国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本 【連載No. 3】

HLPFでの日本企業、経団連の情報発信について

 

みなさま、こんにちは。国連広報センターの千葉です。

 

今年7月にニューヨークの国連本部で取材したハイレベル政治フォーラム(HLPF)について、ブログを綴らせていただいています。

第1回 ~ ニューヨーク国連本部でみたハイレベル政治フォーラム(HLPF)
第2回 ~ HLPFでの日本政府の情報発信取材と星野大使インタビュー

 

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国連本部の前で、はためく加盟国旗 ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

今年のHLPFにおいて、日本の自発的国別報告(VNRs)はありませんでしたが、日本による情報発信がなかったということはなく、政府、ビジネス、NGOなど、いろいろなセクターで、日本人の方々がそれぞれSDGsに関する情報を発信していらっしゃいました。

 

前回は日本政府のイベントについての取材やインタビューをお届けしましたが、今回(第3回)は、HLPFにおける日本のビジネス界の情報発信についてご紹介したいと思います。

 

ビジネスフォーラムでの経団連

 

ハイレベル政治フォーラム(HLPF)の閣僚会合2日目の7月17日(火)、経済社会理事会議場で、スペシャル・イベントのひとつとしてビジネスフォーラムが開かれていました。このフォーラムは官民一緒になって、SDGs達成への取り組みについて話し合う場です。国際商工会議所(ICC)、国連経済社会局、国連グローバルコンパクトの共催で、今年が3回目でした。

 

午前9時15分、主催者の国連グローバルコンパクトのリザ・キンゴ事務局長(下写真・右)と国際商工会議所(ICC)のジョン・デントン事務総長(写真・左)が挨拶に立ちます。

 

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©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

冒頭のセッションでは、国連事務局からアミーナ・モハメッド副事務総長とリュー・ジェンミン経済社会問題担当事務次長、そして経済社会理事会からマリー・チャタルドバ議長が出席して挨拶を述べ、それぞれ、世界の企業に対して、SDGsへの取り組みを訴えていました。壇上には、ビジネス界から、パラグアイとブラジルの両国共同出資会社のイタイプ―のCEO、ジェームズ・スポールディング氏も加わり、世界第2位の規模を誇るダムと水力発電を通じたSDGsへの貢献と取り組みを紹介していました。

 

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冒頭挨拶する副事務総長 ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

冒頭のセッションに続いたのは、「ビジネスの力を善のための力として解放する:マルティステークホルダーによるSDGsの実施とビジネスの役割(“Unlocking the power of business as a force for good: Multi-stakeholder implantation of the SDGs and the role of business)」と題するワークショップでした。パネル討論形式で行われ、フィンランド農林・環境大臣のキンモ・ティーリカイネン氏、ラドル(Ladol)のCEO、エイミー・ジェデシミ氏、シュナイダー・エレクトリック・南アメリカゾーン社長のタニア・コセンティーノ氏、ソルベイのCEOジャン・ピエール・クラマデュー氏、国際労働機関(ILO)事務局長のガイ・ライダー氏がパネリストとして参加し、SDGs実施におけるビジネスの役割を活発に議論していました。

 

日本からは経団連の二宮雅也・企業行動・CSR委員長 (損害保険ジャパン日本興亜会長)が参加して、会場から日本企業の取り組みについて発言し、その議論に加わりました。二宮委員長の隣には、スイスのドリス・ロイトハルト連邦参事(現在、環境運輸エネルギー担当大臣で、2017年の大統領)が座り、二宮委員長に続いて発言していました。

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前方のスクリーンに映る二宮委員長 ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

二宮委員長はその発言のなかで、日本の代表的な企業約1,370社と、主要な業種別全国団体、地方別経済団体から構成される経団連SDGsの達成に全面的にコミットしていることを紹介し、革新技術を最大限活用することによる経済発展と社会的課題の解決の両立をコンセプトとする「Society 5.0」を通じて、経団連SDGsの達成をめざしていることを説明されました。

 

“Dash to the Goals”と題した英語のブローシャ―を会場に配布。Society5.0とは、人類社会発展の歴史における5番目の新しい社会の姿であり、経団連はSociety5.0の実現を企業の社会的使命であると考えていることを述べておられました。

 

 

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経団連作成のブローシャー表紙



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経団連作成のブローシャーから


 

また、二宮委員長は、2017年11月に経団連が企業行動憲章を改定し、経団連に加盟するすべての企業がこれに遵守することに合意し、日本政府、学界、NGOsなどが広くSociety 5.0の実現に協力していることを紹介されました。

 

そして、経団連がつくった企業実践の事例集をウェブ化し、ビジネスフォーラムが開催されたまさにこの日にローンチしたことを発表しておられました。

⇒ URL:https://www.keidanrensdgs.com/

 

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経団連SDGsウェブサイト

 

経団連の二宮委員長、経済社会問題担当事務次長と懇談

 

17日(火)のビジネスフォーラムで会場から発言した経団連の二宮委員長は、翌18日(水)の午前中、国連事務局のリュウ・ジェンミン経済社会問題担当事務次長を表敬訪問されました。

 

二宮委員長は、同事務次長に対して、あらためて経団連の取り組みを説明し、今後の協力について意見交換されていらっしゃいました。

 

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©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

ジェンミン事務次長からは、経団連の取り組みへの歓迎の言葉がありました。経団連の会員企業はみな影響力のある企業であり、より活発にSDGsの達成に向けて取り組みを進めてもらいたい、他国の取り組みを支援してほしいと日本企業への期待を述べました。

 

昨年のビジネスフォーラムにも出席された二宮委員長はそれ以降、国連の多くの幹部職員と会って、詳しく話しを聞いてきたことによって、経団連SDGsへの理解を深め、それが企業行動憲章の改定にもつながったと述べられました。日本の企業も中長期計画のなかにSDGsを組み込み、その推進の動きがでてきているとし、日本の企業の取り組みの事例を掲載した小冊子を手渡して説明され、来年再会するときには、さらに事例をもって増やしてお見せできるようにしたい、民間の活発な取り組みへの事務次長の期待に応えたいと述べられました。

 

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©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

ビジネスとSDGs -日本企業の情報発信

 

18日(水)には、“Business and SDGs ―Insights from Chief Sustainability Officers & sustainable champions”をタイトルに冠したスペシャル・イベントが開催されていました。このイベントは、WBCSD(World Business Council for Sustainable Development:持続可能な開発のための世界経済人会議)と国連経済社会局の共催です。

 

**WBCSDとは、持続可能な開発を目指す企業約200社のCEO主導の組織で、持続可能な世界への移行を加速化するために協働しています。参加企業はすべてのビジネスセクター、すべての主要な国にまたがり、収益を合計すると、8.5兆ドル、社員は1900万人に及びます。

 

このスペシャル・イベントでは、日本語の同時通訳も提供されていました。

 

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サイドイベント“Business and SDGs” ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

同イベントにおいては、朝9時から10時20分まで、「SDGソリューションズ・ワークショップ」と題するセッションで、WBCSDのマネジング・ディレクターのフィリッポ・ベグリオ氏が司会進行し、UPMキュンメネのエグゼクティブ・ヴァイスプレジデントのピルコ・ハレラ氏、ネスレのシニア・マネージャーのヘレン・メディナ氏、ヴァーレ・インターナショナルのエグゼクティブマネージャーのグローザ・ジェズエ氏、DSM ヴァイス・プレジデントのジェフ・ターナー氏、そして富士通総研から生田孝史主席研究員がパネリストとして参加し、それぞれの企業内の取り組みを共有し、SDGsの統合に関して課題と解決の模索を議論していました。

 

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生田主席研究員 ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

生田主席研究員は、富士通の理念・指針である「FUJITSU Way」はSDGsの精神に合致するものであることを述べました。富士通グループは以前から人間を中心に置いた「ヒューマンセントリック・インテリジェントソサエティ」の実現を目指して、テクノロジーを活用するとともに新たなイノベーションを創造しており、その活動とSDGsの方向性は一致していることを強調しておられました。また、2017年3月、国連開発計画(UNDP)と東北大学・災害科学国際研究所が設置した災害統計グローバルセンター(GCDS)に新たに設置される、「グローバルデータベース」の構築・運営に関するパートナーシップを締結したこと、このパートナーシップを通じて、世界の自然災害に伴う損害の削減に取り組んでいることなどを紹介されていました。

 

前日のビジネスフォーラムと同様、同イベントの会場にも、経団連の二宮委員長をはじめ、日本の企業の方々が足を運び、熱心に聴講しておられました。SDGsをどのように企業活動に根付かせていくのかを学ぼうとする企業の皆さんの熱心さがつよく伝わってきました。

 

次回は、HLPFにおける市民社会の情報発信とインタビューをお届けします。

(連載ブログ 国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本)
第6回 ~ 国連ガイドツアーでSDGsの啓発促進
第5回 ~ SDGsを舞台裏で支える日本人国連職員たち 
第4回 ~ HLPFでの日本の市民社会の情報発信、そしてインタビュー
第2回 ~ HLPFでの日本政府の情報発信取材と星野大使インタビュー
第1回 ~ ニューヨーク国連本部でみたハイレベル政治フォーラム

 

国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本 【連載No. 2】

HLPFでの日本政府の情報発信取材と星野大使インタビュー 

 

みなさま、こんにちは。国連広報センターの千葉です。

 

前回に引き続き、ハイレベル政治フォーラム(HLPF)の取材のためのニューヨーク出張について、ブログを綴らせていただきます。

 

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国連総会ビル(左)と事務局ビル(右) ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

前回のブログでご説明したとおり、今年のHLPFにおいて、日本の自発的国別レビュー(VNRs)はありませんでしたが、日本による情報発信がなかったということはなく、いろいろなセクターで、日本の方々がSDGsに関する情報を発信していらっしゃいました。

 

今回から、HLPFを起点として、私がみた日本関連のイベントやお会いした日本人の方々を政府、ビジネス、市民社会など、それぞれセクターごとにご紹介してまいりたいと思います。

 

まずは、日本政府関連のイベントやインタビューをお届けします。

 

HLPFの閣僚会合が開催されていた16日(月)~18日(水)、日本政府代表部と環境省がそれぞれに中心となってイベントを主催されていました。まずは、それらのイベントを簡単にご紹介します。また、日本政府代表部をお訪ねして星野大使にインタビューをすることができましたので、最後に、その貴重なお話しを共有させていただきます。

 

日本政府代表部レセプション

 

ハイレベル政治フォーラム(HLPF)の閣僚会合がスタートした16日(月)は午後6時15分から国連総会ロビーで、日本政府代表部が主催した「Designing Future Society for Our Lives; Expo 2025 towards achieving SDGs」と題するレセプションが開催されました。SDGsをメインテーマに掲げた2025大阪・関西万博の招致をPRするためのレセプションです。

 

私はその日の午後には国連本部近くにある政府代表部などをお訪ねしたあと、少し早めに会場に着きましたが、会場では政府代表部の方々が関係者とともに忙しそうに準備にあたっておられました。

 

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開始時刻。司会の方からレセプションの開始を宣言すると、ステージ上にビデオ映像が流れ、別所浩郎大使がご挨拶を述べ、岡本三成・外務大臣政務官をご紹介されました。

 

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岡本政務官は、安倍晋三首相が今年6月のSDG推進本部会合でSDGsを日本の国家戦略の主軸とすることを決意し、政策の強化拡大を示したとして、その3つの柱を説明されました。まず第1に、企業と連携した科学・技術・イノベーションを通じたSDGsを促進し、人間を中心に据えた社会の実現を図り、Society 5.0などによって、経済成長と社会課題の解決の双方を達成することをめざすこと、それと同時に、日本が共同議長を務めたSTIフォーラム(multi-stakeholder forum on science, technology and innovation)での議論を踏まえて、“SDGs for STI”の推進に主導的な役割を果たしていくこと。第2に、日本国内においてSDGsによる地方創生を促進するとともに、そうした地方の努力を世界に向けて伝えていくこと。第3に、SDGsの主要プレイヤーである女性と次世代のエンパワーメントを図るべく、保健や教育の分野での国際協力を強化すること。これらが3本柱で、2025年、大阪に万博を誘致し、その実現を図りたい、と岡本政務官は流暢な英語で述べておられました。2025年という年は、今からおよそ7年後、SDGsの達成期限となる2030年までにあと5年というときです。

 

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岡本政務官に続いて、吉村洋文・大阪市長がステージに立ち、万博の誘致、それを通じたSDGs、持続可能な未来社会の実現への貢献を訴えました。さらに、二宮雅也・経団連企業行動・CSR委員長もご挨拶され、Society 5.0を通じた経団連の取り組みを紹介するとともに、乾杯の音頭をとられました。大阪市長も二宮委員長も岡本政務官同様、雄弁な英語でのスピーチをなさっておられました。

 

ゲストの方々のスピーチの間に、SDGsの普及啓発に全社をあげて取り組む吉本興業に所属するKAMIYAMAさんが参加して、会場に設置されたステージで、「SDGs×大阪万博×パントマイム」というテーマでつくったオリジナルのパフォーマンスを披露しました。バーンスタイン作曲のラプソディー・イン・ブルーの音楽が会場に流れると、KAMIYAMAさんがステージに登場。パントマイムとマジックを融合させて創作したちょっと不思議でおしゃれなKAMIYAMAさんの世界が繰り広げられました。

  

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KAMIYAMAさん ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

最初はきょとんとしていた小さなお子さんたちもKAMIYAMAさんのパフォーマンスに次第に引き込まれていくのがわかりました。パフォーマンスの最後には、SDGsの17の目標をあらわすさまざまな色のカードで高く組みあげたお城がステージ中央に現れ、会場に華やかさが加わりました。

 

私はパフォーマンスを終えたKAMIYAMAさんにお話を伺ってみました。KAMIYAMAさんはとても謙虚なお人柄で、今回このレセプションで、SDGsをテーマに演技を披露できることをたいへん光栄に思います、とおっしゃっておられました。芸術家の故・岡本太郎さんが大好きで、その芸術作品におおいに触発されているというKAMIYAMAさんは今後、SDGsへの貢献をさらに考えるとともに、それに着想を得たパフォーマンスをもっと開発していきたいと意欲を示しておられました。

 

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ゲスト写真撮影©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

レセプションの後半では、ピカチュウも参加して、スピーチを終えた方々、そしてKAMIYAMAさんと全員一緒に写真撮影。そのあと、ピカチュウは会場に来られていたたくさんのお子さんたちと交流し、人気を集めていました。

 

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子どもたちに囲まれるピカチュウ ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

日本の官民一体となったSDGsへの取り組みを情報発信したレセプションは国連総会ロビーに集う人たちを笑顔にしていました。

 

環境省イベント 

翌17日(火)と18日(水)には、環境省が中心となって、今年のハイレベル政治フォーラムのテーマ別レビューの対象となった6つのゴールのうちの2つに焦点をあてたサイドイベントが行われていました。ゴール11(住み続けられるまちづくりを)に関連したサイドイベントとゴール12(つくる責任、つかう責任)をテーマにした2つの会議です。

 

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まず、ゴール11(住み続けられるまちづくりを)にフォーカスした会議が、17日(火)の午後6時半―8時に開かれました。「アジア太平洋地域における持続可能な都市に向けて("Toward Sustainable Cities in Asia-Pacific")」をタイトルに冠した会議でした。日本政府が国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)、国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)、地球環境戦略研究機関(IGS)、慶應大学SFCと共催しました。アジア太平洋地域の都市が直面する課題についての議論です。高橋康夫・環境省地球環境審議官が冒頭挨拶で、諸課題解決のために国を超えたパートナーシップの必要を訴え、慶応大学の蟹江教授が基調講演において、地方での諸行動が国およびグローバルな活動の成否のカギを握るとの旨を強調されていました。続くパネル・ディスカッションでは、国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)の竹本和彦所長がモデレーターを務め、そのなかで、内閣府岡本事務局次長が、日本における「地方創生SDGs官民連携プラットフォーム」発足などについて述べられていました。また、北九州市から北橋市長も参加し、同市が過去に公害を克服した歴史などの説明をされました。

  

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ゴール12にフォーカスしたサイドイベントは、18日(水)の午後6時半―8時に開催。日本政府が、インドネシア政府、タイ政府、国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)、アジア太平洋SCP円卓会議(APRSCP)、PECoP-Asia(環境研究総合推進費戦略研究S-16)、地球環境戦略研究機関(IGES)と共催した会議です。タイトルは、”SCP in Asia and the Pacific for Accelerated Achievement of SDGs”。前日のサイドイベントで冒頭挨拶を述べられた環境省の高橋地球環境審議官がここでは、日本のSCP(Sustainable Consumption and Production)に関連する国家戦略として、第5次環境基本計画、第4次循環基本計画を策定、実施することを通じて、取り組みを進めていることを紹介していました。また、国立環境研究所・主任研究員の田崎智宏さんも参加し、持続可能な消費と生産の取り組みを進めていくうえで、政策担当者が創造力を発揮することの必要を述べておられました。

 

インタビュー:星野大使

日本政府代表部のレセプションが行われた16日午後、私は国連本部近くにあるニューヨーク日本政府代表部をお訪ねして、星野俊也大使(次席常駐代表)にお話しをお伺いすることができました。

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星野俊也大使 ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

星野大使は 今年6月5日(火)~6日(水)にニューヨーク国連本部で開催された、「第3回STIフォーラム(the third annual multi-stakeholder forum on science, technology and innovation)」の共同議長を務められた方です。各国政府代表、科学者、イノベーター、テクノロジー専門家、ビジネスリーダー、起業家、市民社会組織代表など、多様なステークホルダーが参加し、持続可能な開発目標(SDGs)の実現を後押しする科学技術やイノベーションの役割を討議する場で、ハイレベル政治フォーラム(HLPF)を前に、毎年2日間の会期で開かれます。政府代表部のレセプションでのスピーチで岡本外務大臣政務官がその重要性を指摘したのがこのSTIフォーラムです。今年が3回目で、参加者数はこれまでを上回り、およそ1,000人に達したそうです。

 

日々超過密なスケジュールでお忙しいのにもかかわらず、星野大使はお優しい笑顔とゆったりした雰囲気で迎えてくださいました。

 

とても興味深いお話しをお聞きすることができましたので、ご紹介したいと思います。

 

星野大使は、まず、日本政府がその推進に努力する「人間の安全保障」の理念が持続可能な開発目標(SDGs)に反映されていることの意義にふれ、誰一人取り残さずに持続可能な世界を実現するためには、SDGsと人間の安全保障が「車の両輪」となっていくことが大切、とりわけ、「誰一人取り残されない」という目標を目指しながらも、恐怖や欠乏、尊厳の欠如のなかに取り残されていたり、取り残されかねない状況におかれていたりしている世界の人々を実際に保護し、潜在力を高める人間の安全保障のアプローチはこれからますます重要になると強調されました。

 

大使は、また、今後、人口知能(AI)をはじめとする最先端の科学技術がわたしたちの日常生活に入り込むなか、人間にしかできない役割や人間の存在理由そのものにかかわる根源的な問いかけにこたえていく視点としても人間の安全保障の理念が役立つのではないかと述べられました。

 

そして、SDGsについては、それが政治的な交渉を経て生まれた妥協の産物であることから不備がないわけではないわけではないにしても、幅広いステークホルダーを巻き込み、加盟国の間のハイレベルでの合意を通じて国際社会の共通の目標を設定するという国連ならではの外交の成果物としての正統性が最大の強みであり、それを最大限に活かすべきと指摘しておられました。かつてリンカーン米大統領ゲティスバーグ演説で、人民の人民による人民のための政治を訴えたが、今はまさにSDGsこそ、人々の、人々による、人々のための取組であると考えて、各国政府も自治体も民間セクターも市民一人ひとりも、全員参加で、SDGsを合言葉に共同して行動することが大切であると強調されました。

 

SDGsの実現に果たすビジネス界の大きな役割をさらに前進させるため、星野大使は、企業の方にお会いになるたびに、SDGsの目標やターゲットを自社の本業に取り込むこと、本業との接点がすぐに見えなければあえて結びつきを探るなかに新しいビジネスチャンスやイノベーションが見出されるはずとお話されるそうです。大使は、さらに、SDGsは2030年を当面のゴール年にしてはいますが、大切なのは2030年を超えた先の世界で人々が持続可能な生活を送れているかどうかだと述べ、わたしたちが2030年を超えた未来への思いを胸に現在の日々の暮らしや活動を見直し、必要な行動をとる意義を語ってくださいました。

気がつけば、あっという間に30分以上の時間が経っていました。貴重なお話しとともに、星野大使のあたたかく気さくなお人柄も強く印象に残った30分でした。
 

―――

今回のニューヨーク出張に際して、私は日本政府代表部の岸守一参事官(下写真)にとてもお世話になりました。
 

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日本政府代表部の岸守参事官  ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

岸守参事官は冷静かつ誠実にお話しになる方です。そして誰に対しても分け隔てなくお優しい方で、ニューヨークを訪れるのが初めてで、ひとり不安な私を昼食にお誘いくださったり、また代表部を恐縮するほどていねいに案内してくださったりしました。星野大使のお話しを伺うことができたのも岸守参事官のご配慮によるものでした。

 

日本政府代表部の報道官としてお忙しい日々を送っていらっしゃるはずなのにと思うと、感謝の念に堪えません。この場をお借りして、あらためて岸守参事官に深い謝意をお伝えしたいと思います。

 

次回のブログは、HLPFにおける日本の企業の情報発信に関する取材をお届けします。 

(参照)
第6回 ~ 国連ガイドツアーでSDGsの啓発促進
第5回 ~ SDGsを舞台裏で支える日本人国連職員たち
第4回 ~ HLPFでの日本の市民社会の情報発信、そしてインタビュー
第3回ブログ ~ HLPFでの日本企業、経団連の情報発信について
第1回ブログ ~ ニューヨーク国連本部でみたハイレベル政治フォーラム

 

国連ハイレベル政治フォーラム×SDGs×日本 【連載No. 1】

ニューヨーク国連本部でみたハイレベル政治フォーラム

 

こんにちは。国連広報センターの千葉です。

 

7月15日(日)から19日(木)まで、4日間の日程で、ニューヨーク国連本部に出張してきました。

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ダグハマーショルド図書館側から臨む国連事務局ビル ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

その目的は、同月9日(月)―18日(水)に国連本部で開催されていたハイレベル政治フォーラム(HLPF)と日本関連のイベントやSDGs達成のために汗を流す日本人の方がたを取材して日本のみなさまにお伝えすることでした。

 

昨年のHLPFは岸田外務大臣(当時)が出席してSDGs達成をめざす日本の取り組みを報告したり、日本政府からSDGs推進大使に任命された「ピコ太郎」さんがその開催期間にあわせて国連本部を訪れてSDGs風にアレンジしたPPAPのパーフォマンスを披露したりするなどして、メディアにもかなり取り上げられたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ちなみに、昨年は、国連連広報センター主催の「Spotlight SDGs展」が、ハイレベル政治フォーラム(HLPF)が始まる7月10日(月)から1カ月間開催され、「ピコ太郎」さんも見学に来られました(下写真)。

 

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でも、最近の電通の調査で、SDGsの認知度がわずかに15%前後であったことを考えれば、日本の全人口を分母とした場合、現時点で、政治という言葉を含み、すこし堅苦しさのある名称のイベントをよく知っているという方は決してそう多くはいらっしゃらないのではないかなと思います。

 

そこで今回はまず、ハイレベル政治フォーラム(HLPF)そのものについて簡単にご説明し、その後、次回から数回にわたって、HLPFを起点とする日本関連のイベントと私が出会った素敵な日本人の方がたを政府、ビジネス、NGOなどセクターごとにご紹介してまいりたいと思います。

 

多くの方にHLPFに関心をもっていただくきっかけとしていただければ幸いです。

 

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ハイレベル政治フォーラム閣僚会合 ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

ハイレベル政治フォーラム(High-level Political Forum = HLPF)とは、一言で申し上げれば、グローバルなレベルで、2030アジェンダSDGsのレビューとフォローアップを行う場です。HLPFで、世界の国々がSDGsの達成をめざすべく、さまざまなステークホルダーの関与のもとに、進捗状況を報告して経験を共有したり、SDGsを目標ごとにレビューしたりするのです。

 

その開催期間中には、市民社会やビジネスなどから、たくさんの方々がニューヨークに参集します。

 

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冒頭セッションは参加者が限定され、信託統治理事会議場で傍聴 ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

ハイレベル政治フォーラムとは ー VNRs、MGoSって何?

 

ハイレベル政治フォーラム(HLPF)という名称からだけでは、SDGsとの連関を類推することは困難かもしれませんが、その前身は、国連経済社会理事会の機能委員会のひとつ、53か国構成の持続可能開発委員会(CSD)です。それは、1992年の地球サミットをフォローアップすべく、持続可能な開発という新しいコンセプトに関する初の画期的な国連機関として設置されたものでした。主要グループなどの幅広い参加を可能にしたことなど、目に見える成果をあげてきた委員会でしたが、そのうちに持続可能な開発の3側面を代表する人々が幅広く集まるというよりも、環境分野の人々が集う「環境委員会」として認識されるようになってしまったということなども指摘され、20年後の2012年には、CSDに代わって、全加盟国が参加する、より実効的でより高い政治レベルのフォーラムへと格上げして設置されました。その後、2015年には、前述のフォローアップとレビューのため、各国が自国の取り組みについて、グローバルな場で自発的に報告するVoluntary National Reviews =VNRsというしくみをつくるなどして今にいたっています。日本が昨年、自国の取り組みを報告したメカニズムこそ、このVNRsです。

 

HLPFは毎年、経済社会理事会のもとに開催されますが、4年に一度は、国連総会のもとに首脳レベルでも開催されます。そこが、HLPFがHLPFたる所以なのですが、HLPFは単に経済社会理事会のもとの機能委員会の一つとしてつくられたCSDとは違うのです。来年がこの4年に一度の年であり、経済社会理事会と総会という国連の2つの主要機関のもとで、それぞれ7月、9月に開催されることになります(会期はそれぞれ8日間と2日間)。来年は、日本は首脳級のHLPFを見据えて、自国の取り組み状況の確認と見直しを実施するということがSDGs推進本部の実施指針にも明記されており、世界と日本の取り組みにおいて、注目の年と言えるでしょう。

 

さて、今年のHLPFは、「持続可能でレジリエントな社会への変容」というテーマのもと、7月9日(月)~18日(水)に開催されました。参加者の総数は、市民社会やビジネス界、その他のステークホルダーからおよそ2,200人(政府首脳、閣僚が125人)に上りました。

 

前半の9日(月)~13日(金)はテーマ別レビュー。今年のテーマ別レビューで、フォーカスをあてて扱った目標は、6(安全な水とトイレを世界中に)、7(エネルギーをみんなに、そしてクリーンに)、11(住み続けられるまちづくりを)、12(つくる責任つかう責任)、15(陸の豊かさも守ろう)、17(パートナーシップで目標を達成しよう)でした。

 

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エクアドルキリバスリトアニア、マリのVNR ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

私が出張した16日(月)~18日(水)の3日間が閣僚レベル会合で、前述のVNRsが行われていました。VNRsについては毎年、次第に参加国が増えており、今年は46カ国がVNRsに臨みました。これは第1回(2016)の22カ国の約3倍。VNRsに臨んだ国は今年で110か国を超えました。2030アジェンダの基本的な原則はプロセスが参加型で包摂的であることですが、VNRsはまさにパートナーシップを体現する場で、MGoS(主要グループとその他のステークホルダー)も参加して、成功、課題、教訓といった経験を共有します。

**MGoSとは、Major Groups and other Stakeholdersの頭辞語です。1992年で採択された「Agenda 21」が、社会の9つのセクター(女性、子ども/若者、先住民、NGO地方自治体、労働者/労働組合、ビジネス/産業、科学技術界、農業従事者)を主要グループとして、持続可能な開発に関連する国連活動への広範な人々の参加の促進を謳いました。現在、その他のステークホルダーが加えられ、MGoSと呼ばれるようになっています。政府間プロセスにおけるMGoSの参加の様態を決めるのは加盟国です。

私がみたVNRs初日の16日(月)はエクアドルキリバスリトアニア、マリなどの国がパネル方式で、ギニアギリシャ、メキシコ、アラブ首長国連邦が個別方式で、報告を行い、他国やMGoSなどからのさまざまな質問に答えていました。
 

昨年に自主的な報告を行った日本は今年、このVNRに臨む国のなかに入っていませんでしたが、現地では、日本の政府、ビジネス、市民社会の方々がサイドイベントやレセプションを催したり、そこに登壇して、それぞれ情報発信し、あるいはそれらに参加して、各国の取り組みに学んだりされていました。

 

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SDGメディアゾーン  ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

フォーラム期間中を通じて開催されたスペシャル・イベントは全部で8つ、サイドイベントは昨年より4割増えて260件です。スペシャル・イベントは、世界の企業の代表たちが集まる「ビジネスフォーラム」や、世界の市長たちが集まる「地方・地域政府フォーラム」(今回初開催)など。サイドイベントは多種多様で、国連広報局もSDGメディアゾーンを設置して、16日(月)と17日(火)の二日間にわたって、NGOや企業の代表者、著名人などのインタビューを生中継していました。HLPFは、まさに年に1度のSDGsに関するグローバルな祭典といえるものだと感じました。

 

SDGsの達成に欠かせないビジネスの役割

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ビジネスフォーラム ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

ハイレベル政治フォーラム(HLPF)の開催中、もっとも強く印象に残ったことのひとつは、ビジネスフォーラムとそこに参集していた多くの企業のプレゼンスでした。ビジネスフォーラムとは、SDGsのレビューを行うハイレベル政治フォーラム(HLPF)の期間中、同フォーラムと並行して開かれ、世界の企業や政府、国連などを代表する人々が登壇して、官民一緒になって、丸一日、2030アジェンダ/SDGsについて議論する場です。国際商工会議所(ICC)、国連経済社会局(UN-DESA)、国連グローバルコンパクトの共催です。2016年にはじまって今年が3回目。今年は7月17日(火)に開かれました。国連事務局から副事務総長、経済社会問題担当事務次長、経済社会理事会から議長がそろって出席していることからも重要な位置づけのイベントであることがわかります。ちなみに、ビジネスフォーラムが開催された会場は経済社会理事会議場でした。世界各地からビジネスフォーラムに集う企業の方々を見ていると、あらためてSDGsの達成においては企業の役割が死活的に重要であることを思うともに、企業にとっても今後の企業活動においてSDGsを本業に深く組み入れていくことが不可欠になっているのだということをつよく実感しました。

 

HLPFの最終日には、政治的に交渉された閣僚宣言が採択されましたが、採択の直前には、グテーレス事務総長が演説し、多国間主義こそが、私たちが直面している複雑で互いに絡み合った長期的課題に立ち向かうための唯一の方法である、と訴えていました。

 

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ハイレベル政治フォーラム最終日、事務総長演説 ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

日本を含めてHLPFに参加した国々による採決に付された閣僚宣言は、賛成164、反対2(米国、イスラエル)、棄権0という圧倒的な賛成多数で採択されました。私の座った傍聴席には、全会一致とならなかったことを残念に思っている人が多くいましたが、議長が壇上から閣僚宣言の採択を告げると、会場全体から大きな拍手が沸き起こりました。31のパラグラフで構成される宣言は、持続可能な開発のための2030アジェンダの実効的な履行に取り組んでいくことをあらためて確認していました。

 

今年の閣僚宣言全文

 

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閣僚宣言は賛成164、反対2、棄権0で採択された ©UNIC Tokyo/Kiyoshi Chiba

 

"このままのペースでは間に合わない"

 

経済社会理事会の議長が今年のHLPF総括サマリーを発出していますが、それによれば、今年のHLPFでは、SDGsに対するコミットメントが強くなっていることが明確でした。多くの国々において、SDGsがその国の開発計画や戦略に組み込まれ、2030アジェンダ、パリ協定、仙台枠組み、アディスアベバ行動計画などとの一貫性を図る努力がなされ、SDGsのゴールとターゲットに関連する多くの分野で進展があったのです。しかし、同時にまた、数々の前向きな傾向にもかかわらず、SDGs達成に向けた道のりはまだ長いという、SDGs進捗状況に関する事務総長報告が発したメッセージはそのまま今年のHLPFの重要なメッセージともなったようです。誰一人として取り残さないための取り組みが順調に進んでいるとは決して言えず、とくに、極度の貧しさに喘ぐ人たちは、不平等の拡大、技術発展の負の影響、気候変動などによって、さらに取り残されているのです。

 

今回、私がハイレベル政治フォーラム(HLPF)に実際に参加して各所で強く感じたのも、SDGsの達成に向けてこのままのペースでは間に合わない、急がなければならない、という雰囲気でした。

 

次回は、HLPFにおける日本政府のイベントやインタビューをお届けします。

(参照)
第6回 ~ 国連ガイドツアーでSDGsの啓発促進
第5回 ~ SDGsを舞台裏で支える日本人国連職員たち 
第4回 ~ HLPFでの日本の市民社会の情報発信、そしてインタビュー
第3回 ~ HLPFでの日本企業、経団連の情報発信について
第2回 ~ HLPFでの日本政府の情報発信取材と星野大使インタビュー

女性と女児に対する暴力を「自分ごと」でとらえるために

 

女性と女児に対する暴力。

自分の身近で起こっているかもしれない、そう思ったことはありますか。

 

身体的暴力や心理的暴力、セクシャルハラスメントなどを思い浮かべるでしょうか。

実は、人身売買や児童婚、女性器切除などの文化的慣習も「暴力」に含まれます。

 

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国連平和維持要員に救出された少女(紛争中に13歳でレイプされ妊娠)とその赤ちゃん ©UN Photo/ Eskinder Debebe

 

今年は世界人権宣言70周年。

そして、6月19日は国連総会で制定された「紛争下の性的暴力根絶のための国際デー」。

 

これに合わせて、国連広報センターと駐日欧州連合EU)代表部は6月19日、国内外の女性と女児に対する暴力撤廃に関するハイレベル・セミナーを開催し、世界、日本、そして欧州それぞれの視点から国内外の女性と女児に対する暴力について考えました。

プログラムやパネリストの詳細は、こちらをご覧ください。

 

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セミナーの冒頭には、プラミラ・パッテン 紛争下の性的暴力担当国連事務総長特別代表(ビデオメッセージ)、ダーク・ヘベカー 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表、そしてヴィオレル・イスティチョアイア=ブドゥラ 駐日EU大使によるスピーチがあり、ジェンダーにもとづく暴力は基本的人権の侵害であり、ジェンダーの平等や女性のエンパワーメントを掲げるSDGsや人権など普遍的価値のもと、早急に包括的なアプローチを取ることの重要性を訴えました。

 

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(左から)パッテン 事務総長特別代表(ビデオメッセージ)、ヘベカー UNHCR駐日代表、そしてイスティチョアイア=ブドゥラ EU大使 ©UNIC

 

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続くパネルディスカッションでは、日本政府やEU代表部、国連機関、企業のパネリストが、女性と女児への暴力に対する各分野からのアプローチについて、点と線でつなぐように活発な議論を交わしました。

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パネルディスカッションのモデレーターを務める、根本かおる 国連広報センター所長 ©UNIC

 

パネルディスカッションの冒頭にまず、立教大学大学院教授・難民を助ける会(AAR Japan)理事長の長 有紀枝さんが、紛争の現場で見た性暴力サバイバーについて話しました。

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南スーダン難民の少女を紹介する長さん ©UNIC


特に、長さんがウガンダで出会った、軍の兵士にレイプされた14歳の女の子、ローダさんの言葉が重く響きました。

 

「レイプで生まれたこの子を育てる以外に私に何ができますか」

 

紛争下の暴力を、遠くのどこかで起こっていることだと、つい思ってしまうけれど

「向こう側にいるのは私だったかもしれない」

そういう意識を持つことがはじめの一歩になるのだ、というメッセージは

心に訴えるものがありました。

 

***

 


「なぜ、性暴力はいけないことなのか?」

 

この根本的な問いを投げかけたのは、UN Women日本事務所の石川 雅恵さんです。

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石川 雅恵 UN Women 日本事務所 所長 ©UNIC


「女性であるから」「暴力を受ける」。

 

これはジェンダー平等と人権という普遍的価値に反する、二重の侵害なのです。

さらに、こうした「暴力」による社会的な損失は世界全体で150兆円に上る、という衝撃的な事実があります。

ジェンダーに基づくあらゆる暴力の根絶には、社会全体で取り組まなければならない、
ということを改めて実感しました。

 

***


では、女性と女児に対する暴力に対して、実際にどのようなアプローチが取られているのでしょうか。

 

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たとえば、スポットライト・イニチアチブ

国連とEUが一緒に、女性と女児に対する暴力という、隅に追いやられがちな問題にスポットライトを当てて、皆で取り組むことを目指しています。

  

そして、HeForShe

ジェンダー平等は女性だけで達成できるものではありません。

「男性100人のうち99人は女性のことを思って声を上げてくれるのではないか」

そんな考えのもと、男性もジェンダー平等への変革の主体となってもらおう、と2014年にUN womenが始めた社会全体を巻き込むキャンペーンです。

 

  

***


紛争下での性的暴力は、しばしば女性を傷つけるだけでなく、家族や地域社会を引き裂く「武器」として用いられます。現在では、国際法上の犯罪やジェノサイドをも構成しうるとの判断が下されています。

すなわち、性的暴力は平和構築や安全保障に深く関わる重大な問題なのです。

国連安全保障理事会は、2000年に紛争下でのジェンダーにもとづく暴力を撤廃することを決議し、国連総会も2006年に女性に対するあらゆる暴力の撤廃を決議し、この問題に国際社会が体系的・包括的に取り組む決意を打ち出しました。

 

EUも、性的暴力を平和と安全保障と結び付け、またジェンダー平等と人権を普遍的価値と捉え、性的暴力の撤廃に向けて取り組んでいます。

EU代表部のファビアン・フィエスキさんが紹介したのは、EUの 共通安全保障・防衛政策(CSDP)です。

CSDPでは、平和構築や紛争予防、仲裁支援を通して、性的暴力の被害者のカウンセリング支援や児童婚の撤廃に取り組んでいます。

 

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ファビアン・フィエスキ 駐日EU代表部政治部 部長 ©UNIC

その経験から、世界中のあらゆる性的暴力を撤廃しなければならないこと、またそのためには予算や制度を整えることが重要だと強調しました。


***

 

日本でも、女性と平和・安全保障の関連に注目が集まっています。

外務省 総合外交政策局 女性参画推進室 室長である北郷 恭子さんが紹介したのが、国際女性会議 WAW!  です。

2014年から毎年、女性と平和・安全保障をテーマの1つにしています。

「女性が保護されるべき存在としてだけでなく、平和を築く主体となる」

その考えのもと、日本政府は、紛争下での性的暴力をなくすために、被害者支援や、性的暴力をきちんと裁くための法制度整備などの支援をアフリカなどで行っています。

 

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WAW!の紹介をする外務省の北郷さん ©UNIC

また、安保理決議1325 に基づいて策定された日本の行動計画では、紛争後の地域社会の再建などの取り組みを自然災害への対応に活かし、避難所や防災計画の意思決定に女性の視点を取り入れることを盛り込みました。

 

国外で起こっていることを「自分ごと」として考える意識を持とう。

そんな思いを胸に刻みました。


***


女性に対する暴力撤廃を目指す取り組みでは、国際機関や政府だけではなく、企業も重要な役割を担っています。

複数の会社を経営する佐々木 かをりさんは、ビジネスの観点から女性のエンパワーメントを目指し、国際女性ビジネス会議ダイバーシティの「見える化」に取り組んでいます。

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佐々木 かをり ユニカルインターナショナル、イー・ウーマン代表取締役社長 国際女性ビジネス会議 実行委員長 ©UNIC

佐々木さんが大切にしていることは、

頭であれこれ考えて理解するよりも、多くの人に出会い多様性に触れて、「肌で感じる」こと。


これに対して、EU代表部のファビアン・フィエスキさんは、

「女性の権利は、子どもの権利に比べてコンセンサスを得るのが難しい。なぜなら、小さい頃は誰もが子どもだったけれど、女性であることは男性が直接経験できないことから。」

と、多様性を肌で感じることは、違う立場で物事を考え、女性の権利への理解を促すのではないか、と呼応しました。

 

身近なところで個人一人ひとりの意識を変えていくことは、民間セクターが一緒に取り組んでこそ実現できるのだと感じました。


***

 

ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社 取締役 人事総務本部長の島田 由香さんは、グローバル企業でのダイバーシティ経営について紹介しました。

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25個のアイコンから成るユニリーバのロゴを説明する島田さん ©UNIC

 

ユニリーバが企業行動原則で大切にしていること、それは「尊重、尊敬」です。

自分が尊重されていないと感じたら、それを自由に伝えられる。

また、通報者を守りながら調査し、二度と同じことが起きないようにする、そんなシステムが整っています。

 

その背景にある大切な価値が「be yourself」

「自分らしくある」ためには、まず「自分が『自分』であるということを受け入れる」。

社員から、その子どもたちへ、そして多くの企業が一緒に取り組むことで「be yourself」の輪を広げ、社会全体を変えられるのではないか。

 

一見すると性的暴力の撤廃と遠い存在かもしれないけれど、企業が果たす役割は決して小さくなく、ビジネスの面からもグローバルに変化を促せるという強い思いが、ひしひしと伝わってきました。


***

 

セミナーの最後には、上川 陽子法務大臣が閉会の言葉を述べました。

女性の人権尊重と女性が活躍する社会の実現という2つの視点から性的暴力の根絶に取り組んできたことや、女性や女児に対する暴力の根絶につながる法務省の施策として、性犯罪対策の推進や小中学生に対するSOSミニレターの配布などの取り組みを紹介しました。

法の支配の担い手として、女性や女児に対する暴力の根絶、そして誰一人取り残さない包摂的な社会を実現する、という法務省の強い決意が表明され、セミナーは幕を閉じました。

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上川 陽子 法務大臣 ©UNIC

 

***

 

女性と女児に対する暴力が、自分の身近に起こっているかもしれない。

紛争下の性的暴力も、向こう側にいたのは自分だったかもしれない。

 

そんな、ジェンダーにもとづく暴力を「自分ごと」としてとらえる意識を持つ、

そして女性も男性も加害・被害者の関係を超えて、変革の主体として、

国際機関や各国政府、企業、個人それぞれが自分の足元から、

性的暴力の根絶へ、共に歩んでいく。

 

 

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女性に対する暴力撤廃の国際デーに演説するグテーレス国連事務総長 ©2017 UN Photo

アントニオ・グテーレス国連事務総長は、性的暴力を絶対に許さないこと( zero-tolerance )を強く訴えています。 

 

今回のセミナーは、国連の重要課題である「女性と女児に対する暴力」について各界で活躍する方々の意見を聞く、大変有意義な機会となりました。

個人的にもその思いを強く確かなものとし、セミナーで学んだことを心に留めて、この課題に引き続き注目したいと考えています。

 

 ***

 

あなたも、社会を、そして世界を変える一人になりませんか。

 

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その一歩として、ご紹介したいのが世界人権宣言70周年のビデオ・キャンペーンです。

セミナー会場でもキャンペーンの撮影ブースを設け、多くの方にご参加いただきました。

人権について考え、その理念を世界に広める一歩はこちらから↓

http://www.unic.or.jp/news_press/info/24523/

 

 (インターン 布施)

 

 

 

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.6】

連載第6回・最終回 顔の見える支援で日本とパレスチナが繋がる

 中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。

イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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2018年3月13日、1,000人以上のパレスチナ難民の子どもたちがガザ地区のハンユニスの職業訓練所に集まり、日本とパレスチナの連帯を祝して凧揚げを実施。2011年の東日本大震災以降、毎年この凧揚げが実施されている © 2018 UNRWA Photo by Rushdi Sarraj

 

日本とパレスチナ、対等のパートナーとして信頼を醸成

今回の視察では、UNRWAの活動を中心に日本からのパレスチナ難民に対する大小様々な支援を見てきました。その中で気づいたのは、一つひとつの支援に魂を注ぐためには、対等なパートナーとして支援される側とする側が信頼を醸成していくことが必要だということです。日本は政府、JICA、市民団体など幅広いレベルで様々なアクターがパレスチナ支援を行っています。私がこの視察で感じる限り、関わる人々は支援される側の複雑な気持ちや深刻な状況を把握し、きめ細かくサポートしていました。欧米のようにパレスチナの歴史に直接的に関わった経験は日本にはありません。その意味でより中立的な立場でパレスチナに関わることができるのは支援するうえで利点になるかもしれません。しかし、現場を視察してみると、パレスチナ難民に日本からの支援が継続的に高く評価され、感謝されている所以は、支援に関わっている日本人がパレスチナ難民を対等のパートナーとして応援しているからだと気づきました。

 

ガザの空高く舞う凧、日本とパレスチナの連帯の象徴

日本とガザとの強い絆を表すものとして、毎年3月にガザ南部のハンユニスで行われている凧揚げがあります。これは、2011年の東日本大震災の犠牲者を追悼し、被災地の復興を祈るために、2012年から毎年3月にUNRWAが催しているものです。今年も3月13日、1,000人以上のUNRWAの学校に通う難民が参加しました。「今年になってガザの状況が悪化したので、凧揚げは中止かと心配していましたが、先生がこれまで通り実施すると言ったのでとっても嬉しかったです。地震津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市の高校生ともインターネットで交流しました。釜石もガザもつらい経験をして、共通点があります。」と、凧揚げに参加したUNRWAアルアマル女子中学校のラマ・シャクーラさん(12歳)は日本と日本の人々への感謝や日本とガザの連帯について語っています。(UNRWA記事資料より)

ガザと釜石市との交流は、2015年11月、ハンユニスのUNRWA 女子中学校のラーウィア校長と3名の難民生徒が訪日した際に深まりました。(連載第2回 パレスチナ難民の子どもたちの未来を切り開く「教育」を参照)

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2015年11月、ガザから訪日したラーウィア校長(右端)と3名の中学生はピエール・クレヘンビュールUNRWA事務局長(右から3人目)と清田保健局長(右から2人目)と共に野田武則釜石市長(右から5人目)を表敬した。© 2015 UNRWA Photo

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ラーウィア校長(中央)と生徒たち。ハンユニスのUNRWAの女子中学校で ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

幾度の戦闘を経験しているガザの人々は、地震津波の甚大な被害を受けた日本の痛みがわかるのでしょう。これだけ多くの難民の子どもたちが参加する凧揚げが毎年実施されていることは、日本の人々にどれだけ知られているでしょうか。支援する側の日本がいつの間にかガザの人々に心配され、熱い声援を受けているのです。人と人との繋がりから生まれたこの絆は、今後も大切に育んでいかなければならないと強く感じました。

 

日本人職員の存在で、絆がより確かなものに

実は日本とガザの交流の実現には、一人の日本人女性の活躍がありました。当時、特定非営利活動法人 日本リザルツの職員として釜石でガザとの交流プロジェクトを担当しており、現在はUNRWAガザ事務所の渉外・プロジェクト調整官を務める吉田美紀さんです。彼女は2016年にJPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)としてUNRWAガザ事務所に入り、今年4月にJPO終了後、UNRWAの正規職員として引き続きガザで勤務しています。吉田調整官は、ガザに駐在する唯一の日本人です。今回の私のガザにおけるUNRWA活動の視察は、彼女の協力なしには実現しませんでした。

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吉田美紀UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官。「Gaza Japan 2018」と記された今年の凧揚げ用の帽子をかぶって ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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ハンユニスの凧揚げでの吉波佐希子UNRWA 上席渉外・プロジェクト担当官(中央)とサングラスをかけたラーウィア校長。今回のヨルダン川西岸地区での視察では、吉波上席渉外・プロジェクト担当官にお世話になった ©UNRWA Sachiko Yoshinami

 

パレスチナ難民のアイデンティティーである伝統刺繍へのきめ細かい支援

パレスチナと聞くと度重なる紛争で悲惨なイメージがつきまといがちですが、難民女性たちは70年という長い間、自分たちの文化をさび付かせないよう大切に育んでいます。その一例がパレスチナ刺繍です。今回の旅でパレスチナ刺繍を用いて素晴らしい作品を生み出している難民女性に多く出会いました。そこには、支援を惜しまない日本人の存在がありました。

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刺繍グループが自宅で作ってきた刺繍作品を点検するJVCエルサレム事務所の山村さんと刺繍グループのコーディネーターのマナールさん ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

イエス・キリストの生誕地ベツレヘム近くにあるUNRWA のベイト・ジブリン キャンプでは、難民女性のグループが刺繍をして生活の一助にしています。特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター(JVC)は、ここでの刺繍プロジェクトに開始当初から関わっており、刺繍作品の数々はJVCを通して日本で販売されています。

「日本で販売するには高い質を維持することが求められます。大きなものは値段がはるので小物を多く作るよう提案しています。色やデザインも日本人の好みに合わせてもらっています。作り手もそれなりに自負があるので、素直に私たちのアドバイスを聞いてくれるとは限りません」と、JVCエルサレム事務所の現地代表を務める山村順子さんはプロジェクトの苦労を語ってくれました。山村さんは頻繁に難民キャンプの女性グループを訪ね、今では自分のお母さんほどの年齢になる女性たちを前に時には厳しいことも言える間柄になっています。「競争が激しい日本市場の現実を知ってもらうのは彼女たちのためになり、本当の支援となるはずです」、と対等のビジネスパートナーとして付き合うことの大切さを山村さんは強調しました。

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左からJVCエルサレム事務所の山村さん、刺繍グループのコーディネーターのマナールさん、メンバーのナフィーサさん、JVCインターンたち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

難民女性に話を聞いてみると、刺繍は単に収入源になるだけではなく、孤立しがちな彼女たちに生きる楽しみを与えているようでした。「夫は女性グループの刺繍で出かけると言うと、安心して外出を認めてくれるのよ」、「刺繍のために集まっておしゃべりをしていると、日ごろのつらいことも忘れるわ」など、手も口も忙しく動きます。コミュニケーションを上手く用いて日頃のストレスを解消するのはどうやら万国共通の女性の技のようです。

UNRWA直営の唯一のパレスチナ刺繍センターがガザにあります。UNRWAの創設直後に設けられたスラーファ刺繍センターです。このセンターの製品を日本で販売しているのが、滋賀県在住の北村記世実(きたむら きよみ)さんです。19年前、ガザでボランティア活動に参加した北村さんは、パレスチナ伝統工芸品の通販を通してガザの難民女性の自立を支援しようと2013年にパレスチナ・アマルを起業しました。「『パレスチナのモノでおしゃれを楽しむ』をコンセプトに、ガザの女性たちが自信と尊厳をもって人生を輝かせることができればと願っています」と、今ではオンライン販売の他に全国各地で展示や販売会も積極的に行っています。

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2018年4月にFM草津に出演し、刺繍を通したガザの難民女性への支援について語る北村さん ©パレスチナ・アマル Kiyomi Kitamura

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ガザのUNRWAスラーファ刺繍センターのブランドブック。北村さんによって作成されました ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

スラーファには18歳以上の約300名の難民女性が参加し、その中には夫を亡くした女性や離婚者も多く含まれます。「毎日6,7時間は刺繍に没頭して、嫌なことも忘れます。私の家族には失業した男性が何人もいて、ここでの儲けは貴重です。多くて一ヵ月200シェキル(6千円ほど)ですが、先月は薬代に使いました」と59歳のウンム・ファワードさんが作業の手を止めることなく話してくれました。「外に出る機会があまりない難民女性たちにとって、刺繍は自宅でできる数少ない収入を得る仕事です。加えて、パレスチナの伝統を守ることは自らのアイデンティティーを強め、自信を与えています」とスラーファの責任者、アイーシャさんが教えてくれました。

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ウンム・ファワードさんはスラーファでのベテランのひとり。仕事は誰よりも早く丁寧だと一目置かれている ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

国際協力機構(JICA )による大規模な支援

冒頭にあるようにガザでは毎年凧揚げが行われ、日本からの支援に対する感謝と日本との連帯が表明されています。では具体的にどのような支援が行われているのでしょうか。ジェリコの農産加工団地(JAIP)というパレスチナ全体を支援するダイナミックなプロジェクトが動き出しています。これは日本政府の「平和と繁栄の回廊」構想の代表的な事業で、民間セクターの参加を促すことでパレスチナを含む地域の持続的な経済開発をめざしています。その実施を担っているのはJICAです。古代都市として有名であるジェリコ死海の近くに位置し、世界で最も標高の低い町です。4月でも40度を超える真夏日が続き、冬でもとても暖かく暮らしやすい場所です。2018年5月初め、パレスチナを訪問中の安倍晋三内閣総理大臣夫妻もJAIPを視察しました。

2018年5月現在、広大なJAIP の敷地内で37社のテナントが入居契約を済ませ,うち12社が稼働しています。若い女性起業家のラシャ・タリフィさんが、ナツメヤシから糖分を抽出してサプリメントにして販売するというビジネスのフル稼働に向けて準備をしていました。「乾燥したパレスチナの地でもよく育つナツメヤシに着目しました。昨今、ナツメヤシはミネラルが豊富で健康食品として人気があるんです」と、自らのビジネスの展望について熱く語りました。

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ナツメヤシから糖分を抽出する機械を前に自らのビジネスについて語るタリフィさん ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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ナッツ販売を企画するテナントが導入したパッキング用の機械。パレスチナのでは生活習慣病予防のため、ナッツの摂取が推奨されている。JICAパレスチナ事務所の平田知美さん(左)がパッキングの出来具合をチェックする ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 日本の支援は農産加工品を通した経済支援にとどまらず、JAIPを含む周辺地域から出る汚水処理のための下水道施設の建設にも及んでいます。「ここ西岸地区には、下水道施設が整備されていないところが少なくありません。多くの家庭では、汚水は各家庭の敷地にある浸透槽に貯められます。しかし、未処理のまま地下に浸透するので地下水が汚染されてしまいます。ご存知のように降水量が極めて少ないジェリコにとって、地下水は私たちの生活に不可欠です。この下水道施設のおかげで地下水の汚染が抑えられます」と、この施設の主任オムラン・カラフさんが説明してくれました。

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下水道処理施設が2016年に完成。左から本プロジェクト担当のJICAパレスチナ事務所の千葉真梨子さん、妹尾、本施設の主任カラフさん、UNRWA パレスチナ西岸地区事務所の安藤 秀行(あんどう ひでゆき)オペレーションサポート・オフィサー ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 カラフさんの案内で下水施設の屋上に行くと、処理されてきれいになった水が農業用水に使われ、周辺にはこれまで存在していなかった緑が広がっていました。

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下水施設と周辺の広がる緑地 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

難民の日々の生活の中でひときわ目立っているJICAの支援があります。JICAが2010年にパレスチナで導入したアラビア語版の母子手帳です。年間約9万人生まれるというパレスチナ難民の子どもたち全員に提供され、母子の健康管理に貢献しています。その後JICAはUNRWAと共にこの母子健康手帳の電子化に取り組み,2017年4月にスマートフォンのアプリケーションとしてヨルダンで配信が開始されました。この電子版母子手帳は、より多くのパレスチナ難民家庭の健康を守るため今後さらに普及される予定です。

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JICAが導入したアラビア語母子手帳を大切に持つ子ども。日本の支援で建てられたガザ南部のハンユニスの「ジャパニーズ・クリニック」で ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

日本からの支援、人と人の繋がりで質の高いものに

日本のパレスチナ難民への支援の礎には、長い年月を経て培ってきた人と人との信頼関係があります。言いにくいことでもはっきりと物申す方が受益者のためになる、ということを現場ではよく耳にしました。風通しの良い現場には、そのような人間関係が必ずあることに気づきました。 パレスチナ難民にとってこの70年という月日は、私たちの想像を絶する試練の日々であり、「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史だと言ってよいでしょう。パレスチナの政治的解決は楽観できるものではなく、昨今、ますます多くの難民たちが貧しさに苦しみ、数々の問題を抱えながら暮らしています。そんな難民に少しでも元気を与えるものとして、遠い日本からの人と人を繋ぐ支援があります。そのような質の高い心のこもった支援が、今後も引き続きパレスチナ難民のもとに届くことが期待されています。そのためには一人でも多くの日本の方々に現場の支援活動、支援を受ける難民たち、そして支援をし続ける日本の人々について知ってもらいたいと強く感じました。

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今回の視察に協力してくれたUNRWAガザ事務所の職員。左から3人目は、吉田美紀UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官。ホンムス(ひよこ豆のペースト)、ムタッバラ(焼きナスのペースト)、ファラフェル( ひよこ豆のコロッケ)など典型的なパレスチナの家庭料理で視察最後の日、朝食を共にした ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa

UNRWAパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。

 

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本シリーズの以下のブログも是非ご覧ください。

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.5】

連載第5回  豊かな発想と創造力で逆境を生き抜く若者たち

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。

イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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エルサレム全景 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


日本発のビジネス・コンテストが発掘したガザの若手女性起業家たち

ガザに行ったら是非再会を果たしたい、と願っていたのが自らの専門知識で地域住民の生活レベル・アップに努めるマジド・マシュハラウィさんとアマル・アブモアイリクさんという若手女性起業家です。マジドさんは、ジャパン・ガザ・イノベーション・チャレンジ ( Japan Gaza Innovation Challenge、通称、「ガザビジ」 )が主催するビジネス・コンテストで2016年に優勝を勝ち取りました。準優勝はアマルさんでした。

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ジャパン・ガザ・イノベーション・チャレンジの2016年ビジネス・コンテストの表彰式。賞状を持って写る優勝者のマジドさん(左)と準優勝のアマルさん(右) ©SKETCH Engineering

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2017年春、吉田美紀UNRWAガザ事務所の渉外・プロジェクト調整官(中央)の案内でマジドさん(右)とアマルさん(左)は訪日し、東京スカイツリーを見学 ©UNRWA Miki Yoshida

ガザビジは日本の有志がUNRWAとの協力によって始め、ビジネスを通してガザに未来をつくることを目標にしています。2017年春、私はガザビジの招きで訪日していたこれら二名のパレスチナ女性起業家による報告会に参加し、迫力あるプレゼンテーションに感銘を受けました。今回のガザ出張中にマジドさんとアマルさんとの再会が約一年ぶりに実現しました。


女性の視点でビジネス・チャンスをつかむ

保守的な考えがまだまだ蔓延するガザという土地で、女性が発想と創造力で大勢の男性候補者を押さえて一位と二位を勝ち取ったのです。ガザビジでの受賞後、二人はビジネスをさらに発展させ、海外でも賞を取るほど認められてきています。実際、アイディアをビジネスにまで発展させる彼女たちの努力は並大抵のものではなかったでしょう。社会的に意義のある新たな価値を生み出すことができたのは、人々の生活により近いところにいる女性ならではの目線で工夫を重ねてきたことだったと思います。

 

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セメントにガザで容易に入手できる焼却灰を混ぜて建築用の新種ブロックGreen Cakeを作っているマジドさん。©Green Cake

 

新種のエコブロック「Green Cake」で街を立て直す

土木工学が専門のマジドさんは、仲間と共に軽量、安価、強固で建設に耐えうる新種ブロック「Green Cake」を考案しました。実はこの「Green Cake」は、度重なる紛争によって破壊された建物の跡地から取り出した焼却灰をセメントに混ぜて作られています。この10年来イスラエルによって経済封鎖となっているガザには、コンクリートなどの建設資材が十分に入って来ず、コンクリート不足が起こっています。特に2014年のイスラエルとの紛争中には多くの建物が破壊され、住居を失った人々が移り住む建物の建築の需要が新たに生まれました。焼却灰に注目した「Green Cake」という新しいブロックの誕生には、このような背景があったのです。

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2014年の紛争で崩壊したガザの街 ©2014 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

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Green Cakeの製造現場を監督するマジドさん。受注もまずまずだとか。 ©Green Cake

こうした環境に配慮した取り組みが評価され、彼女は2017年末ドバイ首長国主催のEmirates Energy Award 2017においても銅賞を受賞しました。

 

専門性を生かして、ガザの電力不足の解消に取り組む

「Green Cake」に加え、マジドさんはSunBoxという別会社を立ち上げ、ガザの電力不足(私のガザ滞在中、送電時間は1日約2時間でした)の解消に向け、効率が悪い発電機に代わる太陽光発電キットを家庭用に開発しています。この取り組みは、MIT Enterprise Forum Pan Arab がオマーンで開催したコンテストの社会起業家部門で2位に輝きました。

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停電時にも勉強を可能にするSunBox ©SunBox Majd Mashharawi

海外でもその取り組みが高く評価されているマジドさん。でも常に考えているのは、身近な暮らしをいかに改善するかです。「ガザに戻ると厳しい現実に引き戻されます。自分にできることをこれからもやり続けます」と、久しぶりに両親と兄弟が待つガザに戻ったのも束の間、マジドさんの口からは次々と新しいアイディアが出てくるのでした。

 

ガザで停電対策を考案しているのはマジドさんだけではありません。機械工学を専攻したアマルさんも、2014年の紛争をきっかけにガーダ・マンシさんたち4名の友人たちと「スケッチ・エンジニアリング(SKETCH Engineering)」という会社を立ち上げ、貧困家庭の支援を行っている慈善団体に対して充電式の緊急照明システムの提供を行っています。事業開始からこれまでの3年間で、100戸以上にこの緊急照明システムが設置されました。現在、計19名の若者がこの事業に参加しており、ガザでの若者の雇用創出にも貢献しています。

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充電式の緊急照明システムを製作中。「スケッチ・エンジニアリング」創設メンバーアマルさん(左手前)とガーダ・マンシさん(右手前)。2017年の春、ガザビジはガーダさんとアマルさを一緒に日本に招待したが、ガーダさんにはイスラエルの許可が下りず、ガザを出ることはできなかった。©SKETCH Engineering

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地域の需要に敏感に反応する起業家たち

アマルさんが代表を務める「スケッチ・エンジニアリング」は、上述の電力の課題解決以外に、「スケッチ・ウィール(Sketch Wheel)」と名付けられた昇降用のキャリアー(重い物を運ぶカート)を開発しました。最大50キロまで運搬できる手動のキャリアーは小さな三つの車輪で動き、運搬業者から高齢者まで容易に使える製品です。幾度もの紛争の爪痕が残るガザでは、道路や建物にバリアフリーを求めるのには無理があります。アマルさんたちは、整備されていない道路やエレベーターが無いビルでの物資の運搬に人々が苦労している、という声に敏感に反応しこのキャリアーを考えました。

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アマルさん達が「スケッチ・ウィール」と名付けた昇降用のキャリアーは小型の三輪で動く。これによって様々な高さの階段で利用できる ©SKETCH Engineering

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日本の支援で開花するガザの若者のイノベーション精神

ガザ地区は、東京23区の3分の2ほどの大きさです。外部との人・物の出入りは厳しく制限され、住民は不足する物資と貧困にあえぎながら暮らしています。そのような場所で社会的変革を起こそうとする若者の先頭を走るマジドさんやアマルさんと話していて、何かのきっかけでふと彼女たちが現実に引き戻され、一瞬悲しそうな表情になるのに気づきました。彼女たちは夢を追いかける中で、自分たちが住むガザの厳しい状況を的確に把握し、自らの限界を感じているのかもしれません。けれども、「自分にできること」をモットーに地域を少しでも住みよい場所にしたいという試みを諦めることなくやり続けています。そんな姿は周囲を元気にしてくれます。さらに、日本の若者が立ち上げたガザビジによるコンテストは、マジドさんやアマルさんのようなイノベーション精神が旺盛なガザの若者の背中を押しています。今後のコンテストにおいても、たくさんの起業家の卵がこの地から産まれることが期待されます。


アリーさん、エルサレムからジャーナリストとして世界に発信

若者たちが創造力を駆使して厳しい現状を打破しようとしているのは、ガザに限ったことではありません。社会貢献を目指して自らの持つ力を十二分に発揮しようとする若いパレスチナ人が東エルサレムにいます。

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今後の抱負を語るアリーさん。東エルサレムで ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アントニオ・グテーレス国連事務総長の正面に座るアリーさん。2017年11月に国連本部で開催されたパレスチナ人ジャーナリストのための研修で ©UN Photo Eskinder Debebe

エルサレムでクリエイティブ・コンサルタントとして活躍するアリー・ガイスさんです。政府系から一般個人に至る顧客に対して、メディアとコミュニケーションを利用してビジネス戦略を提案することを仕事にしています。また、彼は国連広報局が毎年開催するパレスチナの若手ジャーナリストのための研修に昨年参加しました。この研修を修了して世界各地で活躍するパレスチナ人ジャーナリストは200人を超えます。「実は当時、いくつかの海外の企業から仕事のオファーがありました。しかし国連での研修後、東エルサレムに残ってパレスチナや自分たちのことをもっと世界に発信する必要性に気づき、ここエルサレムに残ることを決めました」と語るアリーさん。現在、国連研修の同窓生15名とパレスチナのジャーナリズムの活性化を進めているそうで、UNRWAの「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa )のより効果的な広報についても、同窓会の今後の課題として取り組む予定だと話していました。また、別の企画として、アートや文学を通してパレスチナの若者が自らを表現できるようなプラットフォームづくりを西岸のヘブロンで考えています。

 

一個人として、現在のパレスチナ難民の置かれている状況についてできることは限られていますが、このような若者の取り組みに理解を示し、できる限り世界に発信することで国際社会の中での応援者を増やしていくことが大切な一歩ではないかなと感じました。皆さんも是非、パレスチナの若者の活動の今後に注目し続けてください。

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大雨の後の冷え込んだ日、自宅には暖房もなく通りで共に暖を取るガザの子どもたち ©2017 UNRWA Photo by Rushdi Sarraj

 

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa


UNRWAパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。
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【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.4】

連載第4回 障害を持つ難民を置き去りにしないために

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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点字を読む難民少女。ガザにある視覚障害者のためのリハビリセンター(RCVI)で    ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


障害を越えて一歩を踏み出す子どもたち 

難民というだけで、既に社会的に弱い立場に立たされる中、障害を持つ難民の子どもたちはどのような思いでいるのでしょうか。私は今回の視察の中で、障害を持つパレスチナ難民の子どもたちに直接会って話を聞く機会を得ました。
まず訪れたのは、ガザで唯一の視覚障害を持つ子どもたちの学校として1962年に設立された視覚障害者のためのリハビリセンター、RCVIです。ここには4歳から12歳までの全盲の子どもたちが通う学校と幼稚園があり、約130名が在籍しています。また、これらの全盲の子どもたちのための学校と幼稚園とは別にRCVIは視覚障害のレベルに合わせて様々な教育支援とリハビリテーション・プログラムを提供しており、受益者の数は360名に上ります。

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ソーラーパネルをフル活用してガザのエネルギー危機に対応する視覚障害者のためのリハビリセンター(RCVI)。1980年代後半から1995年まで日本の立正佼成会の支援を受けていた。その後、1996年に日本政府の支援で校舎の建て替えが行われ現在に至る           © UNIC Tokyo Yasuko Senoo

先生が読み上げる文章を弾丸のごとく速くタイプしていたのは、全盲クラスの5年生のハーラさん(11歳)です。何事も諦めず、常に前向きな彼女はクラスでも人気者です。「帰宅後はまずは妹二人と遊びます。その後、点字で本を読んだり、点字タイプの練習をします。タイプはもっと上手くなりたいです」と、自宅でも熱心に勉強に取り組んでいる様子です。「私は人権に関心があるので、将来は弁護士になりたいです」と、ハーラさんは夢を語ってくれました。

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ハーラさんの特技は点字タイプ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

「ハーラさんの目の病状はこのところ悪化して、医師からは義眼にするよう言われています」と、自らも弱視のファラハート校長が教えてくれました。この手術を受けるには、ガザ地区を出て設備の整った医療機関に行く必要があるそうです。少女は周囲の心配をよそに、近い将来に目の手術を受けることができると信じて、前を向いて生きています。

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学校の校庭で夢を語るハーラさんを囲んで。左から校長先生、吉田UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官、妹尾 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

RCVIの幼稚園では視覚障害者の先生から点字タイピングの手ほどきを受ける女子児童がいました。残念ながらこの幼稚園は、昨今の UNRWA の財政の悪化により今年の8月で閉園してしまいます。幼稚園の運営は、そもそも初等教育を提供するというUNRWAに委任された権限に含まれていませんが、RCVIの幼稚園に関しては、これまでUNRWAの特別なプロジェクトとして特別予算で賄われてきました。幼稚園の閉園は、ガザのコミュニティー全体にショックを与えています。「ここで培った技能を生かしていかにスムーズに社会統合をしていくかが彼らの将来の鍵を握ります。視覚障害は早期介入が必要です。自分に自信を持つことは幼少期の教育で可能となることが多いので、その意味でも幼稚園の閉園はとても残念です」と、校長先生が教室を出る際にぽつりと呟きました。

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点字タイプを学ぶ幼稚園児。現在16名が通うこの幼稚園は2018年夏に閉園となる予定 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

障害を持つ難民が直面する厳しい現状

現在、世界人口の7人に1人にあたる約10億人が何らかの障害を持っていると言われています。UNRWAによると、パレスチナ難民の約15%が何かしらの障害を持っています。2006年に国連総会で障害者権利条約が採択されたことを受け、UNRWA においても2010年から障害者に関する政策を特別に設けることで、すべてのプログラムにおいて障害を持つ難民の尊厳と権利の保護・促進が強化されています。
しかし現状は厳しいものがあり、UNRWAによると占領地区(西岸地区とガザ地区)では、15歳以上の障害者の37.6%が学校に通った経験がなく、また全ての障害者の33.8%は学校を中退しており、53.1%は読み書きができません。特にガザ地区では、障害者が少なくとも1人いる家族は10%に上り、18歳以上の障害者で職に就いているのはわずか11%です。


社会の意識改革を通して、聴覚障害を持つ人々を支えるアトファルナ

ガザで「アトファルナ」のことを知らない人は珍しい、と聞くほど活動がコミュニティーに溶け込んでるアトファルナ(「 私たちの子どもたち」の意。ガザのNGO)という支援団体があります。「アトファルナは、ガザで聴覚障害者への支援を初めて手掛け、現在に至るまでこの分野でのリーダー的存在となっています。その資金は世界各地から集めています。1992年のアトファルナ創設以来、ずっと支援してくれている日本の市民団体があります」と、ナイーム・カバジャ所長はこの施設と特定非営利活動法人(認定NPO)パレスチナ子どものキャンペーン(CCP Japan)との長く密接な関係について語りました。


アトファルナでは、約300名の生徒が通うろう学校の運営の他に、聴力検査、補聴器の修理、言語療法、手話コース、職業訓練なども行われており、聴力障害を持つ子どもたちを支える包括的な社会づくりに貢献しています。「現在のような形で幼稚園から職業訓練まで、聴覚障害者に包括的な支援を提供するに至るまでには数々のハードルがあったんですよ」と、カバジャ所長は語りました。保守的な社会だと言われているガザにおいて、親が自分の子どもに視覚障害があると認めたがらない、子どもを学校に通わせず人にも会わせないという例も過去には多くあったそうです。当時は一般的に聴覚障害者に対する理解は少なく、差別やいじめも頻繁にあったそうです。アトファルナのスタッフは、聴力障害を持つ子どもたちのために家庭や社会全体の意識改革を地道に行ってきました。


私の訪問時にも、幼い子どもたちが家族に連れられて次々と面談や検査に来園し、アトファルナが家族に対してきめ細かな支援をしているのを実感しました。住民のほぼ7割が何かしらの支援を受けながら日々の生活を送っているというガザにおいて、もっとも弱い立場にある聴覚障害者たちにアトファルナは日本からの協力を得て明るい未来への一歩を提供しています。

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アトファルナの幼稚園。初めて手話を学ぶ園児たち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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同じく幼稚園で、先生が手話で行う指示に従って一心に積木を並べる園児たち。    ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アトファルナの中等部。先生の質問に対して積極的に手話で発言する生徒たち。声は無くとも、教室は皆の体の動きで熱気に包まれる ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


社会的・経済的な自立を助ける職業訓練

聴覚障害を持つ人々に対して教育のみならず、幅広い職業訓練も行っているのがアトファルナの特徴です。ここで製作される作品は多様で、陶磁器、木工品、絨毯、木材塗装なども含まれます。その中でも印象的だったのは、パレスチナの伝統刺繍を行う女性たちの工房です。現代風に色やデザインがアレンジされて工夫が冴えます。高品質の作品を仕上げる女性たちには皆自信がみなぎっていました。「生まれつき聴覚に障害がある私に仕事があるなんて、とても幸運です。それも、パレスチナの伝統的な芸術に関わることができて、私は幸せよ」と刺繍の手を止めて初老の女性が手話で話しかけてくれました。
作品は、以下のサイトでご覧になれます↓       http://atfaluna.net/crafts/index.html (アトファルナ) または          http://ccp-ngo.jp/project/palestine-embroidery/  (CCP Japan)

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パレスチナ刺繍はアトファルナの人気の職業訓練のひとつ。カバジャ所長の挨拶に手話で応える女性。名刺入れなどの小物からクッションカバーやロングドレスまで、彼女たちの手によって様々な作品が仕上がっていく ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アトファルナの作品は併設された売店で購入できる ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

SDGsのモットー「誰も置き去りにしない」― 期待される支援の輪の広がり

2015年に国連で採択された 持続可能な開発目標(SDGs)は、地球規模の課題を解決するための目標で、2030年を達成期限としています。あらゆる形態の貧困に終止符を打つ、不平等と闘う、気候変動に対処するなど17項目からなり、それぞれ具体的な行動目標や削減目標を設定しています。SDGsのめざす世界は「誰も置き去りにしない」世界であり、障害を持つ人々を含む包摂的な社会づくりなど障害分野における課題の解決は、SDGsの重要なテーマです。
多くのパレスチナ難民は深刻な貧困や政治的な障壁に向き合いながら暮らしており、皆、日々生きることで精一杯です。そのような状況にあって、「障害」と「難民」という二つの意味で取り残されがちな障害を持つ難民たちが自立し、社会に参加できるように支えるきめ細かいサポートが少なからず存在することに気づきました。より多くの障害を持つ難民たちが置き去りにされないようにするには、上述のUNRWAやアトファルナなどの地道な活動に対して、国際的な支援の輪がもっと広がることが求められていると痛感しました。

 UNRWAパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。

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「#尊厳を守る (#DignityIsPriceless)」キャンペーン(https://www.securite.jp/unrwa

 

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