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UNICインターン、ブラジル人学生とSDGsについて語らう

 

SDGs学生フォトコンテスト2017大賞受賞者、ブラジルから来日~

  

ルイス・グスターヴォ・カヴァリェイロ・シウヴァ(Luís Gustavo Cavalheiro Silva)さん(以下ルイスさん)は、持続可能な開発目標(SDGs)学生フォトコンテストで大賞(外務大臣賞)を受賞しました。10月24日国連デーに行われた授賞式に出席するため、ブラジルから初来日しました。授賞式の翌日、ルイスさんは国連センターのインターンと共にSDGsについて話し合い、インタビューにも応えてくださいました。

 

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大賞(外務大臣賞)を受賞したルイスさんの作品 “WOMAN OF COOCASSIS!” (リサイクル品を回収するCOOCASSISの女性) COOCASSISとは、ゴミをリサイクルする組合のこと

 

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ルイスさん 表彰式にて曄道 佳明 上智大学学長(左)、中根 一幸 外務副大臣(右) と

 

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ルイスさんへインタビューする国連広報センターのインターンたち

インターンSDGsフォトコンテスト外務大臣賞受賞おめでとうございます。ルイスさんにとって今回は東京での表彰式を兼ねての始めての海外旅行ですが、日本の印象はいかがですか?

ルイス:日本は清潔ですね。丁寧なサービスを提供してくれる店員さんの接客精神に驚きました。特にインフラがしっかり整えられていて素晴らしいです。バスや電車は時間どおりに来る。日本では5分で済むことが、ブラジルでは1時間かかるでしょう。また、このフォトコンテストを通じて日本が持続可能な開発目標に積極的に取り組んでいることを感じました。

 

インターンSDGsフォトコンテスト2017はどうやって知りましたか?そして、大賞に選ばれたということを初めて知ったときの感想は?

ルイス:サンパウロ州立大学で一緒にプロジェクトをやっている友達が偶然フォトコンテストについて知り、私に教えてくれました。 最初は応募しようか迷いましたが、その友達に勇気づけられ、自分が一番好きな写真をすぐ送りました。朝5時に東京から電話がきたときは、本当にびっくりしました。すごく嬉しくて、その日は仕事が手につきませんでした。

 

インターンルイスさんが写真を撮り始めたきっかけは?

ルイス:5年前にネットで興味のある写真家を見つけ、写真に興味を持ち始めました。私は、セバスチャン・サルガドエヴァンドロ・テイシェラなどの有名な写真家に影響され、ジャーナリズム系や新聞社に提供するような写真を撮りたいと思うようになりました。写真とPhotoshopYouTubeで勉強しました。初めて購入したカメラは高かったので、自分が働いて貯めたお金と合わせ、姉に費用を半分だしてもらい、やっと買うことができました。

 

インターン1002点の作品の中で一位に輝いた「“WOMAN OF COOCASSIS!” (リサイクル品を回収するCOOCASSISの女性)」はどういった経緯で撮りましたか?

ルイス:サンパウロ州立大学の都市建築の授業の一環として、大学と協力関係にある社会環境団体「COOCASSIS」とのプロジェクトで撮った写真です。このプロジェクトは大学や組合の知識を共有し、コミュニティーの距離を縮め、経済成長と環境保護を促進することを目的としています。自分の写真を通して、アシス市とブラジルの人々にCOOCASSISの活動を広め、リサイクルの重要性を意識づけたいです。

 

インターンルイスさんの写真に写っている女性の方はどんな状況に置かれていますか?そしてCOOCASSISはアシス市の女性たちにどのような役割を果たしていますか?

ルイス:COOCASSISの従業員の95%は女性です。そして写真に写っているPaula Henataさんもその一人です。Paulaさんには幼い息子がいて、彼女はひとりで彼を育てています。Paulaさんのように、若くして妊娠し、勉強を中断せざるを得ない女性が数多くいます。また、彼女たちは、学歴がないため、安定した雇用を得るのが難しい状況におかれています。しかしCOOCASSISで働くことで、女性たちは公正な賃金を得ることができ、Paulaさんはなんとか息子を養うことができています。またこの組合は、彼女にとって自分の声を発信できる場でもあり、彼女のような状況に置かれている女性を勇気づける重要な役割を果たしています。ある従業員の方は自分で収入源を得られるなら男なんか必要ないと言っていたそうです。

 

 インターンルイスさんの夢、そしてこれからの目標を教えてください。

ルイス:私にはいろいろな目標と夢があります。ブラジルではまだリサイクルのノウハウの認知度が低いため、来日前にリサイクルのやり方と重要性を広め意識づける活動を開催する準備をしていました。準備は万端なのでブラジルに戻り次第、再び始める予定です。長期的な目標としてはこのプロジェクトをより広範囲に、各地域に合った手段で広めていきたいです。今回大賞(外務大臣賞)を受賞した「“WOMAN OF COOCASSIS!” (リサイクル品を回収するCOOCASSISの女性)」はブラジルにとって持続可能なリサイクルの道への第一歩になると思います。

また個人的には、写真と歴史への興味を両立できる仕事がしたいので、プロの写真家と歴史の教授になるのが夢です。ブラジル全土を回って、母国の素晴らしいことや隠蔽された問題の両方を発信し、これを素材にした自作のドキュメンタリーを作る夢もあります。

 

インターン最後に来年のフォトコンテストの応募者達に向けてのメッセージをお願いします。

ルイス:私はデヴィッド・ボウイの大ファンです。彼の代表曲のひとつに「ヒーローズ」という名曲があります。そこで彼は「僕らは英雄になれる、一日だけなら(We can be heroes for just, just for one day)」と歌っていますが、もし自分がボウイさんだったら、「僕らは毎日英雄になれる(We can be heroes everyday)」と歌いたいですね。なぜなら、リサイクルのような一人一人の日々の小さな行いが、いつの日か身を結び、世界をよりよい方向へ変えられると信じているからです。

 好きな写真家のなかにインスピレーションをみつけ、自分を信じ夢を実現して下さい。

 

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外務大臣賞賞品、ニコンD7500カメラで表参道の街を撮影中のルイスさん。 傘をリュックに引っ掛け、シャッターチャンスを逃しません

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ニコンD7500のクオリティーの高さに思わず満足げな笑みを浮かべる。実は初めての海外旅行。「東京はブラジルと全く違う場所」とルイスさん

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明治神宮に到着。大学では、歴史専攻のルイスさん。歴史的建造物の撮影に熱が入ります

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インターンに撮影のコツを伝授するルイスさん。思い出に残したい写真はポラロイドカメラで撮るのが最適

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参拝方法をインターンに教わるルイスさん。日本文化も体験しました

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絵馬を興味深そうに眺めるルイスさん。中にはポルトガル語で書いてある絵馬もありました



最後の一言

写真一枚の裏にこんなたくさんのストーリーがあったなんて思いもしませんでした。写真は素晴らしいですね。ルイスさん、これからの活躍を心から応援しています。また、授賞式・インタビューを通し、通訳に協力してくださった磯部さん(上智大学)ありがとうございました。

 

ルイスさんのインスタグラムはこちら>>> luisgcavalheiro

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SDGs 学生フォトコンテスト2017 ブラジルのルイス・グスターヴォ・カヴァリェイロ・シウヴァさんが 大賞(外務大臣賞)を受賞!~身近なSDGsの課題をカメラで捉える~ - 国連広報センター ブログ







 



マーヘル・ナセル国連広報局アウトリーチ部長が訪日

所長の根本です。国連広報センターは多くの国連の高官の訪日の受け入れをサポートしています。この秋も高官の訪日ラッシュが続いていますが、日本がそれだけ大切な国連加盟国であることのあらわれでしょう。そんな中、私たちにとってひときわ嬉しかったのは、国連広報センターが所属する国連広報局から、アウトリーチ部門を統括するマーヘル・ナセル部長が3年ぶりに日本を訪問してくれたことです。 

 自身がパレスチナ難民のナセル部長は、11月5日のニューヨーク・シティー・マラソンで「パレスチナの女性が大学に進学して学ぶための奨学金のために走るので、どうぞ応援してください!」と奨学金のための寄付を呼び掛けつつマラソンを完走し、大変な筋肉痛をかかえながら翌6日に飛行機に飛び乗り、成田に到着後、国連アカデミック・インパクトに参加する20の大学の代表との懇談会に直行して来てくれました。今年1月に就任したグテーレス新事務総長の優先課題についてフレッシュな情報満載のナセル部長のプレゼンテーションは、出席してくださった大学関係者や学生たちを大いに刺激したことでしょう。

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UNAI懇談会でスピーチするナセル部長

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 UNAI懇談会参加者と共に

8日には国連広報センターと連携してSDGs広報に積極的に取り組んでいる吉本興業、そして世界6大広告代理店のパートナーシップで展開する「common groundSDGs広告キャンペーンに参加する電通を表敬。

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ペッパー君が吉本興業の受付でお出迎え(東京・新宿)

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吉本興業(東京・新宿)にて

さらに、築地本願寺で「仏教 x SDGs」をテーマに開催された次世代リーダーズサミットにて、SDGsと若者をテーマに基調講演しました。衆生救済をかかげる浄土真宗として、SDGsを通して一人でも多くの人々の苦悩を解決する道を解決するためにSDGsを深く学びたいという趣旨で開催されたシンポジウムで、今日の若者こそがSDGs推進の中心的役割を担うという思いから、会場には多くの学生たちも参加していました。

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築地本願寺、次世代リーダーズサミットでスピーチを行うナセル部長

 改装されたばかりの築地本願寺の荘厳な雰囲気な中での基調講演で、貴重な機会となりました。演台もご本尊の前の畳敷きの場に設けられ、ナセル部長は靴を脱いで演壇に向かったわけですが、ふと彼の足元に目をやると、なんとSDGsのロゴとアイコンとを彷彿とさせるようなカラフルな靴下が!あとで尋ねると、「男性はオシャレできるアイテムが限られているので、靴下は楽しく装いたいと思って、『happy socks』のものしか今は履いていません」。何とも有言実行のナセル部長らしい! 

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仏教とSDGsの関係についての議論にナセル部長も加わる。モデレーターには、キャスターでFAO親善大使(日本担当)を務める国谷裕子さんが。

そして9日には京都で浄土真宗の大学である龍谷大学SDGsにて講演し、学生たちから質問が途絶えませんでした。

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龍谷大学にて

最終日の10日には国連諸機関の代表や国連大学で学ぶ学生たちを対象に意見交換するとともに、明治大学にて土屋学長を表敬。スタミナの途絶えない、まるで情熱の塊のようなナセル部長から大いに刺激を受けた4日間でした。

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国連諸機関の代表との意見交換(国連大学

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国連大学で学ぶ学生たちと意見交換

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SDGs 学生フォトコンテスト2017でTOGETHER賞を受賞した大橋彩香さん(明治大学)の作品 “EDUCATION FOR REFUGEE CHILDREN”(教育という希望)を手にする土屋明治大学学長(右)とナセル部長(左)

SDGs 学生フォトコンテスト2017 ブラジルのルイス・グスターヴォ・カヴァリェイロ・シウヴァさんが 大賞(外務大臣賞)を受賞!~身近なSDGsの課題をカメラで捉える~

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東京発で昨年から始まった持続可能な開発目標(SDGs)学生フォトコンテストは、今年ますますグローバル色を強め、世界73カ国から1,000点以上の応募を集めました。これは応募数で昨年を60%上回る増加です。

その中から栄えある大賞(外務大臣賞)に輝いたのは、ブラジルのルイス・グスターヴォ・カヴァリェイロ・シウヴァさんの“WOMAN OF COOCASSIS!” (リサイクル品を回収するCOOCASSISの女性)です。写真には、COOCASSISという社会環境団体でリサイクル品を集める女性の姿が描かれていおり、「地域社会の支援で彼女は家族を支えると同時に、環境にやさしい社会づくりにも貢献しています。この女性の仕事はまさにSDGsに込められた大切なメッセージだと気付き、これを多くの人と共有したいと考えました」と、カヴァリェイロさんは述べました。

国連デー(10月24日)に上智大学で行われた授賞式では、主催者である国連広報センターの根本かおる所長が「本コンテストを通して、世界の学生がSDGsに関して自分事として捉えるようになればと願っています。学生たちの写真には、私たちにとっての緊急課題を多くの人に伝える力があります」と、述べました。また、「叡智が世界をつなぐ」という理念の下にグローバル化を推進する上智大学の曄道佳明学長が「このような世界中から多くの応募がある写真展を主催することは、光栄です」と、本フォトコンテストのSDGs周知への貢献に大きな期待を寄せました。「学生たちの作品の質の高さに驚きました」と、審査委員長のレスリー・キー氏は以下のように述べています。「受賞作品に選ばれた作品には、SDGs達成に向けた熱意が感じられます」と付け加えました。

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 入選者(全)は以下の通りです。

 ◇受賞者 (氏名・国籍・所属・作品名)

 

大賞(外務大臣賞)

ルイス・グスターヴォ・カヴァリェイロ・シウヴァ(ブラジル、Universidade Estadual Paulista)

“WOMAN OF COOCASSIS!” (リサイクル品を回収するCOOCASSISの女性)

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優秀賞

 モハンマド・ラキブル・ハッサン(バングラデシュ、University of Oxford)

“FISHERMEN” (漁師) 

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ブルース・ティマナ(ペルー、César Vallejo University)

“DISTANT REALITIES” (遠い現実)

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マシュー・パー・クウェシー・ウィリアムズ(ガーナ、Morgan International Community School)

“STRUGGLE OF CHILDHOOD” (子ども時代の苦難)

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TOGETHER賞

【難民と移住者を受け入れることによって生まれる多様性を讃える社会づくりのためのTOGETHERキャンペーンの一環として】

 

大橋 彩香(日本、明治大学

“EDUCATION FOR REFUGEE CHILDREN” (教育という希望)

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コンセプト賞

【抽象的、イメージ的にSDGsを表現した作品】

 

ソファア・オヴォレンツェヴァ(ロシア、MGIMO University)

“Don’t go breaking my heart”(私の心を傷つけないで)

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入賞

 キアラシュ・エグバリ・セレシト(イラン、University of Tehran)

“THE LOOK” (まなざし) 

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タイ・グエン(ベトナム、An Giang University)

“HAVING WATER, HAVING SMILE AND HAVING LIVES” (生活に笑顔をもたらす水)

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若林 絵里香(日本、慶應義塾大学

“A KITE IN THE SKY” (空に舞う凧)

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竹田 有里(日本、上智大学

“Bathing at slum along railroad” (レールウェイスラムでの入浴)

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プラビラ・タルクダール(インド、Indira Gandhi National Open University

“CHASING DREAMS” (夢を追いかけて)

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リス・ドーレア(ブラジル、University of São Paulo)

 “BOND” (絆)

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パーサ・バニック(バングラデッシュ、University of Chittagong)

 EDUCATION FOR ALL” (全ての人に教育を) f:id:UNIC_Tokyo:20171031174453j:plain

  

ジョアォン・アタイーデ(ブラジル、UNIFATEA)

“QUILOMBOLA REFUGIADA” (キロンボの少女)

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大久保 楽(日本、慶應義塾大学

“AFTER SCHOOL” (日常) f:id:UNIC_Tokyo:20171031174605j:plain

  

 審査員

レスリー・キー (写真家)

木村 祐一 (よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属 お笑いタレント)

大野 明 (朝日新聞東京本社 映像報道部長)

水島 宏明 (上智大学 文学部新聞学科教授)

マーク・ガーテン(国連広報局 オーディオビジュアル・サービス・セクション 国連写真ユニット長)

 

❖ TOGETHER賞

審査チーム:国際労働機関(ILO)、国際移住機関(IOM)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連広報センター(UNIC)、国連児童基金UNICEF)、国連大学(UNU)

 

❖ コンセプト賞

審査員:ゲッティイメージズジャパン

 

本コンテストは、国連広報センターと上智大学が主催をし、ゲッティイメージズジャパンが特別協力をしています。

 

 

 

 

 

 

 

わたしのJPO時代(19)

 

「わたしのJPO時代」第19弾は、国連教育文化科学機関(ユネスコ)のバンコク・アジア太平洋地域事務所で教育事業コーディネーターを務める諸橋淳(もろはし じゅん)さんのお話をお届けします!「戦争は人々の心の中で生まれるものであるから、人々の心の中に平和の砦を築かなければならない」と憲章(前文)に謳うユネスコで、国家間や文化間の協働によって平和を目指す仕事に取り組んでいます。大学院を卒業し、JPOとしてパリ本部で勤務を開始してからユネスコ一筋の諸橋さんに、これまでのキャリアを振り返っていただきます。

 

                  国連教育文化科学機関(ユネスコバンコク・アジア太平洋地域事務所

                                 所長室長 兼 アジア太平洋地域教育事業コーディネーター

                                        諸橋 淳(もろはし じゅん)さん

 

                                       ~世界平和実現への飽くなき挑戦~

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諸橋 淳(もろはし じゅん):1971年東京都出身。1995年東京外国語大学フランス語科卒(学士)、フランス・パリ政治学院への留学を経て、1999年一橋大学大学院社会学修士号取得、1999年よりJPOを経て、国連教育文化科学機関(ユネスコ)に勤務。パリ本部・社会人文科学局への配属を皮切りに、教育局の人権・平和教育担当官、ハイチ事務所の教育部門チーフなどを経て、現在はバンコクのアジア太平洋地域事務所に勤務。

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2年間のハイチ勤務を終え、パリの自宅で新たな任地であるタイ・バンコクへの引越の荷物整理をしていたところ、懐かしいものが出て来ました。JPOの応募書式で、日付は1998年。もうかれこれ20年も前の話です。志望動機にこうあります。

 

国連機関に関心を持ったのは大学3年時のフランス留学がきっかけである。 国民戦線の躍進や、学生寮で生活を共にした同年代の移民出身者や仏人学生達との関わりを通じ、フランス社会のイスラーム移民に対するゼノフォビアを目の当たりにする。フランスの移民問題について卒論・修論で取り上げる中で、国家の枠組みを超えて移動せざるを得ない人々が安住の地を見いだす為に自分も何かをしたいと感じるようになった。」

 

読んで真っ先に思ったことは、20年前も今も世界はあまり変わっていない、むしろ悪くなっているかもしれないという危機感。そして、その「志」通りの仕事を今までさせてもらえたことへの感謝と、決して偽善や自己満足で終わらせてはならないという責任。世界のあちこちで紛争が続き、新たな争いの火種もあちらこちらに存在しています。その一方で民主主義の力が発揮され、より良い国づくりに舵を切ろうとする国々もあります。そんな中で、ユネスコは、また自分自身は何をしなくてはならないのか。初心に帰れと言われたような気がしました。

 

大学院を無事に卒業した1999年、JPOとして国連教育科学文化機関(ユネスコ)パリ本部・社会人文科学局へ配属となりました。ユネスコと言うと、日本では世界遺産で取り上げられることが多いですが、教育、科学、情報・コミュニケーション、スポーツと、実は幅広い分野で仕事をしています。1945年に創設されたユネスコの憲章は「戦争は人々の心の中で生まれるものであるから、人々の心の中に平和の砦を築かなければならない」と謳っています。 知識人、科学者、文化人を動員し、国家間や文化間の協働によって平和を目指すという、時間のかかる成果物を追い続けなければならないのです。

 

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日本の子どもたちからユネスコに寄せられたメッセージ

 

JPOとしての初めての仕事は、 研究者と政策立案者との協働を通じ、多文化共生のための取り組みを加盟国間に浸透させるというものでした。具体的には、先住民族や移民への差別や不平等という問題に対し、国や地方自治体の少数者の権利向上に向けた取り組みを調査し、優良事業をとりあげて、実務者間の意見交換会や気づきの機会を持ってもらうためのワークショップの企画・運営を担当しました。やる気と能力があれば、若い人にでも自らプロジェクトを立ち上げて動かす機会をどんどん与えてくれる環境で、最初は右も左も分からない日々が続きましたが、頼れる同僚やアシスタント、理解のある上司にも恵まれ、様々なイニシアティブを取らせてもらうことで成長できた時間でした。

  

国際機関で働く醍醐味の一つは、滅多に出会うことのないはずの人々との出会いです。これまで世界のあちこちへ赴きましたが、今でも忘れられないのが JPOの2年目に関わったカムチャッカ半島への出張。“エヴェン”と呼ばれる先住民族が長い歴史の中で培ってきた文化や自然に対する知について調査し、持続可能な「開発」の形を模索するというプロジェクトでした。マイナス28度という厳寒の中、一本しかない国道を、故障を繰り返すミニバスで同僚たちと山の中へ分け入り、エヴェン共同体の皆さんと通訳を交えながら数日間かけてじっくりと話を聞きました。トナカイの飼育を生活の糧にしながら生きて来たエヴェン人が、歴史に翻弄され、近代化の中で今後どうやって自分たちの生活や文化を守り続けて行くのか苦悩する姿、若い世代が抱える問題や将来の夢など、短い時間の中で私の心に深く響くものがありました。

 

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写真は2016年1月、国連本部で行われた先住民の言語の保存・再生に関する記者会見で発言するカムチャッカ半島(ロシア)出身の女性。国連総会は2007年に「先住民族の権利に関する宣言」を採択し、先住民族の制度、文化、伝統を維持・強化することを決めた

 

3年間のJPOを経て、その後2年間はユネスコから直接雇用されるテンポラリー職員扱いとなりました。その間に勤務していた部署のスタッフが定年退職されたのを受け、新しくP2のポストが作られることとなり、これに応募して、2004年に晴れて正規職員となることができました。その後も同じ部署で人権関係の任務を担当しましたが、一つの大きな成果は、2005年に欧州、カナダ、アジア・太平洋で立ち上げた「差別撤廃・共生のための都市連合」です。人々の日常生活において身近な関わりを持つ市町村が教育、住居、健康、雇用面などで、移民をはじめとする少数者の日常生活をどのようにサポートするか。政治・経済的に難しい環境の中で、日々知恵を絞って活動する市町村レベルの政治家や職員に、独自の問題群や取り組みなどを共有してもらい、相互学習と連帯の為のネットワークを作りました。

 

ナチス・ドイツ時代の反省から積極的に少数者の権利を守る活動をしているニュルンベルグ市から始まり、ユネスコの精神に賛同する世界各地の大都市から小さな町までをつなげ、政治家や政府・自治体関係者、人権活動家や研究者、教育者、芸術家、大使、市民団体や若者・子供たちを動員して、熱く議論し合い、様々な提言や行動に結びつけることができたと感じます。こうしてできた「差別撤廃のための10か条」は、今でも都市間ネットワークの結び目になっています。ユネスコの万人の人権尊重と世界平和の精神に則ったボトムアップ的な活動は、ポピュリズムの潮流、偏見・差別・憎悪が止まない昨今、特に重要であると言えるでしょう。

 

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アフリカ諸国の代表らに向けた平和教育推進に向けたワークショップを ケニアで実施

 

世界の恒久的平和の構築に積極的に参加する人々がいる一方で、世の中の不平等や社会経済的排除の現状に疑問を抱かず、行動を起こす事に関心を持たない人たちも数多くいます。こうした人々に何をどう伝えて行くのか。これはユネスコにとって大きな課題です。もっと直接人々の心に働きかけるような仕事に携わりたいと感じ、2007年、教育局で募集していた人権・平和教育担当官のポスト(P3)に応募して採用されました。国の教育関係省庁と直接接触する機会も多くなり、加盟国の教育政策へのトップダウンの働きかけという、これまでとは違ったスタンスでの仕事に携わることとなりました。中でも、後に「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にも取り込まれることとなる、ユネスコの「世界市民教育 Global Citizenship Education」プログラム作りに参加できたのは非常に有意義な経験でした。

 

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地球市民教育ワークショップでは、持続可能な開発に関する様々なグローバルな 課題にどう向き合うかを、教育関係者と共に探った

 

我々の地球社会は、温暖化やエネルギー問題、紛争による難民の受け入れなど、環境、経済、社会面で既存の国家の枠組みを超える数々の地球規模の問題群に直面しています。今こそ、時空を超えて物事を多面的に捉え、クリティカルに創造的に解決策を見いだし、他者と協力しながら、自らも積極的に行動できる力を持つ未来のリーダーたちを育てる必要性が高まっています。公教育が伝統的に自国民を育てるためのメカニズムである一方、グローバル化の中で、教育が地球規模の持続可能な開発に果たすべき役割も問われていると言えます。教育の新しいビジョン、実践の手法などについて指針作りを行い、実際に加盟国の教育カリキュラムや教職員教育、教材や教育方法の見直しなどに協力しています。

 

2014年、転機が訪れました。教育部門のチーフ(P4)としてユネスコ・ハイチ事務所に異動することとなったのです。本部が進める理想の教育の概念が、ハイチのようなアクセスにも質にも課題が残る環境でどこまで実現できるでしょうか。ハイチは2010年の大地震の爪痕が今も残り、復興の遅れと不安定な政情が混乱に拍車をかけています。 教育セクターのガバナンス強化、教職員免許法の確立に向けた土台作り、母国語教育の促進や、災害教育の強化などに携わりました。小さなオフィスは毎日フル回転で、ハイチ人スタッフ達とのチームワーク、 他の開発パートナーとも連携し、教育省に毎日通い詰めという 密度の濃い毎日を送りました。

 

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ラテンアメリカカリブ海地域で開催した教育省代表者向けの ワークショップで講演する諸橋さん

 

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ハイチの高校生を対象にした持続可能な開発についてのワークショップでは、活発な意見が相次いだ

 

2年間のハイチ勤務を経て、2016年秋より、在バンコク・アジア太平洋地域事務所へ転任となりました。これまでの教育の仕事に加え、所長室付きとなり、オフィス全体、また地域内の他事務所を、プログラムや資金、広報などの面で、戦略的に統括・サポートしていくという任務です。まだまだ修行中の身ですが、これまでの経験を生かして、この広大な地域でのユネスコの活動の強化に貢献すべく奮起しています。

 

最後に、キャリアについてまとめると、3年間のJPOを経て5年目にP2の正規職員、8年目にP3、15年目にP4と緩やかにステップアップしてきました。本部で様々な部署や職務を経験した後、本部を離れてフィールドに出るようになってからまだ年数は浅いものの、経験と知識に幅と深みが出てきて、これはユネスコに従事するために必要なコンピテンシーの本質であったと痛感しています。また、組織内外に幅広くネットワークを持つことも自分自身の強みになっているとも感じます。

 

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ポピュリズムの潮流、偏見・差別・憎悪が止まない昨今、 教育の果たす役割はこれまで以上に大きい

 

理想の教育を世界中で実現するため、ユネスコの精神に賛同される皆さんが後に続いてくださることを心から願っています。

 

 

中満泉(なかみつ・いずみ)国連軍縮担当上級代表インタビュー

  

2017年夏、中満泉(なかみつ・いずみ)国連軍縮担当上級代表が、広島・長崎での平和式典参列のため、今年5月の同ポスト就任後初めて日本を訪問しました。その際、根本かおる国連広報センター所長が軍縮上級代表就任への抱負、21世紀型の軍縮核兵器禁止条約の包摂性および東アジアの地域課題などについて中満上級代表からお話を伺いました。インタビューの最後に若い世代へのメッセージも発信していただきました。

 

中満泉(なかみつ・いずみ)氏

中満泉(なかみつ・いずみ)氏は2017年5月1日、国連事務次長 兼 軍縮担当上級代表に就任しました。同ポストへの就任以前は、2014年から、国連開発計画(UNDP)総裁補・危機対応局長を務めました。国連平和維持活動局、事務総長室および国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を含め、国連システムの内外で長年経験を積んできました。中満氏は1963年生まれ。米国ワシントンDCのジョージタウン大学外交大学院で修士号を、早稲田大学から法学士号をそれぞれ取得しています。

 

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 中満泉・国連軍縮担当上級代表  ©UNODA    

 

 

級代表就任への抱負 ~軍縮分野に新しい視点を~

根本: 国連軍縮担当上級代表就任おめでとうございます。軍縮という重要課題を担うにあたっての抱負は何ですか?

 

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対談中の中満泉・国連軍縮担当上級代表(左)、根本かおる国連広報センター所長(右)  ©UNIC Tokyo  

 

中満: 一生懸命、誠心誠意、できる限りの努力をしますと皆さんにお伝えしています。軍縮の経験が無いため、最初に事務総長からこのお話を頂いた時は意外でしたが、専門家である必要はないとのことでした。事務総長は、会議場の中で自己完結するような軍縮の議論ではなく、国際規範や政策をつくると同時に、現場のレベルでも犠牲者を減らすような現実的なインパクトを出せる軍縮を望んでいます。そういった意味で、新しい視点を軍縮分野にもたらすのが私に与えられた役割であり、期待されていることだと思います。

 

根本: 就任早々、難しい核兵器禁止条約の交渉もあり、新しい軍縮分野の議論もありますが、どのようにこなしていますか? 

 

中満: 系統立ててものを読んだり、勉強する機会をもっと見つけようと努めており、休暇中に様々な資料を読んだりしました。しかし、一番自分にとって勉強になるのはとにかく多くの方々に会って話を聞くことです。そこで頭に入ってきたことが、違う場で聞いたことと繋がったり、腑に落ちたりして理解が深まります。なので、様々な方に話を聞いて勉強しているのが今の状況です。

 

 

核兵器禁止条約採択の感慨

~歴史的瞬間、新しい軍縮の幕開け~

根本: 核兵器禁止条約が7月7日に採択されたとき、議場にいてどんな感慨を持ちましたか?

 

中満: それは感慨深かったですね。歴史的に長い背景があって、人道グループがステップを積み重ねて、2016年10月に総会決議が出て、と多くの人がかかわってきた条約です。第2回目の交渉の段階で初めて私はポストに就きました。なので採択のプロセスの最後になって初めて関わっただけですが、やはり非常に歴史的なステップであるので、そのような場面に幸いにも居合わせることができ、感慨深いものがありました。同時に、特に政治的課題に、これからどう取り組んでいくのか、仕事はこれから始まると思っています。

 

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核兵器禁止条約に関する国連会議 ©UN Photo/ Manuel      

 

根本: 国連にとっての総会第一号決議というのは核軍縮の当時の原子爆弾についてですが、これは国連のレゾンデートル(存在意義)の奥深いところにあるものですね。

 

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中満泉・国連軍縮担当上級代表、長崎の被爆者の会「長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)」の応接室で、日本被団協の代表と懇談 ©UNODA Haruka Katarao

 

中満: 国連の存在と核軍縮のマンデートはほぼ同じだけの年数があって中核のマンデートであることは確かです。基本的に核軍縮分野は包括的核実験禁止条約(CTBT)が採択された1996年以来進展がなかった分野ですが、それをブレイクしたのが今回の核兵器禁止条約です。政治的に非常に難しいですが、紛れもない事実として過去20年間において唯一の核軍縮分野での新しい国際的な条約を作ったということは歴史的な意味があると言えます。

この背景には核軍縮の動きがずっと止まって、それに対する多くの国々のフラストレーションが溜まっていたことがありました。きちんとした契機を作らなければならないと感じていた加盟国が多かったということです。生物兵器化学兵器が禁止される中、大量破壊兵器で禁止されていなかったのは核兵器だけであり、そういう意味で同じレベルに核兵器問題を引き上げなくてはいけないという強い問題意識を多くの国が持っていました。

また、その背景のひとつには日本の被爆者の方々が非常に強い信念と努力のもと、ずっと核軍縮の必要性を発信されてきたこともありました。国際世論を動かす大きな貢献をされたと思います。

 

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長崎市にて、「第9回 平和首長会議総会」開会式での基調講演を行う中満泉・国連軍縮担当上級代表 ©長崎市

 

根本: UNニュースのインタビューで、軍縮を21世紀型にしなければならないというお話がありましたが、21世紀型の軍縮というのはどういうものですか?

 

中満: LAWS(Lethal Autonomous Weapons Systems: 自律型致死兵器システム)やAI、サイバー、宇宙の話まで、実は軍縮は非常に幅広く、21世紀のまさに新しい安全保障の課題がたくさん出てきています。しかし、それらにどう対応し、どう規制するかという話にはまだ至っていない。課題の洗い出しを政府専門家レベルで始めているところではありますが、加盟国同士が新たな規範を作る段階ではありません。科学技術は加速度的に発展していて、早急な対策が求められます。またこれら新しい科学技術の発展の多くが民間企業や研究者たちによって進められていることもあり、規範作りのプロセスもこれまでとおりの加盟国同士の交渉のみでなく、創造性が求められると思っています。正式なプロセスがまだないという点で国連の事務局としてある意味、影響力を及ぼすことができる分野です。AIやLAWSといった新しい課題にも対応しなければならないのが21世紀の軍縮の課題であり、これを事務総長は「フロンティア・イシュー」と呼んでいます。

 

 

核兵器禁止条約採択に向けた市民社会の影響力

根本: 加盟国、被爆者、それから市民団体の存在は非常に大きかったですよね。

 

中満: ICAN(International Compaign to Abolish Nuclear Weapons)という国際キャンペーンやこの分野での市民社会NGOの国際的なネットワーク、国際赤十字委員会(ICRC: International Committee of the Red Cross)が大きかったです。核兵器禁止条約の前文のところに書かれていますが、人道イニシアチブ、人道的な観点から核兵器は絶対に使ってはならないものであり、禁止されなければならないものであるという世論を高めるにあたっての、市民社会被爆者の方々、ICRCなど専門的な組織の果たした役割は非常に大きかったと思います。

 

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核兵器禁止条約に関する国連会議  ©UN Photo/ Manuel     

 

 

核兵器禁止条約の包摂性

~今回核兵器禁止条約に参加しなかった国々との対話~

根本: 中満さんは核兵器禁止条約について包摂性、インクルーシブなものでなければならないということを強調されていますが、今回交渉に参加しなかった国々に対して、この条約はどのような形で包摂性を担保していますか?

 

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対談する根本かおる国連広報センター所長  ©UNIC Tokyo

 

中満: 現在核兵器保有している国々が将来的に参加できる可能性を持たせているのが4条です。核兵器を持っている国がすぐに条約を批准するとは誰も期待していないと思いますが、可能性を拓くようなものを入れたというのが核兵器禁止条約の推進派の方からの歩み寄りと言えます。核兵器禁止条約を閉じたものにしてはいけないというのが推進派ですし、日本も含めて反対派の国々に対しては、「遅かれ早かれ核兵器禁止条約は発効します。それは現実、リアリティーになるということです。だから無視するのではなく、どう対応するのかを考えて下さい。」という風に伝えています。また、現実になった場合、無視し続けることはできませんから新しくできた核兵器禁止条約とどう関わっていくのか、どういう対話をすることができるのか、どの道筋、ステップを経て核軍縮を進めていくのか、そのためには何をしたらいいのか、ということも考えてくださいと条約に入らない国々の方には伝えています。広がってしまったギャップをなるべく埋めていく対話を再開し、なおかつ深化させてくださいということを申し上げています。これに実際どのように取り組んでいけばいいのか、というのが今後の緊急課題ですね。

 

 

東アジアの地域の安全保障と国連事務局

~政治的な対話による解決に向けて~

根本: そのフロンティアでの包摂的な核軍縮に向けた日々の積み重ねが規範になっていきますよね。これはやりがいがあると同時にチャレンジングな課題のように思います。東アジアの地域に目を移すと、緊迫は色々な意味で増し、地域的な安全保障の枠組みはなく、この地域は今、安全保障面で節目にありますが、事務局はこの地域にどう貢献できますか?

 

中満: 北朝鮮問題に関してはある意味、国連の政策的な部分がはっきりしています。北朝鮮問題では安保理は団結を維持して数々の決議を採択しています。ですから安保理決議を制裁の問題も含めて完全に実施してもらわなければならないし、そのために多くの国が努力しています。北朝鮮のミサイル発射や核実験は不法な行為であって国連安保理決議に完全に反しています。制裁決議などは北朝鮮のこれらの行動に変化をうながし、「朝鮮半島非核化」という一度合意された約束にふたたびコミットさせるためのプレッシャーといえるでしょう。ただ、その先にやはり軍事的な解決方法というのはありえないでしょう。

軍事的な解決方法がないということは、唯一残っている道筋というのは何かしらの政治的な対話です。関係国が政治的な解決方法を探ることを望み、そのために国連事務局から何かできることがあればそれを行う用意はあります、というのが国連からの今のメッセージです。政治的な仲介を具体化することは非常に難しいことですが、加盟国にとって役立つようなことを実行する用意はあり、頭の体操としてその準備はしておかなくてはなりません。 

 

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軍縮担当上級代表就任への抱負や21世紀型の軍縮について語る中満泉・国連軍縮担当上級代表  ©UNIC Tokyo

 

日本の出身者として核軍縮に取り組む

~付加価値をつけ、バランス感覚を持ちながら~

根本: 日本はこと核軍縮の話については国民的な関心も高いです。そういう国の出身者として今の立場に就くということやそれに対する想いは何ですか?

 

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平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)にて国連事務総長のメッセージを代読する中満泉・国連軍縮担当上級代表 ©広島市 

 

中満: 小さい頃から、日本人ということもあり軍縮に関する教育を日本で受けてきました。原爆の恐ろしさについても色々聞いていたため、スパッと問題を理解できるという点ではありがたいです。被爆者の方々のお話を直接聞いて理解し、それを外に伝えることや外から聞いてきたことを広島や長崎に行ってお伝えすることもできるので、そういった意味では少しだけですが付加価値があればいいと思います。

ただ、国連なので一番重要なことは、上手くバランス感覚を持ちながら、核軍縮やその他の分野の軍縮を進めていくことです。その際に特定の国の方だけを見るのではなく、全体の利益をどう追求していけるのか、そのために、バランス感覚、調整力、交渉力が必要です。

 

 

国連広報センターインターンからの質問

インターン 羅: 核軍縮は現実的であるとのことでしたが、とても理想的に思えてしまうのですが中満さんにとってどのような点で核軍縮が現実的だとお考えですか?

 

中満: 一つ目の事実として、冷戦のピーク時は7万発くらいあった核弾頭は、1万5千くらいにまで数が減り、核軍縮の努力が行われてきました。部分的核実験禁止条約(PTBT)が採択されたのはキューバミサイル危機の一年後ですし、NPT(核不拡散条約)署名開始も1968年でした。緊張関係が高まっているからといって核軍縮が不可能であるというのは歴史的事実に反しています。むしろ歴史的事実から、安全保障上、緊張が高まっている時にこそ軍縮をちゃんと話し合わなくてはいけないということが言えます。

二つ目は、核の廃絶をすぐ今日明日に実現できるとは、核兵器禁止条約を作った人を含め誰も思ってはいません。ただ、この目的を取り下げるということは、全く規制のない核軍拡、軍備増強、競争を起こしてしまうことに繋がり、安全保障上、当然マイナスとなります。総合的に考えると核軍縮を現実にしないと、世界は非常に危険なところになってしまいます。なので具体的に目に見える形でどういうステップを経ていくのか、それをどうしたらよいのかということを議論して、実際にそのステップをアクションに移すことは非常に重要なことです。当然、国連が取り組むべき課題です。

 

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インターンからの質問に回答する中満泉・国連軍縮担当上級代表 ©UNIC Tokyo     

 

インターン 長澤: 核軍縮のお話でもバランスをとって特定のグループに肩入れをしすぎずというお話がありましたが、国際公務員は中立性が規範であり、原則であると思うのですが、ご自身の中で周りとのバランスを取ることと、自分自身の意見の間に葛藤があった経験はありますか?また、それをどう乗り越えられましたか?

 

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 中満泉・国連軍縮担当上級代表、平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)にてアントニオ・グテーレス国連事務総長の代理として原爆死没者慰霊碑で献花

©広島市

 

中満: これは経験から学び取っていくしかありませんが、難しいことですね。開発や人道分野に比べて安全保障分野での発言は難しく、注意が必要となりますが、個人的な視点を持ってもいいと思います。それをどういうところでどういう形で匂わせる匂わせないというのは経験上、段々わかってくるところで、私のやり方は事実を積み重ねていく方法です。歴史の中に隠れているいくつもの事実を掘り起こし、それを使っていきます。事実だから誰にも文句は言えないですよね?

 

 

若い世代の人へのメッセージ

執筆を行った時期と軍縮担当上級代表就任の時期が異なったので、軍縮については全く入っていませんが、若い世代の人へのメッセージとして『危機の現場に立つ』(講談社, 2017/7/14)を出版しました。ニューヨークで若い世代の人達や大学生のグループと話す機会をなるべく設けるようにしていますが、大学生になるともう頭が固くなっていたりします。若い頃から外にどんどん興味を持って、自分の頭で考えて自分ができることをやっていく、行動に移していく、そういうことを中学生、高校生、さらには小学生くらいから考えて欲しいという想いがこの本に詰まっています。また、内向きになりがちな現代社会において、特に若い人には大きな理想や将来への希望を持ってもらいたいと願っています。まさにそのような理想や希望が、人と人とを繋げ連帯させるものだからです。夢や希望の実現には、国境を越えて人間同士が繋がる必要があるのです。

 

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中満泉・国連軍縮担当上級代表、UNITAR広島事務所にて、中国新聞のジュニアライターからの取材に対応 ©UNITAR

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アフガニスタンで世界遺産保護に取り組む (後編)

                                                    

バーミヤンの大仏は再建されるべきか否か?

        

 

20年以上内乱が続いた2002年よりアフガニスタン文化遺産復興に取り組むユネスコで、文化財の復興に携わる長岡正哲(ながおか・まさのり)さんに、バーミヤン文化遺産保護の意義や難しさについて前編に続き寄稿して頂きました。

アフガニスタン世界遺産保護に取り組む 前編- 文化遺産バーミヤンの保護と経済復興の両立」(⇒リンク)とあわせてお読みください。

 

~お知らせ: 本記事(後編)で登場するバーミヤン大仏再建のための技術会合及び公開シンポジウムが日本政府の支援により、2017年9月27日から30日に、東京芸術大学にて開催されます。

 

 

 

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長岡正哲(ながおかまさのり)さん

1968年生まれ。ユネスコ・カブール事務所文化部主任。
筑波大学大学院で世界遺産学博士号、米国コロンビア大学大学院美術史考古学修士号取得2004年よりユネスコ勤務。ユネスコ・パリ本部世界遺産センターアジア太平洋課事業企画専門官、ユネスコジャカルタ事務所文化部主任を経て現職。
近著に『
Cultural Landscape Management at Borobudur, Indonesia(Springer出版)、『Borobudur: the Road to Recovery; Community-based Rehabilitation Work and Sustainable Tourism Development』(National Geographic Society / UNESCO出版)など。

 

  

東西両大仏をはじめバーミヤンの多くの文化遺産タリバンによって破壊されてから今年2017年で16年が経ちました。本年3月11日、地元政府と市民の共同事業として文化財の保護と恒久的な国の平和を希求する記念式典が、高さ55メートルの西大仏の後背に位置する仏龕内で開催され、250人を超える地元住民が集まりました。私もユネスコの代表としてこの事業に参加する機会にめぐまれました。

 

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©Nagaoka/UNESCO

2001年に破壊された東大仏。38メートルの大仏立像は現在仏龕(ぶつがん)内に存在していない。

 

 

バーミヤンの文化的資産の保護と平和の維持をどのように実現させるか。式典ではバーミヤン知事や地元NGOの若者らが、それぞれの立場から、集まった多くの市民に訴えかけました。バーミヤンの歴史的、考古学的価値のある文化財はもちろん、世界遺産の価値を有するバーミヤン渓谷一体に広がる文化的景観の保護は急務です。

 

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©Nagaoka/UNESCO

平和を希求する祭典が地方政府と村人により開催される。

 

 

式典では東西両大仏がどのように破壊されたかを伝える劇も上演されました。大仏がいよいよ破壊される様子を地元の役者らが演じている時、私は昨年会った一人のアフガン人のことを思い出さずにはいられませんでした。彼はタリバンによって大仏破壊工作を強いられた23人のうちの一人で、今もバーミヤンに住み続ける唯一の村人です。子供6人を含む家族8人で平和に暮らしていましたが、2000年にタリバンによって捕らえられ4か月間拘束された後、大仏爆破の準備のため24日間休みなく強制的に働かされました。爆発物の運搬の他、大仏頭頂部から一本の縄で吊りされながら、石像にドリルで穴を空け、ダイナマイトを仕掛けることを命じられたのです。その工作に従事していた村人の一人がこの蛮行を非難すると、即座に彼の目の前で銃殺されたと話す彼に表情はありませんでした。心臓発作で亡くなった村人もいました。作業の間、棒で体を殴打され続け、常に死がすぐ目の前にあったと彼は私に語りました。現在空洞になっている仏がんを見る度、当時の壮絶な記憶が蘇ると同時に、悔しい気持ちが沸き起こるという彼の周りには、無邪気な幼い彼の子供たちがまとわりついていました。大仏が再建されれば、彼は救われるという反面、またタリバンによって大仏破壊工作が起こるのではないかと心配していました。

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©Nagaoka/UNESCO

タリバンにより大仏破壊の強制労働を強いられた村人の家族には笑顔が広がっていた。

 

現在バーミヤンイスラム教徒がその大勢を占めています。バーミヤンには現在ひとりの仏教徒もおらず、大仏や仏龕が宗教儀式や礼拝の場として利用されることはありません。ではなぜイラスム教徒のアフガン人がバーミヤン仏教遺跡を保護する努力をしているのでしょうか。これは実に多く聞かれる質問です。バーミヤンの大仏主崖はこれまで、地元住民の間で中心的な役割を果たしてきました。地元の人々は休日には家族とともにそこを訪れピクニックをし、毎年新年の3月21日のナウルーズの日にはここで祝い、断食月の終わりのラマダンの終了を祝う大祭をここで催し、伝統的なアフガニスタンのスポーツであるブズカシもここで開催されます。バーミヤン遺跡は地域の文化と慣習に密接に繋がり、今ではなくてはならない場所として地元住民に愛されているのです。

 

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©Ghulam Reza Mohammadi/UNESCO

多くの村人が観戦する伝統スポーツ、ブスカシ。毎年数回大仏前の広場で開催される。

 

2016年トルコで開催された第40回世界遺産委員会で、アフガン政府はバーミヤン大仏を再建する意向であると正式に表明しました。これを受けユネスコは日本政府の支援により、2017年9月27日から29日までバーミヤン大仏再建のための技術会合を東京藝術大学で開催します。参加者は情報文化大臣をはじめとするアフガン政府要人の他、世界遺産文化財保護の専門家、教授、ユネスコ職員等計80名に及びます。3日間の技術会合に続く9月30日には、同じく東京藝術大学で一般の方を対象に公開シンポジウムが開催されます。

これまでバーミヤン大仏の再建の是非についての議論はされていませんでしたが、東大仏龕の保護が完了した今、学際的な議論を進める素地ができつつあります。また2013年にドイツ隊が行った足の再建が契機となり、アフガニスタン政府はイコモスおよびユネスコから大仏再建を学術的に検討するよう勧告されています。

大仏の再建には、修復の技術論や文化財のオーセンティシティー(眞正性)の問題、関連する国際条約との整合性や、アフガニスタンの治安面の問題など様々な課題を考慮しなければなりません。前ユネスコ親善大使の平山郁夫氏は、広島の原爆ドームやドイツのアウシュビッツ奴隷貿易の拠点となったセネガルのゴレ島のように、現状のまま人類の負の遺産として後世に遺し、人類が行った蛮行を二度と繰り返してはならないという強いメッセージを残すべきだと生前語っておられました。その一方、シリアやイラクなどの中東では、現在もテロリストによる文化財の破壊が横行しているだけでなく、それらの盗難、転売により新たなテロリズムの資金源として活用されているのが現状です。

今回東京で行われるバーミヤン大仏再建の会議は、壊された文化財をどのように補修するかという技術的な話に留まらず、テロによって破壊され、オリジナルの部材がほとんど散逸した文化財を新たに建立することの是非や、その作業指針についても話し合われます。そのため会議の結果次第では、従来の世界遺産条約の作業指針に大きな影響を及ぼす可能性があります。バーミヤン大仏再建の協議を通じ、今こそ人類の英知を結集させ、文化的な側面から世界の平和をどう築くべきか、広く真剣に話し会う機会が日本の支援によって東京で行われます。

 

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©Nagaoka/UNESCO

仏がんから眺めるバーミヤン渓谷全景。

 

 

バーミヤンが今日まで伝えてきた歴史と自然、文化は、宗教や国の違いを超えて多くの人たちに受け入れられています。そのうえで、かけがえのない重要な価値を有しているバーミヤン文化遺産として包括的に保護され、次の世代に引き継がれなければなりません。アフガニスタンの文化復興はまだまだ始まったばかりで、国際的な協力やアフガニスタン人自身の更なる努力が必要です。先人が築いてきた貴重な文化遺産を未来に伝えるために、毎日の地道な努力が今もここアフガニスタンの青い空の下で続いています。

 

アフガニスタンで世界遺産保護に取り組む (前篇)

 

前編文化遺産バーミヤンの保護と経済復興の両立‐                                                             

 

20年以上内乱が続いた2002年よりアフガニスタン文化遺産復興に取り組むユネスコ文化財の復興に携わる長岡正哲(ながおか・まさのり)さんに、バーミヤン文化遺産保護の意義や難しさについて寄稿して頂きました。

 

~お知らせ:本記事(後編)で登場するーミヤン大仏再建のための技術会合及び公開シンポジウムが日本政府の支援により、2017年9月27日から30日に、東京芸術大学にて開催されます。

 

 

                                                f:id:UNIC_Tokyo:20110704092059j:plain                                                                                                                

長岡正哲(ながおかまさのり)さん

1968年生まれ。ユネスコ・カブール事務所文化部主任。
筑波大学大学院で世界遺産学博士号、米国コロンビア大学大学院美術史考古学修士号取得2004年よりユネスコ勤務。ユネスコ・パリ本部世界遺産センターアジア太平洋課事業企画専門官、ユネスコジャカルタ事務所文化部主任を経て現職。
近著に『
Cultural Landscape Management at Borobudur, Indonesia(Springer出版)、『Borobudur: the Road to Recovery; Community-based Rehabilitation Work and Sustainable Tourism Development』(National Geographic Society / UNESCO出版)など。

 

 

戦後復興が急ピッチで進んでいるアフガニスタンでは、国際社会がその緊要性に注目し急速に支援が集まりました。人道支援、教育の復興、 医療の充実、インフラ整備、食料援助など、その内容は多岐にわたって います。国の再建が着々と行われているその一方で、文化遺産地域の保護・保全に関わる問題が各地で起こっています。過去シルクロードの要衝として栄えたバーミヤンでも、最近、至る所で村の経済発展のための急激な都市開発が進み、バーミヤンの文化的価値を脅かしています。この問題に対し日本政府は2002年よりユネスコに対し、これまで7億円以上の文化遺産保護信託基金を拠出しています。つまり日本人の税金がバーミヤンの文化復興に使われているのです。日本とバーミヤンの接点は実はこんな意外なところにあるのです。

 

 

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©Nagaoka/UNESCO

バーミヤン主岩で働く地元のガードマンたち。昼夜二交代制で働く彼らの給料も日本からの支援でまかなわれている。彼らが来ているユニフォームには、ユネスコ・プロジェクトの一環として日本の支援が明記されている。

 

 

私がユネスコの文化部主任としてカブールに着任したのが2014年の6月 です。実は今回のアフガニスタンへの着任は2回目です。前回は2004年から2008年まで丸4年間、ユネスコカブール事務所の文化担当として勤務していました。アフガニスタンで20数年続いた内乱後の2002年より、ユネスコはこの国の文化復興に取り組んでいます。長年の内戦で破壊さ れた文化遺産をどのように守り未来に伝えていくかをアフガニスタン人と共に考え、またアフガニスタン人自らの手で復興していけるように お手伝いをしています。

バーミヤン文化遺産の核をなすのは、かつて東西二体の大仏立像が刻み込まれていた主谷の崖とそこに掘られたおよそ千にも及ぶ石窟、そしてそれらを飾る多彩な壁画です。長く続いた内戦により、それら文化遺産の多くは瀕死の状態にありました。そのためユネスコは、日本から拠出された支援により、各国専門家とともに2002年から今日までバーミヤン遺跡と文化的景観の緊急保護に取組んでいます。

 

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©Nagaoka/UNESCO

バーミヤン渓谷の向こうに見える渓谷主岩。その長さは1キロにも及び、千以上もの石窟が彫られている。

 

 

イタリア隊は崩壊の危機にあった高さ38メートルの東大仏の仏龕(ぶつがん)の保護を行いました。プロのロッククライマーがイタリアから参加し、ダイヤ モンドが先端についたドリルで壁面に穴を開け、1トン以上もののセメントを壁面に注入しその崩壊を防ぎました。

 

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©Nagaoka/UNESCO

イタリア人のロッククライマー。東大仏壁で連日の作業。仏龕の状態をコンピューター解析し、崩壊を食い止める作業を行う。

 

 

 ドイツ隊は破壊により散逸した大仏片の保護を行いました。破壊 された大仏片を全て仏龕から取り除くために、何トンもする大仏片は重機を使い、またパウダー状になってし まった大仏の破片は手でかき集める作業を続け、地道ながらも非常に 重要な活動を行いました。それらの一時保存のために西大仏前の収蔵庫の建設作業中に、対戦車地雷が見つかるというハプ ニングもありました。そのため、国連の地雷処理班が急遽バーミヤン 入りし、専門家が安全に作業できるよう緻密な地雷のレーザー探査が行われました。

ドイツ隊は大仏片のサンプ ルを炭素年代測定し、東と西の大仏が制作された年代を解明しました。日本隊も同様の測定で、壁画が東の崖から西へと作られていったこ とを突き止めました。こうした科学的研究により、これまでほとんど知られていなかったバーミヤ ンの歴史の謎は少しずつ解明されつつあります。

 

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©Bert Praxenthaler, ICOMOS Germany/UNESCO

西大仏片保護作業中発見された地中に埋まっていた不発弾。この他にも対戦車地雷や多くの地雷が見つかった。 

 

我が日本隊はバーミヤン全体をどのように保護していくべ きかを検討するための保護計画作りに着手し、遺跡地域特定のための調査に携わって います。遺跡地域調査の最中に40年ぶりに新たに壁画が発見されたり、バーミヤンで二つ目の存在となる ストゥーパ(仏塔)が発見されたことは、以前新聞やテレビ等のメディアでも取り上げられましたので記憶されている方もいらっしゃるのではないでしょうか。また80パーセント以上が破壊、略奪に遭ったバーミヤン壁画の保護も引き続き行っています。わずかに残っている剥離しかけた壁画の科学的保存処理や、色素退行した壁画の保護は最優先事業です。また2004年にはフランスの考古学者が、7世紀に玄奘が記述した「涅槃仏」の基壇らしきものを 東大仏よりさらに東に行ったストゥーパの近くで発見 したことは大きなニュースとなりました。

 

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©Nagaoka/UNESCO

発見された色彩豊かな壁画。何層にも重ねて塗られた油絵技法が既に5~6世紀に使われていることが日本隊によって解明され、西洋の油絵よりはるか昔にこの技法がバーミヤンで使われていたことが学会で発表され大きな反響となった。

  

考古学的価値と同様、バーミヤン渓谷は「文化的景観」としての価値が認められ、2003年ユネスコ世界文化遺産リストに登録され ました。 仏塔の痕跡、イスラム時代の墓地、廃墟と化したシャフリ・ゴルゴラ。 その他にもバーミヤン渓谷には、東のカクラク川と西のフォラディ川の 清流、ジャガイモ畑等が広がる緑豊かな谷、泥壁で形成された曲がりく ねった農道があり、その道では放牧された羊の群れが草を食み、農耕に 励む村人たちを目にすることができます。一望すれば、紺碧の空の下に は、ヒンドゥークシュを代表とした7000mを越える数々の山々がバーミヤ ン渓谷を取り巻くように屹立しています。これらすべての要素が一体となって、昔から変わら ないバーミヤン特有の文化的景観をつくっているのです。

 

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©Nagaoka/UNESCO(上)

©Georgios Toubekis, RWTH Aachen University/UNESCO(下)

バーミヤン渓谷。季節によりそのその景観は大きく変わる。

 

 

大仏の破壊に端を発したバーミヤンは、悲劇の舞台として一躍脚光を 浴び、世界が注目するところとなりました。そのため、多くの国々がバ ーミヤンの復興に手を挙げました。この結果、経済基盤の復興を目的とする大規模工事が村の中で進みました。首都カブールと西の大都市ヘラ ートを結ぶ大型幹線道路の建設工事、地方行政の総合庁舎、ホテル、警察署、警察訓練センター、職業訓練センター、学校、病院などの建設ラッシュ。この数年で多くの農地が宅地に代わり、村の中心に位置するマーケットも驚く速さで拡張されました。2005年には900件あった村の商店の数は、現在まで2000件以上にまで膨れ上がり、村の無秩序な開発が広がりつつあります。戦後復興において、地域の経済発展は非常に重要です。もちろん村には住民の生活向上のためインフラが整備される必要があります。しかしその一方で、文化的景観を含む文化的価値が破壊される可能性も同時に存在します。

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©Nagaoka/UNESCO

2004年(上)と2014年(下)撮影のバーミヤン渓谷。無秩序開発により農業地帯が大型車の駐車場や資材置き場に変わっている。

 

 

文化遺産の保護とバーミヤンの経済復興の両立。一見すると相反する目的に、 ユネスコは将来的なバーミヤン渓谷保護のため、アフガン政府と海外の専門家らとその計画案を2007年に完成させました。その計画案は2013年にバーミヤン市復興のマスタープランとして国の認可を受けました。これをもとにアフガ ニスタンの中央政府バーミヤン州政府とともに、文化遺産の保護とバーミヤン渓谷全体の発展のために、多額の経済復興支援を申し出ている各国政府や、国連・NGO、また一番重要な村人と連携しながら、現在復興を進めています。

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©Nagaoka/UNESCO

文化的景観保護のためのマスタープランの市民への説明。アフガン政府とユネスコが主催。一週間に及ぶ説明会には延べ800人の村人が加わり、文字通り膝詰めの会議が行われた。

 

後編に続く…