国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

SDGs、笑いで身近に!「SDGs-1 グランプリ」報告記

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国連広報センター所長の根本です。8月6日夏の札幌で、17のSDGsの目標から3つを選んでネタに盛り込み、競い合うという新機軸のイベントがあり、審査員として参加させていただきました。名付けて、M-1ならぬ「SDGs-1 グランプリ」。吉本興業と北海道による、北海道民のみんなに笑顔を届ける「みんわらウィーク」(8月5日~8日)の一環で行われたものです。次長課長河本準一さんの司会で、アップダウン、パンサー、横澤夏子、ミキ、おばたのお兄さんの皆さんという豪華なメンツの出演だけあって、超満員の会場でした。

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イベント冒頭、司会の河本さんからの「SDGsって聞いたことのある人、どれぐらいいます?」の問いかけに、手を挙げた人はまばらでさびしい状況でしたが、そこはすかさず「ヤクルト(スワローズのS)、中日(ドラゴンズのD)、巨人(ジャイアンツのG)のことでしょ?」と芸人の皆さんに笑いで拾っていただけるのが、こうした舞台のいいところ。

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トップバッターのおばたのお兄さんは、ゴール2(飢餓をゼロに)、3(健康と福祉)、4(質の高い教育)を、人気の「小栗旬」ネタにひっかけて披露。横澤夏子さんは、ゴール2(飢餓をゼロに)、8(働きがいも経済成長も)、11(住み続けられるまちづくりを)を選びましたが、普段のネタが意外と根底ではSDGsのゴールに結びついていることがわかり、驚きました。ミキは「あいうえお」ネタで突っ走り、パンサーは持ちネタ「メダル」にひそむ“格差”“仲間はずれ”をゴール10(不平等をなくそう)につなげて笑いを取っていました。北海道出身のアップダウンは安定感のある漫才で、トリを飾ってくださいました。

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お客さんの反応もよく、強引だと大笑いし、きれいに結びつくと自然と拍手が起こります。私は審査員であることを忘れて、笑い転げていました。審査は甲乙つけがたかったものの、日頃のネタが実はSDGsと関係があるということを一番見せてくださった横澤夏子さんを選ばせていただきました。ニューヨークの国連本部で見つけた国連のバックなど国連グッズセットという賞品に大喜びしてくださいました。

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国連が関わる形で行われたSDGsを盛り込んだネタのお笑いバトルは、世界初です。世界で初めての企画に立ち会えて、感動ものでした! 

会場の皆さんもSDGsという言葉を何度も耳にして、たくさん笑って活性化した脳で情報をキャッチしてくださったことと思います。こういう日本ならではの取り組みがどんどん広がっていくことを願っています!

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ピコ太郎さんも視察!「Spotlight on SDGs」展、ニューヨークで好評開催中(展示延長:8月29日まで)

国連広報センター所長の根本かおるです。ニューヨークの国連本部は世界中から見学に訪れる観光名所です。国連本部の中を見学して回るガイドツアーに参加する人々が集まるビジターズ・ロビーで、国連広報センターが主催する「Spotlight on SDGs」展 が、SDGsについて話し合うハイレベル政治フォーラムが始まる7月10日から1ヶ月間、開催されています(8月29日まで展示延長)。私はハイレベル政治フォーラムで日本政府がSDGsの実施状況について発表するのにあわせてニューヨークに出張し、同時にセンターが主催するこちらの企画展の様子を見てきました。

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 これは、昨年行われた「私が見た、持続可能な開発目標(SDGs)」学生フォトコンテスト で5つの大陸にわたる47ヶ国から600を超える応募作品が集まり、その中から選ばれた受賞作品15点を中心に構成された企画展です。

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写真には国境を越える力があり、世界中の若者たちをつなげる理想的な媒体です。それと同時に、SDGsをテーマに写真を撮るという行為はSDGsについて考えてもらうきっかけとなり、若者を中心とする一般の方々を巻き込むことにつながり、SDGsを推進する力となります。こうしたことから、国連広報センターでは、コンテスト受賞作品を国連本部で展示し、世界中から集まる見学者に写真展を通じてSDGsを自分事として考え、変革の主体になってもらいたいと考えたのです。

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 ハイレベル政治フォーラムに参加した World Associaion of the Major Metopolises のリア・ブルムさんも私たちの展示に足を止めてくれた一人です。「一枚一枚の写真をじっくり見て、撮影者一人一人の思いの説明書きを読んで、人の願いと課題とが直結して表現されていることに大変感銘を受けました。私たちはとかく官僚的なハードルの中で自分を見失いがちですが、写真展は自分の原点を思い起こさせてくれました」と感想を寄せてくださっています。

Spotlight on SDGs企画展が実現した背景には、ニューヨークの国連広報局でビジターズ・ロビーでの展示を担当するメリッサ・ボディニッチさんの協力があります。メリッサが私たちの受け手となって、素晴らしい展示にデザインし、出力して設営してくれたのです。

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「世界およそ60ヶ所に国連広報センターがありますが、センターが国連本部でこのように大きな展示を開催することはほとんどありませんよ」とメリッサは語ります。「時間に余裕をもって本部の私たちに相談してくれたので、ハイレベル政治フォーラムとタイミングを合わせて開催することができました」

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「写真はいつも人気がありますが、今回の展示は特に学生たちが撮った写真という点で、SDGsを具体的かつ身近な自分事として感じてもらえていると思いますよ」と来場者の反応も上々のようです。

岸田文雄外務大臣国連の場でSDGsにむけた日本の取り組みを発表した7月17日には、嬉しいサプライズがありました。日本のSDGs発信の盛り上げに 国連本部に駆け付けたピコ太郎さん が忙しい合間を縫ってSpotlight on SDGs展に立ち寄ってくださったのです。

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ピコ太郎さんは一つ一つの作品に興味津々で、丁寧に見て回ってくださいました。

「これは何?」「ペルーの浜辺で廃タイヤを回収しているボランティアですよ」「えー、詩的な写真だなあと思ったんですけど」「この写真を撮影したペルーの青年は徹底していて、授賞式で日本に来たときもペットボトルが海を汚すと言って、ペットボトルの水は飲みませんでした」

「じゃあこの鹿の写真ははどこで撮ったものだと思いますか?」「日本じゃないですよね」「いえいえ、広島県の宮島で、対岸は広島ですよ」などと私から説明しながらご覧いただきました。

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 「こうやって説明して見て回れると、理解が深まりますね。SDGsのコンセプトを伝える上で、ビジュアルの力って大きいですね」とピコ太郎さん。

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 視察中もいろいろな人から声をかけられ、気さくに写真撮影に応じていらっしゃいました。ピコ太郎さんの国境を越える力、ハンパないです。

国連ニュースセンターの取材に、「We have your love, we have your power, UN…, SDGs!」と答えてくださったピコ太郎さん。いずれは外国を訪問した際に、恵まれない環境にある子どもたちに対して笑いを、平和を届けたいと抱負を語ってくださいました。

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7月17日が誕生日というピコ太郎さんにとっても、国連の私たちにとっても、思い出に残る日となり、ピコ太郎さんはSDGsの17の目標の「17」を指で作ったポーズを広めてくださいました。 

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SDGs学生フォトコンテスト は今年も開催し、現在作品を募集中です。締め切りは8月30日。あなたの足元のSDGsに目を向けて写真におさめ、どうぞ奮ってご応募ください! 

 

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連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (10)

                                     田 仁揆さん(でん ひとき)さん

 

                    -紛争予防と平和構築を支える国連政治局の役割-

 

第10回は、長年にわたって国連の政治局に所属した田仁揆さんです。田さんは、政治局がまだ国連政治総会問題局だった頃に国連に入り、その後、ミャンマー、ネパール、モルディブなどの民主化などの分野で大いに活躍されました。ミャンマーでは、軍政側とアウンサンスーチーさんとの間でシャトル外交の実現に貢献。またASEAN国連総会のオブザーバーとなることに支援を提供し、尽力されました。政治局における勤務を振り返るとともに、国連の役割、国連と米国との関係などについて語ってくださいました。

 

 

田 仁揆(でん ひとき)さん

ジャパンタイムズ報道記者を経て1988年国連事務局に奉職。事務総長室政務官、政務担当事務次長特別補佐官、東南アジア及び南アジア担当チーム長を経て2014年退官。コーネル大学大学院卒。東京都出身

 

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田 仁揆さん ©UNIC Tokyo

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国連と米国の関わり】

根本:田さんが国連で所属されていらっしゃったのは政治局ですね。

 

田:政治局は、1992年に設立されましたが、私が配属されたのは、政治局がまだ政治総会問題局だったころです。事務総長官房の一部でした。事務総長室にいきなり配属されたというわけです。最初の上司は米国人でした。考え方や働き方を理解し易い上司の下に配属されたことは運がよかったと思っています。国連はどこに配属されるかで、その後のキャリアが決まってしまうところがありますから。

 

根本:そうですか。米国は国連をどう見てきたのでしょうか?

 

田:歴代の政権によって違います。ですが、国連がなぜできたかというと、米国のルーズヴェルト大統領(当時)の理想主義やパッションがあったからです。歴代政権の国連政策をみると、民主党の方が若干ですが、国連に対して理解があるという気がします。今は共和党のトランプ政権で、まだ分かりませんが、注目を浴びているところでは、国連への予算削減など非常に厳しい姿勢を見せていますね。

 

根本:予算の削減に加えて、国連がお膳立てをしてできたパリ協定からも脱退を宣言し、今また人権理事会からも脱退するという話もあります。

 

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対談中の根本所長(左)と田さん(右) ©UNIC Tokyo

 

田:ただ国連にとって米国というのは絶対に必要な国であると同時に、またその逆も真であって米国にとっても国連というのは必要なのだと思います。膨大なコストがかかりますから、今、国連がやっている仕事を米国に引き受けてくださいといって、果たしてそれが可能かどうか・・・。そういう意味で、国連でなければできない仕事は国連に任せるという、作業分担をトランプ大統領も理解してくれるといいのではないかと思います。トランプ大統領はコスト意識がとても強いみたいですから、国連がどれだけ米国の利益になるのかをわかってもらえるような努力をしていけば、必ずしも国連をないがしろにすることはないのではないかと思います。

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国連における日本の役割とこれから】

 

根本:米国は、政治局のトップにアメリカ人を送り込んでいたのですか?

 

田:はい。1945年に国連が創設されたときに安保理常任理事国五カ国の間で紳士協定(gentleman’s agreement)という様なものができて、それ以来ソ連(当時、現ロシア)は安全保障理事会、米国は総会(最近では政務及び国連の改革との関連で行政管理)、フランスは経済社会とかPKO、英国はPKOや,人道、中国は経済社会関連といった具合に事務局の主要部局の幹部ポストをそれぞれ分担するといった暗黙の了解みたいなものが存在しています。。

 

根本:日本の場合はどうでしょうか?

 

田:日本は広報と軍縮ですね。つい最近、中満泉さんが軍縮でトップに任命されましたが、良かったですね。とても喜んでいます。

 

根本:軍縮というと今年核兵器禁止条約ができる機運が高まっている中で、唯一の被爆国である日本は今のところは交渉に参加していませんが、軍縮への取り組みをリードする象徴的な立場に日本人が事務次長(USG)としているのは非常に意味のあることであると思います。日本としてはどのようなサポートを提供することが必要だと思われますか。

 

田:日本は軍縮の面では、もう少し独自色を出してもいいのではないかなあと思います。外野から見ていると米国に気を遣いすぎている気がします。

 

根本:大国のくびきがありながらも、各国のなかで、独自色を出しながら国連の場で外交を展開してきた国があれば、教えていただけますか?

 

田:例えばスウェーデンデンマーク、それからノルウェーですね。北欧の三国と言うのは中小国ですが、国連に対する貢献というのは非常に高いものがあります。国連の中でもそれはしっかり認識されているのではないでしょうか。

 

根本:デンマークノルウェーNATOの一角を占めている国でもありますが、NATO、あるいは米国も参加しての安全保障枠組みといったものがありつつも、自分の独自色を出しながら発言しているということでしょうか?

 

田:そうですね。そしてやはり国連に対する貢献です。それは財政、人的、そういうものを含めて貢献が大きいです。日本も国としてそういうキャパシティは十分あると思うので、もう少しやれるのではないかという気がしています。

 

根本:政治局にいらっしゃって、ここはもう少し日本も上手くやればいいのになあというような考えを日本政府関係者と共有なさったりしたようなことはありますか?

 

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ペレス・デクエアル事務総長室の同僚と(田さん提供)

 

田:国際公務員という領域を守りつつ協力できることは協力したということはあります。日本人の場合は国連にまだ人が絶対的に少ないのです。なぜ職員を増やすことが大切かと言いますと、やはり人間ですから、国際公務員という立場をわきまえつつも、いろいろなところに日本人がいれば、より広範囲で情報の共有とかそういったことをできると思うのです。ご存知のように、国連というのは情報が大事です。Extra mile の努力をしないと情報というのは回ってこないのです。要所要所に邦人職員がいれば、回りまわって日本政府の利益にもなるのだと思います。

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ミャンマーで感じた体制転換の難しさ】

根本:ご著書『国連を読む』を拝読いたしました。ミャンマー、ネパール、それから、モルディブでの活動の様子を書かれていらっしゃいます。それらの国々に深く関わってこられたのですね。

 

田:はい。ミャンマーが私にとって一番印象の深い国です。国連事務局に25年いましたが、最初の12年は事務次長を補佐していました。5人の事務次長に仕えましたが、補佐官(special assistant)というのは参謀であり仕事は滅私奉公なのです。上司を助けてその部署が上手く機能するようにする。そのために「私」を殺す。

 

根本:日本人はspecial assistant・executive assistantなどの役職に向いているのではないですか?

 

田:毎日の仕事がproblem solvingで、交通整理の警察(traffic officer)みたいなものです。こっちからきたのをあっちに、あっちからきたのをこっちに、と。それはそれなりに面白いのですが、もう少し他の仕事もしてみたいということで2000年にアジア部門(Asia division)に移りました。そのときに、ちょうどコフィ・アナン事務総長がマレーシアの駐国連大使で、外務省を引退したしたばかりのラザリ・イスマイルさんをミャンマー問題担当特使(special envoy)に任命しました。私は、このラザリさんと一緒にミャンマーに行って、国民和解を助けるという仕事に携わったのです。ご存知の通り、ミャンマーというのは1962年から軍事政権が約50年続いたのですが、当時、アウンサンスーチーさんは軟禁状態で誰もアクセスを持っていない状況でした。私たちがアウンサンスーチーさんに会いに行って、スーチーさんの見解を軍政側に伝えて、それでまたスーチーさんに会って軍政側の反応を伝えて、最後にまたスーチーさんの反応を軍政側に伝える。いわゆるシャトル外交に携われたことは仕事冥利に尽きました。会談が終わってbriefingをするわけですが注目度が非常に高い。スーチーさんがノーベル平和賞をもらっているということもあり、特に欧米諸国は彼女のことに関心が高いのです。ミャンマー問題というのは、もちろん国連としては、当事者のお手伝いをするというのが原点ですから、軍政側とスーチーさんに対し、譲れるところは譲り大局的な観点からミャンマーの将来のために対話をしてくださいとお願いをするわけです。実際に対話が始まって、2002年にはスーチーさんが軟禁から解放されるとともに、政治的運動の拘束が解かれた。これは国連としては非常に嬉しい展開でした。結局、その後に軍政側の内部の権力闘争が若干ありまして、軍政側が示した7つのステップのロードマップで民主化は進み、私たちが撒いた種は2010年、2011年に実って、軍政が終わったのです。ご承知の通り、スーチーさん率いるNLDは2015年の総選挙に勝って、今のミャンマーがあります。

 

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アウンサンスーチー氏宅でラザリ事務総長特使と(田さん提供)

 

ミャンマーに限ったことではないのですが、一つの国が独裁国家から民主国家に生まれ変わる、あるいはネパールの場合でしたら、王政から民主共和国に生まれ変わるといったプロセスはすごく時間がかかります。10年、20年、30年という歳月を要するのです。民主化が成っても、それを持続させるだけの社会的基盤がないとなかなか持続できません。ミャンマーの場合は少数民族問題などがありますから、まだまだ道半ばということではないかと思います。そういう観点から、政治だけでなく開発それから人権などを含めた包括的・総合的な国連の取り組みが今後、ますます必要になってくると思います。

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モルディブでの活躍】

根本:田さんはモルディブもご担当されましたね。

 

田:はい。根本さんはモルディブに行かれたことはありますか?

 

根本:いえ、残念ながらありません。ただ、前の大統領を描いたドキュメンタリーを見たことがあります。

 

田:ナシードさんですね

 

根本:はい、ナシードさんが逮捕されてから公開になったのだと思いますが、彼がコペンハーゲンで開かれたCOP15で温暖化の問題を訴える演説をした頃のことを中心に描いたドキュメンタリーでした。そのドキュメンタリーでモルディブの状況というのを初めて知りました。

 

田:私も実際に訪れるまでは高級リゾートというイメージしかありませんでした。飛行場に降りて、対岸にボートで10分ほどわたったところにマレという首都があるわけですが、この島はせいぜい5-6キロ平方メートル。10万人が住んでいて2000台の車が走っている。モルディブで非常に問題となっているのが失業ですが、観光しかないので若い人は仕事がありません。大家族制度をとっている国なので親に養われていて、若い人たちには何も仕事が無く、外で将棋をやっていたりします。そういうことで、麻薬問題だったり、過激な宗教が入ってきて深刻になったりしています。モルディブは紛争国ではありません。私たちも別に紛争を解決するために携わったわけではなくて、2008年に初めて民主的に行われた大統領選挙をお手伝いするために行ったわけです。この選挙ではナシードさんがモルディブ初の民主的大統領に選ばれ、翌2009年には複数政党制の国政選挙も行われて議会も民主化されました。

 

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モルディブ大統領選挙支援での田さん(田さん提供)

 

しかし司法に関しては、30年間に渡ってモルディブを支配したガユーム前大統領が任命した終身雇用の裁判官がいて、彼らを辞めさせられないわけです。それで、ナシードさんとの間で問題がどんどん深刻化して、ナシードさんが腐敗した裁判官を何とかしようとしても警察は逮捕できず、それならばと、軍隊を使って逮捕しました。それが今度は、大統領が国軍を使ってそういう内政の裁判官を逮捕するのは憲法違反じゃないかとなって、ナシード大統領が失脚した2012年2月の政変に繫がったのです。それ以後の国連の活動は双方の間をとりもち、モルディブの民主基盤の整備への支援が中心になりました。

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【小国にとっての国連の役割】

根本:モルディブは大国ではないですよね。こういう国にとって国連の重み、あるいは国連が仲介に乗り出そうとしていることの重みはどういうものなのでしょうか?

 

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第71回総会で、一般討論がスタート。 UN Photo/Cia Pak

 

田:すごく大きいと思います。193カ国の加盟国のうち半数以上は人口1000万未満の国で、モルディブも含めて多くの国が資金の潤沢な国ではありません。あそこの国の首脳と会いたいといっても簡単にヨーロッパや米国には行けないわけです。そういう国にとっては国連本部で秋に行われる国連総会の一般討論に来たとき、ダイニングルームなどにいれば、1時間ぐらいの間に10人、20人の外務大臣が来るので非常に効率よくお話ができるわけです。必ずしも国連総会だけではなくて、その外側で行われる二国間・多国間を含めた「廊下外交」にこそ国連の意義があるのではないかと思います。

一方、国連に関与してもらうということは、非常に重みを持っているとは思いながらも、内政に干渉されるのは躊躇があるという国が多いです。国連としてはその辺は慎重にしなくてはいけないし、あくまでも要請があってお手伝いするということです。別に望まれないのに、国連がしゃしゃり出て行って何かをやってもあまり成功はしないでしょうし、あくまでも当事者の意思というか、そういうものがある場合にはお手伝いさせて頂くということだと思います。

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【グテーレス事務総長の政策】

根本:新しい事務総長は予防、つまり紛争に陥るまでに何とか歯止めをかけて阻止することを重視しています。今後、予防を中核に据えるにあたって、組織的それから思考的に、どのような改革が必要になってくるのでしょうか?

 

田:私の個人的な見解ですが、グテーレスさんはブトロス=ガリさんの平和への課題(An Agenda For Peace)をよく勉強されたのだと思います。その中で言う「予防外交(preventive diplomacy)」というのは、紛争を未然に防げば、費用対効果の面で一番いいということです。メディカルの分野でもそうで、いま予防的ヘルスケア(preventive medicine)というのは非常に重視されている。ですから、紛争が起こる前に予防できるというのがもっとも理想的です。ただこれはジレンマなのですが、紛争を未然に防ぐことができたという例はいくつかあったと思いますが、未然に防げた場合はニュースにはなりません。これはもちろん国連としても、事務総長としても静かな外交でやりますから未然に防げるといった場合にはニュースにはなりません。今の国連は結果ベースの予算(result-based budget)で何でもかんでも定量化(quantify)して、これはこれだけ何時間やったからいくらよこせといった請求の仕方をするわけです。予防外交というのは定量化できないものです。これは例えば100時間使ったからこれだけの成果が出る、成功するという類のものではないのです。ですから、予防外交を重視するからもう少しお金を出せということにはなかなか繋がりにくい側面があります。ここは、これからの事務総長の腕の見せ所だと思います。やはり予防外交というのは、preventive diplomacyだけではなくて、Peace MakingとPeace Keeping、Peace Building、この4つのcomponentが複合的かつ包括的に実施されないとなかなかできないと思います。

 

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グテーレス事務総長 UN Photo/Mark Garten

 

それには開発を担当するUNDPなどの協力も大事になりますし、前から言われていたことですが、グテーレスさんがやろうとしていることの一つとして、例えばUNDPが今まで任命してきたRC(Resident Coordinator 常駐調整官)について、UNDPから事務総長官房に権限を移す。国連のいわゆるembassy というかambassador みたいな感じです。UNDPは開発担当の常駐代表(Resident Representative)を任命する。そういうことができるかどうかですね。恐らく事務局内では問題ないと思うのですが、問題はG77を中心とする開発途上国です。それらの国々が、そんなことしたら開発が政治化されてしまうんじゃないかということで反対する可能性はあります。実はブトロス=ガーリさんがこれを一時期やろうとしたのですが頓挫しました。だけど、例えば、モルディブとかミャンマーの場合も、政務局とそれからResident Coordinatorというのはすごく緊密に協力するのです。そういう協力がないとなかなかできないわけですね。その辺の改革ができるといいなと個人的には思ってます。

 

根本:そういえば、モルディブのRCは、いま野田章子さんという日本人女性です。

 

田:ネパールにいた方ですね。

 

根本:そうです。彼女のもとに政治局から行っているcoordinatorがいて、mediationとか分析とかを密接に一緒にやっていて、とてもよいことだと思っています。

 

田:先ほど触れたガーリさんのやろうとしたことが頓挫したので、スタートしたのがUNDPと政治局がjointで任命するPeace Development Officer です。

 

根本:なるほど。

 

田:こういった人をRCにつける。それで政治情勢の分析とかあるいはmediationのお手伝いをするということで始まってから、ずいぶんと経ちます。

 

根本: mediatorという人は国連には結構いるのですか?

 

田:四六時中、世界各地から要請があって、この人はmediationのスペシャリスト、この人は憲法スペシャリストといった具合にスクランブルして集めてチームを作って何か必要があった場合に政務の事務次長とか事務次長を助けるシステムはできています。しかし、これも残念ながら通常予算では無理なので、extra budgetでやっています。

 

根本:日本もこういうことに予算をつけたらいいのにと思いますが。

 

田:私もそう思います。それがさっきもちょっと触れた貢献なのです。北欧の国はこういうことにお金を出してくれることが多いです。

 

根本:相手をおもんぱかって調整するというのは日本人が持っている資質の一つなのかなと思いますが、どうでしょう。

 

田:コンセンサスを作っていくのは、日本人は上手ですね。

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【廊下外交の内実】

根本:先ほど、総会や大きな国際会議で人が集まるときの廊下外交の話がありました。非公式な形で情報交換してそれが何かの打開につながったということはありましたか。

 

田:-廊下外交が具体的な何かにつながったかどうか、何とも言えません。ただそういう場がなぜ大事かというと、例えば、米国と北朝鮮だったり、米国とキューバだったり、国交がない国同士が、国連代表部を経由してそうした非公式な交渉をする。なかなか二国間でオープンにできない問題でも大勢の中で非公式にやってしまうと意外とできたりすることもあるのです。

 

根本:それを国連政治局が御膳立てしたりすることもあるのですか?

 

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インタビュー中の根本所長(左)と田さん(右) ©UNIC Tokyo

 

田:それはないですかね。二国間の話ですから。ただ北朝鮮の関連でいうと、1990年に南北同時加盟というのがあったのですが、このときはそういうお膳立てはしました。このときは南北ともに非常に猜疑心が強くて、特に北は、南が入ってしまうと今度は米国が安保理での拒否権を使って北の加盟を阻むのではないかといった強い警戒心を持っていました。ではどうしたらよいのかとなって、これは同時加盟しかなく、しかも一本の決議案で両方を加盟させなければならないとなったわけです。そういうところに何回かの交渉を経て、いきついたのです。

 

根本:知恵を出したのは誰ですか?

 

田:事務局も加盟国も一生懸命考えます。そこに国連のノウハウというか専門知識があるわけです。もし加盟国が国連を使いたいということであれば使いようによっては役に立ちますが、使う気がなければ国連の事務局としてああしなさい、こうしなさいというのは、やはり言えないです。

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【ネパールでのミッション】

根本:キプロス問題もそうですよね。

 

田:キプロス問題はもうずいぶん長いですね。ネパールもそうでしたが、長くなると当事者に甘えが出てきます。国連がいてくれれば現状維持で別にお互い困らないのではないかと甘えが出てしまう。そういうことでは困るということでネパールの場合、2011年1月、国連は撤退しました。

 

根本:国連ネパール・ミッション(UNMIN)の撤退は早かったですね?

 

田:UNMINの任期は本来2007年から1年でしたが、国内の政治状況によって2011年まで延期されました。

 

根本:私はちょうど2006年から2007までネパール勤務でした。UNHCRのブータン難民のキャンプを担当していました。

 

田:事務総長特別顧問のイアン・マーティンはご存じでしたか?

 

根本:面識はありませんでした。イアン・マーティンの面白いところは、彼は一人でカトマンズの町とかを徘徊するのです。

 

田:面白い人ですよね。

 

根本:彼はみんなに好かれていたので、普通の人たちから「ハイ!ミスター・マーティン!」みたいな感じで声かけられていました。そういう彼の姿というのは、ありがたかったです。

 

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ネパール毛沢東主義派兵士宿営地を視察する田さん(田さん提供)

 

田: UNMINの展開はすごく速かったでしょう。

 

根本:はい。

 

田:1月に安保理でUNMIN設立の決議案が通ってもう4月には本体が展開していましたね。ただ最初は1年のmandateが、選挙が遅れたりして2年になって、その後今度は毛沢東派の兵士の国軍編入問題とかいろんな問題が出てきて3年4年と長引きました。政党間の仲が悪いので、もうこれはいつまでたってもだめだなということで撤退するしかないと。お金の面でもACABQ(国連財政問題諮問委員会)を中心に、特別政治ミッションというのはお金がかかりすぎるという厳しい非難があって、撤退した。そのあとは若干の紆余曲折はありましたが当事者間で交渉をやり始めて、2015年には新憲法も結局できましたから、よかったのですが。

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ASEAN国連の関係強化に尽力】

根本:今振り返って、一番面白かったのはどのオペレーション、あるいはどの課題ですか?

 

田:やはりミャンマーですね。もう一つは国連ASEANの関係の強化です。ASEANというのは、非常にメジャーな機構の一つです。1999年にカンボジアが入ってASEAN10になり、それをきっかけとして初めての国連ASEANの非公式の首脳会談が2000年にバンコクであったのですが、その時ASEANというのはまだ国連総会のオブザーバーになっていませんでした。国連との協力に関しては何のフレームワークもありませんでした。EUやアフリカ連合などは早くからオブザーバーで、協力関係を進めてきたわけですが、当時のアナン事務総長もASEANはどうしたんだということになって、政務局に何とかしなさいと下命があったわけです。ASEAN側と接触したところ、ASEANには何でも明確にしないで非公式にやる習慣(ASEAN-way)があり、別に困ってはいないという状況でした。しかしそうは言っても、やはり冷戦も終わり、ASEANとしても経済関係の強化だけではなくて、ミャンマー問題もありますので、政治的に役割を果たす時期に来ているのではないかというお話をしてオブザーバーになることを考えてもらうよう提案しました。そうなると今度は、ASEAN国連とobserver関係を結ぶとどういうメリットがあるのかを教えて欲しいというわけです。国連には安全保障の分野も含めて長年培ってきたノウハウとか専門知識がありますが、そういうことを口で言ってもよくわかってもらえないということで、地域セミナーをやりましょうと提案をしたわけです。それでASEAN5、つまりASEANの原加盟国である5つの主要な国を毎年回って21世紀の紛争予防・紛争解決、そして紛争後の平和構築といったことをテーマに地域セミナーをやりました。セミナーには政府の役人と、それからNGOや市民団体、研究機関といったところの人も入れて行いました。5年やったところASEAN側も国連に関わる利点に気付いてもらえたようです。

 

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ASEAN-UN 閣僚会合、国連本部で。UN Photo/Eskinder Debebe

 

もう一つ伏線になったことは、ASEAN自体がこれでいいのかということ考え始めたことです。やはり、ちゃんとした憲章を持った地域機構に主的に変質したほうがいいのではないかということで2007年に自分たちの憲章を作り出したわけです。新しい憲章ができて、初めてASEANは法的基盤に立った機構になったのです。同時に、国連にもオブザーバー加盟をお願いして、これはもちろん国連総会で満場一致で承認されました。それでASEAN国連の間の協力関係の基盤も整いました。そこに私は深く関わることができました。

 

根本:アジア部にいらっしゃったときには、日本もアジア部の対象国に入っていますよね。日本は直接のご担当ではありませんでしたか?

 

田:国連では自国は担当しないという暗黙の了解がありますから、日本は担当しませんでした。ネパールもそうですしミャンマーもそうですが、積極的に会合にも出てもらうなど、日本にはすごく助けてもらいました。たまたま日本の外交の方針と一致したということもあるのでしょうが、こうした問題で国連を支持してくれたことには感謝しています。

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【最後に、未来ある若者に向けて】

根本:最後に、若い日本人に対してお伝えになりたいことをお願いします?

 

田:やはり、もう少し外に目を向けて欲しいですね、機会があれば、別に国連でなくてもいいのですが、そういった仕事にチャレンジしてみてはどうですかということですかね。でも、昨日、国連について考えるシンポジウムが上智大学で開催され、そこにパネリストとして参加したのですが、そこにずいぶんたくさん高校生が来たのです。今の日本の若い人たちは実は国連にとても高い関心をもっているのだということを知り嬉しく思いました。日本の若者に期待したいです。

連載:アフガニスタンで平和について考えた  ~ 根本かおる所長のブログ寄稿シリーズ (最終回) 悲観的なムードの中で平和をつくるチャレンジャー、山本忠通特別代表

私のアフガニスタン訪問記・連載ブログの第5回は、同国に展開する世界最大の国連特別政治ミッション、UNAMAを率いる山本忠通・事務総長特別代表をご紹介します。治安の悪化、失業、腐敗の蔓延によって、国民の間に悲観的なムードが広がるなかで、和平と復興に向けた機運を高めるため果敢な挑戦を続ける山本特別代表はUNAMAのトップとしての仕事について、外交官人生でももっともやりがいを感じると述べています。いよいよ最終回となった本ブログですが、5回の連載を通じて、ニュースで伝えられる悲惨の状況の裏に、人々の平和や平穏な生活への願い、また、山本特別代表をはじめ、その願いを叶えるべく活動する人々の思いがあることを感じ取っていただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。

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アフガニスタンの人々の国民的なムードについて調査を重ねてきたものとして、アメリカに本拠地を持つアジア財団の「A Survey of the Afghan People」があります。2004年以来、毎年意識調査を行って結果の分析を発表していますが、2016年12月に発表された最新の2016年版の調査結果は、2014年の多国籍軍の大幅撤退以降の治安の悪化や失業率の悪化を色濃く反映したものとなり、回答の66パーセントが「アフガニスタンは誤った方向に向かっていると思う」と答えています。

 

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アジア財団「A Survey of the Afghan People 2016」より。「一般論として、あなたの経験では、アフガニスタンは正しい方向に向かっていますか、それとも間違った方向に向かっていますか?」との問いに、間違った方向と答えた人は66パーセントにものぼり、正しい方向の29パーセントを大きく上回る。

 

同調査では、このように悲観的な見方が強まっている背景として、人々は治安の悪化、失業、そして腐敗の蔓延を理由に挙げています。2014年に多国籍軍の規模が大幅に縮小されると、反政府勢力タリバンアフガニスタン国軍の防衛能力に挑戦し、2015年には情勢が悪化。タリバンは支配地域を拡大したのに対して、アフガニスタンの治安・防衛部隊は守勢に回る格好となり、最近ではイスラム国も活動を活発化させています。こうした中、2016年に戦闘やテロによって民間人が死傷した数は1万1,418人と、UNAMAが調査を開始した2009年以降最悪の数字を記録しました。UNAMAの発表によると、2009年初めから2016年末までに民間人の死傷者数の合計は7万人を超えています。

 

今年に入ってからも各地でテロ事件が相次ぎ、5月31日の首都カブールの各国大使館が集中する地区での爆破テロ事件は日本でも広く報じられました。アフガニスタンのガニ大統領は、6月6日、この事件による死者の数が150人以上、負傷者は300人以上に上ると明らかにしています。また、失業率は、2013年に8パーセントだったのが、2014年には25パーセント、2015年には40パーセントと急上昇している、というデータもあります。駐留軍や海外からの支援が生む需要に依存する経済構造になってしまっていたところ、2014年の多国籍軍の大幅撤退を受けて経済が落ち込んだことなどの影響を強く受けているものと見られます。

 

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間違った方向と回答した人に、その理由を聞いたところ、地方(濃い緑の棒)でも都市部(薄緑の棒)でも、トップ・スリーは治安の悪さ、失業、そして腐敗・汚職

 

このような中で和平と復興に向けた機運を高めるのは至難の業ですが、それに果敢に挑戦しているのが、アフガニスタンで2014年から事務総長副特別代表、そして2016年6月から事務総長特別代表を務める山本忠通さんです。

 

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アフガニスタン東部の拠点都市、ジャララバードにて(UNAMA Photo)

 

現在世界11か所で展開されている特別政治ミッションの中で最大規模のものが、「国連アフガニスタン支援ミッション(UN Assistance Mission in Afghanistan、略してUNAMA)」です。2001年11月のタリバン政権崩壊を受けて、2002年3月に国連安全保障理事会の決議により設立されました。UNAMAのスタッフの規模は総勢1,500名以上で、現地に拠点を置く特別政治ミッション全体の陣容5,000人超の3分の1を擁し、山本特別代表はそのトップを務めます。

 

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 インタビュー後に談笑。インタビュー中、庭にいるクジャクや猫の鳴き声がして、びっくり(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の長である山本特別代表は、アフガニスタン国内に12のフィールド・オフィスを持ち、草の根の市民団体と連携して人々に寄り添って課題に取り組むUNAMAの基本姿勢を強調します。

 

山本特別代表は、アフガニスタン和平への道筋のカギとして周辺国などを含めた地域協力の推進に力を入れ、シャトル外交を行っています。また、和平交渉への下地として、タリバンとの接触にも乗り出しています。 

  

 

2016年10月にブリュッセルで行われたアフガン支援国際会合では、2017年から2020年までの援助として、世界全体で総額150億米ドルを上回る額を支援することで合意しましたが、同時にアフガニスタン政府が支援の実施についてガバナンスと説明責任を果たすことが求められています。

 

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2016年10月ブリュッセルにて。左から山本特別代表、フェルトマン政治局担当事務次長、潘基文事務総長(当時)、アフガニスタンのガーニ大統領、アブドッラー行政長官(UN Photo)

 

その中で特に重要なのが腐敗の防止です。アジア財団の意識調査からも、腐敗・汚職が国・県・自治体・地域・暮らしレベルで蔓延し、問題視されていることがわかります。

 

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a.毎日の生活(濃い橙色)、b. あなたの住んでいる近所(薄い橙色)、c. あなたの自治体の行政(灰色)、d. あなたの県レベルの行政(薄緑)、e. アフガニスタン全体(濃い緑)で、腐敗・汚職が大きな問題かどうかを聞いたところ、YESの回答のパーセンテージをグラフに。

 

山本特別代表の強いコミットメントのもと、UNAMAは2017年4月、『アフガニスタンの腐敗との闘い:もう一つの戦場』と題する報告書を発表しました。

 

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2017年4月25日、アフガニスタン法務大臣とともに報告書を発表した(UNAMA / Fardin Waezi)

 

その記者発表で、「反腐敗正義センター(Anti-Corruption Justice Centre)」の開設をはじめ大きな前進があることに触れながらも、「腐敗はまるで病魔のように長年にわたって蔓延し、人々の暮らしのあらゆる局面において複雑に根付いてしまっている」と述べています。

 

 

私にとってはほんの数日のアフガニスタン滞在ではありましたが、強く感じたのは、国連ならびに日本への信頼です。日本出身の国連職員として、その信頼の重みをヒシヒシと感じさせられましたが、それは山本特別代表も実感していることです。 

 

 

世界最大の国連の特別政治ミッションで、多岐にわたるマンデートに関わる1500人以上の国連職員を指揮している山本特別代表ですが、外交官人生の中で最もやりがいを感じていると述べています。

 

 

5月31日の首都カブールの各国大使館が集中する地区での爆破テロ事件は多数の犠牲者を出し、この国の脆弱性を改めて突き付けることになりました。前回のストーリーに登場した、バーミヤンのホテル運営と地域の女性たちの手工芸品を扱う会社を経営している安井浩美さんは、治安が悪化の一途をたどっているアフガニスタンの今について、「悲しい、残念、悔しいの3つの言葉です。この国のあらゆる問題ですが、問題の根源がわかっていながらどうしようもできない歯がゆい状況に常におかれていることに憤りを感じるとともに、武器をもって戦うこともできない無力な自分が苛立たしく思ったりします」とコメントを寄せてくださいました。

 

この秋、アフガニスタンに関係する国際会議が東京で開催されます。ユネスコは日本政府の支援により、9月27日から29日までバーミヤン大仏再建のための技術会合東京藝術大学で開催します。参加者は情報文化大臣をはじめとするアフガン政府要人の他、世界遺産文化財保護の専門家、教授、ユネスコ職員等計50名に及び、3日間の技術会合に続く9月30日には、同じく東京藝術大学で一般の方を対象に公開シンポジウムが開催されます。

 

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 バーミヤンの西大仏の前で、ユネスコ職員らから説明を受ける (UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

このバーミヤン大仏再建の会議は、壊された文化財をどのように補修するかという技術論に留まらず、テロによって破壊され、オリジナルの部材がほとんど散逸した文化財を新たに建立することの是非や、その作業指針についても話し合われます。そのため会議の結果次第では、従来の世界遺産条約の作業指針に大きな影響を及ぼす可能性がある重要な会議です。

 

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東大仏について、今後の方針が9月の東京の会議で話し合われる(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

バーミヤン文化遺産の保護については、生前ユネスコ親善大使だった平山郁夫氏の尽力に加え、日本政府・日本の専門家が多大なる協力を行ってきました。文化的な側面から世界の平和をどう築くべきか話し会う場が日本の支援によって東京で設けられることは大いに意義のあることでしょう。

 

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 壁画が剥がれ落ちそうになっている箇所もあり、素人でも心配になる(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

この5回にわたる連載を通じて、ニュースが伝えるテロの被害を受けた人々の数の裏側に、人々の平和と平穏な生活への願い、喜怒哀楽、そして一人一人が持つ可能性があるということ、そして国連や日本の関係者の思いがあるということを感じ取っていただけたならこんなに嬉しいことはありません。

 

ラマダン中の6月14日、アントニオ・グテーレス国連事務総長アフガニスタンをサプライズ訪問し、相次ぐテロ事件などで傷ついたアフガニスタンの人々への連帯の気持ちを表明しました。同時に、「平和こそが解決策だ」と強調し、和平にむけた動きを事務総長として支援する用意があると表明しました。

 

 

日本の皆さんにも、これからもどうぞアフガニスタンに関心を持っていただければ幸いです。

 

連載:アフガニスタンで平和について考えた  ~ 根本かおる所長のブログ寄稿シリーズ(全5回) (4)女性の井戸端会議力はいずこも同じ

今回のブログでも、アフガニスタンのさまざまな女性たちを紹介したいと思います。首都カブールでジャムやクッキー、バスケット、ニット製品、アクセサリーをつくって販売する女性たち。バーミヤンで出会った、ユニセフが支援する医療活動を支える女性たち、国連WFPが地元のNGOと連携して行うキリムづくりの職業訓練に参加する女性たち、東西の大仏と石窟群に対面する素晴らしいロケーションでホテルの経営を手伝い、アフガン女性たちが作る手工芸品を販売する会社を立ち上げた一人の日本人女性。バーミヤンでは、開発の遅れを象徴するような、洞穴に暮らす家族にも出会いました。9歳の女の子の怒りと諦めが入り混じった眼差し、子どもとは思えない達観した表情が心に深く突き刺さりました。

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海外のフィールドに出張すると、その国の女性たちが作ったアクセサリーや小物などの手工芸品を買うのが楽しみです。今回のアフガニスタン出張でも、多くの女性たちが語らいながら仲間でものを作る現場を訪問し、作り手の顔の見える小物を買い、わずかではありますが、彼女たちの収入創出に貢献させていただくことができました。

 

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  国連ハビタットの支援を受けて活動を立ち上げ、今は自立して手工芸品づくりを行っている女性たち。(UNAMA/Sampa Kangwa-Wilkie)

 

カブールでは、国連人間居住計画(国連ハビタット)の案内で、女性たちが集まって手工芸品やジャム、クッキーなどを作って販売するコミュニティーに根差したグループの活動を見せていただきました。元々は国連ハビタットのコミュニティー支援のサポートを受けていましたが、今では自立して援助を受けることは卒業し、自分たちのネットワークで販路を広げているというエネルギー溢れるグループです。ジャムとクッキー、バスケット、ニット製品、アクセサリーの4つの部門で成り立ち、それぞれに責任者がいます。手狭になったのでもうすぐ近くのより広いところに移る予定で、新たにジムも開くとのことです。テーブルいっぱいに所狭しと並べられたおいしそうなお菓子やフィンガー・フードは、すべてこのグループの手作りのものでした。

 

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 手作りのサモサやジャムが所狭しと並ぶ。いずれも上品な優しい味。(UNAMA/Sampa Kangwa-Wilkie)

 

「女性でビジネスを切り盛りするのは大変だと思いますが、皆さんはどのように道を切り開いてこられたのですか?」と問い掛けると、編み物部門の代表で最も年長で60歳のサフィアさんが、「私は長年教師をしていたので、ネットワークが広く、周りの人たちも私の意見に一目置いてくれていたんですね。夫の理解があったのも助かりました。ビジネスチャンスや見本市の話があると参加して、少しずつ広げていったんです」と答えてくれました。表情に落ち着いた自信がみなぎっています。

 

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 右が最年長のニット製品担当のサフィアさん、左がジュエリー担当のクブラさん。(UNAMA/Sampa Kangwa-Wilkie)

 

「最近、知人の紹介もあって、国境を越えてタジキスタンの見本市にも参加してきましたよ」と言うのはアクセサリー部門責任者のクブラさん、47歳。さすがデザイン性に富んだメガネをはじめ、身に着けているものが洗練されています。肝っ玉母さん的な明るさと大胆さがうかがえるのはバスケット部門のナルメンさん、46歳。この人は実に人懐っこい笑顔が魅力的です。「いろいろな女性グループに所属して、ネットワークを広げています。日本の女性団体ともつながりたい!」とのアピールも忘れません。この笑顔と押しの強さは大いに威力を発揮します。

 

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 右が人懐っこい笑顔が印象的な、バスケット担当のナルメンさん。バスケットと編み物とを組み合わせると  いう工夫をしている。(UNAMA/Sampa Kangwa-Wilkie)

 

「一番大変だったのは、この子ですよ」と先輩の女性たちが言うのは、食品部門責任者の19歳のムルサルさん。「競争が激しいし、なかなか参入できないですからね。ほら、恥ずかしがらないで、経験を話しなさいよ」と促されて、ようやく控えめなか細い声を語ってくれました。

 

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 まだ19歳でジャムとクッキー担当のムルサルさんは、次の世代を担う。(UNAMA/Sampa Kangwa-Wilkie)

 

「サンプルを持ってお店を回っても全く手ごたえがなくて。少しずつ口コミで広がっていって、こだわりのものを置くお店で扱ってもらうようになりました」今は引っ込み思案なムルサルさんも、いずれは先輩たちのようにたくましくなることでしょう。次世代の代表として頼りにされている様子がうかがえました。

 

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 これを編んでバスケットに。(UNAMA/Sampa Kangwa-Wilkie)

 

工房では、女性たちが楽しそうに作業をしています。忙しそうに手を動かしつつも、笑い声が絶えません。これぞ「女性の井戸端会議力」!インフォーマルな形で、暮らしに必要な情報やアイデアが交わされていることでしょう。

 

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  バスケットにほどこす飾りを編む。(UNAMA/Sampa Kangwa-Wilkie)

 

アクセサリー工房では、クブラさんの娘さんも細かい手仕事を手伝っていました。皆さんおしゃれに個性的なアクセサリーを身に着けていて、ついつい私も素敵なストーンのネックレス、ブレスレット、そして指輪を買ってしまいました。

 

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 クブラさんの上の娘さん。細かい作業を担当。(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

クブラさんの一番下の女の子が「私もママのようにビジネスウーマンになりたい」と言っていたのが印象的です。娘が母親の背中を見て育っていくのはいずこの国も同じですね。

 

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 クブラさんの下の娘さんは、利発そうな顔をしている。(UNAMA/Sampa Kangwa-Wilkie)

 

今回のアフガニスタン訪問では、狭い意味での国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の活動のみならず、国連諸機関が行っている活動も視察しましたが、ここでもアフガン女性たちが活躍していました。UNICEFもその一つです。アフガニスタンは、パキスタンとナイジェリアと並び、ポリオが根絶できていない最後の3ヶ国の一つで、それだけに根絶にむけた努力に拍車がかかります。

 

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 カンダハールでのポリオ根絶のためのユニセフの活動。男女の区別が厳しいアフガニスタンでは、女性スタ  ッフの存在が欠かせない。(UNICEF Afghanistan/2015/Hayeri)

 

日本はポリオ根絶推進活動およびグローバルヘルスの分野において世界最大のドナー国の一つです。ポリオは発症すると手足にまひが生じる危険性があり、感染者の多くは貧しく、不衛生な環境で生活を送る幼い子どもたちです。治療方法は確立されていないものの、ワクチンの投与で予防が可能な病気です。

 

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鈴鹿光次駐アフガニスタン大使とUNICEFアフガニスタン事務所のアデル・コドル代表が日本政府からの予防接種プログラムへの無償資金拠出について調印。(UNICEF  Afghanistan/2016/Mehraeen)

 

カナダ政府とアガ・カーン財団の財政支援を受けて、バーミヤン市内に新しくできた美術館と見紛うばかりの病院で、UNICEFバーミヤン出張所のアタイ医師がUNICEFが支援する医療活動を案内してくれました。「日本はUNICEFにとって予防接種事業で主要なパートナーです。定期予防接種そして全土でのポリオキャンペーンの強化を支えてくださっていることに感謝しています」と感謝の気持ちを繰り返し述べていました。

 

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 バーミヤンにできた新しい病院。後ろの丘と一体感のある色調で統一され、まるで美術館のような雰囲気  が。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

アフガニスタンの乳幼児死亡率はこの10年で半分近くに下がりましたが、これは予防接種事業のおかげでもあります。また、病院では日本からの支援を受け、国連WFPとUNICEFとの連携によって栄養プログラムが実施されています。

 

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 お母さんは赤ちゃんをありとあらゆる布でグルグル巻きにして予防接種に連れてきた。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

予防接種、乳幼児を抱えたお母さんたちへの栄養面の指導、そして産科病棟で奮闘するのは皆女性たちでした。新生児集中治療室などの設備の整った新しい病院ができて、より多くの女性が病院で出産するようになったと言います。

 

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 病院には新生児集中治療室などの設備が整っている。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

彼女たちからそれぞれの手掛ける仕事について話を聞く中で仕事のやりがいについて尋ねると、皆一様に顔を輝かせ、自分の知識や経験を活かして人のためになる仕事に就いて家庭の外で働けること、そして家族を支える収入を得られることへの誇りと喜びについて語ってくれました。

 

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 産科病棟の職員と。医療という社会に貢献する活動に関わっていることに誇りを持ちながら勤務。中央が  UNICEFのアタイ医師。産科病棟で出会ったお母さんは、生まれたての娘が医師になってくれればと語ってい  た。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

バーミヤン県のデータを見て気になったのは、2011/2012年の数字ではありますが、清潔な水へのアクセスは全国平均の半分、そしてトイレへのアクセスがある人の割合が全国平均の8.4パーセントよりもはるかに低い0.4パーセントにとどまっていることです。国連WFPの栄養センターで配給を待つお母さんに「家にお手洗いはありますか?」と尋ねると、当然のように「そんなものありません」との答えが返ってきます。国連WFPでは乳幼児の栄養不良が著しい家庭に対して持ち帰り用の栄養強化食品を支援し、かつ栄養改善についてお母さんたちに指導を行っています。水がとても貴重な場所では子どもたちがほこりまみれで、清潔を保てないのが課題でしょう。

 

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 国連WFPが運営する栄養センター。病院で子どもの栄養状況について検診し、ここで栄養強化食糧を受け取  る。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

バーミヤン県の知事もUNAMAバーミヤン事務所長のアイリーンも、「バーミヤンの町中だけを見ていてもなかなかわかっていただけませんが、この県の遠隔地の開発はとても遅れているということを理解してほしい」と繰り返し強調していました。バーミヤンの町でも、暗くなってソーラーパワーによる街灯が点灯すると、家に明かりがない子どもたちがその下に集まって勉強する姿が見られるそうです。

 

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 国連WFPが地元のNGOと連携して支援するキリム織りを学ぶ職業訓練(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

テクノロジーの発展で、アフガニスタンでの食糧支援の形も変化しています。以前は道路などの地域に持続的に残る資産をつくるコミュニティー・ワークや訓練に参加した人たちに「food for asset」「food for training」などのスキームで食糧そのものがインセンティブとして支給されていましたが、アフガニスタンバーミヤン国連WFPが地元のNGOと連携して貧困層の女性を対象に行っているキリムづくりの職業訓練ではそうではありません。

 

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 SIMカードに電子食糧引換券となるショートメールが届き、契約店で食品に引き換える方式(イメージ)。(WFP/Wahidullah Amani)

 

受講者たちはSIMカードをもらい、このSIMカードが銀行口座のような役割を果たすのです。受講のインセンティブとしてSIMカードに電子食糧引換券がメールで送られて、契約店にて食品と引き換えることができるという仕組みになっています。これにより、地元の市場を活性化出来るだけでなく、受講者の食品選択の幅が広がり、より栄養価の高い食べ物を食卓に出せるようになります。

 

また、カーペットづくりの技術指導は、出来上がった製品のマーケティングも考えて、キリムの模様が特徴的で人気のアフガニスタン北部から先生をわざわざ招き入れて行われています。

 

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 6ヶ月の訓練修了後には自立することが求められるため、市場へのアクセスが重要だ。(UNAMA/Anna  Maria Adhikari)

 

「高校を卒業しても仕事に就けなかったので、こうして訓練を受けることが収入につながって、のちの仕事になるということが嬉しくてたまりません。家族もサポートしてくれています」と若い女性がキリムづくりの手を休めて、感極まったように語ってくれました。

 

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 糸紡ぎをする女性たち。受講者は脆弱な家庭から選ばれている。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

別の部屋では、年の行った女性が車座になって糸紡ぎのコマのようなものをブンブン回しています。明るい表情が印象的な年配の女性は、「うちの息子は日雇いの仕事をしていますが、ほかに収入はありません。この年で初めてSIMカードを持たせてもらって、おまけに稼ぎにもつながるので、とても喜んでますよ。避難生活も長かったのですが、やっぱり故郷はいいですね」と嬉しさいっぱいの表情でした。

 

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 このプロジェクトに参加できる喜びについて語ってくれた女性。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

驚いたことに、バーミヤンには東西の大仏と石窟群に対面する素晴らしいロケーションに、一人の日本人女性が経営を手伝うホテルがあるのです。「ホテル・シルクロードバーミヤン」の経営者の安井浩美(やすい・ひろみ)さんは短大卒業後、会社勤務を経て26歳でシルクロードの旅に出かけたことをきっかけに写真の道に入り、1993年以降フリーランスの写真家としてアフガニスタンなどを取材してきました。

 

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 カブールのUNAMAでのレセプションで、安井さんと(左端)。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

2001年のアメリカ同時多発テロをきっかけにアフガニスタンに入り、以来共同通信カブール支局で通信員として働くとともに、アフガン帰還民の子どもたちのための教育を支援。2007年にアフガニスタン人の夫がホテル・シルクロードをオープンし、客室用のクッションなどの備品の製作を手掛けたのがきっかけで、2010年にシルクロードバーミヤン・ハンディクラフトという手工芸品の製作と販売のための会社も設立しています。

 

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 世界文化遺産に登録されているバーミヤン渓谷の遺跡群を望む。左右の大きな石窟には、2001年にタリバン  に爆破されるまで大仏があった。(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

チームで夕食にホテルに立ち寄ったところ、私はクラフトショップの手工芸品の鮮やかな色使いに心をわしづかみにされて見入ってしまい、「あれも欲しい、これも欲しい」とたくさんお土産に購入してしまいました。他のお店だとなかなか日本に戻ってから使えるようなデザインや色のものがないのですが、安井さんが細かく指導して品質管理にも目配りしているのでしょう、ここには心惹かれるものがたくさんありました。

 

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 安井さんの指導の努力で、先進国の消費者の好みにあったデザインや縫製に。(Silk Road Bamiyan Handicrafts)

 

安井さんのお話では、バーミヤンの伝統的な織物をバーミヤンで作っているほか、クラフトはカブールで暮らすバーミヤンやガズニ出身のハザラ族の女性たち中心に作っているとのことです。「貧困社会のアフガニスタンでほんの少しですが私の会社に努める女性たちの家族の経済的な支援になっているところが励みになるし、素晴らしい刺繍や素晴らしい商品が出来上がることは、私にとってこの会社を運営していく上でのやりがいになっています」と事業への思いを語ってくださいました。

 

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 日本ではなかなかない色合いのポーチと刺繍の美しいバッグを購入。(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

アフガニスタンの魅力について「やはりいろんな文化が混ざり合うシルクロードの十字路という部分に引き付けられたのだと思います。日本にはない、多民族社会でそれぞれ異なる言語や文化習慣がある部分にも魅せられます。さらには、日本にはないダイナミックな景観となんでも大雑把なところが、私にはピッタリなのかもしれません!」と言う安井さんはホテルの運営を手伝い、ホテル内のレストランには和食のメニューもあります。まさかアフガニスタンで太巻き入りのボックス弁当をお箸でいただけるとは思っておらず、現地スタッフも含めみんな物珍しさもあって大はしゃぎしました。

 

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安井さんのアフガニスタンの人々への思いがたくさん詰まったホテルでしたが、こうした経験もバーミヤンではある程度の安定が確保できているからこそ可能なことであって、首都カブールでは国連職員は外部のレストランで外食することもできませんし、買い物に行くこともできないのです。バーミヤンの風景を見るにつけ、安心・安全がもう少し国全体に確保されればもっといろいろな可能性が生まれる国だろうに、と思えてなりませんでした。

 

バーミヤン県知事とUNAMAバーミヤン事務所長のアイリーンが指摘していた「開発の遅れ」を象徴するような家族にも出会いました。12年前に土地もなく、仕事もないことから地方からバーミヤンに移り住み、ずっと洞穴の一つに住み着いている一家です。電気も水もなく、もちろんトイレもありません。そこに夫婦と子ども5人の計7人で暮らしているのです。

 

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 移転は進んだものの、いまだに石窟に住み着いている人々が。(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

私たちが訪問したこの日、夫は日雇いの仕事、長男は学校で、家には30歳の妻と子ども4人がいました。子どもは全員この洞穴の中で産んだと言います。中に通してもらって、そのあまりのベーシックさに、多くの途上国の現場を知っている私でさえも一瞬言葉が見つかりませんでした。

 

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 洞窟が彼らの住まい。夜の明かりとして家族が使っている懐中電灯が見える。(UNAMA/Anna Maria      Adhikari)

 

次女は障害があり、落ち着きなく動き回り、目が離せません。聞くと、近くで不発弾処理をした時にたまたまそばにいて、そのショックで今のようになってしまったそうです。小学校に通う9歳の長女が面倒を見ていますが、長女の目は怒りと諦めが入り混じったような眼差しで、およそ9歳の子どもとは思えない達観した表情をしています。

 

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 右の長女の達観した表情が気になった。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

「洞穴の外に出たところの崖が危ないので、子どもたちだけを置いたままで出かけられません。水汲みに行くときも、いつも子どもを連れていく必要があるんです」と溜息まじりで話すお母さんは、実年齢よりも10歳は老けて見えます。唯一の救いは、この地域は治安がある程度安定していて行政サービスへの距離も近いので、学校や病院には行けているということです。

 

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 「多くの人々が私たちを訪れて、写真を撮って帰っていったけれど、私たち家族には何の支援もない」とい    うお母さんに、返す言葉がなかった。(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

「ここに暮らし続けたいのですか?それとも引っ越し先があれば、移りたいですか?」という問いに、「もちろん他の場所に移れるんだったら、引っ越したいですよ。でも私たちにお金はありませんから、助けてもらわないと」と言います。

 

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 近くの洞窟に暮らす子どもたちが集まってきた。(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

しかしながら、同行していた役人に「世界文化遺産の石窟からの移住計画はどうなっているのですか?」とそれとなく聞くと、財政難で手が回らないとのこと。行政の働きかけで多くの人々が石窟から移り住んだものの、自力で移ることのできない最も脆弱な立場にある人々がいまだに住み着いているのです。

 

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 心の整理がつかないまま、洞窟を後にした。水汲み用の黄色い容器が並ぶ。水汲みは重労働。(UNAMA/Jaffar Rahim)

 

表向きはきらびやかなオフィスビルや豪華な結婚式場が立ち並ぶ首都カブールとかけ離れた世界を目の当たりにして、なかなか心の整理がつきません。

 

                               撮影 根本かおる

世界レベルの格差の拡大について「世界で最も裕福な8人の富の合計が世界人口の下半分の36億人の富の合計に相応する」というデータを用いながら講演などで語ってきましたが、厳しい現実を生き抜かなければならない家族を目の前にして、どこに生れ落ちるかでここまでの格差と不公平があるのかと、言葉を失ってしまいました。日本人に顔つきの似ている人々だからこそなおさら、その不条理が感じられてなりませんでした。

 

 

連載:アフガニスタンで平和について考えた  ~ 根本かおる所長のブログ寄稿シリーズ(全5回) (3)アフガニスタンへの難民の帰還ラッシュ

シリアに次いで世界で2番目に難民を生み出しているアフガニスタン。実は今、パキスタン、イランから難民が同国に戻る帰還ラッシュが起こっています。2016年には100万人を記録し、2017年には120万人が帰還すると予想されています。4月29日から5月3日にかけて、同国を訪れた私は、不安定な治安状況のなか、護衛のついた防弾車で移動し、これらの人々が暮らす帰還民支援センターなどを訪ねました。また、日本企業による女性自立を支援するプロジェクトのもと、避難民の女性が刺繍づくりに携わっている集会所も訪ね、女性たちの声を聞きました。厳しい状況下で懸命に生きる人々の様子をお伝えします。

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アフガニスタンの今を語る上で、難民の帰還は是非見て行ってほしい」と国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)広報部のリアム・マクダウル部長に言われ、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員の経験の長い私は、二つ返事で了解しました。

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 カブールの、帰還する難民たちに現金の支援を提供するセンター(UNHCR Photo)

 

2001年11月にタリバン政権が崩壊してから15年以上経つものの、アフガニスタンは、シリアについで世界で2番目に多くの国境を越えて逃れた難民を生み出してしまっているということをご存知でしょうか。難民登録している人たちだけでも、2016年半ばの時点でパキスタンにおよそ150万人、そしてイランにおよそ100万人、世界全体で250万人を超える人々が難民として避難しています。さらにおよそ同じ規模の人たちが、登録せずに事実上避難生活を送っているものと見られます。2016年にヨーロッパに渡った難民・移民でシリアに次いで多いのがアフガニスタン出身の人々です。

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 ヨーロッパを目指し、トルコ経由でギリシャのレスポス島にたどり着いた人々。アフガニスタン出身の人々  も多い。(UNICEF/Ashley Gilbertson VII)

 

また、紛争の影響で国内に留まりながら避難生活を送る人々についても、Internal Displacement Monitoring Groupによると、治安の悪化のあおりを受けて2016年で65万人が新たに避難を強いられ、2016年末の数字155万人は2013年の倍以上、120万人を記録した2002年以来記録を更新するまでに増えているのです。

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 北部クンドゥス県で紛争の被害にあった人々に支援物資を配給。2015年10月UNAMA/Shamsuddin  Hamedi)

 

UNAMAによると、2014年に多国籍軍が大幅撤退して以降反体制武装勢力の活動が活発化し、こうした武装集団による事件も2016年には2015年の23パーセント増えています。武力衝突という面でも、2016年には、全国34県のうち33県で反体制派武装勢力と政府軍との激しい衝突がありました。連載第1回で触れたように、2016年に戦闘やテロによって民間人が死傷した数は1万1,418人と、UNAMAが調査を開始した2009年以降最悪の数字を記録し、その3人に一人は子どもで、2009年初めから2016年末までに民間人の死傷者数の合計は7万人を超えています。さらに、5月25日にニューヨークの国連安全保障理事会で行われた紛争下での民間人の保護に関する討論でグテーレス事務総長は、アフガニスタンで医療施設や医療スタッフを対する攻撃が2016年には2015年のおよそ倍に増えていると警鐘を鳴らしました。調べれば調べるほど深刻な数字に行き当たり、巨大な結婚式場が立ち並ぶカブールの表面的なきらびやかさとは程遠い厳しい現実に驚かされます。

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 2017年5月25日の安全保障理事会での議論で、グテーレス事務総長は「病院や民間人への攻撃は国際法の著  しい無視だ」と警鐘を鳴らした。(UN Photo/Eskinder Debebe)

 

ところが、そのような状況にも関わらず、新たな動向として、2016年後半から大量の人々がパキスタン、イランからアフガニスタンに帰ってきているのです。2016年合計で難民として登録されていた人々、登録せずに避難していた人々あわせて合計100万人を超える帰還がありました。

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 難民たちは家財道具をトラックに積んで帰還(UNHCR Photo)

 

2017年に入ってからも厳しい冬による中断を経て、5月20日現在でおよそ22万人が帰還しています。国連の人道援助部門では、2017年には120万人が帰還するものとして事業計画を立てています。

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                                UNHCR Photo

 

特に憂慮されるのがパキスタンでの事情です。パキスタン国内の治安が悪化したのに加えて、パキスタンアフガニスタンとの二国間関係の悪化を受けて、2016年半ば以降アフガン難民が帰還せざるを得ない状況に追い込まれました。UNHCRが帰還民に調査したところ、警察による家宅捜索やハラスメント、パキスタン政府の政策により難民登録証が無効となる危険性などが帰還の主な理由に挙げられました。厳しい現実の中での選択だったことがわかります。長い人になるとソビエト連邦アフガニスタン侵攻の時代から30年以上にもわたるパキスタンでの暮らしをあとにしての帰国になります。

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 アフガニスタンに帰還する女性と子どもたち。トルカム国境検問所で(UNAMA/Kirk L. Kroeker)

 

定住先もなく、UNHCRの調査では、半数は元の故郷には帰らず、パキスタン北西部からトルカム国境検問所を経てアフガニスタン側のナンガハール県、そしてその隣で首都のあるカブール県などに留まっています。身寄りがない、定住場所がない、仕事がないという不安定な状況に加えて、ただでさえ脆弱な学校や医療サービスなどの社会インフラを圧迫しているのです。追跡調査に応じた人たちの75パーセントは「帰還してよかった」と回答し、「帰還したことを後悔している」の5パーセントを大きく上回っていることに救われます。

私はUNHCRがアフガニスタン政府や多くの援助機関と協力して運営するカブール近郊の帰還民支援センターを視察しました。

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カブール近郊の現金化センターにて(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

UNHCRは登録難民の帰還、国際移住機関(IOM)は登録されていない難民の帰還、という区分けで責任分担し、ここは登録難民が帰還した際に一人あたり200ドル程度(出身地までの距離によって多少の違いがある)という現金が手渡されるencashment center(現金化センター)です。

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 日本政府も支援国の一つ(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

子どもの予防接種、栄養失調の子どもへの栄養補給、地雷などの危険回避教育、土地問題の相談など、様々なサービスを一度に総合的に受けられる効率的な流れになっています。 

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様々な分野の支援サービスがまとめて受けられる仕組みに(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

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 地雷などの爆発物について真剣に耳を傾ける人々。特に子どもたちが被害に遭いやすい。(UNAMA/Anna  Maria Adhikari)

 

現金を受け取ったところを見計らって一人の年配の女性に声を掛けてみました。「そのお金は何に使いますか?」「これは部屋を借りるのに使うわ」

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この女性は人見知りなどせず、明るく話してくれた(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

「故郷はどちらですか?何年パキスタンにいたのですか?」「北部のクンドゥスだけど、そこには帰らないでカブールで暮らすつもり。頼れる親戚もいるしね。パキスタンには30年以上いたけど、やっぱりアフガニスタンに帰ってきて嬉しいわね」

もう少し若い人たちとも話してみました。「パキスタンで生まれました」というモハマドさんは28歳。同じく28歳の妻と小さな子ども3人で北部のクンドゥスに戻ります。

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                           UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto

 

アフガニスタンでの生活を知らない中で、帰ってくることを決めた理由は?」「警察にいろいろと嫌がらせを受けるようになって、それならもう帰ろうと思いました。クンドゥスに戻るのは不安ですが、一応親戚や家族もクンドゥスにいるので、帰ります」クンドゥスという政府軍とタリバンとがしのぎを削っている前線に帰るというモハマドさんは苦しい胸の内を語ってくれました。先ほどの女性のあっけらかんとした感じとは正反対です。一家の無事を祈らずにはいられません。 

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                           UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto

 

カブールには治安の悪化のあおりを受けて故郷を後にした人々が集まりますが、厳しい避難生活を送る女性たちの自立を支援するプロジェクトを日本企業が始めています。読者の皆さんの中にもユニクロの店頭などでもう着なくなった服を回収する呼びかけをご覧になったことがある方も多いでしょう。ユニクロ、GUなどのブランドを持つ株式会社ファーストリテイリングは、2006年の全商品リサイクル活動の開始以来、2017年初めまでに合計5000万点を回収し、世界の難民・避難民らに寄贈してきましたが、世界の難民のおよそ半分が子どもという状況の中では子ども服が十分に集まっていません。

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                ユニクロ(撮影場所:ルワンダ 撮影年:2016年)

 

そこで、人気刺繍作家の小林モー子さんとコラボして、小林さんデザインのモチーフをアフガン女性たちが刺繍して作ったチャームを、「世界難民の日」の6月20から8月31日までの「子ども服回収強化月間」に子ども服のリサイクルに協力してくださった方々先着1万人にプレゼントするというのです。

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 人気刺繍作家の小林モー子さんのデザインをモチーフにしたチャーム(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

ファーストリテイリングのグローバル・パートナーであるUNHCRを通じて現地のNGOと連携し、カブールの国内避難民の女性たち、そしてマレーシア、インドで暮らすアフガン難民の女性たちに刺繍を行ってもらい、女性たちに手間賃を支払うという職業訓練・収入創出のスキームです。日本からのデザインと材料がカブールに届き女性たちが活動をスタートさせたと聞いて、UNHCRチームの案内で活動現場に向かいました。幹線道路から脇に入り、土を固めただけの道を車はどんどん進みます。 

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 幹線道路から少し入ると道はデコボコに(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

行き着いたのは民家を活用した集会所で、UNHCRの男性の広報担当は中には入れません。この時ばかりは、自分が女性で本当に良かったと感じました。集会所では、白衣を着た女性たちが机に向かって一列に並んで座り、練習台の布を使ってお手本に倣って慣れるまで練習をしているところでした。

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 集会所には男性は入れない(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

女性たちは「刺繍は普段からやっていますが、こうしたデザインは初めてです。でも、新しいことを学ぶのは楽しいし、それが収入にもつながるのでとてもやりがいがあります」と嬉しさを口にします。武力衝突の激しいナンガハール県、クンドゥス県から避難してきた女性たちにとって、少しでも収入につながる機会は大変貴重です。

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 集中して刺繍をする女性たち(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

中には収入のある人が家族におらず、自分が家計を支えることになるという人もいました。赤とピンクの刺繍糸という色鮮やかでかつ柔らかいものに触れることも、先の見えない避難生活を送る女性たちにとって心理的にポジティブな効果があるのかもしれません。私は大学時代に母親に教えてもらいながら自分で簡単な服を縫って着ていた経験があります。日本から提案されたデザインを見ながら一生懸命に針仕事をするアフガン女性たちの姿を拝見し、国境を越えたつながりを感じ、何だか熱いものが胸に込み上げてきました。

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                                UNAMA/Anna Maria Adhikari

 

「ご家族は皆さんが家の外で仕事をすることに賛成してくれているのですか?」「すぐ近所に住んでいるので、家族もサポートしてくれています」「手間賃をもらえるので、家族も喜んでいます」こうした前向きな答えが聞こえるものの、写真を撮ってもいいかと尋ねると、スカーフで顔を隠す仕草をする女性たちもいて、やはりそこはカブールに暮らしているとはいうものの、前回ご紹介した女性活動家のライルマさん、サイフォラさんなどとはまったく異なり、伝統的な価値観の強い地方出身者なのだなと感じました。

                                                                                                       撮影 根本かおる

 ところで、今回の視察ではアフガニスタン治安当局と国連の安全担当チームとの護衛もついて、UNHCRチームの車と車列を組んで移動しました。車は防弾車で、ドアも防弾仕様になっているため非常に重く。ドアの開け閉めのにも一苦労します。

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アフガニスタン治安当局の護衛の車が先導(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

難民の現金化センターに向かう中で、突然大きな爆発音がし、振り向くと自分たちが来た方角で黒煙がモクモクと上がっているのです。後でインターネットを確認すると、北大西洋条約機構(NATO)の軍の車列を狙ったイスラム国の自爆テロで、少なくとも8人の民間人が死亡、アメリカ軍関係者を含むおよそ25人が負傷、多くの民間の車両が巻き添えになったとありました。もし私たちの車列が少し遅れていたなら、大変なことに巻き込まれていたかもしれません。アフガニスタンの人々、そしてこの地で働く同僚たちが日々強いられている緊張感を思い知らされた瞬間でした。

そして、ラマダン中の5月31日。カブール中心部は恐ろしいテロ事件に見まわれました。報道によると、各国の大使館などが集中する地区で大量の爆発物を積んだバキュームカーが爆破し、少なくとも80名が死亡、350人が負傷するという最悪の事件でした。日本大使館職員、国際協力機構(JICA)関係者の日本人2名も爆風で割れた窓ガラスで軽傷を負っています。山本忠通アフガニスタン担当事務総長特別代表は抗議声明の中で、「今日起きた攻撃は、はかり知れない苦しみを多くの人々にもたらしました。それ以上に、平和なラマダンの期間中、一般市民が暮らす地域を狙った大規模なトラック爆弾の爆発は、道徳上許されない非道な行為です」と強く非難しています。アフガニスタンで出会った人々のことを思うと、憤りを感じると同時に、何もできない自分にもどかしさを抱きながら、ただただ平和を祈るばかりです。

連載:アフガニスタンで平和について考えた  ~ 根本かおる所長のブログ寄稿シリーズ(全5回) (2)アフガン女性たちが平和をつくる

アフガニスタン訪問記の第2回は、同国での女性たちとの出会いにスポットを当てます。UNAMAフィールド事務所を率いるフィリピン出身の女性所長との出会いや、Afghanistan Justice OrganizationMedica Afghanistanなど、同国の市民団体をけん引する女性たちのインタビュー、バーミヤンのFMラジオ局の番組で女性の活動家や宗教家らと行っジェンダー論議など。依然として厳しい環境ながらも、身の危険をも乗り越えて活躍する女性たちの逞しさをお伝えできればと思います。

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国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)広報部のアウトリーチ部門チーフのアンナに、私はリクエストのトップに「アフガン女性たちを取り巻く状況について知りたい」と挙げていました。女性の権利推進とエンパワーメントは、アフガニスタンにおける国連の活動の重点項目の一つとなっています。4月29日、日本の支援で建設されたカブール国際空港に降り立ち、宿舎にスーツケースを置いた直後には、私は女性団体で働くアフガン女性たちとのミーティングに臨んでいました。

 

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日本からのお土産「柿ピー」を食べながら、ジェンダー論議。右の男性はUNAMAのジェンダー担当官 (UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

面会に応じてくださったのはAfghanistan Justice Organizationの創始者であり副会長を務めるライルマさんと、Medica Afghanistanのサイフォラさんです。お二人とも女性に対する暴力の根絶や男女の機会均等などに関する法制度の整備・改正に関わり、サイフォラさんは個別ケースの救済にも関わっていらっしゃいます。アフガニスタンでは、女性を暴力から守り、女性の権利を保障する活動は、まさに命がけの仕事です。社会のあらゆる側面において女性の権利を唱えることは伝統的な文化や社会規範に楯突くものと見なされるからです。タリバンなど武装組織のみならず、政府関係者、軍、軍閥らが加担することもあり、家族からの反対・反発もあります。ライルマさん、サイフォラさんもこうした圧力から無縁ではなく、そんな厳しさにも関わらず私との面会に応じてくださったことを心からありがたく思いました。

 

2009年に決定された「女性に対する暴力廃絶法」を骨抜きにしようという議会の動きがあることや、女性省や各省のジェンダー・ユニットがあるものの限られた影響力しかなく、公務員の採用において腐敗や縁故主義がはびこって実力を持った女性が登用されないこと、職場でのセクシャル・ハラスメントが蔓延していること、司法制度が男性中心である上、腐敗が激しいことなどについて、熱を帯びた口調で語ってくださいました。女性の司法へのアクセスを考える際、女性の裁判官の有無が重要ですが、タリバン政権下にはゼロだった女性の裁判官は、現在260名にまで増えたものの、女性の裁判官が任官されたのはカブール、ヘラートなどの5つの県に限られています。多くの障害を乗り越えて活動を続けてきたお二人からは、野太いたくましさが感じられます。

 

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Afghanistan Justice Organizationの創始者であり副会長を務めるライルマさん(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

UNAMAはこうした女性団体・女性の代表が活動の幅を広げ、声を上げることを、国連だからこその役割と調整力を発揮して側面支援してきました。「アフガニスタンの女性を取り巻く環境は、道半ばです」とライルマさんは言います。「政府は治安問題や和平交渉のことで頭がいっぱいで、教育や医療サービスを含む女性の課題は後回しにされがちです。2014年で多国籍軍のほとんどが撤退し、国際社会からの援助も減る傾向にあり、女性団体の数もピーク時の半分ほどに減っています。是非国際社会には粘り強く支援を継続すること、アフガニスタンの女性たちを取り巻く状況に関心を持ち続けることを強くお願いしたい」と苦境について説明してくれました。

 

治安の悪化を受けて、ただでさえ制約されている女性の移動の自由がさらに制限されるようになったとサイフォラさんは言います。「北部の重要都市のクンドゥスが2015年にタリバンの手に陥落したことは、人々を不安に陥れ、カブールでも安心できなくなりました。事実、私たちの事務所のすぐそばでも爆発がありました」と語るサイフォラさんは、イギリスとスウェーデンでそれぞれ修士号を取得した才媛です。「父親は医者ですが、母親は読み書きができません。父親が私の留学を応援してくれて、反対する家族や親せきを説得してくれました。単身スウェーデンに留学した時は、すでに結婚していましたが、夫が大変理解があったおかげで実現しました」

 

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Medica Afghanistanのサイフォラさんには、アメリカとスウェーデンへの留学経験が(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

もし是正するとしたら何から着手したいですかと尋ねると、ライルマさんは「強い公務員任用委員会」を挙げ、「改革への強い政治的な意志に加えて、それを担える人材を育成することが必要で、今のアフガニスタンには特に後者が欠けています」と、最大の雇用供給元である政府機関に対して注文を付けました。日本からの支援への感謝の気持ちを述べる中で、ライルマさんが語った言葉にハッとさせられました。「アフガニスタンは1970年代から平和を求めて苦しんでいますが、もとはと言えば外から持ち込まれた紛争のために傷ついてきたのです。日本も含めた国際社会には、是非そのことを忘れないでほしい」と訴えるライルマさん。ふるくはロシア・ソ連大英帝国にはさまれ、多くの国々と地続きで、世界・地域の大国に振り回されてきたアフガニスタンの歴史に、島国・日本がいかに幸運であったかを感じずにはいられませんでした。

 

実は、女性の政治参画や公務員に占める割合などにおいて、アフガニスタンは日本の上を行っています。議会下院で女性議員が占める割合は、クオータ制を設けて推し進めてきたアフガニスタンが27.7パーセントなのに対して、日本は9.3パーセント。国家公務員の幹部職員に占める女性の割合は、アフガニスタンは9.8パーセント、日本はおよそ4パーセントです。こうした数字の比較をアフガニスタンでラジオ出演した際に紹介したところ、ほかの出演者から随分と驚かれました。カブールから小型飛行機で西に30分のところにあるバーミヤンのFMラジオ局、「ラジオ・バーミヤン」で女性の社会参画を取り巻く課題についてのディスカッション番組に出演したときのことです。

 

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ラジオは、アフガニスタンで最も有力なメディアの一つ(UNAMA/Jaffar Rahim)

 

アンナがチーフを務めるUNAMA広報部のアウトリーチ部門は、アフガニスタンのメディアに対して客観的な報道や番組の作り方、ソーシャル・メディアの使い方などについて研修を行うとともに、女性団体をはじめとする市民団体についても、社会変革を担うエージェントとして、マスコミを通じて意見表明することに対して背中を押してエンパワーする支援を行っています。

 

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ラジオ・バーミヤンにて。アフガニスタンの職場では、子どもを連れて出勤するお母さんに寛容だ(UNMA/Anna Maria Adhikari)

 

ラジオ・バーミヤンは、アフガニスタンで最初の独立系ラジオ局として2002年に開局しました。コミュニティーに根差したラジオ局で(電力はすべて太陽光発電で賄われています)、地域の課題を丁寧に取り上げ、UNAMAと様々な形で連携しています。ラジオ・バーミヤンではスタッフの半数近くが女性で、私がバーミヤンを訪れているタイミングをとらえて、女性ディレクターの発案によりバーミヤン県庁の女性問題担当官、地域の女性活動家、女性の元県議会議員、女性の宗教家を集めてディスカッション番組を収録したのです。大学時代にラジオの深夜番組でDJを務めていた私は、ラジオというメディアが活躍していることを個人的にとても嬉しく思いましたし、UNAMAが女性の宗教家が社会に対して影響力を持っていることに着目して発言の場づくりに貢献していることに感心します。

 

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左は女性の宗教家、左から2番目は女性活動家(UNAMA/Jaffar Rahim)

 

バーミヤン県からは2005年にアフガニスタンの歴史の中で初めての女性の知事が生まれ、アフガニスタンの中では比較的リベラルな風土として知られ、女性たちが番組づくりに深く関わっていること、ラジオというメディアの場で臆せず意見を述べる女性たちがいることに大変勇気づけられます。国全体の民族・宗教構成の中ではマイノリティーにあたるイスラムシーア派のハザラ族が多く住み、開発が最も遅れている県の一つではあるものの、教育全般ならびに女子の就学に関連した指標では、全国平均を大幅に上回っていることに女性たちは胸を張ります。ハザラ族の間で女性に対して進歩的な意識が強いことは、アジア財団の世論調査でも明らかになっています。

 

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右はバーミヤン県の女性問題担当官、左はラジオ・バーミヤンのプロデューサー(UNAMA/Jaffar Rahim)

 

収録後5月17日に放送になった番組の中で話題になったのは、県の職員に占める女性の割合が17,5パーセント、意思決定を行えるレベルには3人にとどまっていること、女性の採用を推進するために県の人事センターから採用情報や面接の受け方、コンピューター・トレーニングなどの実務的なサポートの提供が必要であること、役場という職場からハラスメントをなくして安全な環境にすることが重要であることなど、次々に意見が出され、県の職員が防戦に回っていました。

 

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 ジェンダーについて語ると、国境を越えた連帯感が生まれる(UNAMA/Jaffar Rahim)

 

私からは、女性の課題の推進には先進国・途上国を通じてやはり男性トップのコミットメントが必要だと、安倍総理の進めるウィメノミクスの例をひいて訴えました。女性の元県議会議員の「女性が教育を受ければ、家族全体が教育を受けることにつながる(if a woman is educated, the whole family is educated)」という言葉が強く印象に残りました。番組収録が終了すると、出演者たちは「女性の課題に先進国・途上国の別はないのですね!」と語り、そこには同志としての連帯感が溢れていました。

 

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右は、元県会議員の活動家(UNAMA/Jaffar Rahim)

 

バーミヤンは雪山の連なりに囲まれて近くにスキー場まであります。標高2,500メートルの高地の町バーミヤンのUNAMAのフィールド・オフィスのヘッドは、フィリピン出身のアイリーン・ヴィラレアルさんです。

 

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バーミヤンの空港に出迎えに来てくれたアイリーン(UNAMA/Jaffar Rahim)

 

バーミヤンに赴任する前は、スーダン国連アフリカ連合ダルフール派遣団で勤務していました。「ダルフールに比べれば、バーミヤンのオフィスや宿舎、住環境はずっと快適よ」と言うツワモノで、フィリピンに大学教授の夫を残しての単身赴任です。UNAMAの12のフィールド・オフィスのうち5つを女性の所長が率いていますが、これも「lead by example」、つまり実例をもってして女性でもリーダーになれるということを周囲に示すことにつながるでしょう。「バーミヤンという県庁所在地だけを見て判断しないでほしい。はるか離れた地区に行くと、まだまだ伝統的な価値観が支配的で、女の子が学校に行かせてもらえないという現実がある」とアイリーンは口を酸っぱくして言います。

 

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バーミヤン県知事をアイリーンとともに表敬。県知事との関係構築もUNAMAフィールド・オフィスのヘッドの重要な任務(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

アフガニスタンの厳しい環境の中にあって、少なくとも女性たちが置かれた状況はゆるやかにではありますが、確実にタリバン政権のころと比べて前進しています。これは2004年からアフガニスタンの人々の意識調査を行ってきたアジア財団の分析にも表れていることでもあります。紛争による避難生活や女性として意見を主張することによる身の危険などを乗り越えてきた女性の代表たちの経験に裏打ちされた堂々とした態度に、大いに励まされました。