長谷川祐弘(はせがわ すけひろ)さん
-平和構築の現場から体得した紛争予防と国際支援の在り方-
連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」第8回は長谷川祐弘さんです。1969年以来、国連開発計画、国連ボランティア計画、国連平和維持活動で要職を歴任されてきました。カンボジア、ソマリアそしてルワンダでジェノサイド直後から現地で活動し、混乱の中で東ティモールの平和構築に尽力された長谷川さん。長年にわたり紛争の現場で平和維持活動に従事されたご経験に裏付けられた、貴重なお話を伺うことができました。
第8回:元国連事務総長特別代表(東ティモール担当)長谷川祐弘(はせがわ すけひろ)さん
【1978年から、ネパールとインドネシアにていずれもUNDP常駐副代表を務め、1984年より南太平洋地域における国連常駐調整官兼UNDP常駐代表として任務を遂行。1986年にUNVジュネーブ本部事務局次長に就任した。その後、カンボジア総選挙におけるUNV選挙監視団統括責任者や、第二次国連ソマリア活動(UNOSOM II)政策企画担当部長、ルワンダ国連常駐人道調整官等として要職を歴任。1996年に、UNDPニューヨーク本部においてアジア太平洋地域局次長に就任し、1999年にUNDP駐日代表、2002年4月に緊急危機復興に関するUNDP総裁顧問を歴任した。2002年7月から2004年5月まで国連事務総長特別副代表(東ティモール担当)及び国連東ティモール支援団(UNMISET)副代表を務め、2004年5月に国連事務総長特別代表(東ティモール担当)に任命され、同時にUNMISET代表となる。その後、2005年5月に設置された国連東ティモール事務所(UNOTIL)代表として、2006年9月まで国連事務総長特別代表(東ティモール担当)を務める。】
虐殺後のルワンダで体験した厳しさ
根本:長谷川さんはこれまで色々な組織、地域で働かれてきました。中でも、ルワンダには94年の虐殺の直後に現地に国連常駐調整官として勤務されましたが、どのようなご経験をされましたか?
長谷川:現地に着いて国連機関の本部事務所が集まった敷地に入っていくと、まずお墓が目に入りました。24人の殺害された現地職員の名前が刻んでありましたが、実はその人たちは国連側から迎えのバスが来ると言われて待っている間に殺害されてしまった、という話を聞きました。危機の状況に至った時に誰を救出して避難させるかという事案は、国連の活動に関して長く議論されている課題の一つでもあります。国連の国際職員を救出することは決まっていますが、いつも問題になるのは現地職員をどうするかという点です。ルワンダの一例でも、現地の職員たちを見放してしまい、結果として殺害されてしまった方々が多かったのです。
また、首都キガリにある私の事務所にいた時に、カラシニコフ銃を持ったRPF (ルワンダ愛国戦線)の少年兵が入ってきて危機的な状態になった事がありました。彼らは私の部下であるルワンダ人の職員を逮捕したいと引き渡すように要求してきました。彼ら少年兵の多くは家族をフツ族に殺されています。そして、私の部下がフツ族であるから虐殺に関わっていたはずだという理由で、彼を逮捕するよう命令されて来ていたのでした。少年兵の半分くらいは麻薬にかかったような心理状態であり、かつ武器を所持しているので、私たちの説得に応じようとはしなかった。しかし、不当な要求を受け入れることを拒否することになると、人間と人間との間の対決というか、腹の見せ合いになりました。結局その日は、少年兵は引き下がり、私の部下を連行することを諦めました。しかし、翌週の月曜日に部下は事務所に現れませんでした。実は彼は土曜日に自宅にいたところを逮捕されていたのです。その後刑務所に行って彼に会いましたが、このような普通ではあまりない経験をルワンダではしてきました。
1995年 ルワンダ国家警察に対して演説をする長谷川さん(長谷川さん提供)
部門間の調整力を現場で鍛える
根本:長谷川さんは開発や紛争後の国づくりなど、幅広く活躍されてきたのですね。これまで携わってこられた様々な分野の間の繋がりについて、どのようにお考えですか?
長谷川:開発も平和維持活動も、すべてのことが蜘蛛の巣のように繋がっております。ですから、特定の事柄を一箇所だけ注目したり、起こっている事柄の進行状態を一本の線としてだけを見ていては不充分だと思います。先日グテーレス事務総長が国連の各部門が一緒になって仕事をしなければならない、部門を統合する決意を表していました。その必要性が多々あります。課題は、ただ書類を読んでいるだけでは繋がりは見えないので。やはり実際に各部門に入って仕事をすることで、いかに各部門に繋がりを作ることが難しいかを熟知する必要があります。
2004年8月 東ティモールにて、同国シャナナ・グスマン元大統領(右)、
マリ・アルカティリ元首相(左)と(長谷川さん提供)
根本:そのような組織間の繋がりは、どのようにして可能になるのでしょうか?
長谷川:各部門が協働するためには、主に二種類の統合を実現することが重要です。第一に、物理的な統合です。私が初めて現地に行ったのは、UNDP常駐副代表としてネパールを訪れた1978年ですが、その時、私自身、ネパールで国連ハウスの建設に関わりました。国連の各部門が同じ建物に入り、皆が密接な交流関係を保ちながら一緒になって仕事をすることを目指しました。また、現地において、国連機関、例えばUNHCRとUNICEF、が運搬車などを共同で使うことも物理的な統合の一例です。
2006年8月 ラモス・ホルタ東ティモール元大統領と(長谷川さん提供)
第二に、人事の交流です。これは国連機関の間で施行されているようで案外行われていません。UNDPで働く中堅レベルの方がUNICEFに行って、1年間してまたUNDPに戻ってくるというような例はあまり無いですね。組織と組織を移動すれば、異なる役職を担うことで知見を広げることができます。その点から、人事の交流を頻繁に行うことは統合を実現するための手段と言えます。
根本:その通りですね。私も2年間UNHCRから国連WFPに出向しました。自分でポストを見つけて応募したわけですが・・・。様々な機関で働くことはとても良い経験であって、思考回路の違いを見出したり、多方面を見ることができるのは非常におもしろいと思います。
対談中の根本かおる所長 © UNIC Tokyo
政策と理念を如何に統合するか
長谷川:「統合」を達成していく上で最も大事な事で、それと同時に実現がとても難しいのが、「政策と理念の調整」だと考えています。
その難しさの一例として、私がルワンダにいた当時に起きたキベホ避難民キャンプでの虐殺が挙げられます。ルワンダ南西部に位置したキベホ避難民キャンプでは当初、フランス軍が避難民を保護していましたが、フランス軍の撤退後はUNAMIR(国連ルワンダ支援団)がキャンプを統治していました。しかし、当時のルワンダの新政府は、インターハムウェと呼ばれる前政府の民兵がキャンプで避難民の中に紛れているとして、キャンプの閉鎖を要求したのです。避難民が新政府によって虐殺される恐れがあるため、強制閉鎖はさせない、というのが、国連、特にUNHCRの固い理念でした。一方で、新政府にとっては、インターハムウェによるキャンプの支配は国家の安全保障に関わる緊急の課題でした。結果として、国連が政府軍の代わりに避難民を帰還させるという政策を立てましたが、帰還予定の当日は想定外の大雨となり、国連の用意した車両は舗装されていない、雨でぬかるんだ道を移動することが出来ませんでした。すると、待機していた避難民の中でまず動き出してしまったのは子どもたちで、匿われていたキャンプから逃げ出そうとしたのです。そして、政府軍が彼ら避難民に対して発砲し、国境なき医師団によると約8000人、国連によれば4000人が犠牲となった悲劇が起きました。
1995年4月 キベホ避難民キャンプの様子(長谷川さん提供)
このキベホ避難民キャンプの例が示すように、政策と理念の統合というのは非常に難しいですが、それが上手くいかないと、悲惨な結果となってしまいます。政策と理念を調整し、起こっている問題に対してどのように解決していくかを皆で話し合うとき、私は虚心坦懐な気持ちでいることが重要だと思います。それは、世の中に一つしか正しいことがない、ということはあまり無く、見方により、社会により正しいことは変わってくるからです。しかし、だからと言って普遍的な価値観がないかと言えばそうでもなく、それを守っていくためにはどうしたら良いかと考えることが、私が経験して学んだことです。
紛争の種は人間の心の中にある
根本:新しく就任したグテーレス事務総長は紛争予防の重要性を強調していますが、御自身の経験を通して、長谷川さんは紛争予防のためにはどのようなことが必要だと思われますか?
長谷川:平和構築や平和維持の活動において一番核心的なのは、実りのある紛争予防を行うにあたって、紛争の種は人間の、そして指導者の心の中にあると認識することです。人間は理性的で優しいということではなく、非常に貪欲で危険な生き物です。南スーダンにおけるサルバ・キール大統領とリアク・マシャール元副大統領の争いも、権力や富に対しての欲望に基づいています。ですから、人間の基本的な貪欲さを理解し、それを十分に取り入れた上で対処をしていけば紛争予防も可能になると考えます。
もう一つ重要なのは、国家の基盤となる確固とした政府機構を築くことです。アフガニスタンでは、冷戦が終結して1989年にロシア軍が撤退した後に、政府が汚職をしたり、国民を弾圧したりするなどして腐敗していました。そして、国民の政府に対する信頼が少なくなった時にタリバンが台頭し、アフガニスタンの紛争が続きました。このように、紛争予防の場合には、政府という国の土台をしっかりと作っていくことが大事だと思います。
2005年2月 国連事務総長特別代表(東ティモール担当)として国連安全保障理事会で発言する長谷川さん © UN Photo
意図と行動に一貫性のある、ビジョンを持った国際支援を
根本:そのような人間を理解しようとする力や、人と人とを繋ぐ能力、相手のオーナーシップを尊重したり、組織の活動に対して正当性を与える調整力などは日本人の多くが資質として持っているものであり、国連の活動において非常に有益に活用できるものではないかと思いますが、国連で働く日本人職員にはどのような期待をお持ちですか?
長谷川:日本人の国連職員の活躍に関しては、他のアジア各国を見ていても相対的に実感する事ができます。日本人職員数がなかなか増えないというもどかしさもある一方で、現在国連で働いている日本の方々はとてもよく活躍されていますし、職員の底が厚いですので、その点は自信を持って良いのではないでしょうか。
2006年9月 コフィー・アナン元国連事務総長とニューヨークの国連本部にて © UN Photo
根本:日本は非常に多額のODAを出している一方で、その実行段階の政策に関してあまり注文を出さないできたという現状があるように思われます。日本は今後、ODAや国連の場において、国際支援をどのように行っていくべきでしょうか?
長谷川:日本が政策面においてあまり要求をしないというのは、その支援を通してどのような結果を願うのかというビジョンが充分とは言えないからかもしれません。国が国連を通じて政策を推進し、自らの国益にも繋げるためには、その支援をする結果にどのようなことが達成されるべきか、というはっきりとしたビジョンを持つことが重要です。哲学者イマニュエル・カントの思想にも関連しますが、慈善活動でお金を寄付する際に大事な点は、その動機と行動が一致していることです。
例えば、企業が自然災害の被災地に対して寄付をしたとき、その事実を新聞に掲載して株主に知らせたり、税額の控除が目的である場合は、寄付の行為はその意図と行動に一貫性がないということになります。同じように、他の国が支援するから、お付き合いとしてするという動機では、支援の本質とは異なってしまいます。このような例では、支援自体が長続きしないと同時に、支援に対する評価の度合いも少なくなってしまいます。
ですから、出資だけでなく、軸となるビジョンをより明確にした上での国際支援に期待しています。
国連広報センターにて。長谷川さんと根本かおる所長(左)© UNIC Tokyo