国連広報センター ブログ

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「みんなで乗り越えよう、新型コロナパンデミック:私はこう考える」(25) UNHCR親善大使・ギタリストMIYAVIさん

国連諸機関の邦人職員幹部をはじめ、様々な分野で活躍する有識者を執筆陣に、日本がこのパンデミックという危機を乗り越え、よりよく復興することを願うエールを込めた新ブログシリーズ。第25回は、ギタリストMIYAVIさん(UNHCR親善大使)からの寄稿です。

 

どんな状況でもベストを尽くす ー みんなで支え合い、助け合える世界に

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ギターピックを使わない三味線にインスパイアされたスラップ奏法を独自に編み出し、“サムライギタリスト”として世界的に注目されるギタリスト。これまで30カ国以上、8度のワールドツアーを実施。アンジェリーナ・ジョリー国連難民高等弁務官事務所UNHCR)特使が監督を務めた『Unbroken(邦題:不屈の男アンブロークン)』などに出演し俳優としても活動。2017年、日本人初のUNHCR親善大使に就任。これまでレバノン、タイ、バングラデシュケニア、コロンビアのUNHCRの現場を訪問。 © UNHCR/Allan Kipotrich Cheruiyot

 

2020年、年が明けてからはブラジルやハワイなどをツアーで周っていました。その中で、UNHCR親善大使としてコロンビアの難民支援の現場を訪問し、ベネズエラから逃れてきた難民の方たちや地元でサポートをしてくれている人たち、現地のUNHCRの職員たちと話をしました。UNHCR親善大使としての活動でいつも感じることですが、現場で何が起こっているのか、どれだけリアリティを持って感じられるかが重要なので、直接現地に出向くことは親善大使の活動としてもすごく大切なことです。

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コロンビアで出会った子どもたちと。コロンビアには自身も避難を強いられ困難に直面している国内避難民が多くいるにもかかわらず、ベネズエラから逃れてきた人たちを寛容な姿勢で受け入れている。© UNHCR/Santiago Escobar-Jaramillo

 

その時点で、中国で新型コロナウイルスの感染が広まっているというニュースは目にしていましたが、ここまで影響がおよぶとは思っていませんでした。その後、2月にロサンゼルスでの仕事を終えて日本に帰ってきて、今度はヨーロッパ、アメリカでの感染者の数が激増していき、3月に入ると状況は一変しました。日本でも緊急事態宣言が発令され、僕も皆さんと同じようにステイホームの日々が始まりました。4月に新アルバムのリリース、その後に国内でのツアーを控えていましたが、ツアーをキャンセルするのかしないのか、これまで前例のない危機を前に、スタッフたちとずっと議論を重ねていました。

 

新型コロナウイルスの感染が拡大していく中で考えさせられたこと。自分に何ができるのか、エンターテイメントの存在意義、ミュージシャンとしてどうあるべきなのか、何を発信していくのか、なぜ音楽を続けるのか。いろんなことを考え始めた時期でした。

 

ツアーや映画の撮影など仕事で海外を周っていると、事前に予定していたことがいきなり変わることは、ある種日常茶飯事です。どんな状況にあっても、置かれた状況の中でどうベストを尽くせるのか、常に予期せぬ変化があることを前提に考え、これまでも動いてきました。

 

コロナ禍においても、感染してしまった人の命を救うために僕たちが直接的にできることはそう多くないかもしれない。でも、リモートワークで職場に行けない方、学校に行けない子どもたちなど、家にいるしか選択肢がなく心がどんどん病んでいってしまっている人たちに対して、音楽やパフォーマンスを届けたり、医療現場の最前線でリスクを背負いながら働いている人たちに対して支援をしたり、僕たちアーティスト、エンターテイメントにもできることが必ずあるはずだと思い、できることからはじめていきました。

 

日本で、東京で何をするべきか、緊急事態宣言の中で、まずは自宅からでも発信できることをしていくしかない。そうしてスタートしたのが、Instagramでのファミリーライブです。僕は普段、ツアーで海外にいて自宅を空けることが多いのですが、ファミリーバンドを結成したことで、逆に音楽を通じて家族のきずなが深まりました。そして、その時間をファンのみんなや、僕の活動を応援してくれている人たちとシェアできればと思い、できるだけ間隔を空けずにやろうと始めましたが、さすがに毎日やっていた時はすごく大変でした(笑)。だけど、その中でも新しい発見がたくさんありました。 

自宅から配信したファミリーライブ。「家族で音楽を楽しむ動画が自粛中の人々に元気を与えたとして、第13回ペアレンティングアワード「パパ部門」を受賞

 

こんな時だからこそ、みんなで苦しい時間、不安な時間をどう乗り越えていくか、とにかく時間を共有することで、少しでもその不安をぬぐえればと思いました。緊急事態において、アーティストもファンもあまり関係ありません。単なるショービジネスではない、人としてのつながりを大切にしたかったんです。インスタライブを見にきてくださった方と共有する時間は、僕たちにとっても大事なものだったし、2020年、あの状況下で過ごしたあの時間は忘れることはないと思います。

 

その次にチャレンジしたのがヴァーチャルライブです。予定していた全国ツアーが中止になってしまったので、それならヴァーチャルでやってみようと。レベル1は僕のワークスペースから、レベル2ではドローンを使用してスタジオから、レベル 3teamLabから世界に発信しました。まだコロナの影響が少なくない中で、安全に配慮しながら全力で関わってくれたスタッフのみんなを誇りに思いますし、これもこの2020年に行ったことに大きな意義を感じています。そして今、次なるレベル4の開催も予定しています。

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新しい挑戦として始めたヴァーチャルライブ。テクノロジーを駆使して、さらなる 進化を続けている © COURTESY OF MIYAVI

 

世界的な流れとして、どの業界においてもテクノロジーを使わざるを得ない状況になってきたのは、ある種必然的なことなのかなと感じています。これから、もっとリアルとバーチャルが交差していく。リモートでの会議やバーチャル上でのコミュニケーションにおいては、今まで当たり前だったことはやはり難しくなってきます。面と向かって対話する時の空気感、ふれ合い、体温、その場の雰囲気や波動による影響などはリモートだと皆無になってしまう。その中で、どうリアルであれるのか、人と人の本当の”つながり”って何なのか、今、あらためて問われているような気がします。

 

620日の「世界難民の日」には、オリンピックを直前にいろんなアーティストや賛同してくれる企業などを招いてチャリティイベントも計画していたのですが、今年は結局オンラインでの開催となりました。ここらへんの判断も、日本での温度感とUNHCR本部があるスイス・ジュネーブ他の国の状況とのギャップがあったので、非常にセンシティブで難しい判断でした。が、結果ああいう形での開催になり日本のミュージシャンの仲間たちがそれぞれ思い思いのメッセージを寄せてくれ、難民問題についての意識が決して高くない日本において、非常に意義のあるイベントになったと思います。

 

声を上げるということは責任を伴います。参加してくれアーティストたちそれぞれが自分の言葉で、それぞれの立場で話してくれたこと自体、すごく大きなことですし、今まで難民問題に触れたことがなかった人たちにも届きはじめている、強い手応えを感じました。

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世界難民の日 特別配信 UNHCR WILL2LIVE Music 2020」ではメインパーソナリティ―を務め、音楽を通じて難民支援への参加を呼び掛けた ©国連UNHCR協会

 

やはりどうしても日本にいると物理的な距離もあり、さらにコロナという世界規模の危機の中で、難民問題を身近に感じることは難しいかもしれません。でもそんな今だからこそ『世界のどこかで僕たちよりももっと過酷な状況で生き抜いている人たちがいる』ということに目を向けてほしいし、僕たちも彼らから学ぶべきことがたくさんあります。

 

今年3月に東京マラソンに出場するために来日した難民アスリート、ヨナス・キンディ選手と、非公式ですがお会いさせてもらい話した時の言葉が印象に残っています。「エチオピアから命からがら逃げてきて、今もなお難民として生かされている。どれだけ物資やお金の支援を受けても、カフェで一人お茶をしていると、耐えられないくらいの孤独を感じることがある」と。「時に、自分が空気のような存在で、周りからそこで生きていることさえも忘れられる、何もできないまま時間が過ぎていくのが、怖い」と、涙を流しながら話してくれました。これは先進国に住んでいる僕たちも感じることがある感情じゃないでしょうか。物質的なものではなく“人とのつながり”。それを持って僕たちは“生きている”と実感することができる。社会とのつながりをどう持ち、自分の存在を肯定していくか、本質は同じことのような気がします。 

2016年リオ五輪で初めて結成された「難民選手団」のメンバーでもあるヨナス選手。現在はルクセンブルクでトレーニングに励んでいる。

 

今現在、僕自身もUNHCR親善大使として、難民支援の現場に足を運べないのは、もどかしい気持ちでいっぱいです。僕の役割は、自分の足で現場に入って、そこにいる人たちを音楽や文化の力で元気づけること。そして、そこで得たこと、起こっていることを自分の目で見て、肌で感じて、それを世界中の人たちに伝えること。だから、今動けないことがもどかしいですが、そんなことばかりは言っていられません。じゃあ今、東京にいて、何ができるのか。日本初のUNHCR親善大使として、この国における難民問題をどう広めていくことができるのか。日本で暮らす難民の方たちの状況も、もっともっと勉強していきたい。そしてこの難民問題の現状を日本の人たちに伝えていき、その支援の輪を広めていく、それが今日本にいる僕のミッションでもあります。

 

2021年に延期された東京五輪への出場を目指して、今も世界各地でトレーニングに励んでいるヨナス選手をはじめとした難民選手団のアスリートたちに心からエールをおくり続けるとともに、彼らと東京で会えることを心待ちにしています。

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バングラデシュロヒンギャ難民キャンプでサッカーの試合に飛び入り。子どものころ “サッカー少年”だったMIYAVIと難民の子どもたちのサッカーはUNHCRの現場訪問の恒例 © UNHCR/Jordi Matas

 

先行きや未来が見えないのは、本当に怖いことです。それはどんな大企業も、アスリートも、難民キャンプで過ごしている人たちも、僕たちと一緒です。じゃあ、どうやってその怖さを克服していくのか。そのためには、新しい道を作るしかない。それ以外に未来にはつながる道はない、僕はそう強く感じています。

 

ロックダウンにより世界中で経済活動がストップし、僕たちの生活もパニックに陥りました。だけど見方を変えると、地球にとっては決してマイナスではなかったのかもしれない。交通量が減り、空気がきれいになった。自宅にいる時間が増え、自分や家族との向き合い方も見つめ直せた。もしかしたらSDGs(持続可能な開発目標)を達成し、未来に向けて持続可能な地球にしていくために与えられた必然的な時間、試練だったのかもしれない。だからこそ、このまま何もなかったように経済が前のように戻ってはいけない。何をもって“成功の価値”とするのか。その成功の価値観の中に、地球や社会全体との向き合い方も含まれないといけないですし、このパンデミックをその方向へシフトする大きなきっかけにするべきだと強く思っています。

 

コロナじゃなければこうだったのに、と振り返るだけだと何も生まれない。僕たちミュージシャンは、描きたい未来を、言葉や音に乗せて伝えていくことができる。未来を描くことができて、初めてそこに希望が生まれる。それが僕たちの役割ですし、存在する理由でもあります。それもこのコロナ禍に改めて再確認できたこと。なので変わらずに描き続けていきたいと思います。

 

今、僕らの時代は岐路に立たされています。この地球上で僕たちが直面している問題は、何をやっても無力感を感じるくらい、途方もない大きい問題ばかりです。だけど、僕たちみんながそれぞれの役割をまっとうして、つながることができたなら、そこに解決の糸口が見つかるかもしれない。世界を見渡せば、そんな意識をもった人たちがたくさんいます。

 

未来を信じて、声を上げている人たちもたくさんいます。誰も自分が大変な時に、他の人を助けることなんてなかなかできません。だから、まず自分が強くあること。しっかりと自分たちの足を固めた上で、地球に良いことをしたり、世界のどこかで苦しんでいる人を助けていく。自分にできることは限られて小さなことだとしても、それを続けていくことで、いつか、皆がつながり、大きなうねりを生み出すことができる。僕はそう強く信じています。がんばりましょう!

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新型コロナウイルスの危機をみんなで乗り越え、1日でも早く、ギターを携えて難民の子どもたちに会いに行ける日がくることを願っている © UNHCR/Jordi Matas

 

日本・東京にて

MIYAVI