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「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(16) 小林いずみさん

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第16回は、小林いずみさん(ANAホールディングス株式会社社外取締役三井物産株式会社社外取締役、株式会社みずほフィナンシャルグループ社外取締役、元 多数国間投資機関(MIGA)長官)からの寄稿です。

 

新しい価値社会とその実現に向かって

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 ANAホールディングス株式会社、三井物産株式会社、株式会社みずほフィナンシャルグループ社外取締役、元 多数国間投資機関(MIGA)長官を勤める。それ以前は、大学卒業後化学メーカーに勤務した後、1985年にメリルリンチグループに転職し主にデリバティブ市場業務に従事。2001年、メリルリンチ日本証券株式会社代表取締役社長に就任。2008年11月から2013年6月まで、世界銀行グループ、多数国間投資機関(MIGA)の長官。2013年以降国内外法人の社外取締役、アドバイザー等を主に活動。2002年から2008年まで大阪証券取引所社外取締役、2007年から2009年、2015年から2019年4月公益財団法人経済同友会副代表幹事。 ©︎ Izumi Kobayashi


日本の私たちの生活がCOVID-19によって変わり始めた今年3月初め、まだダウンジャケットを着ていました。だんだんと仕事の会議がリモートになり、友人との交流もSkypeやzoom, スポーツジムも閉鎖され日々の運動は毎日のウォーキングと室内でのトレーングという生活になりました。緊急事態宣言が解除された後、対面の会議がいくらか復活してきましたが、地下鉄の昇り降り、ビルからビルへの移動の運動量には到底及ばず時間が許せば歩いていくようにしています。江戸時代の人々はこうしてどこでも歩いて(私は時には自転車も使いますが)行っていたのだと自分に言いきかせると徒歩の活動範囲が急拡大し、これまで気づかなかった地形の様子、街の成り立ちや知らなかった歴史建造物や街並みを発見します。元々は移動に伴う感染の予防と運動不足解消が目的でしたが、結果遥かに大きな気づきを得ることになりました。

 

3月半ばに早咲きの桜が咲き、薄手のジャケットに着替えた頃に桜が満開になると4月の一週目には八重桜と共に早くもツツジが咲き始めました。

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不忍池の関山 ©︎ Izumi Kobayashi

 

上着が要らなくなった頃、梅が実をつけ始め銀杏の枝から小さな葉が顔をだし、ハナミズキ、紫陽花と自然は我々が感染症に恐れ慄き家にこもっていることなど気にせずいつも通り流れていきます。そして今は熱中症を心配しながらマスクをつけて歩いています。6月には庭の小さな山法師の木にヒヨドリが巣を作り十日間雛の成長を毎日楽しみに観察することができました。4ヶ月半が経過し気づいたことは、自然の力の大きさと、今都会に住む私たちが感染症の拡大によって感じているストレスを、長い間人間は自然に与えていたのだということです。人間が活動を制限すれば、或いは活動の仕方を変えれば自然へのストレスは減少し、結果的には人間も自然の一部としてその豊かさを享受できるはずなのです。

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初夏に咲き誇っていた紫陽花 ©︎ Izumi Kobayashi

 

勿論環境問題はこの状況が起こる前からグローバルに大きな問題とされていました。資源を海外からの輸入に頼っている日本の企業ですら二酸化炭素排出や化石燃料の開発に関し踏み込んだ対応を表明し始めています。今回の感染症の発生も人間の環境破壊の結果であるという意見もあります。その因果関係については更なる検証が必要と思いますが、少なくとも我々が活動を制御することによって失われた地球の自然が回復するということは全ての人に明確に示される結果となりました。そして大勢の人たちがこれまでの生活を見直す必要性に気付いています。


人間が生きていくためには経済活動を止めることはできません。しかし「経済の継続=これまでの経済活動」ではないはずです。経済界が模索を始めたポスト・コロナのニュー・ノーマルの柱はデジタルです。社会のデジタル化によりこれまでできなかったことが可能になります。しかしいくらデジタル化が進んでも私達の考え方、行動の仕方が変わらなければ本当の変化は起こりません。デジタルは行動変化を可能にする道具であり、我々が社会のあり方を本質的に問い直してこその価値を活かすことができます。ニュー・ノーマルとは単にこれまでの生活や仕事の仕方をデジタルを活用したリモートに置き換えることではなく、経済の回し方、個々の人々の生活のあり方の優先順位を問い直し、自然と共生しながらバランスをとっていく道を見つけることであると考えます。一人一人が自分の生活、これまで現実的ではないと考えて排除してきた生活スタイルや働き方をタブーとせず実現していくための扉を開くことです。「できない」はなく、「どうやって実現するか」を考えるのみです。そして経済活動を支える企業にも同じことが求められます。

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新型コロナウイルス感染症対策として、フィジカル・ディスタンスを保つために芝生に円が描かれたニューヨークの公園。ニュー・ノーマルはもう始まっている。 ©︎ UN News/Daniel Dickinson

 

世の中の価値観が変わると言われている今、企業が持続的な価値創造を実現するためには従来の「できない」を捨てることが必要です。都会の企業に勤めていたら地方には住めない、対面でなければ相手を理解できない・チームワークは育たない、生活の利便性と地球環境の改善は相反する等々。これまでの人類の発展は概ね生活の利便性を向上させるために優先順位をつけて技術を発展させる一方で様々な物を諦め、排除してきました。そしてこのアプローチは一定のレベルの利便性の実現という意味では成功しました。例えば我々の生産や活動には常に「移動」が伴ってきました。より速く移動することを考え様々な交通網を発展し、私たちは移動に関わる時間をどんどん短縮しました。しかし「移動」不要になったら、あるいは30%、50%減した状態が通常となったら何を変えなければならないのか。これは交通機能の後退を意味するのではありません。外に出ること、他の地域に移動することの主たる目的が変わるのであって、交通機関の重要性が変わるわけではないのです。

 

ただし利用の仕方と目的が変われば、これまでの価値観と生活様式を前提としたビジネスモデルでは持続できません。ニュー・ノーマルへの思考は、これまでの価値観の延長で行動の変化を捉えるのではなく、新たに生まれてくる異なる価値観によるニーズに応えるサービスや機能を創造・提供することだと考えます。これまで無理と思っていたことを無理と思わず、どうやったら実現できるか、という姿勢でアプローチを続けなければ解を得ることはできないでしょう。


企業は投資家との対話を求められています。企業の行動変革を促す最も大きな原動力を持つのが投資家です。私が関与している金融機関では、石炭火力発電所建設プロジェクトを融資対象から外すこと、関与する事業の二酸化炭素排出レベル開示の深掘りなど環境に関わる開示を高度化しましたが、こうした変化は明らかにグローバルな投資家を意識した取り組みです。投資家は今や短期の利益ではなく中長期の価値向上を求めていると言われていますが、投資家全般を見渡せば現実はまだまだ道半ばです。

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新型コロナウイルス感染症の影響により、世界中で株価が低下した。投資家は、グローバルなビジョンや中長期的な視点がより求められている。 ©︎ UN Photo/Mark Garten

 

今回COVID-19という人間にとっての禍が否応なしに多くの人が持続的な地球のあり方を考えるスイッチを入れました。人々が求める社会を作り、機能し、持続的に発展する為のサービスや技術、働き方を提供する組織とビジネスモデルに大転換できなければ企業も地球もそして人間も生き残っていくことはできないでしょう。私たちは今地球規模での感染症との闘いの真っ只中です。油断は許されません。が、長い目で見た時この禍を人類にとって喪失の時代とするかより良い未来のための出来事とするかは我々の価値観の転換と行動変容にかかっています。「以前の生活を取り戻したい」という気持ちはあります。

 

しかし「新しい形の充足感と幸福」への期待もあります。国家にとっては目の前に起こっている問題を解決することが最優先です。残念ながら感染症の問題は国レベルで解決することはできません。国を超えた地球レベルの転換には企業活動や投資のあり方を一から考え直し前に進めることが有効です。既に多くの企業がESG活動に関する自社の取り組みを見直し開示も進んでいます。実際200社をこえる日本の企業や機関がTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース、Task Force on Climate-related Financial Disclosures)への賛同を表明しており、日本は今や世界最大のTCFDサポーターです。しかし実際のビジネスとなると、資源関連ビジネスをコアとするビジネスモデルから脱却しESGを柱とする新規ビジネスモデルの確立に取り組む例もありますが、まだまだ限定的な取り組みで本当の意味での事業化はこれからです。そして多くの企業ではESG/SDGsは本来の事業戦略とは別枠の取り組みとして位置付けており、先進的な企業でさえ気候変動関連の一部など対象範囲は限られています。ESGやSDGsに関わる取り組みは事業価値の向上と一体として考えなければなりません。人々の行動変容と価値観の転換が起こる時にこそ新しいビジネスのチャンスが訪れます。COVID-19との闘いの出口はまだまだ見えてきません。

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(UNFCCCウェブサイトより)

 

しかし私たちにはこの禍を乗り越え、自然と共生していく知恵があるはずです。もちろん知恵は政治や学術、行政等々あちらこちらで出されることでしょう。しかし私は民間企業の力はそれを凌駕する広がりを実現できると考えています。今こそ企業と投資家は長期的な目線で新しい社会の姿を議論し、人々の新しい生活を支える事業を発展されることを望んでいます。

 

日本・東京にて

小林 いずみ