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わたしのJPO時代(14)

 「わたしのJPO時代」第14回は、世界保健機関(WHO)カンボジア事務所の保健システム開発アドバイザー兼上級プログラム管理官である竹内百重さんの話をお届けします。WHO職員の突然の電話から、年齢制限ギリギリでJPOを受験した竹内さん。2人の娘を連れてジュネーブへ渡り、アカデミックな雰囲気の中、専門知識を深めたそうです。その後は正規職員としてWHO本部のプランニングに携わり、現在はフィールドで活躍していらっしゃいます。そうしたキャリアの影には熱心に指導してくれたメンターの存在が欠かせなかった、と竹内さんは語ります。

            

           世界保健機関WHOカンボジア事務所

                          保健システム開発アドバイザー 上級プログラム管理官

                                         竹内 百重(たけうち ももえ)さん

   ~専門分野とマネジメントを軸にしたキャリアパス:メンターが与えてくれた道標~

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                                          WHOカンボジア事務所にて(2016年現在)

 

上智大学大学院比較文化専攻(国際経済と開発論)修士東京大学大学院(保健学)博士。大学院時代はモンゴルやヴェトナムで移行経済と健康についての調査研究を行う。国立病院管理研究所、WHOインターン(欧州地域事務所)、民間シンクタンク、JICA短期専門家(タイ)、私立大学講師などを歴任の後、2001年にJPOとして世界保健機関(WHO)本部に赴任。2003年より同本部でプランニング担当官に着任。以降、WHOバングラデシュ事務所(ポリオ撲滅・予防接種拡大計画)、WHO西太平洋地域事務所(保健システム強化)を経て、2012年よりWHOカンボジア事務所に上級プログラム管理官として赴任。2015年3月より保健システムのチームリーダーと兼任になり、援助協調や国連チームとの調整の他、保健政策支援、保健財政、保健人材、健康と高齢化などのプログラムを通してカンボジアのユニバーサルヘルスカバレージを支援している。

 

 

私のJPO時代の始まりは、思いもかけない一本の電話がきっかけでした。当時私は、日本の地方都市で教職についていましたが、ある日、「WHOジュネーブのK」と名乗る人から突然、連絡がありました。WHO本部の保健財政部門でコーディネーターを務めているというKさんは、私が以前応募したポストの不合格者のファイルから私の履歴書を見つけ出し、興味を持ったとのこと。ただし、彼女の部署には予算がなく、「WHOで働きたければ、まずJPO制度を利用して来てほしい。その後、正規職員になれるよう私が支援もしてあげるから。JPOの応募締め切りが3日後なので、メールでは間に合わないと思い、電話することにした」との説明でした。

 

健康にかかわる国連機関で働きたいという希望はあったものの、なぜかJPOは30歳までの制度だと思い込んでいたうっかり者の私は、そのような成り行きで、当時の年齢制限(32歳)ちょうどの時に、滑り込みでJPOを受験しました。

 

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WHOバングラデシュではポリオ撲滅・予防接種のプログラムに勤務し、全国予防接種デーやキャンペーンのモニタリングで国中を駆け回った(2007年)

 

JPO試験の面接では、配属先が大きな焦点になりましたWHOは、UNICEFなどと比べて正規職員として残ったJPOの前例が少ないという理由から、面接官は、UNICEFのカントリーオフィスを志望すべきだと勧めます。私自身も本来はフィールド志向が強いのですが、今回の応募の経緯と、Kさんのように引っ張ってくれる上司がいるのは稀有な機会だと思うと説明し、理解をいただきました。そして2001年3月末、7歳の長女と生まれたての次女を抱え、初春のジュネーブに赴任したのでした。

 

私の赴任した部局は、保健医療分野での「エビデンスに基づく政策」を推進しており、前年に出版された『世界保健報告』の方法論に従い、各国の保健システム強化の支援に必要な調査研究に当たっていました。このような戦略や指針作成につながる調査・研究、そして統計の整備などの活動は本部の主要な機能のひとつですが、この当時は、学者から転進した新進気鋭の局長がこの部局を率いていたこともあり、非常にアカデミックな雰囲気で、同僚と呼ぶにはおこがましいような、国際的に著名な医療経済学者が集められていました。会議といっても事務的なものではなく、統計解析の方法論などについて真剣な議論が行われるので、イメージしていた国連の仕事とはかなり異なり、これは大学院時代以上にまた勉強しなおさないといけないと、身が引き締まりました。

 

私の場合も、たとえP2レベルであっても専門職員である以上、着任後すぐに自分から着想や研究計画を提言することが求められていました。特に新しく作られたJPOのポストだっただけに、すでに走っているプロジェクトがあるわけではなく、まずは自分で貢献できる分野を見つけて仕事を作っていかなくてはいけない状況でした。

 

試行錯誤で1ヶ月があっという間に過ぎた頃、Kさんから「日本人は真摯に仕事をし、必ず結果を出す、という一番基本的な部分で信頼できるけれど、丁寧にやりすぎてスピードや効率に欠けるところがある。質も大事だけれど、時機を逃したら価値はゼロ。もっとタイムリーに結果を出すことを心がけなさい」という助言がありました。要は、私と同じP2レベルの当時の同僚2人に比べて、私の仕事のペースが遅く見られているという厳しい指摘だったのです。

 

同僚がすでに行っている研究内容の理解や、自分自身の研究テーマを見つけるのにかなり時間を浪費した私にはとても耳に痛い忠告でしたが、率直な指導に感謝しつつ、仕事の質と効率の良い均衡点を徐々に定められるように努力を重ねました。また、世界のトップレベルの仕事をしている同僚や上司との議論や、職務上読む必要のあった膨大な量の文献、また、本部ならではの特典である、内外のいろいろな会議やセミナーに参加したり傍聴できたりすることで、JPOの2年間で大学院何年分にも匹敵する知識の吸収、専門分野の知見が広がりました。

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マニラのWHO西太平洋地域事務局勤務中、ソロモン諸島に出張し、保健システム強化のプロポーザル作成を支援。保健省カウンターパートを海岸でのクリスマスパーティーに招待(2011年)

 

JPO2年目は、研究業務だけでなく、もう少し加盟国の実情を学ぶ仕事もしたいと希望を申し入れ、同じ部局の中で、国毎の保健制度の情報を色々な形にまとめて提供するプロジェクトを行っているチームに配属してもらいました。191の加盟国の保健システムや政策のプロファイル作り、各国の保健指標を一覧にした初めてのカントリーウェブサイトなどを作る仕事を任され、具体的な成果を出すことができたのは良かったと思っています。副産物としても、内部での情報収集の段階で、多くの部署の部長レベルの職員と面識ができ、またWHO内のさまざまなプログラムや保健指標のことを学ぶ機会を得ました。

 

JPO2年目の後半になると、Kさんは当初の言葉通り、正規職員のポストを得るための実践的指導をしてくれました。保健システムの部署は当時財政難だったので、別の部署のポストを狙うように薦められました。「国連で働き続けたいなら、とにかく2年以上の正規職員のポストを取るのが最優先。正規職員になっていれば、保健システムの仕事には必ず戻れるから」というのが理由でした。

 

彼女自身、以前にいた別の国際機関では、ポジションを得るために、人事畑まで経験したといいます。そして、その職務経験は管理職になった今大いに役立っているので、仕事選びも長期的視点を持つべきである、との助言でした。当面の生き残りしか頭になかった当時の私には大変大それた考えのように思われましたが、WHOで働き始めてから15年、予算や人事にも深く関わる立場になった今振り返ると、全てがその通りだったとあらためて敬服しています。

 

結局、履歴書の書き直し、筆記試験対応、模擬面接までを厳しく指導してもらい、応募者300人と聞いた、本部のプランニングの部署で正規職員(P3)のポストに合格することができました。その後3年半勤めたプランニングの部署では、WHO全体の中・長期戦略作りや2年毎の予算計画の策定、実施のモニタリングなどを行いました。この仕事を通し、他の国連機関や援助機関、政府高官たちとの議論にふれる機会があり、大きな刺激になるだけでなく、現在も有用な、国際保健の専門家たちとの強力なネットワークができました。

 

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                     JPOから無事正規職員に昇格した直後の夏、WHO本部の玄関前で、家族と(2003年)

 

そして、このプランニングの仕事をした時の知識と経験が、現在いるカンボジア事務所でのプラグラム管理の仕事にもつながり、また、カントリーオフィスの所長代行としての職務遂行にも大いに役立っています。また、Kさんの予言通り、本部を5年半で飛び出した後は、バングラデシュ、フィリピン、カンボジア、とフィールドに近い仕事に戻り、色々な形で保健システムに深く関わる仕事を続けることができました。このように保健システムの専門分野とマネジメントの両方をうまく組み合わせながら過去15年間をキャリアアップにつなげることができたのは、そのような先見の明をもたせてくれた素晴らしいメンターの適切な助言があったからに他なりません。

 

以上、私自身の個人的体験ではありますが、他のJPO同期や後輩を見ても、WHOのような専門機関の場合、正規職員に残るという目標を優先すると、本部勤務のほうが可能性が高まるケースも多いかと思います。特に、専門分野がかなり特定されている応募者の場合は、本部のほうがその後につながるポストがある、あるいは作ってもらえる可能性が高い場合もありますし、人脈やネットワーク作りにおいても有利な場合も多いでしょう。

 

一方、カントリーレベルで、政府担当者を直接支援し、他のドナーと連携して働く経験は、WHOの仕事の中でももっともやりがいと醍醐味のある部分です。私の場合、すでに学生時代からすでに途上国での経験がありましたが、JPO以前に途上国で働いた経験がない場合は、フィールド経験の重要性も考慮する必要があるとでしょう。またWHOの場合には地域事務所の役割がかなり大きいので、指針作りとカントリー支援の双方をバランス良く体験できる面で、地域レベルの仕事も一考に価するかと思います。

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“赤ちゃんにやさしい病院” に認定されたタケオ州立病院にて、カンボジア保健大臣と共に式典に参加、病院視察(2014年)

 

WHOのみならず、国連をめざす若い方にとって、JPOは、2年間の成長の機会を与えてくれる素晴らしい制度ですので、ぜひ前向きにとらえ、新しい道を切り開くための一歩を踏み出してみてください。

 

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