国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

アートとテクノロジーを通して戦争体験者の想いから学ぶ、戦争を「自分ごと」として想像する大切さ

第二次世界大戦終結から77年の今を生きる私たちは、過去の「過ち」から、そして今、世界で起こっている出来事から何を学び、どう平和に貢献できるのか。9月26日の核兵器の全面的廃絶のための国際デーにあわせて、アートやテクノロジーを通した戦争体験者の「想い・記憶」の継承に取り組む東京大学学生の庭田杏珠さんが、「自分ごと」として想像し、考える大切さを今を生きる私たちに訴えかけます。

略歴2001年広島県生まれ。現在東京大学にて「平和教育の教育空間」について実践と研究を進める。2017年より白黒写真を人工知能(AI)でカラー化し、戦争体験者の「想い・記憶」をよみがえらせる活動「記憶の解凍」プロジェクトに取り組む。国際平和映像祭(UFPFF)学生部門賞(2018年)、「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」外務大臣賞(2019年)、令和2年度学生表彰「東京大学総長賞」や、東京大学渡邉英徳氏との共著「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」(光文社新書、2020年)で「広島本大賞」(2021年)などを受賞。2021年8月、HIPPY氏、はらかなこ氏と楽曲「Color of Memory〜記憶の色〜」、達富航平氏とMVを制作。ご本人のWebサイトはこちらから。© Jun Hori


第二次世界大戦終結から77年。今年も「いつも通り」8月6日はやってきた。コロナ禍とはいえ、広島平和記念公園には、アントニオ・グテーレス国連事務総長をはじめ世界中から多くの人が訪れ、祈りを捧げた。


しかし、原爆投下前、この場所が4,400人の暮らす繁華街・中島地区だったことを、そして多くのお店や旅館、民家が立ち並び、今の私たちと変わらない一人ひとりの日常が営まれていたことを、どれだけの人が想像できただろうか。

© Shozo Ogata カラー化:庭田杏珠

 

「記憶の解凍」のはじまり

私は被爆国・日本、そして広島に生まれ育った。幼少期から、毎年8月6日の原爆の日が近づくと平和学習が行われる。真夏の体育館に全学年が集い開催される平和集会では、気分が悪くなり高熱が出てしまうこともあった。被爆による惨状を受け止めきれず、次第に平和学習がとても苦手になった。

 

そんな時、母がこう話してくれた。

「大人でも恐ろしいと思うんだから、まだ子どもの杏ちゃんが怖いと思うことは仕方ないことだよ。でも、被爆者の高齢化は進んでいて、今お話を伺わなかったら『世界で初めて原子爆弾が広島に落とされた』事実はいつの間にか、忘れ去られてしまうよ。惨状を見られなかったら目を閉じてお話を伺うだけでも良いよ。」

 

今から振り返ると、当時の私なりに「もし戦争が起こって、同じように原爆が投下されたら」と、辛いけれど精一杯想像力をはたらかせて、「自分ごと」にしなければと努めていたのだと思う。

 

そんな私の意識が大きく変わったのは、小学5年生の時、広島平和記念公園のフィールドワークでもらった1枚のパンフレットがきっかけだった。被爆前と現在の平和公園が見比べられるようになっていて、戦前の日常を捉えた白黒写真が掲載されていた。「今の私たちと変わらない日常があって、それがたった一発の原子爆弾で失われてしまったんだ」と、今までとは違った想像力をもって、初めて「自分ごと」として捉えることができた。

 

当時の作文に「広島に生まれた者の使命として、被爆者の方々の思いを受けつぎ、伝えていきたい」と記している。しかし、小学生の私には、どのように伝えることができるのか分からず、新聞やテレビ、本などから平和関連の情報を収集して学んだ。

 

そして高校1年の夏、平和公園で偶然出会ったのが、濵井德三さんだ。実はその前日、録画していた地元テレビ局制作のドキュメンタリー番組を観ていた。そこで紹介されていた男性の語りと、目の前にいる濵井さんがお話される内容がとても似ていたので尋ねてみると、驚いたことにご本人だった。

 

生家は、中島本町で「濵井理髪館」を営んでいた。77年前の「あの日」、たった一発の原子爆弾が、大切な家族全員を一瞬にして奪い去ったことを知った。疎開中だった濵井さんだけが助かった。パンフレットのあの街に生まれ育った濵井さんを前に、とても不思議なご縁を感じた。廃墟と化す前の中島本町で、濵井さんが大好きな家族と過ごした日常を知りたい。8月6日のことはお話しできないし今の人には理解してもらえないと思うけれど、中島本町のことならと、濵井さんは快く証言収録を引き受けてくださった。

© Tokuso Hamai カラー化:庭田杏珠

 

ちょうどその1週間後のワークショップで、AI(人工知能)による自動色付け技術を知った。白黒写真には「過去」の人として写っていたはずが、カラー化写真では「今」の人として立ち現れ、何を話しているのか思わず想像してみたくなった。         

 

証言収録の日、濵井さんは、疎開先に持参したために残った、被爆前の家族との日常を捉えた貴重な白黒写真約250枚が収められたアルバムを持参された。

 

片渕須直監督のアニメ映画「この世界の片隅に」の冒頭シーンに、濵井さんの家族が数秒登場する。濵井さんは、家族に「会う」ために、何度も映画館を訪れたという。

 

カラー化した写真をアルバムにしてプレゼントして、家族をいつも近くに感じて欲しい

ただその想いから、カラー化を始めた。

この世界の片隅に」のワンシーンのもとになった写真。
 © Tokuso Hamai カラー化:渡邉英徳・庭田杏珠

当初はAIだけでカラー化してセピアっぽい色調だったが、ご覧になった濵井さんは「家族がまだ生きとるみたい。昨日のことみたいに思い出すねぇ」と、とても喜ばれた。白黒写真を見ていた時には思い出せない、新たな記憶がよみがえる。カラー化写真をもとに戦争体験者と対話を重ねることで、「記憶の色」がよみがえる様子から「記憶の解凍」と呼びはじめた。

 

手作業で色補正する技術も身につけて、今ではAIによる自動色付けは1割ほど、手作業によるカラー化が9割を占める。1枚のカラー化写真がうまれるまで、とても時間はかかるけれど、それをご覧になった提供者の喜ぶ笑顔は、何よりの原動力になっている。

 

カラー化していくにつれ、少しずつ写真の中の情景や人々に、命が吹き込まれたように見えてくる。その時はいつも嬉しい気持ちになる。笑い声、におい…その場面に入り込んでしまいそうになる。また、写真提供者と対話を繰り返すことで、当時の情景をより想像できるようになり、一度も会ったことがないのに、まるで話したことがあるような感覚になる。それらと同時に、鎮魂の想いも込み上げてくる。

 

日常の中で伝えるには 

中島地区出身の方々から写真を提供していただき、取り組みを続けている。その中で受け取った戦争体験者の「想い・記憶」を、より多くの人に共感とともに届ける手段の一つが、映像を通した伝え方だと感じる。

 

2018年、山浦徹也さんと共同制作した「『記憶の解凍』〜カラー化写真で時を刻み、息づきはじめるヒロシマ〜」は、被爆前の中島地区の日常をテーマにした初めての映像作品だ。「国際平和映像祭(UFPFF)2018」で「学生部門賞」を受賞し、NYでの映像上映会でスピーチさせていただいた。その際に直接海外の方からいただいた“I’m so impressed!!”という共感のメッセージから感じたのは、原爆や戦争によって一瞬にして穏やかな日常が失われることを、カラー化写真を通して国境を越えて伝えることができるということだ。

 

2021年には、五感を通してより感性に響く伝え方をしたいと、カラー化写真と音楽のコラボレーションに挑戦した。広島のシンガーソンクライターHIPPYさんとピアニストのはらかなこさんと楽曲「Color of Memory〜記憶の色〜」を、映像作家の達富航平さんとMVを制作した。歌詞には、濵井さんや中島地区出身の方々をはじめ戦争体験者と共に辿る記憶、過去から未来へつながっていく記憶、そしてさまざまな視点からの平和の願いを込めた。家族がまだどこかで生きていると信じて、戦後70年までお墓を建てられなかった濵井さん。平和公園を訪れる時には、地面の下に眠っている街・人を想像しながら歩いてほしいという想いを、MVの映像に込めている。

 

そして2022年1月24日の「教育の国際デー」にあわせて、国連広報センター制作の動画「広島:記憶を解凍する – 色彩でよみがえる人々の暮らし(Hiroshima: Rebooting Memories - lives recalled when colours are added」が、国連軍縮部より公開された。「記憶の解凍」の取り組みを例に、核軍縮における若者の役割の重要性について、世界へ普遍的なメッセージを発信する動画を制作していただいた。

 

“The World WarⅡ is a “past” event in our own history, but it is a “present” issue that threatens our own daily life.”  

 

公開1ヶ月後に始まったロシアによるウクライナ侵攻で、動画の中で私が述べたこの言葉はより現実味を帯びることになった。いまだ終戦の兆しは見えていない。そう遠くない過去と同じように、戦争によってあっという間に、日常が失われていく。

 

動画に込められた、大切な人を奪っていった原爆や戦争に対する怒りや憎しみ、悲しみではなく、それらを乗り越えて「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」と願う、戦争体験者の切実な想いに共感する。

 

TEDxUTokyo2022」のワークショップでは、日本語字幕付きで16分30秒のロングバージョンの動画 をワールドプレミア公開し、国連広報センター所長の根本さんと「平和な世界を創るためにあなたができること」をテーマにした対談が実現したことで、大学生を中心とした参加者の若者と共に「平和」を考える時間を持つことができた。

www.youtube.com

 

核廃絶軍縮の実現、戦争や紛争もなく、さまざまな社会課題が解決されるという大きな「平和」に加えて、私たち一人ひとりにとっての小さな「平和」、例えば何の心配もなく1日を過ごせること、自分のためだけではなく他人のために時間を使うことなど、「平和」について多くの人が「自分ごと」として想像し、考える時間を持つことが重要になるだろう。

 

そして、これらの映像をきっかけに、8月6日、9日、15日といった特別な日だけではなく、「日常」の中で戦争や平和について考え、一人でも多くの方の心に戦争体験者の「想い・記憶」が響くことを願っている。
 

一人ひとりの「平和」をきづく

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」そう刻まれた「原爆死没者慰霊碑」の西側に、国旗掲揚台がある。その前の広場には、原爆が投下される前、浄寶寺があった。本堂には図書室や音楽室があり、バレエや習字などの習い事教室も開かれ、たくさんの子供たちが通っていた。©︎ Jyohoji

原爆投下から5年経った浄寶寺跡地に立つ、故・諏訪了我さん。諏訪さんは、集団疎開していたため助かったが、家族全員を失い、原爆孤児となった。右後方に、現在のレストハウス、左には原爆ドームが写る。© Ryoga Suwaカラー化:庭田杏珠 

 

「本当に生き残ったのが申し訳なかったんですよ、戦後。みんないなくなったから。だから親御さんが残っていらしたら、顔を合わせないんですよ、私たち。それくらい辛かったんです。今ウクライナのことで胸がいっぱいなんです。かわいそうでかわいそうで。」

「今テレビで戦争のことばっかりですからね、なんとか早く止めてほしい。あれは良くないですね。人間の欲ですね。欲を捨てたら何にもないのにね、平和ですのに。」

中島地区出身・中村恭子さんは、溢れそうな涙を堪えながら、そう語ってくれた。

 

争いは、「いま」に始まったのではなく、ずっと前から「遠い」国で、絶えることなく続いてきた。そして、ロシア・ウクライナ間での争いが長期化するにつれ、「第三次世界大戦」という言葉すら囁かれるようになり、私たち人類は不安定な世界を生きていると実感する。そう遠くない過去の悪夢を、誰が再び望むのだろうか。戦争、そしてたった一発の核兵器によって、一瞬にして日常を奪われ、悲しみ苦しむ光景を想像できないほどに、人間は愚かではないはずだ。

 

どうしても、戦争を体験した当事者にしか分からないことがある中、私たち若者にできること。それは、当事者に寄り添い、受け取った「想い・記憶」をそれぞれの形で伝えていくこと。例えば戦争体験者の「記憶の色」を表現したカラー化写真や映像、音楽といった「想像の余地」を残したアート作品は、五感をつかって「自分ごと」として想像してもらうことができる。あらゆる境界を越えて、それぞれが何かを感じることができる。そして、受け取り手が、また次の発信者となる。これこそ、あたらしい継承なのではないだろうか。

 

実際に広島を訪れて、平和公園の地面の下で静かに訴え続ける、一人ひとりの魂の声に耳を傾けてみてほしい。私は、これからも「記憶の解凍」をライフワークとして続け、社会に開かれたさまざまな「平和教育の教育空間」、そしてメッセージを伝える表現の幅を広げていく。

 

「いつの日かまた あなたと出逢い その時は地球とみんなが 笑ってるかな」(「Color of Memory 〜記憶の色〜」歌詞より)

そう信じて、広島に生まれた者の使命を果たしていく。

© Tokuso Hamai カラー化:庭田杏珠

 

New Normalと国連常駐調整官システム ~TICAD8に向けて

8月27日―28日、日本、国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行アフリカ連合委員会(AUC)の共催のもと、チュニジアで第8回アフリカ開発会議(TICAD8)が開かれます。

そこで、TICAD8の開催を前に、2020年8月から2022年年8月までウガンダの国連常駐調整官事務所・所長を務めた古本建彦さんから、ブログのご寄稿をいただきました。現地での2年間の貴重なご経験をもとに、ウガンダにおける国連活動を束ねる事務所の位置づけとその具体的な仕事、とくにコロナ禍における取り組みの様子などについて説明してくださっています。(役職名は2022年7月の執筆当時のもの)

古本建彦(ふるもと・たつひこ) 筑波大学国際総合学類卒、ブラッドフォード大学紛争解決学修士共同通信社記者、平和構築分野の人材育成事業によるUNHCR南スーダン派遣を経て、2009年よりJPOとしてUNDPネパール事務所および本部に勤務。2012年より外務省にて開発援助、気候変動、二国間外交(南米)を担当。2017年、日本政府国連代表部参事官(人権人道担当)。2020年、国連ウガンダ常駐調整官事務所。

新型コロナウイルスによるパンデミックが始まってから、およそ2年半が経ちました。国連ウガンダでは、国内感染状況に落ち着きがみられたことから4月以降急速にスタッフのオフィスワーク回帰、そして数十人から百人規模の対面会議の開催が進みました。依然としてスタッフの感染者は散見されるものの、当地国連ではマスク、換気、消毒や手洗いの徹底、ソーシャルディスタンスの確保などのコロナ対策に関するSOP(Standard Operating Procedure)の順守に気を付けながら通常業務を進めていく「New Normal」が急速に進んでいます。この機にコロナ禍で国連内の新しい組織である国連常駐調整官事務所(RCO:Resident Coordinator’s Office)を束ねる立場にあった過去二年間を振り返りつつ、コロナ対応を例としてRCOの機能を紹介しながら、近く開催されるTICAD8も念頭に今後の課題等について考えてみたいと思います。

2022年、ウガンダ首相府・国連共催の会議で改革について説明する筆者。©UN RCO Uganda

国連常駐調整官事務所は、国連総会決議によって国連開発システムにもたらされた様々な改革の一端として2019年に刷新された事務所です。それまでは、国連常駐調整官(RC:Resident Coordinator)が国連一機関の国代表を務めながら国連全体の調整を担っていました。この改革はRCの中立性を高め調整の効果をさらに発揮するためにRCを国連機関から独立させ、国連事務総長へとつながる報告ラインを強化しました。RCOは従来から規模は小さいながらもUNDPに連なる形で存在していました。しかしこの改革に伴いRCの活動を各国で統一的に戦略計画、経済分析、パートナーシップ、開発資金、データ分析、アドボカシーの各分野に渡って支え国連全体を調整するために新たな国連の組織として新生RCOが立ち上がったのです。RCOは開発システム改革推進の中枢に位置し、当該国における国連全体の活動に関するプログラム調整からオペレーションの支援まで担う、いわば国連全般の効率化を進めるハブ事務所と言えます。私はその事務所の長として2年間活動してきました。そのカバー範囲は非常に広くあらゆる課題に関与することからしばしば「国連ウガンダのChief of Staff」などと呼ばれることもありました。

2020年9月、新しい開発枠組み(UN Sustainable Development Cooperation Framework)立ち上げを記念し、国連カントリーチームと大統領。©UN RCO Uganda

RCOのコロナ下での役割は非常に多岐にわたります。パンデミック初期は多くの空路が封鎖されつつも、ウガンダへは当時例外的に人道支援要員の移動のために国連の「人道フライト」が認められていました。WFPが実際のフライトの運行を、RCOはフライト日程の調整や現地外務省等関係機関との調整を担い、2020年10月の商用便再開に伴って人道フライトが収束するまでロックダウン中に34回のフライトで約1800人の移動を支援しました。また、ロックダウン下でも国連の国内活動が阻害されないよう、人道支援など緊急性の高いプログラムを国連全体で洗い出し、政府と調整して移動・支援の継続を担保し、パンデミック下でも必要な支援が必要な人々に継続されることを確保しました。

アジュマニ地区のアメロ小学校できれいな水を飲んでいる生徒たち。水道システムの動力源はソーラーパワー。水と衛生(WASH)プロジェクトで実現した。資金拠出はアイスランド。 © UNICEF Uganda

プログラム面では、コロナ対応緊急対応計画の取りまとめとハイレベルドナー会議開催が例に挙げられます。国連には様々な関連機関が存在します。従来国連の資金動員については、各機関が個別に対応計画策定やドナーへのアプローチを行ってきたために対応に一体性がなく、必ずしも真に必要な分野に必要な資金が届いていないのではないかという批判がありました。今回の改革によってRCとRCOが中立的立場からこうした計画やドナー対応をする役割を与えられたことによって、各組織の利害を超えた調整が可能になりました。ウガンダにおいては、パンデミック初期に緊急アピールを取りまとめたほか、2021年6月に対応計画の修正版を作成し、ワクチン配布がカギとなり始めた2021年10月には保健大臣も参加したハイレベルドナー会合を開催しました。これらは国内外及びドナー各国からの要請に応じRCとRCOがけん引してきたものでした。。最後に「Duty of Care」と呼ばれる職員のコロナ対応が挙げられます。コロナ禍で活動を続けるということは、職員のコロナ対応へも組織としての義務が生じます。RCOが中心的役割を果たしつつ、迅速に検査・陽性時のモニタリングと予防接種を行う体制を作ったほか、上級医務官を臨時雇用して重症患者の入院手配や国外退避(Medical Evacuation)を行う体制などを整えました。

ウガンダタンザニア国境近くの刑務所で、囚人にコロナワクチンの接種をしている看護師  © UNODC Uganda

こうした活動を続けてきた中、ウガンダでは本年3月から4月ごろより急速に「New Normal」が浸透してきています。商業活動が全面的に再開され、対面形式の会議も頻繁に行われるようになりました。そうした中、社会・経済面での対応が急務となっています。例えばウガンダでは学校閉鎖が2年近くに及んだため、就学の機会を逃した子供たちへの対応が大きな課題となっています。ウガンダは人口増加率が高く若者人口が多い国ですが、若者のスキル向上や雇用に向けた支援も社会の安定のために急務です。また、ウガンダは世界第三位の難民ホスト国(150万人・2022年7月時点)ですが本年春以降さらに増改傾向にあり、、難民とローカルコミュニティの双方に配慮した支援が引き続き求められます。またウクライナ情勢による食料価格高騰等は、アフリカなど、より脆弱な国・地域での大きな影響が懸念されます。一方で本年11月の気候変動COPはエジプトで開催されることから「アフリカのCOP(African COP)」と呼ばれ、緩和・適応の両分野においてアフリカ各国からの期待が高まっています。

コボコ地区のヤンブラで、世界食糧計画(WFP)の支援のもとに活動する女性を中心とした農業団体。アブディラマン・メイガグWFP現地事務所長が視察。©WFP Uganda

国連には、こうした社会・経済情勢に柔軟かつ迅速に対応していくことが求められます。例えばAfrican COPに関し、国連として加盟国をどのように支援していくのかという議論はすでに毎週のように行われています。また、コロナ禍でオンライン学習・会議が進んだことなども念頭に、例えばデジタル化の推進強化による可能性を追求したり、国を超えて地域の国連システム全体で知見を結集して様々な開発課題に対してより洗練された効率的な対応をするための仕組みの構築など、New Normalの中で見いだされつつある新たな「機会」もあります。RC・RCOはこうした議論をけん引する役割も担っています。

2022年、RCO能力強化のためのワークショップで議論をファシリテートする筆者。 ©UN RCO Uganda

8月にはTICAD8が開催されます。すでに本年3月に開催された閣僚会合では、経済的不平等の是正、人間の安全保障を基盤とした持続可能かつ強靭な社会の実現、持続可能な平和と安定の構築などが議論されています。アフリカと世界の情勢を踏まえつつ、New Normalの社会・経済情勢に即した課題が議論されることが大いに期待されますし、国連RCシステム(RC・RCO及び本部・地域事務所をまとめた呼び方)としてもTICAD8の成功とそのフォローアップに最大限の力を発揮する必要があります。ウガンダにおいてもまさに今現在、東部で干ばつと食糧危機が発生し、被害が拡大しつつあります。これに対しRCOはいち早く国連本部からの緊急資金を確保し、5機関による緊急対応の調整を担っています。また本稿執筆中には、洪水による被害も報告されました。気候変動の影響ともとらえられ、TICADやCOPをてこに、緩和・適応それぞれの支援がさらに進むことが期待されています。

国連ビデオ「複雑な諸課題の解決には国連活動の調整が不可欠」、©UN Sustainable Development Group

新生RC・RCOにはまだまだ課題も山積みです。その中心的役割である「調整」の付加価値については国連内で広く認識されつつあるとの実感があるものの、その理念を現場においてさらに深化させ、国連職員すべてに「One UN」の意識が浸透し、有機的な議論、計画、実施に結び付けていく必要があります。つい6月にも、ウガンダすべての国連機関が集まる「カントリーチーム」の会議において、そのカントリーチーム内の協力強化、意識改革などに議論が集まりました。真の改革の成果は、効率性を高めつつ効果を最大化することによって示されます。New Normalの開発の在り方をよく見据えつつ、TICADの成果などをアフリカの裨益者に広く行きわたる果実としていく上でも、その役割にはさらなる期待がかかっているといえます。

* *** *

 

ビジュアルで綴る、グテーレス国連事務総長の3年ぶりの日本訪問

日本では、折り鶴は核兵器のない未来への希望を象徴します。核の脅威に対する解決策はただ一つ、核兵器を一切持たないことです。」© UN Photo/Ichiro Mae

 

2022年8月5日から8日までの日程で、アントニオ・グテーレス国連事務総長が日本を訪問しました。2019年8月に横浜で開催された第7回アフリカ開発会議(TICAD7)出席のために訪日して以来、3年ぶりです。8月6日の広島での平和記念式典への出席が今回の訪日の主な目的でした。

 

2018年8月9日の長崎の平和祈念式典に参列し、2020年の原爆投下から75年の節目での広島訪問を願っていましたが、新型コロナウイルス感染症の世界的大流行に阻まれ、3年越しで叶った広島の式典への参列です。国連事務総長としては初めて、広島・長崎両市の式典に出席したことになります。

 

折しもニューヨークでは第10回核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されている中、ウクライナでの戦争を通じて核兵器の使用が抽象的ではなく現実的なリスクとして再認識され、さらには東アジア情勢が著しく緊迫する中での訪日となり、事務総長のメッセージに大きな関心が集まりました。

 

*** 

 

8月6日の朝、グテーレス事務総長は広島平和記念式典に出席しました。

原爆の犠牲者を弔う花輪を手向けるグテーレス事務総長 © UN Photo/Ichiro Mae

77年前、瞬く間に何万人もの人々が殺されました。生き残った人々の揺るぎない証言は、核兵器の根本的な愚かさを思い起こさせます。」同式典に寄せた挨拶では、核兵器廃絶へ向けた力強いメッセージを世界に向けて発しました。

グテーレス国連事務総長は「核兵器保有国は、核兵器の『先制不使用』を約束しなければなりません。また、非核兵器保有国に対しては核兵器を使用しないこと、あるいは使用すると脅迫しないことを保証するべきです。さらに、核兵器保有国はあらゆる面において透明性を確保しなければなりません」と述べ、国連事務総長として初めて、核兵器保有国に対して透明性のある「核兵器の先制不使用」を約束するよう呼びかけました。

www.youtube.com

 

平和記念式典の後は、岸田総理大臣と会談し、核兵器の無い世界に向けて国連と日本とが引き続き緊密に連携していくことで一致しました。

© UN Photo/Ichiro Mae

 

さらに、会談の後は、岸田総理大臣と広島平和記念資料館を視察し、写真や展示物などから原爆がもたらした被害の実相に触れました。

原爆がもたらした中長期的な被害、被爆者と広島市の歩みに関する展示物の説明を受けた © UN Photo/Ichiro Mae

資料館視察の締めくくりに、岸田総理大臣とグテーレス事務総長は、それぞれ自らが折った折り鶴を寄贈し、芳名帳への記帳を行いました。

© UN Photo/Ichiro Mae

 

このあと、事務総長たっての希望で、広島・長崎出身の被爆者の方々と対話の機会を持ち、核兵器のない世界の実現に向けて取り組んでこられたこと、国連や国際社会に望むことなどについて意見交換しました。

グテーレス事務総長は、冒頭、「被爆による心身への痛みを乗り越え、勇気と回復力を持ち、自らの体験を語っていらっしゃる被爆者の皆さんは世界の人たちにとっての模範です」と語り、被爆者との連帯を強く示し、何度も日本語で「ありがとう」と感謝の意を表していました。 

© UN Photo/Ichiro Mae

 

その後、広島市の松井市長や長崎市の武田副市長らと会談を行い、会談後には、グテーレス事務総長が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けた活動に貢献してきたことを称し、松井市長より広島市特別名誉市民称号が贈呈されました。

広島市の松井市長や長崎市の武田副市長らとの会談 © UN Photo/Ichiro Mae

広島市特別名誉市民称号をいただく事務総長 © UN Photo/Ichiro Mae

事務総長がポルトガルの首相になったばかりの1995年、フランスの核実験を非難する総会決議にポルトガルが初めて賛成票を投じた背景には、もう40年ほど前に自身が一市民として広島・長崎を訪れた際に受けた衝撃があった、と受諾のスピーチで語っていました。フランスに遠慮してNATO諸国が棄権する中、当時のポルトガル外相の強い反対を押し切って賛成票を投じることを指示したが、広島・長崎を見た者として棄権はあり得なかった、それを見た経験はその後の政治人生の基礎を作った、と語っていました。

 

また、記者会見を行い、核の脅威に立ち向かう決意を改めて表明しました。

© UN Photo/Ichiro Mae

「今日、世界は77年前に学んだはずの教訓を忘れ、危険にさらされています。赤信号が点滅しています。あらゆる対話、外交、交渉の道を活用して緊張を緩和し、核兵器の脅威を排除するための新しいグローバルなコンセンサスを築かなければなりません。」

日本語通訳を介した会見の様子をこちらからご覧ください。

 

ランチの後は広島県の湯﨑知事とも会談を行いました。今年開催された「Hiroshima Roundtableの議長サマリー」が湯﨑知事からグテーレス事務総長に手渡されました。

© UN Photo/Ichiro Mae

 

続いて、国連軍縮部(UNODA)国連広報センター国際連合訓練調査研究所(UNITAR)広島事務所 広島県へいわ創造機構ひろしま (HOPe)共催のイベント「Power of Youth from Hiroshima」に参加しました。

若者と語らうことは、事務総長が大変力を入れていることの一つです。そこで事務総長は開口一番、こう強調しました。

「自分と同世代の人々を代表して、私たちがあなたがたに残すことになる世界について、謝りたいと思います。謝ると同時に、あなた方の懸念が私たちの世代に聞こえるように、あなた方が行動し声を上げること、場合によっては叫ぶことを、促します」と。

日本のユースとの刺激的な対話の全容をぜひご覧ください。

www.youtube.com

 

多忙な1日を終え、この日の夜にグテーレス事務総長は広島を離れて東京へ向かいました。

 

***

 

7日は公式行事はありませんでしたが、明治神宮まで足を伸ばし、絵馬に平和への祈りを綴りました。

 

***

 

8日の朝、はじめに林外務大臣と会談を行いました。軍縮ウクライナ、東アジア情勢、人間の安全保障、気候変動、国連改革など幅広い課題について意見交換しました。

軍縮の必要性や気候変動などについて日本と国連の協力関係を確認した © UN Photo/Ichiro Mae

 

会談後、日本記者クラブにて記者会見を行い、日本の国連への長きにわたる協力に感謝を述べると共に、核兵器の廃絶や新型コロナウイルス感染症への対応、気候危機など、世界が解決すべき様々な課題への解決にむけた連携強化を訴えました。

今回の訪日を締めくくる会見の全容(英語)をこちらからご覧ください。

www.youtube.com

 

会見を終え、最後に皇居の御所を訪問し、天皇陛下に拝謁しました。            

本日、光栄なことに天皇陛下に拝謁しました。日本は、多国間システムの柱であり、平和、人間の安全保障、軍縮の世界的な提唱者です。

 

分刻みのスケジュールを無事終えて、3年ぶりに訪れた日本をあとにしました。

 

***

 

「この大切な日を、この聖なる場所で、広島の人々と連帯することを光栄に思います。広島と長崎の教訓と、77年前のあの恐ろしい日に命を落とされた方々の記憶は、決して忘れられることはありません。国連で働く女性たちと男性たちを代表し、私はその方々を忘れず、より平和で核兵器のない世界のために取り組み続けることを誓います。」(広島平和記念資料館に寄せられたメッセージ )

© UNIC Tokyo

「国際青少年デー」に考える、循環型社会の構築に向けてなぜ若者の声が必要なのか?

8月12日の「国際青少年デー」にあわせて、国連広報センターの元インターンで、現在合作株式会社 企業連携を担当している藤田香澄さんが、リサイクル率日本一の鹿児島県大崎町から、循環型社会の構築に向けてなぜ若者の声が必要不可欠なのかを紹介します。

略歴1995年長野県安曇野市生まれ。南太平洋の島国ツバル、キリバス、フィジーで幼少期を過ごし12歳で帰国。早稲田大学国際教養学部で国際関係を学んだ後、東京大学公共政策大学院で外交政策、地域政策、行政学等を学ぶ。卒業後は鎌倉にある面白法人カヤックというITの会社に就職をし、地域通貨サービスなどの企画・導入を担当する。地域と関わるうちに自分もプレーヤーになりたい気持ちと、兼ねてから興味のあった環境問題に関わる仕事がしたい気持ちが高まり、2021年4月にリサイクル率日本一の鹿児島県大崎町へ移住。現在は合作株式会社で企業連携担当として、大崎町のリサイクルの取り組みをベースに他の自治体の資源循環率を上げるプロジェクトなどを進めている。(中央が筆者 ©︎ Misaki Tachibana

 

世界全体の資源循環率はわずか9.1%と言われており、地球では多くの資源が止まることなく採掘されています*1

私は今、鹿児島県大崎町という人口12,000人程の小さな町に住んでいます。大崎町は養殖うなぎ、ブロイラー(鶏肉)、パッションフルーツ、マンゴーをはじめとする様々な農産品の生産が盛んで、地域資源に溢れるとても豊かな町です。

鹿児島県大崎町の風景 © Kohei Shikama

 

そして大崎町は、ごみのリサイクル率日本一の町でもあります。リサイクル率が全国平均20.0%のところ、大崎町では83.1%を達成しています*2もともと、焼却処理施設が無い大崎町では、最終処分場の延命化を図るために、20年ほど前から住民・行政・民間の連携によるごみの分別とリサイクルに取り組んでいます。

 

「リサイクル率」と冒頭に記載した「資源循環率」とは定義が異なりますが、資源循環率を上げるためには、まずは廃棄物をしっかりと回収し適切にリサイクルを行うことが重要です。資源循環率を高め、国連が目指す持続可能な社会を実現するための重要なヒントがたくさんあるのではないかと思い、私は大崎町に来ました。大崎町の取り組みを是非動画でご覧いただければと思います。

 

youtu.be

 

私が環境問題に興味を持ったきっかけ

私がごみ問題などの環境課題を意識するようになったきっかけは、気候変動による海面上昇の影響で沈みゆくと言われているツバルをはじめとする、太平洋の島国で幼少期を過ごしたことにあります。

ツバルでの幼少期 ©︎ Kasumi Fujita

 

その後、国際的な枠組みで環境課題を解決することに興味があり、大学時代は国連広報センターでもインターンをしていました。当時書かせていただいたツバルに関する記事はこちらです。

 

そして今、途上国のごみ問題解決には、大崎町の分別リサイクルの仕組みが有効的ではないかと考え、他の自治体や海外でも大崎リサイクルシステムを実践できるプロジェクトを進めています。

 

なぜ青少年が声を上げることが重要なのか

さて、「国連青少年デー」である8月12日は、若者の声やユースにまつわる社会課題に、より着目してもらう日として国連が制定しています。気候変動や環境問題の解決に向けて、なぜ若者の声に耳を傾けることが重要なのか、私も少し考えてみました。

 

私たちは世代ごとに異なる当たり前を生きてきており、今の若者が持つ価値観は環境問題の解決にとって無くてはならないものだと感じています。

 

例えば、廃棄物処理に関する歴史を振り返ると、それぞれが異なる当たり前の中で生きてきたことが良くわかります。今の50代〜70代の方々は、1960年代〜70年代の高度経済成長に伴う「公害」を経験しています。1970年代からは廃棄物の適正処理の推進が図られ、焼却処理施設建設などに対して国の補助金が充てられるようになりました。それ以降、日本において廃棄物は、焼却処理をすることが前提となっています。今の20代後半〜40代の方々は、1980年代〜2000年代の消費増大を経験した世代です。廃棄物の増加と最終処分場の不足及び残余年数の逼迫が顕著となりました。最終処分場が埋まってしまう危機感から、1990年代に入ると、ごみの排出量そのものの抑制に向けてリサイクルなどの3Rの推進が図られました。

 

1995年になると容器包装リサイクル法が制定され、リサイクル可能な品目数が少しずつ増えていきます。大崎町でも1998年頃から分別が始まりました。これ以降に生まれた子どもたちはリサイクルが当たり前という意味で、大崎町では「リサイクルネイティブ」とも呼んでいます。

大崎町のリサイクルの取り組みも、最終処分場の延命化を目的として始まった
© Kohei Shikama

 

そして今の10〜20代前半は、学校のカリキュラムにSDGs関連の探究学習が組み込まれ、サーキュラーエコノミーに関する施設が街中に存在するような、環境配慮型行動が当たり前の時代を生きています。

 

異なる当たり前を生きてきたそれぞれの世代は、「心地よい」と感じること、「馴染み深い」と思うこと、「良い」「悪い」と思うことが少しずつ異なるはずです。

 

地球温暖化や気候変動が紛れもない事実となっている今、環境配慮型行動を当たり前のように実践する若い世代の参画を促したり、意見に耳を傾けたりすることは必要不可欠ではないでしょうか?

 

国連事務局が定義する「ユース」とは15歳から24歳までの人々で、世界で18億人以上にのぼるそうです。日本ではどこの自治体でも高齢化率が非常に高いですが、大崎町が生ごみ堆肥化の技術協力を行っているインドネシアの平均年齢は29歳です。日本と周辺国との人口構造の違いや若い世代が持つエネルギー量の違いに改めて驚かされます。

 

大崎町は若者が少なくなってはいますが、その一方で、リサイクル率日本一の町の責務として、世界の循環型社会をつくることを目指しています。他の地域より少し早く世界の未来を実践している大崎町に暮らす若者として、世界の資源循環率を上げて持続可能な社会をつくるために、これからも声を上げ続けていきたいと思います。

大崎町の分別は資源循環だけでなく、地域のコミュニティ形成にも繋がっている
© Kohei Shikama

*1:平成30年度、蘭サーキュラーエコノミー推進シンクタンクCircle Economy発表

*2:令和2年度時点、環境省発表

SDGsを伝える仕事(4)―「1.5℃の約束」キャンペーンが始動(国連広報センター 根本かおる所長)

コミュニケーションの側面から「持続可能な開発目標(SDGs)」を日本社会に普及させるための試みについて、このブログ・シリーズで書いてきたが、今回はメディアとの連携について取り上げたい。

 

SDGsに対する認知向上に新たな弾みをつけるためのイニシアティブとして、国連は2018年9月 、国連とメディアとの協力の枠組み「SDG メディア・コンパクト」を立ち上げた。30社以上の創設メンバーには、日本から朝日新聞日刊工業新聞日本テレビの3社が参画した。この枠組みを作った背景には、野心的で高みを目指したSDGsは、加盟国政府や国連だけではおよそ達成することが難しく、企業・自治体・NPO・個人など様々なレベルのステークホルダーを巻き込むにはメディアの力が欠かせないという狙いがあった。

SDG メディア・コンパクトの重要性について話すグテーレス国連事務総長

 

発足からおよそ3年半で、2022年6月9日現在、SDGメディア・コンパクトの世界の加盟メディア数は279で、そのうち日本のメディアは170とおよそ6割を占め、大きな存在感を示すに至っている。メディアによっては多年度にわたる全社を挙げた本格的なSDGsキャンペーンを展開するなど、メディアを通じた発信が一段と増えたことがSDGsの認知度の向上に大きく貢献していることは、2022年4月に発表された電通第5回「SDGsに関する生活者調査」からも浮き彫りになっている。

SDGsの認知経路(前回調査比較)出典:電通 第5回「SDGsに関する生活者調査」概要

 

日本でメディアとの連携のネットワークがここまで拡がったことを受けて、国連広報センターでは、加速度的に深刻化して人類を脅かしている「気候変動」に歯止めをかけるためのキャンペーンを行いたいと考えた。気候危機は私たちが適応できるスピードをはるかに上回るスピードで進行し、深刻になってしまい、今対策を取らなければ手遅れになり、後世に大きな禍根を残しかねない。気候変動を含む「プラネット」の課題は、SDGsの13・14・15番目のゴールという環境関連の個別目標にとどまらず、全ての17の目標を支える礎だ。土台が揺らぐと、社会も、経済も成り立たなくなる。

2022年1月から2月にかけてマダガスカルを襲った度重なるサイクロンによる洪水被害の様子。気候危機は異常気象の頻度と深刻さに拍車をかけている。© UNICEF/Rindra Ramasomanana

 

2021年11月に英国・グラスゴーで開催された「気候変動枠組条約 第26回締約国会合(COP26)」で、国際社会は 「世界の平均気温の上昇を産業革命以前に比べて1.5℃に抑える」という新たな決意を表明した。2015年に採択された「パリ協定」では、目標は2℃に抑えることであり、1.5℃は努力目標だったのが、COP26を受けて1.5℃が事実上の目標になったと言えるだろう。そのためには世界のCO2排出量を2030年までにほぼ半分に減らし、2050年ごろに実質ゼロに、そしてメタンなどその他の温室効果ガスも大幅に削減させる必要がある。これまでと同じ程度の取り組みを、できる範囲でやっていればどうにかなる。 そのようなことは、もう言っていられないのだ。

COP26の閉幕を宣言するアロック・シャルマ議長とパトリシア・エスピノーサUNFCCC事務局長 © UNFCCC/Kiara Worth

 

気温上昇は、猛暑・豪雨・干ばつなどの異常気象、生物多様性の喪失、食料不足、健康被害、貧困、強制移住など、 私たちの暮らしに様々な影響をもたらしている。毎年のように大型台風や土砂崩れなどの自然災害に見舞われる日本も例外ではない。ドイツのNGO「ジャーマン・ウォッチ」が発表している「Global Climate Risk Index」によると、日本は2018年で世界1位、2019年で4位となっており、世界でも有数の気候による被害を受けやすい国だ。しかしながら、2021年11月時点での各国の温室効果ガス削減目標を足し合わせても、世界の排出量は減るどころか、2030年に14%近く増加する見通しだ。

IPCC1.5℃特別報告書の各シナリオ(青帯)とNDCの実施に伴う世界の排出量(赤帯)の比較 
出典:公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)第1回グローバル・ストックテイク(GST)技術的評価に向けた『各国目標(NDC)の効果と進捗に関する統合報告書』
(転載許可を得て掲載しています。© 2021 IGES)

 

世界の平均気温はすでに1.1℃上昇しており、今後の上昇幅を0.4℃に抑えるためには、個人も含め、あらゆる担い手が気候変動対策のためのアクションを実践して社会システムを大きく変革することが急務となっている。「気候変動に関する政府間パネルIPCC)」のプリヤダルシ・シュクラ第3作業部会共同議長は2022年4月の報告書発表にあたり、「私たちの生活様式と行動の変化を可能にするための正しい政策、インフラ、テクノロジーを導入することで、2050年までに温室効果ガス排出量を40-70%削減することができる。これは、未着手の大きな可能性をもたらすものだ。エビデンスによれば、こうした生活様式の変化によって、私たちの健康と福祉を増進することも可能だ」と述べている。私たちの暮らしと美しい地球を将来につないでいくためには、政策、インフラ、テクノロジーを通じて私たちの行動変容に結び付けられるかが、まさに大きなカギとなる。

IPCCのプリヤダルシ・シュクラ第3作業部会共同議長 © IPCC

 

温室効果ガスの国別排出量で世界第5位の日本でも、2020年秋に当時の菅義偉首相が2050年までの排出量実質ゼロという日本の削減目標を表明して以来、ゼロ・エミッションや脱炭素という言葉が浸透してきてはいる。2021年4月には、2030年までに2013年比で46パーセント削減、さらに50パーセントの高みを目指すとも表明している。しかし、自らのアクションが求められることとしての「自分事化」が十分に社会に浸透しているかというと、まだまだだろう。

2021年10月に閣議決定された「地球温暖化対策計画」について 環境省ホームページ https://ondankataisaku.env.go.jp/carbon_neutral/topics/20211028-topic-15.html より

 

日本政府が2021年秋に5年ぶりに改定した「地球温暖化対策計画」では、エネルギー由来の二酸化炭素排出量について、家庭部門で2013年度比66パーセント削減という目標を掲げている。家庭でのエネルギー源の選択や節電をはじめ個人レベルでできる気候アクションや、建築物の省エネ化など業界を挙げて推進すべき施策を推進していかなければならない。このような危機意識を幅広く共有するためには、今こそメディアの力を通じて日本で気候アクションを幅広く呼び掛けていくことが必要だ、と思ったのだ。もちろん個々のメディアでは気候変動に関する報道はすでにあるものの、SDGs推進に賛同してくださった、異なる視聴者・読者層を持つ様々なメディアが力を合わせて、キャンペーンとして量そして質ともに、気候変動について理解を深め、危機感を自分事化してもらい、対策としてのアクションを訴える報道が大切だろう。

個人でできる10の行動 | 国連広報センター

節電はもちろん、日々の食生活や移動手段、家庭のエネルギー源や買い物の選び方を変えるなど、個人レベルでも気候危機に立ち向かう方法があることを、社会に広く伝える必要がある。

 

ここは是非SDGメディアコンパクトの加盟メディアに連携してもらいたいとの「願望」を抱き、2022年初めから国連広報センターのチーム内および米国・ニューヨークの国連本部と議論を始めた。というのも、このように国レベルにおいてSDGメディア・コンパクト加盟メディアに対して共同キャンペーンを提案するのは、世界で初めてのことだったからだ。幸い国連本部からは、先駆的な試みを支援するとの返事をもらうことができた。

 

この日本発・世界初のプロジェクトをサポートしてくださったのが、2016年初めにSDGsのゴールとアイコンの日本語化で協力してくださった博報堂の方々だった。同社の「クリエイティブ・ボランティア」という、コピーライター、デザイナー、PRプラナー、ストラテジックプラナーが社会課題の解決に向けて貢献するという制度を通じての協力だ。博報堂チームの皆さんとともに練ったたたき台をSDGメディア・コンパクト加盟メディアの方々に「私たちと一緒にキャンペーンに加わっていただきたい」と説明し、コメント・要望・質問を受け付け、それに対応し、素案をキャッチボールしながら計画を練っていった。また、SDGメディア・コンパクト関係者に気候危機の現在地をより深く知っていただくための勉強会も始めた。

 

こうして紡ぎ上げられた「1.5℃の約束」キャンペーンは、第1次締切までに参加表明してくださった108社のSDGメディア・コンパクト加盟メディアの方々とともに6月17日、スタートを切ることができた。キャンペーンの船出に向けた決意表明とも言える共同ステートメントは、「私たちははじめます。世の中の価値観を、行動を、社会の仕組みを変える新しい取り組みを、連携しながら。メディアが持つ言葉・声・音・画像・映像・ネットワーク、使えるものを全部使って。メディアだからできることが、メディアがまだやっていないことが、きっとまだまだあるはずだから。」とメディアだからこその可能性に力を込めている。

気候危機対策への思いが詰まったキャンペーンがいよいよ始動。

キャンペーンの参加メディアは今後も受け付けていく。番組や編集コンテンツ、自社のウェブサイトやSNS、イベント等の発信の場を通じて、気候変動の現状を伝えるとともに、対策を拡大、加速するためのアクションなどを提案し、個人や組織に「1.5℃の約束」を自分事化してもらうことを目指す。さらに、メディア企業としての自社の気候アクションの取り組みも強化することが期待される。

 

キャンペーンは発表とともに始動したが、各国首脳や世界のリーダーたちがニューヨークに集結する第77回国連総会ハイレベルウィーク初日の2022年9月19日(月)から、エジプトのシャルム・エル・シェイク で開催される気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)の最終日(予定)である2022年11月18日(金)までの2か月間をキャンペーン強化期間として、情報発信をプッシュしていく。

 

このキャンペーンを機会に、幅広い多くの方々に、気候危機について理解を深め、変化につなげることのできる担い手として気候アクションを実践してもらいたい。そしてその声を、政策の転換につなげて欲しい。

COP26閉幕の様子。この会議を機に、平均気温の上昇を1.5℃に抑えるための新たなコミットメントが各国に求められている。© UN News/Laura Quiñones

国連平和維持活動強化のためのパートナーシップに思う

1992年6月15日の国際平和協力法(PKO法)制定からの30周年を前に、国連オペレーション支援局(DOS)上席企画官の伊東孝一さんが、平和維持活動におけるパートナーシップの重要性と、日本に求められるリーダーシップについて紹介します。

【略歴】国連三角パートナーシップ・プログラム(TPP)マネージャー・上席企画官。東京外国語大学卒、ロングアイランド大学大学院修士。富士銀行、国連日本政府代表部勤務を経て、2002年度JPO合格。2003年、国連開発計画(UNDP)コソボ事務所にて安全保障部門改革担当後、2004年より国連政治局(現、国連政治・平和構築局)で北東アジア担当。2006年、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)政務官、2008年より東ティモール担当事務総長特別代表付き特別補佐官。2012年、国連フィールド支援担当事務次長特別補佐官。2018年、国連オペレーション支援局(DOS)上席企画官。2020年より、現職。 ©︎Takakazu Ito

 

国連平和維持活動の意義

ロシアによるウクライナ侵攻を機に、国連安全保障理事会に対する批判が、国連平和維持活動(PKO)や人道支援、さらには人権から開発といった非常に多岐に渡る活動を行う国連全体への批判へと繋がってしまっている。

しかしながら、国連PKOは、これまで70年以上に渡り、多くの脆弱な停戦状態にある国や紛争再発の恐れの高い国に設立され、それらの国々が紛争を脱し、持続可能な平和への道を歩みだす手助けをしてきた。日本も、自衛隊の部隊派遣や国連邦人職員らを含む人的貢献、多大な財政貢献などを通じて、大きな役割を果たしてきた。

カンボジアアンゴラクロアチア東ティモールシエラレオネエルサルバドルグアテマラコートジボワールリベリアといった国々は、いずれも国連PKOを「卒業」し、平和裏に国づくりを行っている。

2021年にUNMISS(南スーダンでのPKOミッション)で任務にあたるピースキーパー
UN Photo/Gregorio Cunha

 

2018年には、このような成果を上げてきた国連PKOをさらに強化し、新たな課題や脅威に対処することを可能にするため、国連事務局主導の改革イニシアチブ「PKOのための行動 [Action for Peacekeeping (A4P)]」が開始された。その重点分野の一つが様々なパートナーとの協力強化、すなわち「パートナーシップ」である。

PKO要員の能力構築パートナーシップ事業では、日本をはじめとする国連加盟国が国連のパートナー国としてPKO要員の訓練に貢献している。また、国連は、アフリカ連合AU)やその他の地域機関とも連携を強化し、能力構築事業にも取り組んでいる。これらのパートナーシップ事業の重要性が、近年頻繁に指摘されるようになってきている。

つい先日も、国連事務局は、「平和維持活動は多様なパートナーとの協力なしには成功しない」と強調し、国連平和維持要員の国際デー(5月29日)の2022年のテーマに、「パートナーシップ」を選んでいる。

日本の国際平和協力法制定30周年の節目にあたる機会をとらえ、私が携わってきた「三角パートナーシップ・プログラム [Triangular Partnership Programme (TPP)]」と、「アフリカ連合-国連 知識・技術交換プログラム [African Union-United Nations Knowledge and Expertise Exchange Programme (AU-UN KEEP)]」を紹介した上で、このようなパートナーシップ事業などを通し、日本が今後もPKO分野で強いリーダーシップを発揮していくことの重要性について述べたい。

 

国連三角パートナーシップ・プログラム

三角パートナーシップ・プログラム(TPP)は、国連事務局最大のPKO要員(ピースキーパー)能力構築事業である。2015年に東アフリカで開始した同プログラムは、その後アフリカやアジア周辺地域に対象を拡大し、これまでにPKO要員派遣国の7,000人以上のピースキーパーに対し、施設・医療・情報通信分野での訓練を実施してきた。この結果、多くの練度の高い修了生が、MINUSMA(マリ)、MONUSCO(コンゴ民主共和国)、UNIFIL(レバノン)、UNMISS(南スーダン)といった国連PKOミッションのみならず、AUの平和活動ミッションであるAMISOM(ソマリア)にも派遣され、平和活動で活躍している。

2021年以降は、コロナ禍での多くの制約や新たな課題に対処するための工夫も行い、TPPの枠組みの下、PKOミッションにおける遠隔医療プロジェクトや、施設・医療・情報通信分野のリモート訓練及び対面と組み合わせたハイブリッド型訓練を開発・実施している。

2022年、ケニアでアフリカのピースキーパーを対象に実施した国連TPP施設訓練での陸上事態の教官による重機操作教育の風景 ©︎Takakazu Ito

 

私が、TPPの企画を立案したのは、2014年であった。2000年以降、武器使用も伴う「文民の保護」を主たる任務の一つとする大型のPKOミッションが増加し、より危険度が増したPKOからの先進国離れが起きていた。そこで、国連の総合調整の下、部隊派遣が困難になった先進国や新興国が、PKO要員派遣国の主な構成国となった開発途上国の要員・部隊を訓練するという新しい形のPKO貢献として、TPPを考案したのだった。 

いくつかの国に働きかけたところ、同年にニューヨークの国連本部で開催されたPKOサミットで日本が一早く支援を表明し、TPPが発足した。日本は、これまでTPPに合計83億円もの資金を拠出し、2022年5月末時点で、延べ266名の陸上自衛隊の教官・通訳や内閣府国際平和協力本部事務局の連絡調整要員を、施設・医療訓練に派遣してきた。また、日本は、国連本部のTPP担当チームにも、発足当初より防衛省職員を派遣しており、2022年5月末時点で、合計4名が国連職員として同プログラムに携わってきた。

TPPのパートナー国は、順調に増えてきている。日本の他、スイス、ブラジル、モロッコイスラエル、インド、カナダ、デンマーク、フランス、オーストラリアをはじめとする多くの国が、教官の派遣や財政支援を行っており、ケニアウガンダ、モロッコ、ブラジル、ベトナムなどが、ホスト国として訓練施設を提供している。2021年12月に韓国・ソウルで行われたPKO閣僚級会合後には、韓国も新たなパートナーとして財政支援を行い、来年からは、教官団も派遣することとなっている。今後もTPPパートナー国のさらなる拡大に努め、平和維持能力の向上に貢献していきたい。

2022年、遠隔で行った国連野外衛生補助員コース開講式(左上が筆者) ©︎Takakazu Ito

 

アフリカ連合-国連 知識・専門技術交換プログラム

アフリカ連合-国連 知識・専門技術交換プログラム(AU-UN KEEP)は、2016年に、当時の国連フィールド支援担当事務次長が、当時のAU副事務総長から、PKOミッション管理のノウハウをAU事務局職員に共有してほしいとの要請を受け、始まったものである。

いまだに国連PKOには9万人近くの要員が展開しているが、実は2014年以降、新しいPKOミッションは設立されていない。AUをはじめとした地域機関・準地域機関やアフリカ諸国が、アフリカにおける紛争の解決や平和の維持に、より大きな役割を果たしていくことへの国際社会の期待は高い。そこで、AUが、より主体的に平和活動を行えるよう、AU職員の能力構築を支援していくことが必要になってきていた。

2016年から2018年の3年間の試行フェーズに、AUと国連はこのプログラムの下、PKOミッション管理の分野(情報通信、ロジスティクス、人材・財務管理など)で、9名の3か月もの長期人事交流を実施しており、AU・国連の実務者間でPKOミッションの管理・運用の知識、成功事例、教訓の共有を行っている。 人事交流に係る費用(各々の職員の渡航費、3ヶ月の出張費など)は、AU・国連各々が負担している。

2018年に、私は国連側で本プログラムを企画した責任者として、現地に赴きAU副事務総長と面会した。副事務総長に、本プログラムの意義と成果について説明し、AU-国連として、本プログラムを両組織の正規プログラムとして継続していくことの了解を得られた。

2018年、アフリカ連合のKwesi Quartey副事務総長(当時)とAU-UN KEEPについて面会 ©︎Takakazu Ito

 

TPP同様、AU-UN KEEP も、2021年以降は、コロナ禍の制約に対処するため、様々な工夫を行っている。職員の長期出張を伴う人事交流モデルから、リモートやオンラインでの相互能力構築・情報交換モデルへと切り替え、現在、サプライチェーン管理、財務管理、報告業務といった分野で、AU―国連の実務者間で、遠隔学習や情報交換を行っており、AU―国連の実務者間の協力ネットワークを構築している。

今後、AUと国連のミッションが、同一国・地域で、同時期に活動を行ったり、任務を分担したり、またAU-国連間で活動を引き継いだりする際に、このようなプログラムの重要性は益々高まっていくと思われる。

 

日本への今後の期待

ロシアによるウクライナ侵攻が、世界の安全保障・食料・エネルギー・経済に与えている影響が改めて私たちに突き付けているのは、一部の国や地域での紛争が、如何に世界中の国々に影響を及ぼしうるかということである。今、現在も、マリ、中央アフリカコンゴ民主共和国南スーダンといった国々で、ピースキーパーが平和維持・平和構築にあたっていることが、日本を含む多くの国の平和に繋がっている。私は、日本が、今後も、PKO分野でのリーダーシップ発揮を含め、世界の平和と安全の維持に貢献し続けていくことが、極めて重要だと思う。

MINUSTAH(ハイチでのPKOミッション)で貢献した日本人のピースキーパーたち
UN Photo/Logan Abassi

 

残念ながら、今後も、PKOの前線では、ピースキーパーが敵対行為で襲撃される恐れのある治安面でのリスクの高い環境が続くと想定されている。そのような中で、アフリカやアジアのPKO要員派遣国に、大部隊派遣を頼る状況が続くであろう。また、国連だけではなく、AUやアフリカ諸国が、アフリカにおける平和活動で、より積極的な役割を果たしていくことへの期待も益々高まっていくであろう。

PKO要員派遣国側には、純粋に国連PKOを通じ国際平和に寄与したいという国もあれば、大部隊を派遣し、それに伴う償還金を得ることで自国の大きな軍隊を維持したいという国もあるかもしれない。また、これらの要員派遣国の多くは、日本のように複雑、かつ厳しい武器使用の制限もない。このように「量」での貢献を行う国がある一方で、日本に期待されているのは、強いリーダーシップの発揮による「質」でのPKO貢献である。

2017年のUNMISS(南スーダン)からの自衛隊施設部隊撤収後、日本がPKOに部隊派遣をしていないことに注目が集まりがちである。しかし、陸上自衛隊は、2015年以降、TPPを通して、他国のピースキーパーの能力構築でリーダーシップを発揮してきた。

2020年、ベトナムで実施した国連TPP施設訓練閉校式(前列中央が筆者) ©︎Takakazu Ito

 

PKOの能力構築分野における日本の更なる貢献について、国際社会、国連事務局幹部、PKO要員派遣国の期待は高い。TPP新規訓練事業の立ち上げなどで国連事務局と知恵を出し合う知的貢献、現在の陸のみならず、空、海の自衛隊教官団の訓練派遣やTPP担当チームなどへの要員派遣を通じた人的貢献、また、これら活動を実施するにあたり必要となる財政的貢献など、日本には今後もTPPを通じて、同分野での強いリーダーシップを発揮していってほしい。

また、2023年1月より、日本は国連加盟国中最多となる12回目の安保理非常任理事国となるが、現在の分断してしまった安全保障理事会を修復する知恵を出し、今後のより良いPKOの在り方についての議論に貢献してほしい。さらに、米国、中国に次いで第3位のPKO分担金負担国として、より効果的な予算活用についても積極的に提言していくべきだ。日本にはこうしたPKO関連政策全般での貢献も期待しているし、開発途上国が貢献しにくい航空、通信、情報などの分野で高度な技術を持つ少人数の要員のPKO派遣も検討してほしい。

以上のような多岐に渡る分野での強いリーダーシップの発揮は、日本ならではの「質」でのPKO貢献として、国際社会から高く評価され、また感謝されるものと私は考えている。

三角パートナーシップ・プログラム(TPP)の企画、実施、対象地域や分野の拡大には、国連日本政府代表部政務部の歴代のPKO担当外交官や防衛駐在官はじめ多くの方々のご助言、ご支援をいただき、正に「パートナーシップ」を組み、一緒に取り組んできた。最後に、国連平和維持活動における今日までの日本政府の多大なるご貢献に対し、防衛省自衛隊、外務省・国連日本政府代表部、内閣府など関係各位に深甚なる謝辞を述べ、本稿を終えたい。

(本稿は、筆者による見解で、必ずしも国連事務局の見解を示すものではありません。)

SDGsを伝える仕事(3)― 笑いのちからで、SDGsに振り向いてもらう(国連広報センター 根本かおる所長)

前回は、持続可能な開発目標(SDGs)の実施が始まったばかりの2016年初め、幅広い関係者との協議を経て17分野の目標それぞれの日本語のキャッチコピーを作り、発信をスタートさせたばかりの頃のことについて綴った。2016年5月、日本政府に総理大臣を本部長とする全省庁横断的な「SDGs推進本部」が設けられ、12月には「SDGs実施指針」が策定されて政府としての実施の方針が示された。こうして政府側の容れ物はできたものの、世の中への浸透度はまだゼロに等しかった。

 

もちろん第一義的には国連加盟国政府がSDGsの推進の責任を負うものではあるが、極めて野心的な世界目標を政府と国連だけで達成できるものではない。これは自治体・企業・市民社会・教育研究機関・個人などのあらゆるレベルでSDGsの理念を理解し、自分事としてとらえ、2030年に到達すべき高みを目指して効果の高いアクションを拡大してもらわなければならない。まさに「社会運動」を作り出す必要があった。そのためには、まずは知ってもらわなければならないのだが、「SDGs」を「エス・ディー・ジーズ」と読んでもらうこともままならない状況だった。

 

2015年9月にSDGsを含む「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択された際も、2016年1月1日に実施が始まった時も、「SDGs推進本部」が設立された時も、マスコミに取り上げられることはまずなかった。経済団体にSDGs推進での協力のお願いの挨拶に行ってみたものの、ほとんど相手にしてもらえないこともあった。「このままではおよそSDGsの読み方さえも知られないままで終わってしまいかねない」と大いに焦った。「物事は知られなければ、その存在は無に等しい」を広報する上での持論とする私にとっては、非常にこたえた。

 

そんなピンチに立たされた時に、関西人としてのオープンかつ「出たとこ勝負」的な気質に助けられたかもしれない。夢物語を他人に話していると、時として現実になることがある。以前も国連世界食糧計画(国連WFP)日本事務所で広報官をしていた頃、国連WFPが緊急食糧援助をテーマにしたオンラインゲームを公開した際に、「日本語版の作成に協力してくださる方を探しています」と新聞の取材を受けて語ったところ、日本のゲームメーカーの社長がたまたまその記事を見て協力してくださり、日本語版を作ることができたのだ。SDGsを多くの日本の方々に知ってもらうために、一体何ができるだろうか、という私の妄想が始まった。SDGsの実施が始まって2年目の2017年に入って、少しずつ形になっていった。

 

客観的に考えて、SDGsそのものに大災害や紛争のような切迫感、ニュース性や緊急性はなく、普通にはなかなか振り向いてもらえない。だからこそ今回のSDGsの認知度アップという課題には、意外性、話題性と楽しさが大切だろうと思った。そして、負担感よりもついつい楽しく実践して、もっとやってみようと頑張れるようなアクションを提示することがカギだろう、ともイメージした。

 

そんな時にたまたま吉本興業の関係者と話す機会があり、恐る恐る「国連の広報活動に協力してもらえないだろうか」と相談したところ、ありがたいことに同社の経営層に直訴する機会をいただけた。SDGsが世の中でほとんど知られていない2016年秋のことだ。

 

私は以前、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員として難民キャンプでの支援活動を統括する立場にあったが、その際、難民たちがピエロの慰問団のパフォーマンスを見て、支援物資の配布では絶対に見せることのない実に人間的な笑顔で大笑いするのを目の当たりにし、大いに「嫉妬」したことがある。そんなエピソードを紹介しながら、「笑いという非常に人間的かつ普遍的な力で、SDGsという世界目標にみんなで取り組む機運を盛り上げるために協力していただけないだろうか」と体当たりした。「国連 x 吉本」という組み合わせ、意外性には事欠かないだろうと思ったし、同社の「47都道府県住みます芸人」「アジア住みます芸人」という地域振興型の芸人のあり方もSDGsの理念と親和性が高いのでは、とも考えた。

 

嬉しいことに、「Laugh & Peace」・「笑いはひとを寛容にする」という同社の理念・価値観とケミストリーが合い、協力してくださることになった。そこからの猛スピードには、本当に舌を巻いた。同社内にSDGsチームが作られ、チームの方々とのブレインストーミングが早速始まり、そして年が明けて2017年1月、私は東京・新宿の「ルミネtheよしもと」のステージに立った。

 

「まずは社員の間のSDGsへの理解を深めてやる気を持ってもらい、社員からの提案を大切にしたい」との同社の強い希望で、国連広報センター・国連大学 サステナビリティ―高等研究所・JICA・市民社会の代表を講師に、社員に加えて関心のあるよしもと所属の芸人、文化人や俳優、ダンサーらを対象とするSDGs研修会をキックオフ的に開催したのだ。今でこそSDGsについていろいろな場で講演したりマスコミの取材を受けたりしているが、当時はまったく話し慣れておらず、足が震えた。難民キャンプでの経験から「笑いが人を逆境から救う、笑いが人を支える」と実感したことや、「お笑い」の持つ伝播力への期待、「私たち専門家がどんなに話してもなかなか伝わらないことを、芸人さんはわかりやすく面白く伝えることができる」というリスペクトなど、思いを伝えるのに必死だった。勘所が鋭いなと感じたのは、「SDGsに早くから取り組むことは、社会貢献を越えてビジネスチャンスにもつながる」とお話ししたところ、番組制作を担当している社員の方から「SDGsをテーマとした番組づくりについて」の質問がいち早く挙がったことだ。

 

このキックオフ研修会を経て、同社が企画運営している4月の「沖縄国際映画祭」と10月の「京都国際映画祭」という国際色のある大型行事にて、SDGs特別企画を設けて所属タレントの皆さんの協力を得ながら発信を立ち上げよう、という提案を超特急でまとめてくださった。国連広報センター側は「映画祭」も「芸人の皆さんとの仕事」も初めて。経験値がなく、どんなものになるのか、なかなかイメージできない。おっかなびっくりの気持ちも強かったが、とにかく「賽は投げられた」のである。

 

最初の本番である「島ぜんぶでおーきな祭・第9回沖縄国際映画祭」を2ヶ月後に控えて、吉本興業のチームの皆さんは突貫工事で大勢の人気芸人を動員し、SDGs啓発アニメ動画、そして17のゴールごとの芸人の顔スタンプを台紙に集めれば福引で景品が当たるという子ども向けのSDGsスタンプラリーを作ってくださった。エンタメ業界が力を合わせて新しいこと・面白いことにチャレンジしようとする「爆発力」に触れた思いがした。

 

そして、沖縄での映画祭本番。圧巻だったのは、映画祭最終日に那覇国際通りに設けられたレッドカーペットでの生まれて初めての体験だった。西川きよし師匠、そしてアジア6カ国・地域で活躍している「アジア住みます芸人」の方々と一緒にSDGsのプラカードを持ってにぎやかにアピールし、9万1千人を動員した華やかなレッドカーペットを歩く機会をいただいた。老若男女、あらゆる世代から絶大な人気を誇る西川きよし師匠が通るだけで、歓声が沸き上がった。取材でマイクを向けるテレビの芸能レポーターの方々からも「ところで、師匠が手に持っていらっしゃるプラカードはいったい何ですか?」と自ずと質問がある。強力なアピールにつながっていた。

映画祭最終日に那覇国際通りに設けられたレッドカーペットで西川きよし師匠、そして「アジア住みます芸人」の方々と一緒にSDGsのプラカードを持ってにぎやかにアピールした

 

10月の「京都国際映画祭2017」は、ニューヨークの国連本部の担当者にも訪日して出席してもらい、この新機軸のSDGs推進の取り組みを実際に体感してもらった。この担当者がたまたま日本への留学と日本企業での勤務経験がある人物だったことも、国連本部との連絡調整の円滑化に寄与した。京都でのハイライトは、映画祭という人が集まる機会をとらえて「よしもと祇園花月」で開催された「SDGs-1グランプリ」と「SDGs新喜劇」だった。人気芸人たちがSDGsのゴールを盛り込んだネタでバトルし、吉本新喜劇という独特の笑いの世界にSDGsを反映するという高等戦術。SDGs-1グランプリは参戦する芸人の腕に任されていた一方で、新喜劇の方は筋書きの草稿段階から相談を受け、どのように新喜劇の世界観を大切にしながらSDGsを盛り込んでいけるのか、一緒に悩みながら考えた。

筆者も西川きよし氏やケンドーコバヤシ氏らと「SDGs-1グランプリ」の審査委員を務め、お笑いとSDGsの両面からネタが審査された 写真提供:吉本興業

 

SDGsが目指す世界に共感して全社をあげて笑いの力でSDGs果敢に挑んだことが評価され、吉本興業は2017年12月、日本政府の「第1回 ジャパンSDGsアワード」でパートナーシップ賞を受賞し、翌年の8月には国連本部での会議で事例発表するに至った。

2018年8月にニューヨークの国連本部で開催された「第67回 国連広報局/NGO会議」の場で、吉本興業電通SDGs市民社会ネットワークの方々と一緒に、日本で様々な分野のアクターが連携してSDGsの発信に協働で取り組んでいる事例について発表した © UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto

 

私にとっても、同社との連携はその後のエンタメ業界との協働を考える際に大いに参考になった。例えば、国連本部と「きかんしゃトーマス」とのSDGs推進のためのコラボ動画を日本でも展開するとともに、Hello Kittyとの日本でのコラボを国連本部にレベルアップして国連本部とサンリオとの協働を実現することに至ったのだが、これは今後詳述したい。

 

しかし、そう簡単に新しい世界目標の認知は世の中に拡がらない。今でこそ街中でよく見かけるカラフルなSDGsのロゴとアイコンも、この頃は偶然目にすると狂喜乱舞し、スマホで写真を撮って、キャーキャー言いながら同僚や関係者に見せるほどだった。2018年4月に公表された電通第1回「SDGsに関する生活者調査」では、SDGsの認知度は14.8パーセント。調査結果を発表する電通のプレスリリースの見出しは「SDGs の認知度自体は低いが、理解が進めばアクションを起こさせる力がある」と、何とか今後に期待をつなごうと苦心するものだった。このリリースでは、調査結果に対する私のコメントも紹介されている。

 

「認知度は15%程度ですが、SDGsを理解すれば共感しアクションにつながる可能性が調査結果からうかがえました。女性より男性の認知が高いのは、現状ではSDGsがビジネスの文脈で語られることが中心で、まだ暮らしやライフスタイルに浸透していないためかもしれません。SDGsを理解すれば『それに貢献する商品やサービスを選びたい』という人が女性に多いこと、関連する分野で『ボランティア活動やNPO活動に参加・協力をしたい』人が10代に多いことなど、今後についても勇気づけられます!」

 

いやはや、一脈の光明にすがらんとするばかりのコメントだが、2018年以降毎年同様の調査を継続的に行って発表してきた電通チームの方々には、感謝の気持ちでいっぱいだ。国連という組織に長年身を置いて痛感することだが、国連は「金欠」という状況もあり、インパクトを測ることが後回しになりがちだ。この定点観測は、SDGsの浸透に関して「ファクト」を提供するものとして、国連の広報関係者の間でも高く評価されている。SDGsの基本理念でもある「パートナーシップ」に私たちがいかに支えられているかを痛感する。

 

ちなみに、今年4月27日発表の同社の第5回「SDGsに関する生活者調査」では、SDGsの認知度は86パーセントにまで向上した。特に10代の世代がジェンダー平等に取り組むことをはじめとしたSDGsアクションに高いモチベーションを持っていること、そしてSDGsに関心を持つようになったきっかけとして、SDGsアクションの実践のレベルの違いに関わらず、「環境問題への危機感」を挙げる人が一番多いことなど、非常に勇気づけられる結果内容だ。今後の課題は認知拡大から、持続可能な社会に向けたインパクトの大きいアクションの拡大と加速化に移っている。

SDGsの認知率(時系列)出典:電通 第5回「SDGsに関する生活者調査」概要

 

SDGsが世の中でここまで広く知られるようになるには、メディアの関わりが大きかった。次回はメディアとの旅路について綴ることにする。