国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.3】

連載第3回 適切な医療サービスへのアクセスが確保されないガザ

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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ガザのクリニックの乳幼児健診 ©2012 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

 一次医療を提供する難民キャンプのクリニック

パレスチナ難民キャンプの中には大抵、学校とクリニックがあります。(パレスチナ難民の学校については、ブログNo.2を参照)。クリニックには乳幼児からお年寄りまで様々な世代の人が集まり、まるでパレスチナ70年の歴史を垣間見るようです。そのクリニックは現在、UNRWAの5つの活動地域すべてで約140を数えます。医師、看護師、薬剤師など、約3,000人の職員によって一次医療が難民に提供されています。もちろん、職員の多くはパレスチナ難民です。


ガザの重篤な患者が直面する危機

しかし、病気が非常に重く生命に危険が及ぶ場合や、高度の治療・検査が必要な場合は、難民キャンプ内のクリニックでは対応ができず、医療設備が十分に整い専門医がいる病院に行く必要があります。今回視察したガザ地区では、設備や専門医の不在に加えて恒常的な電気・水などの不足によって、重篤な患者はイスラエル側での治療を必要とする場合があります。けれども、ガザ地区を出てイスラエルに入国するにはイスラエルの許可が必要です。治療目的であっても、場合によっては「治安上の理由」で許可が下りず、適切な治療が受けられないこともあるそうです。


ヨルダンのスーフ難民キャンプのクリニック

典型的なUNRWAのクリニックとして、ヨルダンで約2万人の難民が住むスーフキャンプのクリニックを視察しました。このクリニックは、サウジアラビアからの支援で2年前に建設されました。パレスチナ難民の総数は、活動地域5カ所すべてを合わせて530万人に上ります。実は、ヨルダンにはその最も多くの40%(約220万)が、10の難民キャンプとその周辺に暮らしています。このスーフキャンプは、1967年のアラブ・イスラエル紛争の際、西岸地区とガザから避難してきた難民のため緊急に設立されました。

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ヨルダンのスーフ難民キャンプ。近くにはローマ遺跡のジェラシュがある
©2008 UNRWA Photo by Nidal Ammouri

 
クリニックを案内してくれたのは、カセム主任医師です。1967年当時の仮設テントでの医療現場の写真も見せてくれました。現在、クリニックには3名の医師、1名の歯科医、7名の看護師などが働いており、地域の2万人以上の難民の健康を支えています。「このキャンプは他のキャンプに比べて一家族の構成員が多いため、困窮ぶりは深刻です。糖尿病、高血圧、心臓系や血管系の疾患などの生活習慣病を持つ難民が増えています」と、カセム医師は新しいクリニックの課題を述べました。

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セム医師とクリニックのスタッフ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo
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セム医師のプレゼン資料から。当時のスーフキャンプでの保健サービス
©1969 UNRWA Photo By George Nehmeh


健康上の最大の敵は、生活習慣病

生活習慣病が難民の健康上の最大の課題、と指摘するのは清田明宏(せいた あきひろ) 保健局長です。「生活習慣病に対応するため、UNRWA の保健サービスを刷新し、かかりつけ医制度、電子カルテ化、メンタルヘルスを導入しました。その多くは日本政府の支援で可能になっています。生活習慣病は不健康な食生活に密接に関係しており、つまりは難民の貧困にその多くの原因があります」と、ヨルダンの首都アンマンにあるUNRWA保健局のオフィスで説明を伺いました。

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世界保健機関(WHO)でのキャリアを経て、2010年にUNRWA保健局長に就任した
清田明宏氏 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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UNRWA職員スタッフと。右から4人目はJPOの北村尭子 公衆衛生スペシャリスト
©UNRWA Akihiro Seita
 

メンタルヘルスケアの大切さ-日本の支援で建設されたガザの「日本クリニック」

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ガザのハンユニスにある日本クリニック ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ガザ地区南部のハンユニスの「日本地域」にもUNRWAのクリニックがあります。ここは日本の支援によって建てられ、住民たちが親しみを込めて日本クリニック(アラビア語で「イヤーダ・ヤーバーニァ」)と呼んでいます。「ガザでは過去の紛争の数々、10年以上続いている経済封鎖、それに伴う深刻な経済状況などで精神的ストレスを持つ難民が増えています。スタッフが一丸となってメンタルヘルスケアに努めています」こう説明してくれたのは UNRWA 地域保健プログラム長のガーダ医師です。

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日本クリニックのスタッフと患者さん達 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


30年前に関わった「ガザ・ヨーロッパ病院」の建設プロジェクト

実は私の国連職員としてのキャリアはUNRWAで始まりました。1988年2月のことです。JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー、外務省の国連への派遣制度)としてUNRWA(当時、本部はオーストリアのウィーン)に派遣されました。その数か月後には約一か月かけて活動現場であるヨルダン、西岸、ガザ、そしてシリアを初めて訪問しました。つまり、今回の難民キャンプ訪問はほぼ30年振りということになります。ちょうどそれは、ガザで第一次インティファーダ(民衆蜂起)というイスラエルへの抵抗運動が始まって半年もたたない時期でした。投石でイスラエルの占領当局に抗議するパレスチナの子どもたちの姿は広く報道され、世界でパレスチナ問題の早期解決が再認識されたのです。そして1993年、イスラエル側とパレスチナ側は初めて和平交渉に合意して「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」(オスロ合意)の調印に至りました。
私が当時携わっていた仕事は、ガザの中部に総合病院を建設するというプロジェクトでした。もともとこの地域では病院の数が足りず、第一次インティファーダが勃発してからは増え続ける負傷者の受け入れに既存の病院だけでは対応が難しくなっていました。今回ガザを視察中、ハンユニスを担当するUNRWAのエリア・オフィサーが、私をその病院に連れて行ってくれました。ガザ・ヨーロッパ病院という地域でも有名な総合病院です。当時、図面でしか見ていなかった建物の実物を見ることができて私は胸が一杯になりました。

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ハンユニスのUNRWA事務所で。右から妹尾、モハンマド エリア・オフィサー、吉田UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

適切な医療サービスへのアクセス - 困難を極めるガザの状況

しかし、現在、この病院も大きな試練に見舞われています。度重なる停電でMRIの操業停止、十分な医薬品の欠如などによって従来の病院としての機能が果たされていないのです。「患者が集中治療室に運び込まれても、停電が原因で命に危険が及ぶことがあります。救える命は救いたいのですが」と、案内役の医師が厳しい現状を語ってくれました。

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ガザ・ヨーロッパ病院の入口  ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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同病院の緊急治療室。停電の影響に悩む医師たち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

上で述べたように、ガザで対応できない重篤な患者の場合、ガザを出てイスラエル医療機関で治療を受けるという選択になります。しかし、封鎖状態が続くガザの住民がイスラエル側に入るには許可が必要となり、それが治療目的であっても容易ではありません。厳しく移動の自由が制限されているため、適切な医療サービスにアクセスができないのです。現在のパレスチナ情勢は30年前とは大きく異なるものの、今回の視察で理解する限り、特にガザの難民の生活は医療の面においても一層厳しさを増していると感じました。

 

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa

 
UNRWAパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。
こちらのビデオもご覧ください↓

 

本シリーズの過去の記事はこちら↓