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国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(10)

【連載中】<日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」>

第10回 国連の障害者権利委員会のメンバー、石川准さん

~障害者が「楽しい!」と感じられるような研究を柱に~

 

世界人口は約74億人、そのうち約15%の10億人が何らかの障害を持っていると言われています。日本では、約7%の方が何らかの障害を有しています。そのような障害を持つ人々の社会参加や就業の推進のために、日本社会にはまだまだやるべきことが多いように感じられますが、2020年に開催される東京オリンピックパラリンピックを控え、一般の人々の間に障害者、および、共生社会の構築についての意識が徐々にではありますが高まっています。このような中、国連の障害者権利委員会の委員に今年選出された石川准先生にお話を伺う機会をいただきました。

 

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石川 准 (いしかわ じゅん)

<略歴>

【富山出身。16歳のとき網膜剥離により失明。全盲受験で初の東大合格を果たし、同大学にて社会学博士課程単位取得退学。社会学博士。現在、静岡県立大学 国際関係学部教授、東京大学先端科学技術研究センター特任教授。社会学ではアイデンティティ・ポリティックス論、障害学、感情社会学を専門とする。支援工学分野では、日本語英語自動点訳プログラム、スクリーンリーダー、点字携帯情報端末GPS歩行支援システム等の開発をしてきた。2012年より内閣府障害者政策委員会 委員長、2017年1月より、国連の障害者権利委員会の委員も務める。】

 

  1. 国際社会のなかの日本 

 

Q. まずはこの度、国連の障害者権利委員へのご就任おめでとうございます。日本として、権利委員会に日本人がメンバーとしていることは心強いことですね。

 

A. そうですね。政府にとっても障害者団体にとっても、悪いことではないと思います。委員は中立な立場でいるべきなので、直接日本のために何かができるということにはなりません。日本の政策について他の委員に理解していただくという点では、微力ですが、日本人の存在があると良いと思います。

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2014年 ニューヨークの国連本部で開催された締結国会議でのスピーチの様子

 

Q. 障害者の権利における国連の役割、または日本の役割についてお聞かせ下さい。

 

A. 人権は国連の活動の3本柱の1つと言えます。戦後さまざまな分野で人権に関する国際的な基準を作ってきたので、障害者権利条約が出来たことのインパクトは計り知れません。日本を含む先進国だけではなく途上国も、障害者権利条約という1つの枠組みに基づいて障害者政策を実施していくという、普遍的な考え方を確立できたと思います。国ごとに経済的、政治的、社会文化的な状況が違うので、障害者権利委員会による総括所見において、現状を踏まえた実効性のある、建設的な所見をだしていくことが期待されています。

 

Q. 他の先進国と比べた日本の現状と課題について、どのようにお考えですか?

 

A. 第一回の日本の政府報告は、今年の6月末に国連に提出されています。障害者政策委員会は国内監視機関としてその政府報告の中に監視機関の意見を入れさせていただきましたが、特に、精神障害者の地域移行が他国に比べてかなり立ち遅れていると思います。病院に長期入院されている方々がかなり沢山います。また、自己決定を支援する仕組みが弱いです。

 

例えば、日本では、知的障害の方々に対して成年後見制度が広く活用されています。誰かが本人の利益を守るために代理で決める、という制度です。後見人という仕組みによって、利益を脅かされる可能性が高い方々を守っていこうとしてきました。しかし、きちんと支援すれば自分で決められる方々に対しても、過剰にこの仕組みが使われてしまうと、本人は置き去りになったまま誰かが代わりに決定してしまういわゆる「パターナリズム的」支援になる傾向があります。

 

Q. 日本が模範とすべきような国はありますか?

 

A. 知的障害の方々に対する成年後見制度に関しては、条約が求めているレベルに達している国はほとんどないほど難しい問題です。どの国にとってもチャレンジです。また、精神障害者の地域移行に関しては、OECD諸国の中で日本ほど遅れている国はほとんどないと思います。40~50年前はどの国においても多くの精神障害者は施設にいたのですが、今では地域移行が進んでいます。そもそも長期入院の背景には、地域で暮らしていくための支援が不十分なため、行き場を失って入院が長期化している、ということがあります。日本ではこのことを社会的入院と呼んでいます。

 

2.  自らの存在意義を追求しながら、人生を楽しむ

 

Q. 石川先生は社会学者でありながら、プログラマーでいらっしゃいますよね。お手元にある端末はなんですか?こちらもご自身が開発されたのですか?

 

A. 点字携帯端末ですね。ブレイルセンスと言います。ブレイルは点字なので、「点字の感覚」という意味です。このハードウェアは韓国製ですが、入っているソフトウエアのかなりの部分を私が開発しました。

 

色んなことができるんですよ。音も出ますし、点字でも表示してくれます。Wi-Fiブルートゥースにも繋げますので、電子メールにもフェイスブック等にも対応できます。国連の障害者権利委員における選挙活動でもこれでプレゼンテーションをしましたし、議長をしている政策委員会でも、これでメモを取りながら委員の皆さんの議論を調整しています。

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ブレイルセンスU2。上半分は点字キーボードで、点字の6点入力ができる。下半分の黒い帯状の部分は点字ディスプレイで、白いピンが浮き上がって点字を表示する。ワードプロセッサー、電卓、予定帳、アドレス帳、コンパス、FMラジオ、音楽再生、録音などパソコンのように多彩な機能を搭載している。インターネットに接続し、電子メール送受信、SNS、チャットなども使うことができる。(詳細は 有限会社エクストラ ブレイルセンスU2日本語版の製品ページ >> ブレイルセンスU2日本語版)

 

Q. これは誰もが簡単に使えるようなものなのでしょうか?

 

A. ある程度習熟までに時間はかかります。利用者を支えるサポーターが全国にいて欲しいのだけども、なかなか難しくて。例えばパソコンですと、パソコンボランティアとして健常者のひとたちが色々サポートしてくれるんですね。でもこの端末は、そもそもこの端末を使える人じゃないとサポートできないので、健常者のサポーターを募るのはなかなか難しいです。普段自分が使ってないものを人に教えるのは困難ですからね。現状は、自分で説明書を読めば使いこなせるような一部の人たちと、販売会社のユーザーサポートに頼っています。

 

視覚障害であれば画面を音声で読み上げるソフトウェアをパソコンに入れておけば自動音声読み上げにより操作することができますが、盲ろう者の場合はやはり点字で読み書きする機器がないとコミュニケーションが取れないのでより切実です。盲ろう者協会も、熱心に支援していますが、自分には無理だと途中で諦めてしまう人も多くいます。そこをなんとかしなければいけない、と思っています。今回のインタビューに一緒に来てくれた永井(石川研究室のスタッフ)も、盲ろう者にブレイルセンスを教える活動のお手伝いをしています。

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インタビュー中の石川先生(UNIC Tokyo)

Q. 人と人が繋がり、巻き込んでいくことで、可能性の幅が広がるのですね。

ところで石川先生は、初の点字受験東大合格者ということですが、どうやって乗り越えられたのですか?

 

A. 元々弱視でしたが、高校生の時に見えなくなりました。2年弱入院した後、通常の学校から盲学校の高等部に転校し、3年間通いました。そこで初めて点字を習い、白杖(はくじょう)をついて歩くスキルは同級生に教えてもらいました。また大学受験の際には母親が参考書や問題書を片端から録音してくれたので、それを聞いて勉強しました。

 

3.  挑戦し続ける

 

Q. 先生の最近の研究の中心はどういったものがありますか?

 

A. 最近のコンセプトは「楽しい支援工学」です。今までは役に立つ支援工学、つまり教育や就労にとって“どうしても必要な支援機器”の研究や開発をやってきたのですが、今は、障害を持った人々が「楽しい!」と感じられるような研究を一つの柱にしています。もう一つは、障害者政策に関わるような研究、例えばアクセシビリティーに関する研究などが多いです。といっても実際は研究よりも実務系の仕事に追われています。(笑)

 

Q. アクセシビリティーについての研究とは、具体的にはどういったものですか?

 

A. ひとつはGPSの研究です。これは10年くらい手掛けています。最近は視覚障害者の移動支援の研究の一環で、拡張現実巨人将棋(AR巨人将棋)というイベント型の実証実験を行いました。広いフロアを大きな将棋盤に見立てて、視覚障害の方に歩いてもらいます。駒を発見したら詰め将棋の問題を頭の中にいれて解く、というゲームです。

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写真(左):予行演習の様子

写真(中央):プレイヤーが将棋盤のマスを踏んで駒を発見すると、システムが「1四 攻め方 香車」のように読み上げ、位置情報とそこにある駒の情報がわかる。
画面上では、キラキラと光りながらCGの駒が出現する。

写真(右):詰将棋に正解すると、画面に巨人の手が出てきて駒を動かす。

(石川先生HPより >>石川 准 ウェブサイト | アクセシビリティは高い技術と正しい思想により実現する)

 

Q. 反響はどうでしたか?

 

A. みなさんすごく喜んでやってくださいました。歩きながらランドマークの情報を聞き、そして自分の頭に地図を作る、というのは視覚障害者にとってとても難しい。このことが如何に大変なことか、という実証実験でした。

 

Q. 今後先生が挑戦してみたいと思う分野はありますか。

 

A. ディープラーニング(深層学習)です。人間よりも強いコンピューター将棋ソフトや囲碁ソフトが開発されているように、今までコンピューターは人間には勝てないと思われていましたが、プロよりもコンピューターの方が良い結果を出せるようになってきました。今後は、ディープラーニングの先端的な研究成果を支援工学に応用できればと願っています。

 

Q. 研究において、ご自身で常に心がけていらっしゃることはありますか?

 

A. 支援工学と言うのは元々不完全なもの、不正確だという側面があります。つまり100点は目指さないで、99点を目指していく。GPSを使った視覚障害者の移動支援についても、GPSは常に正確な位置情報を出せるわけではなく、例えば東京の渋谷近辺 のように高層ビルが多くある場所だと、相当誤差が出てきます。「そんな危ないもの使えない」という人には勧めることはできません。それを十分理解して上手く使える人向きなのです。それ以上どうにかして下さい、と言われてもどうしようもなく、「それはそのようなもの」と割り切る必要があります。

 

そもそも視覚障害者が一人で歩くことは、極めて困難なことですし、初めての場所を歩行すること自体が無謀です。なので、現時点で可能な限り十分な支援をする。特定の場所や実証実験で上手くいったとしても、どこでも実現可能になる訳ではありません。そういう意味で、私がやってきた支援工学系の開発は不完全なものばかりだと言えるでしょう。しかし、その不完全さについて「だからダメ」と言ってしまうのは簡単ですが、それが全く無い時と比べれば答えは明らかでしょう。

 

4. 不完全さを受け入れ、受け入れてもらう。100点は目指さない

 

Q. 2016年の4月に障害者差別解消法が施行され、障害者雇用促進法が改定されました。これらについて、どのような期待をお持ちですか?

 

A. 障害者差別解消法では2つのことを禁止しています。ひとつは、障害を理由とした不等な差別的な取り扱いを禁止しています。もうひとつは、過度な負担でない場合に合理的配慮を提供することを公的機関は義務、民間事業者は努力義務を負う、ということです。つまり、「合理的配慮」の不提供を禁止しています。

 

例えば、学校や職場において、聴覚に障害がある人ですと何かしらの代替的手段 ― 手話通訳やパソコン要約筆記がなければ授業が理解できません。そういった支援の提供を求められたときに、過度な負担ではないのに学校側が提供しない、というのが禁止されるということです。障害のある人は門前払い、などもかつてはありました。けれども、それは障害者差別解消法においては不当な差別的取扱いとして禁止されます。その上で、それぞれの障害に応じた合理的配慮の提供が義務として、あるいは努力義務として求められるようになりました。

 

Q. 社会が皆で支えあっていくという「合理的配慮」が、社会に浸透していくといいですね。

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 ブレイルセンスでメールをチェックする石川先生(UNIC Tokyo)

A.  「合理的配慮」への理解が広がるよう努めていきたいと思います。障害者雇用促進法の改定でも、ほぼ同様の内容が盛り込まれ、就労に必要な合理的配慮が求められます。例えば視覚障害の人が使えるコンピューターの提供であるとか、人的サポートなどが合理的配慮にあたります。事業者単独では限界があるので、国のアクセシビリティー政策が重要です。

 

今までは合理的配慮をしないことは不当なことではなかった。今まで自発的な善意だと思われていたことが、社会的には義務と見なされるので、事業者の立場からすると戸惑いもあるでしょう。しかし、建設的対話を通してどこまでが「合理的配慮」なのかという社会的合意は徐々に熟していくものだと思います。なお個人と個人の間の気遣いや配慮、善意は障害者差別解消法の施行前後で何か変わるということはありません。気遣いは気遣い、配慮は配慮、善意は善意です。

 

Q. 最後になりましたが、日本の若者に、期待も込めてメッセージをいただけますか?

A. リスク・テイク-危険を承知で取り組むこと-をした方がいいと思います。どうしようかな、と迷ったときはまずはやってみる。しかし、あれもこれも、とならないように。一度にできることは限られているので、目の前にあることから一つずつ、一歩ずつ、進めていくことが大切です。

 


あと、100点を目指さないことですね。完璧でなくてもいい。90点のものを95点のものにしようと思うと倍の努力が必要になりますし、さらにその95点を98点までにしようとするとまた倍の努力が必要で、指数関数的に増えていきます。100点にしたければ仕事を限定する必要があります。多くのことをこなすにはある程度、一つひとつは不完全さを受け入れ、相手方にも受け入れてもらうことが大切なのです。

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インタビュー後の記念撮影(左からインターンの秋本、城口、

石川研究室の永井さん、石川先生、UNIC妹尾広報官)

フォトコンテストの大賞受賞者、ニコラスとの一日 

国連広報センターインターンの李 ソミンです。1025日、前日に行われた「わたしが見た、持続可能な開発目標(SDGs)」学生フォトコンテストの授賞式のために、ニコラス・モンテベルデ=ブスタマンテさん(大賞受賞者)来日しました。二日かけて、ちょうど地球の裏側から来たニコラスさんですが、常に笑顔を絶やさない好青年でした。短い間でしたが、私たちインターンは、彼と一緒にSDGsのことを語り合いました。

 

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ニコラスさんは、授賞式翌日、朝からNHKのインタビューを受け、午後の撮影から我々インターン4名も同行し、楽しい時間を過ごすことができました。

 

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ニコラスさんは、今年23歳のペルーの首都、リマ出身。リマにあるUiversidad Peruana de Ciencias Aplicadas (UPC)大学でコミュニケーションとジャーナリズム専攻する4年生。

今回受賞した写真の「El OJO DEL CONSUMO(消費者の目)」を通して、海洋汚染の深刻さを指摘するとともに、これからの私たちの消費パターンの見直しを提言しました。

 

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当日は、NHKの特別番組の撮影で、代々木公園から原宿竹下通りを通り抜け、渋谷にいたるルートを歩きました。レンズを通して、彼の視点から見る日本におけるSDGsを考える時間となりました。

ニコラスさんは、とてもフレンドリーで、前日に伝えたインターンの名前全てちゃんと覚えてくれました。興味ある分野や何を勉強しているのかということについても、気さくに話してくれました。また、ペルー出身であることに誇りを持つ彼は、自国のことに詳しく、ペルーの歴史や、建築、教育、食文化など幅広く、興味深い話をしてくれました。

 

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彼は渋谷での取材中、何度も立ち止まり、誰にも気づかないようなクモの巣や街灯の上のカラスなど撮っていました。普段見過ごしてしまうような些細なことも、彼といると見えてきて、その一つひとつがとても新鮮に感じられました。  

 

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また、彼は自転車に乗っている人にとても興味を持っていました。その理由を尋ねると、「自転車は環境にやさしい、僕はペルーで自転車を広めるための活動もしている」と、日本で自転車が普及していることをとても関心していました。日本は自転車の使用率が高く、それが環境保護に繋がっているということに、彼のお陰で気づかされました。

撮影の途中、渇いた喉を潤すため、ペットボトルの飲み物を買って彼に渡しました。しかし、彼は「環境のために、ペットボトルの飲み物は飲まないようにしているんだ」と言い、その代わりに持っている大きな水筒から水を飲みました。生活の細かいところまで根付いている彼の環境保護の精神に感銘を受けました。

 

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天気が徐々に悪くなり雨が降り始めると、彼は何度も、「I feel like I am in the wonder land(まるで今ワンダーランドに来ているようだ)」と、私たちに「日本に来たんだ」という感動を伝えました。私たちにとっては、渋谷も、雨も、見慣れた景色でしたが、彼の言葉で日常が非日常になった瞬間でした。

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最後に、ニコラスさんは「私たち個人ができることは小さなことかもしれない。しかし、自分は環境保護に関していい見本でありたい。それによって周りの人の意識を変え、世界をより良い場所にできると信じているからね」と熱く語りました。この二日間を通して私たちインターンは、彼の環境に対する信念を感じ取り、持続可能な開発目標(SDGs)で掲げる地球規模の問題を「自分ごと」としてより身近に感じることができました。

 

 

「わたしが見た、持続可能な開発目標(SDGs)」学生フォトコンテスト 授賞式

 

10月24日(月)、国連広報センターと上智大学共催の「わたしが見た持続可能な、開発目標(SDGs)」フォトコンテスト授賞式が行われました。関係者席を含め約250席準備した会場は満員となり、大盛況でした。

 

大賞(外務大臣賞)に輝いたニコラス・ブスタマンテ=モンテベルデさんは、リマにあるUiversidad Peruana de Ciencias Aplicadas (UPC)大学のコミュニケーションとジャーナリズム専攻の4年生です。授賞式のために、ペルーより来日し、岸田文雄外務大臣から賞状が授与されました。

 

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左より岸田外務大臣、ブスタマンテ=モンテベルデさん、審査委員長を務めた写真家、レスリー・キーさん

 

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大賞(外務大臣賞)を受賞したモンテベルデ=ブスタマンテさんの“EL OJO DEL CONSUMO”(消費者の目)

 

受賞作品のリストは、次のブログURLをご覧ください。

 

blog.unic.or.jp

 

主催者の国連広報センターを代表して根本かおる所長が挨拶を行い、「今回のフォトコンテストは、学生の皆さんにSDGsを“自分ごと”にできるとても良い機会でした。常に、何ができるかを考えることが重要です」とメッセージを送りました。

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国連広報センター 根本かおる所長 

 

審査委員長のレスリー・キーさんからは、「今回のフォトコンテストの作品は、作者のSDGsに関しての視点とメッセージが含まれています。他の多くのコンテストと一線を画しているのは、そのメッセージ性の強さです。写真は世界を変えるんだ!と改めて感じることができました」と述べ、今回のコンテストを通して自分の原点を見直す機会になった、と講評をいただきました。

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 レスリー・キーさんからの講評

 

 

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集合写真

(前列)上智大学 水島教授、Christian Dior PRグループシニアマネージャー藤本さん、フォトジャーナリスト安田さん、上智大学グローバル化推進担当理事 プテンカラムさん、国連広報センター 根本所長、写真家 レスリー・キーさん、ニューズウィーク日本版フォトディレクター片岡さん、ゲッティイメージズジャパン 党さん

(中段)左より西谷さん、パンさん、今井さん、佐藤さん、モンテベルデ=ブスタマンテさん、小森さん、中牟田さん、上澤さん、山崎さん

(後列)左より上智学院グローバル化推進担当理事補佐 曄道さん、㈱シグマ 新妻さん、㈱ニコン 立木さん、外務省国連企画調整課 臼井課長、㈱良品計画 石原さん、上智大学藤村学務担当副学長、上智大学総合グローバル学部 植木教授

 

また、今回の授賞式では、早見優さんとレスリー・キーさん、根本かおる国連広報センター所長による対談も行いました。

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 写真(左) 根本所長 (右) 早見優さん、レスリー・キーさん 

 

対談では、「私なんて、ではなくて、私でもできること、を考えて欲しい」(根本所長)、「諦めずに、常に働きかけること、アクションに繋げていくことが大切」(早見優さん)、「少しでも自分の余裕をつくって隣の人を助けて、人と人をつなげていきたい」(レスリーさん)と、決して持続可能な開発目標(SDGs)は遠い存在ではなく、身近なところから一人ひとりが行動をしていくことを呼びかけました。

 

より多くの方々にSDGsに関心を持っていただくよう、大賞を含む入賞作品の写真展も11月18日(金)まで上智大学にて開催しました。

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詳細については、http://www.unic.or.jp/news_press/info/21151/

 

国連アカデミック・インパクト(UNAI)のメンバー大学である上智大学のHPでも紹介されました。

「日本の国連加盟60周年・国連デー記念イベント」を開催し、岸田文雄外務大臣にご出席頂きました|上智大学 公式サイト

 

フォトコンテスト詳細はこちら

【日本の国連加盟60周年記念事業】応募受付を開始! 「わたしが見た、持続可能な開発目標(SDGs)」学生フォトコンテスト | 国連広報センター

 

 

「わたしが見た、持続可能な開発目標(SDGs)」学生フォトコンテスト 受賞作品一覧

大賞(外務大臣賞)

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“EL OJO DEL CONSUMO” (消費者の目) ニコラス・モンテベルデ=ブスタマンテ / ペルー

ペルーのカヤオにある海洋保護区を訪れたとき、廃棄されたタイヤが沢山あるのに気づいて、とても気になりました。海洋汚染はいま人類が直面している大きな問題の一つです。私たちの中毒的なまでの消費と廃棄の繰り返しが、私たちの街を、土壌を、海を、そして自分までをも汚染しています。私たちの海を、タイヤやゴミのないより良い場所にできるかどうかは、私たち次第なのです。

 

優秀賞(3点)

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“SMILE OUT OF DISASTER” (笑顔で災害を乗り越える) ネルメッシュ・シング・グルディブ・シング / マレーシア

母親と姉と東インドへ旅行した時に撮った写真です。市場で買い物をしていたら、土を袋に積み、回収トラックへ載せている女性に気がつきました。彼女は一瞬拾っていた土のにおいを嗅ぎながら微笑みました。洪水の被害者になった後、再び立ち上がる機会を与えてくれた「土」に対する感謝の心を持っているのだ、と教えてくれました。自然災害と向き合っていくためには、自分と自然との関係、また、心の豊かさを大事にするべきだと感じました。
 

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“FLOOD AID” (洪水被害者の支援) ヒルミ・ハリズ・ビン・マハボト / マレーシア

マレーシアの東部にあるクランタン州は、ほぼ毎年のように雨季には洪水に襲われます。一緒に活動していた人道支援のボランティアたちが支援物資を仕分けているところです。2階から彼らに指示を出していた時にこの風景を撮影しました。この写真を共有する最大の目的は、若者にボランティア活動を推進することです。より良い社会の構築のためには、人々の協力が欠かせないからです。

 

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REUNION” (再会) 山川 侑哉 / 日本

現代の奴隷制度ともよばれる人身取引、世界には2,000万人以上の被害者がいると言われています。持続可能な開発の先に、被害に遭われた方々が無事大切な人と再会でき、そして新たな被害者が生まれることがない世界であることを心から願います。この写真を通して、一人でも多くの方がこの問題について考えるきっかけとなれば幸いです。

 

特別賞(Dior ウーマン・エンパワメント賞)

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“FEMALE EDUCATION” (女子教育) 小森 康智 / 日本

今なお女性を差別する風潮が残るインドで、幼い少女が強くたくましく勉学に励む姿を、嘘偽りなく写しました。

 

入賞(10点)

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“WHITE TRANQUIL” (白い静寂) ユ・ハイトン / 中国

白い風力タービンと雪に覆われた地面は、一分の隙もない完璧な共同体のように見え、この美しい景色を撮らずにはいられませんでした。風力タービンは自然景観美を壊すことのない、人類の手による数少ない建物だと思います。環境へのダメージを最小限に抑えて、クリーン・エネルギーを得る人間の気品を反映しているように感じます。エネルギーを専門にする学生として、また生粋の写真好きとして、人々のエネルギー効率と環境保護への関心を高めたいと思い応募しました。

 

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“THE STRENGTH OF THE COMMUNITY” (地域社会の強さ) ジェシカ・アルメイダ / ブラジル

この写真を通して伝えたかったことは、地域社会を支援することがいかに大事か、ということです。活力のある地域では、人々がお互いに協力し合って、持続可能な社会をつくることができます。この2人の女性のように、他人の思いを感じ取り、痛みや喜びを共有できるようになれば、私たちは変化を起こすことができると信じています。SDGsは遠くで起こっている問題だと思わず、身近な問題から皆で考えていただけたらな、と思います。

 

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“CRYSTAL” (クリスタル) 外山 慎一郎 / 日本

水は日本にいれば手軽に手に入るものですが、多くの国で水道水は飲むことができず、摂取するための水は買う場合がほとんどです。私たちが生きるために作物や家畜を育て、自身の渇きを潤すための真水は非常に限られたものであります。水が持つその希少さと、その澄み切った一瞬の美しさを感じ取っていただきたいです。

 

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“ON HIS WAY HOME AFTER FETCHING WATER” (水汲みの帰り道) 西谷 廉 / 日本 

2015年11月にザンビア滞在中に撮影した写真です。孤児院が併設された小中学校に住み込みで活動していました。写真に写っている孤児である少年とも共同生活を行いました。上下水道の発達していないザンビアでは、生きていくために欠かすことのできない水を井戸から汲み運ぶという行為は、毎日の日課であり、日常的な風景です。
ここで生きるということを象徴した一瞬だと感じ、シャッターを切りました。

 

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“DONATION FOOD” (寄付された給食) パン・ユニエン / 中国

ミャンマーの首都ネーピードー周辺にあるシュウェジン村には、まだ電気もありません。しかし、村人は教育を重要視し、数年前から自分たちで小学校をつくりました。2011年以来、ミャンマーの政治は大きく変化し、教育に使う予算も全予算の0.5%から3%に増えました。この学校の教員数も6人に増えましたが、それでも1年の予算は40万チャット(約4万円)しかありません。1年間365日の食事のなかで、給食の寄付はとても小さい貢献ですが、希望と未来の象徴を意味しています。

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“LITTLE SEED OF LIFE” (小さな命) 今井 香琳 / 日本

私の作品は日本で見つけた、ちょっとした風景の切り取りに過ぎません。しかし、ふと目に入ってきたこの雑草に、小さい存在ながら何かとても力強いものを感じました。雑草でもこんなに輝いて見えるんだということを表現したく、またこの小さな発見の大切さを伝えたく、写真に収めました。SDGsに関しても、人の手次第でその行き先は自在に変えることができます。小さな発見や働きかけが、未来の地球を少しずついいものにしていくことができるのではないでしょうか。

 

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“CREE'S HOPE” (クリー族の祈り) 佐藤 誉翼 / 日本

授業で学んだ事がきっかけで、カナダの先住民の方々に会いに行きました。そこで聞いた彼らの過酷な経験は衝撃的でした。例えば、白人の教育機関への入学を強要されたり、白人には免疫があるが先住民にはないために、彼らだけに病気が流行ってしまったり、などです。そんな中、彼らの立てたティーピー(テント)のなかでお祈りをしました。それも踏まえて、タイトルには「クリー族の願い」ではなく「クリー族の祈り」を起用しました。

 

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“DEAR HUMAN” (ディア・ヒューマン) 中牟田 知樹 / 日本

自然や生命本来の輝きに魅せられ、地球の美しさを切り取ったつもりが、ゴミの放置という人間の愚かな行為までもが映り込んでしまいました。SDGs、持続可能な開発目標は人類という枠組みで達成すべき、非常に重要な課題です。しかし、私たち人間が地球の独裁者になってしまわないように、自身で気をつける必要があります。この写真が、SDGsは人類だけでなく、地球のための目標でもあるということを再確認できるきっかけとなれば幸いです。 

 

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“INDIGENOUS CHILDREN IN BANGLADESH” (バングラデッシュに住む先住民の子どもたち) 上澤 伸子 / 日本

バングラデシュの北部国境地帯で災害調査をしていた時に撮った写真です。少数民族ガロの村人へのインタビュー調査で、災害常襲地域の苦労話を聞き、どんよりと重い気分になりました。その直後、あぜ道を歩く下校途中の子どもたちと出会って励まされました。ガロの人たちは貧しいけれども、子どもたちにできる限りの教育を施したいと考えています。

 

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“INDIGENOUS CHILDREN IN BANGLADESH” (バングラデッシュ ダッカの街角の活況) 山崎 崇央 / 日本

研究の一環でバングラデシュ ダッカを訪れました。絶対的貧困者数の削減を達成するなど、開発援助が成果を挙げつつあるバングラデシュの街角は活気にあふれています。経済成長に伴う歪みもあるものの、着実に明るい方向に向かっている、と肌で感じました。 また、郊外でも道路整備などインフラ整備が国連や各国援助機関の支援のもとで進んでおり、協調的な援助と、それによる成果が感じられました。

 

 

 

 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (6)

【連載中】<日本人元職員が語る国連の舞台裏>

佐藤純子(さとうじゅんこ)さん
 

国連図書館で垣間見た国際政治と時代の変化-


第6回は、国連のダグ・ハマーショルド・ライブラリーに長年勤務された佐藤純子さんです。国連資料のIndexづくりを専門とし、国連文書に造形が深い佐藤さんですが、公式な仕事とは別に、過去には、ニューヨーク国連日本人職員会の会長や、日本人国連職員有志の同人雑誌「国連人」編集長を務めたり、現在は、AFICS-Japan(国連システム元国際公務員日本協会)の執行委員を務めたりするなど、日本人国連職員の方々に幅広いつながりをもつ方です。おしゃれでエレガントな佐藤さんはいつお会いしても、やさしい笑顔で、ざっくばらんにいろいろなお話しをしてくれます。インタビューさせていただいた日も気づけば、あっという間に時間がたっていました。(聞き手:千葉潔) 

 

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  (1979年、米国のロングアイランド大学・パーマー図書館大学院で図書館情報学修士号を取得。1980年に国連のダグ・ハマーショルド・ライブラリー勤務開始。その後、同ライブラリーにおいて、「国連文書索引」 編集者や索引作成班の班長などを経て、索引作成課で集書や収集を担当する課長を務める。現在、早稲田大学大学院のアジア太平洋研究科で教べんをとる。)

国連では、どのようなお仕事をされていたのですか。

国連図書館であるダグ・ハマーショルド・ライブラリー(以下、ハマーショルド・ライブラリー)で、国連文書の主題分析をする「Index」をつくる仕事をしていました。簡単に言えば、国連で発行される刊行物や文書を「アフリカ」、「経済開発」、「社会開発」、「人権」といったSubject(主題)ごとに分類し、それら資料のデータベースを構築する仕事です。今、国連文書を入手する人たちはUNBIS-netやODSといった検索ツールを利用されていると思いますが、それらはみな、私たちがつくる文書情報のデータベースをもとにしています。

ハマーショルド・ライブラリーにおいて、私が最後に担ったのは、このIndexの仕事と、書籍の購入/受け入れ、デジタル化というという3つの仕事を遂行する部署の統括責任者という職責でした。予算としては、ライブラリーで人件費以外のすべてをカバーする幅広い仕事で、制限された予算のなかで、最大限の効果を生む活動をするため、お金のやりくりにはとても苦労しましたが、それも今では懐かしい思い出です。

 

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―佐藤さんが働かれていたライブラリーについて教えてください。そもそもなぜ、ライブラリーに第2代事務総長の名前を冠しているのですか。

現在、ハマーショルド・ライブラリーは、国連広報局のアウトリーチのもとに置かれ、さきほどお話ししたIndexづくりばかりでなく、歴史的文書のデジタル化をしたり、リサーチや情報提供サービスや国連寄託図書館制度の維持管理をしたり、幅広い活動をしています。

創設当初から、国連図書館はありました。各国政府の代表団の利用に供するために、当初は、事務局の中の会議局の一部として設置されたのです。でも、図書館と呼ぶにはそのスペースは十分なものではありませんでした。その後、1953年に第2代事務総長としてダグ・ハマーショルドが就任しますが、彼は非常に文化的な人で、図書館というものを大切に考える人だったのですね。国連のライブラリーはもっとしっかりしたものにしなければならないと強く思ったようです。彼がいろいろと尽力した甲斐あって、1959年にはフォード財団から620万ドルの寄付を得て、国連の新しいライブラリーがつくられることになり、1961年11月16日、正式に開館したのです。残念ながら、ハマーショルドその人は完工を見ることなく、その約2か月前の9月18日にコンゴでの和平ミッション遂行中、搭乗機の墜落事故で死去するのですが、国連の加盟国は、死去の直前まで、図書館建設の準備の陣頭指揮をとっていたハマーショルドの労をねぎらい、その年の10月16日、国連総会で決議を採択し、この新しい図書館を「ダグ・ハマーショルド・ライブラリー」と名づけることを決めたのです。

ダグ・ハマーショルドは多くの人々の尊敬を集めた事務総長でした。私自身、普段しょっちゅう口に出して言うということはありませんが、彼の名前を冠したライブラリーで働くことにはひとつの誇りを感じていました。ハマーショルド・ライブラリーでともに働いた同僚たちもみな、同じ思いを持っていました。

今、ライブラリーがつくったレファレンスのウェブページには、「Ask Dag(質問はダグに)」というネーミングがされています。ハマーショルドは、こういうふうに自分がファーストネームで呼ばれることになるとは思っていなかったでしょう。でも、きっと喜んでいるのじゃないかなと思いますね。

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―早速ですが、ライブラリーの舞台裏のエピソードをお聞かせいただけますでしょうか。

図書館とはいっても、その業務においては、国連らしく、国際政治を感じることがたくさんあったということでしょうか。安保理の文書として、加盟各国から2国間の紛争に関する書簡などが頻繁にだされるわけですが、私たち職員がデータベースにそれらの書簡の書誌情報を入力する際には、政治的な表現に十分気をつけなければなりません。たとえば、イスラエルの書簡において、PLO(当時)のテロ活動(terrorist activities)がけしからんといったようなことが書かかれていたとしても、そうした政治的な緊張を生むような言葉は決して、主題や注釈などに抜き出して目立たせたりしてはならないのです。過去にそうした配慮を怠り、その職を失った職員がいるという話を聴いたとき、国連というところでは、そうした政治的な誤りは致命的なことなのだとつくづく思ったことを覚えています。
 

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―インターネットの登場、情報技術の発展は、ハマーショルド・ライブラリーの業務にどんな影響を与えましたか。また、現場で、そうした影響をどのように感じられましたか。

国連文書情報のコンピュータ化、電子化の試みは、ハマーショルド・ライブラリーの主導で、1960年代半ばから始まっていました。“United Nations Documents Information System (UNDIS)”というものが、コンピュータ化における、国連文書インデックスの最初のシステムでした。その後、その欠点を補い、国連文書以外の蔵書目録を電子化するため、新しい書誌情報システムとして、“United Nations Bibliographic Information System(UNBIS I)”というものが開発されました。当時、このシステムはまだ、国連事務局のIBMメインフレーム・コンピュータ内に存在していました。私はリバイザーという立場で、編集・校閲を担当していましたが、Indexの仕事は手作業で、職員たちがまずはトピックや主題を入力用紙に書いていたことを覚えています。その情報をキーパンチャーがコンピュータに入力していました。今とは隔世の感がありますよね。

情報技術の発展とともに、私たちがインデックスを行った国連の刊行物の書誌情報は紙媒体で印刷されたものから、UNBIS on CD Rom、そしてUNBIS-netへと移っていき、また国連公式文書システム(ODS)という公式文書を入手するためのツールもインターネット上で1992年に立ち上げられ、いろいろな変遷を経て、当初は有料だったものが、その後、無料開放されました。ハマーショルド・ライブラリーで働く私は、そうした動きを時代の変化として肌で感じていました。従来は限られた人たちに利用されるだけだった私たちの仕事の成果が今や、世界の人たちにとって容易にアクセス可能なものになり、お役立ていただけるようになったのは、まさにインターネットの発展の結果です

ちなみに、ODSはさらにその後、何回かの改訂を経て、つい最近リニューアルされたものは相当使い勝手が良いものになっていると思います。これから、さらに情報技術は発展し、それとともに図書館業務は大きな変容を迫られることになるのでしょうが、図書館としては、その変容をポジティブにとらえて、対応していくことが必要だと思います。

国連で働くようになったきっかけはなんですか。

私は大学では史学科に在籍し、歴史を勉強していました。就職ということになるとみんな、社会科の先生になろうとするのですが、募集人数は限られていて狭き門ですから、そんなに簡単なことではないのですね。結局、私は企業に就職して、それから2年後に結婚して専業主婦になりました。しばらくすると、やっぱり働きたいんですよね。でも、専門性を身に着けなければいけないので、進学先をいろいろと考えたのですが、今度は、自分が好きなことで、かつ就職先が比較的見つかるところを考えました。自分にとってはそれが図書館でした。それで、大学院では、プロフェッショナル・ライブラリーを勉強する図書館学を専攻しました。

国連に働き始めるようになったのは偶然です。大学院を卒業後、就職先をさがしていたところ、たまたま、私の夫が、知り合いを通じて、国連図書館で、職員を探しているということを聞いて、私に教えてくれたのです。私は米国で働くための就労ビザを持っていなかったので、米国で就職先を見つけることはあきらめていたのですが、国連では、G4ビザというものが発行されるから大丈夫だということを知り、意気揚々と試験に臨みました。応募者は他にも多くいたようなのですが、当時、国連で働いている日本人は少なく、ハマーショルド・ライブラリーでは160人中、日本人はわずかに1人。ということで、国連としては、できれば日本人を採用したいと、候補者のなかで私が断然優位な立場に置かれたようでした。そして、とんとん拍子に話が進み、国連で無事雇われることになったのです。当時、まだ競争試験の制度もなかった頃の話です。

-今、振り返って、国連で働いてよかったと思うことはなんですか。

そうですねえ。もちろん大変なこともいろいろとあることはあったのですが、今思えば、すべてが楽しかったです。ほんとうに国連で働けてよかったと思います。とくに、いろいろな国の人と一緒に働けたことがとても楽しかったです。国連が発行する文書として、”Composition of the Secretariat”というタイトルがついた文書があるのですが、この文書をみると、国連加盟国の193か国のうち、どの国からそれぞれ何人ぐらい、どのレベルで、国連職員として働いている人がいるのか、正確な数字を知ることができます。

国連職員の国籍は必ずしも193のすべてにまたがるわけではありませんが、最新の文書(A/71/360)によれば、今年6月時点で、国連事務局には187か国の人たちが働いているということです。つまり、国連では、世界のほとんどの国の人が働いていて、さまざまな文化を背景にもつ人たちとともに、国連の目的を共有し働くことができるのです。もちろん、なによりも、多様な価値を大切し、尊重することが求められますが、そうしたさまざまな国籍の人たちのなかに身を置いて働けるということは、国連で働くことの最大の醍醐味のひとつでしょう。

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国連での勤務を振り返って、あのときこうすればよかったと思うことはありますか

いろいろなプロジェクトの実施場面で、ああすればよかった、こうすればよかったと思うことはもちろんたくさんあります。国連で働くという視点で、私が今もっとも思うのは、もっと別なことにもいろいろとチャレンジすればよかったし、それはきっと楽しかっただろうなということです。私はニューヨークの国連事務局でIndexという仕事を専門としてきたのですが、キャリア後半で、ニューヨークを飛び出し、アジア地域などで、研修セミナーを企画、開催する機会がありました。普段はあまりそうしたことはしないのですが、セミナーの統括責任者として、そのための資金集めをしたり、会議の開催国と国連の間で交わす「ホスト国協定(host country agreement)」と呼ばれる文書などをつくったりするところまでやらざるを得ないことになり、慣れないことで苦労はあったのですが、それはそれで新鮮で楽しかったのですね。もっとそういうことにチャレンジすればよかったとほんとうに思います。

実際に、今、国連ではmobilityということが重視され、国連職員が地位的、職域的に幅をもつことが奨励されています。自分を高めることにもなることですし、これから国連職員になろうとされる方は、積極的に、幅広く、いろいろなことに挑戦することをお勧めします。

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国連で働くことに興味がある若い人たちに何かアドバイスはありますか。

国連にはいろいろな入り方があるので、一様には言えませんが、もしも国連で働くことに強い関心があるとしたら、早い段階で、ある程度明確に意識したほうが得策だと思います。

日本人はラッキーなことに、YPPやJPOの制度を利用することができますが、日本人であれば、これらの制度は積極的に利用すべきだと思います。そして、それらには、年齢制限があることをよく考えるべきだと思います。

年に一回の国連事務局若手職員を採用するための試験、YPPプログラムの受験資格は32歳以下ですし、同様に、国際機関で正規職員として勤務することを志望する若手邦人を対象に外務省が実施しているジュニア・プロフェッショナル・オフィサー制度(JPO)は35歳以下です。年齢制限に達するまで、何回でも受験可能ですが、国連職員になるには、大学院で修士号を取得し、職業経験を有していることが望まれることを考えると、そうした条件をクリアして受験しようとすれば、やはり手遅れにならないように計画的に進めていったほうが賢明だと思うのです。

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-日本では、国連には興味があっても国連で働くというところまでは考えたことはないという方々も多くおられますが、そうした人たちに何かメッセージはありますか。

国連はいろいろなことをやっているということ、したがって、いろいろな働き口があるということです。日頃、みなさんの関心が高いPKO、開発援助の職種ばかりではなく、法律関係もあるし、会計もある。また、地図の作成部署もあります。世界各地で国際紛争が起こって、境界線を変更する必要がでると、その都度、地図を修正しますから、そこに働く人が必要になるのです。この部署は、かつてはライブラリーの一部を構成しましたが、その仕事の性質上、今は平和維持活動を担当する部局の一部だと思います。それから、国連事務局ビルも他の建物と同様に、頻繁に修理・修繕などが必要になることから、そうした建築関係の仕事もあります。職員の健康管理をするメディカル・オフィサーといわれる人たちも必要ですし、フォトグラファー、通訳、翻訳も必要です。ただし、通訳・翻訳家は母国語が公用語でなければならないので、残念ながら、日本人は通訳・翻訳家だけはなれないのですけれどね。そして、私のように、ライブラリーで働く職員も必要です。だから、たとえば、国内で、公共図書館大学図書館で働きたいと考えている人がいるとしたら、その延長線上で、国連図書館で働くという選択肢も視野に入れて、国連で働くということを身近に考えてもらったらよいのではないかと思います。

グローバル化した世の中で、国連で働くことは、決して特別なことではありません。世界で起こることに少しでも興味があるなら、選択肢を少し広げるだけで、国連がすぐそこに見えてくるはずです。

* *** *

 

日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(9)

日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(9)

大谷美紀子弁護士

 

~日本人初の「子どもの権利委員会」委員就任は、信念と実行力のたまもの~

ー11月20日は、世界の子どもの日ですー

 

国連を自分事に」シリーズ第9回は、2017年3月に日本人としては初めて「子どもの権利委員会」委員に就任する、弁護士の大谷美紀子さんです。高校生の頃から国際社会のために仕事がしたいと考え、国連を意識するようになった大谷さんは、ニューヨーク留学中の国連でのインターン国連の第三委員会への日本政府代表代理、そして日本弁護士連合会などでのNGO活動という三つの異なる立場から、国連の取り組む人権の課題に関わってきました。18歳未満の子どもの人権を保障する「子どもの権利条約」の196締約国・地域の条約履行状況を審査する委員会の委員に就任するにあたっての意気込みなどについてお話をうかがいました。

 

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大谷美紀子 (オオタニ ミキコ)

 

上智大学法学部(国際関係法学科)学士、コロンビア大学国際公共政策大学院(人権人道問題)修士、東京大学法学政治学研究科専修コース(国際法)修士。米国留学中に国連人権高等弁務官事務所インターンをし、帰国後は国際家事事件専門の弁護士としての業務に加えて、国際人権問題、特に女性・子ども・外国人の人権、人権教育の分野で活動。現在はLAWASIA(The Law Association for Asia and the Pacific)家族法及び家族の権利セクション日本代表や、アジア国際法学会日本協会、国際人権法学会、家族<社会と法>学会の理事等を務める。2016年6月、国連子どもの権利委員会委員の選挙で当選、2017年3月委員に就任の予定。

 

 

根本:6月の委員選挙では最多得票でご当選されました。おめでとうございます!条約機関の選挙も、ハラハラドキドキするものですか?

 

大谷:最後までハラハラドキドキの連続でした。そもそも、何の選挙にせよ、選挙に出るということ自体が人生初めてのことでしたし、候補者も多く、厳しい選挙でした。

 

根本:新聞のインタビュー記事を拝見して知ったのですが、子どもの頃、国連職員になりたいと考えていたんですって?

 

大谷:小さい頃から持っていた、人のために仕事がしたい、社会の役に立ちたいという問題意識が広がった結果、ストレートに国連、と思いました。おそらく小さい時からたくさん本を読む中で、戦争とは、人間とは、ということについて一生懸命考えていたことも影響しているのでしょう。大学で国際政治を勉強するうちに、司法試験を受けて弁護士になるという道に居たり、弁護士をするうちに人権問題に関心を持ち、徐々に自分なりのアプローチと関心分野を絞っていって今に至っている、という感じでしょうか。

 

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国連での「平和の文化に関するハイレベル・フォーラム」(大谷さん提供)

 

根本:大谷さんも私もニューヨークのコロンビア大学の国際関係論の大学院に留学しましたね。時期は私の方が少し早かったんですが。大谷さん、子連れの留学だったんですか?

 

大谷:子どもも夫も一緒にいきました。夫も付いていく以上は自分も勉強したいということで、必死で勉強してニューヨーク大学ロースクールに入りました。

 

根本:社会人経験を積んだ上での留学でしたから、勉強できる時間のありがたさと問題意識の強さに関しては、すごく貪欲だったのではないでしょうか?

 

大谷:私が最も勉強したかったのが人権教育と国連の人権活動で、多角的な視点から人権を勉強したいと強く思っていました。コロンビアのTeacher’s College(教育学大学院)には人権教育の講義があってその授業を受けましたね。弁護士でありながら、人権問題は法的なアプローチだけでなく、外交、経済、そして教育など多面的にアプローチすることが必要だと感じていたのです。そして国際人権法は国連を中心に発展してきたものですから、国連インターンをすることは入学前から心に決め、国連人権高等弁務官事務所のニューヨーク・オフィスでインターンとして活動するチャンスに恵まれました。

 

インターンという立場ではありましたが、中から国連を見ることができたのは、非常に大きかったですね。各国代表がどのように交渉するのか、専門家がどのような働きをしているのか、それを事務局サイドがどのようにサポートするのかをつぶさに見ることができました。国連が無力だと批判する人もいますが、世界の色々な問題を解決するグローバルなフォーラムとして国連は重要だという私の思いは今日までずっと変わりません。特に人権の分野に関しては国連が中心、国連で人権の規範や実施のための制度を作ってきたし、あらゆる関係機関・関係者が集まって人権問題を議論し発展させていく場は国連だ、という意識はインターンを通じてより高まりましたね。留学しなければ、今の自分はないと感じています。

 

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国際的な子どもの養育費回収に関する会議(大谷さん提供) 

 

根本:留学を終えて帰国して、家族法を専門分野にしようとお考えになったきっかけは?

 

大谷:・留学前に弁護士を7年やっていましたが、当時日本の弁護士は専門化が進んでいませんでした。どんな案件でも、一晩で勉強して対処できるのが良い弁護士というイメージだったんです。でも、経験とともに、向き不向き、好き嫌いがだんだんわかってきますよね。私は圧倒的に家族法が好きだったんです。留学中に各国の弁護士資格を持っている人やアメリカの弁護士との交流がありましたが、彼らは専門分野を持っているんですね。専門性を持つことは素晴らしいことだと、彼らを見ていて思いました。専門性を絞ることで特化して常にスキルを磨いて情報をアップデートできますし、一番関心が強くてやりがいがある分野で仕事をする方がクライアントにとってもポジティブなことではないかと考えたんです。 私の留学は弁護士業務のための留学ではありませんでしたが、現地で見聞きしたことや得た感覚は帰国してからも実行しよう、と。

 

家族法が好き」という気持ちと並んで、2年間の留学生活を通して「ある国で暮らす外国人の立場」を経験したことで、日本で暮らす外国人の家族問題の案件に専門家として貢献したい、とも思いました。日本で暮らす外国人が家族問題を相談できる弁護士が少ないことは元々知っていたので、そのニーズに自分が応えたい、と。外国人であることの心細さ、問題を抱えたときに専門家に相談することの難しさを感じたからこそ、持つに至った思いです。今では、扱っている案件のおそらく約8割が外国人や外国に住む日本人などの国際的なケースです。関連するNGO・市民社会での活動にも、積極的に関わってきました。

    

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国連総会第三委員会(大谷さん提供)

 

根本:大谷さんは、2005年から2006年にかけて日本政府代表代理として国連総会のもとで人権を話し合う第三委員会の議論に参加されました。これも貴重な経験ですね。

 

大谷:60年前に日本が国連に加盟した際、市川房枝さんなど女性運動のリーダーが、外務大臣に対し国連総会の政府代表団に民間人女性を含めてほしいと要請し、これが受け入れられたという経緯があります。そこで例年、国際的な女性団体で経済社会理事会の協議資格を有するNGOの日本支部10団体及び個人会員から構成される国連NGO国内女性委員会からの推薦に基づき、政府から任命された民間人女性が日本政府の代表団の一員として国連総会第三委員会に出席しているのです。私は、同10団体の一つである日本女性法律家協会、及び国連NGO国内婦人委員会の推薦を受け、政府代表代理の任命を受けました。政府内の意思決定がどのようになされるのか、また、政府が国連NGO・専門家をどのように見ているのかを中から見る機会を持てたことは、非常に勉強になりました。

 

こうして国連NGO、政府の立場から人権問題に関わってきた経験を通じて、多角的な視点とバランス感覚が養われたと感じています。

 

子どもの権利委員会の委員の仕事では、中立・独立の立場で各国政府やNGOと関わることが求められますので、いままでの経験が役に立つと思いますし、役に立つように活かしていこうと思っています。NGOの立場からすれば、条約機関の委員が、自分たちの訴えたいことを汲んで政府に厳しい勧告をしてくれると嬉しいでしょうが、一方で政府の立場からすると、委員は真にその国の状況を理解して勧告をしているのだろうかと懐疑的に見えることもあるでしょう。その中で、専門家として、各国での子どもの権利条約の実施が進むような勧告を出していきたいと考えています。

 

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国連民主主義基金によるイラク弁護士のための国際人権法トレーニング(大谷さん提供)

 

根本:さて、子どもの権利について、世界そして日本で、何が喫緊の課題だとお感じになりますか?

 

大谷:世界では子どもが武力紛争のなかで兵士として使われるという児童兵士の問題があります。また、移民問題が国際社会の緊急の政治課題になっている中で、移民として国境を越える子どもの問題は、大変深刻です。また、5歳未満の乳幼児の死亡は、防げるはずの死亡です。日本について言うと、子どもの権利、という概念が本質的には受け入れられていないことがあちこちに垣間見えます。子どもの権利条約の下で世界レベルで語られる諸課題を日本の子どもの人権問題として受け止めていないことが根底にあると思います。児童ポルノについて日本は寛容だと世界から認識されていますし、いじめといじめ苦による自殺は、子どもの生命、発達の権利の侵害ですね。日本のシングルマザーで、父親から養育費をもらっている率が20%にしか過ぎません。こうした諸課題は日本では社会問題としては問題視されても、子どもの人権という観点が弱いと感じています。

 

そういう意味では、今年から実施が始まった「持続可能な開発目標(SDGs)」の推進は、途上国の問題と受け取られがちな課題について日本の国内の課題につなげながらキャンペーンしていく良い機会だと思っています。「子どもに対する暴力をなくす」というターゲットは、日本では家庭での虐待・体罰、学校でのいじめをなくすといった具体的な課題にも置き換えることができますよね。子どもの権利委員会の委員に就任することで、子どもの権利の問題について発言して社会の関心を喚起する機会をいただいた訳ですから、その立場を活かして積極的に問題提起していきたいと思います。

 

根本:是非SDGsキャンペーンではご一緒しましょう。力を貸してください!ちなみに、次の対日審査はいつですか?

 

大谷:今年の5月が政府側からの報告書の提出期限でした。委員会で議論されるのは2018年頃になるのではないでしょうか。その頃私は委員ですが、日本出身ということで日本の審査の議論には関われないことになっています。

 

根本:大谷さんは若い世代の方々にどんなメッセージを伝えたいとお考えですか?

 

大谷:みんな若いうちには夢を持っていても、大人になるにつれて諦めてしまうのが残念ですね。何がやりたいかはっきりしないことが多いのかもしれません。それでも良いと思います。ただ、それを形にしていくために、色々な勉強をしたり、様々な人と会って話を聞いて追求していってほしいですね。逆に、あいまいなままだと、途中で諦めやすくなるのではないかと感じます。

 

私自身、高校生の頃は、社会の役に立ちたい、そのためには国連職員になりたい、という漠然とした思いでしたが、大学で国際政治を勉強するうちに、司法試験を受けて弁護士になるという道に至り、弁護士をするうちに人権問題に関心を持ち、徐々にアプローチや特に関心分野を絞っていきました。どれが自分に合っているかを見つけるのに時間がかかりました(笑)! 日本では大学に入る頃にやりたいことが見つかっていないと、時間をかけて見つけることが許されないような印象を受けますが、留学時代の友人は30代でやりたいことを見つけて大学院に来ている人も沢山いました。紆余曲折してもいいので、「どうせダメだろう」などと見切りをつけずに、思いを持ち続けて欲しいですね!

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インタビュー後の記念撮影(左:大谷さん 右: 根本所長)©UNIC Tokyo

日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」 (8)

【連載中】<日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」>

第8回 高校生、模擬国連で「世界」と出会う

模擬国連、英語ではModel United Nations について耳にしたことはありますか? 

世界の諸課題を学ぶために国連での会議をシミュレーションするというもので、大学生のみならず最近では高校生にもじわじわと広がりを見せています。昨年の全日本高校模擬国連大会では申し込み総数が136校203チーム(1校につき2チームまで応募可能)と、9回の実績の中で応募が初めて200チームを超えました。今年の11月12、13日に開催される第10回全日本高校模擬国連大会には、前回に引き続き200チームを超える応募があり、更なる盛り上がりが期待されます。

詳細はこちら第10回全日本高校模擬国連大会

 

「国際移住と開発」をテーマにした2015年11月の全日本大会で優秀な成績を収めた麻布、関西創価神戸女学院渋谷教育学園渋谷桐蔭学園、灘の6校12名(学校ごとに生徒2人で1チーム)が、2016年5月日本代表団としてニューヨークでの「グローバル・クラスルーム高校模擬国連国際大会」に派遣され、世界27ヶ国から集まった総勢およそ1500人の高校生と交渉力を競いました。全日本大会では決議案・公式討議スピーチは英語で行われますが、非公式討議では内容を深めるために日本語を使うことができます。一方、国際大会ではすべての議論が英語で行われます。英語力における課題をどう乗り越えるかということにも生徒たちは向き合うことになります。

 

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真剣なまなざしで国際大会に臨む桐蔭学園中等教育学校の田邉雄斗さん(右から4人目) ©グローバル・クラスルーム日本委員会

 

模擬国連では自分の国と関係なく割り振られた国の外交官になりきり、その国の政策や議論のテーマについて事前にリサーチをすることからプロセスが始まります。相手を打ち負かす「ディベート」とは異なり、模擬国連は「交渉」です。加盟国大使として国際問題を討議し、決議案を作成し、賛成者・反対者と交渉して課題解決のための「国際協力」を実現することが求められます。そこでは単なる英語力を越えた、調整力やアピール力が試されます。日本代表団に割り当てられた国は「クウェート」。それぞれの会議の議題やクウェートについて入念な準備を経て、ニューヨーク到着後にはクウェート国連常駐代表らと面会して気持ちを高めて、クウェート国大使になりきって決議案などの交渉を行いました。

 

この中で、麻布高校から参加した高校2年の中本憲利さんと西條友貴さんのチームが、「2030年までの貧困撲滅の目標を達成するためには」という議題での世界銀行のシミュレーションを通じて、見事優秀賞を受賞するという快挙を成し遂げました。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160515062324j:plain 大会関係者と記念撮影に応じる中本憲利さん(左端)と西條友貴さん(右端) ©グローバル・クラスルーム日本委員会

 

ニューヨークからの帰国後、派遣された6校12名が行った報告会は、関心の強い高校生らで満員でした。優秀賞に輝いた麻布高校の中本さんと西條さんはお互いを「相方(あいかた)」と呼び合い、2人の発表はまるで掛け合い漫才のようでした。

 

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          報告会にて発表する西條さん(右)と中本さん(左)©UNIC Tokyo

 

中学1年で同じクラスだった時に、2011年の同じ国際大会で優秀賞を獲得した麻布高校の先輩の体験談を読み、国際問題に関心の強かった2人はいつか必ず自分たちもこれを目指そうと約束したのでした。その3年後にペアを結成して全日本大会に臨み、優れた成績をおさめてニューヨークに派遣されることになりました。

 

「担当する会議が決まって、僕たちは会議の『流れ』についてかなり綿密な予測を立てました。メインテーマの『貧困撲滅』では明白な対立軸が形成されるとは考えにくい。ならば、教育や社会的弱者、基金設立、データベース、農業などの分野について網羅的な議論がなされる中で、どちらかと言えば細かな政策について小規模な衝突が起こるのではないかと考えました。この見立てが的中したんです」

 

中本さんが2人の立てた作戦を語ります。かなり多くの国が似通った政策を持ち寄ってきたことで交渉そのものは比較的スムーズで、自分たちも孤立しかねない独自色の強い政策ではなく、理解と支持を得られやすいシンプルな政策の提案に的を絞ったと言います。中本さんはスピーチや着席討議、他のグループとの意見統合の交渉などの「外交」、西條さんは「内政」を担当しながら相互補完的に役割を埋めていくという方針で、結果から逆算して作戦を立て、他国の関心を引くように行動することを心掛けたというのですから、この頭脳的な戦略には舌を巻きます。

 

 「交渉で培われた度胸は、いつかどこかで僕を助けてくれるでしょう。大勢の前で自国の、そして自分たちのグループの政策を訴えかけた経験は、揺るぎない自信を僕に与えてくれました。それと、開会式と閉会式で本物の総会議場の場に立てたのは、それは何物にも代えられません」と中本さん。

 

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   国際大会での議論の様子(前列左端:中本さん、右隣:西條さん)©グローバル・クラスルーム日本委員会

 

内政という足元を固める役回りだった西條さんは、こう振り返ります。

 

「会議の開始と同時に始まった各国大使による猛烈な政策アピールに押しつぶされそうになったときの緊迫感。世界中から集まった高校生とハイレベルな議論をしたときの高揚感。成果文書案の提出期限の直前に政策が書かれた紙が紛失したときの絶望感。提出した案が否決された時の悲壮感。目をつぶると、こうした感情が情景とともに鮮明に蘇ってきます」

 

さらに西條さんは、「Indian EnglishやMexican Englishを初めて生で聞き、『こんな英語でもいいんだ、主張したいという気持ちが大切なんだ』と戸惑いながらも感動を覚えました」としながら、模擬国連は自分が「井の中の蛙」だと教えてくれた場所だと言います。

 

 「世界のハイレベルな高校生から学んだ最も重要なことは、『交渉において最も重要なことは誠実な態度を示すこと』ということです。交渉において、相手を言い負かすことはあまり重要ではないし、相手の政策を批判して自己の政策を主張し過ぎると、みんなから反感を買う。重要なのは、みんなで一つのものを作っていくこと。彼らが内政を管理するときも、相手の大使の話をしっかり聞いてみんなで政策を作り上げている様子を見て、そう思いました」

 

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       国際大会を振り返り、思いを語る中本さん(左)と西條さん(右)©UNIC Tokyo

 

中本さんと西條さんのチームが今回の派遣で得た大事なこととして、4つあります。

1.人の心のつかみ方

2.結論に向かって議論をファシリテートしていく能力

3.時間の制約の中でまとめる能力、即興力

そして

4.自分とは何か - 自分の得手・不得手、日本人特有の資質、自分が好きなこと、自分がもしかすると考えるのを避けてきたこと、認識していなかった新しい自分 - と向き合うこと、です。

このような根源的なこと、自分とは何かを突き詰める機会を持つことは、高校生でも大人でもなかなかないことでしょう。

 

他の高校の代表団メンバーからも今回の国際大会参加から得たこととして、「相手の立場を理解した上で話を聞くことの大切さ」、「様々な国の同年代と出会えた『縁』」、「自分を信じて諦めないこと」、「多様な人々と出会って生まれた化学反応」、「メタのレベルからものごとを俯瞰的に見ることのできる素養」という本質を突くコメントがあがり、多感な高校生時代に「世界」レベルに触れることの意味を実感しました。

     

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              26日に行われた報告会での発表の様子 ©UNIC Tokyo

 

全日本大会と国際大会への派遣事業は、模擬国連の経験のある大学生からなる「グローバルクラスルーム日本委員会」が運営を行い、公益財団法人ユネスコ・アジア文化センターが共同主催という形でサポートしています。2016年度に同委員会の理事長を務める慶応大学3年生の齋藤優香子さんは、自身も高校時代にニューヨークに日本代表団メンバーとして派遣されています。「高校生12名それぞれが、自分の弱み、世界の広さ、そして『世界の壁』を感じたことでしょう」と、経験者だからこその感慨をもって高校生たちを見つめていました。

 

価値観、考え方の異なる人と議論をすることの「大変さ」は、裏を返せば国際大会の「醍醐味」です。日本で培ってきたものが世界の場では思うように発揮できないと知った時の衝撃、そして日本で培ってきたものが世界でも通じると発見した時の手ごたえ。高校生の立場でできたこの体験を、彼らは瑞々しい感受性で吸収し、今後に活かしていくことでしょう。

 

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 国連総会の議場の雰囲気に直接触れられたことは大きな経験に ©グローバル・クラスルーム日本委員会

 

Model United NationsのModelには「まねる」という意味とあわせて、「モデルとなる理想」という意味もあります。立場の異なる相手とどのような形で合意を形成することができるのか、理想を学ぶ場でもあるのです。第10回全日本高校模擬国連大会は、2016年11月12日と13日の2日間の日程で東京・渋谷の国連大学で開催の予定で、優秀者は来年ニューヨークに派遣されることになります。より多くの高校生に、理想に触れてもらいたいと願っています!