国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.5】

連載第5回  豊かな発想と創造力で逆境を生き抜く若者たち

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。

イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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エルサレム全景 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


日本発のビジネス・コンテストが発掘したガザの若手女性起業家たち

ガザに行ったら是非再会を果たしたい、と願っていたのが自らの専門知識で地域住民の生活レベル・アップに努めるマジド・マシュハラウィさんとアマル・アブモアイリクさんという若手女性起業家です。マジドさんは、ジャパン・ガザ・イノベーション・チャレンジ ( Japan Gaza Innovation Challenge、通称、「ガザビジ」 )が主催するビジネス・コンテストで2016年に優勝を勝ち取りました。準優勝はアマルさんでした。

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ジャパン・ガザ・イノベーション・チャレンジの2016年ビジネス・コンテストの表彰式。賞状を持って写る優勝者のマジドさん(左)と準優勝のアマルさん(右) ©SKETCH Engineering

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2017年春、吉田美紀UNRWAガザ事務所の渉外・プロジェクト調整官(中央)の案内でマジドさん(右)とアマルさん(左)は訪日し、東京スカイツリーを見学 ©UNRWA Miki Yoshida

ガザビジは日本の有志がUNRWAとの協力によって始め、ビジネスを通してガザに未来をつくることを目標にしています。2017年春、私はガザビジの招きで訪日していたこれら二名のパレスチナ女性起業家による報告会に参加し、迫力あるプレゼンテーションに感銘を受けました。今回のガザ出張中にマジドさんとアマルさんとの再会が約一年ぶりに実現しました。


女性の視点でビジネス・チャンスをつかむ

保守的な考えがまだまだ蔓延するガザという土地で、女性が発想と創造力で大勢の男性候補者を押さえて一位と二位を勝ち取ったのです。ガザビジでの受賞後、二人はビジネスをさらに発展させ、海外でも賞を取るほど認められてきています。実際、アイディアをビジネスにまで発展させる彼女たちの努力は並大抵のものではなかったでしょう。社会的に意義のある新たな価値を生み出すことができたのは、人々の生活により近いところにいる女性ならではの目線で工夫を重ねてきたことだったと思います。

 

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セメントにガザで容易に入手できる焼却灰を混ぜて建築用の新種ブロックGreen Cakeを作っているマジドさん。©Green Cake

 

新種のエコブロック「Green Cake」で街を立て直す

土木工学が専門のマジドさんは、仲間と共に軽量、安価、強固で建設に耐えうる新種ブロック「Green Cake」を考案しました。実はこの「Green Cake」は、度重なる紛争によって破壊された建物の跡地から取り出した焼却灰をセメントに混ぜて作られています。この10年来イスラエルによって経済封鎖となっているガザには、コンクリートなどの建設資材が十分に入って来ず、コンクリート不足が起こっています。特に2014年のイスラエルとの紛争中には多くの建物が破壊され、住居を失った人々が移り住む建物の建築の需要が新たに生まれました。焼却灰に注目した「Green Cake」という新しいブロックの誕生には、このような背景があったのです。

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2014年の紛争で崩壊したガザの街 ©2014 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

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Green Cakeの製造現場を監督するマジドさん。受注もまずまずだとか。 ©Green Cake

こうした環境に配慮した取り組みが評価され、彼女は2017年末ドバイ首長国主催のEmirates Energy Award 2017においても銅賞を受賞しました。

 

専門性を生かして、ガザの電力不足の解消に取り組む

「Green Cake」に加え、マジドさんはSunBoxという別会社を立ち上げ、ガザの電力不足(私のガザ滞在中、送電時間は1日約2時間でした)の解消に向け、効率が悪い発電機に代わる太陽光発電キットを家庭用に開発しています。この取り組みは、MIT Enterprise Forum Pan Arab がオマーンで開催したコンテストの社会起業家部門で2位に輝きました。

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停電時にも勉強を可能にするSunBox ©SunBox Majd Mashharawi

海外でもその取り組みが高く評価されているマジドさん。でも常に考えているのは、身近な暮らしをいかに改善するかです。「ガザに戻ると厳しい現実に引き戻されます。自分にできることをこれからもやり続けます」と、久しぶりに両親と兄弟が待つガザに戻ったのも束の間、マジドさんの口からは次々と新しいアイディアが出てくるのでした。

 

ガザで停電対策を考案しているのはマジドさんだけではありません。機械工学を専攻したアマルさんも、2014年の紛争をきっかけにガーダ・マンシさんたち4名の友人たちと「スケッチ・エンジニアリング(SKETCH Engineering)」という会社を立ち上げ、貧困家庭の支援を行っている慈善団体に対して充電式の緊急照明システムの提供を行っています。事業開始からこれまでの3年間で、100戸以上にこの緊急照明システムが設置されました。現在、計19名の若者がこの事業に参加しており、ガザでの若者の雇用創出にも貢献しています。

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充電式の緊急照明システムを製作中。「スケッチ・エンジニアリング」創設メンバーアマルさん(左手前)とガーダ・マンシさん(右手前)。2017年の春、ガザビジはガーダさんとアマルさを一緒に日本に招待したが、ガーダさんにはイスラエルの許可が下りず、ガザを出ることはできなかった。©SKETCH Engineering

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地域の需要に敏感に反応する起業家たち

アマルさんが代表を務める「スケッチ・エンジニアリング」は、上述の電力の課題解決以外に、「スケッチ・ウィール(Sketch Wheel)」と名付けられた昇降用のキャリアー(重い物を運ぶカート)を開発しました。最大50キロまで運搬できる手動のキャリアーは小さな三つの車輪で動き、運搬業者から高齢者まで容易に使える製品です。幾度もの紛争の爪痕が残るガザでは、道路や建物にバリアフリーを求めるのには無理があります。アマルさんたちは、整備されていない道路やエレベーターが無いビルでの物資の運搬に人々が苦労している、という声に敏感に反応しこのキャリアーを考えました。

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アマルさん達が「スケッチ・ウィール」と名付けた昇降用のキャリアーは小型の三輪で動く。これによって様々な高さの階段で利用できる ©SKETCH Engineering

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日本の支援で開花するガザの若者のイノベーション精神

ガザ地区は、東京23区の3分の2ほどの大きさです。外部との人・物の出入りは厳しく制限され、住民は不足する物資と貧困にあえぎながら暮らしています。そのような場所で社会的変革を起こそうとする若者の先頭を走るマジドさんやアマルさんと話していて、何かのきっかけでふと彼女たちが現実に引き戻され、一瞬悲しそうな表情になるのに気づきました。彼女たちは夢を追いかける中で、自分たちが住むガザの厳しい状況を的確に把握し、自らの限界を感じているのかもしれません。けれども、「自分にできること」をモットーに地域を少しでも住みよい場所にしたいという試みを諦めることなくやり続けています。そんな姿は周囲を元気にしてくれます。さらに、日本の若者が立ち上げたガザビジによるコンテストは、マジドさんやアマルさんのようなイノベーション精神が旺盛なガザの若者の背中を押しています。今後のコンテストにおいても、たくさんの起業家の卵がこの地から産まれることが期待されます。


アリーさん、エルサレムからジャーナリストとして世界に発信

若者たちが創造力を駆使して厳しい現状を打破しようとしているのは、ガザに限ったことではありません。社会貢献を目指して自らの持つ力を十二分に発揮しようとする若いパレスチナ人が東エルサレムにいます。

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今後の抱負を語るアリーさん。東エルサレムで ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アントニオ・グテーレス国連事務総長の正面に座るアリーさん。2017年11月に国連本部で開催されたパレスチナ人ジャーナリストのための研修で ©UN Photo Eskinder Debebe

エルサレムでクリエイティブ・コンサルタントとして活躍するアリー・ガイスさんです。政府系から一般個人に至る顧客に対して、メディアとコミュニケーションを利用してビジネス戦略を提案することを仕事にしています。また、彼は国連広報局が毎年開催するパレスチナの若手ジャーナリストのための研修に昨年参加しました。この研修を修了して世界各地で活躍するパレスチナ人ジャーナリストは200人を超えます。「実は当時、いくつかの海外の企業から仕事のオファーがありました。しかし国連での研修後、東エルサレムに残ってパレスチナや自分たちのことをもっと世界に発信する必要性に気づき、ここエルサレムに残ることを決めました」と語るアリーさん。現在、国連研修の同窓生15名とパレスチナのジャーナリズムの活性化を進めているそうで、UNRWAの「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa )のより効果的な広報についても、同窓会の今後の課題として取り組む予定だと話していました。また、別の企画として、アートや文学を通してパレスチナの若者が自らを表現できるようなプラットフォームづくりを西岸のヘブロンで考えています。

 

一個人として、現在のパレスチナ難民の置かれている状況についてできることは限られていますが、このような若者の取り組みに理解を示し、できる限り世界に発信することで国際社会の中での応援者を増やしていくことが大切な一歩ではないかなと感じました。皆さんも是非、パレスチナの若者の活動の今後に注目し続けてください。

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大雨の後の冷え込んだ日、自宅には暖房もなく通りで共に暖を取るガザの子どもたち ©2017 UNRWA Photo by Rushdi Sarraj

 

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa


UNRWAパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。
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【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.4】

連載第4回 障害を持つ難民を置き去りにしないために

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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点字を読む難民少女。ガザにある視覚障害者のためのリハビリセンター(RCVI)で    ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


障害を越えて一歩を踏み出す子どもたち 

難民というだけで、既に社会的に弱い立場に立たされる中、障害を持つ難民の子どもたちはどのような思いでいるのでしょうか。私は今回の視察の中で、障害を持つパレスチナ難民の子どもたちに直接会って話を聞く機会を得ました。
まず訪れたのは、ガザで唯一の視覚障害を持つ子どもたちの学校として1962年に設立された視覚障害者のためのリハビリセンター、RCVIです。ここには4歳から12歳までの全盲の子どもたちが通う学校と幼稚園があり、約130名が在籍しています。また、これらの全盲の子どもたちのための学校と幼稚園とは別にRCVIは視覚障害のレベルに合わせて様々な教育支援とリハビリテーション・プログラムを提供しており、受益者の数は360名に上ります。

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ソーラーパネルをフル活用してガザのエネルギー危機に対応する視覚障害者のためのリハビリセンター(RCVI)。1980年代後半から1995年まで日本の立正佼成会の支援を受けていた。その後、1996年に日本政府の支援で校舎の建て替えが行われ現在に至る           © UNIC Tokyo Yasuko Senoo

先生が読み上げる文章を弾丸のごとく速くタイプしていたのは、全盲クラスの5年生のハーラさん(11歳)です。何事も諦めず、常に前向きな彼女はクラスでも人気者です。「帰宅後はまずは妹二人と遊びます。その後、点字で本を読んだり、点字タイプの練習をします。タイプはもっと上手くなりたいです」と、自宅でも熱心に勉強に取り組んでいる様子です。「私は人権に関心があるので、将来は弁護士になりたいです」と、ハーラさんは夢を語ってくれました。

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ハーラさんの特技は点字タイプ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

「ハーラさんの目の病状はこのところ悪化して、医師からは義眼にするよう言われています」と、自らも弱視のファラハート校長が教えてくれました。この手術を受けるには、ガザ地区を出て設備の整った医療機関に行く必要があるそうです。少女は周囲の心配をよそに、近い将来に目の手術を受けることができると信じて、前を向いて生きています。

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学校の校庭で夢を語るハーラさんを囲んで。左から校長先生、吉田UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官、妹尾 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

RCVIの幼稚園では視覚障害者の先生から点字タイピングの手ほどきを受ける女子児童がいました。残念ながらこの幼稚園は、昨今の UNRWA の財政の悪化により今年の8月で閉園してしまいます。幼稚園の運営は、そもそも初等教育を提供するというUNRWAに委任された権限に含まれていませんが、RCVIの幼稚園に関しては、これまでUNRWAの特別なプロジェクトとして特別予算で賄われてきました。幼稚園の閉園は、ガザのコミュニティー全体にショックを与えています。「ここで培った技能を生かしていかにスムーズに社会統合をしていくかが彼らの将来の鍵を握ります。視覚障害は早期介入が必要です。自分に自信を持つことは幼少期の教育で可能となることが多いので、その意味でも幼稚園の閉園はとても残念です」と、校長先生が教室を出る際にぽつりと呟きました。

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点字タイプを学ぶ幼稚園児。現在16名が通うこの幼稚園は2018年夏に閉園となる予定 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

障害を持つ難民が直面する厳しい現状

現在、世界人口の7人に1人にあたる約10億人が何らかの障害を持っていると言われています。UNRWAによると、パレスチナ難民の約15%が何かしらの障害を持っています。2006年に国連総会で障害者権利条約が採択されたことを受け、UNRWA においても2010年から障害者に関する政策を特別に設けることで、すべてのプログラムにおいて障害を持つ難民の尊厳と権利の保護・促進が強化されています。
しかし現状は厳しいものがあり、UNRWAによると占領地区(西岸地区とガザ地区)では、15歳以上の障害者の37.6%が学校に通った経験がなく、また全ての障害者の33.8%は学校を中退しており、53.1%は読み書きができません。特にガザ地区では、障害者が少なくとも1人いる家族は10%に上り、18歳以上の障害者で職に就いているのはわずか11%です。


社会の意識改革を通して、聴覚障害を持つ人々を支えるアトファルナ

ガザで「アトファルナ」のことを知らない人は珍しい、と聞くほど活動がコミュニティーに溶け込んでるアトファルナ(「 私たちの子どもたち」の意。ガザのNGO)という支援団体があります。「アトファルナは、ガザで聴覚障害者への支援を初めて手掛け、現在に至るまでこの分野でのリーダー的存在となっています。その資金は世界各地から集めています。1992年のアトファルナ創設以来、ずっと支援してくれている日本の市民団体があります」と、ナイーム・カバジャ所長はこの施設と特定非営利活動法人(認定NPO)パレスチナ子どものキャンペーン(CCP Japan)との長く密接な関係について語りました。


アトファルナでは、約300名の生徒が通うろう学校の運営の他に、聴力検査、補聴器の修理、言語療法、手話コース、職業訓練なども行われており、聴力障害を持つ子どもたちを支える包括的な社会づくりに貢献しています。「現在のような形で幼稚園から職業訓練まで、聴覚障害者に包括的な支援を提供するに至るまでには数々のハードルがあったんですよ」と、カバジャ所長は語りました。保守的な社会だと言われているガザにおいて、親が自分の子どもに視覚障害があると認めたがらない、子どもを学校に通わせず人にも会わせないという例も過去には多くあったそうです。当時は一般的に聴覚障害者に対する理解は少なく、差別やいじめも頻繁にあったそうです。アトファルナのスタッフは、聴力障害を持つ子どもたちのために家庭や社会全体の意識改革を地道に行ってきました。


私の訪問時にも、幼い子どもたちが家族に連れられて次々と面談や検査に来園し、アトファルナが家族に対してきめ細かな支援をしているのを実感しました。住民のほぼ7割が何かしらの支援を受けながら日々の生活を送っているというガザにおいて、もっとも弱い立場にある聴覚障害者たちにアトファルナは日本からの協力を得て明るい未来への一歩を提供しています。

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アトファルナの幼稚園。初めて手話を学ぶ園児たち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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同じく幼稚園で、先生が手話で行う指示に従って一心に積木を並べる園児たち。    ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アトファルナの中等部。先生の質問に対して積極的に手話で発言する生徒たち。声は無くとも、教室は皆の体の動きで熱気に包まれる ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


社会的・経済的な自立を助ける職業訓練

聴覚障害を持つ人々に対して教育のみならず、幅広い職業訓練も行っているのがアトファルナの特徴です。ここで製作される作品は多様で、陶磁器、木工品、絨毯、木材塗装なども含まれます。その中でも印象的だったのは、パレスチナの伝統刺繍を行う女性たちの工房です。現代風に色やデザインがアレンジされて工夫が冴えます。高品質の作品を仕上げる女性たちには皆自信がみなぎっていました。「生まれつき聴覚に障害がある私に仕事があるなんて、とても幸運です。それも、パレスチナの伝統的な芸術に関わることができて、私は幸せよ」と刺繍の手を止めて初老の女性が手話で話しかけてくれました。
作品は、以下のサイトでご覧になれます↓       http://atfaluna.net/crafts/index.html (アトファルナ) または          http://ccp-ngo.jp/project/palestine-embroidery/  (CCP Japan)

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パレスチナ刺繍はアトファルナの人気の職業訓練のひとつ。カバジャ所長の挨拶に手話で応える女性。名刺入れなどの小物からクッションカバーやロングドレスまで、彼女たちの手によって様々な作品が仕上がっていく ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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アトファルナの作品は併設された売店で購入できる ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

SDGsのモットー「誰も置き去りにしない」― 期待される支援の輪の広がり

2015年に国連で採択された 持続可能な開発目標(SDGs)は、地球規模の課題を解決するための目標で、2030年を達成期限としています。あらゆる形態の貧困に終止符を打つ、不平等と闘う、気候変動に対処するなど17項目からなり、それぞれ具体的な行動目標や削減目標を設定しています。SDGsのめざす世界は「誰も置き去りにしない」世界であり、障害を持つ人々を含む包摂的な社会づくりなど障害分野における課題の解決は、SDGsの重要なテーマです。
多くのパレスチナ難民は深刻な貧困や政治的な障壁に向き合いながら暮らしており、皆、日々生きることで精一杯です。そのような状況にあって、「障害」と「難民」という二つの意味で取り残されがちな障害を持つ難民たちが自立し、社会に参加できるように支えるきめ細かいサポートが少なからず存在することに気づきました。より多くの障害を持つ難民たちが置き去りにされないようにするには、上述のUNRWAやアトファルナなどの地道な活動に対して、国際的な支援の輪がもっと広がることが求められていると痛感しました。

 UNRWAパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。

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「#尊厳を守る (#DignityIsPriceless)」キャンペーン(https://www.securite.jp/unrwa

 

こちらのビデオもご覧ください↓

 
本シリーズの過去の記事はこちら↓
 
 
 

海の豊かさを守るためにわたしたちにできること

 

 

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プラスチック汚染の深刻さを受け、博報堂のクリエイティブ・ボランティアの皆さんが日本語のロゴを制作して下さいました。

 

 

「5兆枚」

 

皆さんがいま、手にしているその「ビニール袋」

毎年、世界ではなんと5兆枚も使用されているのです。

そして、わたしたちが日々、何気なく使用しているこのようなプラスチックの50%は

再利用されることなくその役目を終えていきます。

 

そのプラスチックが行き着く先はどこでしょう。

 

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インド最大の都市、西海岸のムンバイには「プラスチックの砂浜」が広がっています。©UNEP

 

 豊かな生態系を育む「海」です。

 

青々とした美しさでわたしたちを魅了する海。

しかし、その海の中には「ギョっ」とするような現実がありました。

 

「海の豊かさ」を守るために出来ることは何でしょうか?

 

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SDGsゴール14は「海の豊かさを守ろう」。プラスチック汚染をなくすことはそのゴール達成のカギでもあります。©UNIC Tokyo


 

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「海の豊かさ」を守るためにわたしたちにできることは何でしょうか。会場に集まった皆で考えました。©UNIC Tokyo

 

 

6月8日の世界海洋デーを記念して開催された

日本から考えるSDG14:海の豊かさを守ろうシンポジウム」は、

そんな「海の豊かさ」に思いを馳せる機会となりました。

 

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さかなクンがこの日のために素敵なイラストを用意して下さいました!豊かな海の様子がカラフルな色とともに表現されています。©UNIC Tokyo

 

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登壇者 / パネリストの皆さん

さかなクン 東京海洋大学名誉博士・客員准教授

イヴォーン・ユー UNU-IAS研究員

沖大幹 国連大学上級副学長

 

モデレーター

根本かおる 国連広報センター所長

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シンポジウムのタイトルにもあるSDG14では、

「海の豊かさを守ろう」をゴールとして定めています。

 

 

「海の恵みを得るためには、海が健全でなければならない。

 美しい海を守っていくだけではなく、持続可能にして利用していこう。」

沖上級副学長は、今後の海との付き合い方についてこのように話しました。

 

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「関心をもって海を利用しているほうが、少しの変化にも気が付きやすい」と話す沖副学長。©UNIC Tokyo

 

「魚一匹、一匹との出会いが、色々なことを考えるきっかけになっている」

というさかなクンからは、「一魚一会」というテーマで、日本の海の恵みが脅かされている現実を「お魚の目線」から話していただきました。

 

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魚をこよなく愛するさかなクン。年間の講演回数は100を超えるそうです。©UNIC Tokyo

 

海の中を様々に観察してきたさかなクンによると、

近年ゴミ、特にプラスチックが増加し、それらが海の生物たちを苦しめているようなのです。

 

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「海を中から見てはじめて気が付くことも多い」ご自身の経験をイラストを交えてお話をして下さいました。©UNIC Tokyo

 

漂っている容器をクラゲと間違えて食べてしまうこともあるミズウオを見てみると、以前は深海魚でいっぱいだったそのお腹からは、今ではゴミばかりが出てきてしまう状況であること。

 

また、頭の近くに輪っか状のプラスチックゴミが引っかかってしまい大きな傷を負うサメを目撃したこと。

 

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海を漂う大量のプラスチックごみ ©UNEP

 

こういった現実を目の当たりにし

自分が日々何気なく手にする使い捨てのプラスチックが

こんなにも多くの生き物を長い期間に渡って苦しめてしまうのだと心が痛みました。

  

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「 使い捨てプラスチックの利用は控える」ということ以外で

日本に住むわたしたちだからこそ出来る「海の豊かさ」を守るためのアクションがあることを、「里海 とSDGs」と題し、国連大学イヴォーン・ユー 研究員は伝えました。

 

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東日本大震災をきっかけに、海との付き合い方について真剣に考えていきたいと思うようになったと話すイヴォーン・ユー研究員。©UNIC Tokyo

 

海洋の生物多様性分布を見てみると、日本を含むアジア地域の周りが「赤」で囲まれていることが分かります。

日本はこのように海の生き物の種類に富んでおり、その沿岸の海は「魚のゆりかご」として、産卵場、生育場、餌場を提供しています。

 

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海洋の生物多様性分布図。日本を含めアジア周辺には多様な生態系があることを物語っています。©UNIC Tokyo

 

国内外で「里海(SATOUMI)」づくりの輪を広げるイヴォーン・ユー研究員は、

このような豊かな恵みを出来るだけ多く得ようとするのではなく

「必要以上に獲りすぎない」という意識が日本の伝統漁業に深く根付いており

そういった漁業法によって里海は守られていると言います。

 

わたしたちが普段の生活を通じて里海を守るために出来ることは何でしょうか。

 

それは、「正しく食べて応援すること」です。

 

皆さんはサステイナブル・シーフードをご存知ですか?

 

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©サステイナブル・シーフード

 

「魚の獲り過ぎや、自然を傷つけることが起こらない方法で獲られた魚から出来た食べ物」を指します。

 

わたし自身もそうでしたが、産地を見て生産物を購入することはあっても、

こうしたラベルを参考にして購入する消費者はまだまだ少ないと思います。

 

しかし、多くの海の豊かさを享受することが出来る日本で、

このようなサステイナブル・シーフードを選び、正しく食べることは

海を守ることにも繋がるのですね。

 

***

 

 後半は、「SDG14達成のために私たちができること」をテーマにパネリストの皆さんとモデレーターの根本所長によるパネルディスカッションが行われました。

 

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「なぜ海がこんな大変な状態になってしまったのでしょうか?」根本所長の問いにそれぞれの視点からパネリストの皆さんがプラスチック汚染の背景を話します。©UNIC Tokyo

 

シンポジウムがより盛り上がるように!

活きの良い質問がたくさん集まるように!

と願いを込めて国連広報センターのインターン5名で協力し、

魚のかたちの質問票を用意しました。

 

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手作り感満載の魚の質問票です!©UNIC Tokyo

 

会場から集まった「大漁」の質問も交えながら意見交換がなされました!

 

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質疑応答の時間ではギョギョギョ!と、新鮮な「質問」をつかみとって回答。©UNIC Tokyo

 

わたしたちが生活の中に便利さを求めすぎてしまった結果

プラスチックゴミが増え、海に多くの害を与えるようになってしまいました。 

 

現在のプラスチックの生産量は3.6億トン

2030年にはその倍量となるとも言われています。

 

http://www.unic.or.jp/files/beat_plastic_pollution_card.png

 

「90%以上のペットボトル飲料に、プラスチック粒子が混ざっている」

 

根本所長から共有された衝撃的な事実。

わたしたち参加者だけでなく、パネリストの皆さんも非常に驚かれていました。

 

 #やめようプラスチック汚染

 #BeatPlasticPollution

 

 先日、カナダ・シャルルボワでは、「健全な海」をテーマとしたG7アウトリーチ会合が開催され、アントニオ・グテーレス事務総長も出席しました。

この会合では、シンポジウムで広く取り上げられた「プラスチックごみによる海洋汚染問題」についても議論がなされ、具体的な対策を各国に促す合意文書がとりまとめられました。それを受け、「カナダと欧州各国首脳が『G7海洋プラスチック憲章』を承認する」ことがG7首脳宣言に盛り込まれました。この憲章をアントニオ・グテーレス事務総長は歓迎し、海洋汚染への警鐘となることを期待しましたが、残念ながら日本は、アメリカとともに憲章への署名を見送りました。

 

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©UN News, G7 Canada/Xavier Dachez



 わたしたちひとりひとりが、日々の小さな「選択」を変えることで

「海の豊かさ」を守る活動に貢献することが出来ます。

 

  •  ビニール袋の代わりにエコバックを使う
  • ペットボトルに入った飲み物を控え、マイボトルを持参する
  • プラスチック製のスプーンやフォークの代わりにマイ箸を使う

わたしも、使い捨てプラスチックとの別れ(Break-up)を決意しました。

 

 

"Are you ready for a break-up?"

次はあなたの番です。

 

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海の豊かさを守るために、今日からできることをはじめてみませんか? ©UNIC Tokyo

 

 

インターン 山田 怜)

 

 

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.3】

連載第3回 適切な医療サービスへのアクセスが確保されないガザ

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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ガザのクリニックの乳幼児健診 ©2012 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

 一次医療を提供する難民キャンプのクリニック

パレスチナ難民キャンプの中には大抵、学校とクリニックがあります。(パレスチナ難民の学校については、ブログNo.2を参照)。クリニックには乳幼児からお年寄りまで様々な世代の人が集まり、まるでパレスチナ70年の歴史を垣間見るようです。そのクリニックは現在、UNRWAの5つの活動地域すべてで約140を数えます。医師、看護師、薬剤師など、約3,000人の職員によって一次医療が難民に提供されています。もちろん、職員の多くはパレスチナ難民です。


ガザの重篤な患者が直面する危機

しかし、病気が非常に重く生命に危険が及ぶ場合や、高度の治療・検査が必要な場合は、難民キャンプ内のクリニックでは対応ができず、医療設備が十分に整い専門医がいる病院に行く必要があります。今回視察したガザ地区では、設備や専門医の不在に加えて恒常的な電気・水などの不足によって、重篤な患者はイスラエル側での治療を必要とする場合があります。けれども、ガザ地区を出てイスラエルに入国するにはイスラエルの許可が必要です。治療目的であっても、場合によっては「治安上の理由」で許可が下りず、適切な治療が受けられないこともあるそうです。


ヨルダンのスーフ難民キャンプのクリニック

典型的なUNRWAのクリニックとして、ヨルダンで約2万人の難民が住むスーフキャンプのクリニックを視察しました。このクリニックは、サウジアラビアからの支援で2年前に建設されました。パレスチナ難民の総数は、活動地域5カ所すべてを合わせて530万人に上ります。実は、ヨルダンにはその最も多くの40%(約220万)が、10の難民キャンプとその周辺に暮らしています。このスーフキャンプは、1967年のアラブ・イスラエル紛争の際、西岸地区とガザから避難してきた難民のため緊急に設立されました。

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ヨルダンのスーフ難民キャンプ。近くにはローマ遺跡のジェラシュがある
©2008 UNRWA Photo by Nidal Ammouri

 
クリニックを案内してくれたのは、カセム主任医師です。1967年当時の仮設テントでの医療現場の写真も見せてくれました。現在、クリニックには3名の医師、1名の歯科医、7名の看護師などが働いており、地域の2万人以上の難民の健康を支えています。「このキャンプは他のキャンプに比べて一家族の構成員が多いため、困窮ぶりは深刻です。糖尿病、高血圧、心臓系や血管系の疾患などの生活習慣病を持つ難民が増えています」と、カセム医師は新しいクリニックの課題を述べました。

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セム医師とクリニックのスタッフ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo
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セム医師のプレゼン資料から。当時のスーフキャンプでの保健サービス
©1969 UNRWA Photo By George Nehmeh


健康上の最大の敵は、生活習慣病

生活習慣病が難民の健康上の最大の課題、と指摘するのは清田明宏(せいた あきひろ) 保健局長です。「生活習慣病に対応するため、UNRWA の保健サービスを刷新し、かかりつけ医制度、電子カルテ化、メンタルヘルスを導入しました。その多くは日本政府の支援で可能になっています。生活習慣病は不健康な食生活に密接に関係しており、つまりは難民の貧困にその多くの原因があります」と、ヨルダンの首都アンマンにあるUNRWA保健局のオフィスで説明を伺いました。

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世界保健機関(WHO)でのキャリアを経て、2010年にUNRWA保健局長に就任した
清田明宏氏 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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UNRWA職員スタッフと。右から4人目はJPOの北村尭子 公衆衛生スペシャリスト
©UNRWA Akihiro Seita
 

メンタルヘルスケアの大切さ-日本の支援で建設されたガザの「日本クリニック」

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ガザのハンユニスにある日本クリニック ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ガザ地区南部のハンユニスの「日本地域」にもUNRWAのクリニックがあります。ここは日本の支援によって建てられ、住民たちが親しみを込めて日本クリニック(アラビア語で「イヤーダ・ヤーバーニァ」)と呼んでいます。「ガザでは過去の紛争の数々、10年以上続いている経済封鎖、それに伴う深刻な経済状況などで精神的ストレスを持つ難民が増えています。スタッフが一丸となってメンタルヘルスケアに努めています」こう説明してくれたのは UNRWA 地域保健プログラム長のガーダ医師です。

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日本クリニックのスタッフと患者さん達 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


30年前に関わった「ガザ・ヨーロッパ病院」の建設プロジェクト

実は私の国連職員としてのキャリアはUNRWAで始まりました。1988年2月のことです。JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー、外務省の国連への派遣制度)としてUNRWA(当時、本部はオーストリアのウィーン)に派遣されました。その数か月後には約一か月かけて活動現場であるヨルダン、西岸、ガザ、そしてシリアを初めて訪問しました。つまり、今回の難民キャンプ訪問はほぼ30年振りということになります。ちょうどそれは、ガザで第一次インティファーダ(民衆蜂起)というイスラエルへの抵抗運動が始まって半年もたたない時期でした。投石でイスラエルの占領当局に抗議するパレスチナの子どもたちの姿は広く報道され、世界でパレスチナ問題の早期解決が再認識されたのです。そして1993年、イスラエル側とパレスチナ側は初めて和平交渉に合意して「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」(オスロ合意)の調印に至りました。
私が当時携わっていた仕事は、ガザの中部に総合病院を建設するというプロジェクトでした。もともとこの地域では病院の数が足りず、第一次インティファーダが勃発してからは増え続ける負傷者の受け入れに既存の病院だけでは対応が難しくなっていました。今回ガザを視察中、ハンユニスを担当するUNRWAのエリア・オフィサーが、私をその病院に連れて行ってくれました。ガザ・ヨーロッパ病院という地域でも有名な総合病院です。当時、図面でしか見ていなかった建物の実物を見ることができて私は胸が一杯になりました。

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ハンユニスのUNRWA事務所で。右から妹尾、モハンマド エリア・オフィサー、吉田UNRWA渉外・プロジェクト支援担当官 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

適切な医療サービスへのアクセス - 困難を極めるガザの状況

しかし、現在、この病院も大きな試練に見舞われています。度重なる停電でMRIの操業停止、十分な医薬品の欠如などによって従来の病院としての機能が果たされていないのです。「患者が集中治療室に運び込まれても、停電が原因で命に危険が及ぶことがあります。救える命は救いたいのですが」と、案内役の医師が厳しい現状を語ってくれました。

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ガザ・ヨーロッパ病院の入口  ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

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同病院の緊急治療室。停電の影響に悩む医師たち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

上で述べたように、ガザで対応できない重篤な患者の場合、ガザを出てイスラエル医療機関で治療を受けるという選択になります。しかし、封鎖状態が続くガザの住民がイスラエル側に入るには許可が必要となり、それが治療目的であっても容易ではありません。厳しく移動の自由が制限されているため、適切な医療サービスにアクセスができないのです。現在のパレスチナ情勢は30年前とは大きく異なるものの、今回の視察で理解する限り、特にガザの難民の生活は医療の面においても一層厳しさを増していると感じました。

 

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa

 
UNRWAパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。
こちらのビデオもご覧ください↓

 

本シリーズの過去の記事はこちら↓

 
 
 

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.2】

連載第2回  パレスチナ難民の子どもたちの未来を切り開く「教育」

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の

支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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UNRWAの中学校で学ぶ女子学生たち ©2010 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

 

教育、それは何よりも大切な「難民の宝」

「あなたにとって、一番大切なものは何ですか?」と、ガザ地区にあるUNRWAの中学校で50人ほどの女子生徒を前に聞いてみました。「家族」、「友達」、「お母さん」などと並んで多かった答えは「教育」という答えでした。パレスチナ難民は70年という長い難民生活を過ごす中で、教育の大切さを強く認識しています。
実際、UNRWAの主要プログラム予算の6割近くは教育に使われています。677の小中学校で学ぶ約51万人のパレスチナ難民の子どもに対して基礎教育が無償で提供されており、3万人を超えるUNRWAのスタッフの約2万人が教師など教育に関わる職員です。難民の子どもたちにとって、よい教育を受け、よい成績を修めることは夢の実現への第一歩となっています。

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校庭で休憩時間を過ごす女子中学生 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo


僕らの学校は、借り上げの小さな建物

通常の学校ではなく、住居を借り上げて運営している学校をヨルダンで視察しました。これまでも幾度か学校を新たに建設するという話が出てはいるものの、「昨今の財政難では実現は無理でしょう」と、校長先生が肩を落とします。活発に動き回る年頃の小・中学生にはとても窮屈な環境です。廊下も狭く、もちろん運動場、理科の実験室などの特別教室はありません。

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肘がぶつかってしまうほど狭い教室 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

この学校は、午前は男子、午後は女子生徒の学校として2部制で運営され、校長や教師まで総替わりします。「こんな学習環境にも関わらず、生徒の成績は地域でも1、2位を争う優秀なものです。UNRWAの学校の生徒の識字率と教育達成度は、中東で最も高いレベルを誇っています」と、校長をはじめ先生たちも鼻が高いようです。これら先生たちの多くも難民で、生徒たちの高い学習意欲と成績を身近で支えています。

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 ここも学校の校庭の一部 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

訪問時は男子生徒が学んでいました。事前に日本からの訪問者が来ると伝わっていたらしく、教室では日本について学んだことを発表していました。とにかく我こそはと、手を挙げて自分の意見を発表する意欲のある子どもが多く、圧倒されました。狭い教室は先生が動き回るスペースもなく、生徒もややもすれば隣の生徒の腕や手に触れあってしまうほどです。休憩時間には、唯一みんなで集まれるスペースで手足のストレッチです。実際、校庭もないのでこれが精一杯です。

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休憩時間に手足のストレッチ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 
緊張の高いキャンプ、そこでも子どもたちは学校に通う

子どもたちがいかに安心・安全に登下校できるか―それが大きな課題となっている学校がUNRWAの学校の中にはあります。ヨルダン川西岸地区の東エルサレムにあるシュファート難民キャンプの学校もその一つです。このキャンプは、西岸で最も人口密度の高いキャンプとして知られており、基本的なインフラの整備が追いつかず、キャンプ内の住環境はよくありません。あちこちで見かけた山積みのゴミからは異臭が発せられていました。

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ゴミが散乱するシュファート難民キャンプ ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

「西岸と東エルサレムとの分離壁(separation barriers)に隣接し、イスラエルの検問所もすぐ近くにあります。そのため、ちょっとしたトラブルから、緊張が一挙に高まることもあり、住民は不安を抱えながら暮らしています」と、この日、案内してくれた UNRWA パレスチナ西岸地区事務所の安藤 秀行(あんどう ひでゆき)オペレーションサポート・オフィサーから説明がありました。( UNRWA の仕事について安藤オフィサーの投稿があります。ぜひ、ご覧ください→ https://bit.ly/2HpQ3dH

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シュファート・キャンプに接する分離壁。向こうにイスラエルの入植地が広がる    ©UNRWA photo

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安藤オペレーションサポート・オフィサー(右)。生徒たちは来訪者に興味津々    ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

このように緊張が高く劣悪な住環境にある難民キャンプでこそ、子どもたちの「教育を受ける権利」は守られるべきです。なぜなら、自分の人生を切り開くには、よい教育を受け、よい成績を修めることが重要だと難民の子どもたちは信じているからです。

 
天文学者になることが私の夢」― ガザのハディールさん

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ハディールさん ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ハディール(12歳)さんは、天文学者になるという目標に向かってガザ地区UNRWAの学校で学んでいます。彼女は、日本からの支援に感謝する UNRWA 制作のビデオ「To the People of Japan(日本の人々へ)」に出演しました。これは、ピエール・クレヘンビュール 国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWA )事務局長の今年1月末の訪日に合わせて公開されました。ガザ滞在中に私はハディールさんとお会いしました。


ガザは地中海沿いの長さ約 45km,幅6~10kmの細長い地区です。広さは東京23区の約3分の2ほどです。人口約190万人の約7割がパレスチナ難民で、そこには8つの難民キャンプがあり、これらキャンプ内の人口密度は世界で最も高いと言われています。約22万人のパレスチナ難民の子どもたちは、ハディールさんのように275校あるUNRWAの学校で学んでいます。

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ガザの海岸。右手は地中海 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ガザでは2006年から現在まで大きな戦争が3度もありました。2007年以降、イスラエルから陸、空、海に対して課された封鎖によって、ガザは外部との人・物の出入りが厳しく制限され、日常品でさえ不足しています。住民は貧困にあえぎながら暮らしています。「生まれた時から厳しい状況のガザで暮らしているのは私だけではありません。でも、戦争で学校が崩壊した時はとても悲しくなりました」、とハディールさんは当時を振り返ります。「けれども、日本の支援のおかげで学校が建設され、私は天文学者になることをめざして再び学校で学んでいます」と、彼女の言葉には日本と日本の人々への感謝の気持ちがあふれていました。

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2014年の紛争で崩壊したガザの町 ©2014 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

 

「せめて学校では明るく元気に過ごして欲しい」― ラーウィア校長の願い

ガザは、私が今回訪ねた他のUNRWAの活動現場に比べて、生活のあらゆる面で厳しい状況にあります。教育の現場も例外ではありません。生きることで精一杯な難民たちにとって、学校とはどんなところなのでしょうか。ガザ地区南部のハンユニスにあるUNRWA 女子中学校の名物校長、ラーウィア校長から多くのことを学ぶことができました。彼女は1,000人に上る生徒のみならず父兄や地域からの尊敬も厚く、2015年11月、NGO「日本リザルツ」の企画で、東日本大震災で深刻な被害を受けた釜石との交流に参加するため、ガザの生徒を連れて日本を訪問しています。

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ハンユニスにあるUNRWA 女子中学校 ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ラーウィア校長が紹介してくれたのは3年前に始めた「私とあなたは姉妹」という相互扶助の取り組みです。クラスの生徒を二人組にし、学習面では授業で理解できなかったことを協力して解決します。さらに「姉妹」は生活面においても助け合います。相手の経済状況に応じて自宅から余った食料を持参したり、地域の協力を得て食料を調達したり、時には教師自身が貧困家庭の生徒に、簡単なサンドイッチが買えるようにと、ちょっとした資金援助も行っているそうです。

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ラーウィア校長と生徒たち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

ガザでは貧しさで朝食をとらずに登校する生徒が少なくなく、ラーウィア校長の学校でも学習意欲が低く成績が振るわない生徒がいることが課題となっていました。「この地域では7割の家庭が貧困ラインを下回っています。『私とあなたは姉妹』によって、生徒の成績もこのように伸びてきました」、と校長は統計を示しながら説明します。そして生徒自身も次々にこの取り組みによって学習意欲が上がってきたことを嬉しそうに話してくれました。一年前まで成績最下位だったというある生徒は、「今は私の『姉妹』が勉強を見てくれます。おかげで朝食もとっています。今ではエンジニアを夢見るようになりました」と、停電が長時間続くガザの夜でも勉強ができるよう、自分なりに工夫した簡易的な発電機を見せてくれました。「ここでは貧しさのために家庭暴力など様々な問題を抱えている生徒が多いのです。せめて学校では明るく元気に過ごして欲しい」という校長の言葉がいつまでも耳に残りました。


子どもたちの未来を切り開く教育

同じパレスチナ難民でありながら、暮らす地域によって直面する課題は異なります。緊急事態にはないものの、恒常的に劣悪な環境で学ばざるをえないヨルダンの子どもたち。政治・経済・社会的に高度の緊張にさらされ、不安が多い中にも毎日学校に通う西岸地区の子どもたち。そして、人として生きるにはあまりにも厳しい状況にあるガザの子どもたち。私が出会ったパレスチナの子どもたちには共通点がありました。それはどんな状況にあろうとも、諦めないで学ぶ姿です。教育は彼らの未来を切り開くものと信じているからです。

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ヨルダンのUNRWA小学校で。環境について学ぶ子どもたち ©UNIC Tokyo Yasuko Senoo

 

UNRWAは今年に入って「 #尊厳を守る (#DignityIsPriceless )」キャンペーンを開始。パレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa

 

 

本シリーズの前回の記事はこちらから↓

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.1】 - 国連広報センター ブログ

 

 

 

子どもに対する暴力撤廃に向けて:『子どものための2030アジェンダ:ソリューションズ・サミット』参加報告会

4月27日(金)、東京のユニセフハウスで『子どものための2030アジェンダ:ソリューションズ・サミット』*の参加報告会が開かれました。


この報告会では、政府、市民社会、企業など各セクターを代表してソリューションズ・サミットに参加した方々から、会議の様子、今後の進展への期待や思いなどが共有されました。また、SDGsの啓発促進に力を入れる国連広報センターから、所長の根本かおるが参加し、パネルディカッションのファシリテーターを務めました。

ソリューションズ・サミットは、日本が子どもに対する暴力をなくすことに積極的に取り組むパスファインディング国になると誓約した国際会議であることからも注目されます。


報告会の主催団体は、平成30年度外務省NGO研究会と日本ユニセフ協会。協力団体としては、ACE、チャイルド・ファンド・ジャパン、国際子ども権利センター、ヒューマンライツ・ナウ、国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ、プラン・インターナショナル・ジャパン、ワールド・ビジョン・ジャパンが名前を連ねました。

 

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 ©UN Photo/UNICEF/Marco Dormino   (本文の内容とは直接関係のない写真です)

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*ソリューションズ・サミットは、「子どもに対する暴力撤廃」をテーマに、今年2月14日-15日、スウェーデンの首都ストックホルムで開催された国際会議。持続可能な開発目標(SDGs)の16.2(ゴール16のターゲット2「子どもに対する虐待、搾取、取引及びあらゆる形態の暴力及び拷問を撲滅する」)の達成をめざし、スウェーデン政府、「子どもに対する暴力撲滅のためのグローバル・パートナーシップ(GPeVAC)」および「オンラインの子どもの性的搾取撤廃のためのWePROTECTグローバル・アライアンス」が共催した。67カ国から、政府、市民社会、民間企業、国際機関、専門家、子どもなど、さまざまなステークホルダー386名が参加し、子どもに対する暴力を取り巻く現状や、予防や撤廃のための方策などに関する議論が行われた。国連から、高いレベルの幅広い参加があり、国連副事務総長、ユニセフ世界保健機関(WHO)と国連薬物犯罪事務所(UNODC)のトップ、紛争下の子どもに関する事務総長特別代表、子どもに対する暴力担当事務総長特別代表、国際労働機関(ILO)、UN Women、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などが出席した。

 

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(ソリューションズ・サミット会場、ストックホルム)

 

報告会は二部構成。第一部は堀井学外務大臣政務官による基調講演、第二部はサミット参加者によるパネルディスカッションが行われました。

 

(第一部:基調講演)

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 (堀井学外務大臣政務官)

基調講演では、ソリューションズ・サミットに参加した堀井政務官が自らのスピーチに込めた思いや、子どもに対する暴力をなくすことにコミットするパスファインディング国になるとの誓約を行ったことについて語っていただきました。堀井政務官は1994年のリレハンメルオリンピックで銅メダルを獲得した元スピードスケート選手。サミットのホスト国となったスウェーデンは少年時代の憧れの選手だったトーマス・グスタフソンさんの祖国でもあり、とりわけ特別な感慨をもって、その地を踏んだと述べられました。また、家庭に戻れば5人の子の父親であるとし、普段から、世界各地で暴力にさらされている子どもたちの状況に胸が締めつけられているとの思いを共有されました。そのうえで、堀井政務官はあらためて、パスファインディング国への日本の参加、GPeVACの基金の人道分野に対する600万ドルの資金拠出、GPeVACの理事会への日本のメンバー入りという3つのコミットメントについて説明し、すべての子どもが暴力のないなかで育ち、将来への夢と希望をもって生きられるよう、引き続き取り組んでいくことを約束すると決意を述べられました。

 

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  ©UN Photo/Jan Corash   (本文の内容とは直接関係のない写真です)

(第二部:パネルディスカッション)

さて、基調講演に続いたパネルディスカッションでは、国連広報センターの根本の司会進行のもと、パネリストの皆さんから、現地でのエピソードや議論、日本の取り組み、今後の取り組みに対する意気込みや思いなどがあつく語られました。

 

―――

・パネリストの皆さん

杉浦正俊さん         外務省総合外交政策局人権人道課長

篠崎ほし江さん、  警察庁警察庁生活安全局少年課課長補佐

大谷美紀子さん      国連子どもの権利委員会委員

柴田哲子さん         ワールド・ビジョン・ジャパンアドボカシーシニアアドバイザー

野口明香里さん     ヤフー株式会社政策企画本部政策企画部

早水研さん              日本ユニセフ協会専務理事

ファシリテーター

根本かおる            国連広報センター所長

 ―――

 

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(c)GPeVAC日本フォーラム

 

ソリューションズ・サミットが開かれた北欧の国、スェーデンの2月は日本と同じ冬の季節。外務省の杉浦さんは、一番寒い時期のストックホルムでのサミット開催となったものの、場は参加者たちの熱気であふれていた、と振り返りました。

 

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(外務省の杉浦さん)(c)GPeVAC日本フォーラム

 

熱気にあふれた会場で、あつい思いにあふれた参加者たちの本気度が伝わってきたと振り返ったのは国連子どもの権利委員会の大谷さんです。大谷さんは、来年が子どもの権利条約採択30周年および日本の条約加入25周年であることに触れ、サミットでは、子どもに対する暴力を絶対になくそうという決意が何回も確認され、その実現のために各セクターの連携が大切であることが常に強調されていたと述べました。

 

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(国連子どもの権利委員会の大谷さん)(c)GPeVAC日本フォーラム

 

サミットで「オンラインの子どもの性的搾取撲滅のためのWePROTECTグローバル・アライアンス」が主催するワークショップに参加した警察庁の篠崎さんは、ワークショップを主導した英国政府、インターポール、マイクロソフトエクパット、その他のさまざまな組織の間で有意義な議論や情報交換が行われていたことを振り返りました。そこで、インターネット上の性被害について社会全体の意識を高める必要があることや、小さい子どもと親への教育が必要であることに、意見の一致があったとし、国際会議の最前線で、みんなが熱心に認識の共有をはかっていたことなどを説明しました。

 

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警察庁の篠崎さん)(c)GPeVAC日本フォーラム

 

日本の市民社会を代表してサミットに参加したワールド・ビジョン・ジャパンの柴田さんは、サミットに参加した約400人のうち100人、つまり4分の1は市民社会からの参加だったと述べ、子どもに対する暴力という課題への市民社会の高い関心と関わりを指摘しました。また、柴田さんはサミットで、当事者の子どもたちが参画をし、会議の強い推進力となっていたことに感激したと振り返りました。とくに印象に残ったエピソードとして、タンザニアから来た少年が壇上から会場の同国の大臣を前に、「自分には夢があります。その夢とは、自分の国が、子どもたちが人権を享受している国として世界で有名になることです」と力強く演説し、会場から大きなスタンディングオベーションを得ていたことを紹介しました。

 

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ワールド・ビジョン・ジャパンの柴田さん)(c)GPeVAC日本フォーラム

 

Yahoo! JAPANの野口さんは、サミットのサイドイベントで挨拶をする予定だった高位の方が子どもの急病を理由に欠席されたときに会場から大きなあたたかい拍手が沸き起こったことを紹介し、社会全体が子どもを優先に考えるスウェーデンという国の雰囲気をとても強く感じ、深い感動を覚えたと述べました。また野口さんは、サミットで、警察庁の篠崎さんと同じワークショップに参加したところ、海外のホットラインが共同で設置した児童ポルノ画像の削除団体、“INHOPE”からの担当者も参加していたことを紹介し、有益な仲間づくりや、技術的な情報なども共有できたことがとても有意義だったと加えました。

 

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Yahoo! JAPANの野口さん)(c)GPeVAC日本フォーラム

 

日本ユニセフ協会の早水研さんは、この報告会で檀上に並んだパネリストの皆さんが活発にサミットの現地の様子やエピソードを伝えるのを見て、あらためて日本からすばらしいメンバーでサミットに臨めたことを誇りに思うと述べました。長年、この課題に取り組んできた早水さんの感慨深そうな表情がとても印象的でした。

 

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日本ユニセフ協会の早水さん)(c)GPeVAC日本フォーラム

 

パネルディスカッションでは、国連広報センターの根本の司会進行のもと、子どもに対する暴力の根絶という課題への各セクターの取り組みや日本との関係に話が及びました。

 

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(c)GPeVAC日本フォーラム

 

日本政府の取り組みとして、外務省の杉浦さんは、「国際的には日本が人権分野で必ずしも高い評価を得てこなかったことを考えると、日本と人権の歩みにおいて、日本がG7で初めてGPeVACのパスファインディング国となったことの意味はとても大きいと思う」と述べ、日本の人権への取り組みにおいて、サミットがひとつの節目となることを指摘しました。そのうえで、今後の取り組みについては、サミットに参加した外務省、警察庁ばかりではなく、厚生労働省文科省、その他の省庁が連携しあって進めるとともに、市民社会、企業など他のステークホルダーに加わってもらえる議論の場を設けたいと述べました。

 

また杉浦さんは、日本の美徳である謙虚さゆえに、その発信力が弱いことが克服すべき課題となっていることを指摘し、今後、日本の取り組みを海外に発信する努力に力を入れていきたいと意気込みを語りました。最後に、省内でご自身の次席の役職に就いておられる方が現在、2か月間の育児休暇に入り、その奥様が復帰しておられること、また、ご自身のご家庭でも子育ての時期に奥様も働いていらっしゃったことなどを紹介し、職業的立場からも個人的な体験からも、子どものために柔軟な働きかたが進んでいくことを期待し、また力を尽くしていきたいとの思いを述べました。

 

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©UN Photo    (本文の内容とは直接関係のない写真です)

 

警察庁の篠崎さんは、政府では、児童買春や児童ポルノの製造等の子供の性被害の防止対策を内閣の重要施策の一つとして、総力を挙げて取り組んでおり、昨年、内閣総理大臣が主催する犯罪対策閣僚会議で、子どもの性被害防止プランが策定され、安心・安全なインターネットの利用のための啓発活動等に取り組んでいると強調しました。そのうえで、今後、外務省の杉浦さんが述べられたのと同様に、その取り組みにおいては官民で力をあわせていくことが必要であることを述べ、そうした努力の一環として、4月23日(月)、子どもの性被害撲滅対策推進協議会という関係省庁と関係する民間団体等による協議会の総会が開催されたことなどを紹介しました。

 

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 (c)GPeVAC日本フォーラム

 

日本ユニセフ協会の早水さんは、国内で、1996年以来、子どもの商業的性的搾取の根絶をめざすアドボカシー活動を進めてきたこと、その後、1999年に児童買春・児童ポルノ禁止法が超党派で成立し、2014年に単純所持禁止へといたるまで厳しい道のりがあったことを振り返りました。そして、今後、説得力のあるアドボカシーを展開していくためには、しっかりとしたデータが必要であるものの、子どもへの暴力については、途上国よりも、むしろ日本のような先進国でそうしたデータが不足していると述べ、データ整備の重要性を訴えました。さらに、ユニセフが取り組んでいる「子どもにやさしいまちづくり事業」にも言及し、国レベルでは成果を生んできた一方、自治体レベルでは課題が残るとして、その取り組みへの意欲を述べました。

 

野口さんは、Yahoo! JAPANを中心としたインターネット有志企業が日常的に行なっている活動として、セーファーインターネット協会(SIA)への通報に対し、オンライン上の児童ポルノ画像等のIPアドレスを突き止めてサイトやプロバイダーへ削除依頼を出していることなどを説明しました。野口さんによれば、今は、オンライン上の児童ポルノ画像はURLがわかれば、きちんとした手順を踏んで削除を依頼すると9割を超える確率で消えるそうです。また現在、アジアインターネット日本連盟(AICJ)という組織に、Yahoo! JAPANやグーグル、メルカリなど20社ほどが参加して、公共政策諸課題への取り組みが行われていることなどを紹介しました。さらに、自社の「どこでもオフィス」という取り組みなどを紹介し、テクノロジーを利用した柔軟な働き方が子育てを助け、親子にとってのより良い子育て環境にもつながると述べました。インターネットの功罪について、野口さんは、インターネットにはマイナスの面もあれば、プラスの面もあり、大人たちはその両面をしっかり理解しながら、小さい子どもにも正しいインターネットの利用のしかたやリスクを教え、慣れ親しんでもらうようにすることが重要であると強調しました。

 

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(c)GPeVAC日本フォーラム

 

ワールド・ビジョン・ジャパンの柴田さんは、今後GPeVAC日本フォーラムとして、2つの活動を計画していると述べました。まず第一に、他の先行するパスファインディング国での成功事例などを含む国際的な子どもに対する暴力撤廃に関する取り組みを整理し、それを外務省にて設立が検討されているマルチステークホルダーでの議論の場にインプットすることを通じて、今後の日本国内での取り組みの推進に貢献したいと抱負を述べました。国際市民社会は、ソリューションズ・サミット開催前から定期的に情報交換の会議を開催していることから、そのような場を通じて情報を収集していくことを考えていると述べました。第二に、日本国内における子どもに対する暴力撤廃に向けた政府やNGOによる取り組みに関する情報を整理し、同様にマルチステークホルダーでの議論の場にインプットしたいと抱負を述べました。そのうえで、子どもに対する暴力をなくすために何かしたいけれど何をすればよいのかわからないという人へのアドバイスとして、GPeVACを構成するようなNGOの勉強会やキャンペーンにぜひ参加してもらいたいと述べ、ワールドビジョンが今年3月に子どもに対する暴力をなくすキャンペーンを日本で始めたことなどを紹介しました。

 

国連子どもの権利委員会の大谷さんは、日本においては、インターネットの問題を含め、子ども自身の参加という大きな課題があることを指摘しました。大谷さんは、自分が日本人初の委員として、国連子どもの権利委員会に加わっていることについて、重責を感じていると述べ、任期4年の残り3年間、世界の子どもの権利のアドボケートとしてさらに力を尽くし、今後、いろいろな人と協力しながら、具体的な成果をあげられるように目指したい、また、日本においては、子どもの参加の実現に貢献できるよう動いていきたいと意気込みを語りました。

 

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 (c)GPeVAC日本フォーラム

 

会場にいらっしゃっていた人間の安全保障に関する国連事務総長特別顧問の高須幸雄さんにもご発言いただきました。高須さんは、日本がこのたびパスファインディング国になったことをとても高く評価されましたが、それと同時に、人間の安全保障の統計からみると、日本が子どもをあまり大切にしている国とは言えないと指摘しました。日本にも困っている子どもたちはたくさんいる、国際的な仕事は非常に重要だが、それだけでは不十分であって、SDGsは日本に対して国内の課題を突き付けていることを強く認識しなければならないと訴えました。

 

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国連事務総長特別顧問の高須さん)(c)GPeVAC日本フォーラム

 

パネルディスカッションを締めくくるにあたり、ファシリテーターの根本は、可能な開発目標(SDGs)の17の目標の中で、ゴール16は日本でもっともイメージしにくいものの一つと言われてきたが、ターゲット16.2の「子どもに対する虐待、搾取、取引及びあらゆる形態の暴力及び拷問を撲滅する」は、日本の人々にとっても身近な課題として捉えやすく、またSDGsのすべてのゴールへのつながりも見えやすいと指摘し、今後の取り組みに期待感を示しました。そして根本は最後に、自分としては、「伝える」ということを通じて、今後、さらに16.2の達成に貢献していきたいと述べました。

 

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ファシリテーター:根本かおる)(c)GPeVAC日本フォーラム

 

最後に、ファシリテーターを務める根本が会場の皆さんに示した、世界の子どもたちに関する数字を共有します。

 

世界保健機関(WHO)の統計数値です。

 

・世界で、2歳-17歳の半数以上が何らかの形の暴力にさらされた経験があります

・世界で、2歳-4歳の子ども3億人が体罰を受けた経験があります

・世界で、13歳から15歳の3人に1人がいじめにあった経験があります。

・世界で、人身取引の3人に1人が子供です

 

SDGsの達成期限年の2030年、私たちは子どもを取り巻く状況について、どんな数字を見ることになるのでしょうか。

 

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©UN Photo/Eskinder Debebe   (本文の内容とは直接関係のない写真です)

 
(職員 千葉潔)

【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.1】

連載第1回  1948年のナクバ(大惨事)から70年たった今年、パレスチナ難民にさらなる試練が降りかかる

中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。

イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日から約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。

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UNRWAの活動地域 ©UNRWA

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ガザのビーチ難民キャンプから、さらにレバノンやエジプトに海から避難するパレスチナ難民  ©1949 UNRWA Photo By Hrant Nakashian


日本から遠い中東の地、パレスチナパレスチナ難民はどのような人なのでしょうか。

まずはパレスチナ難民について説明しましょう。今から70年前の1948年5月14日、パレスチナイスラエルが建国したことによって第1次中東戦争が起こりました。パレスチナにはアラブ人が暮らしていましたが、この戦争で故郷の家を残してヨルダン川の西岸およびガザに、あるいはさらに周辺国であるレバノン、シリア、ヨルダンにまで避難したのです。その数、およそ70万人。これらがパレスチナ難民となった最初の人々です。そして、イスラエル建国に伴って自分たちが難民となった1948年5月15日を「ナクバ(大惨事)」として、決して忘れることのないよう毎年想起しています。

 

 パレスチナ難民を支援する国連機関、UNRWA 「ウンルワ」の誕生

これらの難民を支援するために、1949年、国連総会でUNRWA が設立され、翌年5月、その活動が開始しました。UNRWAは、ヨルダン、レバノン、シリア、西岸地区、およびガザという5つのフィールドに住むパレスチナ難民に教育、保健、救済、社会福祉など、基礎的なサービスを提供しています。その後、パレスチナ人を支援する周辺アラブ諸国イスラエルとの間で度々戦争があったため、新たな難民も発生し、現在の難民数は第三世代、第四世代の子どもや孫までも含む約530万人に上ります。これは、世界の難民総数である2,250 万人の約24%を占める規模です。[ 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の世界難民報告書 2017 年 6 月 ] 

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ガザの南部にあるハンユニス難民キャンプの過去 (1955年)と現在 © UNRWA Photo

現在、パレスチナ難民はヨルダン(220万人、難民キャンプ数19)、西岸地区(81万人、同19)、ガザ地区(130万人でこれは同地区総人口の約70%、同8)、シリア(53万人、同9)、レバノン(45万人、同12)にある難民キャンプやその外で暮らしています。こうした難民を支援するUNRWAのスタッフは総勢3万人を超え、その多くはパレスチナ難民です。これら職員の大部分は学校の教員や医療関係者として働いています。

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西岸にあるベイト・ジブリン難民キャンプ © 2015 UNRWA Photo by Dominiek Benoot

 

なぜ今、パレスチナ難民を支援するUNRWAが注目されているのでしょうか?

1)聖地エルサレムをめぐる問題とガザ地区の大規模な抗議運動

この70年、パレスチナ難民はパレスチナ問題についての最終的な解決がないまま、中東の政治の混乱に巻き込まれ続けてきました。2017年末からの米国による決定によってパレスチナ難民はこれまで以上に厳しい局面に立たされています。まず、2017年12月6日、米国政府はユダヤ教キリスト教およびイスラム教の聖地であるエルサレムイスラエルの首都とし、自国の大使館をエルサレムに移転すると発表しました。国際社会はこの米国の決定に即座に反応し、国連総会は12月21日緊急特別総会を開き、米国政府に方針の撤回を求める決議案を128カ国の賛成多数で採択しました。

高まる国際社会の批判をよそに、米国政府は2018年5月14日、イスラエル建国70周年に合わせて在イスラエルの米国大使館をエルサレムに移しました。これは、中東における政治的バランスや国際社会の世論を配慮し、歴代の米政権のいずれもが手を付けなかった決定です。東エルサレムを将来のパレスチナ国家の首都とすることを求めるパレスチナ側にとっては、到底認めることのできない事態です。エルサレムの地位をめぐって、パレスチナでは一挙に緊張が高まり、ガザ地区にあるイスラエルとの境界付近では今年3月からガザの住民が抗議デモを行っています。5月14日には幼い子ども含む60名以上がイスラエルの銃撃などで命を落としたというショッキングなニュースが飛び込んできました。(2018年5月16日現在)このような状況に強い危機感を持つアントニオ・グテーレス国連事務総長は、イスラエルパレスチナ双方に対して強く自制を訴えています。

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オリーブ山から見たエルサレムの旧市街 (2015) © UNRWA Photo

 

2)UNRWAの財政状況、危機に陥る

パレスチナ難民への支援に関しても、大きな打撃がありました。2018年1月16日、米国政府は、突然、UNRWAに拠出する予定の1億2,500万ドル(約140億円)のうち、およそ半分の6,000万ドルのみを拠出し、残りの6,500万ドルについては凍結する、と発表したのです。米国からの拠出金は、これまでUNRWA全予算の3割を占め、その多くがパレスチナ難民への支援の根幹となる教育、医療、福祉サービスという最重要分野に用いられてきました。

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ローマで開催されたUNRWA主要拠出国会議において、財政難にあえぐUNRWAへの緊急的な追加支援を求めるグテーレス国連事務総長 (2018年3月15日) ©FAO

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UNRWAの中学校で © 2010 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

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エルサレムのアマリ難民キャンプのUNRWAクリニック © 2016 UNRWA Photo by Tala Zeitawi

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難民への食料配給の様子 © 2013 UNRWA Photo by Shareef Sarhan

翌日、ピエール・クレヘンビュールUNRWA事務局長は声明を出し「パレスチナ難民数百万人の尊厳、人間の安全保障が危機に瀕しています」と世界に訴え、このような拠出の凍結は人々の過激化を助長してしまうと警鐘を鳴らしました。グテーレス国連事務総長は、「大幅な予算カットによってUNRWAが存続できなくなれば、中東全体の安全が損なわれる」と国際社会に警告を発しました。

それから数か月後、私が訪れたUNRWA事務所で出会ったどのスタッフも、米国が決定した拠出の大幅削減について、大きな戸惑いと不安を感じていました。UNRWAは創設来最大の危機を乗り越えるため、米国政府に働きかけ、また、国際社会に対して支援を増やすよう粘り強く訴えています。これに対応するように、カタールサウジアラビアUAEがそれぞれ5,000万ドルの追加拠出を表明したほか、4月末には日本政府も1,000万ドルの追加支援を表明しましたが、UNRWAの資金難は未だ解消されていません。このままの財政状況が続くと、約50万人のパレスチナ難民の子どもたちが通うUNRWA学校が今年秋の新学期を開けない可能性もでてきました。UNRWAは今年に入ってからはソーシャルメディア「#尊厳を守る#DignityIsPriceless」キャンペーンを開始しており、パレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、日本を含む世界からの支援が求められています。

2018年1月29日、クレヘンビュールUNRWA事務局長は「#尊厳を守る (#DignityIsPriceless)」キャンペーンを開始を宣言
 

広がるパレスチナ難民支援の輪と日本からの支援への期待

大きな試練に直面しているパレスチナ難民とUNRWA。今回の視察中、私はUNRWA の活動現場をじっくりと見る機会を得ました。高まる不安や脅威にも関わらず、ヨルダン、西岸地区、そしてガザでUNRWAの職員たちは最も脆弱な難民コミュニティーにサービスを提供し続けていました。実は、その職員の多くは自らも難民なのです。中東和平への道のりは遠のいたものの、日本を含む国際社会は現在、難民への支援を徐々に強めています。そこには政府のみならず、市民社会や個人も参加しています。次回からは、その支援の様子について詳しく報告していきます。お楽しみに!

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「 #尊厳を守る ( #DignityIsPriceless )」キャンペーン( https://www.securite.jp/unrwa

UNRWAパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。

こちらのビデオもご覧ください