国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

あなたにとって国連とは:ひとりの日本人女性として考える過去、現在、未来について

 

国連広報センターインターンの仲本真理子です。

4月20日、国連創設70周年記念「いま、日本から国連を考える」セミナー・シリーズの第2回目が、明治大学で開催されました。今回のテーマは、「Your United Nations: past, present, and future from a Japanese woman’s point of view(あなたにとって国連とは:ひとりの日本人女性として考える過去、現在、未来について)」。

根本かおる国連広報センター所長が講演しました。

 

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 「なぜ国連が創設されたのでしょう、それも1945年に。皆さん分かりますか?」(根本所長)

「戦争が終わったとき、世界中の国々が平和をつくろうとしたからです」(学生)

 

国連の掲げる三本の柱、国際平和および安全、人権、開発。根本所長は「Human Rights(人権)」について、世界人権宣言を手に学生と対話しました。

人権や男女平等という考えがまだ世の中に浸透していなかったころ、女性に対するあらゆる差別をなくそうという国際社会の動きがあり、1979年の国連総会で女子差別撤廃条約(CEDAW)が採択、1981年に発効されました。日本がこの条約に批准したのは1985年のことです。これを受けて日本では、1986年に男女雇用機会均等法が施行されます。この頃、根本所長はテレビ局のアナウンサーから日本で女性初の政治記者として報道に関わる転機を迎えました。

 

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難民支援の現場で女性の言葉に寄り添う根本所長。

 

休職中に留学した米国の大学院で出会った人々について、「They were not just my classmates, they were also activists and practitioners. (ただのクラスメートではなく、彼らは行動家そして実践家でもあった)」と根本所長は振り返ります。

また、その後JPO派遣制度で勤務することとなった国連難民高等弁務官事務所UNHCR)では、命からがら避難してきた難民の女性たちが過酷な環境の中でも女手一つで家族を養うなど、支えあって生きる人々の姿を目の当たりにしたといいます。

社会的に弱い立場にある人々も含め共生するために、意思決定に女性が主体的に参画することが重要であり、同時に女性のエンパワーメントには男性が関心を持って参加することが必要不可欠であると強調し、講演を締めくくりました。

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UN Women親善大使のエマ・ワトソンさんは、世界中の男性たちにジェンダー平等に向けた運動への参加を呼びかけています。ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニー役で世界中に絶大なファンを持つ彼女は、「He For She」キャンペーンを広め、女性の権利と完全な男女平等を支援する世界規模の男女連帯運動を推進しています。   

 

講演後には多くの学生が手を挙げ、根本所長に質問を寄せました。記者や国連でのキャリアを選択した理由を「The starting point is the same: getting interested in the challenges or difficulties of people, and listening to them.(始まりは同じです。それは、人々の困難に関心を持ち、耳を傾けることです。)」と語った根本所長の言葉が心に響きます。「国際協力」、「支援活動」というと大それた言葉に聞こえ遠い存在に感じてしまいがちですが、人々の気持ちを思いやり、寄り添う心が国際社会における平和構築につながる本質なのだと感じました。根本所長のお話は、将来の選択をするうえで国連の活動を身近に感じる貴重な機会となりました。

 

来年は、日本が国連に加盟してから60年を記念する年です。

今年の国連創設70周年から続く節目の年に、今年度新たに枠を拡大したJPO制度や、新しく東京に設置されるUN Womenのオフィスについての説明もありました。

今後の国連と日本の動きに注目し、広く伝えていきたいと改めて感じました。

 

次回は5月25日、赤阪清隆元国連事務次長を迎え「Post-2015 Development Agenda」についてご講演いただきます。

 

※ 本セミナーの第2回目から第5回目までは国連アカデミック・インパクト参加大学を対象に英語で開催されています。メンバー校の大学生ならびに教職員のみなさまは奮ってご参加ください。

 

プログラム詳細や会場については、国連広報センターの下記ウェブページをご覧ください。  http://bit.ly/1FQ96WU

 

関連ビデオ:

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マララ・デー:すべての子どもに教育を (2013年7月12日)

国連で働く女性たち

 

国連のこれまでとこれから  ~日本の抱負を活かした外交を探る~

国連広報センターインターンの江川温子と相沢育哉です。3月27日、国連広報センターは明石康国連事務次長をお迎えして国連創設70周年記念「いま、日本から国連を考える」セミナー・シリーズ(全6回)のキックオフ・シンポジウムを、明治大学で開催しました。(明治・立教・国際の3大学による大学間連携共同教育推進事業「国際協力人材」育成プログラム)との共催)シリーズ第一回目の本シンポジウムは明石康国連事務次長のお話を直接聞ける貴重な機会とあり、事前に約200名の参加申し込みがありました。

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明石康 氏

1954年東京大学卒。バージニア大学大学院、フレッチャー・スクール大学院に留学後、1957年国連入り。1970年代には日本政府国連代表部で参事官、公使、大使を務める。1979年から1997年、国連の広報担当事務次長、軍縮担当事務次長、カンボジア暫定統治機横(UNTAC)の国連事務総長特別代表、旧ユーゴスラビア問題担当国連事務総長特別代表。人道問題担当事務次長を後に退官。現在、公益財団法人国際文化会館理事長、スリランカ平和構築及び復旧・復興担当日本政府代表、神戸大学特別教授等。

 

国連との出会い」

「太平洋戦争に敗れた日本が、1956年12月18日、国連の加盟国として承認された日、ニューヨークの国連本部で歴史的な瞬間を垣間見た」 明石氏は日本が国連に加盟することが決定した瞬間、重光外相の使命感に満ちた演説を間近に聞き、その経験がその後の人生に大変大きな影響を及ぼしたと言います。フルブライト留学生としてフレッチャー・スクールで学んでいた当時に、たまたまその日国連を訪問し、その感動的な場面に立ち会ったことから、翌年、日本人として初めての国連職員になることを決心されました。以後、明石氏が国際社会でご活躍を続けてこられたことは周知の通りです。私たちインターンも直接明石氏の国連との出会いの瞬間やその背後にある強い想いを聞く中で、若い世代にも、国連職員になることを目指し、国際社会の平和構築に将来貢献出来るチャンスがあるのだと強く感じました。

 

「地に足をつけたオプティミズム

戦後の国際情勢のめまぐるしい変化とそれを受けた国連の働きについて、明石氏は実体験を踏まえ歴史的な大局観をもって語られました。特に印象的だったのは、日本の平和主義を正しいとしながらも、国として軍を一切保持しないという考え方は楽観的過ぎるのではないかと述べられたことです。日本が平和構築のビジョンと夢を持って再スタートしてから、戦後の70年が経ち、国際情勢が急変する今、憲法第9条第2項の「戦力の不保持」について改めて議論することは、国の重要なプロセスであるということを学びました。

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また、明石氏はベルリンの壁崩壊までの冷戦時代に、植民地になっていた国々が独立し、国連に加盟する国の数が創設当時の51カ国から現在の193カ国にまで増えたことは国連の最も大きな功績のひとつだと称えられました。この国連加盟国数の増加は、環境・貧困・開発等の地球規模の問題解決に向けて共に行動していきたいと世界が切実に願っている証拠であると感じました。

 

基調講演の最後には、日本が国際社会の一員として、大切にしてほしいことは「地に足をつけたオプティミズム」と唱え、「日本が国連の一員として今後冷静な分析を行い、綿密な作戦を立てる必要がある。さもなければドンキホーテのような現実離れした存在になる」と強いメッセージを残されました。そして、日本が常任理事国になることだけではなく、人材育成、インフラ整備、軍縮、平和構築、人口政策など、「日本らしく、長期的な相手のことをきちんと考えた、創造的な取り組みをしていくことが国際社会から期待されている」と熱い想いを伝えられました。

 

「交渉術/上辺はソフトに、内には強い芯を」

基調講演に続いて、国連が取り組む課題解決のため、今、若者たちに何ができるのかをテーマに、根本所長の進行のもと、3大学の学生代表5名と明石氏による世代間クロストークが行われました。登壇された学生代表は、明治大学のPham Anh Quocさん、伏見美保さん、立教大学の畑中昴淳さん、黒田真歩さん、国際大学の保坂早紀さんです。

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根本かおる国連広報センター所長が聞き手を務める世代間クロストーク

 

学生代表からは平和、気候変動、教育についての質問や意見が投げかけられ、明石氏は、ご自身の経験談を交えながら、国連の活動範囲の限界、組織的な制約、そして、国家間の交渉は1対1の対話が非常に有効である等、率直かつオープンに話してくださいました。また、「日本の将来にとって一番危険なことは、外に目を向けず、平和で安全な環境に安住してしまうことだ」とし、私たち一人一人が経験を蓄えて、視野を広げることで、国連に限らず企業やNGOなどを通じても、世界的な世論を作る活動に関わることができると参加した学生たちを激励されました。

 

さらに、国際問題の解決のため日本人としてどう貢献できるかという会場からの質問には、日本が得意とする分野で積極的に関わるべきだとして、国連PKO活動において、日本が医療、輸送、土木等の後方支援で貢献している例を紹介されました。一方で、「日本人であることを誇りに思うが、日本人だけが享受できる隠れ蓑に隠れることは好きではない。自分の国籍を考えて行動することはなかった」と述べ、「重要なのは国境、文化、宗教を越えて、仲間を作ること。日本人であることを意識しなくなったその時こそ、国連のため、世界のための活動ができるだろう」と締めくくり、まだまだ多くの質問が寄せられる中、惜しまれながらクロストークは終了しました。

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明治・立教・国際大学の学生代表とともに

 

「未来のバトンはあなた達の手の中にある!」

明治大学立教大学国際大学は、世界の高等教育機関国連をつなぐ国連アカデミック・インパクト(UNAI)の参加大学であり、今回のセミナー・シリーズも三大学と国連広報センターの連携により実現することができました。

 

開会・閉会の挨拶をいただいた長尾進 明治大学副学長、白石典義 立教大学副総長、信田智人 国際大学副学長は、「未来を信じる希望をもって国際課題に取り組む姿勢を、明石 元国連事務次長と若い世代の意見交換を交えて学ぶことができ、今回のセミナーは大変有意義だった」と、今後の国際協力活動に若い世代が関わることへの期待を寄せられました。

 

本ブログ記事を担当して

「国際社会の場で日本の強みを活かす場面はたくさんある。しかし、国籍を意識しすぎることなく、素直に相手を慮る姿勢こそ文化的価値観の違いを超える鍵である」この明石 元国連事務次長の言葉に強く感銘を受けました。また、同世代の若者が世界規模の課題について自分の意見を述べる姿に大変刺激を受け、国際課題へ取り組むモチベーションをより一層あげる貴重な機会となりました。

 

今回のキックオフ・シンポジウムを皮切りに、全6回のセミナー・シリーズが開催されます。次回は4月20日、今回モデレーターを務めた根本かおる国連広報センター所長が、”Your United Nations: past, present, and future”をテーマに、国連アカデミック・インパクト校の学生を対象に英語でセミナーを行います。

プログラム詳細や会場については、国連広報センターの下記ウェブページをご覧ください。 → http://bit.ly/1FQ96WU

「団結」して支える ~国連防災世界会議に国連事務総長が参加、その舞台裏でのインターンの働き (その2)~

訪日期間中、防災会議への出席から要人との会合、国連大学でのシンポジウムなど、一瞬の隙もない事務総長のスケジュール。その多忙なスケジュールを支えているのは、仙台に赴いて事務総長の訪日を支えたインターンだけではありません。

今回は、事務総長の訪日をどのように国連広報センター東京オフィスのインターンが支えていたのか、インターン小林がお伝えします。

 

早朝5時半から、事務総長へ情報を伝えるための新聞記事のクリッピングで始まる東京オフィスの業務。その他、東京オフィスでは、各報道機関のウェブのモニタリング国連広報センターが主催した国連事務総長国連親善大使との懇談会の準備など、防災会議の現場にいるスタッフが行うことのできない業務を補助しました。

 

東京オフィスを担当していたインターンのひとり、秋元七海さん。カナダでの大学院留学を経験した秋元さんは、その英語力を活かし、会議前から事務総長の訪日関連資料の翻訳などの業務にあたってきました。

 

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新聞クリッピングを行う秋元さん

 

事務総長の訪日を終え、秋元さんは、「事務総長の訪日のためにどれだけの人が関わるのかを知り、衝撃を受けました」と話します。

「朝食での事務総長へのブリーフィングのため、朝早くから新聞記事をクリッピングして事務総長のオフィスへ送ったり、スピーチライターの方が事務総長のスピーチを最後の最後まで練っていたりと、事務総長ひとりのために見えないところでこれだけ多くの人が動くのかと驚きました」

 

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潘基文国連事務総長夫人と建築家の坂茂(ばん・しげる)さんとの懇談会の様子

(写真の左側に立っているのが、左から小林さんと秋元さん)

 

特に、秋元さんの印象に残っているのは、国連広報センターが主催した事務総長と国連親善大使の懇談会だそうです。この懇談会のために、インターンも最後まで事務総長や親善大使の方々のセキュリティ確保のため、動線の確認作業を行いました。

これを受けて、秋元さんは「日本で行われる防災会議や事務総長の訪日を成功させたいという気持ちから、職員の方々やインターン、全員が団結しているのを実感しました。そして、そこまで全員と一緒に出来たことが、とてもうれしかったです」と話します。

 

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インターンも参加して準備した事務総長と国連親善大使との懇談会の様子

 

現場の状況がつかみにくい中で、「現場のスタッフには何が必要か」を考える想像力が必要とされる東京オフィス。刻々と変化する状況の中で、必要とされることを予測し、動く。国連事務総長の訪日の裏には「見える」部分だけでなく、「見えない」部分も含めた、人々の「団結」がありました。

 

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離日前に国連事務総長、夫人と国連広報センター職員、インターンで記念写真

「現場」を見て、感じる、動く ~国連防災世界会議に国連事務総長が参加、その舞台裏でのインターンの働き (その1)~

 日本で開催された国際会議の中で、史上最大規模となった第3回国連防災世界会議。

この会議のために、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が訪日しました。

国連広報センターでは、本会議を現場でサポートする仙台オフィスと、その現場を支える東京オフィスの二手に分かれ、インターンが職員と共に準備を重ねてきました。今回は、仙台オフィスに配属されたインターンがどのように活動したのか―。

国際会議の裏舞台を、東京オフィスのインターン秋元が聞き手となってお伝えします。

 

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仙台の国連防災会議会場に赴いたインターンの三人(高坂さん、田中さん、エマさん)

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ホテルで作業するインターン一同

 

アメリカ・ジョージタウン大学で国際政治を専攻したエマ・コースさんは、本会議の会場である仙台まで実際に赴いたインターンの一人です。

事務総長の訪日に際して、国連広報センターは事前に様々な情報を収集しました。

それらの情報はもちろん多くが日本語です。エマさんは、それらを国連公用語である英語に翻訳しました。

 

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メディアインタビューの会場セットをするインターン。(左)

このように、実際にインタビューが行われました。(右)

 

しかし、事前にどんなに準備しても、実際はなかなかその通りに動かないもの。

「今回の経験を通じて、柔軟にその場の状況に応じることの大切さを学ぶことができた」とエマさんは語ります。

例えば、事務総長が約1200人の若者に向けて特別講演を行った「東北大学復興シンポジウム」。エマさんは、ここに出席した国連本部からの代表団を席に案内することになっていました。

しかし、人があふれかえる会場で、事前に決まった席次通り座ってもらうのは至難の技。席次に過度にこだわらずにどんどん案内していくことで、無事全員に席に着いてもらうことができました。

「事前の準備はできるだけ完璧に。でも当日の現場では100%予定通り動かすことはできないので、柔軟に対応することが必要になると実感しました」と語ります。

 

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東北大でのシンポジウムの様子(出典:東北大学

 

高坂将哉(たかさか まさや)さんは、エマさんと同じく仙台に赴いたインターンの一人です。香港大学で国際政治を勉強した彼は、防災会議前に、事務総長が視察する被災地の候補地の下調べを行っていました。また、メカにも強い高坂さんは、事務総長の写真を撮る仕事を任されました。警備の目が光り、多くの要人が出席する独特の雰囲気に圧倒されながら、「自分のような若者が本当にここにいていいのだろうか?」と何度も思ったそうです。

その思いをふっきることができたきっかけは、事務総長が仙台の南蒲生(みなみがもう)コミュニティセンターを視察したときです。

事務総長はここで、東日本大震災被災した人々と触れ合いました。

 

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南蒲生コミュニティーセンターで、東日本大震災被災した人々と触れ合う事務総長。伝統の「すずめ踊り」を通じてコミュニティの心をつなぐ取り組みについて説明を受けた。「自分のやってきた仕事と防災会議への繋がりを実感できた瞬間でした」(高坂さん)

このコミュニティセンターは小さな建物なので、必然的に事務総長との距離が近くなります。国連広報センターの腕章とIDカードを見せ、事務総長の近くに寄ることができた高坂さんが、「やるしかない」と決意し、必死に撮ったのが上の写真です。

  

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 『すずめ踊り』に参加した子どもたちの笑顔が印象的

「初めは緊張していた子どもたちも、言葉を交わすうちに最高の笑顔を見せてくれました」(高坂さん)

 

「自然災害から人の命を守るために新しい枠組みを作成する」という目的で開催された今回の防災会議ですが、高坂さんは国連広報センターのインターンが行ってきた仕事と会議の目的との繋がりが見えにくいと感じていました。

 その中で、「国連事務総長という立場にある人が、自分たちが下調べした南蒲生コミュニティセンターを訪れ、被災した子どもたちと触れ合う場面を目にできたのは嬉しかった」と言います。

 

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奥山仙台市長(左)の説明で南蒲生浄化センターを視察する潘事務総長

「『動き』を感じ取れる場面を意識して写真を撮りました」(高坂さん)

 

最後に、エマさんと高坂さんが共通して感じたのは、「国連代表団の方たちがとてもフレンドリーで、国連広報センターのインターンに対し、チームの一員として接してくれた」ということです。彼らは、情熱を持って国連の使命を全うすべく仕事をしていました。関わった全ての人々の尽力のおかげで、今回の事務総長訪日と、防災世界会議は成功したと言えるでしょう。

 

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潘事務総長からねぎらいの言葉を頂き、握手を交わすインターン

 

国連と日本が、共に世界の問題解決に取り組む現場を間近に見ることができる。

今回は、そんな国連広報センターのインターンとしての醍醐味を存分に味わえる体験になりました。

 

被災後の生活を「美しく」 ―潘基文国連事務総長夫人と建築家坂茂さんの懇談会に出席してー

災害の多い日本では、災害の影響をどのように減少させるか、そして災害の後、どのように復興を進めるかが大きな問題となっています。この問題に建築の面から取り組んでおられる建築家の坂茂(ばん・しげる)さん。国連防災世界会議開催中、潘基文国連事務総長とともに訪日された夫人と坂茂さんとの懇談会に、国連広報センターのインターン小林が参加しました。

 坂さんは、国内外の多くの国々で災害後、仮設住宅を建築するなど、災害後の人々の生活を支えています。坂さんの建築について注目すべきなのが、その建築手法です。紙のチューブや現地で採れる材料を使用したりと、運びやすく心地の良い素材を使い、現地の環境にやさしい建築を行っています。

f:id:UNIC_Tokyo:20150316141428j:plain 坂さんが建築した仮設の教会をご覧になり、「仮設の建物とは思えない」と感心する事務総長夫人

坂さんの作品の写真パネルを前に、”beautiful!”と感嘆の声を上げられた事務総長夫人。坂さんに、「お金のためでなく、多くの人のために働かれており、すばらしい」と言葉をかけておられました。

f:id:UNIC_Tokyo:20150316143507j:plain坂さんの説明に熱心に耳を傾ける事務総長夫人

また、懇談会中には、実際に被災地の避難所に設置された間仕切りを組み立てるデモンストレーションも行われました。あっという間に組み立てられる間仕切りを目にし、夫人は、間仕切りの支柱である紙のチューブを触りながら、”it is really strong.”とその丈夫さに関心していました。

f:id:UNIC_Tokyo:20150316142225j:plain坂さんが東日本大震災の際に被災地の仮設住宅で使用した間仕切りを、あっという間に組み立てる

懇談会の中で、坂さんは建築についてこう語ります。「今までの建築は、権力に寄り添って発展してきました。「目に見えない」ものである権力を、豪華な素材や絢爛な様式の建物を建てることで「見える」ものにする技術ばかりを発展させてきたと言えます。しかし、これからは傷ついた人々の役に立つ方向の建築技術を発展させていくべきだと思います。今回の被災地に建築したものは、その試みのひとつです。」

災害を完全に無くすことは不可能でも、災害の後、被災した人々にどのように寄り添うかで、人々の心のあり方は大きく変化するはずです。坂さんの言葉は、被災した人々に寄り添う、新たな建築のあり方を示すものといえるのではないでしょうか。その手法とデザインは、混沌とした被災地の中にあって、「美しい」とまで感じさせる空気感をかもし出している、そう私は感じました。

f:id:UNIC_Tokyo:20150316142848j:plain坂さんの事務所の韓国人インターンに、韓国語で励ましの言葉をかける夫人

坂さんの作品と彼の姿勢に共感する夫人の懇談会の様子から、被災した人々をいたわることの大切さを実感させる懇談会となりました。

ビジネスの世界から離れて:UNICでの経験より得たこと

今年7月から3ヶ月間、この国連広報センターでインターンを行いました中林明子です。

私は大学を卒業し民間企業に務めた後、通訳・翻訳学を学ぶためオーストラリアの大学院へ留学。卒業後、ビジネスの世界へ戻る前に企業では経験できない体験をしたいと思い、この広報センターへのインターン応募を決めました。

3ヶ月という短い期間でしたが、気候サミットの開催やエボラ出血熱、紛争などに対する国連の様々な活動に関わることができました。取り組む課題が地球規模で多岐にわたり、また対価を求めた活動ではないため広報活動がより重要となり、ビジネスとは大きく異なることを感じさせられるインターンシップでした。

特に印象的だったは9月23日に国連本部で開催された気候サミットです。開催地はニューヨークの国連本部でしたが、この広報センターでも関連記事やビデオなどの情報をウェブサイトやソーシャルメディアを通じて発信しました。この作業に関わることで、サミット開催当日に向けて大きなモメンタムが形成されていく様子を肌で感じることができました。例えば、環境問題におけるセレブリティの起用やビジネス社会を対象としたイベントの実施、各国メディアと協力作成したビデオを通して、市民社会への呼びかけを行いました。その一方で、日本を含む世界各国の首脳陣に対して総会への参加を促し、各国のコミットメントへつなげていく様子は国連の強い影響力と行動力を感じました。

また国連広報局マヘル・ナセル局長代行の来日時に開催された模擬国連のワークショップや国連アカデミック・インパクト(UNAI)、日本全国の国連寄託図書館、CCOI(クリエイティブ・コミュニティー・アウトリーチ・イニシアチブ)に関するイベントのサポートをする機会をいただいたことも、 記憶に残る思い出の一つです。この準備のため局長代行の総会でのスピーチなどを聞き、そして当日イベントに参加する中で、学術界、NGO、ビジネスだけでな く、クリエイティブ・コミュニティを巻き込む幅広いアウトリーチ活動を感じる機会となりました。

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(国連広報局マヘル・ナセル局長代行が参加した国連寄託図書館との会議で、通訳をする筆者)

また翻訳や通訳の機会をいただく中で、大学院で得たスキルを実務で活かす経験ができ、今後のキャリアに大きな意味のあるものとなりました。特にイン ターンとして始めて取り組んだ気候サミットに関する資料の翻訳では、職員の方に何度も確認していただき、広報センターの文書として適切な言葉に修正していただいたことを今でも鮮明に覚えています。さらに国際関係のコンテキストにおいて適切な言葉、文章の書き方やビデオ字幕のコツなど、実践的なスキルを学ぶよい機会となりました。

国際関係を専攻としていない私にとって、国連の取り組む課題は今までテレビの向こう側の世界でした。しかし、このインターンシップを通じて情報発信に関わることで、国連がより身近に感じるようになりました。また、各国の国連事務所で様々な経験をもつ職員の方々や、各国から集まったインターンとの交流も、とてもよい刺激でした。ビジネスの世界に戻っても、国際社会に貢献できるグローバルな人材でありたいと思っています。

根本所長を始め、暖かくサポートしていただきました職員の皆様に心より感謝を申し上げます。そして共にひとときを過ごしたインターンの皆様、楽しい時間をありがとう!

 

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(コロンビア大学からジェフリー・サックス教授とともに。右側が筆者。)

国連広報センターでインターンとしての夏休み

My Summer as an Intern at UNIC Tokyo

6月から2ヵ月半、国連広報センター(UNIC)でインターンシップをしていた、デンマーク出身のラスムス・フットロップさんが、インターンの経験について以下のブログを書いてくれました。「国連広報センターでインターンとして働くことは、私にとって貴重な経験であり、国連の様々な組織について多くを学びました。しかし何よりも、職員の方々やインターンの仲間と一緒に働けたことを嬉しく思います」と語っています。

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Hi, my name is Rasmus.

I was so fortunate as to be given the opportunity to do an internship at UNIC during my summer holiday this year, an opportunity that brought me all the way from Denmark to the hot and humid summer weather of Tokyo. I had no previous experience being in a Japanese workplace, and I had certain preconceptions about formal settings where there would be suits, ties and people with stern expressions. Suffice to say that I was forced to reevaluate this image pretty quickly.

On my first day I arrived in wearing a suit and, not at all contrary to my expectations, a tall young Japanese man who was wearing a suit and a stern expression to match came down to greet me in the lobby and proceeded to lead me to the office. It turns out that he was intern as well, and also the only person in the office who was wearing a suit.

I was pleasantly surprised to find that the atmosphere at UNIC Tokyo is really friendly and relaxed. The staff members are all very kind and, while the interns only stay for a few months, they are usually very internationally-oriented and open-minded people. I had the pleasure of being a part of a great team of interns, and lunch breaks were usually one of the high points of the day for me, which is why I personally did my utmost to make sure they were carried out in a timely manner every day at 12:30 exactly.

As an intern, one is given a combination of daily tasks as well as short- and medium-term projects, some of which allow for a bit of creativity on the part of the intern. I happened to intern in the middle of the summer, which is not exactly the busiest time of the year, but I still got the chance to participate in the China-Japan-Korea Roundtable Conference established by the Global Compact Local Networks. The conference convened UN officials, scholars, businessmen and university students to discuss how the private sector can take a proactive approach to implementing CSR policies that are both financially sound and also to the benefit of society and the environment.

Working as an intern at UNIC was for me a valuable experience where I got to learn a great deal about the different organizations of the UN. However, more than anything I appreciate the people I got to work with, staff and interns alike. I feel like I have made some great friends and only two weeks after finishing my internship, I am already starting to miss the office and the people I met there.

I am sitting in front of my laptop in Denmark writing this and I am able to look back at some wonderful memories. Therefore, on a final note, I would like to thank all the people who spend this summer together with me at the UNIC Tokyo office.

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