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わたしのJPO時代(19)

 

「わたしのJPO時代」第19弾は、国連教育文化科学機関(ユネスコ)のバンコク・アジア太平洋地域事務所で教育事業コーディネーターを務める諸橋淳(もろはし じゅん)さんのお話をお届けします!「戦争は人々の心の中で生まれるものであるから、人々の心の中に平和の砦を築かなければならない」と憲章(前文)に謳うユネスコで、国家間や文化間の協働によって平和を目指す仕事に取り組んでいます。大学院を卒業し、JPOとしてパリ本部で勤務を開始してからユネスコ一筋の諸橋さんに、これまでのキャリアを振り返っていただきます。

 

                  国連教育文化科学機関(ユネスコバンコク・アジア太平洋地域事務所

                                 所長室長 兼 アジア太平洋地域教育事業コーディネーター

                                        諸橋 淳(もろはし じゅん)さん

 

                                       ~世界平和実現への飽くなき挑戦~

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諸橋 淳(もろはし じゅん):1971年東京都出身。1995年東京外国語大学フランス語科卒(学士)、フランス・パリ政治学院への留学を経て、1999年一橋大学大学院社会学修士号取得、1999年よりJPOを経て、国連教育文化科学機関(ユネスコ)に勤務。パリ本部・社会人文科学局への配属を皮切りに、教育局の人権・平和教育担当官、ハイチ事務所の教育部門チーフなどを経て、現在はバンコクのアジア太平洋地域事務所に勤務。

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2年間のハイチ勤務を終え、パリの自宅で新たな任地であるタイ・バンコクへの引越の荷物整理をしていたところ、懐かしいものが出て来ました。JPOの応募書式で、日付は1998年。もうかれこれ20年も前の話です。志望動機にこうあります。

 

「国連機関に関心を持ったのは大学3年時のフランス留学がきっかけである。 国民戦線の躍進や、学生寮で生活を共にした同年代の移民出身者や仏人学生達との関わりを通じ、フランス社会のイスラーム移民に対するゼノフォビアを目の当たりにする。フランスの移民問題について卒論・修論で取り上げる中で、国家の枠組みを超えて移動せざるを得ない人々が安住の地を見いだす為に自分も何かをしたいと感じるようになった。」

 

読んで真っ先に思ったことは、20年前も今も世界はあまり変わっていない、むしろ悪くなっているかもしれないという危機感。そして、その「志」通りの仕事を今までさせてもらえたことへの感謝と、決して偽善や自己満足で終わらせてはならないという責任。世界のあちこちで紛争が続き、新たな争いの火種もあちらこちらに存在しています。その一方で民主主義の力が発揮され、より良い国づくりに舵を切ろうとする国々もあります。そんな中で、ユネスコは、また自分自身は何をしなくてはならないのか。初心に帰れと言われたような気がしました。

 

大学院を無事に卒業した1999年、JPOとして国連教育科学文化機関(ユネスコ)パリ本部・社会人文科学局へ配属となりました。ユネスコと言うと、日本では世界遺産で取り上げられることが多いですが、教育、科学、情報・コミュニケーション、スポーツと、実は幅広い分野で仕事をしています。1945年に創設されたユネスコの憲章は「戦争は人々の心の中で生まれるものであるから、人々の心の中に平和の砦を築かなければならない」と謳っています。 知識人、科学者、文化人を動員し、国家間や文化間の協働によって平和を目指すという、時間のかかる成果物を追い続けなければならないのです。

 

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日本の子どもたちからユネスコに寄せられたメッセージ

 

JPOとしての初めての仕事は、 研究者と政策立案者との協働を通じ、多文化共生のための取り組みを加盟国間に浸透させるというものでした。具体的には、先住民族や移民への差別や不平等という問題に対し、国や地方自治体の少数者の権利向上に向けた取り組みを調査し、優良事業をとりあげて、実務者間の意見交換会や気づきの機会を持ってもらうためのワークショップの企画・運営を担当しました。やる気と能力があれば、若い人にでも自らプロジェクトを立ち上げて動かす機会をどんどん与えてくれる環境で、最初は右も左も分からない日々が続きましたが、頼れる同僚やアシスタント、理解のある上司にも恵まれ、様々なイニシアティブを取らせてもらうことで成長できた時間でした。

  

国際機関で働く醍醐味の一つは、滅多に出会うことのないはずの人々との出会いです。これまで世界のあちこちへ赴きましたが、今でも忘れられないのが JPOの2年目に関わったカムチャッカ半島への出張。“エヴェン”と呼ばれる先住民族が長い歴史の中で培ってきた文化や自然に対する知について調査し、持続可能な「開発」の形を模索するというプロジェクトでした。マイナス28度という厳寒の中、一本しかない国道を、故障を繰り返すミニバスで同僚たちと山の中へ分け入り、エヴェン共同体の皆さんと通訳を交えながら数日間かけてじっくりと話を聞きました。トナカイの飼育を生活の糧にしながら生きて来たエヴェン人が、歴史に翻弄され、近代化の中で今後どうやって自分たちの生活や文化を守り続けて行くのか苦悩する姿、若い世代が抱える問題や将来の夢など、短い時間の中で私の心に深く響くものがありました。

 

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写真は2016年1月、国連本部で行われた先住民の言語の保存・再生に関する記者会見で発言するカムチャッカ半島(ロシア)出身の女性。国連総会は2007年に「先住民族の権利に関する宣言」を採択し、先住民族の制度、文化、伝統を維持・強化することを決めた

 

3年間のJPOを経て、その後2年間はユネスコから直接雇用されるテンポラリー職員扱いとなりました。その間に勤務していた部署のスタッフが定年退職されたのを受け、新しくP2のポストが作られることとなり、これに応募して、2004年に晴れて正規職員となることができました。その後も同じ部署で人権関係の任務を担当しましたが、一つの大きな成果は、2005年に欧州、カナダ、アジア・太平洋で立ち上げた「差別撤廃・共生のための都市連合」です。人々の日常生活において身近な関わりを持つ市町村が教育、住居、健康、雇用面などで、移民をはじめとする少数者の日常生活をどのようにサポートするか。政治・経済的に難しい環境の中で、日々知恵を絞って活動する市町村レベルの政治家や職員に、独自の問題群や取り組みなどを共有してもらい、相互学習と連帯の為のネットワークを作りました。

 

ナチス・ドイツ時代の反省から積極的に少数者の権利を守る活動をしているニュルンベルグ市から始まり、ユネスコの精神に賛同する世界各地の大都市から小さな町までをつなげ、政治家や政府・自治体関係者、人権活動家や研究者、教育者、芸術家、大使、市民団体や若者・子供たちを動員して、熱く議論し合い、様々な提言や行動に結びつけることができたと感じます。こうしてできた「差別撤廃のための10か条」は、今でも都市間ネットワークの結び目になっています。ユネスコの万人の人権尊重と世界平和の精神に則ったボトムアップ的な活動は、ポピュリズムの潮流、偏見・差別・憎悪が止まない昨今、特に重要であると言えるでしょう。

 

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アフリカ諸国の代表らに向けた平和教育推進に向けたワークショップを ケニアで実施

 

世界の恒久的平和の構築に積極的に参加する人々がいる一方で、世の中の不平等や社会経済的排除の現状に疑問を抱かず、行動を起こす事に関心を持たない人たちも数多くいます。こうした人々に何をどう伝えて行くのか。これはユネスコにとって大きな課題です。もっと直接人々の心に働きかけるような仕事に携わりたいと感じ、2007年、教育局で募集していた人権・平和教育担当官のポスト(P3)に応募して採用されました。国の教育関係省庁と直接接触する機会も多くなり、加盟国の教育政策へのトップダウンの働きかけという、これまでとは違ったスタンスでの仕事に携わることとなりました。中でも、後に「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にも取り込まれることとなる、ユネスコの「世界市民教育 Global Citizenship Education」プログラム作りに参加できたのは非常に有意義な経験でした。

 

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地球市民教育ワークショップでは、持続可能な開発に関する様々なグローバルな 課題にどう向き合うかを、教育関係者と共に探った

 

我々の地球社会は、温暖化やエネルギー問題、紛争による難民の受け入れなど、環境、経済、社会面で既存の国家の枠組みを超える数々の地球規模の問題群に直面しています。今こそ、時空を超えて物事を多面的に捉え、クリティカルに創造的に解決策を見いだし、他者と協力しながら、自らも積極的に行動できる力を持つ未来のリーダーたちを育てる必要性が高まっています。公教育が伝統的に自国民を育てるためのメカニズムである一方、グローバル化の中で、教育が地球規模の持続可能な開発に果たすべき役割も問われていると言えます。教育の新しいビジョン、実践の手法などについて指針作りを行い、実際に加盟国の教育カリキュラムや教職員教育、教材や教育方法の見直しなどに協力しています。

 

2014年、転機が訪れました。教育部門のチーフ(P4)としてユネスコ・ハイチ事務所に異動することとなったのです。本部が進める理想の教育の概念が、ハイチのようなアクセスにも質にも課題が残る環境でどこまで実現できるでしょうか。ハイチは2010年の大地震の爪痕が今も残り、復興の遅れと不安定な政情が混乱に拍車をかけています。 教育セクターのガバナンス強化、教職員免許法の確立に向けた土台作り、母国語教育の促進や、災害教育の強化などに携わりました。小さなオフィスは毎日フル回転で、ハイチ人スタッフ達とのチームワーク、 他の開発パートナーとも連携し、教育省に毎日通い詰めという 密度の濃い毎日を送りました。

 

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ラテンアメリカカリブ海地域で開催した教育省代表者向けの ワークショップで講演する諸橋さん

 

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ハイチの高校生を対象にした持続可能な開発についてのワークショップでは、活発な意見が相次いだ

 

2年間のハイチ勤務を経て、2016年秋より、在バンコク・アジア太平洋地域事務所へ転任となりました。これまでの教育の仕事に加え、所長室付きとなり、オフィス全体、また地域内の他事務所を、プログラムや資金、広報などの面で、戦略的に統括・サポートしていくという任務です。まだまだ修行中の身ですが、これまでの経験を生かして、この広大な地域でのユネスコの活動の強化に貢献すべく奮起しています。

 

最後に、キャリアについてまとめると、3年間のJPOを経て5年目にP2の正規職員、8年目にP3、15年目にP4と緩やかにステップアップしてきました。本部で様々な部署や職務を経験した後、本部を離れてフィールドに出るようになってからまだ年数は浅いものの、経験と知識に幅と深みが出てきて、これはユネスコに従事するために必要なコンピテンシーの本質であったと痛感しています。また、組織内外に幅広くネットワークを持つことも自分自身の強みになっているとも感じます。

 

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ポピュリズムの潮流、偏見・差別・憎悪が止まない昨今、 教育の果たす役割はこれまで以上に大きい

 

理想の教育を世界中で実現するため、ユネスコの精神に賛同される皆さんが後に続いてくださることを心から願っています。