日本で開催された国際会議の中で、史上最大規模となった第3回国連防災世界会議。
この会議のために、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が訪日しました。
国連広報センターでは、本会議を現場でサポートする仙台オフィスと、その現場を支える東京オフィスの二手に分かれ、インターンが職員と共に準備を重ねてきました。今回は、仙台オフィスに配属されたインターンがどのように活動したのか―。
国際会議の裏舞台を、東京オフィスのインターン秋元が聞き手となってお伝えします。
仙台の国連防災会議会場に赴いたインターンの三人(高坂さん、田中さん、エマさん)
ホテルで作業するインターン一同
アメリカ・ジョージタウン大学で国際政治を専攻したエマ・コースさんは、本会議の会場である仙台まで実際に赴いたインターンの一人です。
事務総長の訪日に際して、国連広報センターは事前に様々な情報を収集しました。
それらの情報はもちろん多くが日本語です。エマさんは、それらを国連の公用語である英語に翻訳しました。
メディアインタビューの会場セットをするインターン。(左)
このように、実際にインタビューが行われました。(右)
しかし、事前にどんなに準備しても、実際はなかなかその通りに動かないもの。
「今回の経験を通じて、柔軟にその場の状況に応じることの大切さを学ぶことができた」とエマさんは語ります。
例えば、事務総長が約1200人の若者に向けて特別講演を行った「東北大学復興シンポジウム」。エマさんは、ここに出席した国連本部からの代表団を席に案内することになっていました。
しかし、人があふれかえる会場で、事前に決まった席次通り座ってもらうのは至難の技。席次に過度にこだわらずにどんどん案内していくことで、無事全員に席に着いてもらうことができました。
「事前の準備はできるだけ完璧に。でも当日の現場では100%予定通り動かすことはできないので、柔軟に対応することが必要になると実感しました」と語ります。
東北大でのシンポジウムの様子(出典:東北大学)
高坂将哉(たかさか まさや)さんは、エマさんと同じく仙台に赴いたインターンの一人です。香港大学で国際政治を勉強した彼は、防災会議前に、事務総長が視察する被災地の候補地の下調べを行っていました。また、メカにも強い高坂さんは、事務総長の写真を撮る仕事を任されました。警備の目が光り、多くの要人が出席する独特の雰囲気に圧倒されながら、「自分のような若者が本当にここにいていいのだろうか?」と何度も思ったそうです。
その思いをふっきることができたきっかけは、事務総長が仙台の南蒲生(みなみがもう)コミュニティセンターを視察したときです。
事務総長はここで、東日本大震災で被災した人々と触れ合いました。
南蒲生コミュニティーセンターで、東日本大震災で被災した人々と触れ合う事務総長。伝統の「すずめ踊り」を通じてコミュニティの心をつなぐ取り組みについて説明を受けた。「自分のやってきた仕事と防災会議への繋がりを実感できた瞬間でした」(高坂さん)
このコミュニティセンターは小さな建物なので、必然的に事務総長との距離が近くなります。国連広報センターの腕章とIDカードを見せ、事務総長の近くに寄ることができた高坂さんが、「やるしかない」と決意し、必死に撮ったのが上の写真です。
『すずめ踊り』に参加した子どもたちの笑顔が印象的
「初めは緊張していた子どもたちも、言葉を交わすうちに最高の笑顔を見せてくれました」(高坂さん)
「自然災害から人の命を守るために新しい枠組みを作成する」という目的で開催された今回の防災会議ですが、高坂さんは国連広報センターのインターンが行ってきた仕事と会議の目的との繋がりが見えにくいと感じていました。
その中で、「国連事務総長という立場にある人が、自分たちが下調べした南蒲生コミュニティセンターを訪れ、被災した子どもたちと触れ合う場面を目にできたのは嬉しかった」と言います。
奥山仙台市長(左)の説明で南蒲生浄化センターを視察する潘事務総長
「『動き』を感じ取れる場面を意識して写真を撮りました」(高坂さん)
最後に、エマさんと高坂さんが共通して感じたのは、「国連代表団の方たちがとてもフレンドリーで、国連広報センターのインターンに対し、チームの一員として接してくれた」ということです。彼らは、情熱を持って国連の使命を全うすべく仕事をしていました。関わった全ての人々の尽力のおかげで、今回の事務総長訪日と、防災世界会議は成功したと言えるでしょう。
潘事務総長からねぎらいの言葉を頂き、握手を交わすインターン。
国連と日本が、共に世界の問題解決に取り組む現場を間近に見ることができる。
今回は、そんな国連広報センターのインターンとしての醍醐味を存分に味わえる体験になりました。