国連平和維持要員は、国連平和維持活動(PKO) で、平和のために奉仕し、過酷な状況の中で、人々を支援しています。日本は1992年に国連平和維持活動協力法を制定して以来、これまでに延べ11,500人以上を国連PKOに派遣してきました。国連PKOの現場と国連本部平和活動局の両面で活動経験がある荒木順子さんに、日本の自衛官の立場から寄稿頂きました。

2004年防衛大学校卒業。陸上自衛官。2004年陸上自衛隊入隊以来、第8高射特科大隊(北熊本)、国際活動教育隊(駒門)、陸上幕僚監部(市ヶ谷)等で勤務。2014年1月に国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)情報幕僚として国連平和維持活動(PKO)へ派遣。2022年から2025年までニューヨークの国連本部 平和活動局軍事部で軍事計画官を務め、2025年9月から防衛省防衛研究所で研修員として勤務。
※クレジットのない写真は筆者提供
2014年1月、背中に日本の国旗が縫われた迷彩服を着て初めて南スーダンに降り立った。現地の厳しい情勢と、初めて経験する海外任務への緊張。それでも言いようのない大きな高揚感があった。あの経験が、PKOというものを自分自身の問題として考えるきっかけになった。


陸上自衛官としてUNMISSに派遣された私は、UNMISS本部の統合ミッション分析センター(JMAC)で司令部要員として、情報管理や治安事象の統計作成を担った。どこまでも広く澄んだ青い空と照りつける太陽の下、時に滝のような大雨に打たれながら、各国から派遣された軍人・警察職員・文民の仲間たちとともに、内戦後の不安定な情勢の中で派遣期間を全うした。その経験は、PKOの現場が抱える現実を自分の肌に刻み込んでくれた。
あれから約10年。2023年2月、国連の航空機で再び南スーダンに降り立った瞬間、眼前に広がる青い空と緑の木々とともに迫ってきた熱風は、UNMISSで勤務していた頃の記憶を思い出させてくれた。このとき私はニューヨークの国連本部でDPO(国連平和活動局)軍事部の軍事計画官としてUNMISSを担当しており、軍事部のナンバー2である副軍事顧問の少将とともに、出張で再び南スーダンを訪れていた。役割も立場も変わったが、あの暑さと青い空は変わっていなかった。

2023年の訪問は一つ一つのミッションは短期の出張だったが、副軍事顧問とともに複数のミッションの現地に赴き、実態を直接把握することには大きな意味があった。本部にいると見えにくいミッション横断的な課題も、現場に足を運ぶことで問題点が浮き彫りになる。現地訪問後に国連本部内での議論を経て改善につながった取り組みの中には、歩兵部隊が基地から離れてパトロールなどのために前方に展開する中隊レベルの作戦拠点の運用要領や生活環境の改善、軍司令部内の女性要員の比率向上などがあり、こうした取り組みを振り返ると、現地訪問という出張のもつインパクトの大きさを改めて感じる。
南スーダンでは、自身の派遣から10年経ち、変わっている部分と変わっていない部分の両方を直接肌で感じた。歩兵大隊の数も増え、セクター司令部も整備され、文民保護を主体とするマンデートのもとで、一見すると軍の作戦は円滑に進んでいるように見えた。しかし、現地で丁寧に聞き取りを重ねると、女性司令部要員の生活環境、地方へのパトロール時のトイレなど衛生面での問題、歩兵部隊が臨時に展開する拠点の強度、河川部隊の夜間行動能力、訓練場と訓練予算の不足など思った以上に多くの課題が浮かび上がってきた。

その後も、軍と警察の現地能力評価という2~3年に一度の大きな事業を担当し、2週間をかけてミッション全体をつぶさに見て回った。こうした一連の経験を通じて感じたのは、PKOの任務遂行には現場における地道な努力の積み重ねと試行錯誤があるということである。予算や作戦規模など、国内の任務とは大きく異なる制約の中で、目に見える即効性のある成果を出すことは難しい。それでも、平和維持要員一人一人の努力と貢献が現地の平和と安定の基盤を支えているという事実は、忘れてはならない。
国連では毎年5月29日を平和維持要員の日として、世界のPKOの現場と国連本部でセレモニーを実施している。このセレモニーではその年にPKOの現場で殉職された仲間を称え追悼する意味がある。PKOは国連創設当時、想定されていなかった活動であるが、1988年にノーベル平和賞を受賞しており、武力によらない紛争解決と平和構築の重要性は現在も現実的かつ有効な選択肢である。ニューヨークの国連本部でも、事務総長の臨席の下、厳粛にセレモニーが行われ、献花の他にも、その年にPKOでジェンダーの観点から功績のあった女性軍人・警察要員の表彰や、半年以上勤務した軍人・警察職員へのメダル授与式が行われている。

ⒸUN Photo/Manuel Elías
日本は、1956年12月に国連に加盟しており、今年で70年が経つ。この70年にわたり、日本は国連加盟国の一員として、財政・人的両面から国連の様々な活動を支えてきた。特に国連事務局の通常予算とPKO予算に関する義務的に負担する分担金や任意拠出金においては主要拠出国としての地位を維持し、PKOだけでなく、開発や人道、保健衛生など幅広い分野で実質的な影響力を行使している。PKOへの貢献は、加盟当初から積極的だったわけではないが、1992年のPKO協力法を契機に、自衛隊をカンボジア、モザンビーク、東ティモール、ハイチ、南スーダンなどへ派遣し、施設、輸送、衛生など活動の幅も少しずつ広がっていき、国連や現地住民の他、PKOの部隊派遣国からも高い評価を受けてきた。
グローバル化の進展により、世界各地で発生する紛争は、地理的な距離に関わらず、日本経済、エネルギー、社会生活にまで直接的な影響を及ぼしやすい時代になっている。こうした環境において、PKOの多くが展開する中東やアフリカの平和と安定に寄与することは、間接的に日本の安全保障の確保につながる。現在も自衛隊は南スーダンへ司令部要員を派遣しており、2026年5月からは新たにUNMISSの参謀長に日本から初めて自衛官を派遣することも決定した。国連本部でも平和活動局(DPO)やオペレーション支援局(DOS)で自衛官が勤務しているが、こうした関与を継続的かつ主体的に取り組む姿勢は不可欠である。

近年では、国際秩序を巡る環境は複雑化し、大国間競争の激化や価値観の対立により、国連を中心とした国際協調の枠組みに一定の揺らぎが生じている。こうした状況において、日本は日米同盟を基軸とする安全保障環境を維持しつつも、多国間協力を補完する手段として、PKOを戦略的に活用していくことは、外交・安全保障の両面において有効であり、同時に国連の機能維持・強化の観点からも望ましい方向性である。国連という普遍的枠組みを軽視するのではなく、日本の安全保障に資する実務的な協力の場として再評価した上で、これまで日本が貢献してきた分野、枠組みにとらわれず、よりイノベーティブな方法で主体的に取り組むことが今まさに期待されている。