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紛争勃発から3年:スーダンの復興・再建を支える地雷対策の現在

スーダンは現在、世界で最も深刻な人道危機の一つに直面しています。国内での紛争の勃発から、2026年4月15日で3年。爆発性兵器が広範に使用され、推定1400万人が地雷対策支援を必要としています。国連地雷対策サービス部(UNMAS)スーダン事務所で、最前線での人道支援活動を続けてきた本多麻純プログラム・オフィサーに、2026年1~2月にかけて再訪した首都ハルツームの現状について、寄稿頂きました。

出張中、ハルツームで実施した意見交換会にて。右が著者。

【略歴】本多麻純(ほんだ・ますみ) 大学卒業後民間企業での勤務を経て国際協力を行うNGOに入職。東北やハイチの地震被災者支援、シリアやミャンマーアフガニスタンスーダンにおける地雷対策を含む人道支援に従事。休職中、2017年から2019年までスウェーデン、ウプサラ大学にてロータリー平和フェローとして平和紛争修士号を取得し、卒業後一年間は同学部で研究助手およびロータリー平和センターのコーディネーターとして勤務。2021年10月より国連地雷対策サービス部(UNMAS)スーダン事務所プログラム・オフィサーとして勤務。

※クレジットのない写真は筆者提供

前回のブログを掲載していただいてから2年と6カ月、スーダンでの紛争開始およびそこからの退避劇からもうすぐ3年が経とうとしています。この間、世界は目まぐるしく動き、新たな紛争や暴力が巻き起こる中、スーダンでも闘いが続けられています。

広大な国土を持つスーダン。地域によって戦況は大きく異なり、国の西側にあるダルフール地域や南側のコルドファン地域では激しい戦闘が続き、大規模な虐殺や性暴力が繰り返される一方で、首都ハルツームについては、2025年1月に国軍(SAF)が準国軍(RSF)を追い出す形で、一旦地上戦が終わりました。その後も散発的なドローン攻撃はあったものの、SAF側は首都の奪還を祝い、人々に帰還を呼びかけました。

これを機に、数百万人という難民、国内避難民がハルツームに戻り始め、これに続いて、これらの帰還民へ支援を届けるため、国連組織やNGOもハルツームにオペレーションを戻す計画を立て始めました。

援助関係者のハルツーム事務所再開に先立ち、2025年4月に、UNMASは、国連安全保安局(UNDSS)と協力し、国連で最初のセキュリティ調査ミッションを遂行しました。UNMASから派遣された爆発物処理専門家の報告では、ハルツーム市内は夥しい数の不発弾と爆撃被害を受けた建物であふれていたそうです。7か所の国連施設を調査したところ、場所によっては不発弾が多すぎて危険であるため、入り口すらまたげず、より適切な機器とチームを携えて調査を改めることになったケースも。
これまでUNMASが力を入れてきたデータ分析による爆発物汚染レベルの予測をはるかに超える不発弾の数やその形跡を目視したとのことでした。また、7月にはハルツームの街中で、これまで確認されていなかった対人、対戦車両方の地雷が見つかり、その後も新たな地雷原の報告が続いています。

街中で見つかった地雷原(写真:UNMAS/DRC/JASMAR)

戦闘が収まった後も地雷や不発弾の脅威が残る中、増え続ける帰還民への支援を届けるため、2025年下半期には、多くの援助機関が徐々にハルツームに事務所を再開し、UNMASも世界食糧計画(WFP)の事務所に間借りする形で小さな事務所を設けました。こうしたなか、私は2026年1月下旬から2月上旬にかけ、私もハルツーム出張に行ってきました。

ハルツームへ

2023年の退避以来、一旦は日本に拠点を置き、2024年4月以降はケニア・ナイロビに移り、リモートでスーダンでのオペレーションをサポートしてきました。これまでもスーダンには何度か足を運んだことはあったものの、ハルツームまで行くのはこれが初めてです。

ハルツームへの移動は1月31日土曜日。ハルツーム国際空港がまだ再開していないため[1]、陸路での移動となります。また日が沈んでからの移動は禁止されているため早朝の出発です。2023年の退避経路を今度は遡る形で移動し、11時間かけて、ぎりぎり夕暮れ時にハルツーム州に到着しました。以前の事務所や自宅のあった中心街は、激戦地であったことから地雷・不発弾の被害が最も多く、まだ復興が遅れています。そのため、多くの帰還民や援助機関はハルツーム市からナイル川をはさんで西岸に位置するオムドゥルマンに戻っており、私たちもそこにある宿舎に泊まります。

[1] 2025年後半から始めたUNMASチームによる不発弾処理も手伝い、2月1日に空港は再開し、2月26日にはWFPが運航する人道支援専用機もハルツーム空港での発着を再開しました。

ナイル川沿いで夕暮れ時を楽しむ人々

オムドゥルマンの街中は、爆撃や銃弾の痕がまだ生々しく残っている建物が多い一方で、多くの人々が外を歩いており、お店やレストランなど、ビジネスも繁盛しているようでした。涼しくなってきた黄昏時、ナイル川沿いの通りには、堤防に腰を掛けて会話を楽しむ若者たちが目に入り、こんなに普通の生活が戻っているのかと、驚きました。

しかしながら、後日分かったことですが、ナイル川を渡ってオムドゥルマンへ入るための橋の一つにおいて、再建工事の最中に対戦車地雷が見つかりました。幸いにも被害者を出すことなくUNMASチームによって無事に除去されましたが、ようやく取り戻しつつある平穏な日常が、依然として紛争が残した負の遺産と隣り合わせであるという現実を改めて認識させられます。また、今後加速が求められる復興・再建の過程において、地雷や不発弾がいかに大きな制約となるかを強く示唆する出来事でもありました。

橋の再建工事現場で見つかった対戦車地雷(写真:UNMAS/DRC/JASMAR)

ハルツームの街中の被害状況

ハルツーム州での地雷対策

移動後初日、オムドゥルマンからハルツーム中心街に移動し、地雷対策の活動を視察します。白ナイル川にかかる橋を渡ると、人通りはみるみるうちに減り、かつてハルツームのランドマークだった歴史的または近代的な建造物も、オムドゥルマンの街並み以上に戦闘の爪痕の深さを印象付けます。

ハルツーム中心部のナイル川沿いに立つ高級ホテル。カダフィ大佐の支援で建設された近代化の象徴だったが、現在は紛争の被害が目立つ。

まず訪問したのは、紛争被害の激しいハルツーム大学の女子寮で不発弾除去にあたっているチームの活動。ほとんどが男性の中、このチームに紅一点、女性の除去員が作業をしています。地雷対策の分野では、もともと男性スタッフが多く、特に地雷・不発弾の除去には軍隊経験が有効であることや、その作業の危険性などから、長い間女性の除去員は皆無でした。スーダンでは、紛争前に女性の除去員を育成するための研修を行い、28人もの卒業生を輩出したにもかかわらず、紛争によって彼女たちの活躍はしばらく中断を余儀なくされ、また地方や国外に逃げた人もいることと想像します。

今回の視察中に出会ったサディアという女性除去員[2]は、南コルドファン州の出身。2023年以前から、国内で最も多くの地雷汚染に苦しむ州です。「被害が多かった分、その危険を取り除く仕事に貢献したいと思ってこの仕事を選んだ。危険な仕事だからと周りの人たちからは理解されにくいけど、私はこの仕事に誇りを持っているし、幸せに感じる」と、心強い言葉を聞くことができました。

[2] サディアのインタビュー動画(英語字幕)はこちら:

www.facebook.com

ハルツーム大学女子寮での不発弾除去作業。爆発物による損傷が目立つ。
後姿の除去員がサディア。

次に、地雷や不発弾の被害から身を守るための教育活動を実施しているチームを訪れます。住宅街の中で行われたセッションには老若男女30人を超える参加者が集まりました。子供と大人を分けて、それぞれに分かりやすいメッセージを伝えます。参加した子供たちの中には、最近拾った銃弾を開けようとして爆発し、指を失った男の子、不発弾のポスターを見て「それうちの庭で見た」と指さす女の子(今年10歳になる息子と同じくらいでしょうか)と、またしても、戦闘が収まった地域における地雷・不発弾の被害とその恐ろしさを再認識しました。

ハルツーム州に戻ってきた、あるいは留まり続けたスーダン人が直面する地雷・不発弾の脅威は、安全であるはずの家の中や学校、病院、近所の公園と、まさに生活空間にあるのです。また、その好奇心から、見慣れないもの、きらきら光る金属製のものなどを拾うことの多い子供たちは、残酷ながら、最も被害にあうリスクの高いグループとされています。

ハルツームで視察した子供向け爆発物回避教育セッション

すべての人に地雷対策を

このように、年齢や性別によって、行動パターンやその範囲は異なり、さらされる地雷や不発弾のリスクのレベルや種類も変わってきます。そのため、様々な違いを理解し、皆にとって意味のある地雷対策活動をデザインすることが重要です。

例えば、上記のような地雷・不発弾回避教育であれば、大人用に計画されたセッションは、子供にとっては分かりにくく、つまらないでしょう。そのため、子供たちは別に集め、子供にとって分かりやすい言葉を使い、集中力が続くように紙芝居を使うなどの工夫をこらします。四肢や視覚、聴覚に障害があり、健常者だけを想定したセッションには参加できない、参加してもわかりにくいという人たちへの配慮も必要です。地雷・不発弾の調査や除去活動であれば、コミュニティーのリーダー(大抵年配の男性)だけに話しを聞いて除去活動を行っていては、普段女性しか使わない道にある地雷や不発弾を把握しきれず、除去しそびれてしまうかもしれません。女性や若者、子供からも情報を集めることが重要なのです。

今回の出張では、活動視察のほか、私たちの実施する地雷対策においてジェンダーや多様性の視点を強化することが目的の一つです。ジェンダー専門家を迎え、UNMASスタッフやスーダンで地雷対策を実施している団体を対象に研修や意見交換会を行いました。

ディスカッションを通じて、スーダンが非常に多様であり、地域や民族、コミュニティ単位でジェンダー観やそれに基づく役割分担が異なることを再認識するとともに、紛争体験を通じて、様々な形で変化も生まれていると確認し合いました。

例えば、戦争で大黒柱を失い、家事や育児に加え、家計の責任も背負うことになった女性が増えたとのこと。彼女たちは、サディアがそうしたように、これまで男性ばかりだった空間に足を踏み入れているかもしれません。また、自ら家族とともに外国に逃れた男性からは、「ディアスポラになったスーダン人コミュニティの中で、異国において多様なジェンダーのあり方を目の当たりにすることで、これまで凝り固まっていた考え方が少しほぐれたように感じる」という意見まで出されました。

これらの変化は、地雷対策に関わるニーズやリスクも変わっていることを意味します。私たちは、これらの差異や変化に機微に対応していくことで、一つでも多くの地雷を取り除くことができ、一人でも多くの人の命を守ることができるのです。

最後の研修を終えて。左が著者

絶望から希望へ

今回の出張を通じ、強く心を動かされた変化がありました。地雷対策に長年関わりのある、また私も紛争前から面識のあるスーダン人女性についてです。退避後、初めてスーダンに戻った2024年11月に久しぶりに会った際、彼女は疲弊していました。いつもは明るく笑顔の絶えない彼女が、強く、長い抱擁を交わしながら、「戦争がすべてを壊し、すべてを奪っていった。許せない」と、涙を流しました。積み上げてきた生活すべてを失い、小さな子供たちを抱えての避難生活を続ける中、そのストレスやショックからしばらく精神疾患にも苦しんでいたとのこと。その彼女が、上述の研修や意見交換会に積極的に参加してくれました。

ある場面で、地雷対策含む人道・開発支援に従事する組織や関係者全員が、セクシャルハラスメントや性的搾取・虐待について意識を高め、予防・対策していかなければいけない、そして重要なのは制度の充実だけではなく皆の意識が変わること、という話し合いの中、彼女は「時間がかかっても、地道な努力を続ければ必ず変化は起きる」と確信をもってコメントしてくれました。

スーダンでもまだ多くの少女たちが被害を受け続けている女性器切除(Female Genital Mutilation: FGM)[3]の問題に触れ、「私の母親も私もFGMのサバイバー。でも私の娘はピアスの穴すら開けていない。彼女の体は彼女自身が決めることだから」と、誇らしげに語ってくれました。

スーダンでFGM撲滅に向けた草の根運動が始まった1940年代から、何世代にも亘る闘いはまだ続いていますが、少しずつ人々の意識や行動に変化が起き始めている証です。紛争と暴力の絶望が渦巻く中で、希望を感じさせてくれる力強い言葉でした。彼女のような女性が増え、平和で民主的なスーダンが実現しますように。

[3](FGMの説明についてUNICEF協会を参照ください)

www.unicef.or.jp