国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

アフガニスタンで世界遺産保護に取り組む (後編)

                                                    

バーミヤンの大仏は再建されるべきか否か?

        

 

20年以上内乱が続いた2002年よりアフガニスタン文化遺産復興に取り組むユネスコで、文化財の復興に携わる長岡正哲(ながおか・まさのり)さんに、バーミヤン文化遺産保護の意義や難しさについて前編に続き寄稿して頂きました。

アフガニスタン世界遺産保護に取り組む 前編- 文化遺産バーミヤンの保護と経済復興の両立」(⇒リンク)とあわせてお読みください。

 

~お知らせ: 本記事(後編)で登場するバーミヤン大仏再建のための技術会合及び公開シンポジウムが日本政府の支援により、2017年9月27日から30日に、東京芸術大学にて開催されます。

 

 

 

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長岡正哲(ながおかまさのり)さん

1968年生まれ。ユネスコ・カブール事務所文化部主任。
筑波大学大学院で世界遺産学博士号、米国コロンビア大学大学院美術史考古学修士号取得2004年よりユネスコ勤務。ユネスコ・パリ本部世界遺産センターアジア太平洋課事業企画専門官、ユネスコジャカルタ事務所文化部主任を経て現職。
近著に『
Cultural Landscape Management at Borobudur, Indonesia(Springer出版)、『Borobudur: the Road to Recovery; Community-based Rehabilitation Work and Sustainable Tourism Development』(National Geographic Society / UNESCO出版)など。

 

  

東西両大仏をはじめバーミヤンの多くの文化遺産タリバンによって破壊されてから今年2017年で16年が経ちました。本年3月11日、地元政府と市民の共同事業として文化財の保護と恒久的な国の平和を希求する記念式典が、高さ55メートルの西大仏の後背に位置する仏龕内で開催され、250人を超える地元住民が集まりました。私もユネスコの代表としてこの事業に参加する機会にめぐまれました。

 

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©Nagaoka/UNESCO

2001年に破壊された東大仏。38メートルの大仏立像は現在仏龕(ぶつがん)内に存在していない。

 

 

バーミヤンの文化的資産の保護と平和の維持をどのように実現させるか。式典ではバーミヤン知事や地元NGOの若者らが、それぞれの立場から、集まった多くの市民に訴えかけました。バーミヤンの歴史的、考古学的価値のある文化財はもちろん、世界遺産の価値を有するバーミヤン渓谷一体に広がる文化的景観の保護は急務です。

 

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©Nagaoka/UNESCO

平和を希求する祭典が地方政府と村人により開催される。

 

 

式典では東西両大仏がどのように破壊されたかを伝える劇も上演されました。大仏がいよいよ破壊される様子を地元の役者らが演じている時、私は昨年会った一人のアフガン人のことを思い出さずにはいられませんでした。彼はタリバンによって大仏破壊工作を強いられた23人のうちの一人で、今もバーミヤンに住み続ける唯一の村人です。子供6人を含む家族8人で平和に暮らしていましたが、2000年にタリバンによって捕らえられ4か月間拘束された後、大仏爆破の準備のため24日間休みなく強制的に働かされました。爆発物の運搬の他、大仏頭頂部から一本の縄で吊りされながら、石像にドリルで穴を空け、ダイナマイトを仕掛けることを命じられたのです。その工作に従事していた村人の一人がこの蛮行を非難すると、即座に彼の目の前で銃殺されたと話す彼に表情はありませんでした。心臓発作で亡くなった村人もいました。作業の間、棒で体を殴打され続け、常に死がすぐ目の前にあったと彼は私に語りました。現在空洞になっている仏がんを見る度、当時の壮絶な記憶が蘇ると同時に、悔しい気持ちが沸き起こるという彼の周りには、無邪気な幼い彼の子供たちがまとわりついていました。大仏が再建されれば、彼は救われるという反面、またタリバンによって大仏破壊工作が起こるのではないかと心配していました。

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©Nagaoka/UNESCO

タリバンにより大仏破壊の強制労働を強いられた村人の家族には笑顔が広がっていた。

 

現在バーミヤンイスラム教徒がその大勢を占めています。バーミヤンには現在ひとりの仏教徒もおらず、大仏や仏龕が宗教儀式や礼拝の場として利用されることはありません。ではなぜイラスム教徒のアフガン人がバーミヤンの仏教遺跡を保護する努力をしているのでしょうか。これは実に多く聞かれる質問です。バーミヤンの大仏主崖はこれまで、地元住民の間で中心的な役割を果たしてきました。地元の人々は休日には家族とともにそこを訪れピクニックをし、毎年新年の3月21日のナウルーズの日にはここで祝い、断食月の終わりのラマダンの終了を祝う大祭をここで催し、伝統的なアフガニスタンのスポーツであるブズカシもここで開催されます。バーミヤン遺跡は地域の文化と慣習に密接に繋がり、今ではなくてはならない場所として地元住民に愛されているのです。

 

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©Ghulam Reza Mohammadi/UNESCO

多くの村人が観戦する伝統スポーツ、ブスカシ。毎年数回大仏前の広場で開催される。

 

2016年トルコで開催された第40回世界遺産委員会で、アフガン政府はバーミヤン大仏を再建する意向であると正式に表明しました。これを受けユネスコは日本政府の支援により、2017年9月27日から29日までバーミヤン大仏再建のための技術会合を東京藝術大学で開催します。参加者は情報文化大臣をはじめとするアフガン政府要人の他、世界遺産文化財保護の専門家、教授、ユネスコ職員等計80名に及びます。3日間の技術会合に続く9月30日には、同じく東京藝術大学で一般の方を対象に公開シンポジウムが開催されます。

これまでバーミヤン大仏の再建の是非についての議論はされていませんでしたが、東大仏龕の保護が完了した今、学際的な議論を進める素地ができつつあります。また2013年にドイツ隊が行った足の再建が契機となり、アフガニスタン政府はイコモスおよびユネスコから大仏再建を学術的に検討するよう勧告されています。

大仏の再建には、修復の技術論や文化財のオーセンティシティー(眞正性)の問題、関連する国際条約との整合性や、アフガニスタンの治安面の問題など様々な課題を考慮しなければなりません。前ユネスコ親善大使の平山郁夫氏は、広島の原爆ドームやドイツのアウシュビッツ奴隷貿易の拠点となったセネガルのゴレ島のように、現状のまま人類の負の遺産として後世に遺し、人類が行った蛮行を二度と繰り返してはならないという強いメッセージを残すべきだと生前語っておられました。その一方、シリアやイラクなどの中東では、現在もテロリストによる文化財の破壊が横行しているだけでなく、それらの盗難、転売により新たなテロリズムの資金源として活用されているのが現状です。

今回東京で行われるバーミヤン大仏再建の会議は、壊された文化財をどのように補修するかという技術的な話に留まらず、テロによって破壊され、オリジナルの部材がほとんど散逸した文化財を新たに建立することの是非や、その作業指針についても話し合われます。そのため会議の結果次第では、従来の世界遺産条約の作業指針に大きな影響を及ぼす可能性があります。バーミヤン大仏再建の協議を通じ、今こそ人類の英知を結集させ、文化的な側面から世界の平和をどう築くべきか、広く真剣に話し会う機会が日本の支援によって東京で行われます。

 

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©Nagaoka/UNESCO

仏がんから眺めるバーミヤン渓谷全景。

 

 

バーミヤンが今日まで伝えてきた歴史と自然、文化は、宗教や国の違いを超えて多くの人たちに受け入れられています。そのうえで、かけがえのない重要な価値を有しているバーミヤン文化遺産として包括的に保護され、次の世代に引き継がれなければなりません。アフガニスタンの文化復興はまだまだ始まったばかりで、国際的な協力やアフガニスタン人自身の更なる努力が必要です。先人が築いてきた貴重な文化遺産を未来に伝えるために、毎日の地道な努力が今もここアフガニスタンの青い空の下で続いています。

 

アフガニスタンで世界遺産保護に取り組む (前篇)

 

前編文化遺産バーミヤンの保護と経済復興の両立‐                                                             

 

20年以上内乱が続いた2002年よりアフガニスタン文化遺産復興に取り組むユネスコ文化財の復興に携わる長岡正哲(ながおか・まさのり)さんに、バーミヤン文化遺産保護の意義や難しさについて寄稿して頂きました。

 

~お知らせ:本記事(後編)で登場するーミヤン大仏再建のための技術会合及び公開シンポジウムが日本政府の支援により、2017年9月27日から30日に、東京芸術大学にて開催されます。

 

 

                                                f:id:UNIC_Tokyo:20110704092059j:plain                                                                                                                

長岡正哲(ながおかまさのり)さん

1968年生まれ。ユネスコ・カブール事務所文化部主任。
筑波大学大学院で世界遺産学博士号、米国コロンビア大学大学院美術史考古学修士号取得2004年よりユネスコ勤務。ユネスコ・パリ本部世界遺産センターアジア太平洋課事業企画専門官、ユネスコジャカルタ事務所文化部主任を経て現職。
近著に『
Cultural Landscape Management at Borobudur, Indonesia(Springer出版)、『Borobudur: the Road to Recovery; Community-based Rehabilitation Work and Sustainable Tourism Development』(National Geographic Society / UNESCO出版)など。

 

 

戦後復興が急ピッチで進んでいるアフガニスタンでは、国際社会がその緊要性に注目し急速に支援が集まりました。人道支援、教育の復興、 医療の充実、インフラ整備、食料援助など、その内容は多岐にわたって います。国の再建が着々と行われているその一方で、文化遺産地域の保護・保全に関わる問題が各地で起こっています。過去シルクロードの要衝として栄えたバーミヤンでも、最近、至る所で村の経済発展のための急激な都市開発が進み、バーミヤンの文化的価値を脅かしています。この問題に対し日本政府は2002年よりユネスコに対し、これまで7億円以上の文化遺産保護信託基金を拠出しています。つまり日本人の税金がバーミヤンの文化復興に使われているのです。日本とバーミヤンの接点は実はこんな意外なところにあるのです。

 

 

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©Nagaoka/UNESCO

バーミヤン主岩で働く地元のガードマンたち。昼夜二交代制で働く彼らの給料も日本からの支援でまかなわれている。彼らが来ているユニフォームには、ユネスコ・プロジェクトの一環として日本の支援が明記されている。

 

 

私がユネスコの文化部主任としてカブールに着任したのが2014年の6月 です。実は今回のアフガニスタンへの着任は2回目です。前回は2004年から2008年まで丸4年間、ユネスコカブール事務所の文化担当として勤務していました。アフガニスタンで20数年続いた内乱後の2002年より、ユネスコはこの国の文化復興に取り組んでいます。長年の内戦で破壊さ れた文化遺産をどのように守り未来に伝えていくかをアフガニスタン人と共に考え、またアフガニスタン人自らの手で復興していけるように お手伝いをしています。

バーミヤン文化遺産の核をなすのは、かつて東西二体の大仏立像が刻み込まれていた主谷の崖とそこに掘られたおよそ千にも及ぶ石窟、そしてそれらを飾る多彩な壁画です。長く続いた内戦により、それら文化遺産の多くは瀕死の状態にありました。そのためユネスコは、日本から拠出された支援により、各国専門家とともに2002年から今日までバーミヤン遺跡と文化的景観の緊急保護に取組んでいます。

 

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©Nagaoka/UNESCO

バーミヤン渓谷の向こうに見える渓谷主岩。その長さは1キロにも及び、千以上もの石窟が彫られている。

 

 

イタリア隊は崩壊の危機にあった高さ38メートルの東大仏の仏龕(ぶつがん)の保護を行いました。プロのロッククライマーがイタリアから参加し、ダイヤ モンドが先端についたドリルで壁面に穴を開け、1トン以上もののセメントを壁面に注入しその崩壊を防ぎました。

 

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©Nagaoka/UNESCO

イタリア人のロッククライマー。東大仏壁で連日の作業。仏龕の状態をコンピューター解析し、崩壊を食い止める作業を行う。

 

 

 ドイツ隊は破壊により散逸した大仏片の保護を行いました。破壊 された大仏片を全て仏龕から取り除くために、何トンもする大仏片は重機を使い、またパウダー状になってし まった大仏の破片は手でかき集める作業を続け、地道ながらも非常に 重要な活動を行いました。それらの一時保存のために西大仏前の収蔵庫の建設作業中に、対戦車地雷が見つかるというハプ ニングもありました。そのため、国連の地雷処理班が急遽バーミヤン 入りし、専門家が安全に作業できるよう緻密な地雷のレーザー探査が行われました。

ドイツ隊は大仏片のサンプ ルを炭素年代測定し、東と西の大仏が制作された年代を解明しました。日本隊も同様の測定で、壁画が東の崖から西へと作られていったこ とを突き止めました。こうした科学的研究により、これまでほとんど知られていなかったバーミヤ ンの歴史の謎は少しずつ解明されつつあります。

 

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©Bert Praxenthaler, ICOMOS Germany/UNESCO

西大仏片保護作業中発見された地中に埋まっていた不発弾。この他にも対戦車地雷や多くの地雷が見つかった。 

 

我が日本隊はバーミヤン全体をどのように保護していくべ きかを検討するための保護計画作りに着手し、遺跡地域特定のための調査に携わって います。遺跡地域調査の最中に40年ぶりに新たに壁画が発見されたり、バーミヤンで二つ目の存在となる ストゥーパ(仏塔)が発見されたことは、以前新聞やテレビ等のメディアでも取り上げられましたので記憶されている方もいらっしゃるのではないでしょうか。また80パーセント以上が破壊、略奪に遭ったバーミヤン壁画の保護も引き続き行っています。わずかに残っている剥離しかけた壁画の科学的保存処理や、色素退行した壁画の保護は最優先事業です。また2004年にはフランスの考古学者が、7世紀に玄奘が記述した「涅槃仏」の基壇らしきものを 東大仏よりさらに東に行ったストゥーパの近くで発見 したことは大きなニュースとなりました。

 

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©Nagaoka/UNESCO

発見された色彩豊かな壁画。何層にも重ねて塗られた油絵技法が既に5~6世紀に使われていることが日本隊によって解明され、西洋の油絵よりはるか昔にこの技法がバーミヤンで使われていたことが学会で発表され大きな反響となった。

  

考古学的価値と同様、バーミヤン渓谷は「文化的景観」としての価値が認められ、2003年ユネスコ世界文化遺産リストに登録され ました。 仏塔の痕跡、イスラム時代の墓地、廃墟と化したシャフリ・ゴルゴラ。 その他にもバーミヤン渓谷には、東のカクラク川と西のフォラディ川の 清流、ジャガイモ畑等が広がる緑豊かな谷、泥壁で形成された曲がりく ねった農道があり、その道では放牧された羊の群れが草を食み、農耕に 励む村人たちを目にすることができます。一望すれば、紺碧の空の下に は、ヒンドゥークシュを代表とした7000mを越える数々の山々がバーミヤ ン渓谷を取り巻くように屹立しています。これらすべての要素が一体となって、昔から変わら ないバーミヤン特有の文化的景観をつくっているのです。

 

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©Nagaoka/UNESCO(上)

©Georgios Toubekis, RWTH Aachen University/UNESCO(下)

バーミヤン渓谷。季節によりそのその景観は大きく変わる。

 

 

大仏の破壊に端を発したバーミヤンは、悲劇の舞台として一躍脚光を 浴び、世界が注目するところとなりました。そのため、多くの国々がバ ーミヤンの復興に手を挙げました。この結果、経済基盤の復興を目的とする大規模工事が村の中で進みました。首都カブールと西の大都市ヘラ ートを結ぶ大型幹線道路の建設工事、地方行政の総合庁舎、ホテル、警察署、警察訓練センター、職業訓練センター、学校、病院などの建設ラッシュ。この数年で多くの農地が宅地に代わり、村の中心に位置するマーケットも驚く速さで拡張されました。2005年には900件あった村の商店の数は、現在まで2000件以上にまで膨れ上がり、村の無秩序な開発が広がりつつあります。戦後復興において、地域の経済発展は非常に重要です。もちろん村には住民の生活向上のためインフラが整備される必要があります。しかしその一方で、文化的景観を含む文化的価値が破壊される可能性も同時に存在します。

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©Nagaoka/UNESCO

2004年(上)と2014年(下)撮影のバーミヤン渓谷。無秩序開発により農業地帯が大型車の駐車場や資材置き場に変わっている。

 

 

文化遺産の保護とバーミヤンの経済復興の両立。一見すると相反する目的に、 ユネスコは将来的なバーミヤン渓谷保護のため、アフガン政府と海外の専門家らとその計画案を2007年に完成させました。その計画案は2013年にバーミヤン市復興のマスタープランとして国の認可を受けました。これをもとにアフガ ニスタンの中央政府バーミヤン州政府とともに、文化遺産の保護とバーミヤン渓谷全体の発展のために、多額の経済復興支援を申し出ている各国政府や、国連・NGO、また一番重要な村人と連携しながら、現在復興を進めています。

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©Nagaoka/UNESCO

文化的景観保護のためのマスタープランの市民への説明。アフガン政府とユネスコが主催。一週間に及ぶ説明会には延べ800人の村人が加わり、文字通り膝詰めの会議が行われた。

 

後編に続く…

 

                                                        

中満泉・国連軍縮担当上級代表が来日しました:フォトアルバム

中満泉(なかみつ・いずみ)軍縮担当上級代表が8月2日(水)から10日(木)にかけて、来日しました。同氏が日本を訪れたのは、5月の就任後初めてです。

今回の訪問では、広島・長崎での平和式典に参列し、国連事務総長メッセージを代読したほか、日本政府要人、国会議員軍縮分野の関係者らと懇談しました。8月4日(金)に日本記者クラブで記者会見、8月6日(日)に広島大学で講演、8月8日(火)に長崎の平和首長会議で基調講演、長崎大学で学生・市民との対話集会などに臨みました。

 

広島・長崎での平和式典

 

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(8月6日)

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中満泉軍縮担当上級代表(右)と松井一広島市長(左)©広島市

 

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アントニオ・グテーレス国連事務総長の代理として、原爆死没者慰霊碑で献花 
©広島市

 

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国連事務総長のメッセージを代読 ©広島市

 

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 (8月9日)

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国連事務総長のメッセージを代読 ©広島市

 

 その他のイベント

 

広島大学平和企画「平和と自由の鳩」で講演 (8月6日)

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「21世紀の軍縮課題」について、広島大学で講演 ©広島市

 

広島大学平和企画「平和と自由の鳩」除幕式(8月6日)

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中満泉軍縮担当上級代表(右)と越智光夫広島大学学長(左)

 

広島で中高生の取材に対応

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UNITAR広島事務所で、中国新聞のジュニアライターから取材を受ける中満泉軍縮担当上級代表 ©UNITAR

 

第9回平和首長総会

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長崎市で、「平和首長総会」開会式での基調講演  ©長崎市

 

長崎市被爆者の会と懇談

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長崎の被爆者の会「長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)」の応接室で、日本被団協の代表と懇談 ©UNODA Haruka Katarao

 

国連広報センター訪問

 

国連広報センターで上級代表就任の抱負を語る

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 上級代表就任の抱負や21世紀型の軍縮について語る ©UNIC Tokyo

 

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根本かおる国連広報センター所長と対談 ©UNIC Tokyo

 

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国連広報センターのインターンに若者への期待を語る ©UNIC Tokyo

SDGs、笑いで身近に!「SDGs-1 グランプリ」報告記

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国連広報センター所長の根本です。8月6日夏の札幌で、17のSDGsの目標から3つを選んでネタに盛り込み、競い合うという新機軸のイベントがあり、審査員として参加させていただきました。名付けて、M-1ならぬ「SDGs-1 グランプリ」。吉本興業と北海道による、北海道民のみんなに笑顔を届ける「みんわらウィーク」(8月5日~8日)の一環で行われたものです。次長課長河本準一さんの司会で、アップダウン、パンサー、横澤夏子、ミキ、おばたのお兄さんの皆さんという豪華なメンツの出演だけあって、超満員の会場でした。

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イベント冒頭、司会の河本さんからの「SDGsって聞いたことのある人、どれぐらいいます?」の問いかけに、手を挙げた人はまばらでさびしい状況でしたが、そこはすかさず「ヤクルト(スワローズのS)、中日(ドラゴンズのD)、巨人(ジャイアンツのG)のことでしょ?」と芸人の皆さんに笑いで拾っていただけるのが、こうした舞台のいいところ。

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トップバッターのおばたのお兄さんは、ゴール2(飢餓をゼロに)、3(健康と福祉)、4(質の高い教育)を、人気の「小栗旬」ネタにひっかけて披露。横澤夏子さんは、ゴール2(飢餓をゼロに)、8(働きがいも経済成長も)、11(住み続けられるまちづくりを)を選びましたが、普段のネタが意外と根底ではSDGsのゴールに結びついていることがわかり、驚きました。ミキは「あいうえお」ネタで突っ走り、パンサーは持ちネタ「メダル」にひそむ“格差”“仲間はずれ”をゴール10(不平等をなくそう)につなげて笑いを取っていました。北海道出身のアップダウンは安定感のある漫才で、トリを飾ってくださいました。

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お客さんの反応もよく、強引だと大笑いし、きれいに結びつくと自然と拍手が起こります。私は審査員であることを忘れて、笑い転げていました。審査は甲乙つけがたかったものの、日頃のネタが実はSDGsと関係があるということを一番見せてくださった横澤夏子さんを選ばせていただきました。ニューヨークの国連本部で見つけた国連のバックなど国連グッズセットという賞品に大喜びしてくださいました。

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国連が関わる形で行われたSDGsを盛り込んだネタのお笑いバトルは、世界初です。世界で初めての企画に立ち会えて、感動ものでした! 

会場の皆さんもSDGsという言葉を何度も耳にして、たくさん笑って活性化した脳で情報をキャッチしてくださったことと思います。こういう日本ならではの取り組みがどんどん広がっていくことを願っています!

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ピコ太郎さんも視察!「Spotlight on SDGs」展、ニューヨークで好評開催中(展示延長:8月29日まで)

国連広報センター所長の根本かおるです。ニューヨークの国連本部は世界中から見学に訪れる観光名所です。国連本部の中を見学して回るガイドツアーに参加する人々が集まるビジターズ・ロビーで、国連広報センターが主催する「Spotlight on SDGs」展 が、SDGsについて話し合うハイレベル政治フォーラムが始まる7月10日から1ヶ月間、開催されています(8月29日まで展示延長)。私はハイレベル政治フォーラムで日本政府がSDGsの実施状況について発表するのにあわせてニューヨークに出張し、同時にセンターが主催するこちらの企画展の様子を見てきました。

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 これは、昨年行われた「私が見た、持続可能な開発目標(SDGs)」学生フォトコンテスト で5つの大陸にわたる47ヶ国から600を超える応募作品が集まり、その中から選ばれた受賞作品15点を中心に構成された企画展です。

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写真には国境を越える力があり、世界中の若者たちをつなげる理想的な媒体です。それと同時に、SDGsをテーマに写真を撮るという行為はSDGsについて考えてもらうきっかけとなり、若者を中心とする一般の方々を巻き込むことにつながり、SDGsを推進する力となります。こうしたことから、国連広報センターでは、コンテスト受賞作品を国連本部で展示し、世界中から集まる見学者に写真展を通じてSDGsを自分事として考え、変革の主体になってもらいたいと考えたのです。

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 ハイレベル政治フォーラムに参加した World Associaion of the Major Metopolises のリア・ブルムさんも私たちの展示に足を止めてくれた一人です。「一枚一枚の写真をじっくり見て、撮影者一人一人の思いの説明書きを読んで、人の願いと課題とが直結して表現されていることに大変感銘を受けました。私たちはとかく官僚的なハードルの中で自分を見失いがちですが、写真展は自分の原点を思い起こさせてくれました」と感想を寄せてくださっています。

Spotlight on SDGs企画展が実現した背景には、ニューヨークの国連広報局でビジターズ・ロビーでの展示を担当するメリッサ・ボディニッチさんの協力があります。メリッサが私たちの受け手となって、素晴らしい展示にデザインし、出力して設営してくれたのです。

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「世界およそ60ヶ所に国連広報センターがありますが、センターが国連本部でこのように大きな展示を開催することはほとんどありませんよ」とメリッサは語ります。「時間に余裕をもって本部の私たちに相談してくれたので、ハイレベル政治フォーラムとタイミングを合わせて開催することができました」

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「写真はいつも人気がありますが、今回の展示は特に学生たちが撮った写真という点で、SDGsを具体的かつ身近な自分事として感じてもらえていると思いますよ」と来場者の反応も上々のようです。

岸田文雄外務大臣国連の場でSDGsにむけた日本の取り組みを発表した7月17日には、嬉しいサプライズがありました。日本のSDGs発信の盛り上げに 国連本部に駆け付けたピコ太郎さん が忙しい合間を縫ってSpotlight on SDGs展に立ち寄ってくださったのです。

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ピコ太郎さんは一つ一つの作品に興味津々で、丁寧に見て回ってくださいました。

「これは何?」「ペルーの浜辺で廃タイヤを回収しているボランティアですよ」「えー、詩的な写真だなあと思ったんですけど」「この写真を撮影したペルーの青年は徹底していて、授賞式で日本に来たときもペットボトルが海を汚すと言って、ペットボトルの水は飲みませんでした」

「じゃあこの鹿の写真ははどこで撮ったものだと思いますか?」「日本じゃないですよね」「いえいえ、広島県の宮島で、対岸は広島ですよ」などと私から説明しながらご覧いただきました。

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 「こうやって説明して見て回れると、理解が深まりますね。SDGsのコンセプトを伝える上で、ビジュアルの力って大きいですね」とピコ太郎さん。

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 視察中もいろいろな人から声をかけられ、気さくに写真撮影に応じていらっしゃいました。ピコ太郎さんの国境を越える力、ハンパないです。

国連ニュースセンターの取材に、「We have your love, we have your power, UN…, SDGs!」と答えてくださったピコ太郎さん。いずれは外国を訪問した際に、恵まれない環境にある子どもたちに対して笑いを、平和を届けたいと抱負を語ってくださいました。

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7月17日が誕生日というピコ太郎さんにとっても、国連の私たちにとっても、思い出に残る日となり、ピコ太郎さんはSDGsの17の目標の「17」を指で作ったポーズを広めてくださいました。 

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SDGs学生フォトコンテスト は今年も開催し、現在作品を募集中です。締め切りは8月30日。あなたの足元のSDGsに目を向けて写真におさめ、どうぞ奮ってご応募ください! 

 

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連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (10)

                                     田 仁揆さん(でん ひとき)さん

 

                    -紛争予防と平和構築を支える国連政治局の役割-

 

第10回は、長年にわたって国連の政治局に所属した田仁揆さんです。田さんは、政治局がまだ国連政治総会問題局だった頃に国連に入り、その後、ミャンマー、ネパール、モルディブなどの民主化などの分野で大いに活躍されました。ミャンマーでは、軍政側とアウンサンスーチーさんとの間でシャトル外交の実現に貢献。またASEAN国連総会のオブザーバーとなることに支援を提供し、尽力されました。政治局における勤務を振り返るとともに、国連の役割、国連と米国との関係などについて語ってくださいました。

 

 

田 仁揆(でん ひとき)さん

ジャパンタイムズ報道記者を経て1988年国連事務局に奉職。事務総長室政務官、政務担当事務次長特別補佐官、東南アジア及び南アジア担当チーム長を経て2014年退官。コーネル大学大学院卒。東京都出身

 

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田 仁揆さん ©UNIC Tokyo

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国連と米国の関わり】

根本:田さんが国連で所属されていらっしゃったのは政治局ですね。

 

田:政治局は、1992年に設立されましたが、私が配属されたのは、政治局がまだ政治総会問題局だったころです。事務総長官房の一部でした。事務総長室にいきなり配属されたというわけです。最初の上司は米国人でした。考え方や働き方を理解し易い上司の下に配属されたことは運がよかったと思っています。国連はどこに配属されるかで、その後のキャリアが決まってしまうところがありますから。

 

根本:そうですか。米国は国連をどう見てきたのでしょうか?

 

田:歴代の政権によって違います。ですが、国連がなぜできたかというと、米国のルーズヴェルト大統領(当時)の理想主義やパッションがあったからです。歴代政権の国連政策をみると、民主党の方が若干ですが、国連に対して理解があるという気がします。今は共和党のトランプ政権で、まだ分かりませんが、注目を浴びているところでは、国連への予算削減など非常に厳しい姿勢を見せていますね。

 

根本:予算の削減に加えて、国連がお膳立てをしてできたパリ協定からも脱退を宣言し、今また人権理事会からも脱退するという話もあります。

 

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対談中の根本所長(左)と田さん(右) ©UNIC Tokyo

 

田:ただ国連にとって米国というのは絶対に必要な国であると同時に、またその逆も真であって米国にとっても国連というのは必要なのだと思います。膨大なコストがかかりますから、今、国連がやっている仕事を米国に引き受けてくださいといって、果たしてそれが可能かどうか・・・。そういう意味で、国連でなければできない仕事は国連に任せるという、作業分担をトランプ大統領も理解してくれるといいのではないかと思います。トランプ大統領はコスト意識がとても強いみたいですから、国連がどれだけ米国の利益になるのかをわかってもらえるような努力をしていけば、必ずしも国連をないがしろにすることはないのではないかと思います。

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国連における日本の役割とこれから】

 

根本:米国は、政治局のトップにアメリカ人を送り込んでいたのですか?

 

田:はい。1945年に国連が創設されたときに安保理常任理事国五カ国の間で紳士協定(gentleman’s agreement)という様なものができて、それ以来ソ連(当時、現ロシア)は安全保障理事会、米国は総会(最近では政務及び国連の改革との関連で行政管理)、フランスは経済社会とかPKO、英国はPKOや,人道、中国は経済社会関連といった具合に事務局の主要部局の幹部ポストをそれぞれ分担するといった暗黙の了解みたいなものが存在しています。。

 

根本:日本の場合はどうでしょうか?

 

田:日本は広報と軍縮ですね。つい最近、中満泉さんが軍縮でトップに任命されましたが、良かったですね。とても喜んでいます。

 

根本:軍縮というと今年核兵器禁止条約ができる機運が高まっている中で、唯一の被爆国である日本は今のところは交渉に参加していませんが、軍縮への取り組みをリードする象徴的な立場に日本人が事務次長(USG)としているのは非常に意味のあることであると思います。日本としてはどのようなサポートを提供することが必要だと思われますか。

 

田:日本は軍縮の面では、もう少し独自色を出してもいいのではないかなあと思います。外野から見ていると米国に気を遣いすぎている気がします。

 

根本:大国のくびきがありながらも、各国のなかで、独自色を出しながら国連の場で外交を展開してきた国があれば、教えていただけますか?

 

田:例えばスウェーデンデンマーク、それからノルウェーですね。北欧の三国と言うのは中小国ですが、国連に対する貢献というのは非常に高いものがあります。国連の中でもそれはしっかり認識されているのではないでしょうか。

 

根本:デンマークノルウェーNATOの一角を占めている国でもありますが、NATO、あるいは米国も参加しての安全保障枠組みといったものがありつつも、自分の独自色を出しながら発言しているということでしょうか?

 

田:そうですね。そしてやはり国連に対する貢献です。それは財政、人的、そういうものを含めて貢献が大きいです。日本も国としてそういうキャパシティは十分あると思うので、もう少しやれるのではないかという気がしています。

 

根本:政治局にいらっしゃって、ここはもう少し日本も上手くやればいいのになあというような考えを日本政府関係者と共有なさったりしたようなことはありますか?

 

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ペレス・デクエアル事務総長室の同僚と(田さん提供)

 

田:国際公務員という領域を守りつつ協力できることは協力したということはあります。日本人の場合は国連にまだ人が絶対的に少ないのです。なぜ職員を増やすことが大切かと言いますと、やはり人間ですから、国際公務員という立場をわきまえつつも、いろいろなところに日本人がいれば、より広範囲で情報の共有とかそういったことをできると思うのです。ご存知のように、国連というのは情報が大事です。Extra mile の努力をしないと情報というのは回ってこないのです。要所要所に邦人職員がいれば、回りまわって日本政府の利益にもなるのだと思います。

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ミャンマーで感じた体制転換の難しさ】

根本:ご著書『国連を読む』を拝読いたしました。ミャンマー、ネパール、それから、モルディブでの活動の様子を書かれていらっしゃいます。それらの国々に深く関わってこられたのですね。

 

田:はい。ミャンマーが私にとって一番印象の深い国です。国連事務局に25年いましたが、最初の12年は事務次長を補佐していました。5人の事務次長に仕えましたが、補佐官(special assistant)というのは参謀であり仕事は滅私奉公なのです。上司を助けてその部署が上手く機能するようにする。そのために「私」を殺す。

 

根本:日本人はspecial assistant・executive assistantなどの役職に向いているのではないですか?

 

田:毎日の仕事がproblem solvingで、交通整理の警察(traffic officer)みたいなものです。こっちからきたのをあっちに、あっちからきたのをこっちに、と。それはそれなりに面白いのですが、もう少し他の仕事もしてみたいということで2000年にアジア部門(Asia division)に移りました。そのときに、ちょうどコフィ・アナン事務総長がマレーシアの駐国連大使で、外務省を引退したしたばかりのラザリ・イスマイルさんをミャンマー問題担当特使(special envoy)に任命しました。私は、このラザリさんと一緒にミャンマーに行って、国民和解を助けるという仕事に携わったのです。ご存知の通り、ミャンマーというのは1962年から軍事政権が約50年続いたのですが、当時、アウンサンスーチーさんは軟禁状態で誰もアクセスを持っていない状況でした。私たちがアウンサンスーチーさんに会いに行って、スーチーさんの見解を軍政側に伝えて、それでまたスーチーさんに会って軍政側の反応を伝えて、最後にまたスーチーさんの反応を軍政側に伝える。いわゆるシャトル外交に携われたことは仕事冥利に尽きました。会談が終わってbriefingをするわけですが注目度が非常に高い。スーチーさんがノーベル平和賞をもらっているということもあり、特に欧米諸国は彼女のことに関心が高いのです。ミャンマー問題というのは、もちろん国連としては、当事者のお手伝いをするというのが原点ですから、軍政側とスーチーさんに対し、譲れるところは譲り大局的な観点からミャンマーの将来のために対話をしてくださいとお願いをするわけです。実際に対話が始まって、2002年にはスーチーさんが軟禁から解放されるとともに、政治的運動の拘束が解かれた。これは国連としては非常に嬉しい展開でした。結局、その後に軍政側の内部の権力闘争が若干ありまして、軍政側が示した7つのステップのロードマップで民主化は進み、私たちが撒いた種は2010年、2011年に実って、軍政が終わったのです。ご承知の通り、スーチーさん率いるNLDは2015年の総選挙に勝って、今のミャンマーがあります。

 

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アウンサンスーチー氏宅でラザリ事務総長特使と(田さん提供)

 

ミャンマーに限ったことではないのですが、一つの国が独裁国家から民主国家に生まれ変わる、あるいはネパールの場合でしたら、王政から民主共和国に生まれ変わるといったプロセスはすごく時間がかかります。10年、20年、30年という歳月を要するのです。民主化が成っても、それを持続させるだけの社会的基盤がないとなかなか持続できません。ミャンマーの場合は少数民族問題などがありますから、まだまだ道半ばということではないかと思います。そういう観点から、政治だけでなく開発それから人権などを含めた包括的・総合的な国連の取り組みが今後、ますます必要になってくると思います。

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モルディブでの活躍】

根本:田さんはモルディブもご担当されましたね。

 

田:はい。根本さんはモルディブに行かれたことはありますか?

 

根本:いえ、残念ながらありません。ただ、前の大統領を描いたドキュメンタリーを見たことがあります。

 

田:ナシードさんですね

 

根本:はい、ナシードさんが逮捕されてから公開になったのだと思いますが、彼がコペンハーゲンで開かれたCOP15で温暖化の問題を訴える演説をした頃のことを中心に描いたドキュメンタリーでした。そのドキュメンタリーでモルディブの状況というのを初めて知りました。

 

田:私も実際に訪れるまでは高級リゾートというイメージしかありませんでした。飛行場に降りて、対岸にボートで10分ほどわたったところにマレという首都があるわけですが、この島はせいぜい5-6キロ平方メートル。10万人が住んでいて2000台の車が走っている。モルディブで非常に問題となっているのが失業ですが、観光しかないので若い人は仕事がありません。大家族制度をとっている国なので親に養われていて、若い人たちには何も仕事が無く、外で将棋をやっていたりします。そういうことで、麻薬問題だったり、過激な宗教が入ってきて深刻になったりしています。モルディブは紛争国ではありません。私たちも別に紛争を解決するために携わったわけではなくて、2008年に初めて民主的に行われた大統領選挙をお手伝いするために行ったわけです。この選挙ではナシードさんがモルディブ初の民主的大統領に選ばれ、翌2009年には複数政党制の国政選挙も行われて議会も民主化されました。

 

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モルディブ大統領選挙支援での田さん(田さん提供)

 

しかし司法に関しては、30年間に渡ってモルディブを支配したガユーム前大統領が任命した終身雇用の裁判官がいて、彼らを辞めさせられないわけです。それで、ナシードさんとの間で問題がどんどん深刻化して、ナシードさんが腐敗した裁判官を何とかしようとしても警察は逮捕できず、それならばと、軍隊を使って逮捕しました。それが今度は、大統領が国軍を使ってそういう内政の裁判官を逮捕するのは憲法違反じゃないかとなって、ナシード大統領が失脚した2012年2月の政変に繫がったのです。それ以後の国連の活動は双方の間をとりもち、モルディブの民主基盤の整備への支援が中心になりました。

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【小国にとっての国連の役割】

根本:モルディブは大国ではないですよね。こういう国にとって国連の重み、あるいは国連が仲介に乗り出そうとしていることの重みはどういうものなのでしょうか?

 

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第71回総会で、一般討論がスタート。 UN Photo/Cia Pak

 

田:すごく大きいと思います。193カ国の加盟国のうち半数以上は人口1000万未満の国で、モルディブも含めて多くの国が資金の潤沢な国ではありません。あそこの国の首脳と会いたいといっても簡単にヨーロッパや米国には行けないわけです。そういう国にとっては国連本部で秋に行われる国連総会の一般討論に来たとき、ダイニングルームなどにいれば、1時間ぐらいの間に10人、20人の外務大臣が来るので非常に効率よくお話ができるわけです。必ずしも国連総会だけではなくて、その外側で行われる二国間・多国間を含めた「廊下外交」にこそ国連の意義があるのではないかと思います。

一方、国連に関与してもらうということは、非常に重みを持っているとは思いながらも、内政に干渉されるのは躊躇があるという国が多いです。国連としてはその辺は慎重にしなくてはいけないし、あくまでも要請があってお手伝いするということです。別に望まれないのに、国連がしゃしゃり出て行って何かをやってもあまり成功はしないでしょうし、あくまでも当事者の意思というか、そういうものがある場合にはお手伝いさせて頂くということだと思います。

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【グテーレス事務総長の政策】

根本:新しい事務総長は予防、つまり紛争に陥るまでに何とか歯止めをかけて阻止することを重視しています。今後、予防を中核に据えるにあたって、組織的それから思考的に、どのような改革が必要になってくるのでしょうか?

 

田:私の個人的な見解ですが、グテーレスさんはブトロス=ガリさんの平和への課題(An Agenda For Peace)をよく勉強されたのだと思います。その中で言う「予防外交(preventive diplomacy)」というのは、紛争を未然に防げば、費用対効果の面で一番いいということです。メディカルの分野でもそうで、いま予防的ヘルスケア(preventive medicine)というのは非常に重視されている。ですから、紛争が起こる前に予防できるというのがもっとも理想的です。ただこれはジレンマなのですが、紛争を未然に防ぐことができたという例はいくつかあったと思いますが、未然に防げた場合はニュースにはなりません。これはもちろん国連としても、事務総長としても静かな外交でやりますから未然に防げるといった場合にはニュースにはなりません。今の国連は結果ベースの予算(result-based budget)で何でもかんでも定量化(quantify)して、これはこれだけ何時間やったからいくらよこせといった請求の仕方をするわけです。予防外交というのは定量化できないものです。これは例えば100時間使ったからこれだけの成果が出る、成功するという類のものではないのです。ですから、予防外交を重視するからもう少しお金を出せということにはなかなか繋がりにくい側面があります。ここは、これからの事務総長の腕の見せ所だと思います。やはり予防外交というのは、preventive diplomacyだけではなくて、Peace MakingとPeace Keeping、Peace Building、この4つのcomponentが複合的かつ包括的に実施されないとなかなかできないと思います。

 

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グテーレス事務総長 UN Photo/Mark Garten

 

それには開発を担当するUNDPなどの協力も大事になりますし、前から言われていたことですが、グテーレスさんがやろうとしていることの一つとして、例えばUNDPが今まで任命してきたRC(Resident Coordinator 常駐調整官)について、UNDPから事務総長官房に権限を移す。国連のいわゆるembassy というかambassador みたいな感じです。UNDPは開発担当の常駐代表(Resident Representative)を任命する。そういうことができるかどうかですね。恐らく事務局内では問題ないと思うのですが、問題はG77を中心とする開発途上国です。それらの国々が、そんなことしたら開発が政治化されてしまうんじゃないかということで反対する可能性はあります。実はブトロス=ガーリさんがこれを一時期やろうとしたのですが頓挫しました。だけど、例えば、モルディブとかミャンマーの場合も、政務局とそれからResident Coordinatorというのはすごく緊密に協力するのです。そういう協力がないとなかなかできないわけですね。その辺の改革ができるといいなと個人的には思ってます。

 

根本:そういえば、モルディブのRCは、いま野田章子さんという日本人女性です。

 

田:ネパールにいた方ですね。

 

根本:そうです。彼女のもとに政治局から行っているcoordinatorがいて、mediationとか分析とかを密接に一緒にやっていて、とてもよいことだと思っています。

 

田:先ほど触れたガーリさんのやろうとしたことが頓挫したので、スタートしたのがUNDPと政治局がjointで任命するPeace Development Officer です。

 

根本:なるほど。

 

田:こういった人をRCにつける。それで政治情勢の分析とかあるいはmediationのお手伝いをするということで始まってから、ずいぶんと経ちます。

 

根本: mediatorという人は国連には結構いるのですか?

 

田:四六時中、世界各地から要請があって、この人はmediationのスペシャリスト、この人は憲法スペシャリストといった具合にスクランブルして集めてチームを作って何か必要があった場合に政務の事務次長とか事務次長を助けるシステムはできています。しかし、これも残念ながら通常予算では無理なので、extra budgetでやっています。

 

根本:日本もこういうことに予算をつけたらいいのにと思いますが。

 

田:私もそう思います。それがさっきもちょっと触れた貢献なのです。北欧の国はこういうことにお金を出してくれることが多いです。

 

根本:相手をおもんぱかって調整するというのは日本人が持っている資質の一つなのかなと思いますが、どうでしょう。

 

田:コンセンサスを作っていくのは、日本人は上手ですね。

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【廊下外交の内実】

根本:先ほど、総会や大きな国際会議で人が集まるときの廊下外交の話がありました。非公式な形で情報交換してそれが何かの打開につながったということはありましたか。

 

田:-廊下外交が具体的な何かにつながったかどうか、何とも言えません。ただそういう場がなぜ大事かというと、例えば、米国と北朝鮮だったり、米国とキューバだったり、国交がない国同士が、国連代表部を経由してそうした非公式な交渉をする。なかなか二国間でオープンにできない問題でも大勢の中で非公式にやってしまうと意外とできたりすることもあるのです。

 

根本:それを国連政治局が御膳立てしたりすることもあるのですか?

 

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インタビュー中の根本所長(左)と田さん(右) ©UNIC Tokyo

 

田:それはないですかね。二国間の話ですから。ただ北朝鮮の関連でいうと、1990年に南北同時加盟というのがあったのですが、このときはそういうお膳立てはしました。このときは南北ともに非常に猜疑心が強くて、特に北は、南が入ってしまうと今度は米国が安保理での拒否権を使って北の加盟を阻むのではないかといった強い警戒心を持っていました。ではどうしたらよいのかとなって、これは同時加盟しかなく、しかも一本の決議案で両方を加盟させなければならないとなったわけです。そういうところに何回かの交渉を経て、いきついたのです。

 

根本:知恵を出したのは誰ですか?

 

田:事務局も加盟国も一生懸命考えます。そこに国連のノウハウというか専門知識があるわけです。もし加盟国が国連を使いたいということであれば使いようによっては役に立ちますが、使う気がなければ国連の事務局としてああしなさい、こうしなさいというのは、やはり言えないです。

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【ネパールでのミッション】

根本:キプロス問題もそうですよね。

 

田:キプロス問題はもうずいぶん長いですね。ネパールもそうでしたが、長くなると当事者に甘えが出てきます。国連がいてくれれば現状維持で別にお互い困らないのではないかと甘えが出てしまう。そういうことでは困るということでネパールの場合、2011年1月、国連は撤退しました。

 

根本:国連ネパール・ミッション(UNMIN)の撤退は早かったですね?

 

田:UNMINの任期は本来2007年から1年でしたが、国内の政治状況によって2011年まで延期されました。

 

根本:私はちょうど2006年から2007までネパール勤務でした。UNHCRのブータン難民のキャンプを担当していました。

 

田:事務総長特別顧問のイアン・マーティンはご存じでしたか?

 

根本:面識はありませんでした。イアン・マーティンの面白いところは、彼は一人でカトマンズの町とかを徘徊するのです。

 

田:面白い人ですよね。

 

根本:彼はみんなに好かれていたので、普通の人たちから「ハイ!ミスター・マーティン!」みたいな感じで声かけられていました。そういう彼の姿というのは、ありがたかったです。

 

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ネパール毛沢東主義派兵士宿営地を視察する田さん(田さん提供)

 

田: UNMINの展開はすごく速かったでしょう。

 

根本:はい。

 

田:1月に安保理でUNMIN設立の決議案が通ってもう4月には本体が展開していましたね。ただ最初は1年のmandateが、選挙が遅れたりして2年になって、その後今度は毛沢東派の兵士の国軍編入問題とかいろんな問題が出てきて3年4年と長引きました。政党間の仲が悪いので、もうこれはいつまでたってもだめだなということで撤退するしかないと。お金の面でもACABQ(国連財政問題諮問委員会)を中心に、特別政治ミッションというのはお金がかかりすぎるという厳しい非難があって、撤退した。そのあとは若干の紆余曲折はありましたが当事者間で交渉をやり始めて、2015年には新憲法も結局できましたから、よかったのですが。

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ASEAN国連の関係強化に尽力】

根本:今振り返って、一番面白かったのはどのオペレーション、あるいはどの課題ですか?

 

田:やはりミャンマーですね。もう一つは国連ASEANの関係の強化です。ASEANというのは、非常にメジャーな機構の一つです。1999年にカンボジアが入ってASEAN10になり、それをきっかけとして初めての国連ASEANの非公式の首脳会談が2000年にバンコクであったのですが、その時ASEANというのはまだ国連総会のオブザーバーになっていませんでした。国連との協力に関しては何のフレームワークもありませんでした。EUやアフリカ連合などは早くからオブザーバーで、協力関係を進めてきたわけですが、当時のアナン事務総長もASEANはどうしたんだということになって、政務局に何とかしなさいと下命があったわけです。ASEAN側と接触したところ、ASEANには何でも明確にしないで非公式にやる習慣(ASEAN-way)があり、別に困ってはいないという状況でした。しかしそうは言っても、やはり冷戦も終わり、ASEANとしても経済関係の強化だけではなくて、ミャンマー問題もありますので、政治的に役割を果たす時期に来ているのではないかというお話をしてオブザーバーになることを考えてもらうよう提案しました。そうなると今度は、ASEAN国連とobserver関係を結ぶとどういうメリットがあるのかを教えて欲しいというわけです。国連には安全保障の分野も含めて長年培ってきたノウハウとか専門知識がありますが、そういうことを口で言ってもよくわかってもらえないということで、地域セミナーをやりましょうと提案をしたわけです。それでASEAN5、つまりASEANの原加盟国である5つの主要な国を毎年回って21世紀の紛争予防・紛争解決、そして紛争後の平和構築といったことをテーマに地域セミナーをやりました。セミナーには政府の役人と、それからNGOや市民団体、研究機関といったところの人も入れて行いました。5年やったところASEAN側も国連に関わる利点に気付いてもらえたようです。

 

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ASEAN-UN 閣僚会合、国連本部で。UN Photo/Eskinder Debebe

 

もう一つ伏線になったことは、ASEAN自体がこれでいいのかということ考え始めたことです。やはり、ちゃんとした憲章を持った地域機構に主的に変質したほうがいいのではないかということで2007年に自分たちの憲章を作り出したわけです。新しい憲章ができて、初めてASEANは法的基盤に立った機構になったのです。同時に、国連にもオブザーバー加盟をお願いして、これはもちろん国連総会で満場一致で承認されました。それでASEAN国連の間の協力関係の基盤も整いました。そこに私は深く関わることができました。

 

根本:アジア部にいらっしゃったときには、日本もアジア部の対象国に入っていますよね。日本は直接のご担当ではありませんでしたか?

 

田:国連では自国は担当しないという暗黙の了解がありますから、日本は担当しませんでした。ネパールもそうですしミャンマーもそうですが、積極的に会合にも出てもらうなど、日本にはすごく助けてもらいました。たまたま日本の外交の方針と一致したということもあるのでしょうが、こうした問題で国連を支持してくれたことには感謝しています。

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【最後に、未来ある若者に向けて】

根本:最後に、若い日本人に対してお伝えになりたいことをお願いします?

 

田:やはり、もう少し外に目を向けて欲しいですね、機会があれば、別に国連でなくてもいいのですが、そういった仕事にチャレンジしてみてはどうですかということですかね。でも、昨日、国連について考えるシンポジウムが上智大学で開催され、そこにパネリストとして参加したのですが、そこにずいぶんたくさん高校生が来たのです。今の日本の若い人たちは実は国連にとても高い関心をもっているのだということを知り嬉しく思いました。日本の若者に期待したいです。

連載:アフガニスタンで平和について考えた  ~ 根本かおる所長のブログ寄稿シリーズ (最終回) 悲観的なムードの中で平和をつくるチャレンジャー、山本忠通特別代表

私のアフガニスタン訪問記・連載ブログの第5回は、同国に展開する世界最大の国連特別政治ミッション、UNAMAを率いる山本忠通・事務総長特別代表をご紹介します。治安の悪化、失業、腐敗の蔓延によって、国民の間に悲観的なムードが広がるなかで、和平と復興に向けた機運を高めるため果敢な挑戦を続ける山本特別代表はUNAMAのトップとしての仕事について、外交官人生でももっともやりがいを感じると述べています。いよいよ最終回となった本ブログですが、5回の連載を通じて、ニュースで伝えられる悲惨の状況の裏に、人々の平和や平穏な生活への願い、また、山本特別代表をはじめ、その願いを叶えるべく活動する人々の思いがあることを感じ取っていただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。

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アフガニスタンの人々の国民的なムードについて調査を重ねてきたものとして、アメリカに本拠地を持つアジア財団の「A Survey of the Afghan People」があります。2004年以来、毎年意識調査を行って結果の分析を発表していますが、2016年12月に発表された最新の2016年版の調査結果は、2014年の多国籍軍の大幅撤退以降の治安の悪化や失業率の悪化を色濃く反映したものとなり、回答の66パーセントが「アフガニスタンは誤った方向に向かっていると思う」と答えています。

 

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アジア財団「A Survey of the Afghan People 2016」より。「一般論として、あなたの経験では、アフガニスタンは正しい方向に向かっていますか、それとも間違った方向に向かっていますか?」との問いに、間違った方向と答えた人は66パーセントにものぼり、正しい方向の29パーセントを大きく上回る。

 

同調査では、このように悲観的な見方が強まっている背景として、人々は治安の悪化、失業、そして腐敗の蔓延を理由に挙げています。2014年に多国籍軍の規模が大幅に縮小されると、反政府勢力タリバンアフガニスタン国軍の防衛能力に挑戦し、2015年には情勢が悪化。タリバンは支配地域を拡大したのに対して、アフガニスタンの治安・防衛部隊は守勢に回る格好となり、最近ではイスラム国も活動を活発化させています。こうした中、2016年に戦闘やテロによって民間人が死傷した数は1万1,418人と、UNAMAが調査を開始した2009年以降最悪の数字を記録しました。UNAMAの発表によると、2009年初めから2016年末までに民間人の死傷者数の合計は7万人を超えています。

 

今年に入ってからも各地でテロ事件が相次ぎ、5月31日の首都カブールの各国大使館が集中する地区での爆破テロ事件は日本でも広く報じられました。アフガニスタンのガニ大統領は、6月6日、この事件による死者の数が150人以上、負傷者は300人以上に上ると明らかにしています。また、失業率は、2013年に8パーセントだったのが、2014年には25パーセント、2015年には40パーセントと急上昇している、というデータもあります。駐留軍や海外からの支援が生む需要に依存する経済構造になってしまっていたところ、2014年の多国籍軍の大幅撤退を受けて経済が落ち込んだことなどの影響を強く受けているものと見られます。

 

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間違った方向と回答した人に、その理由を聞いたところ、地方(濃い緑の棒)でも都市部(薄緑の棒)でも、トップ・スリーは治安の悪さ、失業、そして腐敗・汚職

 

このような中で和平と復興に向けた機運を高めるのは至難の業ですが、それに果敢に挑戦しているのが、アフガニスタンで2014年から事務総長副特別代表、そして2016年6月から事務総長特別代表を務める山本忠通さんです。

 

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アフガニスタン東部の拠点都市、ジャララバードにて(UNAMA Photo)

 

現在世界11か所で展開されている特別政治ミッションの中で最大規模のものが、「国連アフガニスタン支援ミッション(UN Assistance Mission in Afghanistan、略してUNAMA)」です。2001年11月のタリバン政権崩壊を受けて、2002年3月に国連安全保障理事会の決議により設立されました。UNAMAのスタッフの規模は総勢1,500名以上で、現地に拠点を置く特別政治ミッション全体の陣容5,000人超の3分の1を擁し、山本特別代表はそのトップを務めます。

 

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 インタビュー後に談笑。インタビュー中、庭にいるクジャクや猫の鳴き声がして、びっくり(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の長である山本特別代表は、アフガニスタン国内に12のフィールド・オフィスを持ち、草の根の市民団体と連携して人々に寄り添って課題に取り組むUNAMAの基本姿勢を強調します。

 

山本特別代表は、アフガニスタン和平への道筋のカギとして周辺国などを含めた地域協力の推進に力を入れ、シャトル外交を行っています。また、和平交渉への下地として、タリバンとの接触にも乗り出しています。 

  

 

2016年10月にブリュッセルで行われたアフガン支援国際会合では、2017年から2020年までの援助として、世界全体で総額150億米ドルを上回る額を支援することで合意しましたが、同時にアフガニスタン政府が支援の実施についてガバナンスと説明責任を果たすことが求められています。

 

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2016年10月ブリュッセルにて。左から山本特別代表、フェルトマン政治局担当事務次長、潘基文事務総長(当時)、アフガニスタンのガーニ大統領、アブドッラー行政長官(UN Photo)

 

その中で特に重要なのが腐敗の防止です。アジア財団の意識調査からも、腐敗・汚職が国・県・自治体・地域・暮らしレベルで蔓延し、問題視されていることがわかります。

 

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a.毎日の生活(濃い橙色)、b. あなたの住んでいる近所(薄い橙色)、c. あなたの自治体の行政(灰色)、d. あなたの県レベルの行政(薄緑)、e. アフガニスタン全体(濃い緑)で、腐敗・汚職が大きな問題かどうかを聞いたところ、YESの回答のパーセンテージをグラフに。

 

山本特別代表の強いコミットメントのもと、UNAMAは2017年4月、『アフガニスタンの腐敗との闘い:もう一つの戦場』と題する報告書を発表しました。

 

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2017年4月25日、アフガニスタン法務大臣とともに報告書を発表した(UNAMA / Fardin Waezi)

 

その記者発表で、「反腐敗正義センター(Anti-Corruption Justice Centre)」の開設をはじめ大きな前進があることに触れながらも、「腐敗はまるで病魔のように長年にわたって蔓延し、人々の暮らしのあらゆる局面において複雑に根付いてしまっている」と述べています。

 

 

私にとってはほんの数日のアフガニスタン滞在ではありましたが、強く感じたのは、国連ならびに日本への信頼です。日本出身の国連職員として、その信頼の重みをヒシヒシと感じさせられましたが、それは山本特別代表も実感していることです。 

 

 

世界最大の国連の特別政治ミッションで、多岐にわたるマンデートに関わる1500人以上の国連職員を指揮している山本特別代表ですが、外交官人生の中で最もやりがいを感じていると述べています。

 

 

5月31日の首都カブールの各国大使館が集中する地区での爆破テロ事件は多数の犠牲者を出し、この国の脆弱性を改めて突き付けることになりました。前回のストーリーに登場した、バーミヤンのホテル運営と地域の女性たちの手工芸品を扱う会社を経営している安井浩美さんは、治安が悪化の一途をたどっているアフガニスタンの今について、「悲しい、残念、悔しいの3つの言葉です。この国のあらゆる問題ですが、問題の根源がわかっていながらどうしようもできない歯がゆい状況に常におかれていることに憤りを感じるとともに、武器をもって戦うこともできない無力な自分が苛立たしく思ったりします」とコメントを寄せてくださいました。

 

この秋、アフガニスタンに関係する国際会議が東京で開催されます。ユネスコは日本政府の支援により、9月27日から29日までバーミヤン大仏再建のための技術会合東京藝術大学で開催します。参加者は情報文化大臣をはじめとするアフガン政府要人の他、世界遺産文化財保護の専門家、教授、ユネスコ職員等計50名に及び、3日間の技術会合に続く9月30日には、同じく東京藝術大学で一般の方を対象に公開シンポジウムが開催されます。

 

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 バーミヤンの西大仏の前で、ユネスコ職員らから説明を受ける (UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

このバーミヤン大仏再建の会議は、壊された文化財をどのように補修するかという技術論に留まらず、テロによって破壊され、オリジナルの部材がほとんど散逸した文化財を新たに建立することの是非や、その作業指針についても話し合われます。そのため会議の結果次第では、従来の世界遺産条約の作業指針に大きな影響を及ぼす可能性がある重要な会議です。

 

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東大仏について、今後の方針が9月の東京の会議で話し合われる(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

バーミヤン文化遺産の保護については、生前ユネスコ親善大使だった平山郁夫氏の尽力に加え、日本政府・日本の専門家が多大なる協力を行ってきました。文化的な側面から世界の平和をどう築くべきか話し会う場が日本の支援によって東京で設けられることは大いに意義のあることでしょう。

 

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 壁画が剥がれ落ちそうになっている箇所もあり、素人でも心配になる(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

この5回にわたる連載を通じて、ニュースが伝えるテロの被害を受けた人々の数の裏側に、人々の平和と平穏な生活への願い、喜怒哀楽、そして一人一人が持つ可能性があるということ、そして国連や日本の関係者の思いがあるということを感じ取っていただけたならこんなに嬉しいことはありません。

 

ラマダン中の6月14日、アントニオ・グテーレス国連事務総長アフガニスタンをサプライズ訪問し、相次ぐテロ事件などで傷ついたアフガニスタンの人々への連帯の気持ちを表明しました。同時に、「平和こそが解決策だ」と強調し、和平にむけた動きを事務総長として支援する用意があると表明しました。

 

 

日本の皆さんにも、これからもどうぞアフガニスタンに関心を持っていただければ幸いです。