国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために ― 世界人道サミット5月開催」(8)

f:id:UNIC_Tokyo:20160318142127p:plain

シリーズ第8回は、国連難民高等弁務官事務所UNHCR)元難民保護官で現在JICAシニア・アドバイザーの帯刀豊さんです。「難民の数、そのニーズは増え続け、人道支援の許容範囲を越えつつあります。この閉塞的な状況を抜け出すための一つの方策は、難民に出口を提供する仕組みを作ることです」と帯刀さんは強調します。難民と真摯に向き合ってきた帯刀さんが、難民問題の奥深さと、解決への展望を語ります。

 

                     第8回 国連難民高等弁務官事務所・元難民保護官 

                              現JICAシニア・アドバイザー 帯刀豊さん

                       ~人道と開発の連携による難民問題の「解決」に向けて~

 

                         f:id:UNIC_Tokyo:20160329095354j:plain

              帯刀 豊(たてわき ゆたか)

一橋大学法学部卒業後、東京銀行入行。外務省経済協力局出向、アジア経済研究所開発スクールを経て、エジンバラ大学、オクスフォード大学で国際法と難民・移民に関する修士号を取得。旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷勤務を経て、2003年よりUNHCR職員。インド、スーダンイラクアフガニスタン、タイ・ミャンマー国境で難民保護官として勤務後、現在はJICAシニア・アドバイザー。

 

2011年、アフガニスタン北部のとある村でのことです。UNHCRの難民保護官として赴任したばかりの私は、村の長老達と対面しました。タリバン勢力の崩壊とともに進展したアフガン難民の帰還も一段落し、全人口の4分の1に当たる570万人以上の難民がすでに帰還を果たしていました。故郷に帰還した難民の晴れやかな顔を私は想像していましたが、やがて一人の男性が私にこう告げました。「仕事のない私には家庭で居場所がない。昨日、学校にも行けず暇を持て余していた息子が家を出て行った」男性はこう続けました。「パキスタンにいた時の方が幸せだった」

UNHCRは全土で帰還民を対象に緊急サーベイを実施しました。質問は、帰還したという実感はあるか、ということに尽きます。結果は、60%が生活を取り戻すに至っておらず、15%は再び故郷を去っている、というものでした。私はその結果に驚愕しました。帰還民の多くはまだ「難民」のままであったということです。「この過ちは直ぐに正さなければならない」と、当時のUNHCRアフガニスタン代表は表明しました。

f:id:UNIC_Tokyo:20160329095359j:plain

                                                              帰還したアフガン難民と

 

2013年、私はタイ側国境でキャンプ生活を送るミャンマー難民の帰還を準備していました。ミャンマーでは武装勢力が政府との停戦に応じ、誰もが帰還の条件が整いつつあると感じていた時です。UNHCRはまず、難民自身の意思を問う聞き取り調査を実施しました。結果は、90%以上もの多数が帰還を望んでいないというものでした。予想外の結果でした。

何が帰還を思い止まらせるのでしょうか。何度も停戦に裏切られてきた難民の心中は容易に察しが付きます。しかし私が気になったのは、その次の理由、就業と生計への不安、でした。かつてのアフガン男性の顔が目に浮かびました。数か月後、私はキャンプ内で、とあるNGOによる映画上映会に立ち会いました。現実の将来を見通せない難民は映画に希望を見出せるのだろうかと、正直私は懐疑的でした。しかし翌日、私はキャンプ内で活発に動き廻る若者の一団と遭遇しました。「映画を見せるだけでなく、映像の撮り方を教えているのです」とそのNGOの職員が私に言いました。「若者は母国に戻ってニュース番組を立ち上げたいそうです」

f:id:UNIC_Tokyo:20160329095404j:plain

                                      難民を乗せたボートの行き交うタイ・ミャンマー国境の川

 

難民が「難民」でなくなることは容易ではありません。一方で、新たな難民と紛争による国内避難民の数は増え続け、ついに統計を取り始めて以来最大の6000万人に達しました。昨今のシリア情勢でも明らかなように、難民を生み出す紛争に終止符を打つことは政治的にも軍事的にも容易ではありません。難民の数、そのニーズは増え続け、人道支援の許容範囲を越えつつあります。

f:id:UNIC_Tokyo:20160329095414j:plain

                                               スーダンダルフールの避難民キャンプにて

 

この閉塞的な状況を抜け出すための一つの方策は、難民に出口を提供する仕組みを作ることです。実は難民の80%以上が開発途上国で受け入れられ、その半数以上が5年間以上、時に20~30年間もの長い間、難民生活を強いられています。そうした難民は昨今、キャンプでの受け身の生活に甘んじることなく、現地コミュニティに飛び出して自立した生活を志向し始めています。自立のために難民は、コミュニティ内で就業・生計手段の確保や教育の機会を必要としています。就業・教育を通じて継続的に難民をエンパワーメントしていくための支援。その比較優位を持つのは人道機関でなく、開発機関です。そして、難民がコミュニティの中で自立した存在となり得た時、それが受入国での現地統合という形であれ、帰還後の再統合という形であれ、難民が難民でなくなるという可能性が生まれるのです。

難民を生み出す紛争を止めることが難しいのであれば、紛争以外の要因のために長く難民状態に留め置かれた人々に対し難民であることを卒業するための手助けをする。難民問題においてはこれを、保護でも支援でもなく、解決(solution)と位置づけます。これは右肩上がりの難民支援ニーズを緩和することにも繋がり、ここに人道・開発連携の意義の一端が見出されるのです。

 

私は現在UNHCRからJICAへと出向し、この難民問題解決に向けた連携を追及しています。国際社会もまた、連携の動きを加速させています。2014年4月、UNHCRやUNDP等の国連機関、JICA等バイの開発援助機関、難民ホスト国、NGOや民間企業、大学研究機関、その他50以上の政府代表や国際機関が参集し、難民問題解決を目指す連携枠組み、’the Solutions Alliance’(SA) (http://www.endingdisplacement.org) を立ち上げました。UNHCRとJICAは共に、発足当初からこのSAの取組を積極的に支援しています。世界人道サミットにおいてもまた、’Leaving No One Behind: A Commitment to Address Forced Displacement’を旗印とした難民問題の解決、また’Changing People’s Lives: From Delivering Aid to Ending Need’をモットーに、包括的な連携枠組構築が優先分野として強調されています。UNHCRとJICAもその趣旨に強く賛同し、同サミットの場において、難民問題解決に向けた人道・開発連携の実績と提言を積極的に発信することを予定しています。

f:id:UNIC_Tokyo:20160329095420j:plain

2015年、私はザンビアウガンダを訪れました。SAは両国をモデル国に指定し、現地統合を通じた難民問題の解決を支援しています。難民に土地と生計手段を供与し、ホスト・コミュニティと共に国の開発の担い手として育てるという取組。難民問題解決に向けたこの稀有な取組をUNHCR・JICAとしても後押ししています。両国での取組は、世界人道サミットにおいても取り上げられるはずです。まずはこれらの国々で、人道・開発連携の目に見える成果を挙げることができればと、そう考えています。

 

国連難民高等弁務官事務所UNHCR)について、詳しくはこちらもご覧ください。

 

国連難民高等弁務官事務所ホームページ(日本語)

http://www.unhcr.or.jp/

 

フェイスブック(日本語)

https://www.facebook.com/unhcrorjp/

 

ツイッター(日本語)

https://twitter.com/UNHCR_Tokyo

 

YouTube(日本語)

https://www.youtube.com/channel/UCiG4dK6TaS_5-nao6YCd7ZA/

 

Google+(日本語)

https://plus.google.com/+UNHCRJapan/

 

4月6日は「開発と平和のためのスポーツ国際デー」:スポーツが世界の子どもを救うとき ~ 今なぜスポーツなのか ~

スポーツ無しには子どもの将来は見えないといっても過言ではありません。スポーツは我々が想像する以上に大きな作用をもたらします。ただ健康に良いという認識ではなく、脳科学の視点から脳に良い影響をもたらすことが確認されています。定期的なスポーツは脳内神経ネットワークを形成し、知能発達、情報収集能力を助長させます。それ故、発達の著しい段階にある子ども達にとってスポーツは不可欠です。しかし、世界中の子ども達全員にスポーツをする機会がある訳ではありません。子ども達の成長にとって「教育を受ける権利」と同様、「遊びやスポーツをする権利」が求められている。安全かつ健康な環境で、遊びやリクレーションを楽しむ場の提供の重要性を再認識する必要があるでしょう。今なぜスポーツなのか、 UNICEF東京事務所の 平林 国彦 代表の寄稿をお届けします。

f:id:UNIC_Tokyo:20160404163440j:plain

 ©UNICEF UNI/47750/Cranston

「当たり前にある日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドに立ちます。」小豆島高校の樋本尚也キャプテンの、今年の春の選抜高校野球大会での選手宣誓の言葉は、私の心に強く響いた。憧れの晴れ舞台に立つ子どもたちも、その機会を持てなかった子どもたちも、多くの人たちからの支えを受けて、野球というスポーツを続けてこれたのであろう。実際、スポーツや遊びは、子どもたちの生活に良い変化をもたらす力がある。野球に限らず、陸上競技、サッカー、クリケット、バレー、バスケット、ラグビー、水泳など、世界中で子どもや若者が、様々な形で、スポーツや遊びに魅了され、夢中になっている。これは、子ども時代に誰もが経験すべき、素晴らしい体験であろう。

一方、笹川スポーツ財団が実施した2015年の調査を見て、正直驚いた。日本国内で運動・スポーツを学校以外で1年間「全く実施していない」という4歳から9歳の子どもたちの割合いは、3.7%(私の推計ではおよそ25万人)であるという。以前の調査よりは減少しているということではあるが、依然として憂慮すべき数字である。親の収入と、子どもの学校外スポーツの実施率に相関関係があり、貧困家庭に暮らす子どもたちが、運動・スポーツができていない現状が浮かびあがる。日本人は、多くの努力と犠牲を払って、すべての子どもたちが、楽しく遊び、平和で安心して運動・スポーツができる環境を、戦後の廃墟から着実に築いてきたはずなのにである。

最新の脳科学分野の研究によれば、適切な遊びや、運動・スポーツを定期的に実施する子どもたちは、脳内の神経ネットワークがより多く形成され、知能の発達や新しい情報を取り込む能力に優れている傾向にあることが指摘されている。また、スポーツは、子どもたちや若者に、チームワークの大切さ、集団・組織などにおける行動の規律や、相手を尊重することの重要性など、人としての社会の中で生きる基本的な術を習得する効果があると考えられている。つまり、適切な遊びや運動・スポーツは、教育と同じくらい、子どもたちの人生に大きな影響力を持っている。

f:id:UNIC_Tokyo:20160404161854j:plain

©UNICEF/UNI/106558/Crouch

すべての子どもたちは、「教育を受ける権利」と同様、「遊びやスポーツをする権利」を持っている。日本も1994年に批准した国連子どもの権利条約では、加盟国に対し、全ての子どもたちに、安全かつ健康な環境で、遊びやリクレーションを楽しむ場を与えるよう求めている。UNICEFでは、スポーツが持つ様々な恩恵を通じて、全ての子どもたちが、自らが持つ可能性を最大限発揮できる世界を実現できるよう、日本政府や日本企業などを含む様々なパートナーの方々とともに、世界中で支援活動を行っている。

私は、以前、紛争下にある中東の国で、国連の重いヘルメットと防弾ベストを身にまといながら、戦闘で傷ついたり、戦闘や爆撃から身を守るために避難をしている子どもたちの支援を行っていたことがある。爆撃や地雷の被害にあった子どもたちばかりでなく、家族や友人が目の前で亡くなるのを目撃した子どもたちも多くいた。その中で、両親を失った1人の5歳の女の子のことが、私には気にかかっていた。引き取った親類とともに、その子は近くの学校に避難していたが、顔には生気が全くなく、周りの子どもたちともあまり交わらず、いつも一人でたった一つ残った人形を抱きしめていた。そんなある日、UNICEFが様々な遊び道具とともに、Child Friendly Space(子どもたちが安心して、友達と楽しく遊べる場所)を彼女が暮らしている学校の校庭に設置できることになった。しばらくして、そのChild Friendly Spaceを訪れてみると、彼女は、新しくできたお友達と、楽しそうに絵を描いたり、みんなとフラフープで遊んでいた。彼女に、子どもらしい一面がようやく戻ってきた、と安堵した瞬間でもあった。

日常的に暴力的な行為を受けたり、自然災害や紛争で悲劇を繰り返し目撃することは、子どもたちの脳に不可逆的なダメージ(Toxic Stress)をもたらすことが知られている。人道支援下や様々な暴力を受けた子どもたちに、早期に遊びや、運動・スポーツの機会を与えることで、子どもたちがこのようなストレスを受けるリスクを減少することができる。

f:id:UNIC_Tokyo:20160404162315j:plain

©UNICEF/UNI/197264/Mackenzie

f:id:UNIC_Tokyo:20160406160328j:plain

UNICEFリクレーションキット〈左〉とEarly Childhood Development キットの例 

少数民族や、女の子たちや障がいのある子どもたちなど、差別を受けている子どもたちが、積極的にスポーツに参加することで、公平な社会造りに貢献できることも知られている。さらには、運動やスポーツに積極的に取り組んでいる子どもたちは、何でも話し合える仲間をつくりやすく、少年兵などの誘いや、薬剤やアルコールからの誘惑に打ち勝った事例も多く報告されている。

また、スポーツには、子どもたちやコミュニティを動かす力、そして多くの人たちを巻き込んで強い団結力を築く、不思議な力がある。そして、著名なスポーツ選手は、子どもたちや若者が、苦難を乗り越えたり、成功をつかむための良いモデルとなり、さらには、そのような尊敬を集めるスポーツ選手たちが集うワールドカップやオリンピック・パラリンピックのような大規模なスポーツ大会は、子どもたちにとって重要な問題を世界中の人たちが気づき、そして支援してしてくれる機会を提供してくれる。

しかし、その一方で、スポーツと遊びの場が子どもたちへの体罰や虐待にもつながっているという報告が、近年増加していることも確かである。このような悲劇を根絶させるためにも、すべての国がスポーツに関する暴力から子どもたちを保護し、安全を守るための方法を強化しなくてはならない。

今年の2月25日、以前勤めていたUNICEFアフガニスタン事務所のフェイスブック上で、とてもうれしいニュースを見た。アフガニスタン少数民族のハザラ人の5歳のムルタザ・アフマディ君は、兄がビニール袋で作ってくれたアルゼンチン代表メッシのユニフォームを着てとても喜んでいた。この写真がフェイスブック上に投稿されたことで、「アフガンの小さなメッシ」として有名になり、本物のメッシから直筆サイン入りのユニフォームをプレゼントされたのだ。偉大なスポーツ選手が、紛争や貧困・差別に苦しむ1人の子どものことを対等に見てくれたという事実は、多くの人が彼の行動に共感し、ムルタザ君ばかりでなく、同じような境遇の多くの子どもたちに、夢と希望のメッセージを届けたであろう。

       

スポーツの持つ力は、今年から始まった新しい世界的な開発目標「持続可能な開発のための2030アジェンダ」においても、特に重要視されている。それは、スポーツが持つ、フェアープレーと対戦相手への尊厳の精神、世界中の人の周知を集められる能力、そして若者や社会的弱者である女性や少数民族、障がいのある人たちの参加を促進する力が、持続可能な開発を実現させるためには必須だからである。

このように、多くの子どもたちが、スポーツを楽しめる環境が整備されつつある一方で、2011年から始まったシリア危機は、すでに6年目を迎え、シリアの子どもの3人に1人に相当する推定370万人が、5年前の紛争開始以降に生まれ、暴力や恐怖、避難による影響を受けている。その子どもたちのうち、30万6,000人以上は難民として生まれている。そして、紛争の影響を受けているシリアの子どもたちは、シリアの子ども人口の80%以上にあたる約840万人に上るとUNICEFは推計している。そのような子どもたちは、かつては、豊かでなくとも、安心して学校に通い、友だちと遊びやスポーツを楽しめたが、その故郷はもうない。

f:id:UNIC_Tokyo:20160404163328j:plain

© UNICEF/UN013172/Al-Issa

 2013年9月,国際オリンピック委員会IOC)総会でのプレゼンテーションにおいて,安倍総理は,スポーツ分野における我が国政府の国際貢献策として,Sport for Tomorrow(SFT)プログラムの具体的な内容を発表した。SFTは2014年から2020年までの7年間で開発途上国を始めとする100カ国以上・1000万人以上を対象に、世界のよりよい未来をめざし、スポーツの価値を伝え、オリンピック・パラリンピック・ムーブメントをあらゆる世代の人々に広げていく取組みだ。2019年のラグビーワールドカップや、2020年の夏のオリンピック・パラリンピックを開催する日本。敗戦から立ち上がり、平和と安全な社会を実現してきた日本だからこそ、この大きなスポーツイベントを、単なる観光やビジネスのチャンスと捉えるのではなく、SFTなどを通じ、日本が、安全で平和な世界をつくるためのリーダーシップを発揮できる機会として考えてほしい。そして、暴力や破壊しか知らない子どもたちに、夢や希望をかなえられる世界は実現できる、ということを実感させてほしい。

f:id:UNIC_Tokyo:20160404163407j:plain

©UNICEF/UNI/185317/Page

平林 国彦 (Kunihiko Chris Hirabayashi)

2010年4月よりUNICEF東京事務所代表。

1994年から約10年間、国立国際医療センター国際医療協力局に勤務し、ボリビア、インド、ホンジュラスウズベキスタン南アフリカベトナム等の病院での技術指導、保健省での政策立案支援などを担当。JICA専門家・チーフアドバイザー、WHO短期コンサルタントなどを経て、2003年からUNICEFアフガニスタン事務所(保健省シニア・アドバイザー、UNICEFアフガニスタン事務所保健・栄養部長)、およびレバノン事務所(保健栄養部臨時部長)を歴任。2006年9月から2008年6月までUNICEF東京事務所副代表。2008年7月からUNICEFインド事務所副代表。1984筑波大学医学専門学群卒 医師免許取得、循環器外科を専攻(筑波大学付属病院、茨城こども病院、神奈川子ども医療センターなどで研修)。1994年筑波大学大学院博士課程終了、医学博士取得。