らかになるにせよ、森林破壊が進めば、そこに生息する野生動物と人間の接触機会が増え、それに伴い感染症のリスクが高まることは間違いない。その点においても、森林破壊をむやみに進めてはならないのである。

 

まだまだCOVID-19の収束には時間がかかると予測されているが、この状況下の社会を一過性とするのではなく、私たちは何かを学び、そして活かさなくてはならない。COVID-19後の世界とは、どうあるべきか?もちろん、日常に戻ることを誰しもが望んでいる。ただし、それは以前に比べ、より良い社会であって欲しい。“Build Back Better”である。感染症に対してより強靭で、環境に優しく、そして新しい経済活動が具現化できるような社会。COVID-19下で人と人との物理的なコミュニケーションが阻害され、国境管理は厳格となった一方で、危機を脱するために示された人々の連帯は、新しいSocial Capitalのありようを示しているのかもしれない。元の日常に戻るだけではなく、少しでも良い社会にしていくことが、これを経験した私たちの責務でもあると思う。

 

この原稿のドラフトを書き上げたのが、5月の下旬、イタリアが規制を緩和した最初の週末である。人も車も増え、まだ完全ではないけれど日常が戻りつつある。もう初夏に入り、レストランのテラスでワインを酌み交わす光景も戻ってきた。近所の通りで同僚とすれ違う機会も増えたが、約3か月ぶりの再会にもかかわらず、握手やハグは躊躇する(規制緩和されたが、握手やハグは禁止である)。在宅勤務中に続けていた近所でのジョギングは、排気ガスもなく快適だったけれど、この週は交通量が増えたためコースを変更した。まだ以前ほどの交通量ではないが、公共交通機関は感染リスクがあるということで、車を利用する人が増えることが指摘されている。これを受けて、イタリア政府は自転車通勤に切り替える人に最大500ユーロの補助をすることを決めた。自転車は新しい日常で、感染リスクと二酸化炭素を減らす妙案だろう。一方で、握手やハグができる社会は戻ってきて欲しい。より良い日常を取り戻すこと、これは世界共通の願いであり、私たちの行動にかかっている。

 

イタリア・ローマにて

三次 啓都