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新シリーズ「わたしのJPO時代」 (1)

新シリーズ「わたしのJPO時代」第一弾として、WFP 国連世界食糧計画の中井恒二郎さんのお話をお届けします! 元商社マンらしく、ネゴしてJPO派遣期間を延長してもらい、正規ポストにつなげたというバイタリティーの持ち主です。

WFP国連世界食糧計画・日本事務所 支援調整官 中井恒二郎さん

~ 民間の物流担当からWFPローマ本部で「100億円を扱うお金集めのプロ」に ~

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中井恒二郎(なかい こうじろう) WFP 国連世界食糧計画・日本事務所 支援調整官 
WFP 国連世界食糧計画で、2001年から、イタリア本部、南アフリカ地域局、日本事務所で、政府からの資金調達を担当。2009年から、ミャンマースーダンで地方事務所長として現場を指揮。2011年の東日本大震災では仙台で現地調整官、2012年にミャンマーラカイン州で緊急調整官、2015年にバヌアツ事業チーム長を務める。2013年6月から現職。前職は、伊藤忠商事(株)、在中国日本大使館に勤務。同志社大学法学部政治学科卒。米国ピッツバーグ大学大学院公共国際問題修士。大学時代に中国武漢大学に交換留学。


15年前に外務省のJPO試験に合格した時は、商社で物流担当という専門性を買われて、国連の中でも物流に一番強い国連WFPに派遣されることに決まりました。が、実際国連WFPからオファーがあったポストは、ローマ本部の「資金調達官」という仕事で、前職の在中国日本大使館勤務という職歴が買われたようです。他人からの評価は人や組織によって違って面白いなと感じました。

資金調達官は民間企業に例えると営業の仕事で、日本政府担当の私は、JPO1年目から、年間100億円を扱うお金集めのプロとして扱われました。上司は部下に仕事を任せるタイプで、前任者はすでに離任していたため、過去の資料と格闘し、本部ビルの1階から7階まで走り回りながら、実地訓練で仕事を覚えていきました。

調整力が求められるこの仕事は、当初戸惑いが多かったですが、各国政府の外交政策や政治的背景が読めるようになってくると、徐々に面白くなってきました。また、いくら資金を集めたかという「数字」になって仕事の結果が目に見えるのも、自分の相性に合っていたと思います。

着任2か月目に起こった9・11アメリカ同時多発テロ事件の後は、アフガン復興支援やイラク人道支援に対する資金集めに忙殺されましたが、様々な政治や歴史的背景を持つ国への支援を通じて、ローマのJPO時代は、「人道支援とは何か」ということをよく考えさせられました。

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JPO時代にモザンビークの食糧調査ミッションへ参加

ローマ本部の同僚たちは優秀で、楽しい仲間たちが多かったです。英語が不得手な私は当初、会議で話しまくっている同僚たちを見てたじろぎましたが、ロジックとユーモアを駆使して、半年もすると「日本といえばコージロー」という立場を確立することができました。当時の資金調達部長には大変お世話になり、「国連WFP職員としての自覚を深く持て!」など組織人としてのあり方を学んだほか、正規職員につながるポストも探してもらいました。

実は、ローマのJPO2年間だけではまだ正規職員になれなかったので、日本政府と国連WFPの話し合いでJPO3年目を延長してもらい、資金調達官として南部アフリカ地域局に転勤させてもらいました。ローマ本部時代から南部アフリカ地域を担当していたのに加えて、たまたま資金調達官のポストに空きが出たためで、ラッキーでした。

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スーダン中央ダルフール事務所長時代

南アフリカヨハネスブルグを拠点に、各国大使館と調整しながら、干ばつやHIV/エイズに苦しむ南部アフリカ10カ国の資金集めに励んだほか、資金管理、事業報告書、モニタリング、ニーズ調査などにも携わったため、仕事の幅が広がりました。そして1年後に晴れて、WFPの正規職員として採用されることになり、現在に至っています。

JPO3年間はあっという間で、半人前の自分が、何とか一人前の国連職員として認められるようになるまでに、必要な時間だったと思います。あの時感じた疑問、成功体験、失敗して学んだ教訓などすべてが現在の私の礎になっており、JPOを支援してくれた日本政府、国連WFPにはずっと感謝しています。

読者の皆さまも、是非JPO制度を利用して、将来国連で活躍して下さい!