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「わたしのJPO時代」(9)

「わたしのJPO時代」第9弾として、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)・東エクアトリア州調整官・事務所長 平原弘子さんのお話をお届けします。在日米軍座間キャンプの環境課で6年程勤務した経験を持つ平原さんは、JPO時代を「外交儀礼を身に着ける上でとても良い経験になりました」と振り返ります。

 

国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)・東エクアトリア州調整官・事務所長 平原弘子さん

                 ~はじめの一歩~

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             2014年度ルワンダメダルパレードにて

大阪の府立高校3年の時に、アメリカ・ミシガン州グランドラピッズの公立高校に1年間留学した後、ミシガン大学アンアーバー校・資源環境学部で環境政策の学士号を取得。日本に帰国後、在日米軍座間キャンプの環境課に6年程勤務。その間、桜美林大学の大学院で国際関係学修士号を取得。翌年外務省主催のアソシエート・エキスパート試験に合格し、2001年から2年間、ジュネーブ国連環境計画バーゼル条約事務局、そして2003年から1年間、ニューヨークのユニセフ本部にある水・衛生関係の部署にJPOとして勤務した後、PKOミッションへ。リベリアダルフールキプロスのミッションを経て現職。

環境保全、貧困、紛争による環境破壊の防止に携われる仕事がしたいと漠然と考えていた私は、大学に進むにつれ「国連で働きたい」「国連で働くためには具体的にどの様な準備をすべきなのか」ということを真剣に考えるようになりました。大学の3年時にJPO制度の事を知り、JPO試験要綱にあった受験資格に見合う経験を積むため、そのころ始めていた就職活動の範囲を広げました。卒業してから在日米軍で働いたのも、環境政策の学位を活かせる仕事があったこと、職場で使われる言語が英語であったこと、民間企業と違って、仕事を続けながら大学院に通うことが容易であることなどが理由でした。

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        東エクアトリア州 州都トリット近くの村でアウトリーチ活動に参加

色々な選択肢がある中でのJPO制度は、米国への高校留学と4年間の大学生活、また在日米軍での6年間の仕事以外の国際経験が無に等しかった私にとって理想的な国連への入り口でした。2001年3月、多くのJPOがUNICEF, UNHCR, UNDPなどのフィールドオフィスに着任していく中、私がJPOとして赴任したのは、国連環境計画(UNEP)が管理している環境条約・バーゼル条約事務局のスイス・ジュネーブ本部でした。条約事務局は事務局長以下、条約締約国会議を含む、様々な会議、各地域にある事務所の運営補助、プロジェクト運営などを行います。

私は最初から、地域事務所とのコーディネーションというかなり重要な仕事を任されました。地域事務所といっても、運営をするのは地域事務所のある国の政府であり、外交儀礼を身に着ける上でとても良い経験になりました。

バーゼル条約は正式名を「有害廃棄物の国境を超える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約」と言い、締約国の環境局だけではなく、有害廃棄物の輸出入を取り締まる警察や税関、司法機関と仕事をする機会にも恵まれました。また、ジュネーブは各国の国連代表部があり、資金調達や会議の調整などで、色々な国の外交官とのディスカッションなど、国連ならではの経験ができたことは、その後国連で仕事を続けて行く上でとても重要な経験であったと思っています。

 

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           東エクアトリア州の遠隔地域でのフィールド活動中

2年の赴任期間が終わりに近づき、途上国での経験が絶対的に不足していると常々思っていた私は、3年目の延長とフィールド活動の多いUNICEFへの異動の希望を外務省・国際機関人事センターに提出しました。ダメでもともとと思っていたところ、延長・異動ともに許可されたのですが、延長期間が1年と言う事で、短期間で正規職員のポストを確保するためにより有利なNY本部での勤務という条件付きでした。それでも、フィールドの仕事が多いUNICEFです。環境関連、特に水質管理・ごみ処理などの経験を活かせる水・環境・衛生に関する部署に配属になり、短い期間でしたがUNICEFのプロジェクト運営、途上国支援など学びかつ貢献することができました。

 

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                東エクアトリア州の遠隔地域で

3年間JPOとして2つの国連機関で働いた後、全く環境の違うリベリア国連PKO活動に参加し、その後、PKOミッションを2つ経験して現在にいたるのですが、JPO時代に培った知識と経験は十分に活かされていると感じています。

国連は即戦力を必要とする職場です。特にジュニアレベルのポジションでは経験が少ないという理由で、やる気や知識があるにも関わらず思うようにポストを得ることができないことが多々あります。しかしながら、どの様な複雑で高度な技術・外交手腕が問われる仕事に従事している人も、最初から経験が豊富だったわけではありません。国連で働くために必要な経験を得るという意味でもJPO制度は理想的なシステムだと思います。国連で働いてみなければ分からなかった事がJPO経験を通してわかるようになり、次のステップに進むための糧となるのです。