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国連のさまざまな活動を紹介します。 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (8)

シリーズ第8回は、JICA南スーダン事務所の古川光明所長です。長期の紛争を経て2011年に独立した南スーダンは、2013年12月に再び政治的理由から紛争に陥ったため、JICA南スーダン事務所の日本人関係者は一時同国から退避せざるをえませんでした。しかしその間もJICAは日本や隣国ウガンダからの支援を試みたり、開発が比較的進んでいる周辺諸国の人材などを活用する「南南協力」を進めたりするなど、新たな形での開発支援を行いました。古川所長は、これらの活動を通じてアフリカ開発会議TICAD VI)で話し合われる平和構築のあり方にも貢献することを目指しています。(この寄稿は2016年7月の戦闘再発の前に執筆されたものです)

 

第8回 JICA南スーダン事務所 古川光明所長

~退避中も続けた支援で強まった両国の絆~

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               古川 光明 (ふるかわ みつあき)

                   JICA南スーダン事務所所長

大阪府出身。法政大学経済学部卒業後、清水建設を経て、JICA(当時 国際協力事業団)入団。1997年米国デューク大学院公共政策学部修士、2014年一橋大学より博士号(社会学)。国際捜索救助諮問グループアジア太平洋地域の初代議長、タンザニア事務所次長、英国事務所長、JICA研究所上席研究員などを経て、2014年より現職

 

2016年7月9日で、独立から5年を迎える、世界で最も新しい国、南スーダン。独立以降、世界はその復興の歩みに注目していました。しかし2013年12月に発生した政府与党内の派閥抗争が激化し、国内各地で暴力行為が深刻化しました。JICAは関係者を騒乱の直後に日本に一時退避させましたが、その間も現地に残る南スーダン人職員らと連絡を取り合いながら支援を継続しました。首都ジュバのある南部は2015年1月に治安の改善が確認され、JICA関係者はジュバへの渡航と駐在を再開しました。その後、和平プロセスの交渉は難航し、ようやく2015年8月に和平合意がなされ、2016年4月、暫定政権が樹立しました。

 

南スーダンは40年以上と長期化した南北スーダン紛争により、ガバナンスや経済社会開発を含む全ての面が大きな影響を受けています。社会経済指標は極めて低く、国家歳入の98%を石油に依存しているため、紛争と世界的な石油価格の下落で財政赤字が急増しています。また、6か国に隣接する内陸国で生活必需品の多くを輸入に依存しているにもかかわらず昨年末に急きょ為替の変動相場制に移行したため、物価の上昇も大きな課題となっています。長年続く紛争の主な要因は、大統領ポストなどの政治的な権力争いと、農村部での伝統的紛争とも呼ぶべき、牛など家畜の争いに起因するものです。南スーダンでは牛を婚資とするなど、伝統的に重要な資産として扱う一方、その略奪などを巡り部族間や村落間で殺し合いが頻発してきました。それが部族間の遺恨につながり、銃がまん延する中で政治的権力争いによる部族間抗争とも重なって紛争が助長されているのです。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713102744j:plain南スーダンでは伝統的に重要な資産である牛 UN Photo/Tim McKulka

 

退避後のJICA支援

JICAは、2013年12月の紛争発生後の退避期間中も、南スーダンへの支援を継続しました。JICA南スーダン事務所はウガンダ事務所に執務拠点を移し、南スーダンに残った現地スタッフや南スーダン政府関係者と連絡を取り合いながら、日本国内での研修員受け入れや周辺国に南スーダン関係者を招いたセミナーや研修を行いました。また、現地では南スーダン関係者が日本側の専門家からの遠隔指導アドバイスを受けながら活動を続けました。具体的には、南スーダンテレビ・ラジオの組織能力強化プロジェクトで、ウガンダケニアのテレビ局と連携し、研修を行うなど、通常業務では実現できなかった支援対象国外からの支援という、新たな形の南南協力を展開しました。

 

また、職業訓練支援フォローアップ事業として、南スーダン人インストラクターの技術向上に加え、ウガンダに定住している南スーダン難民に対する支援を目的とする事業を行いました。南スーダン人の裁縫、木工、左官の3人の職業訓練インストラクターを2週間、JICAが支援してきたウガンダのナカワ職業訓練校に送り、業務を通じた教育(OJT)でスキルアップを目指してもらいました。3人のインストラクターは、カンパラの北約200キロの所にあるキリヤンドンゴ難民居住区で主に南スーダン人難民を対象に木工、左官、ヘアードレッシング、裁縫など3か月間の職業訓練を実施しました。この訓練により、卒業生98人のほとんどがウガンダで職に就くことができ、大きな成果を上げました。講師としてウガンダに派遣された1人は、子どものころにこの難民キャンプ過ごした経験があり、手に職を付けることで、故郷南スーダンに帰ることができたのです。このように難民キャンプから自国に戻った人材が再びキャンプを訪れ今度は講師として支援する姿は、今もなお難民として生活している人たちに大きな勇気を与えました。 

 

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ウガンダのナカワ職業訓練校(JICA南スーダン事務所)

 

JICAは、これらの取り組みの事業成果をFacebookへの投稿、テレビドキュメンタリー作成、メディアへのプレスリリース発表、広報誌への寄稿などを通じて国内外に発信しました。その結果、南スーダン政府高官から「JICAは我々を見捨てなかった(JICA never abandoned us)」の発言を得るなど、JICAの南スーダンにおける活動の認知度を向上させることにつながりました。

 

現在の支援

JICAは現在、様々な支援を展開しています。例えば、南スーダンを横断するナイル川に初めての恒久橋を架けるナイル架橋建設、ジュバ港の拡張工事、ジュバ給水施設建設、職業訓練支援、農業開発支援、テレビ・ラジオ支援、生活廃棄物支援などです。今後も様々な支援を通じて、平和構築に向けた安定と国家建設支援を行っていきたいと考えています。そのためには、紛争などで疲弊している南スーダンの人々に目に見える成果を示すこと、人道援助から開発援助への切れ目のない展開を実施することが重要となります。その理念の下、今後も重要幹線で地域を結ぶ「回廊インフラ」の整備や拠点都市インフラの整備、主に石油資源依存型経済からの脱却を目指すための農業の振興、それを支える職業訓練や教育支援などを展開していく必要があります。 

 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713125459j:plain  建設中のナイル架橋(JICA南スーダン事務所

 

南スーダンでの事業を行っていく上で、南スーダンの特殊性も考慮する必要があります。一つ目は、政府と反政府、首都と地方、部族間などのバランスを考えた平和構築支援が必要であるということです。紛争で引き裂かれた国民間の信頼醸成と結束を向上させるため、スポーツを通じた平和構築も有効な手段だと思います。南スーダンは昨年8月、国際オリピック委員会にオリンピック正式メンバーとして承認され、スポーツを通じた国民の結束や信頼醸成を高めるには絶好の機会となっています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713103636j:plain開会式で入場行進する選手団 (JICA南スーダン事務所) 

 

具体的な取り組みとして、たとえば、今年、1月16日、南スーダン独立後初となる全国スポーツ大会を文化・青年・スポーツ省とともに開催しました。首都ジュバで開幕し、全国9都市から男女約350人の選手が参加。政府はこの日を「National Unity Day(結束の日)」と決め、大会テーマを「Peace and Unity(平和と結束)」としました。国立競技場で行われた開会式には副大統領をはじめ大臣6人も出席し、盛大に行われた。開会式でスピーチを行った政府高官の一人は「今、われわれは平和と結束を最も必要としている」と述べるとともに、選手が南スーダンの国旗を手に入場行進した際には、涙する閣僚もいたほど、本大会は南スーダンにとっての悲願だったのです。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713103727j:plain開会式は政府高官が多数出席して行われた(JICA南スーダン事務所)

 

また、伝統的な紛争の大きな要因となっている牛への考え方や管理のあり方の変容をもたらすための、取り組みも重要であると考え、現在、そのための調査を実施しています。

 

2点目は、適正技術移転の観点からもJICAが支援する南南協力に適した国であるということです。2011年に独立した新しい国ということもあり、南スーダン政府の行財政能力は極めて低く、ウガンダケニアエチオピアなど周辺諸国から行政能力強化のため行政官を受け入れています。JICAも、その視点を持ちながら事業を展開していきます。

 

3点目は、南スーダンは現在唯一日本が国連平和維持活動(PKO)施設部隊を派遣している国であるということです。2015年に改定された開発協力大綱にも明記されたように、PKO施設部隊との事業連携も強化し、オールジャパンとして南スーダンへの協力を進めていきたいと考えています。すでに、ジュバ港拡充支援の一環として自衛隊による防護柵の設置や、南スーダンテレビ(SSTV)・ラジオの組織能力強化プロジェクトに関連してSSTVの敷地で自衛隊施設部隊が側溝整備を行ったほか、職業訓練生の自衛隊による実地研修、大使館、JICA、自衛隊、ジュバ市によるクリーンアップキャンペーンの開催、道路の改修、ナイル架橋起工式での自衛隊による和太鼓と花笠踊りの披露など、多くの連携を行っており、今後もオールジャパンとして対南スーダン協力に取り組んでいきます。また、これらの活動を通じ8月にナイロビで開催されるTICAD VIでの平和構築のあり方にも寄与できるようにしていきたいと考えています。

 

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道路の補修を行う自衛隊施設部隊(JICA南スーダン事務所)

   

 

 

 

 

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (7)

シリーズ第7回は、赤十字国際委員会(ICRC)南スーダン医療事業マイウート病院プロジェクトマネージャーの吉田千有紀さんです。ICRCは、長年にわたる紛争で疲弊しインフラも未整備の南スーダン支援に力を入れており、吉田さんも電気や通信手段がまだない過酷な状況下、地域唯一の病院で働いています。長年、途上国での人道支援活動に携わっている吉田さんは、人間の尊厳が保たれ平和と安定が実現してこそアフリカ開発会議TICAD VI)が目指す持続可能な開発が可能になると、保健医療活動に力を入れています。

 

第7回 赤十字国際委員会(ICRC)南スーダン医療事業 吉田千有紀さん

~紛争後の地域医療をゼロから構築する~

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                                吉田 千有紀 (よしだ ちゆき)    ICRC/Layal Horanieh    

        赤十字国際委員会南スーダン医療事業病院プロジェクトマネージャー(日本赤十字社より10か月派遣)

日本赤十字社和歌山医療センターで1986年より看護師として勤務。2008年から看護師長。正看護師、助産師、公衆衛生修士号の資格を有する。人道支援や緊急救援要員として、主に中東やアフリカなどで海外ミッションを多数経験。2015年10月より現職。ICRC南スーダン医療事業に派遣され、北東部マイウートの病院のプロジェクトマネージャーとして保健事業や地元の病院支援に携わる

 

7月8日、独立5周年を翌日に控えた南スーダンの首都ジュバで、激しい戦闘が火ぶたを切りました。ジュバから北東に約500km離れたマイウートに私は常駐していますが、首都における戦闘激化に驚き、同時に同僚や知り合いなど現地の人々のことが心配になりました。でも、そこは紛争地の最前線で150年以上人道支援を行っている赤十字国際委員会(ICRC)。日頃の職員の安全対策と危機管理に加えて、迅速な情報収集と事態の把握によって混乱を乗り越えてきたので、マイウートにいる私たちもパニックに陥ることはなく、強い気持ちと使命をもって日常業務をこなしました。

 

南スーダン北東部、エチオピア国境から20kmしか離れていないマイウートは、サブサハラ草原の中心に位置しています。公共交通機関は全くなく、電気も通信手段もない場所にある小さな保健施設を、赤十字国際委員会(ICRC)は2014年12月から支援しています。アフリカでの平和の定着が持続可能な開発に貢献するとして、アフリカ諸国が自らのイニシアチブで紛争や災害に対応できるよう力を貸すのも、ICRCの大事な取り組みの一つです。その活動は幅広く、保健事業や医療支援に加え、食料や生活必需品の緊急支援、水と衛生環境の整備、生計の自立支援や、離散家族の再会支援、拘束された人の人道的処遇を確認するための収容所訪問など、アフリカ大陸に31か所の拠点を設け、戦闘の犠牲となっている人たちのニーズに応えるべく、日々奔走しています。

 

第4回アフリカ開発会議TICAD IV)後のICRCによるアフリカ支援の進捗状況についてはこちら  >>> http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/report/partners/P0000095.html

 

約90か国に活動拠点を置く世界で最も歴史の古い国際人道支援組織のICRCは、世界で一番新しい国南スーダンで人材・財政両面で大規模な活動を展開しています。同国がまだスーダンから分離独立する前の1980年に現在の首都ジュバに拠点を置き、以来35年以上、地元の人たちに寄り添ってきました。現在は480人近いスタッフが活動しています。

 

シリアやイラクの情勢が国際社会の関心を集める一方で、ICRCが2014年に最も資金を投入した国は、南スーダンでした。戦闘拡大で行き場をなくした住民は難民となり、女性は性暴力の犠牲に、子どもたちは兵士として駆り出されるなど多くの人道問題が起こっています。そうした状況を受け、日本政府もICRCの南スーダンでの活動に毎年多額の資金を拠出しています。

 

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6月半ば、日本の紀谷昌彦駐南スーダン大使(中央男性)がマイウート病院を視察。病棟や診療室に加え、使用している医薬品などもチェックした   ICRC/Layal Horanieh 

 

日本政府によるICRC南スーダン事業への貢献についてはこちら >>> http://jp.icrc.org/event/pr0502/

 

一般の寄付から成り立っている日本赤十字社と異なり、戦争や紛争の犠牲となった人々を支援、保護するICRCの活動は、戦時下のルールを設けた「ジュネーブ諸条約」に加入している各国政府からの拠出金で主に成り立っています。年間活動資金の8割以上を占めており、日本政府をはじめとする条約加盟国に紛争の現場で何が起こっているのか、人々はどのような支援を必要としているのかを伝えるのも、私たちの重要な仕事の一つです。8月にケニアで開かれるアフリカ開発会議TICAD VI)では主に開発に主眼が置かれ、アフリカ全体の発展について話し合われますが、平和と安定あってこその繁栄という観点から、ICRCも南スーダン支援に積極的に関与しています。 

 

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赤十字のマークを掲げている施設、個人や団体は、いかなる攻撃からも守られなければならないことが国際法で定められている  ICRC/Layal Horanieh 

 

ジュネーブ諸条約についてはこちら  >>>  http://www.youtube.com/watch?v=x2LivEocnK4

ICRC活動資金の拠出元と使途についてはこちら >>> http://jp.icrc.org/finance/

 

南スーダンの医療事情

チェコやヨルダンキューバ、オーストラリアなど、世界中から集まった外科医や看護師など10人以上からなる医療チームのリーダーとして、マイウートの病院と保健事業の支援を行って9か月になりました。当地では2013年12月に勃発した内戦のため戦傷外科のニーズが高まりました。武器による外傷に加えて、マラリアや栄養失調、呼吸器系感染症産婦人科関連など幅広い領域の様々な年齢層の患者さんも診ています。

 

南スーダンの人々にとり医療は身近な存在ではありません。また、医療の質も日本とはかけ離れており、医療器具や医薬品も十分ではありません。5歳以下の幼児は免疫をつけるためのワクチン接種をほとんどせず、妊婦が定期健診にやって来るのもまれです。私たちは若者や社会的に弱い立場にいる人たちに対して、もっと頻繁に病院を訪れる必要性を説いたり、地元のスタッフを教育したりしてICRCの支援が終了した後も自分たちで切り盛りできるところまでもっていくお手伝いをしています。

 

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 ICRCが支援するマイウート病院は、外科と内科を備えた、上ナイル地域唯一の医療施設  ICRC/Layal  Horanieh 

 

人々により頻繁な来院を促す上でまずは病院までの交通手段の確保が先決ですが、まだまだ課題が多いのが現状です。患者さんは3-5日ほどかけ歩いてやって来ます。南スーダンは一年を通して気温が高く強い日差しの中を歩き続けるため、やっと病院にたどり着いたころには疲れ果て、中には脱水状態の人もいたりします。

 

ある日、痙攣を起こした小さな子どもを抱えた母親が病院にやってきました。到着した時には子どもは既に息を引き取っていました。それでも母親は息を引き取った子を離そうとしません。私たちは無念な気持ちを振り払いながら十分な別れの時間を取れるよう手配し、赤十字ボランティアの助けを得て遺体の埋葬を準備しました。

 

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ICRCは南スーダンで7つの医療施設を支援しており、今年に入って全土で1600件の外科手術を実施している  ICRC/Layal Horanieh 

 

また、栄養失調や飢餓も見過ごせない問題です。私たちは、三度の食事を準備できるよう病院の体制を整えています。日本では朝食をとるということは当たり前かもしれませんが、ここでは朝、お粥を作るために大変な努力が必要です。前日から水と炭の準備、安全に保管する場所の確保、食材の調達が必要になります。それでも患者さんが美味しそうに食べ物を口にする様子をみると、頑張って用意した甲斐があったと感じます。銃であごを撃たれた13歳の少年は口からものが食べられず、骨と皮だけにやせていました。栄養摂取のためお粥などの流動食を与え、やがて彼は回復に向かいました。今では再び話せるようになっています。

 

マイウートでの生活

マイウートの住民は明るく気さくで、町にはヤギやヒツジが闊歩しています。家畜の飼育や売買は、南スーダンでは一大ビジネス。子供や女性も家畜の世話と小さな畑仕事に従事しています。長きにわたる紛争の結果、全ての公共サービス、医療、教育、労働の機会も閉ざされ、人々は不自由な生活を強いられる毎日を送っています

 

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医療事業だけでなく、ICRCの「水と住環境整備事業」チームが病院のニーズに対応して給水塔タンクを設置した   ICRC/Layal Horanieh 

 

治安に関しては、私がかつて赴任したアフガニスタンイラクと比べると状況は落ち着いており、私のように海外から来た支援者も好意的に受け入れてくれます。ようやく平和合意の方向で動き始め、いま人々は新たな国づくりに臨もうとしています。しかし、それはたやすいことではありません。ICRCの支援で労働の機会を与えられた多くの若者たちは、働くことの大切さを知り充実感を覚えながら懸命に生きています。

 

南スーダンは世界最貧国の一つであり、マイウートでの生活も質素です。木や泥、ワラで作られた家がほとんどで、私もトゥクルと呼ばれる伝統的な建物に住んでいます。コンクリート製の家に比べて涼しく、暑さもしのげます。娯楽も限られており、食材も豊富にあるわけではないので簡単な食事しかできません。しかし、同僚と囲む食卓はいつもいろいろな話題で盛り上がります。うだるような暑さやありとあらゆる物が不足していることで、労働環境への愚痴もしばしば。それでも、そういうことを言い合える仲間がいることは本当にありがたいと思っています。

                                                        

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トゥクルと呼ばれる藁ぶき屋根の伝統的な建物。この3棟は新築で、今後診察室か待合室として使われる予定   ICRC/Layal Horanieh 

 

紛争下での人道支援に携わって12年

 

そもそも私は日本赤十字社の看護師ですが、紛争地を活動の舞台とするICRCの医療事業にたびたび派遣されています。私たちが一般にいう「赤十字」というのは、実は3つの機関で構成されていて、正式名称を「国際赤十字・赤新月運動」と言います。日本赤十字社を含めた190の各国赤十字赤新月社、その190社を束ねる国際赤十字・赤新月社連盟、紛争地で活動するICRC、の3つの機関が共通の7原則を掲げて人種や宗教に関わりなく人道支援を行うこと。それが赤十字の使命です。私も海外で人道支援に従事するようになって既に12年の歳月が経ちました。今まで、支援のために訪れた国は、アフガニスタンスーダンパキスタンイラクシエラレオネリベリアなど13か国に上ります。

 

人のためになる、命と健康を支える看護師を目指したころ、まさか日本を離れ、これほど長く人道支援の現場に身を置くことになるとは全く考えてもいませんでした。たくさんの方々の支援もあり、こうして元気に活動を続けて来られたことに感謝しています。何かのために私たちは生かされている、と常々感じています。まだまだ私たちにできることはたくさんあり、支え合い生きることの意味を伝えることも、私の重要な役割だと自負しています。

 

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明日も頑張ろう!という気にさせてくれるのは患者とその家族の笑顔。こうした笑顔の連鎖が、アフリカを繁栄へと導くのだろう   ICRC/Layal Horanieh 

 

まだ南北スーダンが一つの国だったころに長期間の内戦を経験し、5年前に独立を果たした南スーダン。私の10か月の任務も残りわずかとなりましたが、医療を通してこの国の人々に寄り添いながら思うのは、平和に安心して暮らせる日々が早く来てほしいということだけです。

 

首都ジュバで大規模な戦闘が行われている中、私たちはプライマリ・ヘルスケアの施設をマイウートに立ち上げました。プライマリ・ヘルスケアの概念は、地域の資源やインフラを活用し、その国において社会的・技術的に実践できるレベルの保健医療サービスを提供することです。現地のニーズに基づき、そこに暮らす人たちのイニシアティブと主体的な参加によって運営、定着させるという戦略のもとに実践されています。ICRCのプライマリ・ヘルスケア事業はこちら(英語):  https://www.icrc.org/en/publication/0887-primary-health-services-primary-level

 

地元の人々に自決と自立を促し、自分たちが持っている資源や能力を有効活用することで、社会や経済の発展にも貢献することが可能となります。この概念は、まさにTICADの意図するところと合致します。

 

ただやはり、そうした発展も平和と安定あってこそ、と実感しています。国際社会の支援がより効果を発揮し、アフリカ全体が繁栄するためには、そこに暮らす人々が暴力に怯えることなく、人間らしく尊厳の保たれた生活を送れるようにすることが一番です。私は、赤十字を通してそのお手伝いを今後もしていきたいと思っています。 

 

赤十字国際委員会(ICRC)とは

「公平・中立・独立」を原則に、紛争地で活動する国際人道支援組織。本部はスイス・ジュネ―ブ。詳しくはこちらをご覧ください:  http://jp.icrc.org/faq/

                         

 

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (6)

 

シリーズ第6回は、国連地雷対策サービス部(UNMAS)の南スーダン事務所に6月まで勤務し、現在はUNMASシリアでプログラムオフィサーとして勤務する吉岡由美子さんです。南スーダンは、独立までの長い紛争とその後の国内紛争で、多くの地雷やクラスター爆弾などが使われました。現在も残っている地雷や不発弾は、人々の生活だけでなく国の開発や復興も妨げています。これらを除去する地道な作業が進んでこそ、TICAD VIで協議されるアフリカの包括的な開発が可能になります。吉岡さんに、南スーダンでの地雷除去の状況などを寄稿していただきました。(この寄稿は2016年7月の戦闘再発の前に執筆されたものです)

  

6回 国連地雷対策サービス部(UNMAS) 吉岡由美子さん      

~平和の礎を作る仕事で不可能を可能にしたい~

 

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                                                        吉岡 由美子 (よしおか ゆみこ)

                                     国連地雷対策サービス部(UNMAS) シリア   プログラム・オフィサー

山口県出身。大阪外国語大学(現大阪大学)、同大学院修了、在学中にダマスカス大学へ留学。大学院修了後、JICAヨルダン事務所でイラク復興支援担当企画調査員、外務省中東アフリカ局中東第一課で対パレスチナ支援担当官。その後、国連地雷対策サービスでアビエイ、リビア南スーダンを経て、2016年6月よりUNMASシリア プログラム・オフィサー

 

 

南スーダンの首都ジュバは、アフリカ初開催のTICADが開かれるケニアのナイロビから北西に約1100キロ、飛行機で約1時間半のところにあります。私はジュバにあるUNMAS(United Nations Mine Action Service, 国連地雷対策サービス部、以下UNMAS)の南スーダン事務所に2016年6月まで3年4か月勤務していました。

 

2011年7月に、世界で最も新しい国として独立した南スーダンは、南北スーダン時代からの数十年にわたる紛争のため、また、13年12月に発生し現在も断続的に続く武力衝突のため、今なお地雷や不発弾などの爆発性危険物が残っており、人々は爆発物の脅威を感じながら生活しています。日本で生まれ育った皆さんは、日々、爆発物の恐怖と隣り合わせの生活というのは想像し難いのではないでしょうか。UNMASは、爆発性危険物を見つけ出して処理し、開発や復興支援、またその前段階にあたる人道支援、人々が安全に安心して暮らすための基盤を整える役割を負っています。それは平和の礎を作る仕事であり、同時に困難なミッションでもあります。

 

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除去作業を行う作業員  ©UNMAS

 

 

南スーダンで地雷対策の仕事をしています。住居と事務所はコンテナを改造したもので、同僚の大半は元軍人で自国の軍でも爆発物の処理を行なっていた男性たちです」とお話しすると、「それはとても大変で厳しいお仕事なのでしょうね」と皆さん気遣ってくださいます。もしかしたら米国の映画『ハート・ロッカー』(2009年公開のイラクでの米軍の爆発物処理班の活動を描いた映画)に出てくるような派手な爆発物処理シーンを想像されているのかもしれません。現場でも一番の最前線で活動する作業員は、気温40度という過酷な環境の中で10キロの防護服を身につけ、気の遠くなるような地道な作業を続けながら爆発性危険物の除去活動に取り組んでいます。また、彼らは、爆発物から自分の身を守ることを目指す危険回避教育や、被害者支援、キャパシティ・ディベロップメント、啓発活動なども行なっています。

 

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 地雷注意マーク (筆者提供)

 

南スーダンは2013年12月以降、深刻な人道危機にありますが、地雷対策の地道な作業は、人々の生活に安全と安心をもたらし、人道支援を可能にします。それだけではなく、インフラ整備、農業、市場での買い物といった小さな経済活動から、国内外の物流といった大きな経済活動までをも支えることとなります。さらに、教育や医療といった分野の支援にも繋がります。ここでは、困難なミッションの成功例を紹介します。

 

【ミッション1:移動インフラ支援 ~人々の安全な移動を確保せよ~】

南スーダンでは基礎インフラの整備が遅れています。道路整備の遅れは、人の移動や物資輸送を困難にしています。国の総面積は日本の約1.7倍にあたる64万平方キロですが、雨季になると60%以上の国土に陸路ではアクセスできなくなってしまいます。国内で舗装されている国道は、首都のジュバからウガンダ国境へ抜ける192キロのみです。このため、食糧や医療などの人道支援関係者は空路で移動しています。彼らが安全に支援活動を行えるよう、UNMASはヘリが発着する飛行場の安全確認調査を頻繁に行っています。

 

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 UNMASが安全確認を行った空港から離陸するヘリ  ©UNMISS

 

数年前、WFP(World Food Programme)がフィーダー・ロード・プロジェクト(Feeder Roads Projects)を始めました。遠隔地へ飛行機から直接食糧を投下するのではなく、道路を建設し陸路で輸送することで、飛行機を飛ばすコストを削減し、少しでも多くの食糧を支援しようとする試みです。WFPからの要請を受け、UNMAS は道路建設予定地で調査や地雷など危険物の除去作業などを行いました。道路完成後、この道を使って助けを必要としている人々のもとに食糧を届けています。

 

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 WFPの食糧配給のためのコンボイ  ©アルバート・ゴンザレス・ファッラン

ミッション1、完了。

 

【ミッション2:教育インフラ支援 ~教育への安全なアクセスを回復せよ~】

南スーダンでは、就学人口の約半数の子どもが学校に通えない状態にあります。紛争で800あまりの学校が破壊され、場合によっては兵士たちに使用されることもあり、兵士が去った後には爆発性危険物や武器が残されていることもあります。UNMASはこういった場所の安全性を調査し、必要であれば除去し、子供が安全に学校に通えるようにしています。また、子供たちに危険回避教育を実施しています。

 

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 UNMASの調査と地雷除去後、ベンティウのフレンドリー小学校で行った危険回避教育   ©UNMAS

 

北部の町レールでは、学校建設や修復を支援するため、UNMASは40カ所近くを調査し除去作業などを行うと同時に、児童、教員や両親に危険回避教育も重ねてきました。

ミッション2、完了。

 

【ミッション3:農業・経済支援 ~人々に安全な経済活動の場を提供せよ~】

北部ユニティー地方のニョロ村では、地雷が残っていたために農業を行なうことができず、また、水源へのアクセスも阻まれていました。この村で、UNMASは64個の対人地雷と8個の対戦車地雷、さらに5個の不発弾を除去しました。人々は水源の利用を再開し、農業ができるようになりました。村の長老は「我々はようやく自由を手に入れたのです。以前はまるで牢獄にいるようでした。地雷の脅威のためにどこへも行くことができず、いつも、爆発物の脅威に怯えていました。今は、安心して水を汲みにいけるし、十分な食糧を育て収穫できるようになりました。それだけでなく、売りに出すための農作物も収穫できるようになったのです。これは我々にとって大きな変化です」と話してくれました。

 

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ニョロ村での聞き取り調査。住民との対話は重要な情報源  ©MAGショーン・サットン

 

UNMASは爆発性危険物の残された市場でも除去作業を行い、人々が安全に市場を使えるようにするなど、住民の日々の経済活動を支えています。

ミッション3、完了。

 

こういった活動を可能にしてくれているのは日本政府、また日本の皆さまの支援のおかげでもあります。日本はUNMASへの最大のドナーでもあり、特に南スーダンにおいては、12年以降、支援総額は1200万ドル以上に上ります。この支援なくして、我々の活動は成り立ちません。また、南スーダンは日本が唯一PKO活動に参画している国であり、UNMISSの陸上自衛隊派遣施設隊とUNMASとの緊密な協力関係も12年1月の派遣以降、続いています。

南スーダンには、いまだ爆発性危険物の残る危険地域が800カ所近くあります。この脅威を取り除き、人々に安全と安心を届けるために、今日もUNMASのミッションは続いています。そうしてこれらのミッションは、TICADで協議されるアフリカの包括的な開発、例えばインフラ、経済、農業といった活動を支える確固たる平和の礎となるのです。

  

【「日本、ありがとう!」 日本と南スーダン:国連平和維持活動の取り組み (日本の国連加盟60周年記念)】 >>>

www.youtube.com

 

【国連地雷対策サービス部局(UNMAS)南スーダン事務所 吉岡由美子職員に聞く】

 

 

 

UNMASホームページ >>>  http://www.unmas.org/

 

UNMAS Facebook >>>

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第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)に向けて

国連事務局アフリカ特別顧問室(OSAA)のプログラムオフィサー田川慶さんは、8月27・28日にナイロビで開かれるアフリカ開発会議TICAD VI)を共催する国連事務局の一員として準備に追われています。田川プログラムオフィサーは、アフリカ4か国で村落開発や平和維持などの活動に従事するなどアフリカ開発のエキスパート。アフリカと日本、そして国際機関が顔を合わせる会議が実りの大きいものになるよう取り組む、田川プログラムオフィサーからの寄稿をお届けします。

 

国連事務局アフリカ特別顧問室(OSAA)田川慶さん

アフリカの平和と開発に弾みをつける会合を目指して

 

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                                      田川 慶(たがわ けい)                  (筆者右)

東京都出身。大学で開発経済学を専攻後、日本の民間銀行で3年間勤務。青年海外協力隊村落開発普及員としてニジェールへ2年間赴任。アメリカのコロンビア国際関係・公共政策大学院で国際関係学修士号を取得。2004年よりブルンジコンゴ民主共和国コートジボワールで計9年間国連平和維持活動に従事、13年より現職

  

 

TICAD開催に向けて

今年の8月27・28日にケニアの首都ナイロビで第6回アフリカ開発会議(The Sixth Tokyo International Conference on African Development, TICAD VI)が開催されます。私は会議の共催者の一つである国連事務局アフリカ特別顧問室(OSAA)のプログラムオフィサーとして、現在TICAD VIの開催準備に携わっています。OSAAは、事務局に唯一ある地域専門(アフリカ)のオフィスです。マジェド・アブデルアズィーズ国連事務次長・アフリカ担当特別顧問の下、国連をはじめ様々な政府、国際機関、NGOなどにより開催される国際会議で、アフリカの平和と安全および社会経済開発が優先議題になるようアドボカシーを行ったり政策提言をしたりしています。

 

TICAD VIに向け、2016年2月に開催国のケニア政府の招待で共催者準備会合に出席し、3月にはTICAD上級実務者会合を東アフリカのジブチで共催しました。6月16・17日には西アフリカのガンビアで閣僚級会合が開かれ、各会合での議題の選択やプログラムの構成、成果文書の作成などを日本政府主導の下、OSAA、国連開発計画(UNDP)、アフリカ連合委員会(AUC)と世界銀行(WB)が共同で進めました。TICAD VIの共催者にはそれぞれの立場、視点があり多面的ですが、アフリカの平和と開発という目標に向け一丸となって取り組んでいます。

 

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TICAD VI成功に向け、AUや日本政府と共に閣僚級会合に出席したアブデルアズィーズ国連事務次長・アフリカ担当特別顧問(左) (筆者提供)

  

TICAD VIは、23年間の歴史の中で初めてアフリカ大陸で首脳級会合が行なわれます。そのためアフリカの国々はもちろん、国際的にも関心が非常に高まっています。今年2016年は、昨年国連総会で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」の取り組み初年にあたる重要な年です。アフリカ連合AU)で採択された今後50年にわたるアフリカの長期開発目標「アジェンダ2063」とその「第1部10年実施計画」(Agenda 2063 and its First Ten Year Implementation Plan)、さらには日本の仙台で開催された第3回国連防災世界会議、パリで開催された気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)などの大切な議題や枠組みもスタートしたばかりです。国連で働く日本人として、この重要な時期に日本の主導で国際社会の中でも重要かつ緊急性の高いアフリカの平和と開発を推進するための大規模な首脳級の会合を行うことは、大変意味のあることだと感じています。私も微力ながら会議の成功に貢献できるよう、日々努めています。

 

アフリカとの関わり

私が初めてアフリカで働いたのは、1999年に青年海外協力隊員として赴任した西アフリカのニジェールでした。協力隊員としての2年間は、電気や水道など社会基盤が全くと言って良いほど整っていない村に住み、砂漠化が進む地域で村の女性に調理時の薪の使用量が少なくて済む「改良かまど」の普及活動を行ったり、村の指導者に緑化推進の啓発活動をしたりしていました。この2年間でアフリカの農村に住む人々の生活水準やその苦労を目の当たりにし、協力隊活動後はアフリカの開発に関わる仕事がしたいと強く思うようになりました。

 

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コートジボワールのサンペドロ地方で民族融和に関する啓発活動を行った(2008年7月、筆者提供)

 

その後アメリカの国際関係の大学院で政治経済開発を学び、修了後、希望がかなって2004年に国連平和維持活動のブルンジミッションへ民政官として派遣されました。その後9年間、ブルンジコンゴ民主共和国、そしてコートジボワールにて民政官や政務官として働きました。国連平和維持活動(PKO)は主に内戦が起こった国々で、政府と反政府勢力などが停戦後に締結する平和条約の下、新たに国を再建する手助けを行います。平和維持活動勤務の間は、それぞれの国で内戦後初めての大統領選挙実施のサポートや選挙監視をしたり、内戦でばらばらになった民族間の融和を進めたりしました。また小学校や診療所の改築など、小規模の社会経済復興プロジェクトへの融資や内戦中に衰退した地方政府のキャパシティビルディングなどに奔走しました。協力隊では貧困を削減するための社会経済開発の重要さを、そして国連平和維持活動ではその社会開発の基盤となる平和と安全の大切さを痛感しました。

 

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コートジボワールの収入向上プロジェクトの受益者たち (2008年8月、筆者提供)

 

日本からの貢献も

現在勤務するOSAAでは、アフリカの社会経済開発や平和と安全の推進の重要性への世界各国の人々の認識を高め支持を増やすため、アフリカの重要議題について専門家会議を開いたり国連事務局長の名の下に出版されるアフリカの平和と開発に関する報告書の作成をしたりしています。さらにオフィスを率いるアブデルアズィーズ国連事務次長・アフリカ担当特別顧問が出席する会議の資料や発言要旨の作成なども行っています。

 

TICADは、OSAAが推進する「アフリカの平和と開発」を中心議題とする国際会議であり、その共催者としての仕事は当オフィスの数ある仕事の中でも重要な位置を占めています。また、個人的にもこれまでアフリカ各国でお世話になってきたアフリカの人々の平和で豊かな生活を実現するため、間接的にではありますが貢献できることを大変嬉しく思っています。

 

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南アフリカダーバンで開催した紛争によって生じる移民に関する上級専門家会議 (2015年11月、筆者提供)

 

TICAD VIは、2013年にTICAD Vで採択された横浜宣言および2013-17年までの横浜行動計画の引き続きの実施を確認する一方、2013年以降生じてきた新たなアフリカの課題を話し合います。例えば、資源輸出に頼るアフリカ経済の多角化と産業化、エボラ出血熱の流行と強靭な保健システムの構築、あるいは暴力的過激主義の拡大と社会の安定などを日本、アフリカ、そして関係国や関係機関の首脳級レベルで話し合い、アフリカの平和と社会経済開発を促進することを目的としています。

 

また昨年採択された国連の「持続可能な開発のための2030アジェンダ」とアフリカの地域開発の「アジェンダ2063」は、どちらもアフリカの平和と開発を推進する上で重要であり相互に補完・推進する関係にあります。日本やその他の支援パートナーが、TICADを通じどのように効率的な開発イニシアティブを支援していくかが重要です。さらにアフリカ各国への個別支援だけではなく、アフリカ連合AU)やアフリカ地域経済共同体(RECs)が推進する地域プロジェクトへの支援強化も必要です。TICADは以前から市民社会の声を積極的に取り入れており、さらに最近注目を集める官民共同プロジェクトや民間セクター主導の開発も重要な議題となります。特に日本の民間企業はその高い技術レベル、職業観と倫理を持ち合わせており、アフリカ経済開発に貢献する役割も期待されています。

 

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前回TICAD Vでの集合写真。会議発足から20周年だった(2013年) UN Photo/Rick Bajornas

 

私は2013年にOSAAに赴任したばかりだったので、前回のTICAD Vのプロセスにはほとんど貢献することが出来ませんでした。一方で、TICAD V終了後のフォローアップの会議とTICAD VIの準備には携わってきています。TICAD関連の仕事では、14年にカメルーンでの閣僚級会合に事務次長の補佐として出張した時のことが強く印象に残っています。それまでアフリカ現地での勤務が長かったので、ニューヨークの国連本部の仕事に慣れるまでに時間がかかっていました。TICAD閣僚級会合を共催するアブデルアズィーズ事務次長をサポートするため、初めて事務次長と2人きりで仕事をした時は、そのプレッシャーや自分の未熟さを痛感したことを思い出します。幸い機関を超えた多くの共催者の先輩方のサポートで会議は成功裏に終わりましたが、TICAD関連の出張の時はいつもこの時の経験を思い出します。この先もTICADの仕事を含め、アフリカの平和と開発の推進に色々な立場で貢献していきたいと願っています。

 

*この文章は筆者の私見であり、国連事務局やアフリカ特別顧問室の意見を反映したものではありません

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (5)

 

シリーズ第5回は、国連訓練調査研究所(UNITAR)広島事務所の隈元美穂子所長です。南スーダンでは女性の地位が著しく低く、社会参加の機会の不均衡は、国の持続可能な開発を阻んでいます。UN Womenによると、女性の非識字率は男性の2倍も高く、女性はジェンダーと性差に基づく暴力の被害者でもあります。UNITAR広島事務所は 、南スーダンの専門家たちにプロジェクトマネージメントとリーダーシップの研修を提供することで、外部からの支援に頼ることなく南スーダンの人々自身で問題を解決できるようになる支援をしています。そして隈元所長は、南スーダンに真の平和が訪れ復興を果たすには、女性の活躍は不可欠であると述べています。

 

5国連訓練調査研究所UNITAR)広島事務所  隈元美穂子所長

南スーダンの女性の可能性と平和構築~

    

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                                              隈元 美穂子(くまもと みほこ)

                                                 国連訓練調査研究所(UNITAR) 広島事務所長

福岡県立筑紫丘高校卒業。米国ウエストバージニア大学心理学部卒業。九州電力企画部国際関係担当として海外研修を企画。退社後、米国コロンビア大修士課程で開発経済を学ぶ。2001年から3年間、国連開発計画(UNDP)ベトナム事務所でジュニアプロフェッショナルオフィサーとして勤務。ニューヨーク本部に異動、アフリカ適応プログラムなど能力開発プログラムに取り組む。2011年には4か月間、UNDPサモア太平洋事務所で紛争、復興、環境、気候変動担当の事務所代表代理。2012年UNDPインドネシア事務所でシニアアドバイザー。2014年より現職

 

 

6アフリカ開発会議とユニタール

 

今年8月末にケニアの首都ナイロビで開かれる第6回アフリカ開発会議サミット会議(TICAD VI)。その準備会合のシニアオフィサー会議 (SOM) が2016年3月にジブチで、そして閣僚級会議が2016年6月にガンビアで開催され、国連訓練調査研究所(UNITAR/ユニタール)代表として出席してきました。多くのアフリカ各国政府、国際機関、2か国機関、市民団体などの代表が集まりました。議論の焦点は、サミット会議で発表予定の「ナイロビ宣言」の骨格でした。アフリカが抱える様々な問題を討議し、中でも経済、保健、社会の安定について深く話し合われました。若者と女性の社会参加の機会が限られており、持続可能な開発に彼らの貢献が必須である点に注目が集まりました。

 

私が勤務するユニタールは能力開発・研修を専門とした機関で本部はスイス・ジュネーブにあり、それ以外はニューヨークと広島に事務所を置いています。広島事務所は「平和拠点」としての土地柄を活かし、主に平和構築や軍縮の研修を行っています。研修の対象となる国は、アフリカ、アジア、中東など各地にまたがっており、その中でもアフガニスタンイラク南スーダン、サヘル諸国といった平和構築が大きな課題となっている国を多く含んでいます。ここでは、ユニタール広島事務所が実施している日本政府支援による南スーダン奨学プログラムと、社会的に弱い立場にある南スーダンの女性たちについて紹介します。

 

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                                         首都ジュバを着陸直前に上空から見た様子 (筆者提供)

 

南スーダンジェンダー問題

南スーダンは2011年にスーダンから独立しました。大きな希望と期待がかかっていましたが、2013年12月に首都ジュバの大統領警護隊内部で衝突が勃発し、部族間の争いへ様相を変え内戦状態に陥りました。難民は220万人に上り(2015年8月)、保健、教育、所得の3つの側面から人間開発の達成度を示す人間開発指数(2015年、国連開発計画)では、188か国中169位に位置するなど、開発も遅れています。しかし、2015年の8月に最終和平合意が締結されたことで、一筋の希望の光が差し込みました。 合意の履行の重要なステップの一つが反政府軍のリーダーであるマチャー氏の第一副大統領としての擁立ですが、これも2016年4月に完了。引き続きの合意の履行が今後の安定と復興の成功の鍵と言えるでしょう。

 

南スーダンは男性中心社会です。社会における女性の活躍の場はまだまだ制限されています。大きな障壁となっているのが、「女性は家にいるもの」という古くからの考え方です。そこから様々な問題が派生しており、例えば女子は教育へのアクセスが制限されています。人口の半分以上が貧困層という南スーダンで、子どもたちは学校に通う事もままならないのですが、通えたとしても男子が優先されるケースが多くみられます。南スーダンでは全国民の識字率は2割程度と非常に低く、特に女性の低さは深刻と言われています。それ以外でも女性は、児童婚、性暴力の対象となることがあるほか、政治などあらゆる意思決定プロセスへの参加が限られるなど、問題が山積みです。女性は社会の中で虐げられた状況にあり、社会での活躍の場は限られています。

 

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 ジュバの文民保護区で、UNWomen(ジェンダー平等と女性のエンパワーメントのための国連機関)が提供するコンピュータトレーニングを受ける国内避難民の女性(2016年4月)  UN Photo/JC McIlwaine

 

 

2015年9月に発表された「女性、平和と安全に関する事務総長報告書」も指摘するように、女性の教育、政治、社会活動を支援し活躍の場を広げることは、国の安定に大きく貢献し、平等な社会を作る上でとても重要です。 南スーダンの現状は、人口の半分を占める女性の可能性の芽を摘んでいるだけでなく、多様かつダイナミックな社会の形成を妨げていると言えます。

 

南スーダン奨学プログラム

当事務所が実施する「南スーダン奨学プログラム」は2015年に始まり、今年で2年目を迎えます。研修では、教育、外交、司法、ジェンダー、保健、農業など様々な分野で活躍する南スーダンの専門家を迎え、彼らがプロジェクト管理の方法やリーダーシップを身に付け、市民のニーズに沿った効果の高いサービスが提供できるようになることを目指しています。彼らの能力を強化することで、南スーダンの人々が自らの力で国を造りあげる自立プロセスを支援しています。2015年のプログラムでは、20人の研修生に半年にわたり3回のワークショップとコーチングを行いました。そのうち8人は女性でした。

 

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ユニタール広島事務所がジュバで行ったプロジェクトマネージメントとリーダーシップの研修 (筆者提供)

 

この8人は­­­­、司法、外交、保健、性暴力、教育などの分野で活躍しています。 例えば、女性弁護士は研修で、刑務所に収容された女性やその子供たちをテーマに取り上げました。不当な理由で収容されたケースや、刑務所で起きた人権侵害に関して、研修で習得したデータ収集や分析の手法を使い、問題改善へのアプローチを提案しました。このように、司法の専門家であると同時に女性の視点を取り入れた提言は、社会的弱者である女性の支援に有効です。

 

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研修に参加した女性専門家たちと筆者(右から2番目)。弁護士、外交官のほか女性問題、保健衛生、メディアなど幅広いバックグラウンドを持つ専門家が参加した (筆者提供)

 

これからの南スーダン

長年にわたり貧困、経済的格差、紛争など厳しい状況が続いている南スーダン。私が出会った人々のほとんどが親族や友人が亡くなるなど被害を受けており、「もう紛争はたくさんだ、平和を心から望んでいる」と言います。当事務所の研修は、広島視察を含んでいます。広島平和記念資料館を訪れた研修生は、71年前の焼け野原となった広島の姿を食い入るように見つめます。そして、今の広島の姿を見て「広島の復興の軌跡を見ることができとても良かった。南スーダンの平和と復興に向け、強い勇気と希望をもらった」と話すのです。

 

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広島を視察した研修参加者。原爆ドーム平和記念公園を訪れ、被爆者と対談したり広島の復興を学んだりした       @UNITAR
 

多民族で構成される南スーダン。彼らが自国の再建と発展のために同じ方向に向かって力を合わせて進んでいくことが重要です。そのプロセスに、女性はかけがえのない存在です。

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広島平和記念資料館で被爆被害の説明を丁寧に読む研修生      @UNITAR
 

TICAD VIは、アフリカ各国政府、国際機関、2か国間機関、市民団体、民間企業からトップレベルが集結し、討議を行う重要な節目となります。アフリカの人々によるアフリカならではの開発の実現、そして女性たちがあらゆる分野で生き生きと活躍する社会が作り出されることを強く期待します。その実現に向け、当事務所も南スーダンを含むアフリカ諸国への支援に引き続き努力をしていきます。

 

 

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文民保護区で避難生活を送る女性たち    ©UNMISS Patrick Orchard

 

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2016 Spring Interns

今年3月末から国連広報センターで働いた5人のインターンが6月末に卒業しました。

UNICでの体験を振り返った5つのストーリーをお読みください。

 

 【宮内栄 / Ei Miyauchi】

 こんにちは!2016年春インターンの宮内栄です。現在国際基督教大学4年で、卒論執筆の真っ最中です。

 私が国連広報センター(UNIC)のインターンに応募したのは、将来働きたい国連という場所の実際の姿を知りたかったから、というのが一番大きな理由です。私は今後開発学を専門にしたいので、国際政治や国際関係学、国際法を専門にして広報官として国連に入ることを考えているわけではありません。しかし、どんな分野を専門にするにせよ国連で働くのなら、国連という組織自体についての理解は必要だろうと思います。結果的にUNICは、国連の活動や内部の日常の動き方について知る上で、とてもよい場所でした。

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        上智大学でのSDGsフォトコンテストのプロモーションの様子(白いボードを持っているのが筆者)

 

まず、UNICのオフィスも入っている国連大学本部ビルを訪問する中高生に実施する、「国連訪問」というプログラムを担当することで、必然的に国連の活動一般を説明できるようになります。あるいは日々国連関係文書の翻訳をする中で、「この文書はどういう文脈で、何の目的で作成されたものなのか」と考えます。背景知識がなければ正しい翻訳はできないので必然的にリサーチをすることになり、知識が雪だるま式に増えていくのです。

 その他にも大型イベントの一連のロジスティクス(ロジ)をオフィスの中で体感すると、国連という組織の官僚的な動き方を実感できます。私のインターン期間中には潘基文(パン・ギムン)事務総長の訪日・G7伊勢志摩サミットアウトリーチ会合への出席に関わる大型ロジがありました。インターンオリエンテーションでUNICが「国連の在日本大使館」と形容されているのを耳にしましたが、まさにそういった印象をこのロジを通じて持つようになりました。こういった話は通常"confidential"とされ、外部に公開されることはありません。内部から実際を見たり、また部分的に関わる機会に恵まれたことはとても幸運でした。                

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 スウェーデン大使館主催のセミナー「第2代国連事務総長ダグ・ハマーショルド国連」にて。(June撮影)

 また、おそらくみなさんが思っている以上に、UNICでの仕事は「広報」のよい経験となります。特に私は「国際関係学専攻で将来国連で働きたいと思っている」といういわば「ステレオタイプ」であったため、広報関係の仕事のインパクトは予想以上で、とても新鮮でした。

例えば、日常的に様々な国連関係文書の翻訳、要約、記者会見への出席(カメラもインターンが担当します!)、記事作成などの業務があります。文章を書くことについてはそれなりに慣れていると思っていた自分でしたが、反省しきりでした。要点をもらさずシンプルで読みやすい文章を作るということは、案外手間がかかるものなのです。加えて校正作業も広報では必須ですが、仕事の丁寧さについて自分の甘さを感じる局面が多々ありました。UNICのオフィスは10人にも満たない職員とインターン数名によって、まわっています。それは、職員一人ひとりが自分の責任分野の仕事を高い精密度をもって日々こなしているからこそ成立するサイクルです。「プロじゃないからわからない」と言う暇があるなら、「自分で学んでプロになれ」。そんな意識を持つようになったインターン生活でもありました。 f:id:UNIC_Tokyo:20160614115256j:plain

     オフィスの日常。インターンの机が集まる「インターン島」は笑いが絶えない (Christina撮影)

 そして最後に、個性豊かな「現実主義的理想主義者たち」との出会いこそ、UNICインターンを通して得た最大の宝です。国連が掲げるのは、人類共通の普遍的な理想。しかしその実現には多様な利害関心が絡み、様々な障害が立ち塞がっています。このインターンで出会った全ての方々は、冷静にその現実的難しさを認識した上で、それでも理想を夢見ることを止めない人たちでした。もちろん私が覗いたのは巨大なUNファミリーのたった一部にすぎません。それでも「現実主義的理想主義」こそ、国連という場所に通底するプリンシプルなのだと確信しました。そんな人たちが集まる場所が国連なら、それは確かに目指す価値のある場所だと、インターンを終える今、私は自信を持ってそう言えます。

 この3ヶ月は日々学びであったことはもちろん、自分の中の国連についてのモヤモヤと向き合い、自分なりに整理をする時間でした。大学4年で就活に勤しむ同期を余所目に、フルタイムでインターンをやるということに不安がなかった訳ではありません。ただ結局は、自分の直感に従ったほうがよい結果になるのだと私自身は思います。3年の秋、思い切ってインターンに応募したあの時の判断は、私にとっての「正解」でした。

私にこの貴重な機会を与えて下さり、インターン期間中厳しくご指導下さり、そしてまた優しい気遣いもして下さったUNIC職員の皆様。

常に明るい笑い声の絶えない「インターン島」でチームワークを共にした、尊敬すべき個性豊かな4人のインターンメイト。

 UNICインターンを通じて関わった全ての皆様に、今、心から感謝しています。

 そして願わくば、この文章が未来のUNICインターンの方々の背中を、少しでも押すことが出来ますように。

 

【王盈文(オウ エイブン)/ June Wang】

 こんにちは!2016年4月から3ヶ月間、UNICでインターンとして働いた台湾人のJuneです。 日本留学中で、今は東京大学法学政治学研究科修士2年生です。

台湾の大学では法学部に所属し、法律全般について勉強しました。4年生の国際法の授業で初めて国連の決議や国連の枠の下で作られた条約などに触れる機会がありました。それをきっかけに、国連に興味をもつようになり、「将来国連で働きたい」という考えも自分の中で萌芽しました。この夢に少しでも近づくために、まず自分の専門知識を磨かなくてはならないと思い、国際法を専攻として日本の大学院に進学することを決めました。       

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                                       UNICの入り口で写真を撮ってもらいました(Ei撮影)

 台湾は国連の加盟国ではないため、日本のようにいろいろな国連諸機関の事務所があるわけではありません。せっかく日本に留学しているので、ぜひこの地の利を無駄にせず、インターンを通じて「国連で働く」というイメージをより具体化させたいと思いました。そこで、私は国連の活動に全面的に関わっているUNICのインターンに応募させていただきました。

 UNICでの日々は、私にとって「冒険」であり、大変有益な時間になりました。

業務の内容は多岐にわたりますが、まず何よりも、国連の活動や優先課題をさまざまなイベントのサポートと参加を通じて、身近に感じることができました。2016年は国連の持続可能な開発目標(SDGs)実施元年なので、私のインターン期間中、SDGsの広報活動はUNICの活動の中心でした。その他、日本国連加盟60周年記念事業、気候変動に関するパリ協定の宣伝、G7のアウトリーチ合会に参加するための国連事務総長来日訪問、中高生の国連訪問といったイベントの企画・実施に携りました。 f:id:UNIC_Tokyo:20160531121250j:plain

                          UNICオフィスの様子(左上Kento、左下Christina、右Machiko、筆者撮影)

 また、国連とは直接に関係しませんが、ハードウェア・ソフトウェアのスキルもインターンの仕事を通じて向上しました。例えば、UNICは「広報センター」であるため、写真や動画の撮影の機会は多くありました。しかし良い作品を撮るのは想像以上に難しいことでした。毎回の撮影の仕事で職員にアドバイスをいただきながら、どのようにインパクトのある写真を撮れるのかが徐々にわかりました。また、去年UNIC主催のイベントで実施した721件のアンケート結果を統計処理するために、エクセルの「ピボットテーブル」という機能を自分で調べ、初めて使用しました。 

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                                          4月13日の国連訪問を担当したEiです(筆者撮影)

 インターンの同期4人からもいろいろ学びました。皆それぞれ違う国籍、バックグラウンドをもっており、関心分野も異なっています。だからこそ一緒に仕事をしている間に、それぞれの人生経験、希望、悩みを話し合い、私にとってとても刺激になる話をたくさん聞けて、心の栄養になりました。また、各自のタスクで忙しい中でも、いつも私の日本語と英語のネイティヴチェックをしてくれて、本当に感謝します。

UNICのスタッフたち、同期のインターン4人、この3カ月間、誠にありがとうございました。

これからもUNICで得た経験を生かして、努力していきたいと思います!

  哈囉!我是王盈文,台灣人,25歲。22歲以前都在台灣土生土長,23歲時來日本念研究所。因為對聯合國有興趣,希望未來能到聯合國工作,便利用在日留學的期間申請了United Nations Information Centre東京辦公室的實習生,很幸運地能被錄取。在這裡的三個月,我除了更認識聯合國,也遇到了很好的實習生夥伴,並和他們成為了一生的朋友。

台灣雖非聯合國加盟國,但並不代表台灣人不能在聯合國相關機構實習,擴展自己的人生經驗與國際意識(至於如何才能成為聯合國的正式職員,我也還在摸索),如果你是台灣人且對聯合國有興趣,不妨考慮申請實習生,我相信一定會成為你人生中無可取代的一堂課!

 

【大谷 眞智子 / Machiko Otani】 f:id:UNIC_Tokyo:20160629151453j:plain

                    左から二番目が筆者

 4月より3ヶ月間インターンとして働かせていただきました、大谷眞智子です。

 私は医学部を卒業後、4年間臨床医として働きました。将来は国連をはじめとする国際機関で医学・公衆衛生の専門家として主に感染症対策に携わりたいと考えており、秋からイギリスの公衆衛生大学院に進学する間の期間を使って、インターンとしてお世話になりました。

将来国際機関で働くことを目指すのであれば、実際にその中で働くことによって将来のビジョンがより明確になるのではないか、という理由と、これまで職業柄、自分の専門分野のことしか触れてこなかったのですが、世界で起きている様々な問題は一方向からのアプローチのみでは解決できないということを、医師として働いた経験からも強く感じたので医療・保健とは関係のない新たな経験を積みたいと思っていたという理由から、国連広報センターのインターンに応募しました。

 想像していたとおり、医師としての社会経験しかない私にとって、国連のオフィスでの仕事はとても新鮮で学ぶことが多く、社会人としての自分を今一度見つめなおすきっかけになりました。そして、いままでは単にイメージしかなかった国連の中で実際に働くことによって新たな視点から国連を捉えることができました。

 一緒にインターンを行った仲間たちは皆それぞれにビジョンがあり、それぞれの目標や葛藤、将来について話すことも多く、とても刺激になりました。どのようにしたら世界全体がより良い方向に向かえるのか、自分ができること・すべきことは何なのか?

そういった問いに真剣に向き合っている人たちとの出会いはとても貴重で、分野やアプローチを越えて同じ目標を共有できる機会はなかなか得られないものではないかと思います。このような出会いは特定の専門分野に特化した機関でなくUNICのような国連全般にかかわる機関でインターンをする醍醐味でもあると思いました。

UNICのインターンに、「こうであるべき」だとか、「こうでなければいけない」といった概念はありません。むしろ、私が医師であるけれども受け入れてもらったように、どんな経歴の人にもチャンスはありますし、多様性や個性が尊重される場所です。それなので、もし迷われている方がいたら飛び込んでみることをお勧めします。きっと他では味わえない経験と、一生の仲間が見つかるはずです!

 私自身、今回得た貴重な経験を、これからの大学院生活、そしてその先の未来に活かし、一人の人間として国際社会に貢献できるようこれからも邁進していきます。

お世話になったUNIC職員の皆さん、同期のインターンの4人、本当にありがとうございました!

 

藍原健豊 / Kento Aihara】

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 日本人インターンの藍原です。私は今年の3月に栃木県小山市にある白鴎大学を卒業し、夏からタイの大学院に進学する予定です。その間の期間を利用し、国連広報センター(UNIC)にてインターンシップを行いました。私は幼少期から日本の外の世界に興味があり、漠然と世界に関わる仕事がしたいと考えていましたが、国連もその夢の一つでした。私は学部生のときに経営学、特に観光産業にフォーカスして学びましたが、その自分が得意とする分野が国連でどのように貢献できるかを知る上でも実際に国連インターンをするのは大変有益だと考えていました。そして今回“百聞は一見に如かず“をモットーに、ここUNICに携わることで国連の現場を肌で感じることができました。UNIC 国連のあらゆる部署の活動や情報を管理、発信する組織ですので、インターンを通して国連の仕組みを包括的に理解を深めることができたと思います。

私がインターンをした時期はまさに、2015年に国連総会で採択された持続可能な開発目標(SDGs)を推進していく活動の最中でした。UNICも日本社会にSDGsを知ってもらうために様々な広報活動を行っていますが、私が微力ながらそのお手伝いをできたことを嬉しく思います。SDGs2030年までの持続可能な開発目標であり、プロジェクトはまだ始まったばかりです。大々的なことではなく、我々一個人が日常生活で今すぐにできることが沢山あります。世界はもちろんのこと、身近な生活自体ももっと良くなるはずです。15年後、世界はどう変わっているのでしょうか。私のインターンは終わりますが、これからもSDGs推進活動に協力できればと思います。

地元の栃木県から毎日電車でUNICへ通勤するハードな生活でしたが、この経験が大学院進学、ひいては自分の将来において必ず役に立つものだと確信しています。職員の皆さんにも沢山お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。最後に、同期のインターンのメンバーに恵まれたと感じています。5人全員がバラバラのバックグラウンド、専門分野だったので一緒に仕事をする毎日が非常に新鮮でした。和気あいあいと楽しい3ヶ月間をありがとう!

 Hi, my name is Kento. I worked for the United Nations Information Centre in Tokyo as an intern for the last couple of months. I have been interested in overseas and international organizations such as the UN since I was little (I lived in Japan for over 20 years). I just graduated from university majoring in business, especially focusing on travel industry management, and used to wonder how I could contribute to the UN with my field of study. Therefore I decided to apply for this internship and fortunately got accepted. As a result, this experience at UNIC turned out to be fruitful for me as I had countless opportunities to learn how the UN works, which is composed of various departments. Likewise, I am glad that I was able to participate in promoting the project of SDGs (Sustainable Development Goals), which were officially adopted in 2015. This project lasts until 2030, and I truly hope that our world becomes better and better, contributing to some goals of SDGs.

Through the internship, not only have I learned about the roles of the UN, but I was also able to interact with many people who have distinctly different backgrounds including career, which without doubt would lead me to the next step in my life. To the prospective interns, if you are interested in this internship, DO NOT HESITATE, JUST ASK THE OFFICE! I hope you guys will seize the chance and have a great experience here at, UNIC! f:id:UNIC_Tokyo:20160629151347j:plain  誕生日が同じ根本かおる国連広報センター所長と一緒に。似顔絵はChristinaが描いてくれました(617)

  

【Christina Mihoko Deakin】 f:id:UNIC_Tokyo:20160614115201j:plain

 Ei will be graduating from ICU (International Christian University), June is finishing up her master’s thesis in law at University of Tokyo, Kento is preparing to complete a masters course in Thailand, and Machiko is a HIV/AIDS specialised doctor. Machiko and I will both return to our studies in the UK this September. All five of us were UNIC interns, however, we were all in such different stages of our lives.

I joined the UNIC internship programme for three months after experiencing internships around other offices in the United Nations University, however, I found this internship to be unique. I became increasingly aware that it was difficult to disconnect from the office after hours. From morning to night, my phone would buzz with little updates  and messages of encouragement from the other interns, from important messages relating to train delays and sick leaves to funny photos and uplifting remarks. We have a growing chat history that reflects teamwork.

Despite joining the internship programme for different reasons, we were working and communicating together to compete tasks and projects. I think teamwork was one of the most valuable lessons I learned in the UNIC Tokyo office. My world also expanded. I recall many significant moments, such as listening to the director practice her speech in the back of a taxi, going to press events, and being involved with the Secretary-General’s visit to Japan.

However, I also treasure the quiet moments when friends and staff exchanged their experience and stories with one another, or when the office supported me in picking up my first phone call in Japanese. In full retrospect, my internship experience with UNIC Tokyo was extremely positive, and I am very lucky and glad to have been apart of this office.

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                  ~ Fin.~

 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (4)

 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」第4弾は、茶木久実子(ちゃき くみこ)さんのお話をお届けします。好きな学問を追求した結果、国連の職員となり、人事の仕事でフィールドに出向いて、国連の仕事でのやりがいを強く感じたそうです。ベテランの人事担当者として「様々な経験をし、自信をつけて、日本を客観的に見ることができる視点を身に付けてください」と日本の若者に向けてエールを送ります。

 

 

 第4回 国連事務局Umojaプロジェクト人事管理部門チームリーダー:茶木久実子さん

 

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【1979年国際基督教大学卒。同大学で国際法の修士号、アメリカン大学で法学修士号、そして国際基督教大学に戻り国際法の博士号を取得。1988-96年ニューヨークの国連本部人事部に勤務。1997年から2年間ジャマイカの国際海底機構に勤める。その後国連本部人事部に戻り、2006年から人事部(給与トラベル業務を含む)を代表して“Umoja”(国連の新しい統合業務システム)の開発に尽力】

 

 

誰かのために働くことの喜び

 ―これまでの仕事の中で、今だから話せるエピソードはありますか?

 今だから話せるということではありませんが、あまり人に話さなかったエピソードをお話ししたいと思います。2003年8月、バグダッド国連オフィスに爆発物を積んだトラックが突入しました。その中には重傷を負ってアメリカ軍の病院に搬送された7人の職員がいました。私は当時平和維持活動の人事を担当しており、その7人を支援するニューヨーク本部のフォーカルポイントになりました。負傷者の中の一人はソマリア人の現地職員でしたが、その後、後遺症のために国連で働き続けることができなくなり傷病年金を得て退職を余儀なくされました。通常は職務遂行中の事故によって退職した職員は母国なり所属オフィスが面倒をみるものですが、当時彼の母国は無政府状態で保護を期待することはできませんでした。そこで、私は、私が国連にいる限り、彼の支援を続ける決心をしました。彼の支援には年金の受け取りの手助け、後遺症の治療のため国外渡航、費用の請求などがありました。更に、年金の継続受け取りのために、生存証明として郵便で毎年年金本部に書類を提出する義務があります。しかし、政府もなく郵便制度も存在しないソマリアで「書類を郵送する」というのは不可能です。そこで、私はソマリアにあるUNHCRの事務所と連絡を取り、国連の外交行嚢を利用して彼が書類を提出できるように計らいました。

 

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2003年8月バグダッド国連本部オフィスへの自爆テロで、セルジオ・デメロ事務総長イラク特別代表ら22人が亡くなった    UN Photo

 

また、後遺症治療の渡航のためには、適切な医療機関でのアポイントメントを取りつけ、ヴィザ、航空券、ホテルなどを手配する必要がありました。これを実現するためには国連本部内外の職員の協力を得る必要がありましたが、大抵の職員は、彼の置かれている状況を理解し、とても協力的でした。こういう支援は多くの人にとって通常の任務を超えたものですが、イラクでの職務遂行のために負傷し職を失わなければならなかった一人の職員を支援し続けることは国連職員として当然の義務であるという強い思いが皆にありました。国連のような大きい組織の中では自分の貢献などほんの小さなものですが、この職員の退職後の人生には私たちの支援が何がしかの役に立ったことは、この上もない喜びでした。

 

  国連の仕事の面白さは、フィールドにあり

 国連の仕事の中で、最も印象に残った出来事は何でしたか?

 それは1994年に南アフリカ最初の総選挙の選挙監視委員をしたことです。私の任務は北部のノーザントランスバール Northern Transvaalで八つの投票所をまわり選挙が公正に行われるように監視することでした。八つの投票所の中には小さな集落の学校を投票所として使っているところもありましたが、そういう小学校の教室の一面には壁がありません。そこからは、中庭にある井戸に集まる集落の人々だけでなく、にわとりや子豚も水を飲みにきているところが丸見えでした。これらの投票所は首都のプレトリアから遠く投票箱が届いていない所もありました。そのような投票所では段ボールを貼り合わせて作った手作りの箱を投票箱として使っていました。しかしながら、住民の選挙への関心は極めて高く、舗装もされていない道路をお嫁さんが年老いた義母を大八車に乗せて運んできたり、遠路はるばる歩いて投票所にたどり着いた人々が炎天下の中、列をなして辛抱強く投票の開始を待っていました。

 

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1994年南アフリカで初めて全人種参加で行われた選挙の様子。選挙監視の活動を通じ、一票を投じられる有権者の喜びを感じた。選挙の結果、ネルソン・マンデラ氏が初の黒人大統領に選ばれた   UN Photo/Chris Sattlberger

  

その中のおばあさんに聞くと、「私の寿命は長くはないけれど、自分のためにではなく子どもや孫のために選挙に来たんだ」といいます。私たち監視員はその思いに涙したことを覚えています。

識字率が低いので投票用紙には政党の名前とロゴの他に党首の名前と写真も印刷されていました。しかし、目の不自由な人も多く、その場合は投票所長が口頭で「誰に投票したいんですか」と尋ね、私たち選挙監視員の目の前で投票したい政党に丸をつけます。ある投票所でおばあさんと投票所長が押し問答しています。私たちが近寄っていくと、おばあさんは、「誰に投票するかは言う必要はない、言わなくてもあなたは私が誰に投票したいか知っているはずだ」、と断固として譲りません。その地域はネルソン・マンデラが党首のアフリカ民族会議(ANC)を支持する地域だったので、ほとんどの住民がANCに投票すると見られていました。投票所長が辛抱強く説得すると、おばあさんはようやく、「1回だけ言うからね」と言い「マンデラ」とささやきました。ところが、全国議会と州議会選挙の投票箱は別だったので、州議会の投票所でさらにもう1度誰に投票するかを言ってもらわなければなりません。 おばあさんは声を荒げて「今言ったばかりなのになぜもう一回聞くのか」と怒り、同じ押し問答が繰り返されましたが、周りからはクスクスと笑う声が聞こえました。

 

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ニューヨークの国連本部で、ブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長から、アパルトヘイト国連の歴史に関する本を贈られた黒人初の大統領ネルソン・マンデラ氏   UN Photo/James Bu

 

この選挙では、アパルトヘイト下で選挙権のなかった人々が初めて政治に参加できる喜びとこの国の将来に多くの期待を持って選挙に臨んでいることをひしひしと感じました。私は、国連がこの歴史的な出来事を可能にしたことを誇りに思い、私自身が大きな歴史的出来事に居合わせたことをとても幸運に思いました。この時は、国連の仕事の面白さはフィールドにある、とつくづく感じた瞬間で、その後、ジャマイカの国際海底機構に出向したり、好んで平和維持活動に関わったのは、ここでの経験が基となりました。

  

―人事の仕事では、具体的どのようなことをしたのですか?

 小学校6年か中学1年の時に国連の存在を知りなんとなく国連で働きたいと思ってから20年後の1988年に競争試験[i]に合格し法務官として国連本部人事部で人事規則の解釈、改訂、人事政策の案文を作成するセクションに赴任しました。そこで与えられた業務は私の博士論文のテーマから遠くない仕事で大変興味深く、上司もゆっくり丁寧に指導してくれたので、入ってすぐは学びながらお給料をもらえる幸せで楽しい日々を送りました。4年ほどたったある日、私のやっている業務は机上の仕事で、人事の現場を知らないことにはたと気が付き、人事規則・政策が現場ではどう適用されているのか、つまり、規則より“人”を見てみたいと思うようになりました。こうした動機から人事管理の部署に異動し、職員の契約、給与、昇進、異動などを扱う仕事を始め、その後15年ほどは様々な人事行政に携わりました。

 

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1991年(国連に入って3年目)、ニューヨークのオフィスで

 

人事官になってしばらくして、国連では行政業務に初めてコンピューターを導入することになりました。私は人事機能のテストに参加しましたが、人事業務のニーズを満たすにはほど遠く、こちらの希望を言うと「お金がないからそれはできない」あるいは「時間がない」と言われ、結局私たち現場の希望はほとんど聞き遂げられませんでした。この時、コンピューターのシステムを変更する次の機会には、最初から関わろうと思いました。

  

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1997年、就任直後に国連の各部署をあいさつにまわる当時のアナン事務総長。アナン事務総長は人事部に長く務め、私を含め人事スタッフは彼の就任をとても誇りに思いました。私が国連に赴任した1988年の7月当時、アナン氏は人事部長でした

  

2006年の終わりにその機会が訪れました。国連はそれまで使っていた自前のシステムから既成のシステムを導入するプロジェクトを立ち上げることにしたのです。そこで私はこの大きなプロジェクトに、人事部の代表として最初から参加することにしました。これが“Umoja(ウモジャ スワヒリ語で統一という意味)”という国連の統合業務システムの開発プロジェクトです。このプロジェクトはただのシステムの交換ではなく、基本的な業務のやり方を変えることを目指しました。それまで、人事データは人事局の職員が維持管理していましたが、新しいシステムでは、根本的な思想の転換を目指して、職員自身が自分の人事データの維持管理するという“セルフサーヴィス”をできうる限り導入する方針が立てられました。私ども人事チームはこの方針を受けスタッフ自身が自らの人事データを維持することを前提に“Umoja”をデザインしました。国連創設当初から続いてきたこれまでの考え方をシステムの導入とともに一新するという非常に大胆な改革です。

 

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2006年にジュバにあった国連スーダン・ミッションに出張したとき宿=テントの前で

 

この“Umoja”は数々の困難を乗り越え2014年から徐々に国連内で導入されています。システムはいまだ導入初期に特有の問題を抱えており、さらに、ユーザーの適応やトレーニングの問題はありますが、おおむね良好に機能しています。これは、私の国連の最後の大きな仕事でしたが、国連行政の根本的変革を担ってチームとともにumoja 導入にこぎつけたことをとても誇りに思っています。

 

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2014年、新しい統合業務システム(Umoja) の人事モジュールが2014年ハイチ平和協力隊で初めてパイロット導入された。国連警察官たちと

 

ルートから外れてもいい、様々な経験をして

国連職員を目指すにあたって、必要な素質は何だと思いますか?

 第一にある程度の英語力が必要です。これは文法が完璧であるとか、ネイティブのように英語をしゃべるということではなく、自分の意見を論理立てて口頭であるいは書面で述べることができる英語力という意味です。

 

第二に、国連では自分の意見を持ちそれを表明できなくてはいけません。日本では人と違う考えを述べたり人と違うことをしたりする事を躊躇する風潮があるように思いますが、国連では自分の意見が言えないと仕事に貢献していないと思われます。ただ、自分の意見を述べる時には不必要に攻撃的になる必要はなく、状況に応じて、言葉を選んで、空気を読んで、その場所にふさわしい表現方法で効果的に意見を述べることが求められます。

 

第三に同僚、上司、部下と信頼関係を築くことが大切です。仕事を遂行するためには、目標によって、いろいろなやり方で自分の目指す方向に物事を進めていきますが、そのためには、他の人との信頼関係や影響力を常日頃から培っておかなければなりません。私の場合、umojaの仕事では、同じころに国連に入り一緒に育ってきた同僚たちがそれぞれの場所で責任ある立場になっていて、彼らの協力を得て問題を克服したり目標を達成することができました。

 

信頼関係を築くためには、同僚の悪口を言わないこと、そのためには自分に自信があることが必要です。自分に自信があれば、価値観が揺るがないので、自分を見失わず行動に一貫性ができ、周りの人から信頼されるようになります。自分に自信のない人は、価値観が揺らぎ行動が不安定になりがちで人の悪口を言い周りの人と軋轢を生むことになるのです。

 

自信をつけるためにはどうすればいいかというと、様々な経験をし多くの失敗を積み重ねることで、困難にあったときにそれを乗り越える力を養うことです。私の場合には、英語も満足にできないときにアメリカに留学し、人に助けられながら何とか単位を取って卒業し、また、異なる価値観、文化、習慣にふれたことは、かけがえのない経験になりました。日本の若い人の多くは、高校を卒業してすぐに大学に入りその後すぐに就職しますが、これから外れてみてもよいと思います。海外留学でなくても、普段の生活とは離れてボランティアをすることもよいでしょう。自分と異なる価値観に触れたり、他の人と暮らしたり、勉強したりするのはとても大切な経験になります。

 

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2015年11月に退官する職員の1人として、表彰式に臨む。事務総長が出張中だったので、マルコーラ官房長(左)と高須管理局長(右)から感謝状を受け取りました

 

 ―日本の若者、特に国連職員を目指す若者に対して何を期待しますか?

 日本の若い皆さんには、外に目を向けて欲しいですね。でもその前に、日本のことをよく知らなければなりません。特に、日本を色々な角度から見ることが必要でしょう。例えば、戦争を被害者の視点からだけではなく、加害者の視点からも自分の国を見ることも大切です。日本は唯一の被爆国だけれども、他国に侵略したことで加害者であったことを忘れてはいけません。その中で、他国の人から日本はどう見えたのかを知ること、そして、実際に何が起きたのかという事実を客観的に知る努力が必要でしょうね。このように、物事を客観的に見る態度、相手の視点で物が見えることが国際社会において求められ、そして真のグローバル市民になるために必要なことだと思います。

 

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茶木さんを囲んで。インターンの 稲垣葉子(左)と 村山南(右)

 

 

[i] 2010年まで行われていた国内採用競争試験に代わり、現在毎年行われている採用試験は、ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)と呼ばれています。受験資格など詳細はこちら >>>  

国連職員採用-YPP- | 国連広報センター