国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

国連のこれまでとこれから  ~日本の抱負を活かした外交を探る~

国連広報センターインターンの江川温子と相沢育哉です。3月27日、国連広報センターは明石康国連事務次長をお迎えして国連創設70周年記念「いま、日本から国連を考える」セミナー・シリーズ(全6回)のキックオフ・シンポジウムを、明治大学で開催しました。(明治・立教・国際の3大学による大学間連携共同教育推進事業「国際協力人材」育成プログラム)との共催)シリーズ第一回目の本シンポジウムは明石康国連事務次長のお話を直接聞ける貴重な機会とあり、事前に約200名の参加申し込みがありました。

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明石康 氏

1954年東京大学卒。バージニア大学大学院、フレッチャー・スクール大学院に留学後、1957年国連入り。1970年代には日本政府国連代表部で参事官、公使、大使を務める。1979年から1997年、国連の広報担当事務次長、軍縮担当事務次長、カンボジア暫定統治機横(UNTAC)の国連事務総長特別代表、旧ユーゴスラビア問題担当国連事務総長特別代表。人道問題担当事務次長を後に退官。現在、公益財団法人国際文化会館理事長、スリランカ平和構築及び復旧・復興担当日本政府代表、神戸大学特別教授等。

 

国連との出会い」

「太平洋戦争に敗れた日本が、1956年12月18日、国連の加盟国として承認された日、ニューヨークの国連本部で歴史的な瞬間を垣間見た」 明石氏は日本が国連に加盟することが決定した瞬間、重光外相の使命感に満ちた演説を間近に聞き、その経験がその後の人生に大変大きな影響を及ぼしたと言います。フルブライト留学生としてフレッチャー・スクールで学んでいた当時に、たまたまその日国連を訪問し、その感動的な場面に立ち会ったことから、翌年、日本人として初めての国連職員になることを決心されました。以後、明石氏が国際社会でご活躍を続けてこられたことは周知の通りです。私たちインターンも直接明石氏の国連との出会いの瞬間やその背後にある強い想いを聞く中で、若い世代にも、国連職員になることを目指し、国際社会の平和構築に将来貢献出来るチャンスがあるのだと強く感じました。

 

「地に足をつけたオプティミズム

戦後の国際情勢のめまぐるしい変化とそれを受けた国連の働きについて、明石氏は実体験を踏まえ歴史的な大局観をもって語られました。特に印象的だったのは、日本の平和主義を正しいとしながらも、国として軍を一切保持しないという考え方は楽観的過ぎるのではないかと述べられたことです。日本が平和構築のビジョンと夢を持って再スタートしてから、戦後の70年が経ち、国際情勢が急変する今、憲法第9条第2項の「戦力の不保持」について改めて議論することは、国の重要なプロセスであるということを学びました。

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また、明石氏はベルリンの壁崩壊までの冷戦時代に、植民地になっていた国々が独立し、国連に加盟する国の数が創設当時の51カ国から現在の193カ国にまで増えたことは国連の最も大きな功績のひとつだと称えられました。この国連加盟国数の増加は、環境・貧困・開発等の地球規模の問題解決に向けて共に行動していきたいと世界が切実に願っている証拠であると感じました。

 

基調講演の最後には、日本が国際社会の一員として、大切にしてほしいことは「地に足をつけたオプティミズム」と唱え、「日本が国連の一員として今後冷静な分析を行い、綿密な作戦を立てる必要がある。さもなければドンキホーテのような現実離れした存在になる」と強いメッセージを残されました。そして、日本が常任理事国になることだけではなく、人材育成、インフラ整備、軍縮、平和構築、人口政策など、「日本らしく、長期的な相手のことをきちんと考えた、創造的な取り組みをしていくことが国際社会から期待されている」と熱い想いを伝えられました。

 

「交渉術/上辺はソフトに、内には強い芯を」

基調講演に続いて、国連が取り組む課題解決のため、今、若者たちに何ができるのかをテーマに、根本所長の進行のもと、3大学の学生代表5名と明石氏による世代間クロストークが行われました。登壇された学生代表は、明治大学のPham Anh Quocさん、伏見美保さん、立教大学の畑中昴淳さん、黒田真歩さん、国際大学の保坂早紀さんです。

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根本かおる国連広報センター所長が聞き手を務める世代間クロストーク

 

学生代表からは平和、気候変動、教育についての質問や意見が投げかけられ、明石氏は、ご自身の経験談を交えながら、国連の活動範囲の限界、組織的な制約、そして、国家間の交渉は1対1の対話が非常に有効である等、率直かつオープンに話してくださいました。また、「日本の将来にとって一番危険なことは、外に目を向けず、平和で安全な環境に安住してしまうことだ」とし、私たち一人一人が経験を蓄えて、視野を広げることで、国連に限らず企業やNGOなどを通じても、世界的な世論を作る活動に関わることができると参加した学生たちを激励されました。

 

さらに、国際問題の解決のため日本人としてどう貢献できるかという会場からの質問には、日本が得意とする分野で積極的に関わるべきだとして、国連PKO活動において、日本が医療、輸送、土木等の後方支援で貢献している例を紹介されました。一方で、「日本人であることを誇りに思うが、日本人だけが享受できる隠れ蓑に隠れることは好きではない。自分の国籍を考えて行動することはなかった」と述べ、「重要なのは国境、文化、宗教を越えて、仲間を作ること。日本人であることを意識しなくなったその時こそ、国連のため、世界のための活動ができるだろう」と締めくくり、まだまだ多くの質問が寄せられる中、惜しまれながらクロストークは終了しました。

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明治・立教・国際大学の学生代表とともに

 

「未来のバトンはあなた達の手の中にある!」

明治大学立教大学国際大学は、世界の高等教育機関国連をつなぐ国連アカデミック・インパクト(UNAI)の参加大学であり、今回のセミナー・シリーズも三大学と国連広報センターの連携により実現することができました。

 

開会・閉会の挨拶をいただいた長尾進 明治大学副学長、白石典義 立教大学副総長、信田智人 国際大学副学長は、「未来を信じる希望をもって国際課題に取り組む姿勢を、明石 元国連事務次長と若い世代の意見交換を交えて学ぶことができ、今回のセミナーは大変有意義だった」と、今後の国際協力活動に若い世代が関わることへの期待を寄せられました。

 

本ブログ記事を担当して

「国際社会の場で日本の強みを活かす場面はたくさんある。しかし、国籍を意識しすぎることなく、素直に相手を慮る姿勢こそ文化的価値観の違いを超える鍵である」この明石 元国連事務次長の言葉に強く感銘を受けました。また、同世代の若者が世界規模の課題について自分の意見を述べる姿に大変刺激を受け、国際課題へ取り組むモチベーションをより一層あげる貴重な機会となりました。

 

今回のキックオフ・シンポジウムを皮切りに、全6回のセミナー・シリーズが開催されます。次回は4月20日、今回モデレーターを務めた根本かおる国連広報センター所長が、”Your United Nations: past, present, and future”をテーマに、国連アカデミック・インパクト校の学生を対象に英語でセミナーを行います。

プログラム詳細や会場については、国連広報センターの下記ウェブページをご覧ください。 → http://bit.ly/1FQ96WU