国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

「被爆地の外でも平和を考える機会を」SDGsのためのヤングリーダーズ 中村涼香さん

 持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた取り組みを主導する若いアクティビストを称える国連の「SDGsのためのヤングリーダーズ」に2025年、日本からは初めて、NPO法人ボーダレスファウンデーション理事の中村涼香さんが選ばれました。

 被爆3世として長崎で生まれ、高校時代から平和活動に向き合い、核兵器のない未来への道を模索してきた中村さんに、活動の原点とこれからの目標を伺いました。

中村 涼香(なかむら すずか)NPO法人ボーダレスファウンデーション理事
【略歴】2000 年長崎県生まれ。祖母が被爆者の被爆3世。高校で平和学習部に入部し、長崎を拠点に平和活動を始める。2017年にノーベル平和賞を受賞したICANキャンペナーとして核兵器禁止条約を推進し、2022年、2023年の同条約締約国会議に出席。 被爆地の外でのアクションを広げるために東京を拠点とした「KNOW NUKES TOKYO」を設立。2024年には被爆体験を継承するために、東京大学で「あたらしいげんばく展」を企画。NPO法人ボーダレスファウンデーションでは、2,000 人を対象に平和をテーマにしたアンケートを行い、2025年8月に東京・日比谷で「へいわのつくりかた展」を開催。2025年10月、国連「SDGsのためのヤングリーダーズ」17人の1人に選出。

「続けていくうちに、想いが本物に」

 中村さんの原点は、地元の長崎の高校の「平和学習部」での活動です。様々な場で平和活動を行い、時にテレビで取り上げられる機会もある平和学習部は、校内でも"花形の部活" でした。

 中村さんは被爆3世ですが、被爆を経験した祖母から、被爆に関する話を直接聞いたことがありませんでした。平和学習部に入部した理由も、核軍縮そのものへの関心よりも「海外に行ってみたい」「英語を使ってみたい」といった気持ちの方が大きかった、と振り返ります。

 活動を始めてみると、平和の語り部として前に立つ仲間は、被爆者の方との繋がりが深くあったり、祖父母の話を自分事として話すことができる人ばかり。そうした繋がりのない自分に劣等感を感じたこともありましたが、「続けていくうちに、想いが本物になる。自分の言葉で伝えることが大事なんだよ」と受け入れてくれた顧問の先生の言葉に、背中を押されました。

 活動を通じて、祖母からも少しずつ話を聞くようになりましたが、それでも詳しく語ることはほとんどなく、祖母が長く語らずにきた理由を考えるきっかけにもなったといいます。

平和学習部の活動で署名活動を行う中村さん(中央) (中村さん提供)

 特に記憶に残っているのは、毎週、街頭で核兵器廃絶を呼びかける署名活動をしたことです。入部前は、海外に向けた発信などの活動が印象に残っていましたが、普段の活動は地道なものでした。被爆地の長崎であっても、署名活動で立ち止まってくれる人は、必ずしも多くはありません。道行く人に、断られる前提で「署名をお願いします」とペンを差し出し、マイクを使って話すときには、どうしたら振り返ってもらえるのか、と何度も考えました。2時間の署名活動は、身体的にも、精神的にもきつく、最後の残りの30分は「まだ終わらない」と果てしなく感じられたこともあります。それでも、署名を集めている高校生がいると伝えられたことは、平和や核兵器の現状について多くの人に考えてもらう機会になったのではないかと考えています。

 被爆者の方々と交流を深め、被爆の実相を知ると、怒りに似た感情が沸くこともありました。しかし、そうした面だけでなく、冗談を言い合ったり、談笑したりする時間を重ね、被爆者の方々と、一人の人間同士としての関係性を築くことができたといいます。「被爆者」という言葉や、固定概念に囚われず、平和活動に取り組むことができた経験は、中村さんの今の活動を支えています。

被爆者の方々がいなくなった後の平和活動の形

 被爆者の方々の証言活動や平和活動が「核のタブー」を築いてきたことには、心から尊敬の念を抱く一方で、活動をそのままの形で継承していくことには疑問もありました。「この活動の形で本当に若い人たちが集まってくるだろうか?」「本当にこれで課題を解決できるんだろうか?」という思いがあったからです。

 高校卒業後は、東京都内の大学に進学。「被爆者の方々がいなくなった後の平和活動の形」を真剣に考え、若者が主体となって核兵器のない世界を目指して啓発活動を行う「KNOW NUKES TOKYO」を設立しました。より多くの若者に平和や核軍縮について考えてもらう機会をつくろうと、ウェブサイトや発信のデザインにもこだわり、従来の核軍縮の啓発活動とは異なるトーンやビジュアル表現を追求しました。

 活動の一環として、核兵器禁止条約の締約国会議にも参加し、様々な関係者との議論を通し、知見やネットワークを広げました。核兵器禁止条約第2回締約国会議では、着物をまとって登壇。国際社会の場で日本の若者として存在感を示し、核兵器の問題に対してより多くの人の関心を引き寄せられるよう、腐心しました。

核兵器禁止条約第2回締約国会議で着物をまとってスピーチをする中村さんⒸUnited Nations

 「平和活動を仕事として続けていきたい」と考え、その方法を模索する中で出会ったのが、ビジネスを通じて社会課題の解決を目指すソーシャルビジネスの世界です。従来の平和活動、社会運動の限界も感じていた中で、PDCAサイクルを回す文化や、企画のターゲットを掘り下げる手法、ゴールの数値化など、ビジネスの手法を学び、「これは、100%平和活動に活かせる」と確信したといいます。そうした中村さんの思いに応えてくれる環境もあり、NPO法人ボーダレスファウンデーションでの挑戦を決めました。

 中村さんは、「平和をテーマに社会課題の解決に挑む起業家」を“ピース・アントレプレナー(Peace Entrepreneur)”と呼び、ビジネスの手法によって平和活動を持続可能な形にしていくことこそが、自分が進むべき道だと感じたといいます。

"核兵器をなくす選択" ができる世界

 それでも、「どうしたら核兵器のない世界を作れるのか」という問いへの答えは簡単には見出せませんでした。他のビジネスの課題には、鋭いフィードバックを出していたメンターも、中村さんの課題には頭を抱えたといいます。手ごたえは感じながら、何をすれば良いのか分からない━。そんな状態が続いた中で学んだのは、「どんな起業家も、1個目のプランニングと仮説検証でうまくいってることはない」ということでした。挑戦しては仮説を崩し、また挑戦しては崩し、と繰り返しながら自分を作っていくことが大事だと、次第に失敗を受け止められるようになっていきました。

 試行錯誤を経て、定めた目標は「"核兵器をなくす選択" ができる世界をつくること」。地政学的な緊張が高まる中、「核兵器がない方が良い」と口にすることが憚れる風潮が強まっていると感じていました。それでも、「核兵器がない方が良い」という意見さえ出てこなかったら、なおさら、核兵器を無くすための施策は生まれない。まずはそのための社会の土壌作りをつくりたい、と考えるようになりました。

国連広報センターで取材に応じる中村さん ⒸUNIC Tokyo

移動型の原爆資料館

 そこで目に留まったのは、原爆資料館の来館者数です。その数は、首都圏の有名な美術館にも引けを取らないほどで、被爆の実相を伝えるコンテンツの可能性を感じさせるものでした。一方、原爆資料館に行くのは、物理的にも、精神的にも、ハードルがあると感じ、原爆資料館を訪問しようと思う一歩手前の、入り口となる仕掛けが作れないかと考えました。

 現在企画の準備を進めているのは、「移動型の原爆資料館」。クリエイティブや、アートの力を使って、若い世代の人も呼びこみながら、核兵器に関する問題提起を共有することを目指しています。

 特徴的なのは、企画の成果指標です。来場者数だけではなく、「アクションする側に回る人を増やすこと」も含めています。企画展開催のためのキットの貸し出しも行うことで、参加者に「自分の地元でも開催したい」と思ってもらい、平和のための行動の輪を広げてもらうことを構想しています。

2024年に実施した「あたらしいげんばく展」では、アートとテクノロジーを使って核の脅威を表現。写真はAR(拡張現実)技術を使った渋谷に核兵器が落とされた状況をシミュレーションしたもの。ⒸNPO法人ボーダレスファウンデーション

SDGsと核兵器廃絶

 核兵器廃絶は、1カ国では解決できない課題です。だからこそ、グローバルなネットワークを活用して、世界中に活動を広げていたいと考え、SDGsのためのヤングリーダーズに応募しました。

 核兵器のない世界をつくることは、SDGsの17の目標全てに関わることだと、中村さんは説明します。核兵器が使われてしまうと、私たちの生活のすべてが崩壊してしまうからです。一方、SDGsの文脈で、核兵器の話題を目にしたことはなく、今回自身が国連のヤングリーダーズに選出されたことによって、核兵器廃絶は、SDGsの達成に向けても重要なアジェンダだと胸を張って言えるようになったと考えています。

 移動型の原爆資料館は、まずは国内で企画していますが、今後は、世界中のヤングリーダーとも連携し、海外にも展開していくことを目指しています。

「核兵器をなくしていくための、具体的でリアルな対話が、今、世界には求められていると思っています。その議論の始まりとなる場所を作っていきたいです」

 

UN Newsでのインタビュー記事はこちら(英語)

news.un.org

 

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3.11から15年:情報の「ラストマイル」を埋めるのは誰か -東北から世界へ、当事者が主導する「動ける」早期警報

東日本大震災の発生から2026年で15年を迎えます。福島県出身で、災害の復興支援や「仙台防災枠組」、早期警報システムを複数の国連機関で推進してきた国連防災機関(UNDRR)アジア太平洋地域事務所の遠藤智夏プログラム・マネジメント・オフィサーによる寄稿をお届けします。

遠藤 智夏(えんどう ちなつ) 国連防災機関(UNDRR)
アジア太平洋地域事務所 プログラム・マネジメント・オフィサー
福島県出身。メルボルン大学にて開発学修士、ルンド大学およびトゥエンテ大学にて地理情報科学・地球観測(GIS/リモートセンシング)の修士号を取得。ザンビア、スーダン、南スーダンでの国際協力や人道支援、日本大使館勤務等を経て、2014年より国連開発計画(UNDP)ネパール事務所に勤務。2015年の「仙台防災枠組」採択の年には、カトマンズでゴルカ大地震(M7.8)に遭遇し、被災当事者として大規模な復興支援プロセスに深く携わった。その後、JICAでの活動を通じて日本の防災知見や国際協力について研鑽を積み、2023年より現職。現在はタイ・バンコクを拠点に、東南アジア諸国における「仙台防災枠組」の実施促進やモニタリングに従事するとともに、国連事務総長が主導する「Early Warnings for All(すべての人に早期警報を:EW4All)」イニシアチブの同地域における推進を行う。開発学の知見と科学的視点を融合させ、社会的弱者を置き去りにしない「行動につながる早期警報システム」の構築を通じ、災害に強い強靭な社会づくりに注力している。

ザンビアで見た、故郷の「静かな崩壊」

2011年3月11日。私は当時の赴任地であるアフリカのザンビアにいました。現地の同僚たちと囲んだテレビの画面越しに、NHK WORLDが映し出していたのは、私の故郷である東北地方の沿岸を黒い波が静かに、しかし圧倒的な速さで飲み込んでいく光景でした。

福島で生まれ育った私にとって、それは単なる遠い国のニュースではありません。見覚えのある風景、そしてそこに生きる人々の営みが一瞬にして奪われていく光景を前に、言葉にならない無力感に包まれたことを今でも鮮明に覚えています。当時、私の両親は福島第一原発から20キロ余りの場所に自宅があったため、着の身着のままで会津地方への避難を余儀なくされました。命の瀬戸際で決断を迫られる家族の姿は、遠く離れた地にいた私にとって、防災を「自分事」として捉え直す決定的な原体験となりました。

2015年ネパール --- 仙台防災枠組の年に直面した「現実」

私の防災への歩みは、その後、さらに過酷な現場へと繋がりました。2015年、世界が「仙台防災枠組」を採択し、新たな国際指針に沸いていたその年の4月25日、私はネパールのカトマンズでゴルカ大地震に遭遇しました。マグニチュード7.8、死者約9,000人という甚大な被害をもたらしたこの震災は、多くの被災者を出す大惨事でした。

激しい揺れの中で、崩れゆく街を目の当たりにし、その後の復興プロセスに深く携わった経験は、私の中に「強靭な社会とは何か」という問いをさらに深く刻み込みました。どれほど国際的な枠組みが立派であっても、現場で瓦礫を片付け、明日を生きようとする人々にその恩恵が届かなければ意味がない。このネパールでの被災経験と、福島の家族を通じた原体験が重なり合い、現在の私の活動の背骨となっています。

「動かなかった」のではなく「動けなかった」という障壁

アフリカの勤務を終えて日本に一時帰国した際に、福島県の障がいのある方々のコミュニティで復興ボランティアに従事する中で、私はある切実な問いに直面しました。「警報は出ていた。けれど、なぜあの日、彼らは動くことが困難だったのか」。

東日本大震災では、早期警報によって救われた命が数多くある一方で、警報を受け取りながらも避難行動に繋げられなかった方々も少なくありません。特に高齢者や障がいのある方々にとっては、車椅子での移動手段の欠如といった「物理的障壁」に加え、避難所での受け入れ態勢への不安といった「社会的障壁」が、命を守るための「最後の一歩」を極めて重いものにしていました。ここでの本質的な問題は、情報の精度そのものではありません。届いた警報が、個々の状況に応じた具体的な「行動」へと変換されるための条件が、社会の側に整っていなかったことにあります。

仙台防災枠組の意義と、残された課題

2015年に採択された「仙台防災枠組」は、国際社会にとって大きな転換点となりました。それまでの災害対応中心の考え方から、未然にリスクを抑える「災害リスク軽減(DRR)」へとパラダイムシフトを促したことにその真の意義があります。特にターゲットGで掲げられた「早期警報システムへのアクセス拡大」は、人命を守るための最優先事項として位置づけられました。しかし、実施期間の残り4年を控えた今、大きな課題も見えてきました。それは、技術的な「アクセス」が必ずしも一人ひとりの「行動」を保証するわけではないという点です。早期警報への投資は高い費用対効果を持つものの 、その恩恵が社会的に最も困難な状況にある人々にまで届き、実際に避難できる「条件」を整えること -- このラストマイルの克服が、今まさに問われています。

日本の進化と広島県の挑戦 -- 行動を後押しする設計

こうした教訓を経て、日本は情報の届け方を劇的に進化させました。気象庁は、巨大地震直後にあえて具体的な数字を出さず「巨大」という言葉で警戒を呼びかける運用を導入しましたが、これは「正常性バイアス」を打破し、行動を最優先させるための「言葉の進化」です。

また、広島県の調査からは、事前の知識や避難の実行可能性、そして他者からの呼びかけが早期避難を後押しする決定的な要因であることが明らかになっています。特に自ら判断することに不安を感じやすい状況では、信頼する身近な人からの働きかけが「今、動こう」という決断に繋がります。これを受け、同県では個人のタイムライン作成と、家族が避難を促す「逃げなきゃコール」をデジタル技術で統合しました。技術そのものよりも、いかに「行動を取りやすく設計するか」という視点がラストマイルを埋める鍵となります。

東南アジアの現場:専門用語の壁と「信頼」の所在

2023年に国連防災機関(UNDRR)に着任して以来、東南アジア各国で「Early Warnings for All(EW4All)(すべての人に早期警報を)」を推進していますが、現場ではさらなる課題に直面しています。毎年洪水の被害を受ける東ティモールやラオスの調査では、情報は届いているものの、その内容が高度な専門用語であるために、住民が「自分の日常の中で何をすべきか」を判断できない状況が見られました。また、公式発表よりも、地域で信頼されているリーダーの言葉やラウドスピーカー(拡声器)が命を繋ぐ場面に遭遇します。 ここで私たちが目指す「All(すべての人)」とは、単に統計上の全員ではありません。それは、言語の壁や身体的障壁によって、これまで「静かに取り残されてきた人々」一人ひとりが、自らの判断で「動ける」状態になることを意味しています。

ラオスの首都ビエンチャン郊外での2025年の洪水の様子©Sanjay Pariyar UNDRR

ラオスではコミュニティのメンバーや村長などを通じた情報の伝達が今でも重要となっている©Sanjay Pariyar UNDRR

情報の「ラストマイル」を埋めるための試みは、東ティモールの現場でも実を結んでいます。2025年の「世界津波の日」に合わせ、UNDRRは現地の人気アーティストたちと協力し、避難のメッセージを込めた「津波ソング」を制作しました。「自分たちの国には津波は来ない」という誤解を解くため、音楽という文化的に親しみやすい形をとることで、難解な警報の概念を「口ずさめる記憶」へと変えたのです。 この歌を携えた学校巡回では、子供たちが遊びやロールプレイを通じて津波のサインを学び、自らの言葉で家族にリスクを語り始めました。この取り組みは、早期警報システムが真に機能するためには、技術だけでなく「何をすべきか」を人々が深く理解していることが不可欠であるという原則を、鮮やかに証明しています。

東ティモール 津波ソング

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支援の「対象」から、解決策の「リーダー」へ

福島やネパール、そして東南アジアの現場が教えてくれたのは、当事者は決して「支援を必要とする受動的な存在」ではないということです。彼らこそが、何が必要かを最もよく知る専門家であり、解決策を導き出すリーダーです。

福島でのボランティア活動中、私は障がいのある方々が自立し、自ら組織を立ち上げて仲間の状況を把握し、積極的に支援を組織化している姿を目の当たりにしました。障がいの有無に関わらず、当事者には自ら行動し、コミュニティに貢献する力が備わっています。

インクルーシブ(包摂的)な早期警報とは、こうした当事者の主体性を尊重し、計画のデザイン段階から彼らがリーダーシップを握ってプロセスに参画することです。東ティモールの避難訓練でも、子供たちが大人をリードして避難を促す姿が見られました。障がいのある方、子供、高齢者など、最も困難に直面しやすい人々が「主役」となって防災を組み立てる。そのプロセスこそが、結果としてコミュニティ全体の安全とレジリエンス(回復力)を底上げする確かな道なのだと考えます。

東ティモールで津波の早期警報を想定した学校(Escola CAFE)での避難訓練の様子 ©UNDRR

2027年、仙台から再び世界へ

2027年、仙台防災枠組の誕生の地である仙台で、再びアジア太平洋防災閣僚級会議(APMCDRR)が開催されます。早期警報を「情報」から「確かな行動」へ。

15年前にザンビアから被災する故郷を見つめていた私は今、UNDRRの一員として、世界中の誰もが「動ける」未来を目指しています。あの日、動きたくても動けなかった人々の無念を、これからの希望に変えていくために。私たちは当事者のリーダーシップと共に、より良い防災の形を築いていかなければなりません。

(2026年2月執筆)

2025年ヤング・アクティビィスト・サミット授賞式レポート 川﨑レナさん 「ハッシュタグからアクションへ」

2025年11月20日、スイスのジュネーブとオンラインのハイブリッド形式で、世界中の若い世代のチェンジメーカーの活動を称えるヤング・アクティビスト・サミットが開かれました。子どもや若者の声を政治や行政に届ける活動を続けてきた日本人初の受賞者、川﨑レナさんによる授賞式のレポートをお届けします。

川﨑 レナ
【略歴】2005年大阪府高槻市生まれ。14歳の時に若者が地域問題を解決する機会を創出する団体「Earth Guardians Japan」を設立。その後全国の社会問題解決の活動を行う18歳以下の若者が集結する「U18サミット」の立ち上げに貢献。15歳の時に株式会社ユーグレナCFO(Chief Future Officer)に就任、環境課題や人事制度の確立に力を入れる。愛媛県新居浜市東京都庁大阪府豊中市にて、若者の意見聴取を促進する政策を立案し、市町村レベルでの導入に関わり、2022年には国際子ども平和賞を受賞。学生と大学機関が共同で若者の意見聴取の実態の調査、導入を目的とする研究会Kowaka Labを立ち上げ、学会や行政機関での発表を行ってきた。2025年11月にジュネーブの国連ヤング・アクティビィストサミットにて表彰されるアクティビスト5人の一人として受賞。2023年より全額奨学金で米イェール大学にて認知科学(小児心理学)と芸術を学んでいる。 (写真は清水萌絵さん提供)

ジュネーブの国連本部に到着!

「うわー!テレビで見たことのある部屋だ!」そう言ってみんなでホールのサイズに圧倒されながら天井を見上げて、サミットの準備が着々と進むジュネーブの国連の大ホールに初めて足を踏み入れました。世界中の首相や大統領、まさにテレビで毎日見るような人たちが幾度となく意見を交わしてきたこの部屋で、毎年2000人ほどの若者が訪れるイベントが行われます。

ジュネーブの国連大ホールの様子 Ⓒdev.tv

ヤング・アクティビスト・サミット(YAS)という国連がスイスのNGOやテレビ局などと協力して開催するこのイベントは、若いアクティビスト、自分の住む地域を良くしようとアクションを起こしている世界中から選出された5人が毎年2000人の若者が見守る中で自身の活動や意見を語り合います。

今年のテーマは「From Hashtag to Action (ハッシュタグからアクションへ)」。テクノロジーが発展しているこのご時世において、特にテクノロジーを安全に使い、社会課題解決に励んでいるアクティビストが選出されました。私は本当にありがたいことにこのテーマに合った活動を行っているとして日本人として初めてYASにて賞をいただくことになりました。Zoomを使って若者が簡単に自分の地域で活動している政治家の方と意見交換ができる「政治家と話してみようの会」、愛媛県新居浜市で市役所の皆さんと大学生と一緒に立ち上げた若者の意見聴取QRコードシステムの「プチモニ」などの取り組みを評価していただいての表彰となりました。

YAS2025年受賞者5人と司会を務めるメラティーさんと一緒に国連の建物の前でポーズ!
筆者は左から二番目 Ⓒdev.tv

受賞者集合!

大学の授業が終わってそのまま走って飛行機に乗り、タクシーに揺られて着いたホテルで、ちょこんと座って宿題をしていた最初の受賞者のデブ君と出会いました。デブ君はまだ17歳のインドの活動家で、低価格のデジタルツールを使用してインドの池を復元する活動をしています。

次にホテルのロビーにやってきたのは、「会えて嬉しいわ!」とみんなをギュッとハグしてくれるコートジボワールのアクティビストのアミナタさん。彼女は「センター・マレ・ド・リュミエール」という団体の副代表として、女性を対象にデジタルマーケティング起業家精神の研修を実施しています。また、自身のコミュニティ内では若年層と連携し、オンライン上の安全確保を推進する活動にも取り組んでいます。

初日から毎日カッコいいスーツを着ていたサルビノさんは英語が話せない代わりに通訳のお姉さんを通して言葉の壁を超え、滞在中ずっと私たちをゲラゲラ笑わせてくれていました。サルビノさんはブラジル・リオデジャネイロの若い市議会議員兼教育委員会委員長。15歳の時に地元で学習支援活動を立ち上げ、スラム街の若者の教育機会を改善する大規模なプロジェクトへと成長させました。テクノロジーと政策を活用し、コミュニティを結びつけ、若者の学びへのアクセス拡大に取り組んでいます。

「みんなこっち向いて!」と毎回みんなの集合写真を撮って、すぐ送ってくれるのはレバノンの活動家のマリナさん。マリナさんはメドネーションズというレバノン初のヘルスケアテッククリニックを通じて無料相談を提供する組織の創立者です。人工知能を活用し、患者と医療専門家をつなぎ、医薬品不足を予測し、ケアを必要とする個人へのリアルタイムアクセスを確保しています。

式典の後、みんなで踊っている様子。「レナ、ダンス踊れるでしょ!」と言っているのは赤い洋服をきた一番左のアミナタさん。左からアミナタさん、司会のメラティーさん、 デブ君、筆者、サルビノさん、マリナさん。 Ⓒdev.tv

17歳から27歳と年齢層が幅広い受賞者がいるのが、YASの最大の特徴であり強みだと感じました。全員が10代の頃から各自の地域で活動を初め、全員がその活動を広げる様々なステージにいます。

「団体のここが上手くいっていない。」「活動を続けながら自分の学業はどうするのか。」「自分の活動に反対している組織からの脅しがある。」悩みや上手く行かないことに対して背伸びせず、リラックスして悩み事を一つ一つ乗り越えている4人の受賞者の姿は一人一人が現場に立ってたくさんの人間と向き合い戦っている証拠だと思います。私はまだまだ向き合っていかなければならないと改めて気づかせてもらいました。

ジュネーブのお守りたち

ジュネーブにはとても特別なお守りたちを連れて行きました。

2025年の夏、私も小さい時にお世話になった仙台のアトリエ自遊楽校で2ヶ月住み込みのインターンをさせてもらいました。アトリエ自遊楽校は、日中学校に行っている子供達たちから行っていない子供達、障害のある子供達、みんな違うみんな面白い子供達が「自分をつくる」空間、最近でいう学校でもお家でもない「第三の居場所」です。実際にヤギや昆虫を地域の人から借りてきて、間近で見て絵の具で描いてみたり、ダンボールで迷路を作って潜ってみたり、みんなで即興で劇を作ってみたり、自分を表現することによって、ゆっくり自分のペースで「自分らしさ」を探してみる場所です。子供達だけの居場所ではなく、大人たちも子供達を連れてきて、アトリエの大人たちへの子育て相談の場にもなっています。

真剣に本日のモデルを見つめるアトリエ自遊楽校の子供達とアトリエ創立者の「どんちゃん」こと新田新一郎さん (川﨑さん提供)

アトリエで住み込んだ夏は私にとってすごく体当たりな夏になりました。私が担当した授業で子供達が喧嘩して目の前で大号泣しているのにあたふたしたり、みんな分のタオルを高速で洗って洗濯し終わったと思ったら、パニックを起こしてしまった子を宥めたり。大学生になって人間、それも小さな人間が目の前で泣いたり怒ったりしているのに少しビクビクしてしまっていた私に「毎日健康に成長している人間たちは感情の大きな揺れがあるのは当たり前なんだよ」とアトリエの先生が教えてくれました。

小学生クラスのみんなと集合写真!(川﨑さん提供)

同じ目線で本気で遊び、本気で「好き!」を子供達に伝えること目標にした夏の終わりに、あの大号泣していた女の子と一緒に毎日鬼ごっこしていた女の子から手作りの指輪とミサンガをプレゼントでもらいました。本当に嬉しくて毎日本気で体当たりしたアトリエでの気持ちを忘れないように毎日つけています。ジュネーブの国連の舞台の上で一緒に遊んだ子供達の居場所の大切さについてお話できたのは本当に特別な気分でした。

アトリエの二人の女の子からもらった手作りの指輪とミサンガをつけて活動を発表! Ⓒdev.tv

向き合う人になるために

YASの受賞者の皆さんとアトリエの大人たち両方の強さは、やっぱり体当たりで人間たちといっぱい向き合ってきているからこそある言葉の重みです。レバノンの爆発を経験し、毎日患者さんとお話を続けているマリナさん。自身もファベラ(ブラジルのスラム)出身で反対派からの暴力を経験し、ファベラの子供達と向き合っているサルビノさん。決して安定していない政治環境の中で女性の権利を訴えるアミナタさん。水質の悪化に悩まされている自分と同じ地域に住んでいる人たちを助けたいと研究を続けるデブ君。それぞれ簡単ではない方法で決定権を持つ人たちとだけでない会話を大切にしていることが行動や言動からひしひしと伝わってきました。

学業との両立の中で、どうやったら言葉だけではなく、人と向き合い続けられる人になれるのだろうか。今私は向き合うことを続けるためにたくさんの人たちに支えられ、迷惑をかけ、学びを続けられていると思います。常に現場に立って子供達と本気で遊びながら、大舞台でその子達の居場所を守り続けれる人になるために、他の受賞者の方達に近づけるようにこれからも向き合う人になっていきたいと思います。

(川﨑さん提供)

大阪・関西万博を振り返って 国連パビリオンは何を伝えたのか

国連も出展した2025年大阪・関西万博は、半年の会期を経て10月13日に閉幕しました。国連パビリオンの広報担当、寺井浩介が184日間を振り返ります。

寺井浩介(てらい・こうすけ
【略歴】1989年兵庫県生まれ。東大大学院修了後、経済紙記者として国際ニュースや産業ニュースを担当。2021年1月からジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)としてニューヨークの国連本部に派遣され、グローバル・コミュニケーション局にて高等教育機関とのパートナーシップを推進した。22年末から国際自然保護連合(IUCN)アジア地域事務所の上級渉外・広報官として、バンコクを拠点に各国政府や非政府組織(NGO)との折衝や広報を統括。25年2月から大阪・関西万博国連パビリオンの広報担当としてPR活動全般を担った。

United for a Better Future(人類は団結したとき最も強くなる。)】 

この理念のもと、国連パビリオンは大阪・関西万博の184日間で、35の国連機関と15の国連事務局部局の活動を紹介しました。国連創設80周年の節目を迎える年に、国連が推進してきた多国間主義の歴史、世界中における幅広い活動、そして持続可能な未来への希望を来場者と共有しました。 

展示の中心には三つの常設エリアがありました。 
「タイムライン・ウォール」では、国連創設から今日までの歩みを紹介。 
「オーブの部屋」には、各国連機関の活動を象徴するオブジェが壁に埋め込まれ、世界を支える“見えない努力”を表現しました。 
そして「イマーシブ・シアター」では、アントニオ・グテーレス事務総長のメッセージとともに、持続可能な未来を立体的に体験できる映像作品を上映しました。 

いわゆる「国連ブルー」に彩られた外壁とそこに埋め込まれた200個以上のオーブ(球体)、17色で色分けされた持続可能な開発目標(SDGs)のカラーホイールが象徴的な国連パビリオンの外観 ⒸUN Pavilion/Rocky

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こうした展示にとどまらず、パビリオン内外で50以上のイベントに参画しました。そうしたイベントは各国政府や民間企業、大学、非政府組織(NGO)、若者など多様な方々と連携を強める機会となりました。 

メディア関係者の皆さまにも半年間にわたってご注目をいただき、テレビ、新聞、ラジオ、ウェブ、ソーシャルメディアを含めて、250件以上ご紹介いただきました。メディアでの報道をきっかけに国連パビリオンを訪問くださる方も多く、広報効果の大きさを実感しました。ジェットコースターのようにテーマが次々と入れ替わる展示やイベントに根気強くお付き合いくださったメディアの皆さまに、心より感謝申し上げます。 

天皇・皇后両陛下をはじめ皇室の方々のほか、大統領・首相や大臣、著名人なども多くお迎えすることができたことは、本当に光栄なことでした。日本政府や2025年日本国際博覧会協会の方々に国連の役割を知っていただけたことは、日本の万博にて国連パビリオンを出展した大きな成果であったと感じます。国連からもスペシャルデーに参加したグテーレス事務総長のほか、世界中から多くの幹部や職員が足を運びました。 

10月6日、国連パビリオンに天皇・皇后両陛下をお迎えするマーヘル・ナセル国連事務次長補兼陳列区域代表(右) ⒸUN Pavilion/Page Hiroto Guy

8月22日、国連の「スペシャルデー」に合わせて万博を訪問したグテーレス事務総長(右中央)は、国連パビリオンのアテンダントらに直接感謝の言葉を述べた ⒸUN Pavilion/Daisuke Tanaka

 

【舞台裏で支えたチームの力】 

国連パビリオンは、朝9時半から夜9時まで、一日も欠かすことなく開館しました。大きなトラブルもなく閉幕を迎えられたのは、現場を支えてくださったアテンダント、ギフトショップ、警備、清掃スタッフ、オペレーションチームの皆さまのおかげです。 

アテンダントはまさに国連の「顔」として来場者を迎え、時には私たちでも説明に苦労する内容を分かりやすく伝えてくれました。特に特別展示エリアでは、週に一度のペースで展示テーマが変わるなか、各国連機関・部局の活動を毎回新たに学び、自信を持って来場者に紹介してくれました。平和、人権、環境、衛生、教育、開発…。様々なテーマを積極的に学んでいくその姿勢には、本当に頭が下がる思いでした。 

とはいえ半年間の会期中、ずっと順風満帆というわけにはいきません。思い出されるのは、開幕を2日後に控えた4月11日のことです。 
「パビリオンが水浸しです!」 
筆者が最終準備のために国連パビリオンに向かっていた矢先、スタッフのグループチャットに同僚から突然の書き込みがありました。すぐに現場に駆けつけると、水浸しになった展示スペースからモップで懸命に水をかき出すアテンダントたちの姿がありました。配管から想定外の量の水があふれ出し、電気系統にも影響が出ていました。普段はライトアップされている展示の多くも真っ暗なままで、「明後日までに復旧できるのか?」と絶望的な気持ちになりそうでした。 
幸い、アテンダントやオペレーションチームの迅速な対応が功を奏し、その日の夜にはほぼ復旧することができました。2日後の開幕を自信を持って迎えられたのは、現場の皆さんのおかげでした。 
こうしたトラブルに直面しつつも国連パビリオンが半年間にわたりスムーズに運営できたのは、こうした方々の献身的な支えがあってこそ。彼女・彼らの努力と誇りが、パビリオンを訪れたすべての人の笑顔や学びにつながっていたことを、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思います。

最終日、国連パビリオンを支えたアテンダントやギフトショップ、警備、清掃スタッフ、オペレーションチームに感謝状が送られた ⒸUN Pavilion/Rocky

【国連パビリオンは成功だったのか?】 

「国連パビリオンは成功でしたか?」 

閉幕を目前にしたインタビューで、国連パビリオンのマーヘル・ナセル代表は記者からこう問われました。 

「数字が結果を物語っています。約40パーセントの来場者が回答したアンケートでは、96パーセントが『国連への理解が深まった』『より良い未来のために行動したいと思った』と答えてくれました」 

数字の得意なナセル代表だけあって、裏付けの説明はお手の物。ですが、代表が続けた言葉こそ、真の成果を伝えているように思います。 

「多くの人々が映像を観て涙を流したり、拍手をしたりしてくれました。国連パビリオンのメッセージが人々に届いた瞬間を目の当たりにできたことが、何より嬉しかったです」 

筆者も同じ思いです。スマートフォンでどんな情報も簡単に手に入る時代だからこそ、リアルな体験を通じて心を動かすことに意味があると感じました。日本各地、さらには海外からも多くの方が足を運んでくださいました。皆さまに心に残る何かを届けられたのなら、それこそが成功と言えるのではないでしょうか。 

「持続可能な未来」に向けて団結を呼びかける国連パビリオンのイマーシブ・シアター ⒸUN Pavilion

【若い世代との交流】 

半年間で国連パビリオンを訪れた来場者は40万6828人。海外からの旅行客、通期パスで20回以上来場した熱心なファンなど、さまざまな出会いがありました。なかでも印象深かったのは、若い世代との交流です。 

小学生から高校生まで多くの子どもたちが訪れ、持続可能な開発目標(SDGs)を学校で学んだ経験をきっかけに国連に関心を持ってくれました。中には、習いたての英語で勇気を出してナセル代表に話しかける子も。はにかみながら話す姿に、次の世代への希望を感じました。 

特に心に残っているのが、春ごろに初めて来場した小学生の女の子との交流です。 
訪問後に手書きのお手紙を送ってくれた彼女に、ナセル代表名義で返信したことをきっかけに「文通」が始まりました。何度もパビリオンを再訪してくれましたが、なかなか直接会うことは叶いませんでした。 

そして閉幕2日前の10月11日。 
「XXちゃんが今、入口に来ています!」 
アテンダントからの一報を受け、私たちは駆け足で出迎えました。ようやく対面できた彼女は少し恥ずかしそうに、それでもまっすぐ目を見て感謝の言葉を伝えてくれました。 

最後に、その彼女から届いたお手紙の一節を紹介して締めくくりたいと思います。 

「国連パビリオンのみなさまへ 

すずしい季節になりました。お元気ですか。 

私はこのパビリオンのおかげで国連について知ることができました。また、国連についてきょう味をもつことができました。本当にありがとうございました。」 

この短い手紙の中に、私たちの活動の意味がすべて詰まっているように思います。 
国連パビリオンをきっかけに、国連や世界の課題に関心を持つ若い世代が一人でも増えてくれたなら、これに勝る喜びはありません。 

最終日、大阪・関西万博の象徴である「大屋根リング」の上で行われたセレモニーに参加する国連パビリオンのスタッフら ⒸUN Pavilion

国連総会ハイレベルウィーク開幕 - 課題解決への選択を

国連総会ハイレベルウィーク開幕に寄せた、国連広報センターの根本かおる所長の寄稿をお届けします。

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毎年9月下旬、ニューヨークの国連本部は1年で最も忙しい時期を迎えます。

今年は9月22日から30日、ハイレベル会合が目白押しの第80会期国連総会のハイレベルウィークに世界の首脳たちが集結し、舌戦を繰り広げ、対話し、外交を展開します。

今年のハイレベルウィークでは、採択から10年・ゴール年まであと5年に迫った持続可能な開発目標(SDGs)の約束を実現し、グローバルな協力を再活性化することが急務であることをハイライトする ©UN Photo/Manuel Elías

国連創設80周年の記念式典こそありますが、国連を取り巻く厳しい国際情勢が際立つ中でのハイレベルウィークです。地政学的な分断が広がり、紛争が激化し、国際法を踏みにじる無責任な行動と不処罰が横行し、地球沸騰化に歯止めがかかりません。新たな技術は規制なしに急速に進化し、不平等と格差はますます拡大しています。多くの国々で自国第一主義が高まり、国際協力・国際協調に対して強い逆風が吹きつけています。

しかし、ほぼすべての加盟国が国連に集まり、150人近い国家元首・政府首脳が出席するこの機会を逃してはなりません。ハイレベルウィークは、対話と仲介のあらゆる可能性を提供する、解決策を見出す絶好の機会です。数千件の首脳会談が行われ、グテーレス国連事務総長も150件以上の二国間会談を行う予定です。

事務総長は9月16日、ハイレベルウィークに向けて行った記者会見で、「私はそのすべての場を活用し、各国首脳に直接対話を促し、分断を乗り越え、リスクを減らし、解決策を見出すよう働きかける」と力を込め、ハイレベルウィークを「解決の一週間」にしようと呼びかけました。

国連事務総長は9月16日、ニューヨークの国連本部で記者会見で、ハイレベルウィークを「解決の一週間」にしようと呼びかけた。
UN Photo/Eskinder Debebe

世界の人々が求めているのは、世界が直面する課題の重大さに見合った行動です。事務総長は記者会見で、以下の課題を喫緊の課題として挙げました。

  • 平和のために:ガザ、ウクライナスーダン、そして中東における公正で持続可能な二国家解決への道筋。
  • 気候のために:1.5度目標を維持するための、各国による野心的な国家気候行動計画。
  • 責任ある技術革新のために:すべての国が参加する「AIガバナンスに関するグローバル対話」の開始。
  • 女性と女児のために:第4回世界女性会議(北京会議)30周年を記念し、具体的な平等の計画。
  • 開発資金のために:国際金融機関と国家元首が集う初の「持続可能な開発目標資金調達に関する隔年サミット」。
  • より強い国連のために:創設時の1945年とは異なる世界に効率的・効果的に対応するための「UN80イニシアティブ」の推進。

今の時代に必要なのは、スピーチ合戦に終止しない、対話と前進と実行です。国連憲章を尊重し、平和を追求し、持続可能な開発を推進し、人権を守り、世界的課題に共に立ち向かうこと。国連こそがそれができる場であり、今週こそがその時です。各国首脳は真剣に取り組み、成果を出さなければなりません。

 

9月21日の国際平和デーに先立って、9月12日に国連本部で行われた「平和の鐘」の鐘打式で、グテーレス事務総長はあいさつの中でこう強調しました。

「平和は偶然に起こるものではありません。それは勇気、妥協、そして何よりも行動によって築かれるものです。

私たちは行動しなければなりません:
– 銃声を沈め、外交を強化するために。
– 市民を守り、国連憲章を擁護するために。
– 不平等、排除、ヘイトスピーチ、そして気候カオスという紛争の根本原因に立ち向かうために。
– 予防、対話、信頼の構築に投資するために。

平和は、より良い未来のための最も強力な力です。
そしてそれは、私たちが選ぶならば、手の届くところにあります。」

2025年の国際平和デーのテーマは「平和な世界のために今すぐ行動を」
UN Photo/Mark Garten

この平和の鐘は、世界中の人々から寄付された硬貨やメダルを鋳造して作られたもので、日本の国連加盟より2年も前の1954年に、日本の人々が国連に寄贈したものです。一人一人のほんの小さな貢献でも、永続的な成果を築けることを私たちに思い出させてくれる、日本とゆかりの深い平和のシンボルです。

世界が分断されている時だからこそ、リーダーたちは共に集い、対話し、共鳴し、課題解決への糸口を探り、結果を出すことが一層求められています。人類が団結するなら、解決は可能です。

世界の目が注がれる中で世界のリーダーたちがどのような選択をするのか 

― どうぞ 9月22日から30日までの国連総会ハイレベルウィークにご注目ください。

写真でつづる、アントニオ・グテーレス国連事務総長の訪日

アントニオ・グテーレス国連事務総長は、第9回アフリカ開発会議(TICAD9)、2025年大阪・関西万博に出席するため、2025年8月下旬に訪日しました。事務総長としての訪日は2年ぶり、7回目です。

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TICADとは、Tokyo International Conference on African Development(アフリカ開発会議)の略称であり、アフリカの開発をテーマとする国際会議です。今でこそ中国、韓国、アメリカなどがアフリカの首脳を集めた国際会議を開催するようになっていますが、冷戦の終結後、アフリカへの国際社会の関心を呼び戻すきっかけを創出しようと第1回のTICADが開催されたのは1993年のことで、30年以上の歴史があります。日本政府が主導し、国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、およびアフリカ連合委員会(AUC)と共同で開催しています。

TICAD9では、石破茂総理大臣が共同議長を務め、アフリカから33人の首脳級を含む49カ国の代表らが参加。会場には、国際機関、民間企業、国会議員、市民社会の関係者らが国内外から訪れ、熱気に包まれていました。

TICAD9開会にあたって行われたフォトセッション。今回は「アフリカと共に革新的な解決策を共創する」 というテーマが掲げられた ⒸUN Photo/Ichiro Mae

事務総長はオープニング・セッションの冒頭で「アフリカのための開発ではなく、アフリカと共に行う開発に、明確に注力する必要があります」と発言し、アフリカのポテンシャルに光を当てる上でのTICADの役割を強調。そのために必要な5つの優先課題は、 ①グローバル・ガバナンス改革 ②持続可能なバリューチェーン地域統合に向けた投資 ③人工知能(AI)を含むデジタル活用 ④若者と女性の参画 ⑤持続可能な平和 だと説明しました。

TICAD9のオープニング・セッションで挨拶では、日本のアフリカ大陸との協力の在り方に敬意を表した ⒸUN Photo/Ichiro Mae

続いて、石破茂総理大臣との会談に臨み、大阪・関西万博、TICAD9の主催に対し、謝意を伝えました。さらに、日本のマルチラテラリズム(多国間主義)に対する長年のコミットメントと国連への揺るぎない支援に深い感謝を示しました。

TICAD 2日目の21日は、記者会見を実施。国内外から数多くのメディアが参加しました。事務総長は、TICADサミットでの議論では、①平和 ②グローバル・ガバナンスと金融 ③気候行動 ④デジタル・トランスフォーメーション の4分野で、アフリカとのパートナーシップによる解決策の強化に焦点を当てると説明しました。

TICAD9会場で開かれた記者会見では、「日本は開発協力におけるチャンピオンです」と発言 ⒸUN Photo/Ichiro Mae

一方、ガザ市の大規模な破壊が進んでいることを受けて、停戦の呼びかけをこの会見でも改めて表明。イスラエル当局によるヨルダン川西岸地区への非合法な入植活動を国際法違反だとも強調し、発言は国内外の報道で、広く取り上げられました。

期間中は、限られたスケジュールの中で、日本の関係者らとの会談も重ねました。

独立行政法人国際協力機構(JICA)の田中明彦理事長との会談 ⒸUN Photo/Ichiro Mae

TICAD9開催地の横浜市の山中竹春市長との会談 ⒸUN Photo/Ichiro Mae

また、ガーナ、ケニアの大統領とも、それぞれ会談を実施。協力分野、地域情勢に焦点があたりました。

22日は、大阪・関西万博を訪問。国連スペシャルデーに参加したほか、政府や2025年日本国際博覧会協会など関係者との会談や、日本館、国連パビリオン、出身国であるポルトガルのパビリオンの視察を実施しました。

万博迎賓館での一枚。事務総長のほか、承子女王殿下、宮路拓馬外務副大臣、国連機関の関係者などが参加した  ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka

万博迎賓館では関係者が見守る中、記帳した ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka

日本館では、持続可能な開発目標(SDGs)の推進に向けて、国連と広報面でも協力しているハローキティが展示されている ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka

出身国であるポルトガルのパビリオンも訪問。「海、青の対話」をテーマに、海洋生態系の保全と持続可能な経済成長を組み合わせた解決策を紹介している ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka

国連スペシャルデーのスピーチでは、万博の意義について、「未来を描くことは政府だけの仕事ではなく、私たち全員に共有の責任がある。そのことを万博は再認識させてくれます」と強調しました。

スピーチでは、「万博を作り上げられたことは、国際的な対話や協力への日本のコミットメントの証し」と語った ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka

35の国連諸機関および15の国連事務局の部局が集結する国連パビリオンのテーマは、「人類は団結したとき最も強くなる。」(United For a Better Future)です。

国連パビリオンの没入型映像では、事務総長が登場し、人類が団結すれば実現できる「持続可能な未来」のビジョンを紹介している ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka

地政学的対立が深まる中、創設から80年を迎える国連の役割や意義、今後のビジョンについて、日本においても、事務総長の口から改めて発信する機会となりました。

会談や式典の合間に、国連広報センターの職員、国連パビリオンのスタッフとも写真を撮影した (上: ⒸUN Photo/Ichiro Mae, 下:ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka)

国連創設80周年:苦難を国連の再生につなげるために

国連創設80周年の節目に寄せた、国連広報センターの根本かおる所長の寄稿です。

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今年は第2次世界大戦の終結から80年であり、2つの世界大戦を受けて設立された国連にとっては創設から80年の節目の年だ。

1945626日に開かれたサンフランシスコ会議で各国が国連憲章に署名した ⒸUN Photo/Rosenberg

史上初の「総力戦」と呼ばれる第1次世界大戦で、戦争の性質がそれまでの「軍人同士の戦い」から、民間人を含む国家全体を巻き込む戦争へと大きく変化した。第2次世界大戦による死者数は、世界全体で5,000万〜8,000万人と推定され、民間人が軍人を上回り、全体で当時の世界人口の2.5パーセントから4パーセントにも相当する。現在進行形のガザでの戦争によるガザの死者は8月末の時点で6万2千人超を数え、これはガザの人口の3パーセント程度にあたる。単純比較はできないが、世界全体で今のガザと同程度の比率で人々が殺害された計算になる。

国連創設80年を迎え、国連本部に展示された国連憲章の原本

国連憲章の前文の冒頭にある「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救」うことを決意して国連を設けるという言葉には、平和を求める切実な願いが込められているのだ。国連憲章は、「武力行使の原則的禁止」と「国家主権の法的平等の尊重」を定めて国際社会が戦争を未然に防ぐためのルールを明文化し、戦後の国際秩序の中核を担ってきた。「法による支配 = 国際法に基づく秩序」を打ち立て、国家間の関係を根本から変え、現代の国際社会の基本構造の礎となった。

それから80年。国連はそれぞれの時代の制約の中で、第3次世界大戦が起きるのを未然に防いできた。対話は戦争よりも解決につながるものであり、共に協力することであらゆる人々が健全な地球の上で平和、尊厳、平等のうちに暮らせる世界を構築できるという理念を掲げ、希望の光であろうとしてきた。過去80年間、国連は和平の仲介、平和維持活動、平和構築を通じて、戦争や強制移住の地獄から、天然痘やポリオなどの疾病から、そして不公正や人権侵害から、数え切れないほどの人々を救ってきた。 国連の活動は、飢饉の回避、核兵器の拡散の防止、疾病の封じ込めや根絶、子どもたちの教育、多くの人権条約の推進、そして環境危機に対処するための連携などに寄与してきた。

パキスタンで戸別訪問による全国ポリオキャンペーンが実施され、遊牧民コミュニティの子どもたちにもワクチン接種を行われた ⒸUNICEF/Zaidi

しかしながら、国連創設80周年にあって、各国のリーダーたちが集う国連総会ハイレベルウィーク初日の9月22日に80周年記念式典は予定されているものの、今の国連に祝賀ムードは一切ない。10年前の国連創設70周年の2015年に、3年にわたる交渉を経て持続可能な開発目標(SDGs)を含む「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が9月に採択され、12月には気候変動対策の「パリ協定」が合意されて国際協調の機運が高まったことが、まるで幻のように感じる。

安全保障理事会常任理事国として重責を負うロシアが自ら国連憲章に違反してウクライナに侵攻し、イスラエルが民間人の保護をはじめとする国際人道法を踏みにじってガザ攻撃を続け、史上初めてアフリカ大陸以外で飢饉宣言が出されるまでにガザを追い込み、餓死者が続出している。このような危機にあって、拒否権の発動で安保理がこれらの紛争に対して有効な手立てを取ることができない。こうした不処罰は、国連加盟国の間にあった既存の国際秩序を壊すことへの躊躇を弱め、規範の弱体化につながる。

飢餓の宣言が出されたガザでは、栄養失調率が着実に増加している © UNICEF/Mohammed Nateel

アントニオ・グテーレス国連事務総長が8月下旬に横浜での第9回アフリカ開発会議TICAD9)と大阪・関西万博での国連スペシャルデーの式典に出席するために訪日した際、国連を取り巻く厳しい状況に対して事務総長が心情を吐露する場面があった。8月22日の万博での国連スペシャルデーでのあいさつで、「これは個人的な見解だが」と断った上で、準備されていたスピーチ原稿から離れ、安保理が1945年の世界ではなく、今日の世界を代表するよう改革が必要だと突然アドリブで話し始めたのだ。ステージ横の大型スクリーンに投影されていた予定原稿の和訳が話している内容に合わなくなり、会場の空気がピンと張りつめた。

大阪・関西万博での国連スペシャルデーのスピーチ ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka

「すべての地域が公正に代表され、そして戦争の容認につながる決定やその欠如ではなく、平和を保障するための決定が下される安全保障理事会でなければならない」と力を込めたところで、会場から大きな拍手が巻き起こった。

「世界中の非常に多くの人々にとって、国連を見るときに安全保障理事会でなされていないことが目に映ることを残念に思う。しかしそれは国連のごく一部にすぎず、しかも明らかに改革が必要な部分だ。国連の他の活動や、世界を一つにしようとする私たちの努力は、ときに忘れ去られてしまう。しかし私は断言できる。私たちは、国連をより効果的に、より費用対効果の高いものに、より現代的に、そして私たちの時代の巨大な課題により的確に応えられるものにするために、あらゆる努力を尽くす」と真剣勝負の言葉が続いた。

2025年3月、「UN80イニシアチブ」の立ち上げについて国連事務総長が記者団に発表した ⒸUN Photo/Manuel Elías

国連はいま、道のりの厳しい改革努力の真っただ中にある。地政学的な対立の深まりに加え、国連加盟国として数を増やし、分極化する国際関係の中で力をつけてきたグローバル・サウスの国々の間には、1945年当時のままの安保理常任理事国の体制やガザでの戦争におけるダブル・スタンダードなどへの不満や不公平感が高まっている。自国第一主義ポピュリズムの強風が吹き荒れ、世界の軍事費の増加が人道支援や開発のための資金を圧迫している。アメリカと欧州の主要ドナー国が援助資金を大幅に削減し、国連の人道・開発部門を含む援助機関が組織と活動の縮小を余儀なくされただけでなく、何よりも最貧国の脆弱層が必要とする、命を救うための人道支援や医療支援などを受けられなくなり、打撃を受けている。さらに、アメリカは国連事務局の通常予算と平和維持活動(PKO予算への義務的に支払わなければならない分担金についても大幅に減らす構えだ。こうした中、グテーレス国連事務総長は今年3月に国連自らの改革努力として「UN80イニシアチブ」を立ち上げた。これまでも組織改革には取り組んでいたが、資金難がそれに拍車をかけた形だ。

国連事務総長は、8月1日の国連総会の非公式の全体会合でUN80イニシアチブについてブリーフした ⒸUN Photo/Evan Schneider

「UN80イニシアチブ」には3つの柱がある。第一に、大胆な組織改編や人員整理などを断行してより効率化し、スリム化する。第二に、加盟国から国連に委ねられたマンデート(任務)の重複、細分化、時代遅れの任務、膨大な数の会議の開催と報告書の作成を整理して、国連をより効率的で一貫性があり、影響力のある組織にするよう、加盟国に促す。国連には加盟国の同意なしに自らマンデートの整理を行うことはできず、加盟国がこれを主導しなければならない。第三に、国連システム全体における構造的な変革や事業の再編成を検討する。80年の間に肥大化し複雑になってしまった国連システムの構造を見直そうというものだ。7つのテーマ別クラスター(平和と安全、人道問題、開発(事務局)、開発(国連システム)、人権、訓練と研究、そして専門機関)を設置し、複雑になり過ぎた国連システムの構造を再検討するものだ。

マンデートの多くは、ニューヨーク国連本部にある安全保障理事会で合意される ⒸUN Photo/Rick Bajornas

資金繰りのひっ迫が続いていることを受けて、グテーレス事務総長は国連事務局における資金と人員の大幅な削減を盛り込んだ2026年の通常予算案の修正版を今月加盟国に提出する。

苦難を国連の再生につなげることを目指す「UN80イニシアチブ」。それは、財政的な持続可能性と国連の使命の有効性を同時に追求し、必要不可欠な存在としてあり続けられるようにすることだ。単に官僚機構の改革を行うものではなく、その最大の目的は、国連の支援を必要とする人々のためにリソースを効率的に、そして効果的に、使えるようにすることだ。この大胆な改革努力には、人々からの信頼が必要だ。

先に触れた万博の国連スペシャルデーの式典で、グテーレス国連事務総長はこう語っている。

大阪・関西万博での国連スペシャルデーのスピーチ ⒸUN Photo/Daisuke Tanaka

「私たちは危機の時代に生きている。ただし、それは多くのチャンス、そして責任が生まれる時代でもある。国連が紡いできた物語の教訓はシンプルだ。『人類は団結したとき最も強くなる。』2025年大阪・関西万博は、そんな可能性を祝う場だ。未来を描くことは政府だけの仕事ではなく、私たち全員に共有の責任がある。そのことを万博は再認識させてくれる。…尊厳、平等、そして世界平和のために、共に(物語を)紡ぎ続けよう」

TICAD9初日に国連事務総長石破茂総理大臣と会談が行われた ⒸUN Photo/Ichiro Mae

石破茂総理大臣は、横浜で行われたグテーレス国連事務総長との会談で、日本が国連と多国間主義に強いコミットメントを示してきたことに力を込めた。ニューヨークでのUN80イニシアチブの議論においても、日本の代表は「多国間主義へのコミットメント」を強調しつつ、このイニシアチブが国連の再活性化という緊急性に応えるものであると述べている。さらには「UN80イニシアチブの成功は、私たちが責任を共有し補完し合えるかにかかっている」とも語っている。

日本は戦後80年、平和国家として国際秩序に貢献し、法の支配や自由貿易体制をはじめとする国際協調から恩恵を受けてきた。秩序の回復と多国間主義強化のために、国連加盟国の間の利害対立を調整する橋渡し役の難業をリードしていただきたい。