国連広報センターの根本かおる所長は、2025年3月2日~9日に南スーダンを訪問し、同国に展開する国連PKOの「国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)」の活動を視察しました。国連の代表的な平和活動である国連PKOの最前線を、シリーズでお伝えします。
第4回 気候ショックと安全保障:国連PKOによる対応の最前線
南スーダンの首都ジュバからUNMISSの飛行機に乗って北へ1時間。上空から見るユニティ州のベンティウ近隣の国内避難民(IDP)キャンプは、まるで海に浮かぶ離れ小島だった。キャンプの周辺には、原野ではなく水面が広がっていた。国連PKOが整備したアクセスロードは「海」を突っ切ってベンティウ周辺と他の地区とを結ぶ唯一の道であり、旧約聖書の「モーゼの海割り」のようだ。UNMISSオフィス、アクセス道、空港の周り、そしてIDPキャンプの周りに堤防が築かれ、水に飲まれるのを防いでいる。
ⒸUNIC Tokyo/Kaoru Nemoto
2016年春に私が訪れた際の、キャンプの周りを乾いた大地が広がり、女性たちが薪を頭に載せて原野を横切り、牛たちが悠々と移動するというような光景はまったくなかった。大きく様変わりしたベンティウの姿に、自分の目を疑った。
ユニティ州は、気候変動が人々の暮らしと安全に大きなショックを与えている最前線だ。しかも、温室効果ガスの排出にほとんど加担していない人々が、豊かな国々による排出の被害を受けるという気候正義の課題の最前線でもある。さらに、南スーダンでは、気候変動が人々の暮らしや人道状況のみならず、安全保障・治安にまで影響があることから、UNMISSでは「Climate Security Advisor」(気候安全保障アドバイザー)を置いて組織的に対応している。世界の国連PKOで、同ポストを設けているのはUNMISSだけだ。
ベンティウ周辺はかねてから洪水に見舞われる地域ではあったが、今につながる大洪水が押し寄せたのは2021年11月のこと。
南スーダン・ベンティウ 洪水が始まった当初の映像 平原弘子さん提供
ベンティウから約北西に40キロぐらい離れたところの村が水浸しになり、これまでにもあった程度の洪水だろうと思っていたところ、その3ヶ月遅れで朝起きてみると、水がベンティウにまで迫っていた。とりあえず水が来ないように堰き止めないと町中が水浸しになってしまうと慌てふためいたと平原さんは言う。
それ以来、水が引かず、今に至っている。当時、現在UNMISS民政部長を務める平原弘子さんはベンティウ事務所を所長として切り盛りしていた。地域の風景を様変わりさせた大洪水は、一体どのように始まったのだろうか?
このピンチを救ってくれた第一の立役者は、パキスタン軍の施設部隊だった。ベンティウ周辺に道路補修のために派遣されたばかりのパキスタン部隊は、本国で常日頃から培ってきた洪水対策の経験をここで発揮し、72時間の突貫工事で応急処置をしてくれた。 「あの時、洪水対策に長けたパキスタン軍の存在がなかったら、多くの命が奪われ、すべてが水にのまれていただろう」といろいろな人々から聞いた。
ⒸGregório Cunha/UNMISS
パキスタン軍による応急処置で一旦水に飲まれるのを防ぐことはできたものの、どんどん水が来てしまい、堤防も高くすると同時に土を固めなければならず、メンテナンスが欠かせなかった。水はどういうところから来るのかをシミュレーションをしながら、包括的な対策を考えたと言う。当時の努力は、UNMISS制作のビデオにもまとめられている。
「今からこの2ヶ月ぐらいはこれに集中して仕事をしてください。そうでないと町沈みます」と号令を掛けて、ワンチームで結束して対応したと笑って応える平原さん。24時間体制で仕事をして、洪水が全部来てしまうまでにベンティウの町と、UNMISSの敷地と、それに隣接する避難民キャンプ、移動に欠かせない飛行場をかろうじて守るための土手を作ることができた。
「大阪のおばちゃん気質で、みんなに発破を掛けて、乗り切った」と平原さんは笑って答えるが、緊張の72時間だったことだろう。土でできた堤防は水の動きを受けて侵食され、かつ上を人々が通路として使っているため、今もパキスタン軍による入念な堤防の点検と補修は欠かせない。パキスタン部隊を率いるリーダーは、「堤防と道路の補修は、UNMISSの活動にとっても地域住民にとっても死活問題。多くの人々が『ありがとう』と言ってくれたり、手を振ってくれたりするので、とても誇らしく感じる」と顔を輝かせた。
洪水は人々の安全を脅かす。それまでは主に紛争から避難した人々が身を寄せていたこのIDPキャンプに、洪水による避難民が押し寄せ、人口過密状態に陥った。政治的に対立する人々や牛の放牧のための牧草をめぐって緊張関係にあるコミュニティーが狭いキャンプに集住することにもなり、一触即発の状況が生まれた。さらに2023年4月に南スーダンの北隣のスーダン共和国で紛争が勃発し、スーダンから帰還した南スーダン人たちがIDPキャンプの親戚を頼って身を寄せるようになった。 人口過密はコミュニティー間の軋轢やフラストレーションを高め、諍いの火種も生まれやすくなる。長老の力などを借りながら仲裁するのもUNMISSの仕事だ。
また、環境が一変して、多くの人は牛飼い中心だった生計手段を大きく変えなければならず、漁業や魚の干物づくり、カヌーづくりに挑戦する人もいるが、慣れない仕事がうまく行くとは限らず、とかく援助物資に頼りがちだ。その援助も、昨今の人道危機の増大と先進国からの援助資金の大幅な減少を受け、心もとない。
さらに、南スーダンでは、牛飼いが牧草地と水を求めて牛の群れを移動させる中で、農業を行うコミュニティーの住民たちと争いが生まれがちだ。移動の前と後に放牧民と農耕民との間で問題解決のための話し合いの場を持つことが必要で、それをお膳立てするのもUNMISSの重要な仕事だ。牛飼いたちは銃を携行していることが多いため、コミュニティー間の争いに発展しないよう、疑念をあらかじめ晴らしておくことが必要なのだ。
UNMISSの草の根活動で、コミュニティのリーダーたちは牧畜民と農民の和平を訴えたⒸUNMISS
次回は気候危機が女性の安全に及ぼす影響とその解決策について考える。