東日本大震災の発生から2026年で15年を迎えます。福島県出身で、災害の復興支援や「仙台防災枠組」、早期警報システムを複数の国連機関で推進してきた国連防災機関(UNDRR)アジア太平洋地域事務所の遠藤智夏プログラム・マネジメント・オフィサーによる寄稿をお届けします。

アジア太平洋地域事務所 プログラム・マネジメント・オフィサー
福島県出身。メルボルン大学にて開発学修士、ルンド大学およびトゥエンテ大学にて地理情報科学・地球観測(GIS/リモートセンシング)の修士号を取得。ザンビア、スーダン、南スーダンでの国際協力や人道支援、日本大使館勤務等を経て、2014年より国連開発計画(UNDP)ネパール事務所に勤務。2015年の「仙台防災枠組」採択の年には、カトマンズでゴルカ大地震(M7.8)に遭遇し、被災当事者として大規模な復興支援プロセスに深く携わった。その後、JICAでの活動を通じて日本の防災知見や国際協力について研鑽を積み、2023年より現職。現在はタイ・バンコクを拠点に、東南アジア諸国における「仙台防災枠組」の実施促進やモニタリングに従事するとともに、国連事務総長が主導する「Early Warnings for All(すべての人に早期警報を:EW4All)」イニシアチブの同地域における推進を行う。開発学の知見と科学的視点を融合させ、社会的弱者を置き去りにしない「行動につながる早期警報システム」の構築を通じ、災害に強い強靭な社会づくりに注力している。
ザンビアで見た、故郷の「静かな崩壊」
2011年3月11日。私は当時の赴任地であるアフリカのザンビアにいました。現地の同僚たちと囲んだテレビの画面越しに、NHK WORLDが映し出していたのは、私の故郷である東北地方の沿岸を黒い波が静かに、しかし圧倒的な速さで飲み込んでいく光景でした。
福島で生まれ育った私にとって、それは単なる遠い国のニュースではありません。見覚えのある風景、そしてそこに生きる人々の営みが一瞬にして奪われていく光景を前に、言葉にならない無力感に包まれたことを今でも鮮明に覚えています。当時、私の両親は福島第一原発から20キロ余りの場所に自宅があったため、着の身着のままで会津地方への避難を余儀なくされました。命の瀬戸際で決断を迫られる家族の姿は、遠く離れた地にいた私にとって、防災を「自分事」として捉え直す決定的な原体験となりました。
2015年ネパール --- 仙台防災枠組の年に直面した「現実」
私の防災への歩みは、その後、さらに過酷な現場へと繋がりました。2015年、世界が「仙台防災枠組」を採択し、新たな国際指針に沸いていたその年の4月25日、私はネパールのカトマンズでゴルカ大地震に遭遇しました。マグニチュード7.8、死者約9,000人という甚大な被害をもたらしたこの震災は、多くの被災者を出す大惨事でした。
激しい揺れの中で、崩れゆく街を目の当たりにし、その後の復興プロセスに深く携わった経験は、私の中に「強靭な社会とは何か」という問いをさらに深く刻み込みました。どれほど国際的な枠組みが立派であっても、現場で瓦礫を片付け、明日を生きようとする人々にその恩恵が届かなければ意味がない。このネパールでの被災経験と、福島の家族を通じた原体験が重なり合い、現在の私の活動の背骨となっています。
「動かなかった」のではなく「動けなかった」という障壁
アフリカの勤務を終えて日本に一時帰国した際に、福島県の障がいのある方々のコミュニティで復興ボランティアに従事する中で、私はある切実な問いに直面しました。「警報は出ていた。けれど、なぜあの日、彼らは動くことが困難だったのか」。
東日本大震災では、早期警報によって救われた命が数多くある一方で、警報を受け取りながらも避難行動に繋げられなかった方々も少なくありません。特に高齢者や障がいのある方々にとっては、車椅子での移動手段の欠如といった「物理的障壁」に加え、避難所での受け入れ態勢への不安といった「社会的障壁」が、命を守るための「最後の一歩」を極めて重いものにしていました。ここでの本質的な問題は、情報の精度そのものではありません。届いた警報が、個々の状況に応じた具体的な「行動」へと変換されるための条件が、社会の側に整っていなかったことにあります。
仙台防災枠組の意義と、残された課題
2015年に採択された「仙台防災枠組」は、国際社会にとって大きな転換点となりました。それまでの災害対応中心の考え方から、未然にリスクを抑える「災害リスク軽減(DRR)」へとパラダイムシフトを促したことにその真の意義があります。特にターゲットGで掲げられた「早期警報システムへのアクセス拡大」は、人命を守るための最優先事項として位置づけられました。しかし、実施期間の残り4年を控えた今、大きな課題も見えてきました。それは、技術的な「アクセス」が必ずしも一人ひとりの「行動」を保証するわけではないという点です。早期警報への投資は高い費用対効果を持つものの 、その恩恵が社会的に最も困難な状況にある人々にまで届き、実際に避難できる「条件」を整えること -- このラストマイルの克服が、今まさに問われています。
日本の進化と広島県の挑戦 -- 行動を後押しする設計
こうした教訓を経て、日本は情報の届け方を劇的に進化させました。気象庁は、巨大地震直後にあえて具体的な数字を出さず「巨大」という言葉で警戒を呼びかける運用を導入しましたが、これは「正常性バイアス」を打破し、行動を最優先させるための「言葉の進化」です。
また、広島県の調査からは、事前の知識や避難の実行可能性、そして他者からの呼びかけが早期避難を後押しする決定的な要因であることが明らかになっています。特に自ら判断することに不安を感じやすい状況では、信頼する身近な人からの働きかけが「今、動こう」という決断に繋がります。これを受け、同県では個人のタイムライン作成と、家族が避難を促す「逃げなきゃコール」をデジタル技術で統合しました。技術そのものよりも、いかに「行動を取りやすく設計するか」という視点がラストマイルを埋める鍵となります。
東南アジアの現場:専門用語の壁と「信頼」の所在
2023年に国連防災機関(UNDRR)に着任して以来、東南アジア各国で「Early Warnings for All(EW4All)(すべての人に早期警報を)」を推進していますが、現場ではさらなる課題に直面しています。毎年洪水の被害を受ける東ティモールやラオスの調査では、情報は届いているものの、その内容が高度な専門用語であるために、住民が「自分の日常の中で何をすべきか」を判断できない状況が見られました。また、公式発表よりも、地域で信頼されているリーダーの言葉やラウドスピーカー(拡声器)が命を繋ぐ場面に遭遇します。 ここで私たちが目指す「All(すべての人)」とは、単に統計上の全員ではありません。それは、言語の壁や身体的障壁によって、これまで「静かに取り残されてきた人々」一人ひとりが、自らの判断で「動ける」状態になることを意味しています。


情報の「ラストマイル」を埋めるための試みは、東ティモールの現場でも実を結んでいます。2025年の「世界津波の日」に合わせ、UNDRRは現地の人気アーティストたちと協力し、避難のメッセージを込めた「津波ソング」を制作しました。「自分たちの国には津波は来ない」という誤解を解くため、音楽という文化的に親しみやすい形をとることで、難解な警報の概念を「口ずさめる記憶」へと変えたのです。 この歌を携えた学校巡回では、子供たちが遊びやロールプレイを通じて津波のサインを学び、自らの言葉で家族にリスクを語り始めました。この取り組みは、早期警報システムが真に機能するためには、技術だけでなく「何をすべきか」を人々が深く理解していることが不可欠であるという原則を、鮮やかに証明しています。
東ティモール 津波ソング
支援の「対象」から、解決策の「リーダー」へ
福島やネパール、そして東南アジアの現場が教えてくれたのは、当事者は決して「支援を必要とする受動的な存在」ではないということです。彼らこそが、何が必要かを最もよく知る専門家であり、解決策を導き出すリーダーです。
福島でのボランティア活動中、私は障がいのある方々が自立し、自ら組織を立ち上げて仲間の状況を把握し、積極的に支援を組織化している姿を目の当たりにしました。障がいの有無に関わらず、当事者には自ら行動し、コミュニティに貢献する力が備わっています。
インクルーシブ(包摂的)な早期警報とは、こうした当事者の主体性を尊重し、計画のデザイン段階から彼らがリーダーシップを握ってプロセスに参画することです。東ティモールの避難訓練でも、子供たちが大人をリードして避難を促す姿が見られました。障がいのある方、子供、高齢者など、最も困難に直面しやすい人々が「主役」となって防災を組み立てる。そのプロセスこそが、結果としてコミュニティ全体の安全とレジリエンス(回復力)を底上げする確かな道なのだと考えます。

2027年、仙台から再び世界へ
2027年、仙台防災枠組の誕生の地である仙台で、再びアジア太平洋防災閣僚級会議(APMCDRR)が開催されます。早期警報を「情報」から「確かな行動」へ。
15年前にザンビアから被災する故郷を見つめていた私は今、UNDRRの一員として、世界中の誰もが「動ける」未来を目指しています。あの日、動きたくても動けなかった人々の無念を、これからの希望に変えていくために。私たちは当事者のリーダーシップと共に、より良い防災の形を築いていかなければなりません。
(2026年2月執筆)