国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

スーダンからの退避

 

スーダンで活動中の筆者

【略歴】本多麻純(ほんだ・ますみ) 大学卒業後民間企業での勤務を経て国際協力を行うNGOに入職。東北やハイチの地震被災者支援、シリアやミャンマーアフガニスタンスーダンにおける地雷対策を含む人道支援に従事。休職中、2017年から2019年までスウェーデン、ウプサラ大学にてロータリー平和フェローとして平和紛争修士号を取得し、卒業後一年間は同学部で研究助手およびロータリー平和センターのコーディネーターとして勤務。2021年10月より国連地雷対策サービス部(UNMAS)スーダン事務所プログラム・マネージメント・オフィサーとして勤務。

※クレジットのない写真は筆者提供

 

Family Duty Station(家族随伴が許可されている赴任地)での戦闘

「明日、一人15㎏までの荷物をまとめて集合場所に集まってください。翌日未明に陸路での退避を開始します。」

ようやく出された退避命令。スーダンの首都、ハルツームで激しい戦闘が始まった4月15日からちょうど一週間経った金曜日のことでした。

戦闘開始からの7日間、私は夫と子どもと共に自宅のアパートで、近づいたり遠のいたりする銃声や空爆音に恐れおののきながら、家に残っているわずかな飲料水、食料そして発電機用の燃料を節約しながら籠城していました。人生で一番長く感じたこの7日間に息子は7歳になりましたが、やっと馴染んできた現地の学校の友達を招いたささやかな誕生会の計画は言うまでもなくキャンセル。ごちそうもプレゼントもない誕生日、家族3人で生きてこの状況を脱出することを祈り、「安全な場所に行ってから必ず誕生会をやり直すからね」と約束して過ごしました。

戦闘開始直後に市内の国際空港が爆破され、あっという間に空路退避の可能性は断たれました。近隣都市にある国内線空港も占拠され、そこへ行くための経路が戦闘でふさがれていました。そして、合意しては反故にされる休戦協定の知らせに退避への希望が薄らいでいきました。連日行われる国連の調整会議では、食料や水、また通信手段が尽きてきているという職員の状況が共有され始め、退避に向けた具体的な方策も見えておりませんでしたが、最終的に、700人を超える国連職員や国際NGO職員、外交官、その家族など希望者全員を陸路で一斉に退避させるという、半ば、賭けのような決断が下りました。

首都ハルツーム、アル・タイフ地区で爆発の後に立ち上る煙 ©Open Source

やっと脱出できる。しかし、私たちは自家用車もなく、近隣の戦闘音は鳴りやみません。逃げようとした外国人や地元スーダン人でも、兵士に荷物や車を奪われたり、暴行されたりというニュースがすでに飛び交っており、どうやって国連職員の集合地点に行くかが問題でした。そんな中、UNMASの同僚が私たちの救出作戦に手をあげてくれました。彼の自宅から私のアパートまで2キロメートル強。よく仕事帰りに送ってくれた経路ですが、今は武装した兵士であふれる危険な道のりでした。

地雷や不発弾などの爆発物処理の専門家だけあって、防護服をまとい、UNロゴの入ったブルーヘルメットをかぶり、私たちを迎えに来てくれた同僚のその姿はまさにヒーローでした。同じ10キログラムもする防護服とヘルメットをもう一セット持ってきていて、「ちょっと我慢してね」と言いながら息子に着せてくれました。

問題だらけではあったものの住み慣れた家にたくさんの思い出の品、なけなしの財産すべてを残して、ようやくの出発です。私たちがいるからと、自分も避難せずに留まってくれたアパートの管理人には、手元にあったスーダンポンドの現金を渡し、お礼を言って別れました。車に乗り込み、安堵の気持ちと同時に、緊張も高まります。

 

緊迫するチェックポイントを抜け800キロを移動

往路では12ヵ所のチェックポイントを潜り抜けてきたとのこと。難なく通過できたから大丈夫だと同僚は言います。途中、散弾銃で打ち抜かれた住居を横目に、次から次に出てくるチェックポイントをやり過ごします。武器を持った兵士に怪しまれないよう、あえて窓を開けて両手を出すよう言われ、その通りにしていました。

退避中の車中から。前方には隊列をリードする車両が並ぶ

中間地点を超えたころ、あるチェックポイントを通り過ぎようとしたときに呼び止められました。心臓が止まりそうになりながらも、平静を保ちつつ、兵士の命令通り車を降りました。防護服が重たく、自力で出られない子どもに手を貸します。英語がまったく通じず、何を言われているのかわからないまま、3人の兵士に銃口を向けられ、ひざまずくよう命じられ、私たち一人ずつの入念な身体検査が始まりました。すべてのポケット、リュックサック、車に積んでいた荷物もくまなく手を入れられました。子どもの防護服の内側までしらべていました。また、途中、近隣で交わされる銃撃戦の音がこだまし、私たち大人3名がひざまずいた状態のまま、子どもだけ数歩大人たちから離れたところへ誘導されたときは、一瞬、すべての終わりが頭をよぎり、深い恐怖に襲われましたが、金目の物と携帯電話を盗りきると、他の荷物をしまって行けと合図されました。

このとき、子どもの荷物には、昨年のクリスマスにサンタクロースからもらったロボットのおもちゃが入っていて、それを取り出した兵士がそのおもちゃを不思議そうに調べ「これは何だ?」とジェスチャーしていました。きっとロボットのおもちゃなんて手にすることのない幼少期を過ごしたのでしょう。また、兵士にしては皆とても華奢な体つきでした。彼らももしかしたら少年兵だったのかもしれない、などと想像しながら、なんとか命が助かってよかったと胸をなでおろしつつ、止まらないアドレナリンラッシュに身を任せるしかありませんでしたが、私たちをわずかな時間拘束した彼らが今ここに至った経緯について思いを巡らさずにはいられませんでした。子どももさぞかし怖かっただろうと、抱きしめ、「じっと静かに我慢していて偉かったね」とその勇気を心からほめたたえました。

その後、長い、長い5キロメートルの移動の末、他の国連職員や国際NGOの職員などが集う集合地点に到着しました。普段、仕事のミーティングや休日のカフェなどで見知った顔も、皆避難生活に疲弊しきっていました。お互いの無事を喜び、苦労をねぎらいあいながら、翌日の長旅に備えてしばしの休息をとります。翌朝未明、何十台もの大型バスやミニバス、その他数えきれないほどの車両で隊列を組み、800キロメートルを超える陸路での大移動が始まりました。途中、様々なトラブルはあったものの、大きな事故はなく、全員無事に一次退避先であるポートスーダンにたどり着くことができ、そこからは各自国外の目的地に向けて、旅立っていきました。

ポートスーダンに到着し、ヴォルカー・ペルテス国連事務総長特別代表(SRSG)兼国連スーダン統合移行支援ミッション(UNITAMS)代表(当時)が皆に慰労と激励の言葉をかける

このとき、私たちを含む邦人やその家族四十数名は、日本政府が用意してくれた輸送機に乗り、いち早くスーダン国外への脱出がかないました。調整に奔走してくださった在スーダンおよび在ジブチ日本大使館の職員のみなさま、また自身も被災しながら退避邦人の心身の健康を最優先してくださったスーダン大使館医務官の先生に心より感謝申し上げます。

 

スーダンの今

邦人の退避が完了してから日本での報道がめっきり減ってしまったスーダンでの紛争。激しさを増しながら今でも続いています。直近の報告では、4月15日以降、550万人が避難を余儀なくされました。このうち110万人は国外へ逃れ、チャドやエジプト、南スーダンなどの近隣諸国で難民となっています。残りの440万人は、国内でより安全な場所に移り、劣悪な環境にあるIDP(国内避難民)キャンプなどで暮らしています。

これまでも民族紛争が絶えず、低開発に苦しんできたスーダンでは、多くの国連機関やNGO人道支援や開発支援を行ってきていました。さらに、気候変動の影響にも脆弱であるため、干ばつや豪雨の被害が著しく、国民の多くが大規模な食糧支援や生計支援に頼ってきていました。

2021年に完成した地雷対策研修センター。日本の支援への感謝が示されている。

今回は、これまでの紛争や人道危機と異なり、首都ハルツームが激戦地となりました。それにより、これまで支援を実施してきた国連機関やNGOのほとんどが一時的に機能不全に陥ってしまい、人道危機はより一層深刻さを増しています。10月現在、援助機関は現地での活動を再開しつつありますが、それでも各地で続く戦闘と日々悪化する人道ニーズを前に、必要とされる支援のほとんどが届けられていません。

 

おびただしい数の不発弾

私が所属する国連地雷対策サービス部(UNMAS)は、能力強化や資金調達、またプログラム運営支援などを通じてスーダン政府が実施する地雷対策活動を支えてきていました。また、2021年以降は国連スーダン統合移行支援ミッション(UNITAMS)の一部として、文民保護や平和構築の分野において、ミッションの活動も支えてきました。国際連合安全保安局(UNDSS)と協力して、新しく赴任した国連職員やNGOスタッフを対象に爆発物リスクに関する安全研修を実施したり、他組織の依頼を受けて道路に地雷・不発弾の危険がないかを調査するなど、スーダンで活動する援助関係者の安全を守る重要な役割を果たしてきました。

地雷探知機の機能を点検するUNMAS職員

前述の通り、スーダンでは、独立した1950年代以降、数年から数十年にもわたる紛争が何度も繰り返されてきました。これらの紛争で使われた地雷やその他の爆発物による汚染を、2002年以降20年以上かけて取り除き、実に138平方キロメートルを安全な土地に戻し、復興・開発を可能にしてきました。残りの汚染地域は約33平方キロメートル。2027年までにすべての地雷を除去し、「地雷のない”mine free”スーダン」を実現しようと、計画を練り直したところでしたが、今回の紛争で多くの兵器が使われ、おびただしい数の不発弾が新たな汚染を生んでいます。

西ダルフール州にある世界食糧計画(WFP)事務所の敷地内で見つかった不発弾。
UNMAS職員が危険サインを立て除去。

現在特に懸念されているのは、戦闘の舞台の多くが、ハルツームを含む都市であることです。人口密度の高い都市部で爆発性兵器が使用されることによって、攻撃対象だけでなく、多くの民間人が被害を受け、また住居や上下水、電気、ガスなど生活インフラ、そして病院や学校などの公共施設が破壊されます。将来停戦合意がなされ、市街地に残された不発弾を処理する際も、住宅街やインフラ設備の中や付近に残された不発弾を、周辺の住民を危険にさらさず、また建物崩壊など二次被害を起こさずに安全に処理するためには、これまでスーダンでは必要とされなかった特殊な技術と経験が必要です。

スーダン初の試みとして女性の地雷除去員を育成する研修での卒業式の様子。
(2021年12月)

さらに、今回の紛争が始まるまで地雷や不発弾のリスクにさらされていなかったこれらの都市部に住む人々は、爆発物の回避教育を受けたことがありません。スーダンの国内外に避難している人々のうち7割以上がハルツームから逃げてきていますが、こういった人々が、不発弾で溢れる街に戻るとき、また避難先で地雷原や不発弾を目にしたときに安全な行動をとれるよう、今、回避教育を行うことが喫緊の課題です。

今年9月に行われた爆発物危険回避教育の様子

スーダンに平和を

19世紀前半以降エジプト、イギリス、そしてイギリスとエジプト両国による征服、植民地支配が続き、独立運動を経て1956年に独立したスーダンですが、その前年1955年には北部と南部の内戦が始まり、20年以上続きます。その間にも、何度も軍事クーデターが繰り返され、1983年には第二次内戦が開始。そして2003年には「21世紀最初の大虐殺」とも呼ばれるダルフール紛争が起きます。2005年の南北和平合意を経た2011年の南スーダン独立後も、スーダン国内では、ダルフール紛争を含む、民族や宗教といったアイデンティティを軸とした紛争が各地で続き、無数の民間人が犠牲になっています。

2019年、スーダンは歴史的転換点を迎えます。民主化を求める市民のデモを背景に、軍部がバシール大統領を拘束・解任し、30年以上続いた独裁政権が終焉を迎えたのです。翌年2020年には、ジュバ和平合意が結ばれ、(一部を除く)主要反政府勢力とスーダン政府間の和解が実現しました。しかしながら、待望された民主主義と平和をスーダンの人々が勝ち取ろうとしているまさにそのとき、さらなる軍事クーデターが起き、民政移管を進めていた暫定政府が国軍に乗っ取られる形となりました。全国で、民衆による抵抗運動が展開しましたが、治安部隊によって激しく鎮圧されていきました。

この間、国連含む国際社会は、クーデターを糾弾しつつも、スーダンが、一度乗りかけた民主化に向けたレールに戻れるよう、軍隊を含む各方面のアクターと対話や調整を進めていました。その結果暫定文民政府設立のための枠組みが2022年12月に合意されたのですが、それも束の間、わずか4ヵ月後に激しい戦闘が始まってしまいました。

今回退避では、とても怖い思いをし、たくさんのものを失った私たちですが、家族や友人を奪われ、生まれ育った家や財産、仕事を失い、さらに民主化と平和への希望を踏みにじられたスーダンの人々の怒りと悲しみはいかばかりか。一日も早く、停戦が合意され、人々の安全が守られることを願ってやみません。そして、スーダンに真の平和が訪れ、人々が、肌の色や部族、宗教、性別やジェンダーによって命を奪われたり、住む場所を追われたり、基本的人権を否定されたりすることなく、豊かで尊厳のある生活を送れる社会が実現されることを強く願いつつ、今は、爆発性兵器による被害が少しでも減るよう、日々の業務に努めてまいります。

休暇中に家族で訪れたスーダンのピラミッド。
平和が訪れ、再びこの美しい風景を見ることができますように。

 

グラフィックスで見る「気候変動」ファクト

猛暑厳しい夏だった2023年、世界各地で最高気温を記録、世界気象機関(WMO)によると、今年の6~8月は観測史上最も暑い3か月となりました。各地で山火事や豪雨などの異常気象が頻発し、これまでにない気候を実感した方が多いのではないでしょうか。

気候変動とは、気温および気象パターンの長期的な変化を指します。世界中の専門家が執筆に加わった「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の報告書は、地球温暖化の主因は人間の活動によるものだと明記しています。最近では、人間の活動による気候変動が異常気象などの発生率や強度をどの程度変えたか定量評価する「イベント・アトリビューション」の研究もさかんに行われるようになっています。

人間の様々な活動による温室効果ガスの継続的な排出が地球温暖化を進行させている中、それをなんとか止めようと、各国は世界の平均気温の上昇を産業革命以前と比べて1.5度に抑えるよう努力することを目標に掲げています。気温上昇が1.5℃以上になると、連鎖的で不可逆的な気候になる恐れがあるとされているからです。すでに、1.1℃の気温上昇に至り、今世紀末までに2.2℃~3.5℃ 上昇する可能性もあるとIPCCは報告しています。

気温上昇の度合いによって、未来のシナリオは変わってきます。いま何が起きているのか、どんなことが予想されるのか、科学に即したグラフィックスで見ていきます。(2023年10月4日時点で発表されているデータに依拠しています。)

 

数度の差が未来を変える

1.気温が2℃以上上昇すると、サンゴ礁が消える恐れ

今年、海洋の熱波も過去最高に達し、海洋生態系に壊滅的影響を与えていると専門家は警告しています。サンゴ礁は特に気候変動の影響を受けやすく、平均気温が1.5℃上昇すると、その70~90%が、2℃上昇すると99%が消滅すると言われています。水温の上昇で起こるサンゴの白化現象を防ぐなどの保護活動も各地で進められています。

 

2.山火事の範囲が広がる

今年の夏は、カナダ、中国、地中海沿岸諸国などで、大規模な山火事が起きました。カナダでは制御不能な山火事が660件以上も同時に起きる緊急事態となりました。これも気候変動の影響とされています。気温が高い気候条件では、山火事が発生しやすく、急速に拡大しやすくなるのです。地中海の夏の平均気温が1.5℃上昇すると、山火事で焼失する面積が41%、2℃上がると62%、3℃の場合は97%増加すると予測されています。

 

3.哺乳類の生息域に大きく影響

気温上昇が進むと、陸上の動物の大半の生息域が劇的に縮小すると予測されています。 1.5℃上昇で哺乳類の4%が 、2℃で哺乳類の8%が、 3℃で哺乳類の41%が、生息地域の半分を失います。生息域の変化によって種の入れ替わりが激しくなり、世界的な絶滅のリスクを大幅に高める可能性があります。

 

4.海面上昇は、この30年で2倍以上に

世界の平均海水面は、2013年から2022年に年間平均で4.5mm上昇し、過去最高となりました。これは1993年から2002年までの2.1mm上昇の2倍を超えており、主に氷床から氷塊が失われる速度が速まったことに起因しています。海面の上昇は沿岸に住む数億人に多大な影響を及ぼします。2050年には、世界の人口の10人に1人が洪水が起きやすい沿岸部に住むことになると2022年のIPCC報告書は述べています。

 

IPCC報告書の数字から見る人類への影響

1.世界の人口の45%が気候変動に対して非常に脆弱

気候変動に影響に対して非常に脆弱な人々の数は33~36憶人にのぼると推測され、世界の人口の半数近く45%にあたります。異常気象による災害や干ばつなどによって、避難を余儀なくされる人の数は増加し、武力紛争によって生まれる避難民の3倍とも言われています。

また、いま気候変動は人類が直面する最大の健康上の脅威となっています。大気汚染、疾病、異常気象、強制避難、食糧不安、メンタルヘルスへの圧迫などによって、人々の健康にすでに大きく影響しています。毎年、環境要因によって約1300万人の命が奪われています。

 

2.世界で3人に1人が致命的な熱ストレスにさらされている

熱波は毎年、何千、何万もの人々の命を奪っています。世界の人口のおよそ30%が、年に20日以上致命的な熱波にさらされ、致命的な熱ストレスを受けています。今年7月、世界各地で最高気温が更新されました。アメリカ、中国の一部では、気温が50℃を超えました。異常な高温は、命の危険や、暮らしの困難に直結しています。地球温暖化が進めば、熱波はさらなる頻度を持って発生すると予想されています。

 

3.世界で2人に1人が深刻な水不足を経験

いま、世界の2人に1人が、気候変動が影響した洪水、干ばつなどの異常気象の影響で、年間のある時点で深刻な水不足を経験しています。地球温暖化は、以前から水が乏しかった地域の水不足を悪化させており、農地の干ばつのリスクを高め、農作物の収穫に影響をもたらし、さらに生態系の脆弱性を高めています。気候危機は、水の危機でもあり、水の危機はさらなる環境の悪化や食料の不安定化にもつながります。

 

4.気候変動に最も寄与していない人々がより大きな被害

過去10年で洪水、干ばつ、嵐などによって命を落とした人々の数を比較すると、気候関連の災害に対し、非常に脆弱な地域と、それほど脆弱ではない地域では15倍の開きがあり、アフリカ、南アジア、中南米の人々や小島嶼国の住民は、気候関連災害で亡くなる可能性が15倍高くなっています。その多くは、気候変動に最も寄与していない人たちです。アフリカの温室効果ガス排出量は世界全体の4%ですが、気候変動の最悪の影響を受けています。

気候変動に関する意思決定の中核に、公平性と人権を起き、不平等をなくしていく「気候正義」がますます問われています。

 

気候変動対策:やるべきこと、その先の未来

1.温室効果ガスの排出を2030年までに約半分に

人が住みやすい気候を維持するためには、2010年時と比較して、2030年までに温室効果ガス排出を43%削減し、2050年までに正味ゼロ・エミッションを達成する必要があります。その軌道に乗せるためには、気候変動の最大の要因とされる化石燃料からの脱却をただちに進めなくてはいけません。

再生可能エネルギーへの投資を2050年までに3倍、クリーンエネルギーからの電力供給を今後2030年までに2倍にしなければなりません。

 

2.再生可能エネルギーのコストは10年で大幅に低下

今年5月のG7 広島サミットでは、再生可能エネルギー導入拡大の数値目標が掲げられました。資源エネルギー庁によると、日本でも、水力、太陽光、風力、バイオマス、地熱などの再エネの導入は2012年から2020年の間に3.9倍と世界トップクラスのスピードで進んでいます。しかし、日本の再エネ普及率は 20.3%(2021 年度)で、40%前後の欧州主要国との開きがあり、化石燃料への依存度は依然として高い状況が続いています。

再エネはコストがかかるという理解はいまや過去のものとなっています。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)2021年の発表によると、2010年から2020年の間に、再エネ技術の価格は急速に下落し、太陽光発電の電力コストは85% 、陸上および洋上風力エネルギーのコストは、それぞれ 56% 、48% 低下しました。

再エネはいま、最も安価な電力供給源の一つとなっています。国際エネルギー機関(IEA)最新報告書は、いまクリーンエネルギーへの投資が業界をけん引し、今年、太陽光発電への投資額が石油生産への投資を初めて上回るとの見通しを示しました。

一部の国では、すでに電力のほぼ100%を再生可能エネルギーで賄っています。日本でも、再エネで地域の世帯数分のエネルギーをまかない、さらに売電事業により収益を得ている自治体も出てきています。IRENAは、2050年までに世界の電力の90%を再生可能エネルギーで賄うべきであり、それは可能だとしています。

 

3.再生可能エネルギーによる雇用の可能性

世界の再エネの雇用は、2019年時点で1150万人に達しました。この数は2050年までに4200万人、化石燃料産業で失われた雇用の3倍となるとの予想もあり、再エネシステムの製造、設置、運用、保守などに従事する機会を生み出すことができます。

同時に、脱炭素社会に向けてのキーワード「公正な移行」も守られなければなりません。化石燃料産業に従事する労働者や地域が取り残されてはならないのです。

国際労働機関(ILO)は、2016年に「環境面から見て持続可能な経済とすべての人のための社会に向かう公正な移行を達成するための指針」を策定しました。2021年の国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)では、この指針に沿って、「公正な移行宣言」が発表されています。持続可能な経済と社会の実現、そしてすべての人のディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)につながる機会の創出でなくてはなりません。

 

4.上位20か国が排出量の75%を占める現実 

2022年の国連環境計画(UNEP)の排出ギャップ報告書によると、上位20カ国の温室効果ガス排出量が、世界全体の排出量の75%を占めており、日本もその中に含まれます。(アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、カナダ、中国、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イタリア、日本、韓国、メキシコ、ロシア、サウジアラビア南アフリカ、トルコ、英国、米国)

一方、最も排出量の少ない100カ国での排出量は全体の3%のみです。より多くの問題を生み出している国々や人々は、行動に対する責任がより大きくなっています。グテーレス国連事務総長は、G7各国に対し、石炭の利用を2030年までに段階的に廃止することや、途上国の脱炭素化の加速に向けて支援するよう求めています。

先進国の私たちのこの10年の行動が未来を変えると言っても過言ではありません。そして私たちにできることはまだあります。

www.unic.or.jp

5.気候危機は人権の危機:人権と気候変動に関連する裁判がこの5年で2倍に

いま、人権と気候危機の強い関連性が世界各地の法廷で取り上げられています。UNEPの最新の報告によると、去年末時点で2180件の気候関連訴訟が提起され、人々が政府や企業の責任を追及しています。子どもや若者の主導するものもあり、気候変動、生物多様性 の損失、汚染という3つの地球規模の危機に、その訴えは5年で2倍以上になっています。

国連総会は2022年7月、クリーンで健康、かつ持続可能な環境へのアクセスは普遍的人権であると宣言する歴史的な決議を採択しています。ヴォルカー・ターク人権高等弁務官は、「気候変動への対応は人権問題」だと述べました。2020年は、気候が原因で3070万人が故郷を追われ、そうした人々が、食料、水、衛生、住居、健康、教育への権利、さらに生きる権利まで脅かされる状況もあります。基本的人権の観点から、こうした人たちへの包括的な保護が必要だと専門家は述べています。

今年、国連子どもの権利委員会は、健全な環境への子どもたちの権利を認め、各国に化石燃料の段階的廃止や再エネへの移行など、実行すべき指針を出しています。気候危機の解決を次世代に託すのではなく、迅速かつ大規模な行動が、今求められています。誰もが人権を守られ、健全に生きていくためにも、気候変動は、私たちがどの未来に向かうのかを問いかけています。

 

グラフィックスで気候変動を見つめてきました。基本的な情報から、関連国際機関のリンク、これまでの気候変動に関するUNニュースやビデオなど、気候変動に関する情報を日本語でこちらにまとめています。

www.unic.or.jp

 

国連本部ウェブサイト(英語)の気候変動に関する参考ページはこちらより。

Causes and Effects of Climate Change (気候変動の原因と結果) 

Climate Action Fast Facts (気候アクションとファクト)

Global Issues Climate Change (世界的課題 気候変動)

 

国連総会ハイレベル・ウィーク報告記:SDGs後半戦 挽回に向けた決意

 

国連広報センター所長の根本かおるです。

国連総会ハイレベル・ウィークに合わせてニューヨークに出張してきました。今年は2030年までの持続可能な開発目標(SDGs)の実施期間のハーフタイム。SDGsのターゲットのうち順調に進捗しているものは15パーセントにしか過ぎず、多くが逆行している中、4年ぶりに開催される「SDGサミット」で「SDGs救済計画」に合意し、後半戦につなげるということが、今年のハイレベル・ウィークの中心テーマでした。

国連本部の敷地に設けられた仮設の「SDGパビリオン」から 多くの関係者が世界に向けて語りかけた UN Photo/Mark Garten

私は2019年に前回のSDGサミットが開かれた際にもニューヨークに入っていたのですが、その時に感じられたお祭りムードや「何とかなるさ」的な楽観論は影を潜め、厳しい後半戦をともに闘おうという同志たちが危機感をもって集い、スクラムを組み、機運を高め合うという側面が強かったと感じています。

「“誰一人取り残さない” どころか、私たちはSDGsを置き去りにするリスクを冒しています」

ハイレベル・ウィーク初日の18日に開幕したSDGサミット冒頭あいさつでのアントニオ・グテーレス国連事務総長のこの言葉に、SDGsの直面する厳しい状況が凝縮しています。

SDGサミットで発言するグテーレス国連事務総長 UN Photo/Cia Pak

そのような中、加盟国がSDGサミットの成果としての政治宣言に、紆余曲折を経てギリギリで合意することができ、グローバルなSDGs救済計画を打ち出せたことは、大きな成果と言えるでしょう。

特にグテーレス事務総長が最も胸を張ったのが、先進国が途上国に対して少なくとも年間5,000億ドルを拠出することを呼び掛ける「SDG刺激策(SDG Stimulus)」への支持が、今回の政治宣言に明確に盛り込まれたことです。さらに、支払い猶予、融資期間の延長、利率の軽減を支える効果的な債務救済の仕組みや、開発途上国に恩恵をもたらすために、国際金融機関が民間資金を利用可能な利率で大規模に活用できるよう、同機関への新たな資本の注入とビジネスモデルの変更の呼びかけが盛り込まれています。グテーレス事務総長がかねてから「時代遅れで、機能不全に陥っており、不公正」と指摘してきた国際金融アーキテクチャを改革する必要性への支持も含まれ、SDGsの前進を加速させる打開策となることが期待されます。事程左様に、今回はSDGsの実施手段としての資金について優先度がより一層高まり、様々なハイレベル会合での中心議題になっていました。

次のステップにどう立ち向かっていけばいいのか、国連では複雑に絡み合ったSDGsを整理して「ハイ・インパクト・イニシアチブ(High Impact Initiative)」として提示しています。

 

SDGs実施の取り組みを後半戦でスケールアップする上で、ゲーム・チェンジャーとして大きなインパクトが見込まれる6つの分野での移行(1.食料システム、2.再生可能エネルギー、3.デジタル化、4.教育、5.社会的保護と雇用、6.気候変動・生物多様性の喪失・汚染との闘い)と、そのすべてに横断的に必要とされる完全なジェンダー平等の実現、そしてこれらのハイ・インパクト分野での移行の実現を後押しする5つの分野(SDG刺激策・貿易・地域での実施・公共セクターの能力強化・データの恩恵)という統合的に整理された枠組みが、議論の流れを方向付けるものです。

SDGサミット閉幕の様子 UN Photo/Paulo Filgueiras

2日間にわたったSDGサミットの締めくくりにあたり、グテーレス事務総長は「開発の“やることリスト”(development to-do list)」として7つの主要分野での前進に取り組むことを求めました。事務総長のスピーチがわかりやすいので、該当部分を抜粋します。

第1に、「SDG刺激策(SDG Stimulus)」に対する支援を、開発途上国に向けた実際の投資へと移行してください。

私たちは、国際金融機関などのメカニズムからの資金も含めて、持続可能な開発のために毎年少なくとも5,000億ドルに届く必要があります。

このイニシアチブを前進させるため、私は、2024年末までにこの5,000億ドルの継続拠出を開始できるように、一連の明確なステップを実行するリーダーズ・グループの編成を呼びかけています。

 

第2に、今回のサミットでのコミットメントを、具体的な政策、予算、投資ポートフォリオ、行動に落とし込んでください。

そして、自発的国別レビュー(VNR)の重点を、説明責任を推し進め、今回のSDGサミットでのコミットメントに対する進捗状況を一覧にするように、変更してください。

 

第3に、今回注目された6つの主要なSDG移行、つまり食料、エネルギー、デジタル化、教育、社会的保護と雇用、そして生物多様性にわたる行動に対する支援を強化してください。

国連の開発システムでは、今後数カ月にわたりこうした取り組みを次の段階へと進め、来年7月のハイレベル政治フォーラムでその進捗を評価します。

 

第4に、社会的保護への投資を大幅に増額する計画を今すぐ作り始めてください。

私たちは、「(公正な移行のための)雇用および社会的保護のグローバル・アクセラレーター」を実現させ、2025年までに新たに10億人、2030年までに40億人を、その対象としなければなりません。

 

第5に、政治宣言が明らかにしているように、先進国が、政府開発援助(ODA)を国民総所得(GNI)の0.7%にする目標を達成すべき時が来ています。

来年の年間予算における優先支出項目を計画するにあたり、この目標達成を実現させてください。

 

第6に、来月の国際通貨基金IMF)・世界銀行の総会を、「これまでと同じやり方」にしてはなりません。

資本増強に加え、私たちは未使用の特別引出権(SDR)1,000億ドルを、緊急かつ追加的に振り向ける必要があります。

また、各国の政府代表は、開発途上国の支援に民間資金を大規模に活用するための具体的な提案を携えて臨むべきです。

これには、政治宣言で求められている、官民のブレンドファイナンスや債務スワップの活用といった、革新的な融資メカニズムに関する提案も含めるべきです。

より広範には、私たちはグローバルな債務メカニズム全体を改善する必要があります。その手段としては、手続きを迅速化させること、即時の債務停止を可能にすること、緊急の必要性に迫られた国々に対しより長期かつ支払い可能な条件で債務を再編することが含まれます。

そして私たちは、政治宣言に沿ってグローバル金融アーキテクチャを改革し、来年(2024年)の「未来サミット」や2025年開催予定の次の「開発資金国際会議」に間に合うように、具体的な提案を作成する必要があります。

 

第7に、気候変動の最悪の影響を回避し、必要不可欠な支援を提供するというグローバルな約束を守り、開発途上国再生可能エネルギーへの公正かつ公平な移行の達成を支援するための、具体的な計画と提案を携えて、今年11月の「気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)」に臨んでください。

特に今回のCOP28は、新たな「損失と損害基金」と、「生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)」で呼びかけられた「「生物多様性枠組基金:Global Biodiversity Framework Fund (GBF Fund)」」の運用を開始する時となります。

大きな後退を見せているSDGsを前に諦めムードに浸る余裕など、とてもありません。SDGサミットだけではありません。市民社会や活動家、企業関係者やメディア関係者らが主役となって、外壁に17のSDGゴールの扉(扉を開けると、そのゴールの進捗に関する最新データと関連アート作品が見られる)をあしらった「SDGパビリオン」やメディア関係者が中心的な役割を担う「SDGメディア・ゾーン」を拠点にしたセッションでも、次のレベルに移行するためのヒントの詰まったストーリーやアイデアを積極的に発信していました。

SDGパビリオン内で行われた熱い議論 UN Partnerships/Pier Paolo Cito

大きな壁をどう乗り越えていけるのかという解決策提案型の議論は、あらゆる人が必要としあらゆる人に与えられるべき持続可能な未来に向けて前進するため、反転攻勢に必死で取り組もうという決意に満ちていました。

SDGメディア・ゾーンには、ナタリー・ポートマン氏をはじめとする著名人、国連機関の長、グローバル企業や研究機関、市民社会団体の役員等が登壇 UN Photo/Mark Garten

SDGメディア・コンパクトに加盟する世界のメディアが司会やスピーカーなどで参画した「SDGメディア・ゾーン」では、繰り広げられた多くのセッションのラインアップにまじり、日本の皆さんへの緊急報告を日本語でお届けしました。

国連の事情をご存じの方々から、国連公用語ではない日本語で発信したことを快挙だと評価していただきましたが、慶応大学の蟹江先生、TBSとフジテレビの代表、ならびに国連本部の邦人幹部職員のご協力があったからこそ実現したものです。SDGs推進の後半戦や気候アクションのスケールアップとスピードアップに向けたセッションをコーディネートして発信することができました。

いずれも10分から20分のコンパクトなセッションではありますが、スピーカーの方々の大切なメッセージが詰まった内容となり、私も大きくうなずきながら司会進行をしていました。セッションの模様は、いずれも国連のUN Web TVからアーカイブを視聴していただけます。

SDGs実施の後半戦:変革のてこがカギ(9月18日)

UN Photo

SDGs最前線:ニューヨークからの緊急報告(9月19日)

UN Photo

Code red: commitments on the "Promise of 1.5℃” climate action campaign (9月20日)

@UNIC Tokyo

待ったなし!「地球沸騰化」時代の気候アクション(9月22日)

@UNIC Tokyo

どのセッションも、国連総会で共有された危機感を日本の皆さんに緊急報告の形で伝えつつ、同時にアクションと解決策を提示し、そして希望と連帯のメッセージを大切にしています。これからの気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)やSDGs推進の後半戦に向けた発信の在り方を考える上でも、大いに参考になる内容かと思います。

日頃SNSでフォローしているウガンダ出身の気候活動家バネッサ・ナカテさんをはじめとする著名人や、気象情報を気候変動につなげながら伝えているアメリカの気象専門テレビ局の「ウェザー・チャンネル」の気象キャスターらの思いを、SDGメディア・ゾーンという息遣いのわかる至近距離の場で聴けたことも、大きな収穫でした。気候変動について声を上げる彼らがSNS上での個人攻撃に晒されながら、心のケアも含めていかに対処しているかというは、日本で活動する私たちにとっても大いに参考になるヒントになります。

ウガンダの気候活動家バネッサ・ナカテさん(右から2人目)やウェザー・チャンネルのキャスター、ポール・グッドロー(左)さんも登壇 @UNIC Tokyo

SDGsを含む持続可能な開発のための2030アジェンダが採択されて以降、広報の立場からずっとSDGsに関わってきた一人の国連職員としても、次のステージに向けたやる気にエネルギーを再注入することになり、実り多いニューヨーク訪問となりました。

引き続き、国連での議論にご注目していただければ幸いです!

「1.5℃の約束」キャンペーンについてグローバル発表してくださった、TBSホールディングスの井上波さん(右)とフジテレビの木幡美子さん(左) @UNIC Tokyo

 

日本から世界に伝えたいSDGs⑥【生まれる前から被爆者 家族それぞれの8月6日を胸に】

©UNIC Tokyo/Mariko Iino

【略歴】濱住治郎(はますみ・じろう) 広島県出身。母親が妊娠3カ月の時に被爆したことで、「胎内被爆者」として被爆者健康手帳を持つ。2003年に東京都稲城市原爆被爆者の会を結成し、2007年から体験を伝え始める。原爆胎内被爆者全国連絡会の結成にも尽力した。2019年の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議第3回準備会で胎内被曝者として初めて発言。日本原水爆被害者団体協議会事務局次長。

いま、世界には1万2512発の核兵器があります。1945年に広島、長崎に原爆が落とされてから78年が経ちましたが、この間にも2000回を超える核実験が行われ、世界各地で核兵器による苦しみや破壊が続いてきました。

「原爆の恐ろしさは十分に知られていないのではないか」。核兵器廃絶を訴え続ける被爆者の思いの根底には、もう誰にも同じような苦しみを味わってほしくないという切なる願いがあります。唯一の被爆国日本からは多くの被爆者が声を上げ続けてきました。

広島で父を原爆で失い、家族全員が被爆した濱住治郎さん(77)もその一人です。濱住さんは母親の胎内で被爆した「胎内被曝者」です。何をどう伝えていくのか模索しながら活動を始めたのは50代後半でした。濱住さんの思いを支えるのが、家族から伝え聞いた8月6日、そして被爆者の先輩たちの姿です。

平和や公正はSDGsの大切な一つの柱。平和な世界でなければ、人間の尊厳も地球環境も守ることはできません。濱住さんの言葉や記録から、核兵器のない世界への願いを次の世代にどう継承していくかを見つめます。

 

父が原爆で亡くなった年齢になってこみあげた思い  

8月6日は、濱住さん家族の運命を大きく変えました。あの日、濱住さんの父親の正雄さんは爆心地500メートル付近の職場に出かけたきり戻ってきませんでした。母親ハルコさんは当時妊娠3カ月。翌日広島市中心部に入り、正雄さんを捜索する中で被爆しました。濱住さんは翌年2月に生まれ、父親の遺影がかかる家で育ちました。母親が電気の集金や畑仕事をし、兄は進学をあきらめて働き、7人の兄弟を支えてくれたと言います。

家族や親戚を含め、周りの多くの人が、被爆の体験を詳しく語ることはなかったと言います。市の中心部から4キロの位置にあった濱住さんの家は倒壊をまぬがれ、あの日多くの人が避難してきたことなどを断片的に聞く程度でした。

みんな生きるのに精いっぱいでした。兄も下に何人も妹たちがいて、私もいるでしょう。父が原爆で亡くなったという事実は自分の中にずっとあったんだけれども、そのことを詳しく聞こうということはあまりなかったんです」

しかし、父親が亡くなった年齢の49歳になった時に強い思いがこみあげてきました。

「私が母のおなかの中で3カ月の時に父は亡くなったんだけど、その3カ月の差で私はいま生きています。この不思議さは何なんだろうといつも思っていました。父が亡くなった年齢になった時、父親は8月6日どんなことをしていたんだろうか、どんな思いだったんだろうかと、もっと知りたいと思ったんです」

©UNIC Tokyo/Mariko Iino

自らは被爆の体験や記憶がない濱住さんは、6人の兄姉に手紙を書き、8月6日の様子を教えてほしいと頼みました。原爆投下から50年がたっていました。兄姉全員が便箋にしたためた返信をくれました。いつもと変わらず始まったはずの8月6日の朝、しかし家族の誰にとっても生涯忘れることのできないあの日の記憶が浮かび上がりました。

 

家族のあの日の記憶を胸に

2023年8月6日の広島 とうろう流しの様子 写真提供:濱住治郎

1945年8月6日、濱住さんの一番上の姉(当時16歳)と二番目の姉(14歳)は学徒動員で、朝早く出かけていました。激しい光と爆音、爆風の中、建物が崩れてきたことなどを綴っていました。濱住さんがまとめた手記から一部を抜粋します。(漢字の表記などは原文ママ

暗闇の中、何が起きたか分からなかった。工員さんたちが屋根を破って、一人ずつ外にだしてくれた。(中略)被爆し、火ぶくれになった人たちが逃げてきた。髪はバサバサ、裸同然であった。(中略)汽車の中は、ヤケドの人でいっぱい。「お願いします。水を下さい。」という声がする。川の中も、人でうまっていた。「家の者が、この様子だったら?自分は助かるだろうか?」心配しながら歩き続けた。

 

長兄(当時12歳)と三番目の姉(当時9歳)は、山間地域に集団疎開し、農作業の日々を過ごしていました。そこからもはっきりと原爆の様子が見えたことを書いていました。午後には黒い雨が降ったことも覚えていました。

ー八時から校庭で朝礼。六年生から二列に並んで五十メートル離れた兵台の校舎へ入る手前で、「ピカッ」と光った。暫くして「ドガン」。東方面、「広島がやられたぞ」と叫ぶ声。山の向こう側へもくもくと盛り上がるキノコ雲。(中略)夜は、空が真っ赤であった。「これは、大変なことになっている。」わが家のことが心配であった。

 

四番目の姉(当時7歳)と五番目の姉(当時4歳)は、広島市の中心部から4キロ離れた自宅にいました。すぐに多くの人が家に避難してきて手当に追われました。

ーガラスのあった部屋はガラスが破れ、ふすまに立ち込んでいた。壁つちはタンスに寄りかかっていた。北側の道路に面した戸は全部壊れ、道行く人が全て見えた。(中略)三十分もすると、焼けただれた人達、血を流した人たちがどんどん逃げてきた。

 

濱住さんの家に30人ほどが身を寄せました。ひどい火傷を手当てする薬もなく、じゃがいもをすったものを塗りました。大きな外傷がなくてもその後高熱を出し、髪の毛が抜け、亡くなる人もいました。そんな中、家族全員が父の帰りを待ち続けました。

母親と、二番目の姉たちは、父正雄さんを捜すために、翌日から市内を歩き回りました。爆発の熱が残り、誰だか区別できない姿があちこちに転がっていたと言います。二日後ようやく焼け跡から見つかった父は変わり果てた姿で、身に着けていたベルトの金具など遺品3点から確認できました。幼かった姉たちは、帰宅した母から「お父さんがこんなになっちゃったよ」と見せられ、母親と抱き合って泣き、食事ものどを通らなかったと記しています。二番目の姉たちは数日後に高熱が出て下痢や吐き気に襲われて寝込みました。

手紙から、家族のそれぞれが、言いようのない悔しさや、辛さを心に秘めてきたことを濱住さんは感じたと言います。初めて知ることばかりでした。

爆心地から500メートルのところで見つかった遺品のベルトなど 写真提供:濱住治郎

「私がまだ生まれる前の知らなかったことが具体的に書かれていました。そんなことがあったのかと思いました。直接話せなかったのでしょう。兄弟によっても、自分のことを知られたくない、知らせたくないというのがあったと思うんです。二番目の姉は話したくないと言っていました。広島で行われる式典や運動についても冷ややかでした」

原爆によって、その年だけで広島では約14万人が、長崎で約7万人が命を落としました。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の資料によると、家族に看取られながら亡くなったのは全体のわずか4%、42%は行方不明のままでした。

 

胎内被爆者としての使命を感じて

濱住さんが「胎内被曝」について調べ始めたのは、兄姉の体験を手紙で読んだのと同じ頃でした。

2022年3月末時点で被爆者の数は11万3649人、そのうち胎内被爆者として認定されているのは6602人です。妊娠早期に強い放射能を浴びたことで発症する小頭症などの障がいを持って生まれたり、がんなどの病気に苦しんだり、早くに亡くなったりする人も多く、若い細胞の胎児だったからこそ影響を大きく受けたことがわかっています。濱住さんも体が強い方ではなく、健康への不安や、結婚してからは子どもへの影響なども気にしながら過ごしてきました。胎内被爆者の中には病気や社会の無理解に苦しみ、若くして自ら死を選んだ人もいました。

胎内被爆者のつながりを作りたいと、濱住さんは、2014年の「原爆胎内被爆者全国連絡会」の結成に加わりました。その中で多くの胎内被爆者の人生も知りました。濱住さんは、40歳で亡くなるまでがんとの闘病を続け、核兵器廃絶を訴えた胎内被爆者の女性が残した文章が忘れられません。

「”生まれる前から被爆者だった”という言葉を残しているんです。それが一番強烈でした。核兵器は人間として生きることを否定するのだと思います。そういうものを人間に落とすということは、人間を人間として認めないということだと思います。核兵器は絶対にあってはならない。胎内被爆者という立場で訴えていくのが自分の使命だと思っています」

濱住さんは、2003年に暮らしていた東京都稲城市でも原爆被爆者の会を結成し、2007年に原爆を語り継ぐ絵本を出版したことでできた市民グループでも、毎年のように核の問題を伝える展示を行ってきました。学校で話をしてほしいと頼まれたのが後押しとなり、胎内被爆者として語り始めました。

市民グループ稲城平和を語り継ぐ三世代の会」で今年8月行った展示にて
©UNIC Tokyo/Mariko Iino 

濱住さんは、ニューヨーク国連本部も数度訪れ、2019年の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議第3回準備会では、胎内被爆者として初めて発言しています。濱住さんは歴史を知るほどに、先の被爆者たちがどれほど懸命に原爆被害の事実を調べ、補償や援護体制の実現を訴え、核兵器廃絶を願い活動してきたか、その重みや深みを感じてきました。”一番若い被爆者”としての責任と使命を抱いて活動していると言います。

「単なる被害者として被爆者がいるんじゃない。かわいそうな人間というのではなく、人間として原爆の悲劇をどう乗り越えていくのか、世界の人たちの問題として意識して先輩たちが取り組んできてくれたのです。核の問題はそこで終わりません。どれだけの人間が苦しんできたか。一番苦しんでいる人たちの声をどれだけ聞けるか、そこを無視していては同じことを繰り返すんじゃないかと思うのです」

2019年ニューヨーク国連本部での会議で発言する濱住さん 写真提供:日本被団協

この時代にどう伝えていくのか

戦後78年がたち、原爆を直接体験している人が少なくなる中で、伝える難しさは増しています。濱住さんは体験を話す度に、「自分は何も話せていないのではないか」という思いになると言います。それでも、胎内被爆者の自分が、つなぎ役になれればという思いを強くし、事務局次長を務める日本被団協では被爆二世として活動する人たちを支援する役割も引き受けています。

一つの希望は、若い世代の反核や平和活動への参加です。コロナ禍での核兵器についてのオンラインの証言会や禁止を求める署名も若者の呼びかけで実現しました。

若い人たちは決断がすごく早いんですよね。私だったら何をしようか迷い、何にもできないでくることもあったんだけど、彼らの行動力に励まされています。若い人たちの行動が、被爆者の力になっています」

そうした若い世代の力を得て、今年新たな伝える試みが実現しました。これまで被団協がNPT運用検討会議の機会に合わせて国連で4回行った原爆展を、オンラインでも見られるようにしたのです。サイトは約50ページにわたります。

広島・長崎の被害の概要に加え、被爆者が核とどう向き合ってきたか、核実験や核廃棄物の問題、チェルノブイリ、福島の原発事故など、現代に続く核の問題を体系的に日本語と英語で紹介しています。展示会場に足を運べなくとも、世界中からアクセスでき、核の問題について知ることができます。日英に加えてさらなる多言語化も目指しています。

2022年国連本部で開かれた原爆展の様子 この展示の48枚のパネルすべてをオンラインで見ることが可能に 写真提供:日本被団協

いま、分断が広がる世界で、核兵器使用のリスクが高まっています。穏やかで静かな口調の濱住さんが、世界は広島、長崎に向き合っていないのではないか、日本もまた十分に向き合えていないのではないかと、語気を強めました。

「生きることを否定する核兵器は許してはいけないのです。それを世界中の人にわかってほしい。犠牲になるのは市民であり、子どもです。私は命の大切さを子どもたちにも伝えていきます」

核兵器も戦争もない世界を次世代に届けることが、被爆者と世界の大人たちの使命”。母の胎内で生まれる前に被爆し、被爆者としての人生を歩んできた濱住さんの思いです。

 

(取材・構成 飯野真理子)

胎内被爆者のイメージを描いた絵とともに(絵:稲田善樹) ©UNIC Tokyo/Mariko Iino  

国連本部での原爆展をオンラインミュージアムとして開設したページはこちらからご覧になれます。

 

SDGs実施のハーフタイム:後半戦での反転攻勢を目指して

SDGsのこれからを決する国連総会ハイレベルウィークの開幕を前に、9月16日、ニューヨークの夜空がドローン・アートで彩られた。国連本部のXアカウントより

国連広報センター所長の根本かおるです。

今年は、持続可能な開発目標(SDGs)にとって、2016年から2030年までの15年間にわたる実施の中間点という重要な節目です。9月18日からの国連総会ハイレベルウィークでは、4年に一度のSDGサミットが開催されます。いまSDGsの進捗は、窮地に立たされています。

 

前回のSDGサミットが開催された2019年の時点で、SDGsの進捗は2030年までの達成の軌道から大きく外れていたのですが、その翌年に新型コロナウイルス感染症の世界的大流行が始まり、さらに気候変動が加速度的に進んで「地球沸騰化」の時代に突入し、大きな気候災害が世界中でドミノのように発生しています。さらには2022年2月のロシアのウクライナ侵攻の始まりに端を発するウクライナ戦争とそれに伴う食料危機や物価の高騰によるダメ押しがありました。はっきり言って、「赤信号」がともっているのです。

7月に国連が発表した「SDGs報告2023・特別版」のグラフを示しながら、いかにピンチにあるのかについてお話したところ、シンポジウムに関わっているメディア企業の方から、「今日の話を聞くまで、ここまで窮地にあるとは知らなかった」とのコメントをいただきました。

SDGs17のゴールの最新の進捗を示すグラフ 緑色が順調に推移している部分

 

SDGsのターゲット全体の中からデータに裏打ちされた140ターゲットについて分析したところ、順調に進捗しているのは15パーセントにとどまり、48パーセントは進捗が不十分、そして37パーセントは停滞あるいは後退しているのです。17つの目標のうち6つについては、順調に進んでいるものは一つもありません。しかしながら、SDGsの認知度が90パーセントを超え、関心も高い日本において、「SDGsが窮地にある」ということがあまり知られていないのでは、と感じています。

2018年9月にローンチされた国連とメディアとの連携の枠組み「SDGメディア・コンパクト」は、加盟メディアの数は400を超え、そのうち200を超えるメンバーは日本のメディアです。これらSDGsに熱心なメディアが、日本でのSDGsの認知度向上に大きく貢献したと感じていますが、後半戦に向けたSDGサミットの機会に、SDGsを取り巻く厳しい現状についてより積極的に取り上げるとともに、2030年までの実施の後半戦における変革の動きを太い運河のような流れにすべく、提案型・課題解決型の発信を強めていただきたいと願っています。

先日更新したブログ記事「『地球沸騰化』時代の気候アクション」でも多くの意識調査の結果を取り上げましたが、危機感を持ってもらうことは大切ではある一方で、終末論的な発信ばかりにさらされると、人は感覚がマヒし、ニュースに心を閉ざしてしまいがちです。同時に、ニュースを避けがちな人々が、明るいニュース、解決策を伝えるニュース、複雑な出来事を理解するのに役立つ解説などを求めていることも浮かび上がっています。

 

 

人類の存亡を左右する脅威であり、ほぼすべてのSDGsのゴールを台無しにしてしまう影響をもたらす気候変動についても、今年3月に公表された「気候変動に関する政府間パネルIPCC)」第6次評価報告の統合報告書は、「私たちがこの10年に行う選択と行動が数千年にわたり影響を与える」と指摘し、私たちが地球をつないでいけるかどうかの分岐点にあることを示しています。そのような重要な分岐点にあって、人々の諦めや無関心が勝ってしまうような事態は何としても避けなければなりません。

 

 

そのような中、国連総会ハイレベルウィークに合わせてニューヨークの国連本部で開催されるライブ配信イベント「SDGメディア・ゾーン」(9月18日―22日)に、ナタリー・ポートマン氏やテレビドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」にも出演していたニコライ・コスター=ワルドー国連開発計画(UNDP)親善大使をはじめとする著名人、国連機関の長、グローバル企業や研究機関、市民社会団体の役員等が登壇します。登壇者には、日本の研究者やメディア関係者、国連の邦人幹部職員も含まれ、窮地にあるSDGsの救済策や地球沸騰化時代の気候アクションなどをテーマに、議論を展開します。

 

 

SDGsの実施期間の中間点にある今年は、試合に例えればまさにハーフタイム。この重要な節目に、日本からの登壇者らは日本と世界の人々にSDGsの達成や気候危機への対応に有効なアイディアや視点を提供しながら、白熱する議論や成果を受けて緊急報告を行います。

SDGサミット(9月18日-19日)の初日には、4年ぶりとなるグローバル・サステナブル・デベロップメント・レポート2023(Global Sustainable Development Report 2023)の執筆に関わった世界15人の独立科学者の一人である、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科の蟹江憲史教授から、SDGs達成に向けた変革において科学の果たす役割を中心に、私がお話を伺います。さらに、SDGメディア・ゾーンを舞台に、「1.5℃の約束」気候アクションキャンペーンに関して、日本のメディア関係者からの発表も行われる予定です。

 

国連本部のSDGメディア・ゾーンには日本からの登壇者も複数出演

 

「SDGメディア・ゾーン」のプログラムは、日本関係者のセッションも含め、国連本部のウェブサイトに順次公開されていきます。すべてのセッションが国連のオンライン・プラットフォーム「UN WebTV」から世界にライブ配信され、同プラットフォームにアーカイブされます。国連広報センターは日本からの登壇者が参加するセッションについてSNSで情報を発信する予定ですので、どうぞご注目ください。

2023年の国連総会ハイレベルウィーク中には、世界の首脳が集結する一般討論(9月19-23日および26日)に加え、SDGサミット(9月18日-19日)、開発のための資金調達に関するハイレベル対話(9月20日)、気候野心サミット(9月20日)、パンデミック予防・備え・対応(PPR)に関するハイレベル会合(9月20日)、「未来サミット」のための閣僚級準備会合(9月21日)、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)に関するハイレベル会合(9月21日)、結核との闘いに関するハイレベル会合(9月22日)といった重要な会合が開かれます。

国連総会ハイレベル・ウィークを前に9月13日に記者会見したアントニオ・グテーレス国連事務総長は、ハイレベル・ウィークでの最優先課題について質問され、次のように答えています。

SDGsの実施を突破する上で、国際社会のキャパシティーが飛躍的に前進するよう、確かなものにすることこそが、私たちにとって最も重要な目的です」

 

 

飛躍的に大きな進展につながる成果を見守っていただきますよう、どうぞよろしくお願いします!

平和のための連合:一丸となって平和維持を強化する

インドネシアジャカルタの国連広報センターによる、「三角パートナーシップ・プログラム(TPP)」の訓練についての記事を日本語でお送りします。TPPとは、平和維持活動(PKO) 要員派遣国、支援国、国連の三者が共同で取り組む国連のPKO力構築事業のことです。PKOの効果的な実施には、施設(工兵)、医療、情報通信(C4ISR)といった分野の知見と技術が欠かせません。本プログラムの下、日本の陸上自衛隊インドネシアカンボジアモンゴルの兵士に、重機操作の指導に必要なスキルやノウハウを提供した訓練の様子をお伝えします。

訓練に参加したインドネシアカンボジア、モンゴルの兵士らと日本の自衛官

 

「自信に満ちている」、それこそが、ジャカルタに近い故郷から1万キロ以上も離れた中央アフリカ共和国で、重機を巧みに操作するライアン・ハーディカ士長を表現するのに、最もふさわしい言葉でしょう。その自信を支えている原動力とは何でしょうか。それは、昨年日本の自衛官による訓練を通じて得られた、知識と専門技能なのです。

 

ハーディカ氏は、国連平和維持軍の誇り高き一員であり、国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション(MINUSCA)に派遣されたインドネシア軍部隊に加わっています。派遣に先立ち、ハーディカ氏ら19名は昨年、補給路やキャンプ地を含めたインフラ建設、修繕の手助けや、派遣地域で想定される自然災害後の国の復興活動の支援を目的とした、国連による「三角パートナーシップ・プログラム(TPP)」の訓練を完了しました。

 

「重機をうまく操作できるようになることは、このコースのほんの一部に過ぎません。重機の整備をより厳格に行うこと、作業や安全管理の手順により注意を払うことなど、他にも多くの知識を得ることができました」と氏は話しています。

 

昨年実施されたコースの成功を受けて、日本の陸上自衛隊JGSDF)は先月、インドネシアのセントゥールにあるインドネシア平和安全保障センターを再訪し、今度は将来の教官や機材指導員の候補たちを指導しました。この訓練には、国際協力の精神の下、カンボジアとモンゴルの兵士たちも参加しました。

 

重機操作教官養成訓練は、兵士が自国の軍隊で教官を務められるよう準備と装備を整えることを目的としています。3カ月にわたるこのコースは、重機操作技能、教育方法、建設プロジェクト管理の3つの技能を向上できるように設定されています。

 

訓練中に実際に重機を操作するカンボジアの兵士

 

「平和維持活動は、多様で流動的な環境下で行われており、それぞれが固有の課題を抱えています」と日本からの訓練部隊を率いる竹本憲介2等陸佐は話しています。「これら3つの技能を習得することで、平和維持要員たちは、パトロール中の重機の操作から地元コミュニティーに重要な技能を教えることや、復興作業の管理に至るまで、さまざまな業務に対処する適応性と多才さを身に付けられるようになります」

 

インドネシア東ジャワ州から参加したエンガ・パーマディ大尉は、コースで学んだことを次のように説明しています。「掘削機、積み込み機、地ならし機、ブルドーザーといった機器や重機の操作を学ぶだけでなく、教え方についての知識や経験も得られます。それによって、その知識を多くの国に展開している部隊にも伝えることができるのです」

 

カンボジアのヴァンナ・ネン中佐は、自国の軍隊で約300人の平和維持要員候補者を育成する予定で、このように話しています。「しかしもちろん、この訓練によって最も恩恵を受けるのは、派遣先の地域に暮らす人々です。それは特に、道路に損傷が多く、移動が困難になっている中央アフリカ共和国の人々です」

 

世界平和を構築するためには、世界規模の解決策を

インドネシアには、平和維持活動に参加してきた長い歴史があり、世界中のさまざまな国連ミッションに向けた部隊や人員の派遣に積極的に関与してきました。すでにグローバルな平和維持活動において世界第8位の貢献国となっているインドネシアでは、さらなる関与を視野に入れており、インドネシア軍が今回の訓練の開催を申し出たのはそのためだと、インドネシア平和安全保障センターの司令官であるレティオノ少将は述べています。「わが軍の兵士は、この訓練で重機や機械類の操作経験が豊富な人たちから学ぶことができ、その恩恵を受けています。来年もインドネシアでのコースが続くよう期待しています」

 

現在、インドネシアは、派遣が必要とされる地域に2,700人を超える国連平和維持要員を派遣しています。中でも、中央アフリカ共和国コンゴ民主共和国(国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(MONUSCO))の2つの地域は重機の運用を必要としています。2022年以降、インドネシアはこれらのミッションに350人を超える平和維持要員を派遣しており、重機操作の専門知識を持つ平和維持要員の増員が引き続き求められています。

 

国連三角パートナーシップ・プログラムは、平和維持要員の能力を高め、包括的な訓練と能力開発を提供すべく創設されました。このプログラムでは、協働による取り組みを通じて世界平和を達成するという共通のビジョンを持つ参加者が、複数の国から一堂に会します。

 

「国連の平和維持要員たちが世界の変動や不安定さの高まりに直面している中、世界各国から派遣される、十分に訓練された部隊に対する需要は、依然として高いままです」とアトゥール・カレ国連オペレーション支援担当事務次長は述べています。「この訓練の真の成功は、世界的な平和活動のパフォーマンスを高めることだけでなく、国際協力における強い絆を育むことでもあります。そしてこれらは、世界の調和と永続的な平和を実現する上で有益なのです」

 

(本記事は英語インドネシア語で掲載されています)

「地球沸騰化の時代」の気候アクション

                     執筆: 根本かおる国連広報センター所長                                                                    

この夏は日射しが痛いほど強烈だ。高温と多湿で、命に危険なほどの暑さを体感している。「熱中症対策アラート」が頻繁に発令され、体調を崩さないためにめっきり外出が減ってしまった。習慣になっていた週末のジョギングも、中断している。気候変動と健康との関係をこれまでになく痛感している。7月下旬から8月初めにかけて2週連続で、全国の熱中症による搬送が1万人を超えた。

世界気象機関より 20237月の世界の平均気温

今年7月の世界の平均気温が、いずれの月を対象にしても、史上最高となった。1991年から2020年の7月の平均よりも0.72℃高く、1850年から1900年の7月の平均よりも1.5℃高い。年平均で1.5℃上昇したわけではないものの、「1.5℃上昇」の世界をイメージする手掛かりにはなるだろう。

1940年から2023年までの7月の世界の地表気温の推移  Data: ERA5. Credit: C3S/ECMWF

地球温暖化の時代は終わった。地球沸騰化の時代が到来した」と、7月の事態を受けてアントニオ・グテーレス国連事務総長は記者会見で危機感をあらわにしている。

この高温熱波 は大規模な気候災害を引き起こしている。春以降続いているカナダの森林火災による大気汚染は、ニューヨークをディストピアのようにオレンジに染めた。同じく熱波と山火事に見舞われている米国では、600万戸もの住宅が森林リスクの増大のために保険に加入できなくなっている。地中海沿岸の国々での山火事に続き、日本人にとってリゾート地として馴染みのあるハワイ・マウイ島でも大規模な森林火災が起こり、米国での山火事としては過去100年で最悪のものになった。

同時に、地球が温暖化するにつれて、海水温が上昇し、大気中の水蒸気が増え、ますます激しく、より頻繁に、より深刻な豪雨が発生し、洪水につながることが予想される。日本、韓国、中国ではこの夏、まさにそれが起こっている。また、フロリダでは海水温の上昇でサンゴの白化が大規模に進むなど、生物多様性の喪失にも拍車が掛かっている。

 

次から次へと続く大規模な気候災害のニュースを前に、ニュースの受け取り手である私たちの心は麻痺してしまう。ニュース報道には、ややもすると事件・事故・災害などネガティブなニュースに注目しがちな傾向がある。職業柄日常的に多くのニュースに接することが必要な私も、大量の暗いニュースに触れていると受け止めることができなくなり、意図的にニュースを遮断する時間を設けることにしている。自分にとって、心が侵食されるのを防ぐ自己防衛策でもある。

イギリスでの調査結果によると 、新型コロナウイルス感染症パンデミックが始まった当初、人々はこの未知の感染症について積極的に情報を集めようとしたが、悲惨なニュースばかりが重なって耐え難くなると、人々はニュースへの心の窓を閉ざしてしまった。調査に協力した人々は、終わりのない危機のリストに直面して絶望に圧倒され、自分自身を守るためにオフにしたと回答している。情報を入手することよりも自分自身のウェルビーイングを優先することを選択した、メディアには人々の気持ちを上向かせるニュースやパンデミックから抜け出す方法などについてもっと取り上げてもらいたかったなどと指摘している。来る日も来る日も破滅論的な破壊と喪失のニュースばかりで警告が多すぎると、人々の心を麻痺させるだけではなく、恐怖と諦めの念を植え付け、その先の思考をストップさせてしまう。問題を問題として伝えるだけでは、不十分なのだ。

パキスタン、パンジャーブ州ラジャンプル地区にあるUNICEF施設の外に立つ子ども 
© UNICEF/Juan Haro

ではどうすれば、気候危機について危機感を持って伝えつつも、危機打開の解決策と可能性に自分事として目を向けてもらうことができるのだろうか。今年3月に公表された「気候変動に関する政府間パネルIPCC)」第6次評価報告の統合報告書は、「私たちがこの10年に行う選択と行動が数千年にわたり影響を与える」と指摘し、私たちが地球をつないでいけるかどうかの分岐点にあることを示している。そのような重要な分岐点にあって、人々の諦めや無関心が勝ってしまうような事態は何としても避けなければならない。コミュニケーションに携わる関係者が力を合わせて、解決のためのアクションをそれぞれのやり方で可視化し、人々を巻き込んでいくに価する大問題だろう。ロイタージャーナリズム研究所の「デジタルニュースリポート2023」も、ニュースを回避する人々が明るいニュース・解決策を提案するニュース・複雑な出来事を理解するのに役立つ解説を望んでいることを浮き彫りにしている。

長年コミュニケーションに携わっていて感じるのは、私たちはチャレンジする人の姿にこそ共感し、希望や可能性を見出すということだ。だからこそ、気候変動という大きな課題に対して問題意識を持って行動する人々のストーリーを可視化し、閉ざされがちな思考回路をほぐして「私にもできる(かも)」と感じてもらい、巻き込んでいくことが重要だろう。だからこそ、国連広報センターでは日本の多くのメディアとともに、気候アクション提案型の「1.5℃の約束」キャンペーンを昨年から展開している。

 

 

地球の気温上昇を1.5℃に抑えるための余地はどんどん狭まりつつあるが、社会の仕組みを脱炭素型に大きく舵を切って排出量を大幅に減らしていけば、最悪の結果を回避することができる。まだ間に合ううちに、関心を失った、または気候危機に目覚めたばかりのオーディエンスを対象に、より効果的な巻き込み型コミュニケーションが必要だ。気候変動について知ってはいるものの、積極的に情報を収集していなかったり、危機の大きさに圧倒されていたりする人々に、いま一度気候変動について強い関心を持ってもらいたいのだ。地元の農業、旬の食材、趣味のスキー、夏の高校野球、水、子どもの健康、年老いた両親など、人々が気にかけていることと気候課題とを点線でつなぎ、気候に関する警告を人々に関係あるものとして提示することができるだろう。

さて、では「日本」を考えてみよう。若者に関する国際比較調査で、日本では他国と比べて気候変動への危機感の低さや自分事化が進んでいないことが明らかだ。同時に、気候変動対策を取ることに対して、「機会」よりも「負担」 と捉える傾向が強い。「エアコンの設定温度を28℃に」などの「我慢」型の節電が対策の主流として語られがちだったことも関係しているかもしれない。これからは気候変動対策について、より快適でお得な生活を営むためのライフスタイル変革  という打ち出し方が一層大切になるだろう。国内での年代別調査では、気候変動を心配する気持ちは年代が上の世代の方が下の世代よりも強く、行動に関しては下の世代が上の世代よりも実践していることが明らかになっており、気候変動について年代を越えてともに考え行動することがポイントだろう。

環境省も昨年秋から「脱炭素につながる新しい豊かな暮らしを創る国民運動」を立ち上げ、その運動を支える官民連携協議会には700を超える企業・自治体・団体などが参加している。国民運動の愛称も、脱炭素の「デカーボナイゼーション」と環境にやさしいの「エコ」とを掛け合わせた活動を指して、「デコ活」に決まった。愛称とともに、脱炭素につながる快適でゆたかな暮らしのイメージを共有しつつ後押しして欲しい。

振り返れば、今は当たり前になっている食品パッケージに記載されている栄養成分表示も、禁煙・分煙も、ビデオ参加を活用した会議やイベントも、使い捨てレジ袋をもらわずにエコバッグを使用することも、少し前には当たり前のことではなかった。いずれも社会のニーズや国際的な潮流などに押されて、世の中に広まったものだ。排出量削減の努力の見える化を進める動きが加速する中、私たちが栄養成分表示を参考にしながら食品を買うように、従来のものよりどれだけの量・比率で排出量削減につながるかという情報を手掛かりに製品・サービスを選ぶ ことが主流になる時代ももうすぐ来るかもしれない。

忘れてはならないのが、気候変動で一番深刻な被害を受けるのは、最貧国や小さな島国、スラムに暮らす人々、住民、そして若者・子どもやこれから生まれてくる世代だという点だ。地球温暖化をはじめとする気候変動の原因である温室効果ガスの排出にほとんど関わっていない彼らに、気候変動の影響のしわ寄せが行ってしまうことについて、「クライメート・ジャスティス(気候正義)」のレンズを通して見つめることが必要だろう。現在と過去の世代が作り出した負担をこうした人々に押し付けることは、気候正義に反するものだ。彼らへの共感と連帯を大切にするとともに、持続可能な開発目標(SDGs)が提示する経済・社会・環境を統合的にとらえるアプローチと「誰一人取り残さない」との原則が、気候変動へのアクションでも不可欠だ。

 

この原稿を執筆中の8月15日、画期的なニュース が飛び込んできた。米国モンタナ州で5歳から22歳までの子どもと若者16人が州政府を相手取って起こした気候訴訟で勝訴したのだ。モンタナ州憲法第9条第1項はすべての州民に「清潔で健康な環境」を約束し、きれいな環境が州民の権利として明文化されている。報道によると、判決は、州政府の不十分な対応によって排出された温室効果ガスが、原告側の子どもや若者に経済的な損失や肉体的・精神的な損害などを与える重大な要因となっていることが証明されていると結論づけた。温室効果ガス排出量が増えるごとに、原告の損害は増え、気候変動による損害が固定化される危険性も指摘。その結果、州民に認められている「清潔で健康的な環境の権利を侵害し、違憲である」としている。

世界的に気候変動に関する訴訟は増加傾向にあり、国連が7月に発表した調査によると、世界で気候変動に関連した訴訟は2017年(884件)から2022年(2180件)にかけて2倍以上に増えている。ほとんどは米国の訴訟だが、2180件のうち約17%は開発途上国での訴訟だ。モンタナ州での勝訴が他の気候訴訟にもインスピレーションと刺激を与える だろう。

国連総会は2022年7月に「清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利」を人権と認める決議を採択した。さらに2023年3月には、気候変動と人権に関する国際司法裁判所(ICJ)の諮問的意見を求める決議を採択した。4年前に太平洋の島国フィージーの大学の学生たちが授業での議論を出発点に太平洋諸国の指導者たち宛てに手紙をしたためたところ、バヌアツが反応し、この決議案を主導したのだ。決議は、気候変動の悪影響から現在および将来の世代の権利を守るために、国家が負うべき義務とは何かを明らかにすることを目的としている。ICJは今後、気候変動に関する裁判に引用される可能性のある提言を作成することになる。

9月の国連総会ハイレベルウィーク期間中の9月20日には、グテーレス国連事務総長の呼び掛けで「気候野心サミット」が開催される。加速度的に気候変動が進む中で、野心・信憑性・実施の3つの分野において真のファースト・ムーバーズとファースト・ドゥーアーズ(先行者および実行者)のみが発言の機会を得られると事務総長は語っている。

11月30日からドバイで開催される気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)に向けた前哨戦だ。

国連広報センターではこの機会をとらえ、「やればできる」の精神でクリエイティブに発想して行動する人々のストーリーを中心に、世界が気候課題に取り組む危機感と熱量とを「1.5℃の約束」キャンペーンを通じて発信していく。