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国連のさまざまな活動を紹介します。 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (4)

 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」第4弾は、茶木久実子(ちゃき くみこ)さんのお話をお届けします。好きな学問を追求した結果、国連の職員となり、人事の仕事でフィールドに出向いて、国連の仕事でのやりがいを強く感じたそうです。ベテランの人事担当者として「様々な経験をし、自信をつけて、日本を客観的に見ることができる視点を身に付けてください」と日本の若者に向けてエールを送ります。

 

 

 第4回 国連事務局Umojaプロジェクト人事管理部門チームリーダー:茶木久実子さん

 

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【1979年国際基督教大学卒。同大学で国際法の修士号、アメリカン大学で法学修士号、そして国際基督教大学に戻り国際法の博士号を取得。1988-96年ニューヨークの国連本部人事部に勤務。1997年から2年間ジャマイカの国際海底機構に勤める。その後国連本部人事部に戻り、2006年から人事部(給与トラベル業務を含む)を代表して“Umoja”(国連の新しい統合業務システム)の開発に尽力】

 

 

誰かのために働くことの喜び

 ―これまでの仕事の中で、今だから話せるエピソードはありますか?

 今だから話せるということではありませんが、あまり人に話さなかったエピソードをお話ししたいと思います。2003年8月、バグダッド国連オフィスに爆発物を積んだトラックが突入しました。その中には重傷を負ってアメリカ軍の病院に搬送された7人の職員がいました。私は当時平和維持活動の人事を担当しており、その7人を支援するニューヨーク本部のフォーカルポイントになりました。負傷者の中の一人はソマリア人の現地職員でしたが、その後、後遺症のために国連で働き続けることができなくなり傷病年金を得て退職を余儀なくされました。通常は職務遂行中の事故によって退職した職員は母国なり所属オフィスが面倒をみるものですが、当時彼の母国は無政府状態で保護を期待することはできませんでした。そこで、私は、私が国連にいる限り、彼の支援を続ける決心をしました。彼の支援には年金の受け取りの手助け、後遺症の治療のため国外渡航、費用の請求などがありました。更に、年金の継続受け取りのために、生存証明として郵便で毎年年金本部に書類を提出する義務があります。しかし、政府もなく郵便制度も存在しないソマリアで「書類を郵送する」というのは不可能です。そこで、私はソマリアにあるUNHCRの事務所と連絡を取り、国連の外交行嚢を利用して彼が書類を提出できるように計らいました。

 

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2003年8月バグダッド国連本部オフィスへの自爆テロで、セルジオ・デメロ事務総長イラク特別代表ら22人が亡くなった    UN Photo

 

また、後遺症治療の渡航のためには、適切な医療機関でのアポイントメントを取りつけ、ヴィザ、航空券、ホテルなどを手配する必要がありました。これを実現するためには国連本部内外の職員の協力を得る必要がありましたが、大抵の職員は、彼の置かれている状況を理解し、とても協力的でした。こういう支援は多くの人にとって通常の任務を超えたものですが、イラクでの職務遂行のために負傷し職を失わなければならなかった一人の職員を支援し続けることは国連職員として当然の義務であるという強い思いが皆にありました。国連のような大きい組織の中では自分の貢献などほんの小さなものですが、この職員の退職後の人生には私たちの支援が何がしかの役に立ったことは、この上もない喜びでした。

 

  国連の仕事の面白さは、フィールドにあり

 国連の仕事の中で、最も印象に残った出来事は何でしたか?

 それは1994年に南アフリカ最初の総選挙の選挙監視委員をしたことです。私の任務は北部のノーザントランスバール Northern Transvaalで八つの投票所をまわり選挙が公正に行われるように監視することでした。八つの投票所の中には小さな集落の学校を投票所として使っているところもありましたが、そういう小学校の教室の一面には壁がありません。そこからは、中庭にある井戸に集まる集落の人々だけでなく、にわとりや子豚も水を飲みにきているところが丸見えでした。これらの投票所は首都のプレトリアから遠く投票箱が届いていない所もありました。そのような投票所では段ボールを貼り合わせて作った手作りの箱を投票箱として使っていました。しかしながら、住民の選挙への関心は極めて高く、舗装もされていない道路をお嫁さんが年老いた義母を大八車に乗せて運んできたり、遠路はるばる歩いて投票所にたどり着いた人々が炎天下の中、列をなして辛抱強く投票の開始を待っていました。

 

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1994年南アフリカで初めて全人種参加で行われた選挙の様子。選挙監視の活動を通じ、一票を投じられる有権者の喜びを感じた。選挙の結果、ネルソン・マンデラ氏が初の黒人大統領に選ばれた   UN Photo/Chris Sattlberger

  

その中のおばあさんに聞くと、「私の寿命は長くはないけれど、自分のためにではなく子どもや孫のために選挙に来たんだ」といいます。私たち監視員はその思いに涙したことを覚えています。

識字率が低いので投票用紙には政党の名前とロゴの他に党首の名前と写真も印刷されていました。しかし、目の不自由な人も多く、その場合は投票所長が口頭で「誰に投票したいんですか」と尋ね、私たち選挙監視員の目の前で投票したい政党に丸をつけます。ある投票所でおばあさんと投票所長が押し問答しています。私たちが近寄っていくと、おばあさんは、「誰に投票するかは言う必要はない、言わなくてもあなたは私が誰に投票したいか知っているはずだ」、と断固として譲りません。その地域はネルソン・マンデラが党首のアフリカ民族会議(ANC)を支持する地域だったので、ほとんどの住民がANCに投票すると見られていました。投票所長が辛抱強く説得すると、おばあさんはようやく、「1回だけ言うからね」と言い「マンデラ」とささやきました。ところが、全国議会と州議会選挙の投票箱は別だったので、州議会の投票所でさらにもう1度誰に投票するかを言ってもらわなければなりません。 おばあさんは声を荒げて「今言ったばかりなのになぜもう一回聞くのか」と怒り、同じ押し問答が繰り返されましたが、周りからはクスクスと笑う声が聞こえました。

 

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ニューヨークの国連本部で、ブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長から、アパルトヘイト国連の歴史に関する本を贈られた黒人初の大統領ネルソン・マンデラ氏   UN Photo/James Bu

 

この選挙では、アパルトヘイト下で選挙権のなかった人々が初めて政治に参加できる喜びとこの国の将来に多くの期待を持って選挙に臨んでいることをひしひしと感じました。私は、国連がこの歴史的な出来事を可能にしたことを誇りに思い、私自身が大きな歴史的出来事に居合わせたことをとても幸運に思いました。この時は、国連の仕事の面白さはフィールドにある、とつくづく感じた瞬間で、その後、ジャマイカの国際海底機構に出向したり、好んで平和維持活動に関わったのは、ここでの経験が基となりました。

  

―人事の仕事では、具体的どのようなことをしたのですか?

 小学校6年か中学1年の時に国連の存在を知りなんとなく国連で働きたいと思ってから20年後の1988年に競争試験[i]に合格し法務官として国連本部人事部で人事規則の解釈、改訂、人事政策の案文を作成するセクションに赴任しました。そこで与えられた業務は私の博士論文のテーマから遠くない仕事で大変興味深く、上司もゆっくり丁寧に指導してくれたので、入ってすぐは学びながらお給料をもらえる幸せで楽しい日々を送りました。4年ほどたったある日、私のやっている業務は机上の仕事で、人事の現場を知らないことにはたと気が付き、人事規則・政策が現場ではどう適用されているのか、つまり、規則より“人”を見てみたいと思うようになりました。こうした動機から人事管理の部署に異動し、職員の契約、給与、昇進、異動などを扱う仕事を始め、その後15年ほどは様々な人事行政に携わりました。

 

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1991年(国連に入って3年目)、ニューヨークのオフィスで

 

人事官になってしばらくして、国連では行政業務に初めてコンピューターを導入することになりました。私は人事機能のテストに参加しましたが、人事業務のニーズを満たすにはほど遠く、こちらの希望を言うと「お金がないからそれはできない」あるいは「時間がない」と言われ、結局私たち現場の希望はほとんど聞き遂げられませんでした。この時、コンピューターのシステムを変更する次の機会には、最初から関わろうと思いました。

  

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1997年、就任直後に国連の各部署をあいさつにまわる当時のアナン事務総長。アナン事務総長は人事部に長く務め、私を含め人事スタッフは彼の就任をとても誇りに思いました。私が国連に赴任した1988年の7月当時、アナン氏は人事部長でした

  

2006年の終わりにその機会が訪れました。国連はそれまで使っていた自前のシステムから既成のシステムを導入するプロジェクトを立ち上げることにしたのです。そこで私はこの大きなプロジェクトに、人事部の代表として最初から参加することにしました。これが“Umoja(ウモジャ スワヒリ語で統一という意味)”という国連の統合業務システムの開発プロジェクトです。このプロジェクトはただのシステムの交換ではなく、基本的な業務のやり方を変えることを目指しました。それまで、人事データは人事局の職員が維持管理していましたが、新しいシステムでは、根本的な思想の転換を目指して、職員自身が自分の人事データの維持管理するという“セルフサーヴィス”をできうる限り導入する方針が立てられました。私ども人事チームはこの方針を受けスタッフ自身が自らの人事データを維持することを前提に“Umoja”をデザインしました。国連創設当初から続いてきたこれまでの考え方をシステムの導入とともに一新するという非常に大胆な改革です。

 

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2006年にジュバにあった国連スーダン・ミッションに出張したとき宿=テントの前で

 

この“Umoja”は数々の困難を乗り越え2014年から徐々に国連内で導入されています。システムはいまだ導入初期に特有の問題を抱えており、さらに、ユーザーの適応やトレーニングの問題はありますが、おおむね良好に機能しています。これは、私の国連の最後の大きな仕事でしたが、国連行政の根本的変革を担ってチームとともにumoja 導入にこぎつけたことをとても誇りに思っています。

 

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2014年、新しい統合業務システム(Umoja) の人事モジュールが2014年ハイチ平和協力隊で初めてパイロット導入された。国連警察官たちと

 

ルートから外れてもいい、様々な経験をして

国連職員を目指すにあたって、必要な素質は何だと思いますか?

 第一にある程度の英語力が必要です。これは文法が完璧であるとか、ネイティブのように英語をしゃべるということではなく、自分の意見を論理立てて口頭であるいは書面で述べることができる英語力という意味です。

 

第二に、国連では自分の意見を持ちそれを表明できなくてはいけません。日本では人と違う考えを述べたり人と違うことをしたりする事を躊躇する風潮があるように思いますが、国連では自分の意見が言えないと仕事に貢献していないと思われます。ただ、自分の意見を述べる時には不必要に攻撃的になる必要はなく、状況に応じて、言葉を選んで、空気を読んで、その場所にふさわしい表現方法で効果的に意見を述べることが求められます。

 

第三に同僚、上司、部下と信頼関係を築くことが大切です。仕事を遂行するためには、目標によって、いろいろなやり方で自分の目指す方向に物事を進めていきますが、そのためには、他の人との信頼関係や影響力を常日頃から培っておかなければなりません。私の場合、umojaの仕事では、同じころに国連に入り一緒に育ってきた同僚たちがそれぞれの場所で責任ある立場になっていて、彼らの協力を得て問題を克服したり目標を達成することができました。

 

信頼関係を築くためには、同僚の悪口を言わないこと、そのためには自分に自信があることが必要です。自分に自信があれば、価値観が揺るがないので、自分を見失わず行動に一貫性ができ、周りの人から信頼されるようになります。自分に自信のない人は、価値観が揺らぎ行動が不安定になりがちで人の悪口を言い周りの人と軋轢を生むことになるのです。

 

自信をつけるためにはどうすればいいかというと、様々な経験をし多くの失敗を積み重ねることで、困難にあったときにそれを乗り越える力を養うことです。私の場合には、英語も満足にできないときにアメリカに留学し、人に助けられながら何とか単位を取って卒業し、また、異なる価値観、文化、習慣にふれたことは、かけがえのない経験になりました。日本の若い人の多くは、高校を卒業してすぐに大学に入りその後すぐに就職しますが、これから外れてみてもよいと思います。海外留学でなくても、普段の生活とは離れてボランティアをすることもよいでしょう。自分と異なる価値観に触れたり、他の人と暮らしたり、勉強したりするのはとても大切な経験になります。

 

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2015年11月に退官する職員の1人として、表彰式に臨む。事務総長が出張中だったので、マルコーラ官房長(左)と高須管理局長(右)から感謝状を受け取りました

 

 ―日本の若者、特に国連職員を目指す若者に対して何を期待しますか?

 日本の若い皆さんには、外に目を向けて欲しいですね。でもその前に、日本のことをよく知らなければなりません。特に、日本を色々な角度から見ることが必要でしょう。例えば、戦争を被害者の視点からだけではなく、加害者の視点からも自分の国を見ることも大切です。日本は唯一の被爆国だけれども、他国に侵略したことで加害者であったことを忘れてはいけません。その中で、他国の人から日本はどう見えたのかを知ること、そして、実際に何が起きたのかという事実を客観的に知る努力が必要でしょうね。このように、物事を客観的に見る態度、相手の視点で物が見えることが国際社会において求められ、そして真のグローバル市民になるために必要なことだと思います。

 

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茶木さんを囲んで。インターンの 稲垣葉子(左)と 村山南(右)

 

 

[i] 2010年まで行われていた国内採用競争試験に代わり、現在毎年行われている採用試験は、ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)と呼ばれています。受験資格など詳細はこちら >>>  

国連職員採用-YPP- | 国連広報センター



 

 

 

 

 

 

2016 Spring Interns

今年3月末から国連広報センターで働いた5人のインターンが6月末に卒業しました。

UNICでの体験を振り返った5つのストーリーをお読みください。

 

 【宮内栄 / Ei Miyauchi】

 こんにちは!2016年春インターンの宮内栄です。現在国際基督教大学4年で、卒論執筆の真っ最中です。

 私が国連広報センター(UNIC)のインターンに応募したのは、将来働きたい国連という場所の実際の姿を知りたかったから、というのが一番大きな理由です。私は今後開発学を専門にしたいので、国際政治や国際関係学、国際法を専門にして広報官として国連に入ることを考えているわけではありません。しかし、どんな分野を専門にするにせよ国連で働くのなら、国連という組織自体についての理解は必要だろうと思います。結果的にUNICは、国連の活動や内部の日常の動き方について知る上で、とてもよい場所でした。

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        上智大学でのSDGsフォトコンテストのプロモーションの様子(白いボードを持っているのが筆者)

 

まず、UNICのオフィスも入っている国連大学本部ビルを訪問する中高生に実施する、「国連訪問」というプログラムを担当することで、必然的に国連の活動一般を説明できるようになります。あるいは日々国連関係文書の翻訳をする中で、「この文書はどういう文脈で、何の目的で作成されたものなのか」と考えます。背景知識がなければ正しい翻訳はできないので必然的にリサーチをすることになり、知識が雪だるま式に増えていくのです。

 その他にも大型イベントの一連のロジスティクス(ロジ)をオフィスの中で体感すると、国連という組織の官僚的な動き方を実感できます。私のインターン期間中には潘基文(パン・ギムン)事務総長の訪日・G7伊勢志摩サミットアウトリーチ会合への出席に関わる大型ロジがありました。インターンオリエンテーションでUNICが「国連の在日本大使館」と形容されているのを耳にしましたが、まさにそういった印象をこのロジを通じて持つようになりました。こういった話は通常"confidential"とされ、外部に公開されることはありません。内部から実際を見たり、また部分的に関わる機会に恵まれたことはとても幸運でした。                

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 スウェーデン大使館主催のセミナー「第2代国連事務総長ダグ・ハマーショルド国連」にて。(June撮影)

 また、おそらくみなさんが思っている以上に、UNICでの仕事は「広報」のよい経験となります。特に私は「国際関係学専攻で将来国連で働きたいと思っている」といういわば「ステレオタイプ」であったため、広報関係の仕事のインパクトは予想以上で、とても新鮮でした。

例えば、日常的に様々な国連関係文書の翻訳、要約、記者会見への出席(カメラもインターンが担当します!)、記事作成などの業務があります。文章を書くことについてはそれなりに慣れていると思っていた自分でしたが、反省しきりでした。要点をもらさずシンプルで読みやすい文章を作るということは、案外手間がかかるものなのです。加えて校正作業も広報では必須ですが、仕事の丁寧さについて自分の甘さを感じる局面が多々ありました。UNICのオフィスは10人にも満たない職員とインターン数名によって、まわっています。それは、職員一人ひとりが自分の責任分野の仕事を高い精密度をもって日々こなしているからこそ成立するサイクルです。「プロじゃないからわからない」と言う暇があるなら、「自分で学んでプロになれ」。そんな意識を持つようになったインターン生活でもありました。 f:id:UNIC_Tokyo:20160614115256j:plain

     オフィスの日常。インターンの机が集まる「インターン島」は笑いが絶えない (Christina撮影)

 そして最後に、個性豊かな「現実主義的理想主義者たち」との出会いこそ、UNICインターンを通して得た最大の宝です。国連が掲げるのは、人類共通の普遍的な理想。しかしその実現には多様な利害関心が絡み、様々な障害が立ち塞がっています。このインターンで出会った全ての方々は、冷静にその現実的難しさを認識した上で、それでも理想を夢見ることを止めない人たちでした。もちろん私が覗いたのは巨大なUNファミリーのたった一部にすぎません。それでも「現実主義的理想主義」こそ、国連という場所に通底するプリンシプルなのだと確信しました。そんな人たちが集まる場所が国連なら、それは確かに目指す価値のある場所だと、インターンを終える今、私は自信を持ってそう言えます。

 この3ヶ月は日々学びであったことはもちろん、自分の中の国連についてのモヤモヤと向き合い、自分なりに整理をする時間でした。大学4年で就活に勤しむ同期を余所目に、フルタイムでインターンをやるということに不安がなかった訳ではありません。ただ結局は、自分の直感に従ったほうがよい結果になるのだと私自身は思います。3年の秋、思い切ってインターンに応募したあの時の判断は、私にとっての「正解」でした。

私にこの貴重な機会を与えて下さり、インターン期間中厳しくご指導下さり、そしてまた優しい気遣いもして下さったUNIC職員の皆様。

常に明るい笑い声の絶えない「インターン島」でチームワークを共にした、尊敬すべき個性豊かな4人のインターンメイト。

 UNICインターンを通じて関わった全ての皆様に、今、心から感謝しています。

 そして願わくば、この文章が未来のUNICインターンの方々の背中を、少しでも押すことが出来ますように。

 

【王盈文(オウ エイブン)/ June Wang】

 こんにちは!2016年4月から3ヶ月間、UNICでインターンとして働いた台湾人のJuneです。 日本留学中で、今は東京大学法学政治学研究科修士2年生です。

台湾の大学では法学部に所属し、法律全般について勉強しました。4年生の国際法の授業で初めて国連の決議や国連の枠の下で作られた条約などに触れる機会がありました。それをきっかけに、国連に興味をもつようになり、「将来国連で働きたい」という考えも自分の中で萌芽しました。この夢に少しでも近づくために、まず自分の専門知識を磨かなくてはならないと思い、国際法を専攻として日本の大学院に進学することを決めました。       

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                                       UNICの入り口で写真を撮ってもらいました(Ei撮影)

 台湾は国連の加盟国ではないため、日本のようにいろいろな国連諸機関の事務所があるわけではありません。せっかく日本に留学しているので、ぜひこの地の利を無駄にせず、インターンを通じて「国連で働く」というイメージをより具体化させたいと思いました。そこで、私は国連の活動に全面的に関わっているUNICのインターンに応募させていただきました。

 UNICでの日々は、私にとって「冒険」であり、大変有益な時間になりました。

業務の内容は多岐にわたりますが、まず何よりも、国連の活動や優先課題をさまざまなイベントのサポートと参加を通じて、身近に感じることができました。2016年は国連の持続可能な開発目標(SDGs)実施元年なので、私のインターン期間中、SDGsの広報活動はUNICの活動の中心でした。その他、日本国連加盟60周年記念事業、気候変動に関するパリ協定の宣伝、G7のアウトリーチ合会に参加するための国連事務総長来日訪問、中高生の国連訪問といったイベントの企画・実施に携りました。 f:id:UNIC_Tokyo:20160531121250j:plain

                          UNICオフィスの様子(左上Kento、左下Christina、右Machiko、筆者撮影)

 また、国連とは直接に関係しませんが、ハードウェア・ソフトウェアのスキルもインターンの仕事を通じて向上しました。例えば、UNICは「広報センター」であるため、写真や動画の撮影の機会は多くありました。しかし良い作品を撮るのは想像以上に難しいことでした。毎回の撮影の仕事で職員にアドバイスをいただきながら、どのようにインパクトのある写真を撮れるのかが徐々にわかりました。また、去年UNIC主催のイベントで実施した721件のアンケート結果を統計処理するために、エクセルの「ピボットテーブル」という機能を自分で調べ、初めて使用しました。 

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                                          4月13日の国連訪問を担当したEiです(筆者撮影)

 インターンの同期4人からもいろいろ学びました。皆それぞれ違う国籍、バックグラウンドをもっており、関心分野も異なっています。だからこそ一緒に仕事をしている間に、それぞれの人生経験、希望、悩みを話し合い、私にとってとても刺激になる話をたくさん聞けて、心の栄養になりました。また、各自のタスクで忙しい中でも、いつも私の日本語と英語のネイティヴチェックをしてくれて、本当に感謝します。

UNICのスタッフたち、同期のインターン4人、この3カ月間、誠にありがとうございました。

これからもUNICで得た経験を生かして、努力していきたいと思います!

  哈囉!我是王盈文,台灣人,25歲。22歲以前都在台灣土生土長,23歲時來日本念研究所。因為對聯合國有興趣,希望未來能到聯合國工作,便利用在日留學的期間申請了United Nations Information Centre東京辦公室的實習生,很幸運地能被錄取。在這裡的三個月,我除了更認識聯合國,也遇到了很好的實習生夥伴,並和他們成為了一生的朋友。

台灣雖非聯合國加盟國,但並不代表台灣人不能在聯合國相關機構實習,擴展自己的人生經驗與國際意識(至於如何才能成為聯合國的正式職員,我也還在摸索),如果你是台灣人且對聯合國有興趣,不妨考慮申請實習生,我相信一定會成為你人生中無可取代的一堂課!

 

【大谷 眞智子 / Machiko Otani】 f:id:UNIC_Tokyo:20160629151453j:plain

                    左から二番目が筆者

 4月より3ヶ月間インターンとして働かせていただきました、大谷眞智子です。

 私は医学部を卒業後、4年間臨床医として働きました。将来は国連をはじめとする国際機関で医学・公衆衛生の専門家として主に感染症対策に携わりたいと考えており、秋からイギリスの公衆衛生大学院に進学する間の期間を使って、インターンとしてお世話になりました。

将来国際機関で働くことを目指すのであれば、実際にその中で働くことによって将来のビジョンがより明確になるのではないか、という理由と、これまで職業柄、自分の専門分野のことしか触れてこなかったのですが、世界で起きている様々な問題は一方向からのアプローチのみでは解決できないということを、医師として働いた経験からも強く感じたので医療・保健とは関係のない新たな経験を積みたいと思っていたという理由から、国連広報センターのインターンに応募しました。

 想像していたとおり、医師としての社会経験しかない私にとって、国連のオフィスでの仕事はとても新鮮で学ぶことが多く、社会人としての自分を今一度見つめなおすきっかけになりました。そして、いままでは単にイメージしかなかった国連の中で実際に働くことによって新たな視点から国連を捉えることができました。

 一緒にインターンを行った仲間たちは皆それぞれにビジョンがあり、それぞれの目標や葛藤、将来について話すことも多く、とても刺激になりました。どのようにしたら世界全体がより良い方向に向かえるのか、自分ができること・すべきことは何なのか?

そういった問いに真剣に向き合っている人たちとの出会いはとても貴重で、分野やアプローチを越えて同じ目標を共有できる機会はなかなか得られないものではないかと思います。このような出会いは特定の専門分野に特化した機関でなくUNICのような国連全般にかかわる機関でインターンをする醍醐味でもあると思いました。

UNICのインターンに、「こうであるべき」だとか、「こうでなければいけない」といった概念はありません。むしろ、私が医師であるけれども受け入れてもらったように、どんな経歴の人にもチャンスはありますし、多様性や個性が尊重される場所です。それなので、もし迷われている方がいたら飛び込んでみることをお勧めします。きっと他では味わえない経験と、一生の仲間が見つかるはずです!

 私自身、今回得た貴重な経験を、これからの大学院生活、そしてその先の未来に活かし、一人の人間として国際社会に貢献できるようこれからも邁進していきます。

お世話になったUNIC職員の皆さん、同期のインターンの4人、本当にありがとうございました!

 

藍原健豊 / Kento Aihara】

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 日本人インターンの藍原です。私は今年の3月に栃木県小山市にある白鴎大学を卒業し、夏からタイの大学院に進学する予定です。その間の期間を利用し、国連広報センター(UNIC)にてインターンシップを行いました。私は幼少期から日本の外の世界に興味があり、漠然と世界に関わる仕事がしたいと考えていましたが、国連もその夢の一つでした。私は学部生のときに経営学、特に観光産業にフォーカスして学びましたが、その自分が得意とする分野が国連でどのように貢献できるかを知る上でも実際に国連インターンをするのは大変有益だと考えていました。そして今回“百聞は一見に如かず“をモットーに、ここUNICに携わることで国連の現場を肌で感じることができました。UNIC 国連のあらゆる部署の活動や情報を管理、発信する組織ですので、インターンを通して国連の仕組みを包括的に理解を深めることができたと思います。

私がインターンをした時期はまさに、2015年に国連総会で採択された持続可能な開発目標(SDGs)を推進していく活動の最中でした。UNICも日本社会にSDGsを知ってもらうために様々な広報活動を行っていますが、私が微力ながらそのお手伝いをできたことを嬉しく思います。SDGs2030年までの持続可能な開発目標であり、プロジェクトはまだ始まったばかりです。大々的なことではなく、我々一個人が日常生活で今すぐにできることが沢山あります。世界はもちろんのこと、身近な生活自体ももっと良くなるはずです。15年後、世界はどう変わっているのでしょうか。私のインターンは終わりますが、これからもSDGs推進活動に協力できればと思います。

地元の栃木県から毎日電車でUNICへ通勤するハードな生活でしたが、この経験が大学院進学、ひいては自分の将来において必ず役に立つものだと確信しています。職員の皆さんにも沢山お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。最後に、同期のインターンのメンバーに恵まれたと感じています。5人全員がバラバラのバックグラウンド、専門分野だったので一緒に仕事をする毎日が非常に新鮮でした。和気あいあいと楽しい3ヶ月間をありがとう!

 Hi, my name is Kento. I worked for the United Nations Information Centre in Tokyo as an intern for the last couple of months. I have been interested in overseas and international organizations such as the UN since I was little (I lived in Japan for over 20 years). I just graduated from university majoring in business, especially focusing on travel industry management, and used to wonder how I could contribute to the UN with my field of study. Therefore I decided to apply for this internship and fortunately got accepted. As a result, this experience at UNIC turned out to be fruitful for me as I had countless opportunities to learn how the UN works, which is composed of various departments. Likewise, I am glad that I was able to participate in promoting the project of SDGs (Sustainable Development Goals), which were officially adopted in 2015. This project lasts until 2030, and I truly hope that our world becomes better and better, contributing to some goals of SDGs.

Through the internship, not only have I learned about the roles of the UN, but I was also able to interact with many people who have distinctly different backgrounds including career, which without doubt would lead me to the next step in my life. To the prospective interns, if you are interested in this internship, DO NOT HESITATE, JUST ASK THE OFFICE! I hope you guys will seize the chance and have a great experience here at, UNIC! f:id:UNIC_Tokyo:20160629151347j:plain  誕生日が同じ根本かおる国連広報センター所長と一緒に。似顔絵はChristinaが描いてくれました(617)

  

【Christina Mihoko Deakin】 f:id:UNIC_Tokyo:20160614115201j:plain

 Ei will be graduating from ICU (International Christian University), June is finishing up her master’s thesis in law at University of Tokyo, Kento is preparing to complete a masters course in Thailand, and Machiko is a HIV/AIDS specialised doctor. Machiko and I will both return to our studies in the UK this September. All five of us were UNIC interns, however, we were all in such different stages of our lives.

I joined the UNIC internship programme for three months after experiencing internships around other offices in the United Nations University, however, I found this internship to be unique. I became increasingly aware that it was difficult to disconnect from the office after hours. From morning to night, my phone would buzz with little updates  and messages of encouragement from the other interns, from important messages relating to train delays and sick leaves to funny photos and uplifting remarks. We have a growing chat history that reflects teamwork.

Despite joining the internship programme for different reasons, we were working and communicating together to compete tasks and projects. I think teamwork was one of the most valuable lessons I learned in the UNIC Tokyo office. My world also expanded. I recall many significant moments, such as listening to the director practice her speech in the back of a taxi, going to press events, and being involved with the Secretary-General’s visit to Japan.

However, I also treasure the quiet moments when friends and staff exchanged their experience and stories with one another, or when the office supported me in picking up my first phone call in Japanese. In full retrospect, my internship experience with UNIC Tokyo was extremely positive, and I am very lucky and glad to have been apart of this office.

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                  ~ Fin.~