国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (3)

 

シリーズ第3回は、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)広報部アウトリーチユニット統括の斉藤洋之さんです。斉藤さんが統括するアウトリーチユニットは、南スーダンの人々にUNMISSの活動を正確に理解してもらい、地域の人々との関わりを深め、国連ミッションへの信頼を高めることを目指しています。国連南スーダンとの協力を円滑に進めるには、人々からの理解と支持を得ることが必須だからです。斉藤さんは、現地の人々にもなじみやすい歌、踊り、食の紹介をきっかけに、人々の関心を高めてもらうためのイベントを企画するなど、クリエイティブな発想で活動に取り組んでいます。

 

 

3回 国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS) 斉藤洋之さん

~異文化体験イベントを通じて体感した、伝えることの意義と巻き込むことの大切さ~

 

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             斉藤 洋之 (さいとう ひろゆき)   ©UNMISS/2016/JC McIlwaine

      国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)広報部アウトリーチユニット統括

東京都出身。早稲田大学第一文学部文芸専修卒業後、テレビ東京勤務。その後、ボストン大学にて放送ジャーナリズム修士号取得。米国NBC系列地方局、フォックス・ニュースボストン支局、ダルフール国連アフリカ連合合同ミッション広報部ビデオユニットで勤務。UNICEF東京事務所・広報官、米国旅行ウェブマガジン「Travelzoo」制作部長を経て、2015年から現職

 

 

現在世界16か所で展開している国連平和維持活動。その中でも、予算と人員の規模でスーダンダルフールコンゴ民主共和国の活動に次いで第3位にあたるのが、私の勤務する「国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)」です。2016年4月現在、1万6000人あまりのスタッフが全土で活動しています。スタッフのほとんどは軍事要員でおよそ1万2000人、警察部隊が1200人、私のような文民スタッフが残りを占めています。

 

3月、UNMISSを構成する軍事、警察、文民の3部門が協力して、南スーダンの人々に向けて「UNMISSワールド・フレーバー」という広報イベントを実施しました。

 

駐屯各国部隊の文化を紹介するイベントを企画

そもそものきっかけは、2015年12月に国連が日本のPKO活動への貢献を称えるために行った、日本隊へのメダル授与式を訪れた時のことでした。式典の後、日本隊の食堂で天ぷらや蕎麦などの和食をご馳走になり、日本隊の調理スタッフが毎日3食とも和食を作っていることを知りました。遠く離れた異国の地でも、日々の食事は隊員自身が調理しており、日本での食事と変わらないよう工夫を凝らしていると聞き、感心しました。

 

南スーダンの首都ジュバには日本の自衛隊だけでなく、エチオピア、中国、ネパール、ルワンダの歩兵大隊、バングラデシュの施設隊なども駐屯しています。「各国部隊の厨房担当をジュバのイベント会場に集めて、地元の人々に世界の料理を味わってもらうのはどうだろう」という発想からこの企画が膨らみました。

 

各国の歩兵大隊は、ジュバやその他の地域で日夜パトロールをしています。UNMISSの活動の大きな柱となる「文民保護」の一環ではあるものの、武器を携帯した外国人兵士が2、3台の装甲車で市内を巡回していれば、戸惑いを感じる人々もいます。そこで、軍事部門のスタッフが地元の人々と交流し、相互理解を深めることができる機会を作りたいと常々思っていました。

 

私が統括する広報部の「アウトリーチユニット」は、南スーダンの人々にUNMISSの活動をより正確に理解してもらい、地域の人々との関わりを深め、国連ミッションへの信頼を高めることを主眼に活動しています。

 

例えば現地の人々と話しをすると、「なぜUNMISSは食料を提供しないのか」「学校を建ててくれないか」「予防接種をしてくれないか」といった質問を受けます。こうした質問に、「UNMISSは平和維持を目的とした機関であり、人道支援団体ではない」と平易な言葉で説明して誤解を解いたり、UNMISSがどのような活動を実際に行っているか具体的に説明したりして、「文民保護」活動の内容を分かりやすく伝えます。人々を招待してジュバで説明会を開く場合もあれば、私が地方視察に同行したときに地域住民へ活動の紹介をすることもあります。時には大掛かりなイベントを企画してメッセージを発信することもあります。

 

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ナディア・アロップ・ドゥディ文化・青年・スポーツ大臣(左)を迎えて握手するムスタファ・スマレUNMISS事務総長副特別代表 ©UNMISS/2016/JC McIlwaine

 

多様な価値観を尊重し、UNMISSの役割への理解深める

今回の「UNMISSワールド・フレーバー」は、世界の食の紹介に加え、各国の踊りや歌といった文化やエンターテイメントの要素も盛り込み、人々に「平和に向けた文化の多様性を尊重することの重要性」を訴える場にすることを目指しました。また、人々にUNMISSの主要部署の活動を説明し、相互理解、イメージアップを図ることも目的に計画しました。

 

南スーダンは40以上の部族が暮らしていると言われる多民族国家で、部族間の大小の衝突が発生しています。特に、2013年12月以降続いている二大勢力のディンカ族とヌエル族の対立は国全体を巻き込むもので、多くの国民が命を落とし、200万人を超える人々が故郷を逃れ避難民となったと言われています。このような状況で、異なる文化や価値観を認め合い、国民としての一体感を高めることは、この国に特に必要とされています。2015年8月和平合意が結ばれ、今年4月に暫定統一政府が樹立される中、違いを分かりあい、過去の傷を払拭して団結することが急務なのです。

 

このイベントを実施するため、南スーダン政府の「文化・青年・スポーツ省」に何度も足を運び、ナディア・アロップ・ドゥディ大臣に趣旨を説明するとともに、大臣のイベント出席と、南スーダンの料理、ダンスの披露をお願いしました。私たちがアウトリーチ活動を進めていく上で、同省とのパートナーシップが不可欠であるため、この機会を利用して、大臣や担当官に我々の活動を説明し、理解を深めてもらうよう努めました。

 

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イベント実施にあたり協力いただいた、ナディア・アロップ・ドゥディ文化・青年・スポーツ大臣 ©UNMISS/2016/Muna Tesfai

  

UNMISSの軍事、警察、文民部門に参加してもらっての全体会議を繰り返し、関係部署と計画を練り、前日にはリハーサルをしてようやく迎えた3月5日。会場はジュバ市内の「ニャクロン文化センター」という地元の人が訪問しやすい場所を選びました。

 

当日は、市民社会グループ、南スーダン政府関係者、現地NGO団体、地元の大学生や教職員にUNMISSスタッフも加えると、約600人が来場しました。式典ではUNMISSのムスタファ・スマレ事務総長副特別代表が、「どのような生まれであろうと、私たちは皆、南スーダン恒久平和を実現するという目的のもとに一致団結しており、今日ここに集まったのは、南スーダンの皆さんが平和を追求する上で、UNMISSは協力を惜しまないことを伝えたかったからです」と招待客に述べ、「一致団結することが強さにつながり、強固な社会や国家は人間性、多様性、寛容性を尊重することによって築かれる」と強調しました。

 

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 迫力満点のばちさばきで力強い音を響かせた日本隊の和太鼓演奏 ©UNMISS/2016/JC McIlwaine

 

また、ヨハネス・テスファマリアム軍事部門司令官は、軍事部門のパトロールを強化し、治安が悪化している区域でUNMISSの存在感を示していくこと、地方にもUNMISSの中継地を設営し、パトロールを通じて文民保護へのためたゆまぬ努力をしていくことをアピールしました。

 

中国、エチオピア、日本、ネパールの部隊は、各国の文化を披露をしました。日本隊からは、息の揃った和太鼓演奏を隊員7人が披露しました。私の近くで聴いていた現地の学生からは、「鳥肌が立つ演奏だった」「なんであんなに真剣なんだろう」「演奏者のリズムがすごく揃ってる」という声が聞かれました。「太鼓は笑顔で楽しくダンスしながらやるもの」と思っているアフリカ人には、とても不思議な演奏だったのではと思います。

 

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 踊りを披露するUNMISSエチオビア部隊 ©UNMISS/2016/JC McIlwaine                                

 

南スーダンの文化・青年・スポーツ大臣は式辞の中で「地元の人々にとってUNMISSの活動を把握することは難しいため、このような行事を引き続き開催し、啓発活動を続けて欲しい」と述べ、「UNMISSとの関係を一層強化していきたい」と話しました。

 

その後別のテントで、UNMISS広報部を始めとして、民政部、人権部、ジェンダーチーム、子どもの保護チーム、女性の保護チーム、国連警察といった部署の同僚が、それぞれの業務や優先課題を大臣や現地の人々に向けて説明しました。

 

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南スーダンの文化・青年・スポーツ大臣や地元の人々に活動内容を説明するUNMISS女性の保護チームメンバー ©UNMISS/2016/JC McIlwaine

  

そして待ちに待った昼食です。バングラデシュ、中国、エチオピア、インド、日本、ネパール、ルワンダの計7カ国の部隊が、それぞれの国の代表的な料理を準備しました。日本隊は、ちらし寿司、おでん、漬物を用意。浴衣姿で登場した女性隊員が食べ物の説明や盛り付けを行いました。日本隊のテントには終始人が集まり、日本食も大好評でした。また地元南スーダン料理も3種類提供され、上ナイル、バール・エル・ガザル、エクアトリア地方の郷土料理が紹介されました。

  

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ちらし寿司、おでん、漬物を給仕しながら、南スーダンの文化・青年・スポーツ大臣へ日本の文化を説明する日本隊隊員 ©UNMISS/2016/JC McIlwaine

 

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浴衣姿で日本料理の説明をした日本隊女性隊員 ©Japan HMEC

 

イベントは、歌、踊り、食を通じて様々な価値観を共有し、団結するとことの大切さを人々に伝えると同時に、UNMISSについてより深く理解してもらうことができ、大成功でした。特に、今回のイベントを準備していく中で、UNMISSの軍事、警察、文民部門が一丸となってアウトリーチ活動を行うことの重要性を感じました。組織全体で連携して現地の人々と接した時にこそ、我々の活動の本質をより分かりやすく伝えることができ、アウトトリーチ活動の効果が最大限に発揮されることを学びました。個人的にも、軍部や警察スタッフの皆さんと一緒に仕事ができることは、他ではあまりできない経験であり、組織の強みを活かした業務につながると思います。このような大規模な仕事ができることは、自分にとっても大きなやりがいになり達成感にもつながりました。今後、このようなイベントを地方でも実施していくよう検討していく予定です。

 

今年8月にはケニアで第6回アフリカ開発会議が予定されており、南スーダンの抱える諸問題に、どのような提案、解決策が提示されるかも意識しながら、平和構築に向けたメッセージを工夫を重ねて人々へ発信していきたいと思います。

 

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文化・青年・スポーツ大臣、UNMISS事務総長副特別代表、UNMISS軍事部門司令官、広報部長とイベントを企画したアウトリーチチーム ©UNMISS/2016/JC McIlwaine

 

 

 

 

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (2)

シリーズ第2回は、南スーダン派遣施設隊第9次要員政策補佐の中塩愛さんです。50年以上にわたった紛争がようやく終わり、2011年に独立したばかりの南スーダンは、インフラがほとんど整備されていません。南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊(国連南スーダン共和国ミッション:UNMISS))は、国内避難民の安全と人権を守る活動や、援助物資を届ける支援を行うなど、南スーダンの平和と発展の土台を支える、縁の下の力持ちの役割を果たしています。その中でも日本の派遣施設隊は、国内避難民や国連職員が使う敷地内の施設の整備など、UNMISSを支える重要な役割を担うとともに、人々の生活と援助機関の活動に欠かせない道路の補修などを実施しています。

 

第2回 南スーダン派遣施設隊 中塩愛さん

~「世界で一番若い国」の平和を支えるブルーベレー~

 

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     中塩 愛(なかしお あい) 

   南スーダン派遣施設隊第9次要員政策補佐 ©陸上自衛隊

1990年生まれ。2013年東京大学法学部卒業後、防衛省入省。東南アジア、大洋州などとの防衛交流や防衛関係予算の編成に携わった後、陸上自衛隊中部方面総監部へ赴任。2015年12月より、南スーダン派遣施設隊の政策補佐として、南スーダンへ派遣。

 

 

母なるアフリカの大地で

肌に突き刺さる日射し、喉を焼く灼熱の大気、風に舞い上がり、容赦なく目や鼻に襲いかかる土埃―――、日本からはるか1万1000km離れたアフリカの地で、世界で一番新しい国の未来のため、国連の一員として汗を流す自衛隊員がいます。「南スーダン派遣施設隊」、それが私たちの呼び名です。

 

長い南北紛争の果てに

この夏、東アフリカ中央部に位置する南スーダンは、5歳の誕生日を迎えます。

さかのぼること5年。2011年7月9日、世界地図に新たな一国が加わりました。住民投票の結果、99%という圧倒的な支持を得て、南スーダンスーダンから平和裏に分離独立を果たしたのです。アフリカで54番目、世界で193番目の独立国、世界で一番若い国。真新しい国旗を誇らしげに翻し、明るい希望とともに新たな歴史を刻み始めた南スーダンですが、実は南北スーダンの現代史は、悲しくも50年以上にわたる長き民族紛争に彩られたものでした。

アフリカで最長と言われた南北紛争の結果、南スーダンのあらゆる社会インフラは未整備のまま放置されてきました。現在ですら、国内には電気も水道もほとんど普及しておらず、ナイル川のほとりでは、洗濯や水浴びをしている隣で、飲み水を汲んでいます。首都ジュバから全土へ向けて人道支援物資などを輸送する必要がありますが、道路の大半は未舗装で、雨季になると沼地と化してしまい、人も車も通れません。

こうした状況の中、数々の国連機関やNGOが、南スーダンの発展のために力を尽くしています。私たちPKO部隊の役割は、人々の生活や援助機関の活動に不可欠である「安全で安定した環境」を維持するとともに、彼らの活動基盤となる道路や施設を整備すること。いわば、発展の土台を支える、縁の下の力持ちといったところです。

 

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UNハウスとカスタムマーケット間の道路整備を行う派遣施設隊 ©陸上自衛隊

 

 

施設部隊はミッションの中核を担う

新生国家南スーダンを支援するため、独立と同じ2011年、国連南スーダン共和国ミッション(以下、UNMISS)が設立されました。UNMISSからの要請を受け、日本は2012年1月から施設部隊「南スーダン派遣施設隊」を首都ジュバへ派遣しており、現在は約350人が活動しています。

先述のとおり、この国には舗装道路というものがほとんどありません。首都ジュバでさえ、道路が舗装されているのは中心部のみ。しかも、経年劣化により舗装が剥がれて大きな穴が空き、下の土が剥き出しになっているところも珍しくありません。首都と地方をつなぐ物流網は非常に脆弱で、広大なサバンナの只中を、中古車がガタガタと大きく揺れながら、猛烈な土煙を巻き上げて走っていく光景がよく見られます。

こうしたか細い道路は、しかし、南スーダンの人びとの生活基盤であると同時に、支援物資などを全土へ届けるために死活的に重要なライフラインでもあります。施設部隊は、主要な補給路の補修を行うことで人々の生活を支え、援助機関の物資輸送をサポートしています。

 

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UNハウスとカスタムマーケット間の道路整備を行う派遣施設隊 ©陸上自衛隊

 

 

施設部隊の活動は、道路の補修にとどまりません。

首都ジュバは平穏であり、市場には様々な食べ物や生活用品が並び活気にあふれていますが、その一方で、紛争の間に家を追われた国内避難民約2万8000人が、国連の保護区域でテント生活を送り、国連機関やNGOの支援を受けています。施設部隊は、こうした区域のフェンスやゲートの構築や修理を行い、避難民が安心して暮らせる環境を維持しています。

国連職員の職場やPKO部隊の住居となるプレハブを建てるなど、国連の活動基盤を整備するのも、施設部隊の重要な役目です。また、自衛隊は高機能の浄水機材を保有しているため、他国部隊への給水活動も行っています。生活に水は不可欠ですから、給水活動には土日も正月もありません。

施設部隊の活動について、ある国連職員は次のように表現しました。

「施設部隊は、このミッションにとって血液のようなものだ。人間が血液なしでは生きられないように、ミッションも施設部隊なしでは立ちゆかない」

 

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派遣施設隊の給水活動の様子 ©陸上自衛隊

 

 

国境も時代も越え、国際社会の一員として

派遣施設隊約350人のうち、私は唯一の事務官として派遣されています。プロフェッショナルである自衛官がスムーズに活動できるよう、派遣施設隊とUNMISS司令部との連絡や調整を行うのが主な役目です。

PKOというと、いわゆる「先進国」がポスト紛争国を「支援」するというイメージを持たれがちですが、実は、UNMISSにはエチオピアやルワンダといったアフリカ諸国も部隊を派遣しており、また、司令部でも、マリ、ナイジェリア、ガーナなど、数多くのアフリカ出身者が重要なポジションで働いています。

もちろんアフリカのみならず、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカ、果ては南太平洋の小さな島国まで、その多様性はまさに、国連の掲げる‘Respect for Diversity’(多様性の尊重)の精神を具現化しています。

バックグラウンドとなる歴史や文化は様々ですが、共通するのは、国際社会の一員として互いに支え合うのだという思いです。私と同い年のカンボジア隊の女性が、穏やかに微笑みながら語ってくれたことがあります。

「約20年前、日本はカンボジアPKOに参加して私の国を支えてくれた。日本がしてくれたことを、今こうして南スーダンに返せることを誇りに思う。そして、アフリカのPKOに参加できるまでになったカンボジアの姿を、日本人に知ってもらえてうれしい」

彼女も私も1990年生まれの26歳。1992-93年のカンボジアPKOを直接目にしたわけではありません。しかし、だからこそ彼女の言葉は、私たちの活動が、今この時代の南スーダンを支えるだけでなく、将来の国際協力をも促すことを予感させてくれるものでした。

 

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UNMISS司令部で、様々な国籍の同僚と働く中塩政策補佐 ©陸上自衛隊

 

世界と共に歩む

国際協力は、時と場所を越えてのギブアンドテイクとも言えるかもしれません。

憎しみや貧困を払拭し、国際社会の平和と安定を図ることは、我が国自身の安全保障にも大きく寄与します。日本はアフリカから石油や鉱物資源などを輸入しており、アフリカの安定と開発は我が国にとっても重要な課題です。そして何より、日本は国際社会からの莫大な援助によって戦後復興を遂げた過去があり、今でも、地震など災害のたびに世界各国からの支援や励ましを受けているのです。

日本国憲法前文には、以下のようにあります。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。・・・(中略)・・・日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成することを誓ふ」

日本は、国連PKO予算の実に約10%を分担しています。派遣施設隊の活動は、日本国民の皆さん全員による国際協力でもあるのです。

風がアフリカに似た熱をはらむ夏、歩き出したばかりの国家・南スーダンの未来に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

    

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UNMISSのラジオ局「ラジオ ミラヤ」のモーニグショーで、中塩政策補佐のライブインタビューが放送されました。6か月の任務を終え、南スーダンを離れるにあたって収録されたもので、中塩政策補佐は「南スーダンの平和構築に貢献でき、光栄でした」などと語りました。放送内容のテキスト(英文)はこちら  >>> 

 

radio-miraya.org

 

中塩政策補佐の肉声が聞けるオーディオのリンク(英語)はこちら >>>  

audioboom.com

 

 

 

 

国連事務総長、G7伊勢志摩サミット出席のため訪日 - 持続可能な開発目標(SDGs)推進を求める

 

潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は5月26・27の両日、三重県志摩市で開かれたG7伊勢志摩サミットのアウトリーチ会合に出席するため訪日しました。今回のサミットは、持続可能な開発目標(SDGs)が2015年9月に国連総会で採択されてから初めて開かれたもので、主要な議題の一つとして取り上げられました。事務総長は、アウトリーチ会合で出席者にSDGsへの取り組みをさらに強化するよう求める一方、各国首脳と個別の会談も行いました。短い滞在ながらもSDGsを世界のリーダーにアピールする重要な機会となりました。

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G7サミットアウトリーチ会合出席のため、中部国際空港に到着し、出迎えた人たちに手を振る潘基文国連事務総長(2016年5月26日)

  

事務総長は、トルコのイスタンブールで開かれた「世界人道サミット」出席などを経て、26日夕方に中部国際空港に到着しました。夜には、アウトリーチ会合出席国と国際機関の代表が招かれた、愛知県と名古屋市主催の歓迎レセプションに出席。愛知県の魅力をアピールするパフォーマーの登場などでにぎやかな雰囲気の中、首脳らが壇上で紹介され、日本酒で乾杯しました。

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 愛知県の大村秀章知事と乾杯する事務総長 (5月26日)

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世界銀行のジム・ヨン・キム総裁と談笑する事務総長 (5月26日)

 

世界経済や国際テロ対策が議題となったサミット1日目に続き、27日は、事務総長も参加したアウトリーチ会合の二つのセッションも開かれました。アウトリーチ会合は、G7サミットに合わせ、G7以外の首脳や国際機関の長が招かれ開かれているもので、今回はベトナムなどアジアの国々とアフリカ連合(AU)議長国であるチャドの計7か国に加え、5つの国際機関が参加しました。

 

「アジアの安定と繁栄」が議題となったセッション1では、目覚ましい経済成長を続けているアジアがこれからも繁栄していくためには何が必要かが議論されました。

 

潘基文国連事務総長アウトリーチ会合1における発言はこちらです >>>http://www.unic.or.jp/news_press/messages_speeches/sg/19098/

 

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アウトリーチ会合の前に安倍晋三首相の出迎えを受ける事務総長 (5月27日)

 

事務総長は、「持続的かつレジリエントな21世紀のインフラへのG7の投資は、持続可能な開発全般に対する重要な貢献」と指摘し、気候変動などに配慮しながらも、人口が急増する地域に早急なインフラ投資を行う必要性を訴えました。

 

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G7伊勢志摩サミットのアウトリーチ会合セッション1の様子 (5月27日)

 

また、建設されるインフラが、経済的、社会的、環境的に持続可能なものとなるように設計、実施され、経済の成長と公平性に寄与するものであること、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」をアカウンタビリティーのための共通の枠組みとして使うことなどを提案しました。

 

さらにアジアでの緊急の課題として、挑発的な行動を続けている朝鮮民主主義人民共和国DPRK)に対して、G7各国に関連する安保理決議や制裁措置を全面的に実施するよう求めました。6か国協議の参加国には、緊張緩和のため対話を進めるよう促しました。

 

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G7伊勢志摩サミットアウトリーチ会合に参加した首脳の集合写真 (5月27日)

 

ワーキングランチの形式で行われたセッション2は「開発、アフリカ」がテーマとなりました。事務総長は冒頭で会合出席者に、SDGs策定を実現したリーダーシップとSDGs関連措置の実施を感謝し、関連する次のような優先課題へ力を注ぐよう促しました。

 

潘基文国連事務総長アウトリーチ会合2における発言はこちらです >>>

 http://www.unic.or.jp/news_press/messages_speeches/sg/19124/

 

1つ目は気候変動です。昨年採択された気候変動に関する新枠組み「パリ協定」の早期批准を訴えました。事務総長は、2016年末までに全世界の温室効果ガス排出量55%以上を占める55か国の批准を確保を目指しており、G7とEU加盟国に協力を呼びかけました。

 

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氷床の融解が進むグリーンランドイルリサット・アイスフィヨルド。事務総長も視察した(2014年)UN Photo/Mark Garten

 

 2つ目に訴えたのは人道対策です。開催されたばかりの「世界人道サミット」に言及しながら、近年、人道支援の必要性が劇的に高まり、対策費用も急増している中で、事務総長の報告書「人道への課題」への支持を訴えました。また、紛争予防やレジリエンス構築への投資増額も呼びかけました。

 

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5月23・24日にイスタンブールで開かれた世界人道サミット UN Photo/Eskinder Debebe

 

3点目は難民と移住者への対策の充実で、紛争や気候変動による難民や移住者の流入に対して、各国にグローバルな手法を採用するよう勧め、9月にニューヨークで開かれる移住者に関するサミットへの出席を求めました。

 

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故郷を離れ、トルコ国境に近いシリアの都市コバニに到着する難民 (2014年9月)UNHCR / I. Prickett 

 

4点目はグローバルな保健について、エボラ出血熱をはじめとする健康危機に対する各国の寛大な対応を称えました。国連は、エボラ出血熱の大流行から教訓を学び、今後に生かすため、国家元首経験者などによるハイレベルパネルを設置し、提言を行いました。

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エボラ出血熱が疑われる患者を搬送した後、消毒を行う救急隊員(2014年、シエラレオネ)UN Photo/Martine Perret

 

最後に、SDGsです。事務総長は、日本がSDGsを推進する首相直属の拠点を置いたことを称賛し、すべてのリーダーに、SDGs実施を監督する小規模のハイレベル機関の設置を促しました。

 

アウトリーチ会合出席の合間に、事務総長は各国首脳と個別会談も行いました。グエン・スアン・フック・ベトナム首相との会談では、国連との密接な協力を感謝し、国連平和維持活動(PKO)への貢献拡充の準備などに謝意を示しました。また、パプアニューギニアのピーター・オニール首相とは、ブーゲンビルの将来の地位に関する住民投票や、気候変動、災害リスク軽減などについて話し合いました。

 

・潘事務総長とグエン・スアン・フック・ベトナム首相との会談内容はこちらです >>http://www.unic.or.jp/activities/ban_ki-moon/sg_visit_to_japan/19089/

・潘事務総長とパプアニューギニアのピーター・オニール首相との会談内容はこちらです >>>http://www.unic.or.jp/activities/ban_ki-moon/sg_visit_to_japan/19116/

 

G7サミットをホストした日本政府は、サミット前にSDGs推進本部を設置するなど、積極的な姿勢を示してきました。サミット会合でも日本は、G7各国でSDGs実施をリードしていこうと呼びかけました。日本は、SDGsの重要な要素である国際保健や女性の活躍推進などの支援に力を入れていくことを表明しています。

   

一方、SDGs推進への機運を高めようと、市民社会もG7伊勢志摩サミットに合わせてイベントを開きました。国際メディアセンター(伊勢市)の隣には「NGOワーキングスペース」が置かれ、展示や会見などを行いました。25日には、当国連広報センターの根本かおる所長も参加して「17人18脚」のパフォーマンスを披露。各国にSDGsへの取り組みをアピールしました。

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SDGs推進への取り組みをアピールして行われた17人18脚(5月25日) ©2016年G7サミット市民社会プラットフォーム

 

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 サミット期間中、参加した市民社会の代表らがその日の議論を象徴する一文字を決め、書家の徳山尭浩さんが大書した。この日26日は「視」と決まり、多様性の中にも方向性は一つという期待をアピールした  ©2016年G7サミット市民社会プラットフォーム

 

27日夕方、潘事務総長は滞在を終え、日本を離れました。

 

 

 

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (1)

               

2016年8月27~28日、ケニアで第6回アフリカ開発会議TICAD VI)が開催されます。初めてアフリカで開催されるTICADに向けて、国連広報センターでは日本の自衛隊国連PKOに参加し、また多くの日本人国連職員が活動する南スーダンを事例にして、様々なアクターの皆さんに、それぞれの立場からTICADで議題となる課題について考えていただくという特集をシリーズでお届けします。

 

シリーズ第1回は、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)救援・再統合・文民保護部(RRP)で分析ユニット統括をされている小塚千雪さんです。南スーダンでは、人口の2割もの人々が故郷を追われ、国内避難民(IDP)や周辺国で難民として避難生活を送っています。小塚さんの統括する分析ユニットは、情報分析を通じて避難民への人道支援や帰還支援が戦略的・効果的に進められるよう提案を行うなど、重要な役割を果たしています。TICAD VIの目標でもあるアフリカの平和と社会経済開発は、小塚さんたち南スーダン再建に関わる人々が共有しているゴールでもあるのです。

 

第1回 国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)小塚千雪さん

~効果的な文民保護と国内避難民の帰還に向けて~

 

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       小塚 千雪 (こづか ちゆき)  同僚とオフィスで(筆者右)

 静岡県出身。上智大学法学部国際関係法学科卒業後、静岡県富士市役所勤務。その後国際基督教大学大学院で行政学修士号取得。ロンドン大学コモンウェルス研究所博士課程退学。在エチオピア日本大使館政務班、在英国日本大使館政務班にて専門調査員として勤務。国連リベリア・ミッションでの政務官、及び国連本部政務局アジア大洋州部での政務官を経て、2015年より現職

 

南部スーダンの国内避難民

現在、南スーダンは、全人口約1,200万人中、およそ160万人が国内避難民(IDP)、70万人強が南スーダンから近隣諸国に難民として流出しています。この人道危機は、2013年末の与党スーダン人民解放運動(SPLM)の内部派閥抗争を発端として、キール大統領率いるSPLMとマシャール副大統領(当時)率いるSPLM反対派(SPLM in Opposition)との武力衝突が、首都ジュバからナイル川沿いの州に拡大し、国内の他の地域でも民族、部族間での抗争が悪化しました。13年末の抗争直後には、IDPおよそ8万人が、国内10カ所にあるUNMISS事務所のうち、ジュバ本部を含む5カ所に流入し、UNMISS文民保護区(Protection of Civilians sites)が設立されました。国内抗争はその後も続き、UNMISS文民保護区のIDP人口は、15年8月時点で計6カ所の文民保護区に約20万人が滞在するまでに拡大したのです。同月、政府間開発機構(IGAD)および関係諸国による調停の下で和平合意文書が署名され、16年4月にようやく暫定政権が樹立されました。不安定な情勢が続く中、UNMISSによるパトロール人道支援機関との協力が功を奏し、IDPがUNMISS文民保護区を離れ、出身地や他の地域に帰還する事例も報告されていますが、16年5月末時点で、17万人を超えるIDPが文民保護区に留まっています。

 

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       ユニティー地方ベンティウの国連文民保護区。10万人近いIDPを

                    収容し、UNMISS文民保護区のなかでも最大規模(筆者提供)

            

 

国連安保理決議とUNMISS RRPの任務

 国連安保理決議によるUNMISSのマンデートは、1. 文民保護、2. 人権状況の監視および調査、3. 人道支援実施の環境づくり、4. 監視検証メカニズムおよび停戦暫定治安メカニズムの履行支援、の4本柱からなっています。私が所属する救援・再統合・文民保護部(Relief, Reintegration and Protection Section: RRP)は、上記マンデートのうち、1. 文民保護、および3. 人道支援実施の環境づくりにおいて主要な役割を担っています。具体的には、

1) UNMISS文民保護区内のIDPの保護

2) UNMISS文民保護区内、その他地域にいるIDPおよび脆弱なコミュニティーを対象とした人道支援

3) IDPの安全な帰還、再統合

の3分野での成果を挙げるべく、UNMISSの関連部署、人道支援機関および開発援助機関と調整し、さらには現場の政府機関、住民との協力関係を構築することを任務としています。さらに、小規模、低価格、短期間で、国連PKOミッションと住民との信頼関係構築を目的としたプロジェクトを行う「クイック・インパクト・プロジェクト(Quick Impact Project: QIPs)」の実施も主要な任務の一つです。

 

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UNMISSで「国連平和維持要員の国際デー」(5月29日)を記念するイベントが開催された。エレン・ロイ事務総長特別代表が挨拶し、各要員の貢献に敬意を表すとともに、マンデート履行に向け引き続き努力を要請した (筆者提供)

 

 

RRPという部署は、他の国連平和維持ミッションには存在しません。南スーダン文民支援を行う上で、南スーダン固有の課題に対応するために作られた、ユニークな部署です。UNMISS文民保護区は、保護区とはいえ完全に安全ではなく、滞在するIDP同士間での暴力、特に女性のIDPを狙った性と性差による暴力(Sexual and Gender-Based Violence: SGBV)、窃盗などが絶えません。保護区内の治安の悪化は、人道支援にあたるスタッフの身の安全にも影響を及ぼしています。            

 

2013年12月以後も、上ナイル地方、ユニティー地方では抗争が激化し、多くの市民が家を追われ、家畜を奪われ、農作業ができなくなったため、深刻な食糧不足に陥ってIDPとなり、UNMISS文民保護区に流入しました。新たに流入したIDPを保護するためには、保護区を拡大し、IDPが滞在できる仮設住宅を増やし、保護区内の人道支援を増強する必要が生じます。

 

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         上ナイル地方マラカルの国連文民保護区。2015年初めに4カ月間で約2万人

         のIDPが流入し、UNMISSと人道支援機関は仮設住宅の建設に追われた。

         紛争による疲弊が激しく、ベーシックな建設資材さえも首都ジュバからの

                           輸送に頼るほかない (筆者提供)

 

さらに、文民保護区にさえ到達できない市民、文民保護区ではなく通常のIDPキャンプに滞在する市民も様々な保護を必要としていますが、こうした地域は舗装道路がなく、治安が極めて不安定であるため、人道支援を安全に届けるためには慎重かつ周到な準備が必要となります。

 

こうした課題に対応するために多様な部署、機関が協力する必要があり、RRPがフォーカル・ポイントとなって調整を行います。その調整事項は、多岐にわたります。文民保護区内で、IDP同士が些細な言い争いを発端にコミュニティーを巻き込んだ暴動を引き起こした際、仲裁に入ることや、人道支援機関が道路もあまりないような地域に支援物資を安全に届けるうえで助言をすることなど、文民保護、人道支援にまつわるあらゆる課題に対応しているのです。

 

クイック・インパクト・プロジェクト(QIPs)とは、国連平和維持活動の一環として行われる、小規模かつ短期間のプロジェクトであり、国連PKOミッションと地元住民との信頼構築を目的としています。UNMISSは、前述した4本柱のマンデートの中でも、文民保護、人道支援実施の環境づくりの分野で、地元コミュニティーに直接還元するプロジェクトを実施しています。

 

例えば、首都を離れた地域で、紛争により壊れた橋や学校を修復したり、基本的な医療を提供できる小さなクリニックを設立したりしています。このようなプロジェクトによって、人道支援団体が橋を渡って対岸の地域に支援物資を届けたり、雨季でも学校の建物の中で授業が受けられたり、子供や妊婦が徒歩圏内で治療を受けたりできる、という結果をもたらしています。QIPsは、コミュニティーセンターの建築も行っており、やがてIDPや難民が帰還する際に、帰還者と受け入れ側のコミュニティーが対話を持つことで信頼を醸成できるよう、将来の平和構築を見据えた支援も行っています。

 

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          建設中のQIPsの現場を定期的に訪れ、進捗状況を確認しながら、

          地元政府、住民との信頼醸成を行う (筆者提供)

 

QIPsにおけるRRPの役割は、州政府と協議し、地元コミュニティーのニーズに合うプロジェクトを立案し、実施できるよう助言を行うことです。QIPsでは、UNMISSに参加している加盟国の部隊が建設作業を実施する例もあります。その際にも、州政府と加盟国の部隊の間を取り持ち、地元のニーズにあうプロジェクトを行うよう、コーディネーターとして仲介を行います。

 

RRP分析ユニットの仕事

 RRPの担当官は、全国10カ所に展開するUNMISSフィールド事務所に派遣されています。これらのRRPチームは、各地の最前線で、UNMISSの様々な部署、人道支援に携わる多様な機関、地方政府関係者と緊密な協力関係を築き、文民保護、IDPや難民への人道支援の拡充および帰還支援に貢献しています。RRPチームは、活動報告書を毎日作成し、RRP本部に送付してくるので、その報告書を取りまとめ、分析するのが、私が統括するRRP分析ユニットの主要な仕事となっています。

 

分析ユニットはRRPの中でも新しい部門で、私が2015年8月に着任した際に、UNMISS本部にあるRRP本部の分析部門を立ち上げ、強化するよう、直属の上司から指示を受けたことをきっかけに設立されました。RRPの多様な活動を記録し、分析することは、業務の成果を明確にし、様々な課題の中から優先事項を決め、その実施のために時間や労力を効率よく使う上で重要な作業です。特に国連平和維持ミッションは安保理決議によるマンデートの下に活動している以上、日々の業務をマンデート履行に関連させる必要があり、現状や日常の活動内容を分析することは、仕事の成果を明確にし、マンデート履行に貢献する上で非常に重要です。

 

分析ユニットを強化する上で、現場にいるRRPチームとの信頼関係が欠かせません。現場の同僚と毎日のように電話会議をし、国内出張も可能な限り行い、フィールド事務所の同僚の仕事に同行する機会をできる限り多く持つよう努めています。そうすることで、最前線の同僚たちが直面する状況や困難を的確に理解し、本部ユニットとして分析的、戦略的な助言を行い、現場での成果を向上させることに繋がるからです。フィールドにいるRRPチームと緊密に協力しながら、日々の報告書を作成するのみならず、中長期的なトレンドを分析し、UNMISSの他部署、人道支援機関に対する提言などをまとめた報告書も作成できるようになってきたことは、成果の一つです。

 

さらに、UNMISS文民保護区内での暴力や女性IDPを対象にした犯罪が一向に減少しない問題に対応するため、RRPチームとともに、文民保護区内のIDPを対象とした研修を計画しました。その第1回が2015年12月に行われ、文民保護区内のIDPや文民保護区内で活動する人道支援機関と協力し、約130人のIDPを対象に、ジェンダー保護を向上させるための行動計画などを討議し、策定することができました。

 

2016年4月には、15年に実施されたQIPsで基本医療施設が完成し、その落成式に参加する機会がありました。落成式では、地方政府高官、地元コミュニティーの長老が参列し、建設された施設が医療事情の改善のみならず医療施設での雇用を促進する機会にも繋がること、そのために州政府は職業訓練を実施すること、設立された施設が安全に維持・運営されるよう、州政府、地元コミュニティーが協力して取り組むことを誓いました。

 

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       2016年4月、基本医療施設の落成式。QIPsとしてネパール部隊が

       建設した (筆者提供)

 

ただ施設だけ建設しても、地元の医療向上には繋がりません。州政府が予算をつけて医療技術者を養成し、基本的な医療物資を配備したり、地元政府機関と地域社会が一丸となり、医療設備が攻撃や略奪の対象にならないよう警備したりといった協力が不可欠です。そのためにプロジェクトの企画段階からRRPが州政府、地元コミュニティーと何度も協議し、この医療施設の運営には州政府と地元コミュニティーの協力が不可欠であること、施設が安全に運営されてこそ、UNMISSの貢献も効果を挙げられることへの理解を求めました。落成式での地方政府、地元コミュニティー関係者による挨拶は、RRPの働きかけが功を奏したと言えるでしょう。落成式の様子は国内の報道機関が取材したほか、地元住民が大挙して押し寄せて様子を見守り、QIPsがUNMISSに対する信頼を醸成する上で大きな役割を果たしていることを肌で実感する機会となったのです。

                

2015年度(2015年7月~16年6月)には新しい試みとして、RRPの業務評価やトレーニングを計画、立案し、国際コンサルタントから協力を受けながら実施するなど、RRPの業務の質を向上させる取り組みも行っています。このような努力が16年度にどのように実を結ぶか、楽しみにしています。

 

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        南スーダン各地からRRP担当官を集め、IDPの帰還と再統合をテーマにトレー

        ニングを行った     Photo/UNMISS RRP (右端が筆者)

 

こうした業務を遂行する上で、国連内外での経験が大いに役に立ち、これまでお世話になった上司、同僚から多くの学びを得られたことを改めて感謝しています。同様に、南部スーダンでの経験もこの先、様々な場面で生かせることを楽しみに、いま学べることを精一杯吸収できるよう、取り組もうと思っています。

 

IDPの帰還に向けたUNMISSと人道支援機関との協働

 2015年8月に和平合意が署名されたことを受け、UNMISSと人道支援機関は協力関係を強化し、IDPの帰還を支援する取り組みを行っています。15年にUNMISS文民保護区内のIDPを対象に調査を実施した際には、UNMISSと人道支援機関、調査を実施するコンサルタントと何度も協議し、UNMISS文民保護区のIDPがどのような状況下で、どこに帰還したいのかを洗い出すために統計調査を企画し、調査結果を分析しました。その結果を踏まえ、UNMISSと人道支援機関は作業部会を立ち上げ、帰還の意思を持つIDPが、UNMISS文民保護区を出て希望する地域に帰還できるよう、協力しながら多面的な支援を立案、実施する試みを行っています。

 

国際人道支援の慣習が示すとおり、IDPの帰還は任意かつ安全である必要があり、そのためには、帰還ルートの安全、受け入れ先の地方政府、地元コミュニティーの協力、帰還直後に生活が軌道に乗るまでの支援など、IDPの帰還後の生活も視野に入れた計画が必要となります。作業部会の仲間と帰還先を視察したり、首都ジュバの作業部会とフィールドの作業部会とが協議を重ねながら、ジョングレイ地方において2016年3月から200名強のIDPの帰還を支援できました。ユニティー地方のUNMISS文民保護区からも、16年3月から5月末までの間に、約2万人が文民保護区を出て地元や他の地域に帰還を始めました。その一方で、UNMISSは人道支援団体と協力し、限られた予算と人員の中、UNMISS文民保護区の外、特にIDPが帰還すると予測される地域での人道支援と治安を強化する努力を積み重ねてきました。UNMISSの文民保護区の中でもユニティー地方のそれは最大規模であり、紛争の激しさが分かります。その地域で帰還が始まったことは朗報であり、UNMISSと人道支援機関が一体となった努力の成果といえるでしょう。今後さらに帰還を支援しつつ、帰還先での生活が安定し安全なものとなるよう、引き続き、UNMISSと人道支援機関が協力し、地元政府やコミュニティーとも調整を重ねていく予定です。

 

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      素晴らしい和太鼓を披露した日本の自衛隊。娯楽がほとんどない生活環境

      で、平和維持要員の文化行事は数少ない楽しみであり、文化外交の機会

     (筆者提供)

 

終わりに

2015年8月の和平合意の署名に続き、8カ月にわたる交渉を経てようやく2016年4月に暫定政権が樹立されました。和平プロセスへの機運を高め、実施を確実なものとするため、平和の配当として国民の生活が目に見える形で改善する必要があります。IDPが比較的安全となった地域へ任意で帰還を始めていることは朗報であり、期待も高まっています。

 

とはいえ、南スーダンの状況は脆弱です。本年2月中旬、上ナイル地域の主要都市マラカルにあるUNMISS事務所に併設したUNMISS文民保護区で暴動が発生しました。文民保護区に居住していた多数のIDPが仮設住宅から避難することを余儀なくされ、暴動でIDPを含む25名が死亡する事態となったのです。2013年末以来、様々な困難をはねのけながら積み上げてきた努力が、一晩のうちに水泡に帰した現実に落胆する同僚を見るのは、辛いものがありました。

 

和平プロセスは平坦ではありませんが、小さな可能性も見逃さず、一人でも多くのIDPが無事に帰還できるよう、フィールドの同僚、人道支援機関と協力を一層強められるよう、自分の任務を果たしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために — 世界人道サミット5月開催」(12・最終回)

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シリーズ最終回は、国連人道問題調整事務所(OCHA)フィリピン事務所から小出圓(こいで まどか)さんのお話をお伝えします。OCHAの役割は災害や紛争時にいち早く現場に入り、人道危機の実態とそれに対する支援・貢献可能なステークホルダーの所在分布などを俯瞰的に把握、資源・情報・人員の適時配分戦略を立てることで被災者・救援者双方をサポートすることです。国際人道支援の現場において民間セクターの役割はドナーからアクターへ、より積極的なものになり続けているといいます。国内外・官民など既存の人道システムの連携をOCHAが調整し、更に国連という立場ならではの付加価値を提供することでより効率的な支援が可能になるのです。こうしたパートナーシップの強化は確実に次の予防へと生かされてはいるものの、未だ危機の内で苦しんでいる人々がいること、そして彼らこそが世界人道サミットの主役であることを忘れてはならない、と小出さんは結んでいます。

 

    第12・最終回 国連人道問題調整事務所(OCHA)フィリピン事務所

     人道問題アソシエート担当官 小出 圓(こいで まどか)さん

       —フィリピン台風支援における民間セクターの活躍から学ぶ—

                                             届ける支援から、繋がる支援へ

 

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東京都出身。高校留学を機に渡米しアメリカのオーバリン大学で異文化コミュニケーションと生物学を専攻。卒業後、国連ニューヨーク本部でツアーガイドとして勤務する傍らジョージタウン大学大学院で言語・コミュニケーション研究修士号取得。国連事務総長報道官室勤務を経て、2014年6月より日本政府・外務省が派遣するジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)として現職

 

台風ハイヤンとOCHAの役割

 

2013年11月8日は、フィリピンの多くの人たちにとって日本の3.11にも似た追悼と教訓の意味を持っています。この日フィリピン中部サマール島に上陸した台風30号(国際名:ハイヤン)は、死者・行方不明者7,300人以上、損壊家屋約114万戸(うち半数近くが全壊)、500万人以上が避難生活を余儀なくされるという未曾有の大災害を引き起こしました。 

 

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      台風30号による高潮で打ち上げられた船で自宅を破壊された少年 フィリピン中部レイテ島タクロバ

      ン市にて(2013年12月撮影、©OCHA Gemma Cortes)

 

直後の国家非常事態宣言を受け、各国政府や国連赤十字NGOなどが救助隊や医療チーム、救援物資を送るとともに義援金を募り、被災した地域の救援・復興活動を助けるための大規模な国際人道支援が始まりました。続々と到着する緊急援助のエキスパート達に混ざって、民間企業も支援に加わりました。高潮で壊滅的な被害を受けたレイテ島のタクロバン市では、コカコーラが工場内の水と缶・ボトル飲料を被災者に提供。破損した工場を閉鎖せずに再稼動する決断をし、地元の経済復興にも大きく貢献しました。また国内の通信サービス会社が被災直後から寸断されたネットワークの復旧に努め、無料通話や携帯端末の充電サービスを提供したことが、安否確認や救援情報共有に役立ちました。

 

私が勤める国連人道問題調整事務所(OCHA)も、フィリピン政府や国内外の支援組織と提携しながら、被害状況や被災者のニーズの把握と情報管理、それに基づく包括的かつ戦略的な国際人道対応計画の作成、さらに被災者と支援者との対話の促進などに尽力しました。OCHAの仕事は水や食料の支給や医療処置といった目に見えやすい支援ではありません。しかし災害・紛争時、いち早く現場に入り、人道危機の実態とそれに対する様々な支援、貢献可能なステークホルダーの所在分布などを俯瞰的に把握し、資源・情報・人員の適時配分戦略を立てるOCHAの存在はとても重要です。 こうした活動を通じて、被災者と救援者双方をサポートしながら、混乱を解消し、最も必要な支援が、それを最も必要としている人たちに、より早く、効率良く届けられるよう緊急支援活動全体をコーディネート(調整)する、いわば「縁の下の力もち」の役割を担っているのがOCHAなのです。

 

民間セクターとのパートナーシップ

 

台風30号の緊急対応時、OCHAは初めて民間セクター協力の専門スタッフを現地に派遣しました。というのも、被災地域の危機的な状況が国際的に報道されたこともあり、直後から世界中の企業や財団などから救援の打診が集まってきたからです。大規模災害に際して民間セクターの緊急支援が大きな役割を果たすことはこれ以前にも知られていましたが、台風30号の対応時にはそれを戦略的にコーディネートし、 国内外の既存の人道システムと連携させることで、救援活動全体の効率化をはかる取り組みがなされました。

 

これに対しOCHAは企業向けの状況報告と支援の要請・手順をまとめたビジネス・ブリーフ(英語)を配布。同時に、フィリピン国内の企業ネットワークや商工会とも連携して、これまで主に国際機関、赤十字そしてNGOが中心となって提唱・実践してきた国際人道支援の仕組みと基本原則を民間セクターにも理解、支持してもらえるよう働きかけました。

 

また、以前から全体像が捉えにくかった民間セクターの人道支援への取り組み、特にフィリピン国内の企業や財団の救援・復興活動について把握し、人道クラスターシステムを通じて国レベルの支援活動に戦略的に加わってもらえるようコーディネートする試みも始まりました。実際、国内企業や財団の多くが、フィリピン政府の復興対策案をサポートする形で、被災者の仮設住宅の設営、学校や病院などの再建、食料や水の支給、打撃を受けた零細企業の再興支援などを展開していきました。

 

フィリピンの国際人道支援を統括する人道チームが取りまとめた「台風ハイヤン戦略的対応計画(英語)」の最大のスポンサーは、実にその25%以上 — 金額にして1億2000万ドル以上(日本円で130億円余り) — を寄付した民間セクター(個人を含む)でした。しかも、この中には先に紹介したような地元企業の初期対応や復興支援は含まれていません。さらに国外の企業がその専門技術やサービスを提供して行った支援 — 航空会社による救援物資の輸送や、コンサルティング会社が被災した自治体や支援組織に対して行った復興コンサルティングサービスなど — も含めると、「ヒト、モノ、カネ」を動員した民間セクターの人道的貢献は計り知れません。

 

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    避難生活を送る台風30号被災者たちのライフライン、携帯電話。フィリピン中部サマール島ギワン市に       て(2014年2月撮影 ©OCHA Gemma Cortes)

 

私がOCHAフィリピン事務所に赴任したのは台風から半年あまりが経った2014年6月でしたが、着任直後の仕事の一つとして、人道支援のための民間セクターとのパートナーシップ促進を任されました。新興国でありながら世界有数の災害多発国でもあるフィリピンには、 防災、災害対応、復興支援の経験やリソースが官民を問わず蓄積されています。 被災国、被災地域主導の救援・復興活動でそれらが最大限活用されるようサポートしながら、OCHAの付加価値 — 大規模な国際緊急対応をコーディネートするノウハウや、中立性や独立性といった国際人道原則の啓蒙、人道危機下で特に弱い立場にある女性や子供のニーズの主張など — をどう付与できるかを戦略化し、民間セクターとのパートナーシップに実践・適用する、とてもやりがいのある仕事でした。

 

民間セクター:ドナーからアクターへ

 

台風30号被災地域での国内外の民間セクターの活躍は、産業界が資金面の援助だけでなく、人道支援の第一人者としてどんな貢献をしているのか、しうるのかを国際社会に報告・提言する機会となりました。そしてこのような試みは、昨年3月に携帯通信事業の国際ネットワークGSMAが採択しこれまでに大手携帯電話会社6社が加盟した人道接続性憲章(英語)や、ユニクロが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)とのパートナーシップを通じて行っている世界中の難民への衣料支援などに見られるように、業種や国境を超えて広がっています。

 

そして民間セクターには、慈善事業や企業の社会責任といった枠組みを超えた「人道への投資」 を唱える人たちもいます。災害が起きてから対処するのではなく事前の危機管理に努めることや、人道危機の影響を受けやすい地域の社会・経済基盤を固めてコミュニティの強靭性を高めることは、いざという時の事業継続性の確保や経済の早期回復につながる。そしてそのために各業界の先端技術や革新的なアイデアを活用することはビジネスとしても合理的である、という考え方からです。

 

こうした民間セクターネットワークの一つがフィリピン災害復興財団(PDRF)です。PDRFは2009年に設立された、フィリピンでは比較的新しい企業財団ですが、政府をはじめ国連や災害マネジメントの研究機関、地元メディアやNGOなどと積極的にパートナーシップを構築してきました。台風30号被災地域での救援・復興活動が一段落した2015年からは、フィリピンの産業界がより戦略的に防災及び災害対応に取り組めるよう、国際機関や市民団体の有識者を招いた会議やワークショップを定期的に開催し、マニラ首都圏直下型地震や大型台風を想定した民営の災害オペレーションセンターの設置を目指すなど、活動の幅を広げています。昨年3月に仙台で開かれた国連防災世界会議にも参加し、フィリピンの民間セクターが政府や国際機関と協力しながら行っている人道活動について発表、他国からの参加者との意見交換も行いました。

 

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      左からDavid CardenOCHAフィリピン事務所長(当時)、 フィリピン市民防衛局長官兼国家災害リス

      ク軽減管理評議会事務局長Alexander Pama氏 、 そしてPDRFのButch Meily 代表。全国地震訓練前の

      マニラ準備会合にて(2015年3月撮影、 PDRF)

 

広がるパートナーシップと世界人道サミット

 

フィリピンでは民間セクターの他にも、大規模災害時の捜索・救援活動に携わる軍関係者、 生活援助や緊急雇用支援を支える銀行や金融会社、さらに被災者との対話を救援・復興活動に反映していく「コミュニティ・エンゲージメント」を推進するメディアや地元の市民団体などが、人道支援の重要なパートナーとして政府や国際機関と一緒に活動しています。そして今、こうした幅広いパートナーシップが既存の人道システムを見直し刷新する原動力となることが期待されています。

 

5月23日と24日にトルコのイスタンブールで開かれる世界人道サミットでは、現在私たちが直面している人道危機をめぐる最重要課題の多くが、各国政府、国際機関、市民社会、民間セクターなどの代表によって議論されます。温暖化と気候変動の影響で激化・頻発する自然災害や、長引く紛争やテロによって拡大・複雑化する人道ニーズと支援格差にどう対応するのか。組織やセクター、人道支援と開発支援の壁を超えて多くのパートナーが協力し、より効率的・効果的に人道支援を実現するためにはどんな合意や枠組みが必要なのか。進化を続けるメディア・データ工学や無人航空機などの革新技術を緊急援助にどう応用できるか、など。

 

サミット開催に先駆けて今年2月に国連事務総長が発表したレポート及び「人道への課題(Agenda for Humanity)」には、こうした問題に取り組む上で国際社会が共有すべき「5つの核となる責任」が示されています。難民や移民の自国外の経済社会活動への参加と貢献促進、より洗練された危機管理に基づく保険や投資、官民連携における相補性の強化など、民間セクターが果たせる役割についても提案されています。

 

台風30号から2年以上が経ち、大きな被害を受けたフィリピン中部でも復興が進んできました。被災地に届けられた支援の多くが、それを支えた様々なパートナーシップと、そこから生まれた新たなパートナーシップによって 「次」に備えた防災とコミュニティ強化に生かされています。

 

でも世界では今、日本の人口に匹敵する1億2500万人もの人たちが自然災害や紛争の犠牲となり、生きのびるための支援を必要としています。想像してみてください。彼らがやっと辿り着いた避難所に水がなかったら。緊急医療を提供する病院が爆撃されたら。自分の家や国に何年も帰れなかったら。

 

世界人道サミットの本当の主役は、危機の瀬戸際でいのちを削っている被災者たちなのです。国際社会はその声に耳をかたむけ、例えばフィリピン、そして日本で描かれた支援の未来像を、明日のいのちを繋いでいくための具体的なコミットメントに結びつけられるでしょうか。そこには私たち一人ひとりにできることがあるはずです。

 

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   台風30号被災地域への救援・復興支援に対し「どうもありがとう」とお礼のメッセージを書いた紙を掲げ

   る子どもたち。フィリピン中部レイテ島タクロバン市にて(2014年2月撮影、 ©OCHA Gemma Cortes)

 

 

OCHAと世界人道サミットについて、さらに詳しくはこちらもご覧ください。

 

OCHA神戸事務所ホームページ

 

OCHA神戸事務所「世界人道サミット」ページ

 

OCHAフィリピン事務所ホームページ (英語)

 

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シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために ― 世界人道サミット5月開催」(11)

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シリーズ第11回は、国連人道問題調整事務所(OCHA)人道問題調整官の高尾裕香さんです。人道支援のための資金不足が深刻な問題となっている中で、災害や人道危機が起きた場合でも迅速な対応ができるよう、OCHAは資金や実施団体集めや資金の効率的な運用において重要な役割を果たしています。内戦後、医療体制が整っていなかったシエラレオネでは、2014年にエボラ出血熱の感染が拡大し、人々は日々の行動が制限されたり、伝統的な埋葬が禁止されたりしました。緊急時の対応計画の策定・能力強化のため、高尾さんは支援機関間、また支援機関と政府間での協力の重要性を指摘しています。

 

                 第11回 国連人道問題調整事務所・人道問題調整官 高尾裕香さん

                                ~人道危機に備えて、国際社会の協調が重要~

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       高尾 裕香(たかお ゆか)人道問題調整官(写真中央)

ニューヨーク市立大学で政治科学学士、ロンドン大学にて暴力、紛争と開発コースで修士号を取得。ウガンダでの村落開発(青年海外協力隊)、ハイチでの震災後の緊急・復興支援(NGO)、スーダンダルフール(OCHA/JPO)での緊急支援を経て2015年6月から現職。

 

シエラレオネ:迅速な資金供給とコーディネーションでいのちを救う

世界人道サミットで議論されるテーマの一つが資金の多様化と最適化です。人道支援のための資金繰りはここ10年で困難を極めています。現在世界が人道支援に必要とする資金は15年前と比べて12倍になったと言われており、2016年には不足額は150億ドルにも上ります。資金が減りニーズが増えていく中、人道支援団体にとって資金元の多様化(アラブ諸国など、従来ドナーではなかった国々を巻き込むなど)、また問題の根本的な解決(防災に力を入れるなど)や人道支援の効率化を図ることが重要になります。

災害や人道危機が起きた場合、迅速な人道支援のため、人道支援機関は早急に資金を調達する必要があります。OCHA(国連人道問題調整事務所)が管理する中央緊急対応基金(Central Emergency Response Fund: CERF)は、そんな時に活用できる運用資金の一つです。こうした基金は自然災害の直後の食糧・水・仮設住居の支援に充てられるほか、難民キャンプに住む子供たちのための医療や栄養支援などに利用されます。

 

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ボンバリ地区にあるエボラ生存者のためのクリニックで、生存者から現在の抱えている問題を聞いているところ。エボラ生存者の多くはエボラ感染が終わってからも様々な健康問題を抱え、差別と闘っている。写真: OCHA

 

シエラレオネでは、CERFから資金がエボラ初期対応のためにUNICEF国連児童機関)、WHO(世界保健機構)、WFP(世界食糧計画)に支給されました。UNHAS(WFPが管理する国連人道支援航空サービス)はこの資金を使用するにあったって優先順位が高いと判断された活動の一つです。

メディアでは医薬品や水、食べ物などの直接救命に結びつく支援が報道されがちで、ロジスティクス(輸送)にはなかなか注目が集まりません。しかし、シエラレオネのように物理的なアクセスが難しい地域が多い国では、人材や支援物資を輸送するサービスが欠かせません。輸送手段がなければ、迅速で効果的な支援は不可能なのです。例えば、医療支援が絶対的に必要な人々がいたとして、医者、医薬品と医療施設が必要になります。この3つを揃えるだけではこの人々が助かる保証はありません。なぜなら、これらの3つが人々のもとに届かない限り、支援が始まらないからです。ロジスティクスは支援が支援を必要としている人々のもとへ届くよう、重要な橋渡しをする役割を担っています。

シエラレオネでは126万ドルがUNHASに支給され、医療従事者を含めた人道支援スタッフと、人道支援に必要な物資の輸送に使われました。複数の航空会社がシエラレオネへの就航を一時停止したため、渡航・輸送のオプションが減る中、UNHASは人・物を輸送しただけでなく、限られた資金を輸送ではなく実際の人道支援に使うことを可能にしたのです。迅速な資金供給と統制の取れた支援により、シエラレオネは2015年11月7日に最初のエボラ終息宣言を迎えることができました。

 

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           人道支援スタッフを輸送したUNHAS航空機。写真:WFP

 

私がエボラ対応のためシエラレオネに赴任したのは2015年の6月で、すでにエボラ感染のピークは過ぎていました。ピーク時の2014年11月には一週間で500件以上も感染が確認されていたのに比べ、到着時は週に10~15件程度。しかし、ピークは過ぎたにも関わらず、行く先々に手洗い場が設けられ、体温チェックを徹底していたのを覚えています。国連機関、NGO、関連省庁、路上検問所のみにとどまらず、スーパーマーケットやレストランでもです。大統領の非常事態宣言により、感染拡大防止のため1年以上スーパーマーケットやレストランは18時に閉店が義務付けられ、人が集まるイベントやスポーツはすべて禁止されていました。夜間にはシエラレオネの警察・軍隊の設置した検問所が多く設置され、各車両に感染者がいないかどうか、または感染の疑いのある遺体を運んでないかをチェックしていました。

 

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              検問所に設けられた手洗い場 写真:OCHA

 

シエラレオネでは様々な埋葬にまつわる伝統的儀式があり、それらは死者をあの世に導くためにとても重要だと考えられています。しかしエボラ犠牲者の遺体は感染力が非常に強いため、死因に関わらずすべての遺体を安全な方法で埋葬することが義務付けられ、伝統的儀式を継続することはできなくなりました。

例えば、シエラレオネでは埋葬前に家族が遺体を洗うことが習慣となっていましたが、感染の危険が非常に高いため許されませんでしたし、早急に埋葬するために、各宗教の指導者を招いて家族で埋葬に参加することも多くのケースでできませんでした。愛する家族が適切な儀式を受けられずボディーバッグ(遺体袋)に入れられ連れていかれる、それは家族にとって受け入れがたい現実だったため、病気になった家族を隠したり、遺体を隠して各家庭で埋葬をすることが多くありました。

 

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       首都フリータウンにあるキングトム墓地。エボラ感染のピーク時、遺体の処理が追いつかず、多くの

       遺体が身元を特定できずに埋葬された。写真:OCHA

 

エボラ感染ピーク時の混乱により、今でも多くのエボラ犠牲者の家族は、彼らの家族がどこに埋葬されたのかわからない状態です。このように、エボラ出血熱は命を奪っただけでなく、人々の生活に様々な影響を与え、心に傷を残しました。

 

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        首都フリータウンにあるキングトム墓地。エボラ流行時に亡くなった6千人以上の遺体が眠っている。

       黒く小さい墓石は子供のもので、多くの5才以下の子供や死産の赤ちゃんが眠っている。写真:OCHA

 

エボラ感染者と接触した疑いのある人は、感染の危険がある期間が終わるまで21日間隔離病棟・施設で暮らさなければなりません。私自身も高熱で国連クリニックに搬送された際、隔離ユニットに入れられ、エボラ検査で陰性が確認されるまで2日間拘束されました。感染のリスクは低いとわかっていても、防護服に身を包んだスタッフが血液採取に来た際は私でも緊張しました。エボラ感染が蔓延していた地域では、突然宇宙人のような、顔も見えない防護服に身を包んだ人たちが訪れる、そのことだけでも恐ろしい出来事だったでしょう。

 

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            隔離中、筆者の血液採取を行った研究所スタッフ 写真:OCHA

 

シエラレオネといえば、日本では残虐な内戦のあった国として記憶されているかもしれません。2002年に終結した10年以上にわたる内戦は、何万人という犠牲者を出しただけではなく、インフラや経済を破壊・疲弊させました。エボラ出血熱が最初に報告された2014年5月、シエラレオネはいまだ内戦の爪痕から回復していた時期であり、医療体制は脆弱でした。エボラ感染以前、人口に対する医療従事者の割合は1万人に対して17.2人であり、最低限のレベルとされる25人に満たない状態でした。エボラ出血熱に対しての準備もなく人的資源が不足する中、多くの医療従事者が患者の命を救うために犠牲になりました。シエラレオネ政府によると、医療従事者の300人以上が感染し、そのうち200人以上が亡くなったと報告されています。そのため、人口に対する医療従事者の割合は1万人に対して3.4人にまで落ち込んだと推定されています。

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    ポートロコ地区にあるエボラ対応施設。防護服に身を包んだ医師が看護師から経口補液を受け取るため

    に待機している。写真: OCHA

 

2014年5月26日、シエラレオネで初めてエボラ出血熱の感染が確認され、7月30日にシエラレオネ政府は非常事態宣言を発令。8月8日にはついに世界保健機構(WHO)が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言しました。以来、8,706人の感染が確認され、3,590人もの人々が命を落としました。2015年11月にWHOがシエラレオネでの人間間のエボラ感染の終息宣言を出したものの、2016年1月14日に再度感染が確認されました。奇しくも、西アフリカ全体におけるエボラ出血熱の終息が宣言されたその日に、新たな感染が報告されたのです。2016年2月24日現在、今回の感染は2例にとどまっています。エボラウイルスは動物界に存在するため根絶することは不可能ですが、感染が確認された場合に早急に対応・感染拡大を防止するための能力強化に力を入れています。2015年11月のエボラ終息宣言の後、シエラレオネ政府と国際社会の焦点はエボラにただ単に対応することではなく、感染症だけでなく災害も含めた緊急時の対応計画の策定・そのための能力強化に移りました。

 

OCHAのミッションの一つは防災・緊急時の対応計画策定の促進です。シエラレオネではResident Coordinator (国連常駐調整官)とともにOCHAがInteragency Rapid Response Plan(機関間即応計画)策定をリードしました。この計画はシエラレオネ政府へのサポートという位置づけで策定され、2016年1月のエボラ再来の際には、計画にのっとった感染対応が行われました。エボラ終息宣言により多くの人道支援団体が2015年末で支援終了の意向を示していた中、残存する対応能力を確認し、事前に計画することはとても大切でしたが、道のりは平たんではありませんでした。

第一に、この計画は2016年の一年間を対象としていたため、年間通しての責任を引き受けられる機関・団体が少なかったこと。第二に、ドナーにとってはすでにエボラ対応に相当の資金を注入していたため、人道支援ではない、インパクトがすぐに見えない緊急時計画にお金を出すことが難しかったこと。第三のチャレンジは国連機関、国際機関、NGOとドナー、様々な立場の団体を調整することでした。

OCHAは様々な団体が自分たちの機関のために計画に参加するのではなく、共通の目標を確認、設定し、各団体の強みを最大限に活かせるようリードするという、重要な役割を果たしました。ミーティングを重ね、各活動のリーダーシップを取るべき団体・人物を確認。各活動をリードするスタッフは、出身団体に関わらず、中立な立場で活動を調整すべきという認識を持ってもらうよう働きかけました。資金あるいは実施団体が不足していた場合、問題解決のためにドナーとも話し合いを続けました。これらの努力が、今年1月のエボラ再来に際して、迅速で無駄のない対応へと結びつきました。資金不足の状態では、支援機関間、また支援機関と政府間での協調がお互いの不足を補い、効率よく対応するために特に重要となってきます。シエラレオネ政府と国際社会は、エボラ感染が再度終息するよう、協力して力を尽くしていきます。

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    Interagency Rapid Response Plan(機関間即応計画)のデスクトップシミュレーション中。シナリオに

   沿って各アクターがどう対応するか話し合い、計画に何が足りないのかを確認している様子。写真: OCHA

 

日本はドナーとして、シエラレオネを含む多くの国の人道支援に貢献しています。東日本大震災の経験により、日本人の多くが人道危機は他人事ではないと実感したのではないでしょうか。人道支援対岸の火事としてとらえるのではなく、世界人道サミットが開催されるこの機会に、日本からの寄付金や、個人としての寄付金がどのようにすれば効果的に利用されるのか、日本の皆様にも考えていただけたらと思います。 

 

 

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シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために - 世界人道サミット5月開催」(10)

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シリーズ第10回は国連広報センターの根本かおる(ねもと かおる)所長による、南スーダンレポートをお届けします。現在国連PKOミッションは世界で16ヵ所展開されており、3番目の規模の国連南スーダンミッション(UNMISS)は唯一、文民を保護区で直接保護しています。5月に開催される世界人道サミットの主要な論点の「全てが凝縮しているマイクロコスモス」と根本所長が語る南スーダンの現場。臨場感あふれるレポートをお読みください。

 

     第10回 国連広報センター所長 根本かおる(ねもと かおる)

     ~南スーダンの人道危機の最前線で、世界人道サミットを考える~

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文民保護区の様々な課題について説明を聞く著者(中央)。左から2人目は、UNMISSベンティウ事務所の平原弘子所長。 ©UNMISS Patrick Orchard

           

東京大学法学部卒。テレビ朝日を経て、米国コロンビア大学大学院より国際関係論修士号を取得。1996年から2011年末までUNHCR国連難民高等弁務官事務所)にて、アジア、アフリカなどで難民支援活動に従事。ジュネーブ本部では政策立案、民間部門からの活動資金調達のコーディネートを担当。WFP(国連世界食糧計画)広報官、国連UNHCR協会事務局長も歴任。フリー・ジャーナリストを経て2013年8月より現職。著書に『日本と出会った難民たち-生き抜くチカラ、支えるチカラ』(英治出版)他。

 

 

監視塔からの眼下に広がる光景に一瞬目を疑った。援助団体のロゴマークが入ったビニールシートがどこまでも続いていた。ここは南スーダンの北部ユニティー地方のベンティウ近郊にある、国連南スーダンミッション文民保護区(Protection of Civilians site、略してPoC site)。筆者が入った2016年3月半ばの時点で、およそ12万人が避難していた。

 

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      ベンティウの文民保護区に12万人が暮らす。雨季に備えて、大きな溝が掘られている。

      ©UNIC Tokyo Kaoru Nemoto

 

逃げ場を失った人々の命を救うための緊急手段として、国連PKOミッションが始まって以来初めて敷地のゲートを開放してから2年あまり。人員・予算の規模で世界で3番目に大きい国連のPKOミッションである国連スーダンミッションは、文民の保護がマンデートの4本柱の一つだが、特筆すべきはミッション全体でおよそ20万人の文民を各地の文民保護区で直接保護していることだ。今でも文民保護区を管轄する国連PKOは南スーダンが唯一であり、あらゆることが前例のない模索になる。ベンティウの文民保護区は南スーダンで最大、つまり世界最大の文民保護区だ。

  

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       国連警察のフランシス・イルバアレ文民保護区調整官(左)©UNMISS Hiroko Hirahara

 

「緊急避難がここまで長期化して、保護区がここまで巨大化した今、一番の課題は他にすることのない若者による窃盗や強盗などの犯罪です。保護区内に24時間体制の監視塔を増やしたり、我々のパトロール体制や保護区の出入り口の荷物検査を強化しています」とガーナ出身の国連警察のフランシス・イルバアレ文民保護区調整官が説明する。

 

スーダンは2013年12月、2011年の独立から2年あまりで紛争に逆戻りし、それが今も北部と北東部ではまだら模様の状態で続く。地域によっては小康状態が続き、最近まだわずかではあるが、文民保護区から故郷に帰還したケースも出てきた。当初人々は切迫した危険から着の身着のままの状態で国連の敷地に逃げ込んできたが、あくまでもここは駆け込み寺だ。人々の帰還に向けた下地づくりが、現在国連スーダンミッションにとっての喫緊の課題の一つとなっている。それには、安全の確保、水衛生・食糧・医療といった当座を支える人道援助、人々の生計を支える支援、法の支配、インフラ整備(フランスとベルギーをあわせた面積の国で、舗装された道路が200キロしかない)などをシームレスに行う中長期的な計画が、国連PKOと人道・開発援助機関とが一体となった連携をベースに、南スーダン政府のリーダーシップで実施されなければならない。そのためには、2015年8月に署名された「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意文書」の遵守と、暫定政府の樹立、そして草の根の和解が不可欠だ。

 

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        配給される食糧援助が人々の命をつなぐ © UNMISS Zenebe Teklewold

 

「ベンティウの文民保護区に最近新たにやって来た人たちは、その理由に身の危険よりもむしろ深刻な食糧不足をあげています」

 

こう語るのは、国連スーダンミッションのベンティウ事務所の平原弘子所長だ。モンゴル軍やガーナ軍などの制服組を含め、総勢2,000人以上を統括し、人道援助機関とも連携する。PKOミッションは南スーダンが4つ目というベテランで、ユニティー地方での国連の顔だ。焦土戦術に加え、安全が確保されないために農作業ができず、収穫がなく、食べる物がない。食糧を緊急支援しようにも不安定な情勢やアクセスの悪さから届けることができない。安全の問題と密接に結びついた複合的な食糧不足だ。

 

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      ベンティウ事務所の平原弘子所長(右)。JICAがかつて整備したベンティウの町の浄水

      施設を、ユニセフが改修している。©UNMISS Zenebe Teklewold

 

「元々暮らしていた場所により近いところで、食糧や水などの緊急人道支援を行い、人々の生活を支える援助を実施するという方向に何とか持っていきたい。地域の人々に安心してもらい、かつ援助関係者の安全を確保するためにはPKOの制服組の活動が不可欠です。そうすれば文民保護区に避難している人たちも、少しずつ元いた場所に戻ってもいいかなという気持ちになってくれるでしょう」

 

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     文民保護区への家路を急ぐ人々に寄り添う形でパトロールする ©UNMISS Patrick Orchard

 

夕方近くになると、周辺の原野をつっきって文民保護区に戻ってくる人の流れが激しくなる。ほとんどが薪の束を頭の上にのせた女性たちだ。その流れを警護する形で、ガーナ軍とモンゴル軍がパトロールする。「以前は幹線道路に沿ったパトロールしか行っていませんでしたが、人々はどうしても近道してわき道を通る。薪集めの行き帰りで襲われる女性たちが後を絶たないので道を人々の往来が激しくなる時間帯にパトロールするようにしました」と、国連平和維持軍でユニティー地方を管轄する北セクターのインド出身のアダルシャ・ヴェルマ副司令官が人々に笑みを返しながら説明してくれた。以前はここまでの人の流れはなかったという。

 

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      UNMISS北セクターのアダルシャ・ベルマ副司令官 ©UNMISS Patrick Orchard

 

スーダンの15歳から24歳までの女性の半数以上がジェンダーに基づく暴力を経験し、ユニティー地方については、2015年4月から6ヶ月の間に1300を超えるレイプ被害が国連などに報告されている。2016年3月11日に公表された国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の調査報告書も、女性を狙った多くの性的暴力とレイプが深刻化していると指摘している。

 

こうした中、パトロールが安心感を与えている。兵隊たちに微笑む人、駆け寄って握手を求める子どもたち、平原所長にすがってきて感謝の言葉を伝えようとする老女。ここでは人々が国連に信頼を寄せていることがひしひしと伝わってくる。

 

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          文民保護区で避難生活を送る女性たち ©UNMISS Patrick Orchard

 

安心感が必要なのは人道援助関係者も同じだ。PKO部隊が文民保護区周辺の町にForward Operating Base (オペレーション用の前線基地) を2015年秋に設けて以降、国連WFP文民保護区外のベンティウの町に避難している人々への食糧配給を拡大し、今では2万人を支援している。ユニセフJICAの支援で90年代にできた浄水施設の修復を行い、2016年2月から国際移住機関(IOM)が地域のお母さんが安心して子どもを産むことのできる、ベーシックな産科病棟を運営するようになった。

 

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          ベンティウの井戸で水を汲む女性達 ©UNMAS Andrew Steele

 

そのすぐ横で、国連WFPとユニセフが協働して子どもと妊婦と子どもを産んだばかりのお母さんへの栄養プログラムを行っている。順調に進めば、4月にも複数の人道援助機関が文民保護区外での活動の拠点とするHumanitarian Hub(人道ハブ)が開設されることになっている。

 

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      ベンティウの町では、人道援助機関の活動拠点となるHumanitarian Hub (人道ハブ)

      の改修が進んでいた ©UNMISS Zenebe Teklewold 

 

前線基地に常駐するモンゴル軍が人道援助団体の活動現場の周辺を車でパトロールし、安全と安心に貢献している。小康状態の中で、緊張感を伴う活動だ。国連スーダンミッションのマンデートの柱の一つである「人道支援実施の環境作り」のまさに最前線。地域住民の安全にもつながる。ただ、これはあくまでも「点」の戦いだ。浸透させるには停戦合意の履行と暫定政府の樹立、そして南スーダンの人々のオーナーシップが欠かせない。

 

文民保護区に暮らす20万人を含め、南スーダンの国内避難民の数は170万人。それに保護を求めて国境を越え、周辺国で難民として暮らす人が70万人近くいる。あわせると人口の2割が家を追われた計算になる。そして人口の半分にあたる600万人あまりが緊急支援を必要としている。こうした国際機関の緊急人道援助の財源は、日本を含む各国政府からの拠出によって支えられている。支援現場の多くで日の丸のステッカーが貼られているのを見た。

 

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                    文民保護区内の給水塔は日本の支援でつくられた

             ©UNMISS Zenebe Teklewold

 

人道アクセスが極めて悪い南スーダンでは物資の輸送コストが高くつく。アクセスの悪さから、輸送機からのエアドロップで届けられないところもある。そのため、2016年に国連などが南スーダンでの人道援助活動全体に必要な財政支援は13億ドルと巨額だが、支援国などから集まった資金は4月半ば時点でまだ全体の2割にも満たない。首都ジュバの国連WFPの倉庫では、エアドロップ用に配給物資の詰め替え作業が急ピッチで行われていた。

 

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         ジュバの国連WFPの倉庫では、エアドロップ仕様に物資の袋づめが

         行われていた ©UNIC Tokyo Kaoru Nemoto

 

国連の見通しでは、前年同期に比べて2倍近くの280万人、人口の4人に一人が食糧援助を緊急に必要とし、特にユニティー地方でおよそ4万人が餓死寸前の危機的な食糧不足にある。

 

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          国連WFPの援助物資のエアドロップ ©UN Photo. Isaac Billy

 

このようなエアドロップもただ空から落とすだけではない。落下地点とそのアクセス道に地雷や不発弾などがないかという確認も必要で、事前確認を国連スーダンミッションの必要不可欠な部門として活動する国連地雷除去サービス(UNMAS)が行う。UNMASの活動は人道アクセスを支えているのだ。

 

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        UNMASは日本政府からの支援を受けて、ベンティウの学校で子どもたち

        を対象に危険回避教育を行っている。2枚共©UNMISS Zenebe Teklewold

 

また、国連南スーダンミッションに参加する日本の自衛隊の工兵部隊が作業に入る前に地雷や不発弾などの危険がないか確認するということをUNMASが行い、自衛隊が整備した道路などはさらに市民の保護につながる活動を支え、人道アクセスの改善につながる。

 

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     道路整備に使用するマラムを搬入するダンプトラック ©陸上自衛隊 中央即応集団

 

スーダン担当のエレン・ロイ事務総長特別代表は、「日本の自衛隊の方々には、乾季には酷暑、雨季には豪雨という工兵作業にとって大変厳しい環境の中で任務にあたっていただいています。彼らのフィールドエンジニアリングでの技術と専門性はプロジェクトの成功に不可欠です。日本隊の貢献は感銘深く、国連スーダンミッションの職員の間のきずなにつながると同時に、国連PKOと南スーダンの人々とのきずなを一層強固なものにしています」と語り、自衛隊の仕事の質の高さをこのように評価する

 

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     世界エイズデーのイベントにて。エレン・ロイ事務総長特別代表と自衛隊員。©UNMISS

 

日本の紀谷昌彦南スーダン大使は、東京の本省では平和構築、国連PKO国連外交を担当し、防衛省にも出向してPKOや民軍協力に携わった経験を持つ。自衛隊が活動する国連スーダンミッションのみならず、日本政府が財政支援している国連の人道援助機関などの活動現場を積極的に視察し、国連との連携をアセットに南スーダンの平和構築に役立つために知恵を絞る。「南スーダンの平和構築に向けて,日本が自らの強みを生かして貢献していく上で,国連PKO国連諸機関との連携は不可欠です。日本は国連と連携することで,平和への貢献を一層強化できることを実感しています」と紀谷大使は説明する。

 

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         地雷除去作業を体験する紀谷大使(右から二人目)©UNMAS

 

自衛隊施設隊が首都ジュバでの国連PKOの活動を支えているのみならず,道路整備を通じて人道支援の効果的実施の一翼を担う点に言及しつつ、こう熱っぽく語る。「日本は国連と連携することで,保健,教育,地雷対策,難民支援,インフラ,人材育成など,日本が重視する分野で諸機関の専門性を活かしながら,国内各地で支援を展開することができます。南スーダン国連諸機関には邦人職員もたくさんいます。また,UNITAR(国連訓練調査研究所)広島事務所と連携して,日本は南スーダンの行政官やNGO職員が,日本の戦後復興の経験から学んで生かすための研修を行っています」

 

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       日本隊との交流の場で談笑するロイ特別代表(右端)と紀谷大使(左端)

        ©UNIC Tokyo Kaoru Nemoto

 

ベンティウの文民保護区でIOMが運営する産婦人科病棟で、前日に生まれたばかりの女の子の赤ちゃんとお母さんに出会った。これが初産というまだあどけなさが残るお母さんは、子どもを「贈り物」を意味するミュイと名付けた。大変な避難生活の中で初めて子どもを産むというのはさぞかし不安だったでしょうと声を掛けたが、お母さんは「全ては神の思召し。そう思うと何も怖くなかった」と、穏やかな表情で答えた。この国の女性の芯の強さを見た。脇ですやすやと眠るミュイちゃんに優しい眼差しを向けるお母さん。家族が住み慣れた土地に戻り、ミュイちゃんが文民保護区外の生活を体験できるようになるのはいつになるだろうか。

 

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       「贈り物」という名の赤ちゃんはこれからどんな環境で育っていくのだろう

        ©UNMISS Zenebe Teklewold

 

私が2009年春にケニアのカクマ難民キャンプを視察した際、キャンプは南スーダン出身の難民たちが長年の隣国での避難生活に終止符を打って故郷に帰ろうという熱気に包まれていた。期待に目を輝かせた人々がなけなしの家財道具をまとめ、彼らが乗ったバスを見送った。その時のことを思うと、今の南スーダンの人々が置かれた状況を見るのは辛い。負のスパイラルに終止符を打ち、将来につなげるためにも、中長期的な視野を持った緊急人道援助が欠かせない。

 

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     文民保護区の子どもたち。彼らの未来が少しでも明るいものになることを祈らずに

     はいられなかった ©UNMISS Patrick Orchard

 

スーダン5月に開催される世界人道サミットの5つの主要な論点(1. 紛争を予防・解決するためのグローバルなリーダーシップ 2. 人道規範を護持する 3. 誰も置き去りにしない 4. 人々の暮らしを変える ― 届ける支援から、人道ニーズ解消に向けた取り組みへ 5. 人道への投資)全てが凝縮しているマイクロコスモスだということを、改めて感じさせられた。世界人道サミットが人道危機の中で生きる人びとに直結して成果をもたらす会議にならなければ、ということを再認識させられる南スーダン訪問となった。