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国連のさまざまな活動を紹介します。 

連載:アフガニスタンで平和について考えた ~根本かおる所長のブログ寄稿シリーズ(全5回) (1)15年ぶりのアフガニスタン再訪

アフガニスタンは今、長きにわたる劣悪な治安情勢により、人々の生活が深刻な影響を受けています。2016年末の国内避難民の数は約150万人。2009年から2016年までに民間人の死傷者数は合計7万人を超えたといわれます。現在、同国には、国連の特別政治ミッション、「国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)」が展開していますが、同国において、国連はどのように人々に寄り添って支援活動を行っているのでしょうか。国連広報センター所長の根本が今年5月はじめ、同国を訪ね、現地の様子や国連の活動を視察しました。その報告を全5回でお届けします。

 

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突然ですが、孫悟空が大活躍する『西遊記』はご存知ですね? 最近では香取慎吾さんが孫悟空の役を主演してドラマ、映画になっています。これに登場する三蔵法師は、唐時代の実在の高僧、玄奘三蔵がモデルです。『西遊記』はフィクションではありますが、玄奘三蔵が経典を求めてはるか天竺(インド)まで敢行した旅を記した『大唐西域記』、つまり実話が元になっています。日本仏教の発展には玄奘の貢献が少なからずあります。というのも、玄奘は天竺から持ち帰った経典を中国の言葉、つまり漢字に訳し、それがさらに日本に伝わり、日本仏教に受け継がれたからで、その中の一つが『般若心経』です。日本で最もよく知られ、親しまれているお経ですね。その玄奘は『大唐西域記』の中でアフガニスタンバーミヤンの石仏についても触れ、タリバンによる爆破で今はなきバーミヤンの石仏は金色に輝いていたと記しています。

 

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 バーミヤン渓谷をのぞむ。左右の石窟には、破壊された大仏が(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

このように日本とふるくからのつながりのあるアフガニスタンで、2016年6月から国連のトップを務めるのは山本忠通(ただみち)事務総長特別代表です。

 

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山本忠通事務総長特別代表は地方に頻繁に出向いて有力者に働きかける。2017年4月、クンドゥス県の知事と(UNAMA/Shamsuddin Hamedi)

 

明石康さん(カンボジア、旧ユーゴスラビア)、長谷川祐弘さん(東チモール)についで3人目の日本出身の事務総長特別代表で、アフガニスタンでの国連システム全体を束ねる国連の「顔」でもあります。外務省出身の山本さんは、休暇のための一時帰国の折に国連広報センターに立ち寄り、「自分の外交官人生の中で一番やりがいを感じる」とアフガニスタンでの仕事について語っています。

 

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世界報道自由デーに際して、ジャーナリストの安全について記者会見する山本特別代表(UNAMA/Fardin Waezi)

 

さらに、山本特別代表の存在に加えて、アフガニスタンは日本が国連を通じて多額の支援をしてきた国です。2001年以降、「アフガニスタンを自立させ、再びテロの温床としない」という目的のもと、これまでに総額およそ64億ドル(およそ6,330億円)に上る支援を実施してきました

 

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アフガニスタン東部のナンガハール県にて。日本の支援で人々が帰還する地域に潅漑用水などのコミュニティー・インフラを整備(UNHCR photo

 

2016年10月にブリュッセルで開かれたアフガニスタン支援国会合でも、日本は2017年から2020年までの4年間、毎年最大400億円の支援をアフガニスタンに対して行うことを表明しています。これは是非アフガニスタンでの国連の活動を視察して日本の方々に伝えるしかない!と思い、2017年4月29日から5日間、首都カブールとバーミヤンを訪問しました。

 

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国連WFPの支援を受けて女性たちを対象にカーペットづくりの職業訓練を行っている女性リーダーと。訓練に参加すると、換金できるEバウチャーが携帯電話のショートメールで届くという仕組み(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

後述する治安の悪化に伴い、日本の外務省はアフガニスタン全域について「レベル4:退避勧告」を発出していることから、日本の報道機関による現地取材も大幅に減っています。だからこそ、国連職員として国連の安全管理対策のもとで出張して発信できる立場は有意義でもあるでしょう。

 

一般的によく知られている国連PKOと並び、国連は現地を拠点として活動する「特別政治ミッション」を展開しています。紛争を予防し解決すること、および持続可能な和平を構築するために加盟国と紛争当事者を支援することを中核するもので、国連PKOと異なり、軍ではなく文民が中心です。紛争の中心にはしばしば政治的な問題があることから、平和を設立目的の柱とする国連には長い政治ミッションの歴史があります。しかしながら、現地を拠点とする「特別政治ミッション」は冷戦後の1990年代に入ってから飛躍的に増えました。人員・予算の規模が拡大するとともに、任務の面でも、人権、法の支配および紛争における性的暴力などの分野にわたり、多面的かつ複雑なものになっています。

 

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アフガニスタン政府と国際社会との調整を目的とする「アフガニスタン共同調整モニタリング・ボード(JCMB)」にアシュラフ・ガーニ大統領(左から3人目)とともに出席する山本特別代表。山本特別代表はJCMBの共同議長を務める(UNAMA/Fardin Waezi)

 

現在世界11か所で展開されているミッションの中で最大規模のものが、「国連アフガニスタン支援ミッション(UN Assistance Mission in Afghanistan、略してUNAMA)」です。2001年11月のタリバン政権崩壊を受けて、2002年3月に国連安全保障理事会の決議により設立されました。UNAMAのスタッフの規模は総勢1,500名以上で、現地に拠点を置く特別政治ミッション全体の陣容5,000人超の3分の1を擁しています。

 

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アフガニスタンのアブドッラー・アブドッラー行政長官と記者会見にのぞむ山本特別代表(UNAMA/Fardin Waezi)

 

アフガニスタンで政治的な調停を行い、政府に協力と支援を提供し、和平と和解のプロセスを支援し、人権と武力紛争における市民の保護を監視・推進し、法の支配の促進・腐敗廃絶・公正な選挙の実施への支援などガバナンスを促進するとともに、地域協力に向けた働きかけを行っています。さらに、アフガニスタンでの国連システムの先頭に立って、国際的な支援への取り組みを主導、調整しています。

 

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UNAMA広報部は、南部のカンダハールで地元のプレス・クラブと協力して、地元のジャーナリストを対象に研修を実施(UNAMA/Mujeeb Rahman)

 

首都カブールのみならず、アフガニスタン全土の12ヶ所にフィールド・オフィスを展開し、アフガニスタンの人々に寄り添った活動を行っています。パキスタンイスラマバード、イランのテヘランにも連絡調整のための拠点を持ち、周辺国を含めた地域協力の促進につなげています。

 

最近日本で報じられるアフガニスタンのニュースは、治安の悪化に関するものがほとんどです。事実、治安はアフガニスタンの人々の生活全般に深刻な影響を及ぼしています。2014年に多国籍軍の規模が大幅に縮小されると、反政府勢力タリバンアフガニスタン国軍の防衛能力に挑戦し、2015年には情勢が悪化。タリバンは支配地域を拡大したのに対して、アフガニスタンの治安・防衛部隊は守勢に回る格好となり、最近ではイスラム国も活動を活発化させています。こうした中、2016年に戦闘やテロによって民間人が死傷した数は1万1,418人と、UNAMAが調査を開始した2009年以降最悪の数字を記録しました。UNAMAの発表によると、2009年初めから2016年末までに民間人の死傷者数の合計は7万人を超えています。

 

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2016年に戦闘やテロによって民間人が死傷した数は1万1,418人と、UNAMAの調査開始以降最悪の数字を記録したというUNMAの記者発表は、国際的にも注目を集めた(UNAMA/Fardin Waezi)

 

2017年に入ってからわずか6週間の間にアフガニスタンの治安・防衛部隊側で807名が亡くなっています。4月21日には、北部の主要都市マザリシャリフで軍の基地が襲撃され、138名以上が死亡、60名以上が負傷するという事件があり、タリバンが犯行声明を出しています。

 

このような治安情勢では地域によっては医療や教育などの社会的なサービスへのアクセスが難しくなり、経済活動もなかなか進みません。加えて、駐留軍や海外からの支援が生む需要に依存する経済構造になってしまっていたところ、2014年の多国籍軍の大幅撤退を受けて2016年の経済成長率はマイナス2.4パーセントにまで落ち込んでしましました。国連開発計画の「人間開発報告書2016」によると、アフガニスタン人間開発指数は188ヶ国中169位。平均寿命、就学年数、妊産婦死亡率、乳幼児死亡率などの面では改善がありますが、一人当たり国民総所得は1990年と2015年の間に9.7パーセント減少しています。さらに、2016年だけで100万人以上のアフガン難民が、避難先のパキスタンで滞在する環境の厳しさが増す中で帰還し、過去14年間で最高の数を記録しています。突然100万人単位の人々が戻ってきたことは、すでに深刻化している治安状況もあり、脆弱な社会インフラに対して様々な圧迫要因になっています。

 

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2016年、パキスタンからアフガニスタンに帰還し、UNHCRからの当座の支援を待つ人々。長期にわたるパキスタンでの生活から、家財道具の多い帰還民が大勢見受けられる(UNHCR photo)

 

こうした中、2016年にはおよそ50万人があらたに国内避難民となり、2016年末の国内避難民の数はおよそ150万人と、2013年の倍以上になっています。2017年、国連アフガニスタンの人口のほぼ3割にあたる900万人が国際社会の支援を必要としていると見ています。

 

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IOMは日本の支援を受けて、アフガニスタン政府と連携して特に困窮するアフガン帰還民に対する「Assisting Afghan Return Migration Needs」支援プロジェクトを実施。イランとの国境に近い、西部のヘラートにて。イランから単身で送還されたこの女性はこのプロジェクトのもとサポートを受け、父親を見つけることができた(IOM photo

 

私はタリバン政権が崩壊した翌年の2002年にアフガニスタンを出張で訪問した経験があります。今の首都カブールは、表向きはきらびやかなオフィスビルやホテルが立ち並び、幹線道路は整備され、すべてが破壊されつくされていた当時とは比較にならないぐらいに「キラキラしている」ように感じられます。

 

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首都カブールの表通りは、整備が進む(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

しかしながら、依然としてインフラは行きわたらず、電気が安定的に供給されないため発電機が必要ですし、下水も整っておらず、首都カブールの街中でも一歩幹線道路を離れるとドブからさらえた汚物が道端にうず高く積まれ、強烈な悪臭に閉口しましたし、地域の人たちはこの粉塵を吸っていると思うと恐ろしくなりました。

 

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幹線道路から脇に入ると、ご覧のような状況。春でこの悪臭なら、夏にはどうなるのかと思いやられる(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

また、2002年には比較的自由に歩くことができたのに対して、今では少し移動するのにも、訪問先の安全面での事前チェック、防弾車・護衛の手配など、すべてがものものしくなっています。ものが溢れる首都での生活と洞窟できわめて原始的な暮らしを送る地方の貧困層とのギャップにも頭がクラクラしました。

 

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バーミヤンの石窟に暮らす家族。電気も水もトイレもない。5人の子どものお母さんは、職を求めてバーミヤンの町に移り住み、このほらあなで暮らし始めて12年になる。5人の子どもをこのほらあなで産んだ(UNAMA/Anna Maria Adhikari)

 

このような状況の中で国連がどのようなアフガニスタンの人々に寄り添って支援活動を行っているのかを、UNAMA広報部アウトリーチ部門長でポーランド出身のアンナ・マリア・アディカリさんをガイド役に視察しました。アンナはネパールの国連人口基金南スーダン国連PKOでの仕事を経て、2014年からアフガニスタンに駐在しています。二人のお子さんをポーランドに残して働くパワフルなお母さんでもあります。

 

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UNAMA広報部アウトリーチ・ユニット長のアンナ・マリア・アディカリさん(左)が今回のガイド役(UNIC Tokyo/Kaoru Nemoto)

 

アフガニスタン国連に加盟したのは、国連が創設された翌年、また日本の国連加盟よりも10年早い1946年のこと。国連アフガニスタンでの活動の歴史は長く、様々な機関がふるくは1949年から活動を行っています。滞在中、人々が国連に寄せる信頼をひしひしと実感しましたが、これも人々に寄り添って支援活動をするアンナのような国連の同僚たちの努力の積み重ねによるものでしょう。

 

今回の貴重なアフガニスタン出張で見て、感じたことを、これからシリーズでお伝えしていきます!

TOGETHER、共に難民や移民の社会的排除の終わりを望んで -国連大学学長デイビッド・マローン氏とのインタビュー- Seeking an End to Social Exclusion of Refugees and Migrants TOGETHER -Interview with UNU Rector David Malone-

TOGETHERキャンペーンの一環として、この度、グローバル・マイグレーション・グループ(GMG)議長を務めるデイビッド・マローン国連大学学長(国連事務次長)にお話を伺いました。GMGとは、国際移住機関(IOM)や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を含む22の国連機関が集まるグループです。今年は、2018年秋に合意を目指す移民のためのグローバルコンパクトの基礎を整える活動を行っています。また、世界中で移民が重要な政治課題となっている現状を踏まえた上で、SDGsのゴール10(人や国の不平等をなくそう)にも関係する社会的排除を根絶するための取り組みなどについて、貴重なお話をお聞きしました。

(聞き手:国連広報センター所長 根本かおる)

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Kaoru Nemoto (KN): Thank you so much for being with us today. You’re holding the chairmanship of the Global Migration Group (GMG) at a very critical time.

 

David Malone (DM): Well, happily, the 22 agencies and funds and programmes plus the Secretariat who participate in the work have already set a very different work programme, for this year at least. What we are trying to do as a group of agencies is help member states negotiate the best possible compact on migration in 2018. That is our only purpose in 2017 and 2018 and that is the fundamental change that was agreed amongst us in February of this year, after a very frank dialogue amongst us.

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In all organizations there is a tendency to go on doing what you’ve been doing because you’ve been doing it. But what changes everything is the decision taken last September 19th at the summit level, of the Member States to negotiate two compacts, which may or may not be binding, probably not, but still engage their responsibility. One is on refugees and it’s important because there are so many refugees in the world today. But it’s probably an easier exercise because we already have a number of agreements on refugees. Indeed, the agreements that underpin the activity of the UN High Commissioner on Refugees have shown us the way and it may be possible to add to those. But we already have a good body of agreements that is widely subscribed.

 

On migration we have nothing; I shouldn’t say nothing because there is the Domestic Workers Convention and that’s very important because we know so many individuals, often women, travel the world in order to support their families back home, working as domestic workers, and have very often been treated shoddily in other parts of the world; basically not accorded their rights or even often paid what they were owed, had their passports confiscated, and all sorts of other unacceptable practices. There are also the Migration for Employment Convention and the Migrant Workers Convention. So we have these agreements and they discuss very practical matters, helpfully. But overall there are few agreements.

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During the opening of the UN Summit for Refugees and Migrants, Secretary-General Ban-Ki Moon seated right) and William Lacy Swing (seated left), Director General of the International Organization for Migration (IOM), sign the agreement to make the IOM a Related Organization of the UN. © 2016 United Nations

 

But there are a number of very dedicated NGOs internationally, as well as a wonderful international organization called the International Organization for Migration, Geneva based. It’s a very low cost, high-impact organization that focuses on the migrants. It doesn’t focus on chat, it doesn’t focus on international politics, and its only concern is service to the migrants. Not surprisingly, they are very well supported by funders because unlike so many agencies, they’re clear about what they’re doing, why they’re doing it, how they’re doing it and they do it at low cost. What’s not to like? So importantly, I mention IOM because it had always been an agency quite independent from the UN system, working with the UN quite often, occasionally sitting with the UN, but legally it had nothing to do with the UN. On September 19th at the Member States of the UN at the head of government level decided to invite IOM as a related organization. Nobody is quite sure what that means, but it brings IOM into the organization and that is very good. So the GMG, of which IOM was already a member, needs to adjust to the fact that IOM is now in the UN system, and this is a very good thing in my opinion.

 

There are many reasons for the GMG to change its work programme but I’d say the two immediate stimuli were that the Secretary General and his new Special Representative, Louise Arbour, needed support from the agencies to do their work to help the member states in negotiating a compact on migration. Secondly, the President of the GA also reached out to the GMG on how we could help delegates and government representatives in New York and Geneva educate themselves more, not on how we can negotiate agreements, but on migration itself. Most of us know much less than we think we know on migration. I come from a country of migration, both in and out. There are probably three million Canadians abroad at any given time and we have many non-Canadians in Canada; for us that’s a very good thing.

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Japan funds IOM humanitarian projects worldwide. © 2017 IOM

But if we were to ask even very knowledgeable people, frankly I think we would get about 1% at best of semi-accurate responses. I realize that also was the case for me after I realized that I would be chairing the GMG this year. Being a researcher myself, my first question was what do I know, and frankly the answer was too little, and of course, the more I’ve tried to learn, the more I realized I don’t know, because learning is a never-ending process and that’s why the GMG, with the expertise of the various agencies, funds and programmes, also the variety of opinion within this group of agencies can be helpful, and I’m not sure it had been so helpful in the recent past. Indeed, we were told at our retreat in February of this year, that Member States had been quite disappointed with the output of GMG and that was helpful for the agencies to hear, and also for me to hear. If our clients are disappointed that’s something you don’t want to ignore and we can change, because these are excellent agencies and funds and programmes, all with specific knowledge, specific programmes that are very valuable.

 

We were lucky because the previous chair of this group was UN Women, and they are a fairly small agency like UNU, but they have a very dedicated team working on this. They have done a good job of preparing us; if we hadn’t had the partnership of UN Women and some very solid research work the previous chair, the World Bank had done, we probably would not have been able to achieve what we have achieved so far, which is just a modest beginning of how GMG will probably wind up working in the long run. Nearly all individuals, certainly all organizations, are very resistant to change. So we needed this new stimulus from member states, from the Secretary General, for the agencies to understand that actually good enough isn’t good enough- we needed to be better and more focused and more responsible to what the member states actually needed.

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Fifteenth Coordination Meeting on International Migration 16-17 February 2017 United Nations Headquarters, New York (David Malone - second from the right) © 2017 United Nations

 

KN: Yes, I looked at the draft resolution for the modalities and it’s really packed!

 

DM: It is very packed, it may be over packed in fact, but what I like about the process is it’s at regular intervals. Many of the delegates are already quite well informed on some aspects of migration, so I think the way the process unfolds this year, which is a preparatory process, is that the member states will not be negotiating this year - they’re simply trying to prepare themselves. So in that sense having, if anything, too much activity is probably better than having too little. I think that was the thinking of the President of the GA and the two co-facilitators who were the ones who largely shaped the resolution - you’re mentioning the ambassadors of Mexico and Switzerland, both very accomplished actors. I think they felt more may be better than not enough because the challenge is a very significant challenge and not everybody in the UN realized how significant.

 

KN: Indeed, there is strong reaction of xenophobia in many parts of the world, and you talk about the importance of knowing facts. There are negative myths about migration, and it’s really important to know these facts and have analyses of the data.

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DM: But also to allow countries a forum in which to compare their national experience. Because the absence of facts, but also the absence of understanding how other countries have successfully benefitted from migration is important. For one thing, activists sometimes distort reality too. When I think of my own country, Canada, the first generation immigrants to Canada, the parents, have nearly always suffered a lot, including in Canada, after they settled. They often left behind good jobs in their own countries for which they were qualified. They come to Canada, find their qualifications don’t meet Canadian standards, wind up having to take jobs that they would never have considered in their own country. Why do they do this sometimes? Simply for their children or other family members to be safe, but nearly always, they have in mind the education of their children.

 

The positive aspect of what the Canadian example shows is not that we treat our immigrants so fantastically, frankly that is a Canadian myth, because for example doctors who have migrated to Canada have been very actively discriminated against by the Canadian professional associations of doctors who wanted to protect all the business for themselves. Only recently, with governments threatening the Canadian doctors to stop doing this, because there is now a shortage of doctors, are we seeing a more sensible approach by the doctors’ guilds, who are also responsible for certifying new practitioners. Governments started threatening to take away the certification process, and, oh! The doctors’ groups noticed that!

 

The good thing about the Canadian experience shows that while the parents suffer, and their standing falls, their qualifications often aren’t accepted, they find it difficult to meet the standards of the new country, the kids tend to do very well. I’ll give you an example of a family I knew in Iran who came to my country during the 1980s, the father had been in the hospitality business as a very good chef, and the children had a good basic Iranian education.

 

The only reason the parents wanted to come to Canada was to educate their children better - they poured all of their resources into that, it paid off very well. All their children are professionals, so the children managed to jump a socioeconomic level because the parents were willing to sacrifice themselves. That is often the story of migration that isn’t told very much. So the idea that every migrant does brilliantly in Canada is simply not true, but they’re willing to put up with the hardship in order that their children prosper. Parents are very altruistic towards their children and other family members even if they aren’t towards the wider public and so that is quite important.

 

KN: The other day, I went to a seminar organized at the Canadian Embassy, it was about private sponsorships of refugees in Canada.

 

DM: I think the system of sponsorship is a great one. It was tried first for the Vietnamese boat people, because the government didn’t know how many it wanted and they thought, one way of defining how many we want is by insisting that anybody who comes be sponsored and the public response will determine how many boat people come. The public response was much more generous than the government thought, a bit to the distress of the government because all of this was costing a lot.

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Ethiopian migrants who had been evacuated from Hodaidah, Yemen, are received in Djibouti Port by IOM staff. © 2016 IOM/Natalie Oren

But it worked, that’s the basics of it. But even sponsorship has a problem - when you sign up to sponsor you sign up for a year. You really work hard you give a tremendous amount of your time, you help newcomers negotiate all the problems that arise. But it’s a one year contract; what do the newcomers do after the year? How do the sponsors prepare them for being on their own? That transition is actually, emotionally, a very difficult transition on both sides and for the newcomers it’s very different. However, when they have children, after a year, because the kids are so adaptable compared to the parents, the kids are able to help the parents more. Language, also customs, they pick it all up at school in ways that adults have great difficulty because the brain starts deteriorating at the age of 17 and the arteries harden in our 20s –laughs–, so kids are the ones who adapt easiest and best.

 

KN: You are a migrant at the moment; I used to be a migrant, as a UN official working away from Japan, and migration is something that can happen to you and me, to everybody, and we can be a migrant any day.

 

DM: Indeed. And you know, some countries take that for granted. For example in Canada, we have a rough balance by the way, the number of foreigners studying, working in Canada and the number of Canadians abroad. But it’s a huge number. Other countries, for cultural or other reasons will never be comfortable with that large a group of foreigners in their midst; they will feel that somehow it is altering aspects of their culture and challenging their preferences in ways that make them feel uncomfortable. I think we have to respect that- we have to respect each country and how it is while rejecting xenophobia, comprehensively, because it is not the fault of the foreigner if the culture has reservations, but it is something that those of us that are engaged with international processes of migration have to accept and understand- that no two countries are exactly alike.

 

KN: Yes, every country is unique in how it perceives migration and deals with it. But when you look at the situation in Japan at the moment, there is a new initiative arising, for example, an NGO in Japan is now trying to sponsor Syrian refugees in Japan based on the experience of Canada. Also, the number of foreign residents in Japan is growing, while the proportion is still very small.

 

DM: But it’s growing much faster than people think in Japan, because in Japan, first of all, to live here is to know how many foreigners are actually in Japan. But they’re categorized in different ways. For example, many foreigners work in the agricultural sector in Japan as “technical interns” as part of the Technical Intern Training Program which aims at transferring skills through OJT to people from developing countries for a certain period of time as part of contributing to developing countries. The maximum duration of training period increased up to 5 years with the passing of a new law in November 2016 which also includes establishment of a special organization responsible for the investigation and inspection in relation to the technical intern training. Japanese agriculture would collapse without them, and this is not explained in Japan to the public because the government doesn’t want to inconvenience the public by challenging some of the deeply held myths in Japan. If you consider agriculture and its products sacred, then the reality that much of it is being produced and processed by foreign hands might upset some people. Why upset electors?

 

So there are in fact more foreigners in Japan very usefully occupied, well treated on the whole, because Japan does treat the migrants in Japan much better than most countries do. And this is not sufficiently understood in Japan or outside Japan. As a foreign resident here who enjoys being in Japan, who travels a lot in Japan, who sees how enthusiastic the foreign students in Japan are about being here, including from countries whose governments have a difficult relationship with the government of Japan, say Chinese students or Korean students, they’re extremely enthusiastic about their experience here. But these are things that for societal reasons the government just doesn’t talk about in great deal. Indeed, the business model of many Japanese universities relies and will increasingly rely on more foreign students. But please don’t inconvenience us the public or if you’re the government, please don’t inconvenience the public with this reality.

 

KN: When we look at the SDGs, its slogan is “No One Left Behind”, including migrants. Goal 10 specifically talks about migration.

 

DM: Yes, for the first time really, it has arisen as a big issue.

 

KN: The UN has embarked on a multi-stakeholder campaign called TOGETHER for respect, safety, and dignity for all, which the UNU is part of. We hope to highlight stories about positive contributions by refugees and migrants to our societies in order to engage the Japanese public, in particular the youth.

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Children from undocumented returnee families at the IOM Reception Center near Spin Boldak border, Afghanistan. © IOM 2017

 

DM: I’ll give you one example from my country. Although I’ve spent most of my life outside Canada I’ve never of course stopped being Canadian just as you wouldn’t stop being Japanese no matter how many years you’ve lived abroad. There was a newspaper essay in our best national newspaper, early in the most recent crisis level migration flows. And it was from the Chairman of the Human Rights Commission of one of Canada’s less populated but very interesting provinces, Newfoundland, which is halfway between Toronto and Ireland; geographically it’s closer to Ireland than to Toronto. And it used to be an independent country by the way and joined Canada only in 1949, I think.

 

So who is this person? This person is an Albanian born person, probably from parents who were at least middle class, probably even better than that. He had the best education possible in Albania, but still for a variety of reasons, he felt marginalised in his society, and wanted to be somewhere else. And one of the reasons he was marginalised was that he was gay in a very conservative society. So he somehow got himself to Canada, he had no money, but there was an openness to him. He went to university, he did extremely well, he professionally, started doing very well. People woke up and thought gee, this guy actually knows a lot about human rights because he suffered a lot from a deficit in human rights! He was appointed chair of the Human Rights Commission, an extremely popular appointment in Newfoundland. He was probably about only 34 when that happened, and he’s been a fantastic chair because when he talks about human rights, he knows what he’s talking about because he suffered from an absence of them early on. So he speaks about it with feeling, but also with sensitivity to how difficult migration is, how one person’s definition of basic human rights may be different from another person’s definition.

 

There you have a story of somebody who’s been very successful, who started out facing a number of problems but had the advantage of a good quality education. But also, who had the advantage of being single and making decisions only for himself. For parents everything is much more difficult because they have children and they’re responsible for those children. So I don’t want to make it sound easy as I started out saying, it’s very very difficult migrating, migrating in forced migration circumstances, when there’s famine, war, political repression. When some other factor, sometimes ethnic considerations, cause people to migrate, their circumstances are exceptionally difficult. We need to be more aware of this, we need to respect them as human beings just as we are human beings.

 

We won’t be able to help everyone, but we should all, as citizens of the world, try to be supportive to other citizens of the world that we can help, if we can help them.

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SDGs x 島ぜんぶでおーきな祭:持続可能な開発目標(SDGs)を沖縄から発信

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国連広報センター所長の根本です。4月20日から23日まで沖縄各地で開催された「島ぜんぶでおーきな祭・第9回沖縄国際映画祭」に参加し、最終日の23日にはレッドカーペットを歩くという、生まれて初めての体験をさせていただきました。

西川きよし師匠、そしてアジア6カ国・地域で活躍している「アジア住みます芸人」の方々と一緒にSDGsのプラカードを持ってにぎやかにアピールして、9万1千人を動員した華やかなレッドカーペットを歩く機会をいただいたのです。

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老若男女、あらゆる世代から絶大な人気を誇る西川きよし師匠が通るだけで、歓声が沸き上がります。師匠は、沿道でスマホを片手に手を振る人々に駆け寄り、「脱線」続きの行進となりましたが、カラフルなSDGsのプラカードは「Laugh&Peace」という同映画祭の明るいテーマにぴったりで、かつ目立っていました! 

取材でマイクを向けるレポーターの方々からも「ところで、師匠が手に持っていらっしゃるプラカードはいったい何ですか?」と自ずと質問があり、強力なアピールにつながりました。

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1986年から3期18年参議院議員として福祉問題に取り組んでこられ、政界引退後もタレント活動のかたわら、福祉の活動に関わってこられた西川きよし師匠は、「誰も取り残さない」を掲げるSDGsに大いに賛同してくださいました。師匠の座右の銘「小さなことからこつこつと」は、全員参加型で日々のアクションを必要としているSDGsの理念と通じています。

開催期間中33万人が来場した「島ぜんぶでおーきな祭・第9回沖縄国際映画祭」では、SDGsを映画祭あげてアピールしてくださいました。

 

「住みます芸人」たちが「自分の足元のSDGs」に目を向けて撮った写真と、昨年のSDGs学生フォトコンテスト入賞作品とのコラボ展示。

 

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SDGsのゴールごとの17の人気芸人のスタンプを、“自分たちの身近なところ”に目を向けさせる解説を見ながら全部集めると抽選くじに参加できるという、参加体験型の「そうだ!どんどん がんばろう!スタンプラリー」。

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さらには、沖縄出身のガレッジセールのお二人と、SDGs、とりわけ教育の大切さについてトークする機会もありました。

 

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私が知る限りでは今回の映画祭は、SDGsを国連広報局の協力のもと、映画祭をあげてアピールした、世界で初めての国際映画祭となりました。このSDGs企画は、吉本興業が企画・運営の中核を担う他の大型イベントでも継続して展開していきたいとのありがたいお話をいただいています。

沖縄ののびやかな雰囲気の中、楽しみながらSDGsや世界のこと、足元のことに目を向けている親子連れなどの姿を見て、お笑いやエンタメの影響力・巻き込み力をあらためて実感しました。また、地元コミュニティーの方々が笑顔で一緒に映画祭の運営に関わっているのが、強く印象に残りました。こうした「参加型」の姿勢も、マルチ・ステークホルダーで連携して推進するというSDGsの精神に通じるものがあります。

素晴らしい機会を作ってくださった映画祭実行委員会ならびに吉本興業の皆さんに厚く御礼申し上げます。

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連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (9)

    「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (9)

                                     久山純弘(くやま すみひろ)さん

                    -日本政府と国連機関、2つの立場における挑戦-

第9回は、長年にわたり国連機関に関わるお仕事に従事され、2005年には国連諸活動に貢献したとして外務大臣賞を受賞された久山純弘さんです。久山さんは、日本政府のなかから国連に関わる仕事と、国連のなかで職員として国連に関わる仕事の両方をご経験されてきました。これまで関わってこられた「説明責任(Accountability)」ということを主軸のテーマに、国連のオペレーションの実態や改善へのご貢献、また、国益と国際益のために働くことの違いについて、とても貴重なお話を伺うことが出来ました。

(聞き手:国連広報センター所長 根本かおる)  

 

                         第9回:国連大学客員教授日本国際連合協会理事

                                      久山 純弘(くやま すみひろ) さん 

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東京大学教養学部教養学科を卒業後、上智大学国際学部大学院を修了。経済企画庁(現在は内閣府)、ニューヨークの国連開発計画(UNDP)等を経て、1975‐1984年、日本政府国連代表部にて外交官として従事。その間、1979‐83年に国連総会の主要委員会の一つである国連行財政諮問委員会(ACABQ)のメンバー、1983年には国連総会第5委員会議長を兼任。1984‐1993年、国連事務次長補に着任、「国連居住計画(UN - HABITAT)」事務次長として本部のあるケニアのナイロビを本拠に、都市を中心とした人間の居住環境改善問題に尽力。1994年に独立行政法人国際協力機構(JICA)、1995‐2004年には国連総会選出により国連合同監査団(JIU)のメンバーならびに同議長として、ジュネーブにて勤務。

2005年に帰国後、長年の国連諸活動への貢献を称えられ、外務大臣賞を受賞。また2015年春には瑞宝章瑞宝中綬章)を受賞。国際基督教大学国際大学で教鞭を執り、国連大学客員教授を経て、日本国連協会理事を含む多くの分野で積極的に活躍。】

 

国連の現状と理想のギャップー “Accountability” の視点から

根本:マルチラテラリズム(多国間主義)を担う国連がいま大変な危機、岐路に立たされているなかで、「説明責任」の徹底が非常に求められており、財政、マネジメントの部分に対しての説明責任、また、世界の平和構築を左右しかねない政策決定に対しての説明責任、その両面において国連は非常に試されています。

これまで「説明責任(Accountability)」に取り組んでこられた久山さんから、いまの国連の状況というのはどのようにみえますか。

 

久山:まず基本的なことですが、国連憲章の前文には、”We the Peoples of the United Nations” と書かれています。この ”First seven words” が象徴するように、国連をつくったのは確かに国家ではありますが、その受益者は地球市民全体(Global Citizens / Peoples)であるというのが国連の基本的な性格であり、この点については国連研究者の間でも大方の意見が一致しています。

 

そのような国連の基本的性格に照らしてみた場合、「現状はどうなのか」「国連のやっていることが本当に Peoples の利益・関心事に適ったものとなっているのだろうか」というと、現状は非常に問題があると言えます。では何が問題なのでしょうか。簡単に言えば、それは国連の正統性(Legitimacy)並びに説明責任(Accountability)の欠如です。Legitimacy については、国家、すなわち国連をつくった Member States からみると、当事者であることもあり正統性を一応は満たしている、しかし、受益者、すなわち Peoples からみると、正統性に欠ける情況となっています。

 

根本:どうして正統性が欠けているのでしょうか。

 

久山:Peoples からみて国連の正統性が高まり、価値ある存在となるためには、受益者である Peoples からの権限委譲を受けて、国連が行なっていること(事業等)並びにその効果・結果等について Peoples にきちんと説明し、期待通りの結果等が出ない場合は責任を取ることが必要になります。これが ”Accountability” であり、この Accountability を遂行することにより、国連は初めて Peoples の眼からみても正統性をもった存在となるのです。換言すれば、Peoples からみて国連の正統性が欠けているのは、Peoples に対する国連の Accountability が欠如しているからだと言えます。ちなみに Accountability の日本語は、私の話からもお分かりの通り、単に「説明責任」ではなく、「説明及び結果責任」というべきです。

 

ところで、国連のオペレーションは、基本的には第1段階で政策・事業等に関する意思決定、第2段階でその実施、第3段階でそれを評価し、その結果を新たな意思決定にフイードバックすることにより好循環を実現させることが理想的な姿として期待されています。例えば最近の SDGs(持続可能な開発目標) 作成過程では、Peoples の声もある程度は反映されるようになって来てはいますが、一般に国連総会等における色々な政策決定はあくまでも Member States が行っているわけです。

 

すなわち、意思決定過程において、Member States は、Peoples の声に対して「おっしゃることは参考までに聞いておきましょう」といった姿勢であり、それはあくまでも Member States が意思決定を行う際の参考としているに過ぎません。しかしながら Accountability の強化を含め、国連の有効性(Effectiveness)、効率性( Efficiency)、妥当性(Relevance)の改善のためには、第1の意思決定過程で Peoples の声がきちんと反映されるようなシステムを構築することが極めて重要です。

           

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                             インタビューで語る久山氏 ©UNIC Tokyo

 

オペレーションの現場での挑戦―JIU議長としての貢献

根本:現在16ヶ所で展開しているPKO国連平和維持活動)のうち、3つのミッションが縮少・終了の見通しですが、国連の組織論というものをみていると、つくる時は良いけれども、Exit Strategy(出口戦略)を実行することが本当に難しい組織であると思います。これは民間企業であれば利益という尺度がはっきりとしていますが、国連の場合は、財政的な無駄というものがあったとしても、一度つくったものを閉める、閉じるということが本当に難しい組織運営になっていると感じています。これをどう自ら改革していくのか、非常に気になるところです。

 

久山:何十年も前から議論されていることではありますが、”Sunset Rule”(サンセット・ルール)というものが非常に重要であると思います。例えば特定の事業(プログラム)について、5年なら5年の期限を最初に設定し、期限到来時は勿論のこと、期限前であっても、策定時に定めた目標達成のうえでの当該プログラムの効果(Effectiveness)の度合いをきちんと評価し、効果のないものは取りやめる。すなわち、マンデート上は有効であったとしても、実際のオペレーションの段階で色々な問題が出てきた場合、その時点で見直しをして、より望ましい方向に転換する、または新しい要素を加える、あるいはカットする、そういうことをちゃんとやっていくべきだと思いますね。

 

根本:以前お話しになっている講演録のなかで、Sunset Rule が中々導入できない、財政的な部分で考えると安易な予算増につながっているというご指摘もありましたね。実際に安易な予算増を見直すということは、どのように出来るものなのでしょうか。

 

久山:一言でいえば、すでにお話した通り、国連オペレーションの第3段階である評価機能の強化もその一つかと思います。私がいた国連合同監査団(JIU)でも Evaluation(評価)は、Inspection(監察), Investigation(調査)と並んで主要機能の一つであり、JIU の諸提言を通じ、国連システム全体の予算増問題にもそれなりの貢献をしてきたのではないかと考えています。

 

これとの関係で、私がJIUの議長であった頃に力を入れたのが、フォローアップシステムの構築・整備です。具体的には、JIUから政策提言(予算問題とも関わりのある提言を含む)が出された場合、関係国連機関はそれぞれの提言に関し検討・審議し、Acceptable(受諾) か否かについて決定を下すと共に、Acceptable なものについては、これをきちんと実行する義務を負うというもので、このようなフォローアップシステムについて関係国連機関と個別に協議のうえ、機関別にそのようなシステムを構築・整備したことは、私の一つの貢献であったかと思います。

 

ちなみに私がJIUで最初(1995年)に作成した報告書は ”Strengthening of the UN system capacity for conflict prevention” というものでしたが、このような内容のものを選んだ理由は、国連の紛争予防能力を強化することが出来るならば、紛争により発生する難民・人道援助等に関わる支出を大きく減らすことが可能となり、それにより浮いた資金(予算)は開発援助等、より建設的な目的のために使用可能となると考えたからです。

このような考えのもとに、同報告書は早い機会に国連総会等で審議されることを期待していたわけですが、事務局の総会担当責任者より、「国連総会として Prevention(予防) を扱う議題はない」との返答を受けた時には大きな驚きで、これは国連最大のジョークだと思いました。この点、現在はどうなっているのか未確認ですが、確か2015年の事務総長報告のなかに、課題の一つとして、今後 Prevention を国連総会の独立議題とすべしとの文言が入っていることから、ひょっとしたら未だに同じ状況なのかも知れません。

 

根本:実行を阻んでいる最大の原因は何だと思われますか。

 

久山:Prevention の問題を真正面から取り上げることへの躊躇があるとすれば、歴代の事務総長も指摘している通り、それは Member States の政治的意思に関わる問題だからでしょう。コンセンサスになっているはずの国連憲章の考え方に従えば問題はないはずですが、状況によっては「内政干渉」として問題視されることもあり得るということでしょう。いずれにせよ、グテーレス新事務総長は ”Prevention is not merely a priority, but the priority” と宣言していますので、Prevention への対応ぶりは今後ポジテイブな方向へ大きく転換するものと期待しています。

 

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                                              久山氏の話に聴き入る根本所長 ©UNIC Tokyo 

 

国益と国際益の追求―国連に関わる2つの立場を経験

根本:久山さんは日本の外交官という立場だった時もあり、国連のなかの要職も占めておられ、その両方を行ったり来たりのご経験をされていますが、日本政府のなかから国連に関わる仕事と、国連のなかで職員として国連に関わる仕事とはどのように性格が違うのでしょうか。

 

久山:国連の仕事に関わっている主要アクターは、Member Statesと事務局です。両者の機能の違いを国連の政策作りについて言えば、政策のドラフト作成(「お膳立て」)は主として事務局、その決定(意思決定)は Member States の機能ということになります。なお、Member States と事務局に加え、JIUのような ”Oversight body”(監査機関)も第3のアクターとして重要な役割を果たしており、また将来的には既に言及した通り、”Peoples” が第4のアクターとして組織的に関わるべきだと考えます。

 

根本:見ている方向性として、国益と国際益というものがあり、国連のニューヨーク本部はある意味で両者が最もせめぎ合う場所ではないかと思います。同じものを見ていても立ち居地が違う。両方をご経験されている久山さんにはどういう風に風景が違ってみえたのでしょうか。

 

久山:私はたまたま国連代表部で9年間外交官として仕事をしましたが、国連代表部で仕事をするというのは、日本政府の国益にしたがって仕事をするのが基本です。たとえば国連の主要委員会に出席する場合、それぞれの議題について原則として外務本省から対処振りについての「訓令」を受けて行動する。また「訓令」がない場合は、あらかじめ「請訓」というかたちで本省の指示を仰ぎ、それに基づいて行動することになります。ただ現実には色々な理由で代表部(現地)サイドでの裁量の余地も結構あります。すなわち、原則的には国益が基本という縛りがあっても、現実には単に日本だけではなく、広い意味での利益、つまり国際益も考えて対処するという余地が私の場合は結構ありました。

 

たとえば私が国連総会第5委員会の議長だった時のちょっとしたエピソードですが、ある時、審議中の特定の問題点について、米国の大使とキューバの担当官が発言したいとして同時に手を挙げたことがありました。その際、私としては米国の代表を先に指名すると、議論が錯綜し取りまとめが困難になるとの判断でしたので、敢えてキューバを先に指名した結果、うまく議論をまとめることが出来ました。会議の直後、ある国の外交官から「米国の盟友である日本の議長として、貴方の今日の采配振りは非常に勇気があった」とお褒めの言葉をもらいましたが、会議に出席していた日本の大使からは、ニコニコしながらも「久山君、あれは訓令違反だよ」と言われました。

 

今から30年以上も前の話なので正確には覚えていませんが、議長として国連加盟国全体の利益(国際益)を念頭におきながら公正な審議を心がけていた私にとって、若干日本の国益に反することもあったかも知れません。いずれにせよ、私としては国益というものは出来るだけ国際益とも一致することが理想的な姿だと考えています。

 

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                                  1983年に国連総会で議長を務めた当時(久山氏ご提供)              

 

最後に一つ余談ですが、第5委員会は毎年クリスマス前までの会期中には審議を終了することが出来ず、翌年に持ち越されるのが常態となっていました。しかし、第5委審議の若干の合理化導入に加え、第1回会合において「なるべく発言は簡潔に…。“point of order” には全く関心がないので、ご協力のほどを…」といった要請を行ったことの成果もあってか、その年はスケジュール通りに審議を終えることが出来、通常お世辞を言わない ACABQ議長(Conrad S.M.Mselle氏)が公式のランチョンの席で、「今年の議長はさすが日本人で、マネジメントに長けている」と述べていたのが想い出されます。

 

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                     インタビュー後の記念撮影。久山氏と根本かおる所長(右)©UNIC Tokyo

 

 

スポーツ×開発×平和の未知なる可能性

スポーツと開発・平和が密接に関わっていることをどれくらいの人が知っているのでしょうか。国連は2014年から今日4月6日を「開発と平和のためのスポーツの国際デー」と定め、スポーツが幸福と健康を増進し、寛容と相互理解を育む側面に着目してきました。今回は、4月6日の国際デーを前に先月東京で開催された開発と平和のためのスポーツに関する国際シンポジウムの様子を国連広報センターインターンがお伝えします。

このシンポジウムは、途上国や難民キャンプをはじめ、世界各国のスポーツや開発に携わる若者を対象として実施されている「ユースリーダーシップキャンプ(YLC)」のこれまでの卒業生を中心に行われたイベントです。国連開発と平和のためのスポーツ事務局(UNOSDP)スポーツ庁により開催されました。

YLCは日本でも2013年から東京や東北で3回開かれました。今回はさらにステップアップして、「開発と平和のためのスポーツ(Sport for Development and Peace: SDP)」を担う人材が更なるリーダーシップ力やマネージメントスキルを身につけるための研修が東京で実施され、最終日に行われたシンポジウムでは、研修参加者の中から選抜された若者たちが、自らのプロジェクト提案を行い、成果を発表しました。

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          シンポジウムの成功を祝して記念写真 ©UNIC Tokyo

 

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                2014年のYLCでの様子 ©UNIC Tokyo

スポーツをより効果的に平和構築に取り入れるには

オリンピック出場も果たした水泳選手としてのキャリアや、数々の国で復興支援に携わった豊かな経歴を持つ井本直歩子(いもと・なおこ)さん。そんな井本さんのスカイプによる基調講演でシンポジウムは幕を開けました。現在井本さんは、UNICEF職員としてギリシャで教育プログラムチーフを担い、シリア等からの難民の子どもの教育支援を統括しています。

スポーツがその場で楽しむアクティビティーの枠を超えるために

井本さんが教育支援に携わっていたマリでは、孤児院の子ども達が通常の教育の課程から外れてしまうことも多いそうです。また、国内に異なる民族が共存していることを、多くの子どもたちが知らない現実もあります。そんな子どもたちがお互いを知るきっかけ作りとして、マリではスポーツをはじめ、演劇や対話などを有効に利用していたそうです。井本さんは「子どもたちが互いを認め合うことや、子どもたちに起こるポジティブな変化が親の世代にまで影響を及ぼす」と、子どもからの変化の大切さについて強調し、これには私たちインターンをはじめ、会場の多くの人がそのメッセージに共感しました。

「皆が集まって、ただ楽しくスポーツをするだけでは持続可能な平和の構築は達成できません。」というオリンピアンとして、そして長年教育支援に携わってきたプロとして、双方の立場からスポーツの可能性を熟知している井本さんだからこその意見にはっとさせられました。それと同時に、こうして気づきが芽生えていくのだと実感しました。

 

I am a leader! 」一人ひとりがこの世界のリーダー

マレーシア出身のDaniel Lee(ダニエル・リー)さんは、参加者代表の一人としてスポーツを通したリーダーシップ向上プロジェクトを発表しました。格差や貧富の差に苦しむマレーシアの若者のためにこのプロジェクトを発案し、「スポーツをするにはエネルギーと熱意が必要です。それはまさにリーダーにとって大切な要素でもあります。」と、熱く語りました。自身もパワーに満ち溢れるダニエルさんは、2020年の東京オリンピックパラリンピックでパラリンピアンとして活躍することを目指しています。障害がハンディキャップであると微塵も感じさせない強さと明るさを持つダニエルさんのメッセージは、参加者一人ひとりを奮い立たせるものでした。

 

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           プレゼンテーション中のダニエルさん ©UNIC Tokyo

         

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              シンポジウムでの参加者の様子 ©UNIC Tokyo

国や文化の枠を超えた絆が生まれるきっかけに

シンポジウム後の交流会では、終始和やかな雰囲気の中でこれまでYLCに参加した14名の若者やシンポジウム参加者が意見を交わしました。私たちインターンも参加者にインタビューを行い、それぞれの熱い想いにせまりました。

 

困難にも負けずに笑顔で前に進む力

以前YLCに参加した加朱将也(かしゅ・まさや)さんはエチオピア青年海外協力隊として滞在し、現地では子どもたちに体育教師としてチームで協力する大切さを教えていました。「強い信念を持って、楽しみながら目標に向かっている人に人間は惹きつけられるものです。」と、困難な状況に合っても、前向きにチャレンジし続ける他の参加者をみて、新たな気づきに出会えたそうです。

実際に参加者たちは、それぞれ抱えている問題があるにも関わらず、明るく情熱を持って目標に向かって突き進んでいます。そんな姿に、国や文化の違いを超えた若者の持つ可能性とパワーを感じざるを得ませんでした。

     

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        地域開発や女性支援に関してのプロジェクトを発表中の加朱さん ©UNIC Tokyo

 

国々や人々の架け橋に

Asha Asaria Farrell (アーシャ アザリア・ファレル)さんの母国であるバルバドスには、昨年日本の大使館が設立されたばかりです。日本とバルバドスの交流が強まることを願い、バルバドスの学生が日本で、日本の学生がバルバドスでインターンシップをしながら文化交流を行うプログラムを提案しました。アーシャさんはスポーツは言語学習においても効果的だと強調し、スポーツや文化交流を通して「母国と日本の架け橋になりたい」と語りました。   

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             自身のプログラムの中でSDGsの重要性についても
          言及するアーシャ アザリア・ファレルさん ©UNIC Tokyo

 

子どもの豊かな感性に着目

スポーツを通じてインドとパキスタンの子どもたちの交流をはかるプロジェクトを発案したインド出身のRevina(ルビーナ)さんは、子どもの純粋な感受性の可能性について熱心に話してくれました。「偏見や差別は生まれながらに持つものではないからこそ、子どもたちへのアプローチが大切です。」という言葉がとても印象的でした。

 

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                                      交流会での参加者の様子 ©UNIC Tokyo

 

シンポジウム参加前は私たちインターンも、スポーツと平和・開発の関係性について漠然としたイメージしか持っていませんでした。しかし、今回のシンポジウムを通してYLC参加者の熱意に直に触れ、言葉ではなかなか越えられない壁があるときに、スポーツは誰かに歩み寄る一歩として、大きな役割を果たすのだと実感しました。子ども達とスポーツの組み合わせが差別や紛争をなくす鍵になることも、今回の取材を通して学んだことのひとつです。なにより、スポーツを通した平和構築のため、母国の発展のために信念を持って突き進んでいる一人ひとりの参加者の姿を間近でみて、身が引き締まる思いでした。日本はオリンピック・パラリンピックを3年後にひかえています。4月6日の「開発と平和のためのスポーツの国際デー」を機に、「スポーツ×平和×開発」について私たちができる身近なことは何なのか、まわりの人と話してみるきっかけにしても良いかもしれません。

3ヶ月のインターンシップを終えて

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2016年の11月中旬から2月中旬までの3カ月間、インターンシップに参加した安田佑介です。国連広報センターのインターンシップに応募したきっかけは、報道機関への就職が決まったことでした。ニュース制作支援、特に国際報道に関わることになるため、入社前に国連の役割と活動についての理解を深めて仕事に活かしたいと考えたからです。また、在学中の大学で人間の安全保障や難民・移民、国際開発などの授業を履修する中で国連への興味・関心が強くなってきました。キャリアの選択肢として「国連で働く」ことについても考えてみたい、そんな思いを抱きながらインターン生活が始まりました。

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新聞クリッピング国連広報センターでのインターンシップの基本です。毎朝夕、主要紙と英字紙の計8紙に目を通す作業は、刻々と変わる世界情勢の把握につながっただけではなく、情報処理・分析の鍛錬になりました。普段は何気なく読み過ごしていた新聞でしたが、国連という立場から読んでいくと、国連が世界の様々な分野に携わっていることが分かり、より身近な存在となりました。特にアメリカ大統領が変わってからは、関連記事が増え、迅速かつ的確に情報を把握するよう努めました。また、読み比べも意識的に行い、新聞各社の取り上げるニュースの傾向や考え方がわかり、様々な角度から物事を考えていく練習にもなりました。

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山本忠通 アフガニスタン担当国連事務総長特別代表、根本かおるUNIC所長、インターンとともに

さらに、記者会見やインタービューに同行する機会にも恵まれ、国連で活躍されてきた職員のお話を目の前で聞くという貴重な経験ができました。また、取材を通じて、写真撮影や記事作成に必要な準備や注意点など実戦から得られる収穫が数多くありました。その他には、翻訳作業にも携わり、どう訳せばよりわかりやすく明確に伝わるかと言葉選びに悩みに悩み、情報発信をする広報の難しさを実感するなど、毎日が学びの3カ月でした。

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朝鮮民主主義人民共和国DPRK)の人権状況に関する国連特別報告者の記者会見(2016年11月、国連大学

いま振り返ってみると、一緒に働いた個性的で優秀なインターン、そして様々な業務を任せてくださった職員の皆さんには感謝の気持ちで一杯です。的確に仕事をこなしていくインターンと働く中で、社会人になる上での課題をたくさん見つけました。彼らとの昼食の時間も非常に有意義なものでした。留学経験やキャリア、進学、趣味といったいろいろな話で盛り上がり、自分の知らない世界を知る機会にもなりました。広報業務以外にもデータ処理や資料作成など、毎日幅広い仕事を任せてくださった職員の皆さんにも感謝しております。国連への理解が深まっただけでなく、働くことへの姿勢も学んだこの濃密な3カ月間。国連広報センターで得た知識と経験を今後に活かしていけるよう、これからも精進していきたいと思います。ありがとうございました。

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日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(13)

           第13回 法務省 萩本修 人権擁護局長 

        ~違いは個性、多様性から生まれる豊かさを尊ぶ~

 

今日、日本を訪れる外国人の数が増える傾向にあるなか、2020年の東京オリンピックパラリンピックを契機にさらにその数は増加するだろうと言われています。言語、文化、宗教、習慣等の違いに起因する人権問題は日本でも起きており、法務省を含む政府全体で外国人に対する偏見や差別をなくし、多様性を受け入れる社会に転換する取り組みが行われています。今回は、国連が実施するTOGETHERキャンペーン(難民や移民の排斥・排除の風潮が世界的に高まるなか、多様性に満ちた包摂的な社会に向けた価値観を育むための国連主導の試み)にも参加されている法務省の萩本修 (はぎもと・おさむ)人権擁護局長から、3月21日の国際人種差別撤廃デーを前にお話を伺うことができました。

(聞き手:国連広報センター所長 根本かおる)

            

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            萩本 修 (はぎもと・おさむ) 人権擁護局長

【1986年に早稲田大学法学部を卒業後、司法修習生(40期)を経て、1988年に判事補に任官。その後、東京地裁那覇地・家裁に勤務し、1994年から法務省民事局付。1998年から甲府地・家裁判事に着任。東京高裁勤務を経て、2005年に法務省民事局参事官に任官。その後、大臣官房参事官、民事局民事法制管理官、大臣官房審議官(民事局担当)を経て、2014年には法務省大臣官房司法法制部長に就任。2016年8月から現職。】

 

マスコットキャラクターを通した人権啓発

 

根本:3月21日の国際人種差別撤廃デーに向けて、萩本人権擁護局長から様々なお話を伺えればと思います。近頃、「人 KEN まもる君」と「人 KEN あゆみちゃん」のマスコットキャラクターをいろいろな場所で見かけてとても嬉しく思うのですが、どのような思いを込めたマスコットなのでしょうか?

 

萩本:アンパンマンで有名なやなせ たかし先生にご協力頂き、まもる君とあゆみちゃんが誕生しました。全国各地で人権啓発のイベントをする際に、子どもたちの関心を惹きつけることができ、多くの方から好評を頂いています。髪形が漢字の「人」の文字を表していて、下のKENとあわせて「人権」を意味しているんですよ。

 

根本:ほんとうですね。最近は吉本興業とのコラボレーションもしていらして、楽しげなイベントにまもるくんとあゆみちゃんが登場する機会も多いように感じます。

 

萩本:人権と言うと、どうしても学校の社会科で勉強する憲法の中の小難しいコンセプトだと思われがちです。そのようなイメージを払拭して、国民の皆さんにもっと身近な「自分事」として人権を捉えて頂くよう努めています。

 

 

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         インタビューでの萩本局長。人 KEN まもる君(右)、人 KEN あゆみちゃんと(左)と  ©UNIC Tokyo

 

根本:いろいろな社会課題に対して敷居を低くして自分事として考えていただく働きかけは大切ですね。今回は外国人の人権、難民移民を取り巻く状況などについてお話を伺えればと思うのですが、外国人の人権問題としてはどのような事例がありますか?

 

萩本:外国人というだけで人種・言葉・文化や習慣の違いから差別を受けるという事例があります。例えば、銭湯で入浴を拒否されたり、理髪店で入店拒否されたり、アパートを借りる際に外国人は断られてしまうケースが未だにあります。震災などが起きたときに、外国人が悪さをしたというデマが広まるということもありました。昨年熊本で起きた地震のときも実際にそのような報道が一部でありました。いわゆるヘイトスピーチも事例のひとつです。このように、外国人を巡る様々な人権問題が日本では起きているという状況が残念ながらあります。

 

隙間からこぼれおちてしまう人権課題がないように

 

根本:外国人の子どもに対するいじめも問題になっていますね。

 

萩本:外国人というだけでいじめの原因になったり、仲間はずれにされてしまったり、ということが子どもたちのコミュニティーでも問題になっています。

 

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          イメージキャラクターを使った法務省による外国人の人権啓発活動 ©UNIC Tokyo

 

根本:私自身、子ども時代も含めて外国に暮らす経験をしてきて、言葉や文化、慣習の違いからとまどう場面もありましたが、相談する場所を見つけるのがなかなか大変でした。日本ではそういった外国人の方々を対象にした特別な相談窓口などはありますか?

 

萩本:政府全体、あるいは地方自治体を含めた行政全体でもそれぞれの分野で人権に関する相談窓口を設けています。法務省を例にすれば、人権擁護局という部署を設立し、人権に正面から取り組んでいます。人権擁護局では、広くあらゆる課題に対応しようと心がけています。外国人の人権もそのような課題のひとつです。外国人の人権擁護の一環として法務省では、外国人を対象とした人権相談窓口を設けています。この窓口で外国人の人権相談を受けてきたわけですが、この4月から外国人の人権相談への体制を強化することにしました。具体的には、新たに韓国語・タガログ語ポルトガル語ベトナム語が加わり、英語・中国語を含めて6言語での相談に対応できるようになります。手段としては電話やインターネットもあれば、直接法務局の窓口にお越しいただく形でも相談を受け付けるようにしています。

 

根本:人権擁護局はまさに人権の課題に対する調整役を担っているわけですが、人権問題というのは一人ひとりの足元での問題ですね。この意味で、地域に根付いた全国1万4000人の人権擁護委員の方々の活躍が非常に重要な役割を果たしているのではないでしょうか?

 

萩本:そうですね。人権擁護委員という制度は戦後まもなく設立されて、世界の中でもユニークな取り組みのひとつです。人権課題というのは国や専門家だけが取り組めばいいのではなく、民間の取り組みと行政の取り組みを車の両輪として協力しながら行うという信念からできた制度です。志が高い方々に委員として活躍していただいて、まさに地元に根ざした活動を担っているのが人権擁護委員のみなさんです。日本が世界に誇れる試みのひとつです。

 

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                                                人権擁護委員による小学校での人権教室 ©法務省

 

フェアプレー精神を人権のフィールドでも

 

根本:萩本局長のインタビュービデオ(霞ヶ関からお伝えします 2016)を拝見しました。Jリーグのサッカー選手による人権啓発の呼びかけが印象的でした。フェアプレーの精神でルールを守ることに重きを置いて活躍しているスポーツ選手だからこそできる取り組みですね。具体的にはどのようなコラボレーションが行われていますか?

 

萩本:人権を国民の方々にもう少し身近な問題として、自分自身の問題として感じてもらうためにはどうしたらいいだろうという観点から始めました。試合はお互い真剣勝負ですが、試合が終われば国やチームの枠を越えて相手をリスペクトするスポーツの精神は人権の本質を理解、共感するためにふさわしいものです。Jリーグのあるクラブの試合での「ジャパニーズオンリー」という横断幕が大きな問題になりました。その結果、無観客試合などの制裁を厳しく行いましたが、それを機にサッカー協会全体が、差別や人権啓発にもっと真剣に取り組まなければという意識を持つようになったと思います。人権擁護局がやりたいことも同じ方向を向いているので、タイアップして活動していくことになりました。現在、Jリーグの試合で一緒に人権啓発活動を行う「スタジアム啓発」や、子どもたちへのサッカー教室と人権教室をあわせて行うスポーツ人権教室などの取り組みも一緒に行っています。

 

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                            北海道コンサドーレ札幌の試合前に行われた「スタジアム啓発」の様子 ©法務省



一人ひとりの基本的人権を守るために

 

根本:街中で拝見して嬉しく思うのが「ヘイトスピーチ、許さない」のポスターです。黄色をバックにした非常に力強いポスターで、目に飛び込んできます。ヘイトスピーチ対策法が作られましたけれども、こういった法規制が必要であった背景を教えて下さい。

 

萩本:いま、世界中で排他的な価値観が広がり、日本も例外ではありません。一部で特定の民族、国籍、出自の人々を狙い撃ちして、合理的な理由なく日本から追い出そうとしたり、人間として見なさないかのような言動があったりして、社会問題になっています。本来は、法律で規制するのではなく、そのような行為をする人々を含めた国民の心に訴えかけて、ヘイトスピーチなどが起きないようにできればそれに越したことはありません。しかし、事態がここまで深刻になると、理想だけを唱えても現実は良くならないだろうという危機意識から、ヘイトスピーチは許されない、ということを掲げる法律が議員立法という形で昨年成立し、施行されたという経緯です。

 

根本:施行が始まって変化は感じられますか?

 

萩本:これまでもヘイトスピーチが許されないとの考えのもと、様々な取り組みをしてきましたが、この法律ができたことにより、ヘイトスピーチが許されないことが法律で明確になりました。また、法律ができたことでマスコミがヘイトスピーチの問題をより大きく取り上げるようになりましたし、裁判所サイドの司法判断にも一部影響を与えているとも言われています。そういう意味では、ヘイトスピーチは許されない、あってはならないもの、ということが社会の中で広く認識される大きなきかっけになったのではないかと思います。

 

根本:ヘイトスピーチ対策法の精神をくんだ地域、自治体の条例等も生まれていますね。

 

萩本:そうですね。地方が動いて国が動かされることもあれば、国が動くことによって地方も動きだす、という両方のパターンがあると思います。ヘイトスピーチに関しては、地方が少し躊躇していた部分もありましたが、国が法律を制定したことが大きな後押しとなって、勇気づけられた自治体が地域の実情に照らして必要なこと、ふさわしいこと、あるいはやれることをやろう、という雰囲気になってきているように感じます。                                                                                                                                                                                                                                               

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            萩本局長の話に耳を傾ける根本所長 ©UNIC Tokyo

 

違いに馴染むこと

 

根本:外国人の排除や差別意識というのは昔から少なからずあったとは思うのですが、最近それが顕著になってきていると感じられます。このような言動を生んでいる背景や理由について、どのようにお考えですか?

 

萩本:日本に限って言うと、やはり島国であり、未だに外国人に慣れていないということが大きいと思います。私の子どもはたまたま都心の小学校に通っていて、そこの学校には1クラスに5人以上は外国の子どもがいました。クラス名簿を見ると、カタカナの名前の子どもが何人かいるんですね。でも、いじめなどはなく、その子たちがいるのがもう当たり前のような雰囲気らしいのです。入学当初から周りに外国の子どもたちがいたから、違和感が生じなかったんだと思います。

 

しかし、そのような環境が地方にもあるかというとそうでもありません。外国の子どもがクラスに1人もいなかったり、極端になると全学年を見てもいるかいないかという学校もあると思います。そうなると、違い自体に馴染みがないために、違和感を覚えてしまったりすることがあると思いますね。

 

根本:2020年の東京オリンピックパラリンピックは、スポーツ・文化・環境の祭典であり、日本の社会をどう持続可能なものに転換して、多様性あふれる社会をつくっていくかという起爆剤のようなものになると思われます。外国人という要素も含めて、そのような多様性を受け入れられる社会に日本をつくり変えていくという課題に、法務省としてはどのような取り組みをしていらっしゃるのでしょうか?

 

萩本:法務省だけでなく、政府全体で2020年に向けて多様性を受け入れた共生社会を目指そうとしています。政府では「心のバリアフリー」という言葉を用いて、違いを受け入れて理解し合おうと呼びかけています。あらゆる機会に、一人ひとりに自分の問題として考えてもらえるよう啓発活動をしていく必要性を感じます。

 

昔だと電車の中で日本語以外の言葉が飛び交っていると遠巻きに見るなんてことがありましたが、いまはそれも当たり前と感じるようになりました。それは外国から観光客などがたくさん日本に来られ、外国人の存在に慣れてきて、違和感・抵抗感がなくなってきているからだと思うんです。対象が外国人に限らず、そのような意識変化がもっと進んで、違いが当たり前のことになるような取り組みを意識して進めていく必要があると思っています。

 

根本:ロンドンではパラリンピックがずいぶんと盛り上がり、またボランティアの参加がすばらしかったと思います。リオは持続可能性というものを前面に押し出して、それと同時に難民選手団という新たなレガシーができました。では東京は何だろう?という点に大いに期待しています。

 

萩本:そうですね。確かにリオのオリンピック・パラリンピックでは、私も難民選手団を初めてテレビで見たときに、ああこういうのがあるんだと思いました。日本開催の際にも、なるほどと思ってもらえるような取り組みができればと思っています。

 

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                 国連はオリンピック停戦を宣言し、
        世界中の人々にオリンピック期間中は武器を置くよう求めています。©UN Photo

 

理想と現実のバランスを取りながら

 

根本:TOGETHERキャンペーンでは、国連が呼びかけ、関連国連諸機関、JICA、市民社会、そして法務省のみなさまにも参加していただいて、みんなで難民・移民を受け入れられるようなオープンな社会について発信していこうと取り組んでいます。局長として、このマルチ・ステークホルダーで進めるキャンペーンについてどのような期待をお持ちですか?

 

萩本:日本だけでなく、国連の加盟国全体で取り組んでいるキャンペーンですから、いま政府全体で取り組んでいる2020年に向けた共生社会の実現と共に、相乗効果で成果を上げられたら、と期待しています。

 

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           法務省もTOGETHERキャンペーンをサポートしています
              (左:根本所長 右:萩本局長) ©UNIC Tokyo



国連広報センター広報官 妹尾:このTOGETHERキャンペーンを日本で広げていく上でのアドバイスがあれば、お伺いできますか?

 

萩本:多くの外国人が来日し、特にオリンピック・パラリンピックで日本の社会が世界から注目を浴びるときに、ハード、ソフトの両面で日本って成熟した良い国だな、と世界から思ってもらえるようにみんなでいまから取り組みましょうって言われると、多くの人が共感して、自分もその一助になることであれば協力しようと思ってもらえるのではないかと思います。

 

その一方で、我々も国内向けの様々な啓発を行いながらいつも思うのですが、平等の大切さや差別はいけないなどと理想ばかり唱えても、現実的には、なかなか自分事として受け止めてもらえないこともあります。でも、現実ばかりを見て対処療法的になると、大きな目指すところを見失ってしまうので、理想は掲げなければなりません。その理想と現実の狭間でどちらにどのくらいのウエイトを置くかというのは難しい問題です。その答えは直ちには出ないので、取り組みながら、ああちょっと理想にばかり軸が傾いていて誰も振り向いてくれないな、となったらもう少し現実に近づいていったり、結局はそのようなバランスのなかで進めていくしかないのかなと思います。

 

また、法務省による啓発活動に関して言えば、世の中には様々な主義・主張を持つ人がいて、それを唱えてはいけないというわけではないですよね。表現の自由もありますし、その主義・主張が国家の政策に反していても堂々と唱えられるのが成熟した民主主義国家です。人権侵害の歴史を紐解くと、最も人権を侵害してきた主体は行政なので、我々が国民の言論活動に良い悪いとコメントしたり、一定の制約をすることは危険をはらむものであるという思いは忘れてはいけないですし、日々反省、自戒しつつ取り組むべき難しい課題だと感じています。

 

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           インタビュー中の根本所長(左)と萩本局長(右) ©UNIC Tokyo

 

違いを認め、その良さを言葉で発信して

 

国連広報センター・インターン 岡嵜:あらゆる人々の人権について考える立場にある萩本局長ですが、普段の生活においてどのように視点を平等にすることを心がけているのでしょうか?

 

萩本:法務省は様々な人権課題を扱い、どこかに特別なフォーカスを当てているわけではないからこそ気づいたことですが、外国人、女性、子ども、障害のある方もみんな、違いは個性みたいなものです。違いがおかしいのではなく、いろいろな人がいるのが社会として当たり前だし、むしろ多様性があるからこそ豊かであり楽しいんだ、と自然に思えるようにするのが一番大事だと思います。法務省は人権課題を絞っていないので、様々な課題に関して関係者の方とお話しするたびに感じるのは、どの課題も根っこは一緒だということです。その同じ根っこにスポットを当て、それを啓発活動の際に対外的に発信していけたらいいなと日々意識しています。

 

インターン 広野:萩本局長は寛容さという点に重点を置いていらっしゃると思いますが、2020年を迎えた後にもレガシーとしてその寛容さを次の世代に受け継ぐために、私たちの身近なことでできることなどアドバイスはありますか?

 

萩本:私は日々の生活の中で違いに気づいたときに、その良さを言葉にして言うことが大事だと思うんです。みんな、違いに対して、「え、なに?」「やだ」とかマイナスな表現はよくしますよね。そうではなくて、「ああいう人もいるんだ、良いね」と違いの良さに目をつけて言葉にして言っていると、人間って流されやすいところがあるので、周りが言っているからそういうものか、と共感する人がどんどん増えると思います。日々の生活の中で文句を言いたくなることはあるし、それをつい口に出してしまうのも人間だから仕方がない気もします。けれど、良いことも楽しいこともたくさんあるはずなので、それをぜひ口に出して発信して周りにも良い影響を与えて、明るい人が増え、その明るいグループをどんどん大きくしていってほしいなと思いますね。

 

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             今回のインタビューの企画・実施に携わったインターンと共に
                       ©UNIC Tokyo