国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

TICAD7リレーエッセー “国連・アフリカ・日本をつなぐ情熱”(20)

第7回アフリカ開発会議(TICAD7)が2019年8月28-30日、横浜市で開催されます。日本では6年ぶりとなるTICADに向けて、国連広報センターはアフリカを任地に、あるいはアフリカと深く結びついた活動に日々携わっている日本人国連職員らに呼びかけ、リレーエッセーをお届けしていきます。

 

取り上げる国も活動の分野も様々で、シリーズがアフリカの多様性、そして幅広い国連の活動を知るきっかけになることを願っています。第20回は、国連食糧農業機関(FAO)駐日連絡事所のチャールズ・ボリコ所長です。

 

第20回 国連食糧農業機関(FAO)

チャールズ・ボリコさん


~次世代の未来切りひらく 日本の人材育成支援~

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食料ロスを学ぶ小学5年生のクラスを訪れ、学習成果発表の感想を述べる筆者。
(2019年1月、横浜市の市立日枝小学校で)

1963年コンゴ民主共和国生まれ。キサンガニ大学で心理学(学士)と産業心理学修士号)を修める。88年からキンシャサの商科大学(Institut Supérieur de Commerce)で3年間教職に就いたのち、90年に来日。名古屋大学大学院国際開発研究科で国際開発論の博士号取得。同大で講師を務めた後、97年にFAOに入り、98年に米国・ニューヨークの連絡事務所、2003年から事務局官房付としてローマ本部で勤務。人事部雇用・配属担当チーフを経て、2013年8月から現職。FAOでの勤務の傍ら、キンシャサにあるカトリック大学で人事管理や行政、開発などを教える。

 

横浜市にあるFAO駐日連絡事務所で所長をしています。FAOは、世界中のあらゆる人々が、栄養バランスの良い食事を十分にとり、健康的な暮らしを送れるよう日々活動しています。活動地域は世界の130カ国以上。FAOのプロジェクトの半分以上が、このリレーエッセイのテーマでもあるアフリカで実施されています。

 

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※本文中で使用している名称および資料の表示は、いかなる国、領土、市もしくは地域、 またはその関係当局の法的地位に関する、またはその地域もしくは境界の決定に関する FAOのいかなる見解の表明を意味するものではありません。特定の企業、製品についての言及は、特許のあるなしにかかわらず言及のない類似の他者よりも優先してFAOに是認されたり推薦されたりしたものではありません。

 

故郷の暮らし変えた1本の橋 

私はコンゴ民主共和国のバサンクスというところで生まれました。育った市から直線距離で500キロ離れたマタディという町に、とても立派な橋があります。地元で「デュ・ポン・マレシェル」と呼ばれるこの吊橋は、1983年に日本の有償資金協力で建てられました。この橋ができてから、人々の暮らしが一変しました。交通事情が格段に良くなり、農家の人々が市場に行きやすくなりました。人々の収入は増え、交通事故が減りました。そして、今でもはっきりと覚えているのは、みんなが口にする食べ物の値段がぐんと下がり、求めやすくなったことです。食は人々の暮らしを根底から支えています。食料が手の届きやすい値段で供給されることは、FAOが進める食料安全保障の確立になくてはならないものです。

 

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故郷・バサンクスで少年時代に通った教会 =筆者提供

 

故郷は熱帯林が生い茂る中にあります。村の人々は家族みんなで農業をしていました。ここでは植物の種類や育て方、学校では習わないようなさまざまな知恵を学びました。隣近所で種芋や野菜の種を分け合い、大きな木を切り倒す時には村の人々が総出で手伝います。コミュニティの絆は固く、生物多様性が息づく暮らしをしていました。

  

日本で感じた「地域社会への気配り」

修士号をとって大学で教えていた時に、日本の文部省(当時)奨学金のことを知りました。アメリカの大学の博士課程にも合格していた私は迷いましたが、日本を選びました。コンゴ民主共和国と違い、天然資源に乏しい日本がここまで著しい経済成長を遂げられたのは、一人ひとりに手厚い教育を施し、その能力を引き出してきたからではないか―と考えたからです。産業心理学を学び、企業の人事管理や組織マネジメントについて研究していた私は、日本で学んだことを母国に持ち帰りたいと、日本への留学を決意しました。

 

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修士課程の同級生と。中国やエジプトなどさまざまな国からの留学生が学んでいた=93年3月、名古屋大学

 

来日した90年まで、周囲にはヨーロッパや北米出身の教師や宣教師がいましたが、アジア出身の人とは話したことも、その文化に触れたこともありませんでした。飛行機を乗り継いで日本に来る時に思ったのは、自分は世界で一番幸福な青年だということでした。その時の高揚感を今でも昨日のことのように思い出します。

 

名古屋の大学院で研究した5年間は次から次へと目新しいことに触れる毎日でした。その経験がFAOで世界、社会全体に奉仕する国際公務員となるきっかけの一つとなりました。

 

ある日、名古屋市内を自転車で走っていたときのことです。大人が2、3歩で渡れるような短い横断歩道がありました。そこに中年の女性が3人、赤信号が変わるのを待っていました。車はおろか、私たち以外に通行人もいません。一度は通り過ぎた道を引き返し、「どうして渡らないのですか」と尋ねました。「あちらにアパートや民家が見えるでしょう。そこから小さな子どもが覗いているかもしれないの。私たちが赤信号の横断歩道を渡っているのを見て、真似してほしくないのよ」。日本で生まれ育った人にとっては驚くことではないかもしれません。でも、私には見えもしない子どもたちの安全を気にかけて自分を律して行動している御婦人方の姿に衝撃を受けました。この経験は今でも脳裏に焼きついています。日本社会から学んだ、この他者への気配りとコミュニティ全体を見渡す姿勢は、国際社会全体に奉仕する国連職員のあるべき姿勢に通じると思います。

 

教育は人づくり

2013年に日本政府が「アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブ」(ABEイニシアティブ)を始めてから、アフリカの1000人以上の若者が、日本の大学で学び、企業などでインターンシップを経験しています。アフリカの開発で最も大切なものの一つが教育です。教育への投資は、人づくりです。アフリカの若者が先人の知見を学び、故郷に持ち帰って活かすことで、さらに次の世代へと受け継ぐことができます。知識は教えることによって、無限に増えていきます。その投資はアフリカの未来になくてはならないものです。

 

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食料ロスについて講演した小学校で給食後に子どもたちと=2018年7月、横浜市

 

また、アフリカの人々との交流を通じて日本の若い世代も刺激を受け、文化や習慣を学ぶ機会になると思います。日本から教育という最高の贈り物を受け取った先輩の一人として、私はこの夏の「TICAD VII」がアフリカと日本の次世代にかけがえのない財産をもたらすと確信しています。