今年は「世界人権宣言」が採択されてから75周年の節目です。国連創設の3年後に現代人権法の礎となる文書が生まれた背景には、第二次世界大戦中で特定の人種の迫害や大量虐殺などを許してしまった経験から、人権問題が国際社会全体にかかわる問題であり、人権の保障が世界平和の基礎であるという考え方が主流になったことがあります。30条からなる人権宣言は、すべての国のすべての人が享受すべき基本的な市民的、文化的、経済的、政治的および社会的権利を包括的に規定するものです。
採択から75年経った今、国連人権条約機関の委員や国連の人権特別報告者を務める専門家の方々に「人権とわたし」をテーマに、国連での活動や所管する人権分野の動向などについて、シリーズで寄稿していただきます。シリーズ第5回は国連拷問禁止委員会で委員を務める前田直子さんです。
拷問等禁止条約の歴史
みなさんは「拷問」と聞くと何をイメージされるでしょうか。ドラマや映画、ニュースで見たり聞いたりすることはあるけれども、自分自身には現実味のない遠いものと感じられるかもしれません。
国際社会における拷問禁止の主要な枠組みとして拷問等禁止条約があります。「拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約」(日本語公定訳)という長い正式名称をもつ条約です。1970年代にアジア、アフリカやラテン・アメリカのいくつかの国々で、軍事独裁政権あるいは開発独裁体制が生まれ、緊急事態であるとの理由付けの下に、拷問、強制失踪や司法手続を経ない即決処刑が横行しました。国連でもそのことが大きな問題となり、1975年に国連総会にて拷問等禁止宣言を採択し、それを基礎としてこの条約の起草作業が進められました。
来年2024年は条約採択40周年を迎えます。条約をとりまく時代の変化に鑑みると、日本語の名称で「等」と略されている部分の重要性も増していると感じているところですが、この点については後で述べたいと思います。
条約は1984年12月に採択され(1987年6月発効)、2023年10月末の時点で、加盟している締約国は173カ国となっています。日本も1999年に加盟しました。締約国数の観点では、さらに多くの国家が締結している人権条約は他にありますが、国家権力の行使に一定の制約をかけることが主眼の拷問等禁止条約の性格に照らすと、国家のみならず市民社会を含めた国際社会が、拷問やそれに準じる取扱いや刑罰の禁止の重要性を広く訴え、粘り強く活動してきた成果と言えるでしょう。現在もさらにすべての国が加盟してくれることを目指して、拷問禁止委員会も活動を続けています。
また条約の附属の議定書として、拷問等禁止条約選択議定書が2002年に採択(2006年発効)されています。選択議定書は拷問「防止」に主眼を置き、議定書の下に設置されている拷問防止小委員会が、締約国の様々な拘禁施設の視察を行い、その結果について報告・勧告を発出しています。2つの委員会は、常に連携を重視してそれぞれの活動を展開しています。その他、同じ条約の枠組みでは強制失踪条約(同委員会)、国連人権理事会の下での特別手続関連では拷問特別報告者らとの情報・意見の交換も定期的に実施しています。拷問禁止に関するネットワークが構築されてきています。
条約の射程:世界人権宣言とのつながり
拷問等禁止条約は、その前文にも書かれているように、世界人権宣言第5条「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けることはない」の規定にルーツを有します。また今日の条約の運用状況に照らすと、世界人権宣言のその他の規定(第3条(生命・身体の自由)、第8条(効果的救済)、第9条(逮捕、抑留又は追放の制限)、第10条(公正な裁判)、第11条(無罪推定)、第14条(迫害からの庇護)等)とも密接にかかわる権利・義務規定を備えていると実感するところです。
条約第1条は拷問の「定義」を定めていますが、そこでは、①拷問は身体的なものであるか精神的なものであるかを問わない(形態)、②情報や自白を得たり、罰したり、脅迫・強要したり、差別したりすることを目的とし(目的)、③故意に人に苦痛を与える行為であり(意図)、④公務員その他公的資格で行動する者による行為あるいはそれらによる煽動・同意・黙認の下に行われる行為(行為者)、と大きく4つの要素が含まれています。政権による拷問や誘拐、あるいは日本に対しても指摘される刑事手続き上の課題等については、この定義に照らして検討できますが、様々な事例のなかには、目的や意図を証明するのが難しいものも多く、救済すべき事案であると考えられる場合でも、第1条だけでは十分にカバーしきれないのが実情です。
条約解釈の発展:ジェンダー平等の推進
冒頭で、拷問等禁止条約の「等」が重要性を増していると述べました。条約では第1条に加えて、「その他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける」取扱いや刑罰を第16条で禁止しています。こちらについては、拷問禁止委員会の立場は、虐待の程度や目的・意図の厳格な立証は必要としないとしています。そのぶん被害者にとっては、第16条の違反を問う間口が広がることになります。
条約のテキストは、それが起草された時代の背景や法原則、価値観等が反映されているわけですが、それにとどまらず、時代とともに移り変わり発展する「生きた文書」であることが重要です。情勢に応じた解釈の発展が求められます。
この条約に関する発展の1つにはジェンダー平等の推進があると考えます。ジェンダー平等については、それを主眼とする女性差別撤廃条約の貢献が広く知られているところですが、拷問等禁止条約の文脈においても、性暴力、人工妊娠中絶、LGBTに関する問題が議論されています。ドメスティック・バイオレンス(DV)の禁止・防止を例にあげると、犯罪化・国内法整備(第4条)、被害者の救済申立て(第13条)、救済付与・リハビリ提供(第14条)等は条約の範疇となります。
実際に、日本も2013年報告審査に関する拷問禁止委員会から改善勧告として、包括的な国内戦略の策定、身体的精神的ヘルスケアの提供、救済申立てへのアクセス保障、DV事件の効果的かつ公平な捜査と責任者の訴追、性的暴力に関する啓発活動等を要請されています。2024年4月1日に施行されるDV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律の一部を改正する法律(令和5年法律第30号))では、保護命令制度の拡充や保護命令違反への厳罰化が図られるようですが、こうした国内法の運用が世界人権宣言や人権諸条約の趣旨に沿ったものとなるよう期待しています。
一方で、各人権条約に設置されている委員会内でのジェンダー平等推進も大きな課題です。拷問禁止委員会はとりわけ、女性委員の少なさが長年指摘されています。現在(2023年11月)も10名の委員うち女性は3人にとどまり、国連人権条約機関の中で最も少ないと言われています。さらに2023年10月に実施された半数議席改選の選挙を受けて、2024年1月から2年間は、女性委員は日本とモルドバからの2名だけになります(10名の委員構成は、アメリカ、チリ、メキシコ、トルコ、中国、日本、モルドバ、モロッコ、デンマーク、ロシアとなる予定)。拷問禁止の世界にジェンダーの視点を取込み、法理をさらに発展させるためにも、微力ながらも頑張っていきたいと思っています。
パンデミックと分断の危機を乗り越える
最後に、拷問禁止に立ちはだかる課題について述べたいと思います。
新型コロナウイルス感染症の拡大(パンデミック)は、私たちの日々の生活から国際情勢全般までを一変させました。ご存知のとおり、国連自体も対面での会議開催ができない時期があり、人権条約機関も各国の報告審査や個人通報、実地調査等の活動を一時停止することを余儀なくされました。バックログと呼ばれる積み残しの審査や案件を、いかに迅速に消化していくかは早急に解決の道筋を立てなければならない課題です。
しかしそのような機構運営上の問題だけでなく、より実質的な問題、すなわちパンデミックによる人権状況の悪化はより深刻になっています。過密状態での長期収容、裁判手続の遅延、被拘禁者の医療アクセスの制限、難民等庇護を求める人々の押返しあるいは移動禁止等、感染症対策との関係では非常に難しいことであるものの、私たちを取り巻く人権問題は複雑化することになりました。拷問禁止委員会においても、かつては生じなかったこのような喫緊の課題について、どのような勧告をするべきか、各国情勢に関する情報を収集し、委員間で時間をかけて議論を重ね、検討する場面が顕著になりました。
また、パンデミックによる国内外の分断だけでなく、国連中心の人権条約制度自体も、人権観を巡る分断の危機と常に背中合わせにあるように感じます。普遍的人権保障の枠組みに非協力的態度を示す国があったり、宗教原理を掲げて女性の権利を著しく制約する政権国家があったり、LGBTを処罰する国内法制定が広がりを見せたり等、世界には様々な懸念事案があります。他国の人権状況・問題へのコメント・批判は内政干渉であるという国際的人権保障の根本をゆるがす捉え方もまた、なかなか根強いものでありますが、これは人権条約機関の活動において、様々な国家との対話で乗り越えなければならない課題です。
パンデミックや紛争を経て人権をめぐる分断が先鋭化しないよう、世界人権宣言75周年が、国家、市民社会、国際機関等のあらゆるアクターによる連携の下で、これまでの歩みを振り返り、将来展望について積極的に議論する契機になればと願っています。
(注)コラムに記した意見は所属委員会を代表するものではなく、私個人の見解とご理解いただければ幸いです。