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「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(9) 三次啓都さん 

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めたブログシリーズ。第9回は、三次啓都(みつぎひろと)さん国連食糧農業機関(FAO)事務局長補 兼 林業局長)からの寄稿です。 

 

自然と共生したより良い日常を取り戻すために

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2017年に国連食糧農業機関(FAO)事務局長補 兼 林業局長に就任。それ以前は、国際協力機構(JICA)で森林・自然環境保全グループ長、青年海外協力隊事務局副局長、農村開発部長を務め、マラウイカンボジア、フィリピンでの駐在勤務を含め、長年、開発援助の分野で経験を積んできた。神奈川県鎌倉で過ごすも(鎌倉高校卒業)、自然に憧れて北海道へ。北海道大学農学部を卒業、英国のレディング大学で林業普及の修士号を取得 ©︎ FAOForestry

 

私の勤務するFAO本部は、イタリアの首都ローマにある。ここは、古代ローマ遺跡を中心とした人気の観光都市であり、またイタリア料理をふんだんに味わえる食の都でもある。近年は観光客の激増で、遺跡や都市の中心部はオーバーフロー気味であったが、それが一転したのが3月初旬からのロックダウンであった。COVID-19の世界的な拡大を受けて、既に1月下旬ころから観光客は減少し、スペイン階段、トレビの泉、コロッセオはがらがらであった。チルコマッシモ競技場、カラカラ浴場といった遺跡群に囲まれた場所に位置するFAO本部の周辺も、普段は絶えない観光客の流れがすっかり途絶えてしまった。 

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イタリア随一の観光地であるトレビの泉からも人の姿が消えた ©︎ Hiroto Mitsugi

 

ロックダウンに入り、イタリアへの入国、住民の外出や移動は厳しく制限され、FAOのスタッフも在宅勤務を余儀なくされた。唯一、住民に許されたのは、スーパーや薬局での買い物や近所での散歩やジョギングのみである。これを機に外に出てみれば、春の到来を告げるように新緑が芽生え、花が咲き誇り、鳥はさえずる、しかしそれ以外はすっかり静まり返っているといった具合だ。レイチェルカーソンの著書「沈黙の春」では、“春が来ても、鳥たちは姿を消し、鳴き声も聞こえない。春だというのに自然は沈黙している”との下りがある。ここでは、“春が来て、鳥はさえずり、花々は咲き誇る。人や車は姿を消し、話声も聞こえない。春だというのに人間は沈黙している”という状況である。街からは人も車も消え、その代り、空気は澄み、青空が続く。もちろん医療従事者や物流を支えている人々が働いていることは言うまでもない。

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FAO事務所の屋上からチルコマッシモ方面を臨む景色 ©︎ Hiroto Mitsugi

 

既に多くのところで語られているが、人の移動、経済活動が止まり、二酸化炭素排気ガスの排出は減少、人間の干渉が減ったところには生き物が回帰してきた。気候変動の会議を重ねても削減が進まなかった二酸化炭素の排出は、ウイルスの発生により激減した。二酸化炭素そのものは見ることができなくても、排気ガスの減少が澄んだ空気を呼び戻したことは、ロックダウン下に置かれた人は、多かれ少なかれ実感しているはずである。COVID-19は、人間の活動と環境との関係を視覚化させてくれたのではないだろうか。

 

今年2020年は、FAOが5年に一度行っている世界林業報告(Global Forest Resources Assessment)の年である。5上旬にサマリーレポートを発表した(7月初旬には各国報告を含めた全体報告を出す予定)。同レポートによれば、陸地面積の31%(約40億ヘクタール)を森林が占め、1990年以来、17千8百万ヘクタール(リビアとほぼ同面積、日本のおよそ4.6倍)の森林が消失している。過去30年間、世界の森林は引き続き減少しているが、その減少率は鈍化してきている。

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Global Forest Resources Assessment 2020 Key findings ©︎ FAO

 

昨年は森林火災が大きく報道されたこともあり、少し不思議な感じを抱くかもしれない。森林破壊の主な原因は農地への土地変換であることは、2015年の林業報告の他、様々な報告でも触れられているが、農牧地転用のための森林破壊は今でも進んでいる。昨年のアマゾン川流域での森林火災も農地のための火入れに起因したものと考えられている。世界を見渡すと、アフリカが占める森林破壊の割合は高く且つ拡大しているが、世界全体の森林破壊面積は減少し、一方で、様々な地域で植林や森林保全の取り組みが進んだことから、その結果、森林の減少率は鈍化しているのである。

 

FAOでもGreat Green Wallというアフリカでの砂漠化防止を目指した植林プログラムや、熱帯林の保全プログラムを進めている。水源林保全や防災のための植林や森林を守る取り組みが世界中で行われている。直近の5年は詳細については各国の報告を待つ必要があるが、SDGsの合意に伴う各国の政策実施や開発金融機関等の資金増がその背景にあることは間違いないだろう。このような取り組みを歓迎する一方で、私たちは今ある森林を守り、持続的に利用する方向に一層注力していく必要がある。スピードが減速したとはいえ、森林はこの瞬間も減少を続けているのだから。

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Green Great Wallイニシアティブの一環として植林活動をする人々(セネガル) ©︎ Benedicte Kurzen / NOOR for FAO

 

しかし、ここに来て、私たちはCOVID-19による影響に気を揉んでいる。ロックダウンにより、多くの国々は経済活動が停滞し雇用の問題が発生している。海外からの移民労働に支えられている先進国の産業、また農村からの出稼ぎに支えられている都市の様々なサービス業では、今後、雇用の回復が見込めない場合、労働者は自国へ、そして農村へと戻る可能性が極めて高い。その場合、農村の人口圧が上昇することが予見され、農業以外の就業機会が見込めない限り、農地の拡大に伴う森林破壊に結びつく可能性が高い。

 

人の移動規制に伴う交通量の減少は、エネルギー需要を低下させ、原油価格を押し下げている。その結果、バイオマス再生可能エネルギーの市場での競争力を失わせる結果をもたらすだろう。森林による木質バイオマスエネルギー(木炭やペレットなど)は、森林の持続的な利用の一つであり、また木炭生産は途上国では農村部の貴重な生計手段ともなっており、長期的に需要が低下すれば森林経営や住民の生計手段の点でも影響は大きい。 

新型コロナウイルスが森林産業に与える負の影響は、人々の生活や産業にまで広く及ぶ © FAOKnowledge ︎

 

これらの影響を最小化、更に新たな機会と捉えるためには、森林に関連した雇用(Green Job)や、ITを活用した農村部での雇用機会を増やすことで、森林への影響を回避するだけではなく、都市の人口集中の緩和や農村の均衡ある発展を可能にしたい。また原油価格の低下に対しては、二酸化炭素の排出を減らすことへのインセンティブを一層増やすことにより、バイオマスエネルギーへの影響を抑えられるはずである。

 

森林は、木材やパルプを供給する資源として私たちの生活に関わっているだけではなく、炭素を備蓄する機能、そして動植物を育む生態系を維持している。なかでも熱帯林の生態系は特に複雑で多様なことで知られている。この多様な生態系からは今でも新しい植物や昆虫の種が見つかるなど未知の領域が大きい。もう30年ほど前になるが、リベリア北部、ギニアとの国境にかけて広がる熱帯林の森林資源調査に赴いたことがあった。熱帯熱マラリアの予防薬処方の為に感染症のドクターを受診した際に、森に深く入ると未知の感染症に掛るかもしれないから気をつけなさい、と言われた。幸い、その時は何もなかった。ただ、その地帯の森林は、リベリアの政変、経済開発などの影響を受けて徐々に開発が進み、2014年、その地域でエボラ出血熱がブレイクした。

農地拡大などにより最も生物多様性に満ちた土地である森林が破壊されている © F︎AO

 

新興感染症の約60%が動物由来であると言われている。エボラ出血熱はオオコウモリからの感染と言われ、類人猿のゴリラも感染した。COVID-19についてはまだ発生源は特定されていないが、野生動物との関連が報道されている。事実関係が今後明らかになるにせよ、森林破壊が進めば、そこに生息する野生動物と人間の接触機会が増え、それに伴い感染症のリスクが高まることは間違いない。その点においても、森林破壊をむやみに進めてはならないのである。

 

まだまだCOVID-19の収束には時間がかかると予測されているが、この状況下の社会を一過性とするのではなく、私たちは何かを学び、そして活かさなくてはならない。COVID-19後の世界とは、どうあるべきか?もちろん、日常に戻ることを誰しもが望んでいる。ただし、それは以前に比べ、より良い社会であって欲しい。“Build Back Better”である。感染症に対してより強靭で、環境に優しく、そして新しい経済活動が具現化できるような社会。COVID-19下で人と人との物理的なコミュニケーションが阻害され、国境管理は厳格となった一方で、危機を脱するために示された人々の連帯は、新しいSocial Capitalのありようを示しているのかもしれない。元の日常に戻るだけではなく、少しでも良い社会にしていくことが、これを経験した私たちの責務でもあると思う。

 

この原稿のドラフトを書き上げたのが、5月の下旬、イタリアが規制を緩和した最初の週末である。人も車も増え、まだ完全ではないけれど日常が戻りつつある。もう初夏に入り、レストランのテラスでワインを酌み交わす光景も戻ってきた。近所の通りで同僚とすれ違う機会も増えたが、約3か月ぶりの再会にもかかわらず、握手やハグは躊躇する(規制緩和されたが、握手やハグは禁止である)。在宅勤務中に続けていた近所でのジョギングは、排気ガスもなく快適だったけれど、この週は交通量が増えたためコースを変更した。まだ以前ほどの交通量ではないが、公共交通機関は感染リスクがあるということで、車を利用する人が増えることが指摘されている。これを受けて、イタリア政府は自転車通勤に切り替える人に最大500ユーロの補助をすることを決めた。自転車は新しい日常で、感染リスクと二酸化炭素を減らす妙案だろう。一方で、握手やハグができる社会は戻ってきて欲しい。より良い日常を取り戻すこと、これは世界共通の願いであり、私たちの行動にかかっている。

 

イタリア・ローマにて

三次 啓都