国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

女性と女児に対する暴力を「自分ごと」でとらえるために

 

女性と女児に対する暴力。

自分の身近で起こっているかもしれない、そう思ったことはありますか。

 

身体的暴力や心理的暴力、セクシャルハラスメントなどを思い浮かべるでしょうか。

実は、人身売買や児童婚、女性器切除などの文化的慣習も「暴力」に含まれます。

 

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国連平和維持要員に救出された少女(紛争中に13歳でレイプされ妊娠)とその赤ちゃん ©UN Photo/ Eskinder Debebe

 

今年は世界人権宣言70周年。

そして、6月19日は国連総会で制定された「紛争下の性的暴力根絶のための国際デー」。

 

これに合わせて、国連広報センターと駐日欧州連合EU)代表部は6月19日、国内外の女性と女児に対する暴力撤廃に関するハイレベル・セミナーを開催し、世界、日本、そして欧州それぞれの視点から国内外の女性と女児に対する暴力について考えました。

プログラムやパネリストの詳細は、こちらをご覧ください。

 

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セミナーの冒頭には、プラミラ・パッテン 紛争下の性的暴力担当国連事務総長特別代表(ビデオメッセージ)、ダーク・ヘベカー 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表、そしてヴィオレル・イスティチョアイア=ブドゥラ 駐日EU大使によるスピーチがあり、ジェンダーにもとづく暴力は基本的人権の侵害であり、ジェンダーの平等や女性のエンパワーメントを掲げるSDGsや人権など普遍的価値のもと、早急に包括的なアプローチを取ることの重要性を訴えました。

 

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(左から)パッテン 事務総長特別代表(ビデオメッセージ)、ヘベカー UNHCR駐日代表、そしてイスティチョアイア=ブドゥラ EU大使 ©UNIC

 

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続くパネルディスカッションでは、日本政府やEU代表部、国連機関、企業のパネリストが、女性と女児への暴力に対する各分野からのアプローチについて、点と線でつなぐように活発な議論を交わしました。

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パネルディスカッションのモデレーターを務める、根本かおる 国連広報センター所長 ©UNIC

 

パネルディスカッションの冒頭にまず、立教大学大学院教授・難民を助ける会(AAR Japan)理事長の長 有紀枝さんが、紛争の現場で見た性暴力サバイバーについて話しました。

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南スーダン難民の少女を紹介する長さん ©UNIC


特に、長さんがウガンダで出会った、軍の兵士にレイプされた14歳の女の子、ローダさんの言葉が重く響きました。

 

「レイプで生まれたこの子を育てる以外に私に何ができますか」

 

紛争下の暴力を、遠くのどこかで起こっていることだと、つい思ってしまうけれど

「向こう側にいるのは私だったかもしれない」

そういう意識を持つことがはじめの一歩になるのだ、というメッセージは

心に訴えるものがありました。

 

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「なぜ、性暴力はいけないことなのか?」

 

この根本的な問いを投げかけたのは、UN Women日本事務所の石川 雅恵さんです。

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石川 雅恵 UN Women 日本事務所 所長 ©UNIC


「女性であるから」「暴力を受ける」。

 

これはジェンダー平等と人権という普遍的価値に反する、二重の侵害なのです。

さらに、こうした「暴力」による社会的な損失は世界全体で150兆円に上る、という衝撃的な事実があります。

ジェンダーに基づくあらゆる暴力の根絶には、社会全体で取り組まなければならない、
ということを改めて実感しました。

 

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では、女性と女児に対する暴力に対して、実際にどのようなアプローチが取られているのでしょうか。

 

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たとえば、スポットライト・イニチアチブ

国連とEUが一緒に、女性と女児に対する暴力という、隅に追いやられがちな問題にスポットライトを当てて、皆で取り組むことを目指しています。

  

そして、HeForShe

ジェンダー平等は女性だけで達成できるものではありません。

「男性100人のうち99人は女性のことを思って声を上げてくれるのではないか」

そんな考えのもと、男性もジェンダー平等への変革の主体となってもらおう、と2014年にUN womenが始めた社会全体を巻き込むキャンペーンです。

 

  

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紛争下での性的暴力は、しばしば女性を傷つけるだけでなく、家族や地域社会を引き裂く「武器」として用いられます。現在では、国際法上の犯罪やジェノサイドをも構成しうるとの判断が下されています。

すなわち、性的暴力は平和構築や安全保障に深く関わる重大な問題なのです。

国連安全保障理事会は、2000年に紛争下でのジェンダーにもとづく暴力を撤廃することを決議し、国連総会も2006年に女性に対するあらゆる暴力の撤廃を決議し、この問題に国際社会が体系的・包括的に取り組む決意を打ち出しました。

 

EUも、性的暴力を平和と安全保障と結び付け、またジェンダー平等と人権を普遍的価値と捉え、性的暴力の撤廃に向けて取り組んでいます。

EU代表部のファビアン・フィエスキさんが紹介したのは、EUの 共通安全保障・防衛政策(CSDP)です。

CSDPでは、平和構築や紛争予防、仲裁支援を通して、性的暴力の被害者のカウンセリング支援や児童婚の撤廃に取り組んでいます。

 

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ファビアン・フィエスキ 駐日EU代表部政治部 部長 ©UNIC

その経験から、世界中のあらゆる性的暴力を撤廃しなければならないこと、またそのためには予算や制度を整えることが重要だと強調しました。


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日本でも、女性と平和・安全保障の関連に注目が集まっています。

外務省 総合外交政策局 女性参画推進室 室長である北郷 恭子さんが紹介したのが、国際女性会議 WAW!  です。

2014年から毎年、女性と平和・安全保障をテーマの1つにしています。

「女性が保護されるべき存在としてだけでなく、平和を築く主体となる」

その考えのもと、日本政府は、紛争下での性的暴力をなくすために、被害者支援や、性的暴力をきちんと裁くための法制度整備などの支援をアフリカなどで行っています。

 

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WAW!の紹介をする外務省の北郷さん ©UNIC

また、安保理決議1325 に基づいて策定された日本の行動計画では、紛争後の地域社会の再建などの取り組みを自然災害への対応に活かし、避難所や防災計画の意思決定に女性の視点を取り入れることを盛り込みました。

 

国外で起こっていることを「自分ごと」として考える意識を持とう。

そんな思いを胸に刻みました。


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女性に対する暴力撤廃を目指す取り組みでは、国際機関や政府だけではなく、企業も重要な役割を担っています。

複数の会社を経営する佐々木 かをりさんは、ビジネスの観点から女性のエンパワーメントを目指し、国際女性ビジネス会議ダイバーシティの「見える化」に取り組んでいます。

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佐々木 かをり ユニカルインターナショナル、イー・ウーマン代表取締役社長 国際女性ビジネス会議 実行委員長 ©UNIC

佐々木さんが大切にしていることは、

頭であれこれ考えて理解するよりも、多くの人に出会い多様性に触れて、「肌で感じる」こと。


これに対して、EU代表部のファビアン・フィエスキさんは、

「女性の権利は、子どもの権利に比べてコンセンサスを得るのが難しい。なぜなら、小さい頃は誰もが子どもだったけれど、女性であることは男性が直接経験できないことから。」

と、多様性を肌で感じることは、違う立場で物事を考え、女性の権利への理解を促すのではないか、と呼応しました。

 

身近なところで個人一人ひとりの意識を変えていくことは、民間セクターが一緒に取り組んでこそ実現できるのだと感じました。


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ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社 取締役 人事総務本部長の島田 由香さんは、グローバル企業でのダイバーシティ経営について紹介しました。

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25個のアイコンから成るユニリーバのロゴを説明する島田さん ©UNIC

 

ユニリーバが企業行動原則で大切にしていること、それは「尊重、尊敬」です。

自分が尊重されていないと感じたら、それを自由に伝えられる。

また、通報者を守りながら調査し、二度と同じことが起きないようにする、そんなシステムが整っています。

 

その背景にある大切な価値が「be yourself」

「自分らしくある」ためには、まず「自分が『自分』であるということを受け入れる」。

社員から、その子どもたちへ、そして多くの企業が一緒に取り組むことで「be yourself」の輪を広げ、社会全体を変えられるのではないか。

 

一見すると性的暴力の撤廃と遠い存在かもしれないけれど、企業が果たす役割は決して小さくなく、ビジネスの面からもグローバルに変化を促せるという強い思いが、ひしひしと伝わってきました。


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セミナーの最後には、上川 陽子法務大臣が閉会の言葉を述べました。

女性の人権尊重と女性が活躍する社会の実現という2つの視点から性的暴力の根絶に取り組んできたことや、女性や女児に対する暴力の根絶につながる法務省の施策として、性犯罪対策の推進や小中学生に対するSOSミニレターの配布などの取り組みを紹介しました。

法の支配の担い手として、女性や女児に対する暴力の根絶、そして誰一人取り残さない包摂的な社会を実現する、という法務省の強い決意が表明され、セミナーは幕を閉じました。

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上川 陽子 法務大臣 ©UNIC

 

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女性と女児に対する暴力が、自分の身近に起こっているかもしれない。

紛争下の性的暴力も、向こう側にいたのは自分だったかもしれない。

 

そんな、ジェンダーにもとづく暴力を「自分ごと」としてとらえる意識を持つ、

そして女性も男性も加害・被害者の関係を超えて、変革の主体として、

国際機関や各国政府、企業、個人それぞれが自分の足元から、

性的暴力の根絶へ、共に歩んでいく。

 

 

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女性に対する暴力撤廃の国際デーに演説するグテーレス国連事務総長 ©2017 UN Photo

アントニオ・グテーレス国連事務総長は、性的暴力を絶対に許さないこと( zero-tolerance )を強く訴えています。 

 

今回のセミナーは、国連の重要課題である「女性と女児に対する暴力」について各界で活躍する方々の意見を聞く、大変有意義な機会となりました。

個人的にもその思いを強く確かなものとし、セミナーで学んだことを心に留めて、この課題に引き続き注目したいと考えています。

 

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あなたも、社会を、そして世界を変える一人になりませんか。

 

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その一歩として、ご紹介したいのが世界人権宣言70周年のビデオ・キャンペーンです。

セミナー会場でもキャンペーンの撮影ブースを設け、多くの方にご参加いただきました。

人権について考え、その理念を世界に広める一歩はこちらから↓

http://www.unic.or.jp/news_press/info/24523/

 

 (インターン 布施)

 

 

 

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.6】

連載第6回・最終回 顔の見える支援で日本とパレスチナが繋がる

 中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。

イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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2018年3月13日、1,000人以上のパレスチナ難民の子どもたちがガザ地区のハンユニスの職業訓練所に集まり、日本とパレスチナの連帯を祝して凧揚げを実施。2011年の東日本大震災以降、毎年この凧揚げが実施されている © 2018 UNRWA Photo by Rushdi Sarraj

 

日本とパレスチナ、対等のパートナーとして信頼を醸成

今回の視察では、UNRWAの活動を中心に日本からのパレスチナ難民に対する大小様々な支援を見てきました。その中で気づいたのは、一つひとつの支援に魂を注ぐためには、対等なパートナーとして支援される側とする側が信頼を醸成していくことが必要だということです。日本は政府、JICA、市民団体など幅広いレベルで様々なアクターがパレスチナ支援を行っています。私がこの視察で感じる限り、関わる人々は支援される側の複雑な気持ちや深刻な状況を把握し、きめ細かくサポートしていました。欧米のようにパレスチナの歴史に直接的に関わった経験は日本にはありません。その意味でより中立的な立場でパレスチナに関わることができるのは支援するうえで利点になるかもしれません。しかし、現場を視察してみると、パレスチナ難民に日本からの支援が継続的に高く評価され、感謝されている所以は、支援に関わっている日本人がパレスチナ難民を対等のパートナーとして応援しているからだと気づきました。

 

ガザの空高く舞う凧、日本とパレスチナの連帯の象徴

日本とガザとの強い絆を表すものとして、毎年3月にガザ南部のハンユニスで行われている凧揚げがあります。これは、2011年の東日本大震災の犠牲者を追悼し、被災地の復興を祈るために、2012年から毎年3月にUNRWAが催しているものです。今年も3月13日、1,000人以上のUNRWAの学校に通う難民が参加しました。「今年になってガザの状況が悪化したので、凧揚げは中止かと心配していましたが、先生がこれまで通り実施すると言ったのでとっても嬉しかったです。地震津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市の高校生ともインターネットで交流しました。釜石もガザもつらい経験をして、共通点があります。」と、凧揚げに参加したUNRWAアルアマル女子中学校のラマ・シャクーラさん(12歳)は日本と日本の人々への感謝や日本とガザの連帯について語っています。(UNRWA記事資料より)

ガザと釜石市との交流は、2015年11月、ハンユニスのUNRWA 女子中学校のラーウィア校長と3名の難民生徒が訪日した際に深まりました。(連載第2回 パレスチナ難民の子どもたちの未来を切り開く「教育」を参照)

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2015年11月、ガザから訪日したラーウィア校長(右端)と3名の中学生はピエール・クレヘンビュールUNRWA事務局長(右から3人目)と清田保健局長(右から2人目)と共に野田武則釜石市長(右から5人目)を表敬した。© 2015 UNRWA Photo

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ラーウィア校長(中央)と生徒たち。ハンユニスのUNRWAの女子中学校で ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

幾度の戦闘を経験しているガザの人々は、地震津波の甚大な被害を受けた日本の痛みがわかるのでしょう。これだけ多くの難民の子どもたちが参加する凧揚げが毎年実施されていることは、日本の人々にどれだけ知られているでしょうか。支援する側の日本がいつの間にかガザの人々に心配され、熱い声援を受けているのです。人と人との繋がりから生まれたこの絆は、今後も大切に育んでいかなければならないと強く感じました。

 

日本人職員の存在で、絆がより確かなものに

実は日本とガザの交流の実現には、一人の日本人女性の活躍がありました。当時、特定非営利活動法人 日本リザルツの職員として釜石でガザとの交流プロジェクトを担当しており、現在はUNRWAガザ事務所の渉外・プロジェクト調整官を務める吉田美紀さんです。彼女は2016年にJPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)としてUNRWAガザ事務所に入り、今年4月にJPO終了後、UNRWAの正規職員として引き続きガザで勤務しています。吉田調整官は、ガザに駐在する唯一の日本人です。今回の私のガザにおけるUNRWA活動の視察は、彼女の協力なしには実現しませんでした。

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吉田美紀UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官。「Gaza Japan 2018」と記された今年の凧揚げ用の帽子をかぶって ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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ハンユニスの凧揚げでの吉波佐希子UNRWA 上席渉外・プロジェクト担当官(中央)とサングラスをかけたラーウィア校長。今回のヨルダン川西岸地区での視察では、吉波上席渉外・プロジェクト担当官にお世話になった ©UNRWA Sachiko Yoshinami

 

パレスチナ難民のアイデンティティーである伝統刺繍へのきめ細かい支援

パレスチナと聞くと度重なる紛争で悲惨なイメージがつきまといがちですが、難民女性たちは70年という長い間、自分たちの文化をさび付かせないよう大切に育んでいます。その一例がパレスチナ刺繍です。今回の旅でパレスチナ刺繍を用いて素晴らしい作品を生み出している難民女性に多く出会いました。そこには、支援を惜しまない日本人の存在がありました。

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刺繍グループが自宅で作ってきた刺繍作品を点検するJVCエルサレム事務所の山村さんと刺繍グループのコーディネーターのマナールさん ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

イエス・キリストの生誕地ベツレヘム近くにあるUNRWA のベイト・ジブリン キャンプでは、難民女性のグループが刺繍をして生活の一助にしています。特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター(JVC)は、ここでの刺繍プロジェクトに開始当初から関わっており、刺繍作品の数々はJVCを通して日本で販売されています。

「日本で販売するには高い質を維持することが求められます。大きなものは値段がはるので小物を多く作るよう提案しています。色やデザインも日本人の好みに合わせてもらっています。作り手もそれなりに自負があるので、素直に私たちのアドバイスを聞いてくれるとは限りません」と、JVCエルサレム事務所の現地代表を務める山村順子さんはプロジェクトの苦労を語ってくれました。山村さんは頻繁に難民キャンプの女性グループを訪ね、今では自分のお母さんほどの年齢になる女性たちを前に時には厳しいことも言える間柄になっています。「競争が激しい日本市場の現実を知ってもらうのは彼女たちのためになり、本当の支援となるはずです」、と対等のビジネスパートナーとして付き合うことの大切さを山村さんは強調しました。

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左からJVCエルサレム事務所の山村さん、刺繍グループのコーディネーターのマナールさん、メンバーのナフィーサさん、JVCインターンたち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

難民女性に話を聞いてみると、刺繍は単に収入源になるだけではなく、孤立しがちな彼女たちに生きる楽しみを与えているようでした。「夫は女性グループの刺繍で出かけると言うと、安心して外出を認めてくれるのよ」、「刺繍のために集まっておしゃべりをしていると、日ごろのつらいことも忘れるわ」など、手も口も忙しく動きます。コミュニケーションを上手く用いて日頃のストレスを解消するのはどうやら万国共通の女性の技のようです。

UNRWA直営の唯一のパレスチナ刺繍センターがガザにあります。UNRWAの創設直後に設けられたスラーファ刺繍センターです。このセンターの製品を日本で販売しているのが、滋賀県在住の北村記世実(きたむら きよみ)さんです。19年前、ガザでボランティア活動に参加した北村さんは、パレスチナ伝統工芸品の通販を通してガザの難民女性の自立を支援しようと2013年にパレスチナ・アマルを起業しました。「『パレスチナのモノでおしゃれを楽しむ』をコンセプトに、ガザの女性たちが自信と尊厳をもって人生を輝かせることができればと願っています」と、今ではオンライン販売の他に全国各地で展示や販売会も積極的に行っています。

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2018年4月にFM草津に出演し、刺繍を通したガザの難民女性への支援について語る北村さん ©パレスチナ・アマル Kiyomi Kitamura

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ガザのUNRWAスラーファ刺繍センターのブランドブック。北村さんによって作成されました ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

スラーファには18歳以上の約300名の難民女性が参加し、その中には夫を亡くした女性や離婚者も多く含まれます。「毎日6,7時間は刺繍に没頭して、嫌なことも忘れます。私の家族には失業した男性が何人もいて、ここでの儲けは貴重です。多くて一ヵ月200シェキル(6千円ほど)ですが、先月は薬代に使いました」と59歳のウンム・ファワードさんが作業の手を止めることなく話してくれました。「外に出る機会があまりない難民女性たちにとって、刺繍は自宅でできる数少ない収入を得る仕事です。加えて、パレスチナの伝統を守ることは自らのアイデンティティーを強め、自信を与えています」とスラーファの責任者、アイーシャさんが教えてくれました。

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ウンム・ファワードさんはスラーファでのベテランのひとり。仕事は誰よりも早く丁寧だと一目置かれている ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

国際協力機構(JICA )による大規模な支援

冒頭にあるようにガザでは毎年凧揚げが行われ、日本からの支援に対する感謝と日本との連帯が表明されています。では具体的にどのような支援が行われているのでしょうか。ジェリコの農産加工団地(JAIP)というパレスチナ全体を支援するダイナミックなプロジェクトが動き出しています。これは日本政府の「平和と繁栄の回廊」構想の代表的な事業で、民間セクターの参加を促すことでパレスチナを含む地域の持続的な経済開発をめざしています。その実施を担っているのはJICAです。古代都市として有名であるジェリコ死海の近くに位置し、世界で最も標高の低い町です。4月でも40度を超える真夏日が続き、冬でもとても暖かく暮らしやすい場所です。2018年5月初め、パレスチナを訪問中の安倍晋三内閣総理大臣夫妻もJAIPを視察しました。

2018年5月現在、広大なJAIP の敷地内で37社のテナントが入居契約を済ませ,うち12社が稼働しています。若い女性起業家のラシャ・タリフィさんが、ナツメヤシから糖分を抽出してサプリメントにして販売するというビジネスのフル稼働に向けて準備をしていました。「乾燥したパレスチナの地でもよく育つナツメヤシに着目しました。昨今、ナツメヤシはミネラルが豊富で健康食品として人気があるんです」と、自らのビジネスの展望について熱く語りました。

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ナツメヤシから糖分を抽出する機械を前に自らのビジネスについて語るタリフィさん ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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ナッツ販売を企画するテナントが導入したパッキング用の機械。パレスチナのでは生活習慣病予防のため、ナッツの摂取が推奨されている。JICAパレスチナ事務所の平田知美さん(左)がパッキングの出来具合をチェックする ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 日本の支援は農産加工品を通した経済支援にとどまらず、JAIPを含む周辺地域から出る汚水処理のための下水道施設の建設にも及んでいます。「ここ西岸地区には、下水道施設が整備されていないところが少なくありません。多くの家庭では、汚水は各家庭の敷地にある浸透槽に貯められます。しかし、未処理のまま地下に浸透するので地下水が汚染されてしまいます。ご存知のように降水量が極めて少ないジェリコにとって、地下水は私たちの生活に不可欠です。この下水道施設のおかげで地下水の汚染が抑えられます」と、この施設の主任オムラン・カラフさんが説明してくれました。

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下水道処理施設が2016年に完成。左から本プロジェクト担当のJICAパレスチナ事務所の千葉真梨子さん、妹尾、本施設の主任カラフさん、UNRWA パレスチナ西岸地区事務所の安藤 秀行(あんどう ひでゆき)オペレーションサポート・オフィサー ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 カラフさんの案内で下水施設の屋上に行くと、処理されてきれいになった水が農業用水に使われ、周辺にはこれまで存在していなかった緑が広がっていました。

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下水施設と周辺の広がる緑地 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

難民の日々の生活の中でひときわ目立っているJICAの支援があります。JICAが2010年にパレスチナで導入したアラビア語版の母子手帳です。年間約9万人生まれるというパレスチナ難民の子どもたち全員に提供され、母子の健康管理に貢献しています。その後JICAはUNRWAと共にこの母子健康手帳の電子化に取り組み,2017年4月にスマートフォンのアプリケーションとしてヨルダンで配信が開始されました。この電子版母子手帳は、より多くのパレスチナ難民家庭の健康を守るため今後さらに普及される予定です。

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JICAが導入したアラビア語母子手帳を大切に持つ子ども。日本の支援で建てられたガザ南部のハンユニスの「ジャパニーズ・クリニック」で ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

日本からの支援、人と人の繋がりで質の高いものに

日本のパレスチナ難民への支援の礎には、長い年月を経て培ってきた人と人との信頼関係があります。言いにくいことでもはっきりと物申す方が受益者のためになる、ということを現場ではよく耳にしました。風通しの良い現場には、そのような人間関係が必ずあることに気づきました。 パレスチナ難民にとってこの70年という月日は、私たちの想像を絶する試練の日々であり、「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史だと言ってよいでしょう。パレスチナの政治的解決は楽観できるものではなく、昨今、ますます多くの難民たちが貧しさに苦しみ、数々の問題を抱えながら暮らしています。そんな難民に少しでも元気を与えるものとして、遠い日本からの人と人を繋ぐ支援があります。そのような質の高い心のこもった支援が、今後も引き続きパレスチナ難民のもとに届くことが期待されています。そのためには一人でも多くの日本の方々に現場の支援活動、支援を受ける難民たち、そして支援をし続ける日本の人々について知ってもらいたいと強く感じました。

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今回の視察に協力してくれたUNRWAガザ事務所の職員。左から3人目は、吉田美紀UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官。ホンムス(ひよこ豆のペースト)、ムタッバラ(焼きナスのペースト)、ファラフェル( ひよこ豆のコロッケ)など典型的なパレスチナの家庭料理で視察最後の日、朝食を共にした ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa

UNRWAはパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。

 

こちらのビデオもご覧ください↓

 

本シリーズの以下のブログも是非ご覧ください。

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.5】

連載第5回  豊かな発想と創造力で逆境を生き抜く若者たち

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。

イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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エルサレム全景 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


日本発のビジネス・コンテストが発掘したガザの若手女性起業家たち

ガザに行ったら是非再会を果たしたい、と願っていたのが自らの専門知識で地域住民の生活レベル・アップに努めるマジド・マシュハラウィさんとアマル・アブモアイリクさんという若手女性起業家です。マジドさんは、ジャパン・ガザ・イノベーション・チャレンジ ( Japan Gaza Innovation Challenge、通称、「ガザビジ」 )が主催するビジネス・コンテストで2016年に優勝を勝ち取りました。準優勝はアマルさんでした。

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ジャパン・ガザ・イノベーション・チャレンジの2016年ビジネス・コンテストの表彰式。賞状を持って写る優勝者のマジドさん(左)と準優勝のアマルさん(右) ©SKETCH Engineering

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2017年春、吉田美紀UNRWAガザ事務所の渉外・プロジェクト調整官(中央)の案内でマジドさん(右)とアマルさん(左)は訪日し、東京スカイツリーを見学 ©UNRWA Miki Yoshida

ガザビジは日本の有志がUNRWAとの協力によって始め、ビジネスを通してガザに未来をつくることを目標にしています。2017年春、私はガザビジの招きで訪日していたこれら二名のパレスチナ女性起業家による報告会に参加し、迫力あるプレゼンテーションに感銘を受けました。今回のガザ出張中にマジドさんとアマルさんとの再会が約一年ぶりに実現しました。


女性の視点でビジネス・チャンスをつかむ

保守的な考えがまだまだ蔓延するガザという土地で、女性が発想と創造力で大勢の男性候補者を押さえて一位と二位を勝ち取ったのです。ガザビジでの受賞後、二人はビジネスをさらに発展させ、海外でも賞を取るほど認められてきています。実際、アイディアをビジネスにまで発展させる彼女たちの努力は並大抵のものではなかったでしょう。社会的に意義のある新たな価値を生み出すことができたのは、人々の生活により近いところにいる女性ならではの目線で工夫を重ねてきたことだったと思います。

 

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セメントにガザで容易に入手できる焼却灰を混ぜて建築用の新種ブロックGreen Cakeを作っているマジドさん。©Green Cake

 

新種のエコブロック「Green Cake」で街を立て直す

土木工学が専門のマジドさんは、仲間と共に軽量、安価、強固で建設に耐えうる新種ブロック「Green Cake」を考案しました。実はこの「Green Cake」は、度重なる紛争によって破壊された建物の跡地から取り出した焼却灰をセメントに混ぜて作られています。この10年来イスラエルによって経済封鎖となっているガザには、コンクリートなどの建設資材が十分に入って来ず、コンクリート不足が起こっています。特に2014年のイスラエルとの紛争中には多くの建物が破壊され、住居を失った人々が移り住む建物の建築の需要が新たに生まれました。焼却灰に注目した「Green Cake」という新しいブロックの誕生には、このような背景があったのです。

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2014年の紛争で崩壊したガザの街 ©2014 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

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Green Cakeの製造現場を監督するマジドさん。受注もまずまずだとか。 ©Green Cake

こうした環境に配慮した取り組みが評価され、彼女は2017年末ドバイ首長国主催のEmirates Energy Award 2017においても銅賞を受賞しました。

 

専門性を生かして、ガザの電力不足の解消に取り組む

「Green Cake」に加え、マジドさんはSunBoxという別会社を立ち上げ、ガザの電力不足(私のガザ滞在中、送電時間は1日約2時間でした)の解消に向け、効率が悪い発電機に代わる太陽光発電キットを家庭用に開発しています。この取り組みは、MIT Enterprise Forum Pan Arab がオマーンで開催したコンテストの社会起業家部門で2位に輝きました。

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停電時にも勉強を可能にするSunBox ©SunBox Majd Mashharawi

海外でもその取り組みが高く評価されているマジドさん。でも常に考えているのは、身近な暮らしをいかに改善するかです。「ガザに戻ると厳しい現実に引き戻されます。自分にできることをこれからもやり続けます」と、久しぶりに両親と兄弟が待つガザに戻ったのも束の間、マジドさんの口からは次々と新しいアイディアが出てくるのでした。

 

ガザで停電対策を考案しているのはマジドさんだけではありません。機械工学を専攻したアマルさんも、2014年の紛争をきっかけにガーダ・マンシさんたち4名の友人たちと「スケッチ・エンジニアリング(SKETCH Engineering)」という会社を立ち上げ、貧困家庭の支援を行っている慈善団体に対して充電式の緊急照明システムの提供を行っています。事業開始からこれまでの3年間で、100戸以上にこの緊急照明システムが設置されました。現在、計19名の若者がこの事業に参加しており、ガザでの若者の雇用創出にも貢献しています。

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充電式の緊急照明システムを製作中。「スケッチ・エンジニアリング」創設メンバーアマルさん(左手前)とガーダ・マンシさん(右手前)。2017年の春、ガザビジはガーダさんとアマルさを一緒に日本に招待したが、ガーダさんにはイスラエルの許可が下りず、ガザを出ることはできなかった。©SKETCH Engineering

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地域の需要に敏感に反応する起業家たち

アマルさんが代表を務める「スケッチ・エンジニアリング」は、上述の電力の課題解決以外に、「スケッチ・ウィール(Sketch Wheel)」と名付けられた昇降用のキャリアー(重い物を運ぶカート)を開発しました。最大50キロまで運搬できる手動のキャリアーは小さな三つの車輪で動き、運搬業者から高齢者まで容易に使える製品です。幾度もの紛争の爪痕が残るガザでは、道路や建物にバリアフリーを求めるのには無理があります。アマルさんたちは、整備されていない道路やエレベーターが無いビルでの物資の運搬に人々が苦労している、という声に敏感に反応しこのキャリアーを考えました。

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アマルさん達が「スケッチ・ウィール」と名付けた昇降用のキャリアーは小型の三輪で動く。これによって様々な高さの階段で利用できる ©SKETCH Engineering

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日本の支援で開花するガザの若者のイノベーション精神

ガザ地区は、東京23区の3分の2ほどの大きさです。外部との人・物の出入りは厳しく制限され、住民は不足する物資と貧困にあえぎながら暮らしています。そのような場所で社会的変革を起こそうとする若者の先頭を走るマジドさんやアマルさんと話していて、何かのきっかけでふと彼女たちが現実に引き戻され、一瞬悲しそうな表情になるのに気づきました。彼女たちは夢を追いかける中で、自分たちが住むガザの厳しい状況を的確に把握し、自らの限界を感じているのかもしれません。けれども、「自分にできること」をモットーに地域を少しでも住みよい場所にしたいという試みを諦めることなくやり続けています。そんな姿は周囲を元気にしてくれます。さらに、日本の若者が立ち上げたガザビジによるコンテストは、マジドさんやアマルさんのようなイノベーション精神が旺盛なガザの若者の背中を押しています。今後のコンテストにおいても、たくさんの起業家の卵がこの地から産まれることが期待されます。


アリーさん、エルサレムからジャーナリストとして世界に発信

若者たちが創造力を駆使して厳しい現状を打破しようとしているのは、ガザに限ったことではありません。社会貢献を目指して自らの持つ力を十二分に発揮しようとする若いパレスチナ人が東エルサレムにいます。

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今後の抱負を語るアリーさん。東エルサレムで ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アントニオ・グテーレス国連事務総長の正面に座るアリーさん。2017年11月に国連本部で開催されたパレスチナ人ジャーナリストのための研修で ©UN Photo Eskinder Debebe

エルサレムでクリエイティブ・コンサルタントとして活躍するアリー・ガイスさんです。政府系から一般個人に至る顧客に対して、メディアとコミュニケーションを利用してビジネス戦略を提案することを仕事にしています。また、彼は国連広報局が毎年開催するパレスチナの若手ジャーナリストのための研修に昨年参加しました。この研修を修了して世界各地で活躍するパレスチナ人ジャーナリストは200人を超えます。「実は当時、いくつかの海外の企業から仕事のオファーがありました。しかし国連での研修後、東エルサレムに残ってパレスチナや自分たちのことをもっと世界に発信する必要性に気づき、ここエルサレムに残ることを決めました」と語るアリーさん。現在、国連研修の同窓生15名とパレスチナのジャーナリズムの活性化を進めているそうで、UNRWAの「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa )のより効果的な広報についても、同窓会の今後の課題として取り組む予定だと話していました。また、別の企画として、アートや文学を通してパレスチナの若者が自らを表現できるようなプラットフォームづくりを西岸のヘブロンで考えています。

 

一個人として、現在のパレスチナ難民の置かれている状況についてできることは限られていますが、このような若者の取り組みに理解を示し、できる限り世界に発信することで国際社会の中での応援者を増やしていくことが大切な一歩ではないかなと感じました。皆さんも是非、パレスチナの若者の活動の今後に注目し続けてください。

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大雨の後の冷え込んだ日、自宅には暖房もなく通りで共に暖を取るガザの子どもたち ©2017 UNRWA Photo by Rushdi Sarraj

 

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa


UNRWAはパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。
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【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.4】

連載第4回 障害を持つ難民を置き去りにしないために

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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点字を読む難民少女。ガザにある視覚障害者のためのリハビリセンター(RCVI)で    ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


障害を越えて一歩を踏み出す子どもたち 

難民というだけで、既に社会的に弱い立場に立たされる中、障害を持つ難民の子どもたちはどのような思いでいるのでしょうか。私は今回の視察の中で、障害を持つパレスチナ難民の子どもたちに直接会って話を聞く機会を得ました。
まず訪れたのは、ガザで唯一の視覚障害を持つ子どもたちの学校として1962年に設立された視覚障害者のためのリハビリセンター、RCVIです。ここには4歳から12歳までの全盲の子どもたちが通う学校と幼稚園があり、約130名が在籍しています。また、これらの全盲の子どもたちのための学校と幼稚園とは別にRCVIは視覚障害のレベルに合わせて様々な教育支援とリハビリテーション・プログラムを提供しており、受益者の数は360名に上ります。

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ソーラーパネルをフル活用してガザのエネルギー危機に対応する視覚障害者のためのリハビリセンター(RCVI)。1980年代後半から1995年まで日本の立正佼成会の支援を受けていた。その後、1996年に日本政府の支援で校舎の建て替えが行われ現在に至る           © UNIC Tokyo Yasuko Senoo

先生が読み上げる文章を弾丸のごとく速くタイプしていたのは、全盲クラスの5年生のハーラさん(11歳)です。何事も諦めず、常に前向きな彼女はクラスでも人気者です。「帰宅後はまずは妹二人と遊びます。その後、点字で本を読んだり、点字タイプの練習をします。タイプはもっと上手くなりたいです」と、自宅でも熱心に勉強に取り組んでいる様子です。「私は人権に関心があるので、将来は弁護士になりたいです」と、ハーラさんは夢を語ってくれました。

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ハーラさんの特技は点字タイプ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

「ハーラさんの目の病状はこのところ悪化して、医師からは義眼にするよう言われています」と、自らも弱視のファラハート校長が教えてくれました。この手術を受けるには、ガザ地区を出て設備の整った医療機関に行く必要があるそうです。少女は周囲の心配をよそに、近い将来に目の手術を受けることができると信じて、前を向いて生きています。

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学校の校庭で夢を語るハーラさんを囲んで。左から校長先生、吉田UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官、妹尾 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

RCVIの幼稚園では視覚障害者の先生から点字タイピングの手ほどきを受ける女子児童がいました。残念ながらこの幼稚園は、昨今の UNRWA の財政の悪化により今年の8月で閉園してしまいます。幼稚園の運営は、そもそも初等教育を提供するというUNRWAに委任された権限に含まれていませんが、RCVIの幼稚園に関しては、これまでUNRWAの特別なプロジェクトとして特別予算で賄われてきました。幼稚園の閉園は、ガザのコミュニティー全体にショックを与えています。「ここで培った技能を生かしていかにスムーズに社会統合をしていくかが彼らの将来の鍵を握ります。視覚障害は早期介入が必要です。自分に自信を持つことは幼少期の教育で可能となることが多いので、その意味でも幼稚園の閉園はとても残念です」と、校長先生が教室を出る際にぽつりと呟きました。

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点字タイプを学ぶ幼稚園児。現在16名が通うこの幼稚園は2018年夏に閉園となる予定 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

障害を持つ難民が直面する厳しい現状

現在、世界人口の7人に1人にあたる約10億人が何らかの障害を持っていると言われています。UNRWAによると、パレスチナ難民の約15%が何かしらの障害を持っています。2006年に国連総会で障害者権利条約が採択されたことを受け、UNRWA においても2010年から障害者に関する政策を特別に設けることで、すべてのプログラムにおいて障害を持つ難民の尊厳と権利の保護・促進が強化されています。
しかし現状は厳しいものがあり、UNRWAによると占領地区(西岸地区とガザ地区)では、15歳以上の障害者の37.6%が学校に通った経験がなく、また全ての障害者の33.8%は学校を中退しており、53.1%は読み書きができません。特にガザ地区では、障害者が少なくとも1人いる家族は10%に上り、18歳以上の障害者で職に就いているのはわずか11%です。


社会の意識改革を通して、聴覚障害を持つ人々を支えるアトファルナ

ガザで「アトファルナ」のことを知らない人は珍しい、と聞くほど活動がコミュニティーに溶け込んでるアトファルナ(「 私たちの子どもたち」の意。ガザのNGO)という支援団体があります。「アトファルナは、ガザで聴覚障害者への支援を初めて手掛け、現在に至るまでこの分野でのリーダー的存在となっています。その資金は世界各地から集めています。1992年のアトファルナ創設以来、ずっと支援してくれている日本の市民団体があります」と、ナイーム・カバジャ所長はこの施設と特定非営利活動法人(認定NPO)パレスチナ子どものキャンペーン(CCP Japan)との長く密接な関係について語りました。


アトファルナでは、約300名の生徒が通うろう学校の運営の他に、聴力検査、補聴器の修理、言語療法、手話コース、職業訓練なども行われており、聴力障害を持つ子どもたちを支える包括的な社会づくりに貢献しています。「現在のような形で幼稚園から職業訓練まで、聴覚障害者に包括的な支援を提供するに至るまでには数々のハードルがあったんですよ」と、カバジャ所長は語りました。保守的な社会だと言われているガザにおいて、親が自分の子どもに視覚障害があると認めたがらない、子どもを学校に通わせず人にも会わせないという例も過去には多くあったそうです。当時は一般的に聴覚障害者に対する理解は少なく、差別やいじめも頻繁にあったそうです。アトファルナのスタッフは、聴力障害を持つ子どもたちのために家庭や社会全体の意識改革を地道に行ってきました。


私の訪問時にも、幼い子どもたちが家族に連れられて次々と面談や検査に来園し、アトファルナが家族に対してきめ細かな支援をしているのを実感しました。住民のほぼ7割が何かしらの支援を受けながら日々の生活を送っているというガザにおいて、もっとも弱い立場にある聴覚障害者たちにアトファルナは日本からの協力を得て明るい未来への一歩を提供しています。

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アトファルナの幼稚園。初めて手話を学ぶ園児たち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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同じく幼稚園で、先生が手話で行う指示に従って一心に積木を並べる園児たち。    ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アトファルナの中等部。先生の質問に対して積極的に手話で発言する生徒たち。声は無くとも、教室は皆の体の動きで熱気に包まれる ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


社会的・経済的な自立を助ける職業訓練

聴覚障害を持つ人々に対して教育のみならず、幅広い職業訓練も行っているのがアトファルナの特徴です。ここで製作される作品は多様で、陶磁器、木工品、絨毯、木材塗装なども含まれます。その中でも印象的だったのは、パレスチナの伝統刺繍を行う女性たちの工房です。現代風に色やデザインがアレンジされて工夫が冴えます。高品質の作品を仕上げる女性たちには皆自信がみなぎっていました。「生まれつき聴覚に障害がある私に仕事があるなんて、とても幸運です。それも、パレスチナの伝統的な芸術に関わることができて、私は幸せよ」と刺繍の手を止めて初老の女性が手話で話しかけてくれました。
作品は、以下のサイトでご覧になれます↓       http://atfaluna.net/crafts/index.html (アトファルナ) または          http://ccp-ngo.jp/project/palestine-embroidery/  (CCP Japan)

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パレスチナ刺繍はアトファルナの人気の職業訓練のひとつ。カバジャ所長の挨拶に手話で応える女性。名刺入れなどの小物からクッションカバーやロングドレスまで、彼女たちの手によって様々な作品が仕上がっていく ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アトファルナの作品は併設された売店で購入できる ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

SDGsのモットー「誰も置き去りにしない」― 期待される支援の輪の広がり

2015年に国連で採択された 持続可能な開発目標(SDGs)は、地球規模の課題を解決するための目標で、2030年を達成期限としています。あらゆる形態の貧困に終止符を打つ、不平等と闘う、気候変動に対処するなど17項目からなり、それぞれ具体的な行動目標や削減目標を設定しています。SDGsのめざす世界は「誰も置き去りにしない」世界であり、障害を持つ人々を含む包摂的な社会づくりなど障害分野における課題の解決は、SDGsの重要なテーマです。
多くのパレスチナ難民は深刻な貧困や政治的な障壁に向き合いながら暮らしており、皆、日々生きることで精一杯です。そのような状況にあって、「障害」と「難民」という二つの意味で取り残されがちな障害を持つ難民たちが自立し、社会に参加できるように支えるきめ細かいサポートが少なからず存在することに気づきました。より多くの障害を持つ難民たちが置き去りにされないようにするには、上述のUNRWAやアトファルナなどの地道な活動に対して、国際的な支援の輪がもっと広がることが求められていると痛感しました。

 UNRWAはパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。

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「#尊厳を守る (#DignityIsPriceless)」キャンペーン(https://www.securite.jp/unrwa

 

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本シリーズの過去の記事はこちら↓
 
 
 

海の豊かさを守るためにわたしたちにできること

 

 

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プラスチック汚染の深刻さを受け、博報堂のクリエイティブ・ボランティアの皆さんが日本語のロゴを制作して下さいました。

 

 

「5兆枚」

 

皆さんがいま、手にしているその「ビニール袋」

毎年、世界ではなんと5兆枚も使用されているのです。

そして、わたしたちが日々、何気なく使用しているこのようなプラスチックの50%は

再利用されることなくその役目を終えていきます。

 

そのプラスチックが行き着く先はどこでしょう。

 

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インド最大の都市、西海岸のムンバイには「プラスチックの砂浜」が広がっています。©UNEP

 

 豊かな生態系を育む「海」です。

 

青々とした美しさでわたしたちを魅了する海。

しかし、その海の中には「ギョっ」とするような現実がありました。

 

「海の豊かさ」を守るために出来ることは何でしょうか?

 

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SDGsゴール14は「海の豊かさを守ろう」。プラスチック汚染をなくすことはそのゴール達成のカギでもあります。©UNIC Tokyo


 

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「海の豊かさ」を守るためにわたしたちにできることは何でしょうか。会場に集まった皆で考えました。©UNIC Tokyo

 

 

6月8日の世界海洋デーを記念して開催された

日本から考えるSDG14:海の豊かさを守ろうシンポジウム」は、

そんな「海の豊かさ」に思いを馳せる機会となりました。

 

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さかなクンがこの日のために素敵なイラストを用意して下さいました!豊かな海の様子がカラフルな色とともに表現されています。©UNIC Tokyo

 

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登壇者 / パネリストの皆さん

さかなクン 東京海洋大学名誉博士・客員准教授

イヴォーン・ユー UNU-IAS研究員

沖大幹 国連大学上級副学長

 

モデレーター

根本かおる 国連広報センター所長

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シンポジウムのタイトルにもあるSDG14では、

「海の豊かさを守ろう」をゴールとして定めています。

 

 

「海の恵みを得るためには、海が健全でなければならない。

 美しい海を守っていくだけではなく、持続可能にして利用していこう。」

沖上級副学長は、今後の海との付き合い方についてこのように話しました。

 

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「関心をもって海を利用しているほうが、少しの変化にも気が付きやすい」と話す沖副学長。©UNIC Tokyo

 

「魚一匹、一匹との出会いが、色々なことを考えるきっかけになっている」

というさかなクンからは、「一魚一会」というテーマで、日本の海の恵みが脅かされている現実を「お魚の目線」から話していただきました。

 

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魚をこよなく愛するさかなクン。年間の講演回数は100を超えるそうです。©UNIC Tokyo

 

海の中を様々に観察してきたさかなクンによると、

近年ゴミ、特にプラスチックが増加し、それらが海の生物たちを苦しめているようなのです。

 

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「海を中から見てはじめて気が付くことも多い」ご自身の経験をイラストを交えてお話をして下さいました。©UNIC Tokyo

 

漂っている容器をクラゲと間違えて食べてしまうこともあるミズウオを見てみると、以前は深海魚でいっぱいだったそのお腹からは、今ではゴミばかりが出てきてしまう状況であること。

 

また、頭の近くに輪っか状のプラスチックゴミが引っかかってしまい大きな傷を負うサメを目撃したこと。

 

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海を漂う大量のプラスチックごみ ©UNEP

 

こういった現実を目の当たりにし

自分が日々何気なく手にする使い捨てのプラスチックが

こんなにも多くの生き物を長い期間に渡って苦しめてしまうのだと心が痛みました。

  

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「 使い捨てプラスチックの利用は控える」ということ以外で

日本に住むわたしたちだからこそ出来る「海の豊かさ」を守るためのアクションがあることを、「里海 とSDGs」と題し、国連大学イヴォーン・ユー 研究員は伝えました。

 

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東日本大震災をきっかけに、海との付き合い方について真剣に考えていきたいと思うようになったと話すイヴォーン・ユー研究員。©UNIC Tokyo

 

海洋の生物多様性分布を見てみると、日本を含むアジア地域の周りが「赤」で囲まれていることが分かります。

日本はこのように海の生き物の種類に富んでおり、その沿岸の海は「魚のゆりかご」として、産卵場、生育場、餌場を提供しています。

 

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海洋の生物多様性分布図。日本を含めアジア周辺には多様な生態系があることを物語っています。©UNIC Tokyo

 

国内外で「里海(SATOUMI)」づくりの輪を広げるイヴォーン・ユー研究員は、

このような豊かな恵みを出来るだけ多く得ようとするのではなく

「必要以上に獲りすぎない」という意識が日本の伝統漁業に深く根付いており

そういった漁業法によって里海は守られていると言います。

 

わたしたちが普段の生活を通じて里海を守るために出来ることは何でしょうか。

 

それは、「正しく食べて応援すること」です。

 

皆さんはサステイナブル・シーフードをご存知ですか?

 

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©サステイナブル・シーフード

 

「魚の獲り過ぎや、自然を傷つけることが起こらない方法で獲られた魚から出来た食べ物」を指します。

 

わたし自身もそうでしたが、産地を見て生産物を購入することはあっても、

こうしたラベルを参考にして購入する消費者はまだまだ少ないと思います。

 

しかし、多くの海の豊かさを享受することが出来る日本で、

このようなサステイナブル・シーフードを選び、正しく食べることは

海を守ることにも繋がるのですね。

 

***

 

 後半は、「SDG14達成のために私たちができること」をテーマにパネリストの皆さんとモデレーターの根本所長によるパネルディスカッションが行われました。

 

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「なぜ海がこんな大変な状態になってしまったのでしょうか?」根本所長の問いにそれぞれの視点からパネリストの皆さんがプラスチック汚染の背景を話します。©UNIC Tokyo

 

シンポジウムがより盛り上がるように!

活きの良い質問がたくさん集まるように!

と願いを込めて国連広報センターのインターン5名で協力し、

魚のかたちの質問票を用意しました。

 

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手作り感満載の魚の質問票です!©UNIC Tokyo

 

会場から集まった「大漁」の質問も交えながら意見交換がなされました!

 

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質疑応答の時間ではギョギョギョ!と、新鮮な「質問」をつかみとって回答。©UNIC Tokyo

 

わたしたちが生活の中に便利さを求めすぎてしまった結果

プラスチックゴミが増え、海に多くの害を与えるようになってしまいました。 

 

現在のプラスチックの生産量は3.6億トン

2030年にはその倍量となるとも言われています。

 

http://www.unic.or.jp/files/beat_plastic_pollution_card.png

 

「90%以上のペットボトル飲料に、プラスチック粒子が混ざっている」

 

根本所長から共有された衝撃的な事実。

わたしたち参加者だけでなく、パネリストの皆さんも非常に驚かれていました。

 

 #やめようプラスチック汚染

 #BeatPlasticPollution

 

 先日、カナダ・シャルルボワでは、「健全な海」をテーマとしたG7アウトリーチ会合が開催され、アントニオ・グテーレス事務総長も出席しました。

この会合では、シンポジウムで広く取り上げられた「プラスチックごみによる海洋汚染問題」についても議論がなされ、具体的な対策を各国に促す合意文書がとりまとめられました。それを受け、「カナダと欧州各国首脳が『G7海洋プラスチック憲章』を承認する」ことがG7首脳宣言に盛り込まれました。この憲章をアントニオ・グテーレス事務総長は歓迎し、海洋汚染への警鐘となることを期待しましたが、残念ながら日本は、アメリカとともに憲章への署名を見送りました。

 

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©UN News, G7 Canada/Xavier Dachez



 わたしたちひとりひとりが、日々の小さな「選択」を変えることで

「海の豊かさ」を守る活動に貢献することが出来ます。

 

  •  ビニール袋の代わりにエコバックを使う
  • ペットボトルに入った飲み物を控え、マイボトルを持参する
  • プラスチック製のスプーンやフォークの代わりにマイ箸を使う

わたしも、使い捨てプラスチックとの別れ(Break-up)を決意しました。

 

 

"Are you ready for a break-up?"

次はあなたの番です。

 

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海の豊かさを守るために、今日からできることをはじめてみませんか? ©UNIC Tokyo

 

 

インターン 山田 怜)

 

 

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.3】

連載第3回 適切な医療サービスへのアクセスが確保されないガザ

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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ガザのクリニックの乳幼児健診 ©2012 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

 一次医療を提供する難民キャンプのクリニック

パレスチナ難民キャンプの中には大抵、学校とクリニックがあります。(パレスチナ難民の学校については、ブログNo.2を参照)。クリニックには乳幼児からお年寄りまで様々な世代の人が集まり、まるでパレスチナ70年の歴史を垣間見るようです。そのクリニックは現在、UNRWAの5つの活動地域すべてで約140を数えます。医師、看護師、薬剤師など、約3,000人の職員によって一次医療が難民に提供されています。もちろん、職員の多くはパレスチナ難民です。


ガザの重篤な患者が直面する危機

しかし、病気が非常に重く生命に危険が及ぶ場合や、高度の治療・検査が必要な場合は、難民キャンプ内のクリニックでは対応ができず、医療設備が十分に整い専門医がいる病院に行く必要があります。今回視察したガザ地区では、設備や専門医の不在に加えて恒常的な電気・水などの不足によって、重篤な患者はイスラエル側での治療を必要とする場合があります。けれども、ガザ地区を出てイスラエルに入国するにはイスラエルの許可が必要です。治療目的であっても、場合によっては「治安上の理由」で許可が下りず、適切な治療が受けられないこともあるそうです。


ヨルダンのスーフ難民キャンプのクリニック

典型的なUNRWAのクリニックとして、ヨルダンで約2万人の難民が住むスーフキャンプのクリニックを視察しました。このクリニックは、サウジアラビアからの支援で2年前に建設されました。パレスチナ難民の総数は、活動地域5カ所すべてを合わせて530万人に上ります。実は、ヨルダンにはその最も多くの40%(約220万)が、10の難民キャンプとその周辺に暮らしています。このスーフキャンプは、1967年のアラブ・イスラエル紛争の際、西岸地区とガザから避難してきた難民のため緊急に設立されました。

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ヨルダンのスーフ難民キャンプ。近くにはローマ遺跡のジェラシュがある
©2008 UNRWA Photo by Nidal Ammouri

 
クリニックを案内してくれたのは、カセム主任医師です。1967年当時の仮設テントでの医療現場の写真も見せてくれました。現在、クリニックには3名の医師、1名の歯科医、7名の看護師などが働いており、地域の2万人以上の難民の健康を支えています。「このキャンプは他のキャンプに比べて一家族の構成員が多いため、困窮ぶりは深刻です。糖尿病、高血圧、心臓系や血管系の疾患などの生活習慣病を持つ難民が増えています」と、カセム医師は新しいクリニックの課題を述べました。

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セム医師とクリニックのスタッフ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo
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セム医師のプレゼン資料から。当時のスーフキャンプでの保健サービス
©1969 UNRWA Photo By George Nehmeh


健康上の最大の敵は、生活習慣病

生活習慣病が難民の健康上の最大の課題、と指摘するのは清田明宏(せいた あきひろ) 保健局長です。「生活習慣病に対応するため、UNRWA の保健サービスを刷新し、かかりつけ医制度、電子カルテ化、メンタルヘルスを導入しました。その多くは日本政府の支援で可能になっています。生活習慣病は不健康な食生活に密接に関係しており、つまりは難民の貧困にその多くの原因があります」と、ヨルダンの首都アンマンにあるUNRWA保健局のオフィスで説明を伺いました。

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世界保健機関(WHO)でのキャリアを経て、2010年にUNRWA保健局長に就任した
清田明宏氏 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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UNRWA職員スタッフと。右から4人目はJPOの北村尭子 公衆衛生スペシャリスト
©UNRWA Akihiro Seita
 

メンタルヘルスケアの大切さ-日本の支援で建設されたガザの「日本クリニック」

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ガザのハンユニスにある日本クリニック ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ガザ地区南部のハンユニスの「日本地域」にもUNRWAのクリニックがあります。ここは日本の支援によって建てられ、住民たちが親しみを込めて日本クリニック(アラビア語で「イヤーダ・ヤーバーニァ」)と呼んでいます。「ガザでは過去の紛争の数々、10年以上続いている経済封鎖、それに伴う深刻な経済状況などで精神的ストレスを持つ難民が増えています。スタッフが一丸となってメンタルヘルスケアに努めています」こう説明してくれたのは UNRWA 地域保健プログラム長のガーダ医師です。

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日本クリニックのスタッフと患者さん達 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


30年前に関わった「ガザ・ヨーロッパ病院」の建設プロジェクト

実は私の国連職員としてのキャリアはUNRWAで始まりました。1988年2月のことです。JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー、外務省の国連への派遣制度)としてUNRWA(当時、本部はオーストリアのウィーン)に派遣されました。その数か月後には約一か月かけて活動現場であるヨルダン、西岸、ガザ、そしてシリアを初めて訪問しました。つまり、今回の難民キャンプ訪問はほぼ30年振りということになります。ちょうどそれは、ガザで第一次インティファーダ(民衆蜂起)というイスラエルへの抵抗運動が始まって半年もたたない時期でした。投石でイスラエルの占領当局に抗議するパレスチナの子どもたちの姿は広く報道され、世界でパレスチナ問題の早期解決が再認識されたのです。そして1993年、イスラエル側とパレスチナ側は初めて和平交渉に合意して「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」(オスロ合意)の調印に至りました。
私が当時携わっていた仕事は、ガザの中部に総合病院を建設するというプロジェクトでした。もともとこの地域では病院の数が足りず、第一次インティファーダが勃発してからは増え続ける負傷者の受け入れに既存の病院だけでは対応が難しくなっていました。今回ガザを視察中、ハンユニスを担当するUNRWAのエリア・オフィサーが、私をその病院に連れて行ってくれました。ガザ・ヨーロッパ病院という地域でも有名な総合病院です。当時、図面でしか見ていなかった建物の実物を見ることができて私は胸が一杯になりました。

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ハンユニスのUNRWA事務所で。右から妹尾、モハンマド エリア・オフィサー、吉田UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

適切な医療サービスへのアクセス - 困難を極めるガザの状況

しかし、現在、この病院も大きな試練に見舞われています。度重なる停電でMRIの操業停止、十分な医薬品の欠如などによって従来の病院としての機能が果たされていないのです。「患者が集中治療室に運び込まれても、停電が原因で命に危険が及ぶことがあります。救える命は救いたいのですが」と、案内役の医師が厳しい現状を語ってくれました。

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ガザ・ヨーロッパ病院の入口  ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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同病院の緊急治療室。停電の影響に悩む医師たち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

上で述べたように、ガザで対応できない重篤な患者の場合、ガザを出てイスラエル医療機関で治療を受けるという選択になります。しかし、封鎖状態が続くガザの住民がイスラエル側に入るには許可が必要となり、それが治療目的であっても容易ではありません。厳しく移動の自由が制限されているため、適切な医療サービスにアクセスができないのです。現在のパレスチナ情勢は30年前とは大きく異なるものの、今回の視察で理解する限り、特にガザの難民の生活は医療の面においても一層厳しさを増していると感じました。

 

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa

 
UNRWAはパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。
こちらのビデオもご覧ください↓

 

本シリーズの過去の記事はこちら↓

 
 
 

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.2】

連載第2回  パレスチナ難民の子どもたちの未来を切り開く「教育」

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の

支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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UNRWAの中学校で学ぶ女子学生たち ©2010 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

 

教育、それは何よりも大切な「難民の宝」

「あなたにとって、一番大切なものは何ですか?」と、ガザ地区にあるUNRWAの中学校で50人ほどの女子生徒を前に聞いてみました。「家族」、「友達」、「お母さん」などと並んで多かった答えは「教育」という答えでした。パレスチナ難民は70年という長い難民生活を過ごす中で、教育の大切さを強く認識しています。
実際、UNRWAの主要プログラム予算の6割近くは教育に使われています。677の小中学校で学ぶ約51万人のパレスチナ難民の子どもに対して基礎教育が無償で提供されており、3万人を超えるUNRWAのスタッフの約2万人が教師など教育に関わる職員です。難民の子どもたちにとって、よい教育を受け、よい成績を修めることは夢の実現への第一歩となっています。

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校庭で休憩時間を過ごす女子中学生 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


僕らの学校は、借り上げの小さな建物

通常の学校ではなく、住居を借り上げて運営している学校をヨルダンで視察しました。これまでも幾度か学校を新たに建設するという話が出てはいるものの、「昨今の財政難では実現は無理でしょう」と、校長先生が肩を落とします。活発に動き回る年頃の小・中学生にはとても窮屈な環境です。廊下も狭く、もちろん運動場、理科の実験室などの特別教室はありません。

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肘がぶつかってしまうほど狭い教室 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

この学校は、午前は男子、午後は女子生徒の学校として2部制で運営され、校長や教師まで総替わりします。「こんな学習環境にも関わらず、生徒の成績は地域でも1、2位を争う優秀なものです。UNRWAの学校の生徒の識字率と教育達成度は、中東で最も高いレベルを誇っています」と、校長をはじめ先生たちも鼻が高いようです。これら先生たちの多くも難民で、生徒たちの高い学習意欲と成績を身近で支えています。

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 ここも学校の校庭の一部 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

訪問時は男子生徒が学んでいました。事前に日本からの訪問者が来ると伝わっていたらしく、教室では日本について学んだことを発表していました。とにかく我こそはと、手を挙げて自分の意見を発表する意欲のある子どもが多く、圧倒されました。狭い教室は先生が動き回るスペースもなく、生徒もややもすれば隣の生徒の腕や手に触れあってしまうほどです。休憩時間には、唯一みんなで集まれるスペースで手足のストレッチです。実際、校庭もないのでこれが精一杯です。

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休憩時間に手足のストレッチ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 
緊張の高いキャンプ、そこでも子どもたちは学校に通う

子どもたちがいかに安心・安全に登下校できるか―それが大きな課題となっている学校がUNRWAの学校の中にはあります。ヨルダン川西岸地区の東エルサレムにあるシュファート難民キャンプの学校もその一つです。このキャンプは、西岸で最も人口密度の高いキャンプとして知られており、基本的なインフラの整備が追いつかず、キャンプ内の住環境はよくありません。あちこちで見かけた山積みのゴミからは異臭が発せられていました。

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ゴミが散乱するシュファート難民キャンプ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

「西岸と東エルサレムとの分離壁(separation barriers)に隣接し、イスラエルの検問所もすぐ近くにあります。そのため、ちょっとしたトラブルから、緊張が一挙に高まることもあり、住民は不安を抱えながら暮らしています」と、この日、案内してくれた UNRWA パレスチナ西岸地区事務所の安藤 秀行(あんどう ひでゆき)オペレーションサポート・オフィサーから説明がありました。( UNRWA の仕事について安藤オフィサーの投稿があります。ぜひ、ご覧ください→ https://bit.ly/2HpQ3dH

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シュファート・キャンプに接する分離壁。向こうにイスラエルの入植地が広がる    ©UNRWA photo

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安藤オペレーションサポート・オフィサー(右)。生徒たちは来訪者に興味津々    ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

このように緊張が高く劣悪な住環境にある難民キャンプでこそ、子どもたちの「教育を受ける権利」は守られるべきです。なぜなら、自分の人生を切り開くには、よい教育を受け、よい成績を修めることが重要だと難民の子どもたちは信じているからです。

 
天文学者になることが私の夢」― ガザのハディールさん

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ハディールさん ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ハディール(12歳)さんは、天文学者になるという目標に向かってガザ地区のUNRWAの学校で学んでいます。彼女は、日本からの支援に感謝する UNRWA 制作のビデオ「To the People of Japan(日本の人々へ)」に出演しました。これは、ピエール・クレヘンビュール 国連パレスチナ難民救済事業機関( UNRWA )事務局長の今年1月末の訪日に合わせて公開されました。ガザ滞在中に私はハディールさんとお会いしました。


ガザは地中海沿いの長さ約 45km,幅6~10kmの細長い地区です。広さは東京23区の約3分の2ほどです。人口約190万人の約7割がパレスチナ難民で、そこには8つの難民キャンプがあり、これらキャンプ内の人口密度は世界で最も高いと言われています。約22万人のパレスチナ難民の子どもたちは、ハディールさんのように275校あるUNRWAの学校で学んでいます。

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ガザの海岸。右手は地中海 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ガザでは2006年から現在まで大きな戦争が3度もありました。2007年以降、イスラエルから陸、空、海に対して課された封鎖によって、ガザは外部との人・物の出入りが厳しく制限され、日常品でさえ不足しています。住民は貧困にあえぎながら暮らしています。「生まれた時から厳しい状況のガザで暮らしているのは私だけではありません。でも、戦争で学校が崩壊した時はとても悲しくなりました」、とハディールさんは当時を振り返ります。「けれども、日本の支援のおかげで学校が建設され、私は天文学者になることをめざして再び学校で学んでいます」と、彼女の言葉には日本と日本の人々への感謝の気持ちがあふれていました。

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2014年の紛争で崩壊したガザの町 ©2014 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

 

「せめて学校では明るく元気に過ごして欲しい」― ラーウィア校長の願い

ガザは、私が今回訪ねた他のUNRWAの活動現場に比べて、生活のあらゆる面で厳しい状況にあります。教育の現場も例外ではありません。生きることで精一杯な難民たちにとって、学校とはどんなところなのでしょうか。ガザ地区南部のハンユニスにあるUNRWA 女子中学校の名物校長、ラーウィア校長から多くのことを学ぶことができました。彼女は1,000人に上る生徒のみならず父兄や地域からの尊敬も厚く、2015年11月、NGO「日本リザルツ」の企画で、東日本大震災で深刻な被害を受けた釜石との交流に参加するため、ガザの生徒を連れて日本を訪問しています。

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ハンユニスにあるUNRWA 女子中学校 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ラーウィア校長が紹介してくれたのは3年前に始めた「私とあなたは姉妹」という相互扶助の取り組みです。クラスの生徒を二人組にし、学習面では授業で理解できなかったことを協力して解決します。さらに「姉妹」は生活面においても助け合います。相手の経済状況に応じて自宅から余った食料を持参したり、地域の協力を得て食料を調達したり、時には教師自身が貧困家庭の生徒に、簡単なサンドイッチが買えるようにと、ちょっとした資金援助も行っているそうです。

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ラーウィア校長と生徒たち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ガザでは貧しさで朝食をとらずに登校する生徒が少なくなく、ラーウィア校長の学校でも学習意欲が低く成績が振るわない生徒がいることが課題となっていました。「この地域では7割の家庭が貧困ラインを下回っています。『私とあなたは姉妹』によって、生徒の成績もこのように伸びてきました」、と校長は統計を示しながら説明します。そして生徒自身も次々にこの取り組みによって学習意欲が上がってきたことを嬉しそうに話してくれました。一年前まで成績最下位だったというある生徒は、「今は私の『姉妹』が勉強を見てくれます。おかげで朝食もとっています。今ではエンジニアを夢見るようになりました」と、停電が長時間続くガザの夜でも勉強ができるよう、自分なりに工夫した簡易的な発電機を見せてくれました。「ここでは貧しさのために家庭暴力など様々な問題を抱えている生徒が多いのです。せめて学校では明るく元気に過ごして欲しい」という校長の言葉がいつまでも耳に残りました。


子どもたちの未来を切り開く教育

同じパレスチナ難民でありながら、暮らす地域によって直面する課題は異なります。緊急事態にはないものの、恒常的に劣悪な環境で学ばざるをえないヨルダンの子どもたち。政治・経済・社会的に高度の緊張にさらされ、不安が多い中にも毎日学校に通う西岸地区の子どもたち。そして、人として生きるにはあまりにも厳しい状況にあるガザの子どもたち。私が出会ったパレスチナの子どもたちには共通点がありました。それはどんな状況にあろうとも、諦めないで学ぶ姿です。教育は彼らの未来を切り開くものと信じているからです。

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ヨルダンのUNRWA小学校で。環境について学ぶ子どもたち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

UNRWAは今年に入って「 #尊厳を守る (#DignityIsPriceless )」キャンペーンを開始。パレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa

 

 

本シリーズの前回の記事はこちらから↓

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.1】 - 国連広報センター ブログ