国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)を振り返る – 真剣勝負の2週間

11月6日から2週間に渡ってエジプトのシャム・エル・シェイクで開かれた気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)に、国連広報センターの佐藤桃子広報官が国連グローバル・コミュニケーション局のサポートのために参加しました。世界から約3万5000人が集った過去最大規模のCOPを振り返ります。

COP27の会場は常設の会議場に仮設の展示場や会議室が追加され、多岐にわたる気候変動の議論が行われる場となった © UNIC Tokyo / Momoko Sato

 

「COPが27回も開催されているのに、温室効果ガスが減っていないことに怒りを感じます」

国連機関の代表者がCOP27のある記者会見でこう発言したときに、私はようやく自分が気候変動の課題を真に理解したような気がしました。COPとは、気候変動に人類が立ち向かうための条約の締約国・地域が、気候変動への対応を決めるための会議です。1994年に発効し、現在ほぼすべての国が批准している気候変動枠組条約には明確に温室効果ガスを減らす必要性が書かれているにもかかわらず、この30年間、その目標に人類は近づくところか遠ざかってきたのです。

6日のCOP27開幕にあたり、締約国・地域に多国間協調を呼びかけるサイモン・スティル国連気候変動枠組条約(UNFCCC)事務局長 © UNIC Tokyo / Momoko Sato

 

「損失と損害」基金の設立

皆さんも、COP27のニュースに触れたかもしれません。COPがこれだけ注目を浴びるのは、気候変動が全人類に影響を与え、多くの国の人々が状況が悪化していることを実感しているからです。2023年だけでも国土の3分の1が水没したパキスタンの洪水や、欧州各地で発生した熱波、中国での干ばつといった気候災害が起きましたが、数年前から続いている事象として「アフリカの角」と呼ばれるアフリカ東北部の干ばつや太平洋諸国が直面している海面上昇などもあります。日本も過去最大級の大雨や洪水、台風が年に何度も報じられています。

COP27の成果の一つは、特に気候変動の影響に対して脆弱な開発途上国がうけている「損失と損害」の基金の設立が決まったことです。しかし、「損失と損害」は2023年に出現した言葉ではありません。30年近いCOPの歴史の当初から、開発途上国は気候変動の原因となる温室効果ガスをほとんど排出しない自国が気候変動の影響を最も深刻に受けていることに警鐘を鳴らしていました。しかし、その訴えは30年間放置されてきたのです。

COP27ではパキスタンが積極的に「損失と損害」の深刻性を訴え、ほかの代表団がこの主張に賛同する場面が何度も見られました。そうして「損失と損害」に対する取り組みがようやく始動したのです。

7日の早期警報システムに関する会合で、開発途上国にとって気候変動の影響への適応策を強化することがどれほど急務なのか力説するパキスタンシェリー・レーマン気候変動担当大臣 © UNIC Tokyo / Momoko Sato

 

「実行」の必要性と二つのキーワード

ここまで事態を悪化させ温室効果ガスはなぜ減っていないのか?その答えは実行が全く足りていなかったことであり、会場でも実行を妨げている「グリーンウォッシュ」と「資金」の在り方という二つのキーワードが頻繁に聞かれました。

COP27の標語「共に実行を(Together for Implementation)」は、会場のいたるところで打ち出されていた © UNIC Tokyo / Momoko Sato

「グリーンウォッシュ」とは実際の行動は不十分なのに環境に良い行いをしていると主張する、見せかけの環境対策を意味します。日本でも政府や自治体、企業などが「脱炭素」や「温室効果ガス排出量正味ゼロ」を目標として掲げていますが、その目標設定と計画、実際の行動は本当に二酸化炭素をはじめとした温室効果ガスを減らせなければ意味がありません。

グリーンウォッシュに対処するため、国連事務総長は今年3月に「非国家主体の排出量正味ゼロ・コミットメントに関するハイレベル専門家グループ」を立ち上げました。COP27ではこの専門家グループが報告書を発表し、環境に関する誠実性、信頼性、説明責任、各国政府の役割について実践的な提言を行いました。例えば、排出量正味ゼロを主張するのであれば、サプライチェーンの一部だけではなく全サプライチェーンで排出量を下げる必要がある、政府の気候変動対策を妨げるようなロビー活動を直接的にも業界団体などを通じて間接的にも行ってはならない、といった提言です。今後、金融業や製造業、サービス業などをふくむすべての産業において、こうした基準が活用されることが期待されています。

7日の報告書発表会で登壇したグテーレス国連事務総長は「こうしたごまかしは、終わらせなければならない」と述べた © UNIC Tokyo / Momoko Sato

「資金」がもう一つの重要なキーワードとなった理由は、資金の流れが今の産業の在り方や、広く使われている技術やエネルギー、社会の仕組みなどを支えているからです。会場で開かれていたファッション業界をテーマにしたイベントでも、衣服を製造する企業が「この10年間エネルギー消費量の削減など努力はしてきましたが、それでは正味ゼロ目標を達成できないなことはわかっています。再生可能エネルギーへの転換が必要で、そのためには資金が必要なのです」と率直に話していました。産業の在り方や再生可能エネルギーへの転換以外にも、早期警報システムなど気候変動の影響への適応策の強化、女性など気候変動対策に参加する権限や資源を使うことが制限されているグループへの支援などを実行するには資金が必要です。

11日に開かれたファッションに関するイベントに登壇するモデル・俳優のリリー・コールさん。インフルエンサーも自身がかかわる産業について積極的に発言していた。 © UNIC Tokyo / Momoko Sato

先の専門家グループのメンバーである三宅香さん(日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)共同代表)も「行動を後押しするには、やはりお金が大事です。何にでもお金を出せば良いわけではなく、お金の流れを大きく変えなければなりません。金融業界への期待は高く、同時に厳しい目も向けられています」と話してくれました。

 

さまざまなプロセスを経ることになる「公正な移行」

COP27の会場では、誰もが気候変動に歯止めをかける必要性を理解していました。他方で、「温室効果ガス正味ゼロ」にむけてどう進べきなのかという点についてはさまざまでした。背景には状況の違いがあります。たとえば、アフリカ諸国には、電気を使える人々が人口の10%以下しかいない国々があります。再生可能エネルギーに転換できるのは何年後なのか、それまでの期間はどのエネルギーをどう使って電気の普及率を上げるのか?また、こうした国々は気候変動の影響に対応する仕組みや人材、インフラ等が不十分なのでその対応も急務ですし、国の中には女性や先住民など特に取り残されているグループもいます。対処すべき課題はたくさんあります。

14日に開かれたアフリカの女性のエンパワーメントに関するイベントにビデオ・メッセージを寄せた国連副事務総長は、ナイジェリアの環境大臣を務めた経歴を持つ  © UNIC Tokyo / Momoko Sato

一つだけ明確なことは、私たちが実現しなければならない変化は一朝一夕で成し遂げられないからこそ、早く始めなければならないということ。30年もの間、十分対応できてこなかった代償を、私たちはいま身をもって払っています。これ以上の実行不足は、さらなる犠牲を招くだけです。

会場では、科学者、国際機関、島嶼国などのグループ、そして市民社会が深刻な現実と世界の平均気温上昇を1.5℃に抑える必要性を連日訴えていました。国連開発計画(UNDP)で各国の気候変動対策の策定や実施を支援している山角恵理さんは「多くの島嶼国や開発途上国にとって1.5℃は数字ではありません。自分達の生存に関わる、まさにサバイバルのための上限です。各国がそれをどれだけ本気で捉えているのかが問われています」と話していました。

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交渉の行く末

COP27は18日(金)に閉幕する予定でしたが、交渉が難航していることは早い段階で明白でした。「損失と損害」基金の方向性は示されるのか、前回のCOP26でグラスゴー(COP26開催地)の合意文書に含まれた1.5℃という努力目標を今回も維持できるのか、私もハラハラしながら最新情報を追っていました。

気候変動を引き起こすのも対応するべきなのも、政府だけではありません。企業などさまざまな非国家主体もプレーヤーです。しかし、この条約において最終的な意思決定を行えるのは締約国・地域だけです。市民社会は連日、イベントや記者会見、デモといった形で、締約国・地域の責任を問うだけでなく協力を求め続けました。同時に、交渉の進捗状況を随時アップデートしてオンラインで公開する団体もいたり、各地から集まったメディアが多種多様な言語で会場の声を世界に発信したりと、会議の透明性を高める動きも続きました。

12日に会場内で行われた市民社会によるデモ行進には、世界中の団体が参加した © UNIC Tokyo / Momoko Sato

17日に開かれたCOP27議長と国連事務総長の共同記者会見の開始を待つメディア。最後の数日は代表団と同じく会場に泊まり込んで交渉の様子を報じていた © UNIC Tokyo / Momoko Sato

そうして、皆が見守る中、最終会合が現地時間の20日(日)午前3時ごろに始まりました。再度検討を行うために一時中断する場面もありましたが、サーメハ・シュクリCOP27議長(エジプト外相)がコンセンサス方式でまとまった成果文書を読み上げた時には、ほっとしました。しかし、成果文書の課題も多数指摘され、締約国間がこれからも交渉をおこない、実質的な調整を進めていく必要性が確認されました。同日午前9時半ごろにCOP27は遂に閉幕しました。

COP27はイベントではなく真剣勝負の交渉の場で、いくつも印象的な場面がありました。その中でも、当初の最終予定日であった18日に開かれた代表団の会合で、ガーナの代表団として出席していた10歳の気候活動家Nakeeyat Dramani Samさんが「熱意をもって、ちゃんと考えてください」と訴えた時に心が震えたのを覚えています。自分のコミュニティーが気候変動の影響を受けていることを踏まえ、「皆さんが私のような若者だったのなら、この時点で地球を救うために必要な合意に達しているのではないでしょうか?若者が議論を主導したほうが良いのでしょうか?」としっかりとした口調で問いかけました。これが経験や思慮の浅い訴えだと捉えた人はあの場にいなかったでしょう。

Nakeeyat Dramani Samさんの発言後に、会場の代表団はスタンディングオベーションを送った © UNIC Tokyo / Momoko Sato

 

気候変動は非常に深刻で大規模な課題です。誰も逃れることができず、悪化の一途をたどっています。画期的な「損失と損害」基金は事後的対応でしかなく、各国政府の気候変動対策である「自国が決定する貢献(NDC)」はまだまだ強化が必要です(COP26閉幕からCOP27開幕までにNDCを強化あるいは新しく提出した締約国は30未満でした)。

COP27では、それでも気候変動に正面から挑む人々の確かな連携をみることができました。こうした人々は一時的にエジプトに集っただけで、普段は世界各地で活動しています。日本にももちろんいます。そうした人々の数が増え、気候変動を真に食い止める流れに変わることを切に願うとともに、国連の重責を感じながら帰国の途に就いた出張となりました。

 

COP27や気候変動についてもっと学びたい方は、ぜひこれらのページをご覧ください。

2週間をともに過ごした、NYのグローバル・コミュニケーション局本部とカイロの国連広報センターの皆と。記事、動画、写真、イベント、SNS、ニュースレター、ポッドキャストといった形で現場から情報発信を続けた(筆者、下段右から2番目)© UNIC Tokyo / Momoko Sato

日本から世界に伝えたいSDGs ① 【海のごみをアートに変えて】

UNIC Tokyo/ Ichiro Mae

いま、プラスチックごみが世界中で増え続けています生産や処理で多くの二酸化炭素を排出する石油由来のプラスチック、世界ではその9割がリサイクルされておらず、毎年1300万トン以上のプラスチックがごみとして海に流れ込み、深刻な環境問題を引き起こしています。2016年の世界経済フォーラムは、海に漂うプラスチックごみの量が2050年には魚の量を上回る可能性を報告しました。

12月7日から19日までカナダで開催の生物多様性条約第15回締約国会議 (COP15)では、持続可能な世界を築くために 海や陸の戦略的保全など、自然の喪失を食い止め、回復させるための世界的な行動の指針を作ろうとしています。

海洋プラスチックごみの約8割は陸から川に流れ出ており、私たちの生活から出てきたものです。私たちはごみの扱い方、ひいては暮らしの見直しを迫られています。

こうした現状を知ってもらいたいと、海洋ごみを拾い、そこからアート作品を生み出している人がいます。「海ゴミアーティスト」のあやおさんです。あやおさんの手にかかると、海洋ごみが魚やペンギン、亀など、愛らしい海の生物たちに生まれ変わります。どうしてこうした作品を作り始めたのか、創作活動の背景にはどんな思いがあるのかを知るために、あやおさんが暮らす石川県を訪ねました。

©UNIC Tokyo/ Ichiro Mae

【略歴】あやお 愛知県一宮市出身。石川県の海のそばに移住し、海のプラスチックごみから海洋生物を模したアート作品を創作する活動を続ける。作品は注目を集め、2022年の国連環境計画国際環境技術センター(UNEP-IETC)の30周年イベントにごみゼロアーティスト として参加。現在はセルフリノベーションした自宅で、4匹の保護猫と3羽の保護ニワトリ、夫と共に暮らしている。

 

美しい海岸に流れ着く大量の海洋ごみ

石川県の自然に心惹かれ、6年前に移住してきたあやおさん。小さい頃から動物や自然に囲まれる生活に憧れ、短大卒業後に長野県の山あいで山村留学の仕事をしていました。その後、移り住んだ日本海に面する石川県の美しい海に魅了されていきます。

海に囲まれた能登半島には、波が穏やかで野生のイルカが住み着き海の美しさが有名な内海と、冬の荒波にのってやってくる様々な回遊魚を見ることができる外海が広がります。あやおさんは以前は、穏やかな内海まで徒歩2〜3分の場所に暮らし、夏になると3日に1度は海で泳ぐ生活をしていました。結婚後は、外海の近くに移り住み、石川県の海を満喫していました。

しかし、次第に海岸に押し寄せるたくさんのごみの存在に気づきます。大好きな海を少しでもきれいにしたいと、あやおさんは一人でごみ拾いを始めました。特に冬に高波が集まる海岸には、たくさんの漂流ごみが堆積していました。

海辺のごみを拾うあやおさん ©UNIC Tokyo/ Ichiro Mae

最初は拾いやすいペットボトルを拾っていましたが、ごみの多様さにも驚きます。漁具や生活用品、時には医療用の注射器など実に様々なごみが流れついていたのです。あやおさんは、そのごみの実態に打ちのめされ、さらなる行動を起こさないといけないと思うようになりました。

海岸に漂流した多くのごみ 写真提供:あやお

「ごみ拾いを始めた頃、私が海岸でごみを拾っている隣でゴミを捨てる人もいました。ゴミを拾っているだけでは状況は何も変わらないのではないか。社会全体を変えなければいけない。しかし、環境問題に興味がない人も世の中に多い。まずはその人たちの興味を引きたいと思いました」

 

どうすれば海洋ごみの問題を人の心に届けられるか  

関心が薄い人にも海洋ごみや環境問題に興味を持ってもらうにはどうしたらいいか。あやおさんが思いついたのが、多種多様な海のごみから目を引くアート作品を作ることでした。

あやおさんの家には、海岸で拾い集められた大量のプラスチックごみが、何箱にも色分けされ置かれています。洗って乾かし、分別して作品作りに備えます。

あやおさんが集め色分けした海洋ごみ©UNIC Tokyo/ Ichiro Mae

この海洋ごみから海の生き物が形作られていきます。作品の製作は、シンプルなものでも1週間を要し、手のこんだものは完成までに3ヶ月ほどかかります。

©UNIC Tokyo/ Ichiro Mae

「海の生き物たちの声を伝えたかったので、こうした作品にしました。生態系や特徴など、海の生き物に興味を持ってもらえるような文章も添えてSNSに投稿しています。投稿は評判が良く、初めて売れたペンギンの作品は、投稿後30分で購入の問い合わせが来て驚きました」

 最初に売れたペンギンの作品とクジラをイメージした作品 写真提供:あやお 

創作活動の喜びをあやおさんは率直にこう語ります。

「きれいな海で泳げることです。始めた頃は誰からも注目されなかったごみ拾いも、作品のことを知った学生や若い人たちの中から興味を持って拾ってくれる人が出てきて、自分が少しでも影響を与えられていることを実感しうれしくなりました」

最近では、あやおさんの作品に感化されて、同じように海のごみから作品を作る地元のグループも生まれているそうです。

 

海の豊さはひとりでは守れない

いま地球上では、気候災害がより頻繁に強度を増して発生し、国内避難民に関しては紛争の3倍もの人が気候災害によって故郷を追われる事態が起こっています。気候変動や環境問題に対し、待ったなしの行動が求められています。海域や沿岸部は地球の表面積のおよそ70パーセントを占め、地球の生命維持システムにとっても不可欠です。海の豊かさは気候変動に立ち向かう力にもつながります。海は世界の年間二酸化炭素排出量の4分の1を吸収しています。プラスチックゴミを含む海洋ごみや海洋汚染の問題の改善を目指す国際的な枠組みや計画も複数作られ、海洋環境の保護が呼びかけられています。あやおさんは、こう問いかけます。

「まずは自分の家にいらないものがどれくらいあり、本当に必要なものは何なのかを見極めることが大切だと思います。意外と物が無くても幸せに暮らせるのではないでしょうか」

©UNIC Tokyo / Ichiro Mae

あやおさんは今後、国内だけでなく、世界に向けても作品を通し、美しい海を守ることを訴えていきたいと考えています。

「世界中の海岸でごみを拾うとか、全ての海をきれいにすることはたったひとりでは無理なんですが、私がごみを拾ってアート作品にすることを通して、『ゴミっておもしろい』『ゴミって売れるんだ』というところから、『そもそもなんで海にゴミがあるんだろうか』という考えを広めていきたい。アート作品を通して海外にも広めていきたいと思っています。メディアなどでも取り上げてもらい、活動は少しずつ認知されてきたと実感しています。次は世界に活動の場を広げられたらと思っています」

シャチを模した作品 ©UNIC Tokyo/ Ichiro Mae

美しい海と共生していくために、あやおさんは、誰かの暮らしの中から流れ着いた多くのごみと今日も向き合い、作品を作り続けます。

©UNIC Tokyo/ Ichiro Mae

(参考記事)SDGsシリーズ目標14「海の豊かさを守ることはなぜ大切か」

https://www.unic.or.jp/files/93bad7a2fc1eea3bb52d28ec54937a60-1.pdf

新たな希望の連携 メディアをつくる側も選ぶ側も気候変動に責任を持つ

国連とメディアが連携して気候変動対策のアクションを呼びかけるキャンペーン「1.5℃の約束 - いますぐ動こう、気温上昇を止めるために。」が展開される中、Media is Hopeという市民グループから連携の動きが生まれています。気候変動問題の解決に向け、これまでにない新たなパートナーシップを築こうとする活動をお伝えします。

10月12日に行われた記者会見後 登壇者とともに © UNIC Tokyo

市民・メディア・国連連携のユニークな記者会見

10月12日東京の日本記者クラブで、一般社団法人Media is Hopeが主催した1.5℃キャンペーンへの連帯・応援記者会見が行われました。Media is Hope は、気候変動問題の解決のためにメディアと連携しながら正しい情報を発信していこうとする若い世代が中心のグループです。

会見には、キャンペーンを企画、提案した国連広報センターの根本かおる所長ならびにキャンペーンに参加するテレビ、新聞、ラジオ、雑誌、WEBメディアなどから12名のスピーカーが登壇。オンラインも合わせ、メディア関係者ら約70名が出席しました。

© UNIC Tokyo

日本発の1.5℃キャンペーンの背景には、国連とSDGsに熱心なメディアとの連携の枠組み「SDGメディア・コンパクト」があります。このグローバルな枠組みに加盟する世界各地のメディア約300社のうち、6割以上が日本のメディアという強みのもと、今回のキャンペーンが今年6月17日に始動しました。

 

若い世代がジャーナリストとの対話にたちあがる

キャンペーンの立ち上げと偶然にもほぼ同時期に法人設立されたMedia is Hopeは、メディア関係者と連帯をはかり、気候変動問題についての正しい情報発信を増やしていくことで、社会に変化をもたらそうとしています。20~30代を中心に、デザイナー、ソーシャルワーカー、学生、主婦など職種や立場も様々な55名が加わり、「メディアをつくる側も選ぶ側もお互いに責任を持とう」と、気候変動報道のモニターや、メディア間やスポンサー企業の橋渡し、メディア関係者向けの気候変動についての講座の開催などの活動を行ってきました。

代表理事の名取由佳(32)さんは、普段はソーシャルワーカーとして働きながら活動を続けています。2019年にグレタ・トゥーンベリさんの活動を通して、初めて気候危機を知った時、地球上で進行する危機の実態と、そのことをほとんどの人が知らないことに打ちのめされたと言います。まず名取さんは気候変動に関する情報を交換できるオンラインコミュニティを立ち上げました。

Media is Hope 代表理事名取由佳さん© UNIC Tokyo

正しい情報を発信する難しさや、メディアの役割の大切さを痛感するようになった名取さんは、仲間たちとテレビ局の前で気候変動に関する報道を増やしてほしいと声をあげる活動も行いました。抗議の声ではなく、「いつもありがとう」、「みなさんの番組を見て育ちました」と伝え、足をとめたテレビ局スタッフひとりひとりと対話を試みたのです。

提供 Media is Hope

気候変動の原因と対策を共通認識にしていくという目標や、ひとりひとりがメディアを選ぶ責任があり、声を届けていこうとする考えや行動に賛同する仲間が次第に増え、Media is Hopeが設立されました。今年、活動資金をクラウドファンディングで呼びかけたところ、400万円近くが集まるなど、市民からも活動への期待が集まっています。

Media is Hope の大学生メンバー、小川瑠衣子さんは良質な気候変動番組や記事を見た時は、そうした報道が増えることを願い、担当者に感謝を込めて意見をメールする活動を続けています。

「周りに気候変動の話をすると、意識高いね、若いのにえらいね、という自分とは関係ないことのような反応をされる。現在進行形で深刻化している気候変動のことを話せないのはとても苦しい。それは気候変動に関係した報道がされていないことも原因の一つだと思う」、会見の場で小川さんはそう訴えました。

大学生メンバーの小川瑠衣子さん(中央)© UNIC Tokyo

Media is Hopeは、「気候変動」「脱炭素」などのキーワードで、それらを扱う番組や記事の数を1週間ごとにモニターしています。国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)直前の10月23日~29日の1週間では798件、開幕を受けた11月6日~12日の1週間では1139件にのぼっています。

 

課題を共に乗り越える

会見では気候変動を取り上げる際にメディアが向き合う課題も共有されました。気候報道に関しては、視聴率や読者の数が上がりにくい、スポンサー企業がつきにくい、などの現実があります。メディアの中でも気候変動を取材するジャーナリストはまだ少数派で、組織内でも理解が得られにくい状況があることや、エンターテイメント要素も求める視聴者や読者を前にどのようにバランスのとれた質の高い発信をしていくかということなども率直に語られました。

登壇者からは気候変動を発信する際のヒントも提供されました。危機感だけでなく解決策を伝えることの大切さが共有され、再生エネルギーの開発など、危機の中でも挑戦する人たちの姿やその情熱を伝えると、視聴率は下がらないといったテレビ局の実例も紹介されました。ラジオ番組制作者からは、環境活動家や番組パーソナリティを特別ではなく、身近に感じてもらえるように工夫し、彼らが問題を知ってこう思い、こう動いたという1人称でのメッセージを大切にした結果、継続して聞いていたリスナーの9割が気候変動に対して何らかの行動を起こしたいと回答したことが報告されました。

© UNIC Tokyo

こうした状況の中で、Media is Hopeのメンバーは、メディアをとりまく市民、企業などとの架け橋となろうとしています。スポンサー企業に対しても働きかけ、視聴者や読者の立場から気候変動の発信の大切さを訴えています。

国連広報センターの根本かおる所長は、「SDGメディア・コンパクト」の枠組みのもと国レベルでたくさんのメディアがスクラムを組んで同じテーマでキャンペーンに取り組むことは世界で初めてのことだとし、「そこに市民から熱い思いで連帯してくださり、これほどうれしいことはない。一過性ではなく、この関心を、本質的な課題に向き合い、乗り越えて、社会をより良い方向に変えていく大きなうねりにしていきたい」と語りました。 

記者会見のモデレーターの一人、テレビ朝日アナウンサーの山口豊さんは、これまでに再生可能エネルギーに関する数多くの特集の制作にかかわってきました。「気候変動問題を伝えてきたが、孤立感を感じることもあった中、勇気づけられた。メディアとスポンサー、視聴者の関係が、トライアングルで循環して思いが拡がっていけばと願う」と会見後に話してくれました。

テレビ朝日アナウンサーの山口豊さん © UNIC Tokyo

Media is Hopeの代表理事の西田吉蔵さんは、「市民の呼びかけでこうした会見が実現できること自体が社会が変わり始めていることなのではないか。これからも連携の大切さを発信し、場づくりをしていきたい」と活動のさらなる強化を表明しました。

Media is Hope 代表理事 西田吉蔵さん © UNIC Tokyo

同じく代表理事の名取由佳さんは、「今日数多くの方が参加してくださったということは皆さんが本気でトライしている証拠だと思う。それこそが希望で、これから手を取り合っていけることが楽しみだ」と話していました。

立場の違いを越えて問題に対し責任と希望を持った連携が始まっています。 

Media is Hopeのメンバー © UNIC Tokyo

 

アートとテクノロジーを通して戦争体験者の想いから学ぶ、戦争を「自分ごと」として想像する大切さ

第二次世界大戦終結から77年の今を生きる私たちは、過去の「過ち」から、そして今、世界で起こっている出来事から何を学び、どう平和に貢献できるのか。9月26日の核兵器の全面的廃絶のための国際デーにあわせて、アートやテクノロジーを通した戦争体験者の「想い・記憶」の継承に取り組む東京大学学生の庭田杏珠さんが、「自分ごと」として想像し、考える大切さを今を生きる私たちに訴えかけます。

略歴2001年広島県生まれ。現在東京大学にて「平和教育の教育空間」について実践と研究を進める。2017年より白黒写真を人工知能(AI)でカラー化し、戦争体験者の「想い・記憶」をよみがえらせる活動「記憶の解凍」プロジェクトに取り組む。国際平和映像祭(UFPFF)学生部門賞(2018年)、「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」外務大臣賞(2019年)、令和2年度学生表彰「東京大学総長賞」や、東京大学渡邉英徳氏との共著「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」(光文社新書、2020年)で「広島本大賞」(2021年)などを受賞。2021年8月、HIPPY氏、はらかなこ氏と楽曲「Color of Memory〜記憶の色〜」、達富航平氏とMVを制作。ご本人のWebサイトはこちらから。© Jun Hori


第二次世界大戦終結から77年。今年も「いつも通り」8月6日はやってきた。コロナ禍とはいえ、広島平和記念公園には、アントニオ・グテーレス国連事務総長をはじめ世界中から多くの人が訪れ、祈りを捧げた。


しかし、原爆投下前、この場所が4,400人の暮らす繁華街・中島地区だったことを、そして多くのお店や旅館、民家が立ち並び、今の私たちと変わらない一人ひとりの日常が営まれていたことを、どれだけの人が想像できただろうか。

© Shozo Ogata カラー化:庭田杏珠

 

「記憶の解凍」のはじまり

私は被爆国・日本、そして広島に生まれ育った。幼少期から、毎年8月6日の原爆の日が近づくと平和学習が行われる。真夏の体育館に全学年が集い開催される平和集会では、気分が悪くなり高熱が出てしまうこともあった。被爆による惨状を受け止めきれず、次第に平和学習がとても苦手になった。

 

そんな時、母がこう話してくれた。

「大人でも恐ろしいと思うんだから、まだ子どもの杏ちゃんが怖いと思うことは仕方ないことだよ。でも、被爆者の高齢化は進んでいて、今お話を伺わなかったら『世界で初めて原子爆弾が広島に落とされた』事実はいつの間にか、忘れ去られてしまうよ。惨状を見られなかったら目を閉じてお話を伺うだけでも良いよ。」

 

今から振り返ると、当時の私なりに「もし戦争が起こって、同じように原爆が投下されたら」と、辛いけれど精一杯想像力をはたらかせて、「自分ごと」にしなければと努めていたのだと思う。

 

そんな私の意識が大きく変わったのは、小学5年生の時、広島平和記念公園のフィールドワークでもらった1枚のパンフレットがきっかけだった。被爆前と現在の平和公園が見比べられるようになっていて、戦前の日常を捉えた白黒写真が掲載されていた。「今の私たちと変わらない日常があって、それがたった一発の原子爆弾で失われてしまったんだ」と、今までとは違った想像力をもって、初めて「自分ごと」として捉えることができた。

 

当時の作文に「広島に生まれた者の使命として、被爆者の方々の思いを受けつぎ、伝えていきたい」と記している。しかし、小学生の私には、どのように伝えることができるのか分からず、新聞やテレビ、本などから平和関連の情報を収集して学んだ。

 

そして高校1年の夏、平和公園で偶然出会ったのが、濵井德三さんだ。実はその前日、録画していた地元テレビ局制作のドキュメンタリー番組を観ていた。そこで紹介されていた男性の語りと、目の前にいる濵井さんがお話される内容がとても似ていたので尋ねてみると、驚いたことにご本人だった。

 

生家は、中島本町で「濵井理髪館」を営んでいた。77年前の「あの日」、たった一発の原子爆弾が、大切な家族全員を一瞬にして奪い去ったことを知った。疎開中だった濵井さんだけが助かった。パンフレットのあの街に生まれ育った濵井さんを前に、とても不思議なご縁を感じた。廃墟と化す前の中島本町で、濵井さんが大好きな家族と過ごした日常を知りたい。8月6日のことはお話しできないし今の人には理解してもらえないと思うけれど、中島本町のことならと、濵井さんは快く証言収録を引き受けてくださった。

© Tokuso Hamai カラー化:庭田杏珠

 

ちょうどその1週間後のワークショップで、AI(人工知能)による自動色付け技術を知った。白黒写真には「過去」の人として写っていたはずが、カラー化写真では「今」の人として立ち現れ、何を話しているのか思わず想像してみたくなった。         

 

証言収録の日、濵井さんは、疎開先に持参したために残った、被爆前の家族との日常を捉えた貴重な白黒写真約250枚が収められたアルバムを持参された。

 

片渕須直監督のアニメ映画「この世界の片隅に」の冒頭シーンに、濵井さんの家族が数秒登場する。濵井さんは、家族に「会う」ために、何度も映画館を訪れたという。

 

カラー化した写真をアルバムにしてプレゼントして、家族をいつも近くに感じて欲しい

ただその想いから、カラー化を始めた。

この世界の片隅に」のワンシーンのもとになった写真。
 © Tokuso Hamai カラー化:渡邉英徳・庭田杏珠

当初はAIだけでカラー化してセピアっぽい色調だったが、ご覧になった濵井さんは「家族がまだ生きとるみたい。昨日のことみたいに思い出すねぇ」と、とても喜ばれた。白黒写真を見ていた時には思い出せない、新たな記憶がよみがえる。カラー化写真をもとに戦争体験者と対話を重ねることで、「記憶の色」がよみがえる様子から「記憶の解凍」と呼びはじめた。

 

手作業で色補正する技術も身につけて、今ではAIによる自動色付けは1割ほど、手作業によるカラー化が9割を占める。1枚のカラー化写真がうまれるまで、とても時間はかかるけれど、それをご覧になった提供者の喜ぶ笑顔は、何よりの原動力になっている。

 

カラー化していくにつれ、少しずつ写真の中の情景や人々に、命が吹き込まれたように見えてくる。その時はいつも嬉しい気持ちになる。笑い声、におい…その場面に入り込んでしまいそうになる。また、写真提供者と対話を繰り返すことで、当時の情景をより想像できるようになり、一度も会ったことがないのに、まるで話したことがあるような感覚になる。それらと同時に、鎮魂の想いも込み上げてくる。

 

日常の中で伝えるには 

中島地区出身の方々から写真を提供していただき、取り組みを続けている。その中で受け取った戦争体験者の「想い・記憶」を、より多くの人に共感とともに届ける手段の一つが、映像を通した伝え方だと感じる。

 

2018年、山浦徹也さんと共同制作した「『記憶の解凍』〜カラー化写真で時を刻み、息づきはじめるヒロシマ〜」は、被爆前の中島地区の日常をテーマにした初めての映像作品だ。「国際平和映像祭(UFPFF)2018」で「学生部門賞」を受賞し、NYでの映像上映会でスピーチさせていただいた。その際に直接海外の方からいただいた“I’m so impressed!!”という共感のメッセージから感じたのは、原爆や戦争によって一瞬にして穏やかな日常が失われることを、カラー化写真を通して国境を越えて伝えることができるということだ。

 

2021年には、五感を通してより感性に響く伝え方をしたいと、カラー化写真と音楽のコラボレーションに挑戦した。広島のシンガーソンクライターHIPPYさんとピアニストのはらかなこさんと楽曲「Color of Memory〜記憶の色〜」を、映像作家の達富航平さんとMVを制作した。歌詞には、濵井さんや中島地区出身の方々をはじめ戦争体験者と共に辿る記憶、過去から未来へつながっていく記憶、そしてさまざまな視点からの平和の願いを込めた。家族がまだどこかで生きていると信じて、戦後70年までお墓を建てられなかった濵井さん。平和公園を訪れる時には、地面の下に眠っている街・人を想像しながら歩いてほしいという想いを、MVの映像に込めている。

 

そして2022年1月24日の「教育の国際デー」にあわせて、国連広報センター制作の動画「広島:記憶を解凍する – 色彩でよみがえる人々の暮らし(Hiroshima: Rebooting Memories - lives recalled when colours are added」が、国連軍縮部より公開された。「記憶の解凍」の取り組みを例に、核軍縮における若者の役割の重要性について、世界へ普遍的なメッセージを発信する動画を制作していただいた。

 

“The World WarⅡ is a “past” event in our own history, but it is a “present” issue that threatens our own daily life.”  

 

公開1ヶ月後に始まったロシアによるウクライナ侵攻で、動画の中で私が述べたこの言葉はより現実味を帯びることになった。いまだ終戦の兆しは見えていない。そう遠くない過去と同じように、戦争によってあっという間に、日常が失われていく。

 

動画に込められた、大切な人を奪っていった原爆や戦争に対する怒りや憎しみ、悲しみではなく、それらを乗り越えて「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」と願う、戦争体験者の切実な想いに共感する。

 

TEDxUTokyo2022」のワークショップでは、日本語字幕付きで16分30秒のロングバージョンの動画 をワールドプレミア公開し、国連広報センター所長の根本さんと「平和な世界を創るためにあなたができること」をテーマにした対談が実現したことで、大学生を中心とした参加者の若者と共に「平和」を考える時間を持つことができた。

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核廃絶軍縮の実現、戦争や紛争もなく、さまざまな社会課題が解決されるという大きな「平和」に加えて、私たち一人ひとりにとっての小さな「平和」、例えば何の心配もなく1日を過ごせること、自分のためだけではなく他人のために時間を使うことなど、「平和」について多くの人が「自分ごと」として想像し、考える時間を持つことが重要になるだろう。

 

そして、これらの映像をきっかけに、8月6日、9日、15日といった特別な日だけではなく、「日常」の中で戦争や平和について考え、一人でも多くの方の心に戦争体験者の「想い・記憶」が響くことを願っている。
 

一人ひとりの「平和」をきづく

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」そう刻まれた「原爆死没者慰霊碑」の西側に、国旗掲揚台がある。その前の広場には、原爆が投下される前、浄寶寺があった。本堂には図書室や音楽室があり、バレエや習字などの習い事教室も開かれ、たくさんの子供たちが通っていた。©︎ Jyohoji

原爆投下から5年経った浄寶寺跡地に立つ、故・諏訪了我さん。諏訪さんは、集団疎開していたため助かったが、家族全員を失い、原爆孤児となった。右後方に、現在のレストハウス、左には原爆ドームが写る。© Ryoga Suwaカラー化:庭田杏珠 

 

「本当に生き残ったのが申し訳なかったんですよ、戦後。みんないなくなったから。だから親御さんが残っていらしたら、顔を合わせないんですよ、私たち。それくらい辛かったんです。今ウクライナのことで胸がいっぱいなんです。かわいそうでかわいそうで。」

「今テレビで戦争のことばっかりですからね、なんとか早く止めてほしい。あれは良くないですね。人間の欲ですね。欲を捨てたら何にもないのにね、平和ですのに。」

中島地区出身・中村恭子さんは、溢れそうな涙を堪えながら、そう語ってくれた。

 

争いは、「いま」に始まったのではなく、ずっと前から「遠い」国で、絶えることなく続いてきた。そして、ロシア・ウクライナ間での争いが長期化するにつれ、「第三次世界大戦」という言葉すら囁かれるようになり、私たち人類は不安定な世界を生きていると実感する。そう遠くない過去の悪夢を、誰が再び望むのだろうか。戦争、そしてたった一発の核兵器によって、一瞬にして日常を奪われ、悲しみ苦しむ光景を想像できないほどに、人間は愚かではないはずだ。

 

どうしても、戦争を体験した当事者にしか分からないことがある中、私たち若者にできること。それは、当事者に寄り添い、受け取った「想い・記憶」をそれぞれの形で伝えていくこと。例えば戦争体験者の「記憶の色」を表現したカラー化写真や映像、音楽といった「想像の余地」を残したアート作品は、五感をつかって「自分ごと」として想像してもらうことができる。あらゆる境界を越えて、それぞれが何かを感じることができる。そして、受け取り手が、また次の発信者となる。これこそ、あたらしい継承なのではないだろうか。

 

実際に広島を訪れて、平和公園の地面の下で静かに訴え続ける、一人ひとりの魂の声に耳を傾けてみてほしい。私は、これからも「記憶の解凍」をライフワークとして続け、社会に開かれたさまざまな「平和教育の教育空間」、そしてメッセージを伝える表現の幅を広げていく。

 

「いつの日かまた あなたと出逢い その時は地球とみんなが 笑ってるかな」(「Color of Memory 〜記憶の色〜」歌詞より)

そう信じて、広島に生まれた者の使命を果たしていく。

© Tokuso Hamai カラー化:庭田杏珠

 

New Normalと国連常駐調整官システム ~TICAD8に向けて

8月27日―28日、日本、国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行アフリカ連合委員会(AUC)の共催のもと、チュニジアで第8回アフリカ開発会議(TICAD8)が開かれます。

そこで、TICAD8の開催を前に、2020年8月から2022年年8月までウガンダの国連常駐調整官事務所・所長を務めた古本建彦さんから、ブログのご寄稿をいただきました。現地での2年間の貴重なご経験をもとに、ウガンダにおける国連活動を束ねる事務所の位置づけとその具体的な仕事、とくにコロナ禍における取り組みの様子などについて説明してくださっています。(役職名は2022年7月の執筆当時のもの)

古本建彦(ふるもと・たつひこ) 筑波大学国際総合学類卒、ブラッドフォード大学紛争解決学修士共同通信社記者、平和構築分野の人材育成事業によるUNHCR南スーダン派遣を経て、2009年よりJPOとしてUNDPネパール事務所および本部に勤務。2012年より外務省にて開発援助、気候変動、二国間外交(南米)を担当。2017年、日本政府国連代表部参事官(人権人道担当)。2020年、国連ウガンダ常駐調整官事務所。

新型コロナウイルスによるパンデミックが始まってから、およそ2年半が経ちました。国連ウガンダでは、国内感染状況に落ち着きがみられたことから4月以降急速にスタッフのオフィスワーク回帰、そして数十人から百人規模の対面会議の開催が進みました。依然としてスタッフの感染者は散見されるものの、当地国連ではマスク、換気、消毒や手洗いの徹底、ソーシャルディスタンスの確保などのコロナ対策に関するSOP(Standard Operating Procedure)の順守に気を付けながら通常業務を進めていく「New Normal」が急速に進んでいます。この機にコロナ禍で国連内の新しい組織である国連常駐調整官事務所(RCO:Resident Coordinator’s Office)を束ねる立場にあった過去二年間を振り返りつつ、コロナ対応を例としてRCOの機能を紹介しながら、近く開催されるTICAD8も念頭に今後の課題等について考えてみたいと思います。

2022年、ウガンダ首相府・国連共催の会議で改革について説明する筆者。©UN RCO Uganda

国連常駐調整官事務所は、国連総会決議によって国連開発システムにもたらされた様々な改革の一端として2019年に刷新された事務所です。それまでは、国連常駐調整官(RC:Resident Coordinator)が国連一機関の国代表を務めながら国連全体の調整を担っていました。この改革はRCの中立性を高め調整の効果をさらに発揮するためにRCを国連機関から独立させ、国連事務総長へとつながる報告ラインを強化しました。RCOは従来から規模は小さいながらもUNDPに連なる形で存在していました。しかしこの改革に伴いRCの活動を各国で統一的に戦略計画、経済分析、パートナーシップ、開発資金、データ分析、アドボカシーの各分野に渡って支え国連全体を調整するために新たな国連の組織として新生RCOが立ち上がったのです。RCOは開発システム改革推進の中枢に位置し、当該国における国連全体の活動に関するプログラム調整からオペレーションの支援まで担う、いわば国連全般の効率化を進めるハブ事務所と言えます。私はその事務所の長として2年間活動してきました。そのカバー範囲は非常に広くあらゆる課題に関与することからしばしば「国連ウガンダのChief of Staff」などと呼ばれることもありました。

2020年9月、新しい開発枠組み(UN Sustainable Development Cooperation Framework)立ち上げを記念し、国連カントリーチームと大統領。©UN RCO Uganda

RCOのコロナ下での役割は非常に多岐にわたります。パンデミック初期は多くの空路が封鎖されつつも、ウガンダへは当時例外的に人道支援要員の移動のために国連の「人道フライト」が認められていました。WFPが実際のフライトの運行を、RCOはフライト日程の調整や現地外務省等関係機関との調整を担い、2020年10月の商用便再開に伴って人道フライトが収束するまでロックダウン中に34回のフライトで約1800人の移動を支援しました。また、ロックダウン下でも国連の国内活動が阻害されないよう、人道支援など緊急性の高いプログラムを国連全体で洗い出し、政府と調整して移動・支援の継続を担保し、パンデミック下でも必要な支援が必要な人々に継続されることを確保しました。

アジュマニ地区のアメロ小学校できれいな水を飲んでいる生徒たち。水道システムの動力源はソーラーパワー。水と衛生(WASH)プロジェクトで実現した。資金拠出はアイスランド。 © UNICEF Uganda

プログラム面では、コロナ対応緊急対応計画の取りまとめとハイレベルドナー会議開催が例に挙げられます。国連には様々な関連機関が存在します。従来国連の資金動員については、各機関が個別に対応計画策定やドナーへのアプローチを行ってきたために対応に一体性がなく、必ずしも真に必要な分野に必要な資金が届いていないのではないかという批判がありました。今回の改革によってRCとRCOが中立的立場からこうした計画やドナー対応をする役割を与えられたことによって、各組織の利害を超えた調整が可能になりました。ウガンダにおいては、パンデミック初期に緊急アピールを取りまとめたほか、2021年6月に対応計画の修正版を作成し、ワクチン配布がカギとなり始めた2021年10月には保健大臣も参加したハイレベルドナー会合を開催しました。これらは国内外及びドナー各国からの要請に応じRCとRCOがけん引してきたものでした。。最後に「Duty of Care」と呼ばれる職員のコロナ対応が挙げられます。コロナ禍で活動を続けるということは、職員のコロナ対応へも組織としての義務が生じます。RCOが中心的役割を果たしつつ、迅速に検査・陽性時のモニタリングと予防接種を行う体制を作ったほか、上級医務官を臨時雇用して重症患者の入院手配や国外退避(Medical Evacuation)を行う体制などを整えました。

ウガンダタンザニア国境近くの刑務所で、囚人にコロナワクチンの接種をしている看護師  © UNODC Uganda

こうした活動を続けてきた中、ウガンダでは本年3月から4月ごろより急速に「New Normal」が浸透してきています。商業活動が全面的に再開され、対面形式の会議も頻繁に行われるようになりました。そうした中、社会・経済面での対応が急務となっています。例えばウガンダでは学校閉鎖が2年近くに及んだため、就学の機会を逃した子供たちへの対応が大きな課題となっています。ウガンダは人口増加率が高く若者人口が多い国ですが、若者のスキル向上や雇用に向けた支援も社会の安定のために急務です。また、ウガンダは世界第三位の難民ホスト国(150万人・2022年7月時点)ですが本年春以降さらに増改傾向にあり、、難民とローカルコミュニティの双方に配慮した支援が引き続き求められます。またウクライナ情勢による食料価格高騰等は、アフリカなど、より脆弱な国・地域での大きな影響が懸念されます。一方で本年11月の気候変動COPはエジプトで開催されることから「アフリカのCOP(African COP)」と呼ばれ、緩和・適応の両分野においてアフリカ各国からの期待が高まっています。

コボコ地区のヤンブラで、世界食糧計画(WFP)の支援のもとに活動する女性を中心とした農業団体。アブディラマン・メイガグWFP現地事務所長が視察。©WFP Uganda

国連には、こうした社会・経済情勢に柔軟かつ迅速に対応していくことが求められます。例えばAfrican COPに関し、国連として加盟国をどのように支援していくのかという議論はすでに毎週のように行われています。また、コロナ禍でオンライン学習・会議が進んだことなども念頭に、例えばデジタル化の推進強化による可能性を追求したり、国を超えて地域の国連システム全体で知見を結集して様々な開発課題に対してより洗練された効率的な対応をするための仕組みの構築など、New Normalの中で見いだされつつある新たな「機会」もあります。RC・RCOはこうした議論をけん引する役割も担っています。

2022年、RCO能力強化のためのワークショップで議論をファシリテートする筆者。 ©UN RCO Uganda

8月にはTICAD8が開催されます。すでに本年3月に開催された閣僚会合では、経済的不平等の是正、人間の安全保障を基盤とした持続可能かつ強靭な社会の実現、持続可能な平和と安定の構築などが議論されています。アフリカと世界の情勢を踏まえつつ、New Normalの社会・経済情勢に即した課題が議論されることが大いに期待されますし、国連RCシステム(RC・RCO及び本部・地域事務所をまとめた呼び方)としてもTICAD8の成功とそのフォローアップに最大限の力を発揮する必要があります。ウガンダにおいてもまさに今現在、東部で干ばつと食糧危機が発生し、被害が拡大しつつあります。これに対しRCOはいち早く国連本部からの緊急資金を確保し、5機関による緊急対応の調整を担っています。また本稿執筆中には、洪水による被害も報告されました。気候変動の影響ともとらえられ、TICADやCOPをてこに、緩和・適応それぞれの支援がさらに進むことが期待されています。

国連ビデオ「複雑な諸課題の解決には国連活動の調整が不可欠」、©UN Sustainable Development Group

新生RC・RCOにはまだまだ課題も山積みです。その中心的役割である「調整」の付加価値については国連内で広く認識されつつあるとの実感があるものの、その理念を現場においてさらに深化させ、国連職員すべてに「One UN」の意識が浸透し、有機的な議論、計画、実施に結び付けていく必要があります。つい6月にも、ウガンダすべての国連機関が集まる「カントリーチーム」の会議において、そのカントリーチーム内の協力強化、意識改革などに議論が集まりました。真の改革の成果は、効率性を高めつつ効果を最大化することによって示されます。New Normalの開発の在り方をよく見据えつつ、TICADの成果などをアフリカの裨益者に広く行きわたる果実としていく上でも、その役割にはさらなる期待がかかっているといえます。

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ビジュアルで綴る、グテーレス国連事務総長の3年ぶりの日本訪問

日本では、折り鶴は核兵器のない未来への希望を象徴します。核の脅威に対する解決策はただ一つ、核兵器を一切持たないことです。」© UN Photo/Ichiro Mae

 

2022年8月5日から8日までの日程で、アントニオ・グテーレス国連事務総長が日本を訪問しました。2019年8月に横浜で開催された第7回アフリカ開発会議(TICAD7)出席のために訪日して以来、3年ぶりです。8月6日の広島での平和記念式典への出席が今回の訪日の主な目的でした。

 

2018年8月9日の長崎の平和祈念式典に参列し、2020年の原爆投下から75年の節目での広島訪問を願っていましたが、新型コロナウイルス感染症の世界的大流行に阻まれ、3年越しで叶った広島の式典への参列です。国連事務総長としては初めて、広島・長崎両市の式典に出席したことになります。

 

折しもニューヨークでは第10回核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されている中、ウクライナでの戦争を通じて核兵器の使用が抽象的ではなく現実的なリスクとして再認識され、さらには東アジア情勢が著しく緊迫する中での訪日となり、事務総長のメッセージに大きな関心が集まりました。

 

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8月6日の朝、グテーレス事務総長は広島平和記念式典に出席しました。

原爆の犠牲者を弔う花輪を手向けるグテーレス事務総長 © UN Photo/Ichiro Mae

77年前、瞬く間に何万人もの人々が殺されました。生き残った人々の揺るぎない証言は、核兵器の根本的な愚かさを思い起こさせます。」同式典に寄せた挨拶では、核兵器廃絶へ向けた力強いメッセージを世界に向けて発しました。

グテーレス国連事務総長は「核兵器保有国は、核兵器の『先制不使用』を約束しなければなりません。また、非核兵器保有国に対しては核兵器を使用しないこと、あるいは使用すると脅迫しないことを保証するべきです。さらに、核兵器保有国はあらゆる面において透明性を確保しなければなりません」と述べ、国連事務総長として初めて、核兵器保有国に対して透明性のある「核兵器の先制不使用」を約束するよう呼びかけました。

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平和記念式典の後は、岸田総理大臣と会談し、核兵器の無い世界に向けて国連と日本とが引き続き緊密に連携していくことで一致しました。

© UN Photo/Ichiro Mae

 

さらに、会談の後は、岸田総理大臣と広島平和記念資料館を視察し、写真や展示物などから原爆がもたらした被害の実相に触れました。

原爆がもたらした中長期的な被害、被爆者と広島市の歩みに関する展示物の説明を受けた © UN Photo/Ichiro Mae

資料館視察の締めくくりに、岸田総理大臣とグテーレス事務総長は、それぞれ自らが折った折り鶴を寄贈し、芳名帳への記帳を行いました。

© UN Photo/Ichiro Mae

 

このあと、事務総長たっての希望で、広島・長崎出身の被爆者の方々と対話の機会を持ち、核兵器のない世界の実現に向けて取り組んでこられたこと、国連や国際社会に望むことなどについて意見交換しました。

グテーレス事務総長は、冒頭、「被爆による心身への痛みを乗り越え、勇気と回復力を持ち、自らの体験を語っていらっしゃる被爆者の皆さんは世界の人たちにとっての模範です」と語り、被爆者との連帯を強く示し、何度も日本語で「ありがとう」と感謝の意を表していました。 

© UN Photo/Ichiro Mae

 

その後、広島市の松井市長や長崎市の武田副市長らと会談を行い、会談後には、グテーレス事務総長が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けた活動に貢献してきたことを称し、松井市長より広島市特別名誉市民称号が贈呈されました。

広島市の松井市長や長崎市の武田副市長らとの会談 © UN Photo/Ichiro Mae

広島市特別名誉市民称号をいただく事務総長 © UN Photo/Ichiro Mae

事務総長がポルトガルの首相になったばかりの1995年、フランスの核実験を非難する総会決議にポルトガルが初めて賛成票を投じた背景には、もう40年ほど前に自身が一市民として広島・長崎を訪れた際に受けた衝撃があった、と受諾のスピーチで語っていました。フランスに遠慮してNATO諸国が棄権する中、当時のポルトガル外相の強い反対を押し切って賛成票を投じることを指示したが、広島・長崎を見た者として棄権はあり得なかった、それを見た経験はその後の政治人生の基礎を作った、と語っていました。

 

また、記者会見を行い、核の脅威に立ち向かう決意を改めて表明しました。

© UN Photo/Ichiro Mae

「今日、世界は77年前に学んだはずの教訓を忘れ、危険にさらされています。赤信号が点滅しています。あらゆる対話、外交、交渉の道を活用して緊張を緩和し、核兵器の脅威を排除するための新しいグローバルなコンセンサスを築かなければなりません。」

日本語通訳を介した会見の様子をこちらからご覧ください。

 

ランチの後は広島県の湯﨑知事とも会談を行いました。今年開催された「Hiroshima Roundtableの議長サマリー」が湯﨑知事からグテーレス事務総長に手渡されました。

© UN Photo/Ichiro Mae

 

続いて、国連軍縮部(UNODA)国連広報センター国際連合訓練調査研究所(UNITAR)広島事務所 広島県へいわ創造機構ひろしま (HOPe)共催のイベント「Power of Youth from Hiroshima」に参加しました。

若者と語らうことは、事務総長が大変力を入れていることの一つです。そこで事務総長は開口一番、こう強調しました。

「自分と同世代の人々を代表して、私たちがあなたがたに残すことになる世界について、謝りたいと思います。謝ると同時に、あなた方の懸念が私たちの世代に聞こえるように、あなた方が行動し声を上げること、場合によっては叫ぶことを、促します」と。

日本のユースとの刺激的な対話の全容をぜひご覧ください。

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多忙な1日を終え、この日の夜にグテーレス事務総長は広島を離れて東京へ向かいました。

 

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7日は公式行事はありませんでしたが、明治神宮まで足を伸ばし、絵馬に平和への祈りを綴りました。

 

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8日の朝、はじめに林外務大臣と会談を行いました。軍縮ウクライナ、東アジア情勢、人間の安全保障、気候変動、国連改革など幅広い課題について意見交換しました。

軍縮の必要性や気候変動などについて日本と国連の協力関係を確認した © UN Photo/Ichiro Mae

 

会談後、日本記者クラブにて記者会見を行い、日本の国連への長きにわたる協力に感謝を述べると共に、核兵器の廃絶や新型コロナウイルス感染症への対応、気候危機など、世界が解決すべき様々な課題への解決にむけた連携強化を訴えました。

今回の訪日を締めくくる会見の全容(英語)をこちらからご覧ください。

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会見を終え、最後に皇居の御所を訪問し、天皇陛下に拝謁しました。            

本日、光栄なことに天皇陛下に拝謁しました。日本は、多国間システムの柱であり、平和、人間の安全保障、軍縮の世界的な提唱者です。

 

分刻みのスケジュールを無事終えて、3年ぶりに訪れた日本をあとにしました。

 

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「この大切な日を、この聖なる場所で、広島の人々と連帯することを光栄に思います。広島と長崎の教訓と、77年前のあの恐ろしい日に命を落とされた方々の記憶は、決して忘れられることはありません。国連で働く女性たちと男性たちを代表し、私はその方々を忘れず、より平和で核兵器のない世界のために取り組み続けることを誓います。」(広島平和記念資料館に寄せられたメッセージ )

© UNIC Tokyo

「国際青少年デー」に考える、循環型社会の構築に向けてなぜ若者の声が必要なのか?

8月12日の「国際青少年デー」にあわせて、国連広報センターの元インターンで、現在合作株式会社 企業連携を担当している藤田香澄さんが、リサイクル率日本一の鹿児島県大崎町から、循環型社会の構築に向けてなぜ若者の声が必要不可欠なのかを紹介します。

略歴1995年長野県安曇野市生まれ。南太平洋の島国ツバル、キリバス、フィジーで幼少期を過ごし12歳で帰国。早稲田大学国際教養学部で国際関係を学んだ後、東京大学公共政策大学院で外交政策、地域政策、行政学等を学ぶ。卒業後は鎌倉にある面白法人カヤックというITの会社に就職をし、地域通貨サービスなどの企画・導入を担当する。地域と関わるうちに自分もプレーヤーになりたい気持ちと、兼ねてから興味のあった環境問題に関わる仕事がしたい気持ちが高まり、2021年4月にリサイクル率日本一の鹿児島県大崎町へ移住。現在は合作株式会社で企業連携担当として、大崎町のリサイクルの取り組みをベースに他の自治体の資源循環率を上げるプロジェクトなどを進めている。(中央が筆者 ©︎ Misaki Tachibana

 

世界全体の資源循環率はわずか9.1%と言われており、地球では多くの資源が止まることなく採掘されています*1

私は今、鹿児島県大崎町という人口12,000人程の小さな町に住んでいます。大崎町は養殖うなぎ、ブロイラー(鶏肉)、パッションフルーツ、マンゴーをはじめとする様々な農産品の生産が盛んで、地域資源に溢れるとても豊かな町です。

鹿児島県大崎町の風景 © Kohei Shikama

 

そして大崎町は、ごみのリサイクル率日本一の町でもあります。リサイクル率が全国平均20.0%のところ、大崎町では83.1%を達成しています*2もともと、焼却処理施設が無い大崎町では、最終処分場の延命化を図るために、20年ほど前から住民・行政・民間の連携によるごみの分別とリサイクルに取り組んでいます。

 

「リサイクル率」と冒頭に記載した「資源循環率」とは定義が異なりますが、資源循環率を上げるためには、まずは廃棄物をしっかりと回収し適切にリサイクルを行うことが重要です。資源循環率を高め、国連が目指す持続可能な社会を実現するための重要なヒントがたくさんあるのではないかと思い、私は大崎町に来ました。大崎町の取り組みを是非動画でご覧いただければと思います。

 

youtu.be

 

私が環境問題に興味を持ったきっかけ

私がごみ問題などの環境課題を意識するようになったきっかけは、気候変動による海面上昇の影響で沈みゆくと言われているツバルをはじめとする、太平洋の島国で幼少期を過ごしたことにあります。

ツバルでの幼少期 ©︎ Kasumi Fujita

 

その後、国際的な枠組みで環境課題を解決することに興味があり、大学時代は国連広報センターでもインターンをしていました。当時書かせていただいたツバルに関する記事はこちらです。

 

そして今、途上国のごみ問題解決には、大崎町の分別リサイクルの仕組みが有効的ではないかと考え、他の自治体や海外でも大崎リサイクルシステムを実践できるプロジェクトを進めています。

 

なぜ青少年が声を上げることが重要なのか

さて、「国連青少年デー」である8月12日は、若者の声やユースにまつわる社会課題に、より着目してもらう日として国連が制定しています。気候変動や環境問題の解決に向けて、なぜ若者の声に耳を傾けることが重要なのか、私も少し考えてみました。

 

私たちは世代ごとに異なる当たり前を生きてきており、今の若者が持つ価値観は環境問題の解決にとって無くてはならないものだと感じています。

 

例えば、廃棄物処理に関する歴史を振り返ると、それぞれが異なる当たり前の中で生きてきたことが良くわかります。今の50代〜70代の方々は、1960年代〜70年代の高度経済成長に伴う「公害」を経験しています。1970年代からは廃棄物の適正処理の推進が図られ、焼却処理施設建設などに対して国の補助金が充てられるようになりました。それ以降、日本において廃棄物は、焼却処理をすることが前提となっています。今の20代後半〜40代の方々は、1980年代〜2000年代の消費増大を経験した世代です。廃棄物の増加と最終処分場の不足及び残余年数の逼迫が顕著となりました。最終処分場が埋まってしまう危機感から、1990年代に入ると、ごみの排出量そのものの抑制に向けてリサイクルなどの3Rの推進が図られました。

 

1995年になると容器包装リサイクル法が制定され、リサイクル可能な品目数が少しずつ増えていきます。大崎町でも1998年頃から分別が始まりました。これ以降に生まれた子どもたちはリサイクルが当たり前という意味で、大崎町では「リサイクルネイティブ」とも呼んでいます。

大崎町のリサイクルの取り組みも、最終処分場の延命化を目的として始まった
© Kohei Shikama

 

そして今の10〜20代前半は、学校のカリキュラムにSDGs関連の探究学習が組み込まれ、サーキュラーエコノミーに関する施設が街中に存在するような、環境配慮型行動が当たり前の時代を生きています。

 

異なる当たり前を生きてきたそれぞれの世代は、「心地よい」と感じること、「馴染み深い」と思うこと、「良い」「悪い」と思うことが少しずつ異なるはずです。

 

地球温暖化や気候変動が紛れもない事実となっている今、環境配慮型行動を当たり前のように実践する若い世代の参画を促したり、意見に耳を傾けたりすることは必要不可欠ではないでしょうか?

 

国連事務局が定義する「ユース」とは15歳から24歳までの人々で、世界で18億人以上にのぼるそうです。日本ではどこの自治体でも高齢化率が非常に高いですが、大崎町が生ごみ堆肥化の技術協力を行っているインドネシアの平均年齢は29歳です。日本と周辺国との人口構造の違いや若い世代が持つエネルギー量の違いに改めて驚かされます。

 

大崎町は若者が少なくなってはいますが、その一方で、リサイクル率日本一の町の責務として、世界の循環型社会をつくることを目指しています。他の地域より少し早く世界の未来を実践している大崎町に暮らす若者として、世界の資源循環率を上げて持続可能な社会をつくるために、これからも声を上げ続けていきたいと思います。

大崎町の分別は資源循環だけでなく、地域のコミュニティ形成にも繋がっている
© Kohei Shikama

*1:平成30年度、蘭サーキュラーエコノミー推進シンクタンクCircle Economy発表

*2:令和2年度時点、環境省発表