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連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (9)

    「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (9)

                                     久山純弘(くやま すみひろ)さん

                    -日本政府と国連機関、2つの立場における挑戦-

第9回は、長年にわたり国連機関に関わるお仕事に従事され、2005年には国連諸活動に貢献したとして外務大臣賞を受賞された久山純弘さんです。久山さんは、日本政府のなかから国連に関わる仕事と、国連のなかで職員として国連に関わる仕事の両方をご経験されてきました。これまで関わってこられた「説明責任(Accountability)」ということを主軸のテーマに、国連のオペレーションの実態や改善へのご貢献、また、国益と国際益のために働くことの違いについて、とても貴重なお話を伺うことが出来ました。

(聞き手:国連広報センター所長 根本かおる)  

 

                         第9回:国連大学客員教授日本国際連合協会理事

                                      久山 純弘(くやま すみひろ) さん 

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東京大学教養学部教養学科を卒業後、上智大学国際学部大学院を修了。経済企画庁(現在は内閣府)、ニューヨークの国連開発計画(UNDP)等を経て、1975‐1984年、日本政府国連代表部にて外交官として従事。その間、1979‐83年に国連総会の主要委員会の一つである国連行財政諮問委員会(ACABQ)のメンバー、1983年には国連総会第5委員会議長を兼任。1984‐1993年、国連事務次長補に着任、「国連居住計画(UN - HABITAT)」事務次長として本部のあるケニアのナイロビを本拠に、都市を中心とした人間の居住環境改善問題に尽力。1994年に独立行政法人国際協力機構(JICA)、1995‐2004年には国連総会選出により国連合同監査団(JIU)のメンバーならびに同議長として、ジュネーブにて勤務。

2005年に帰国後、長年の国連諸活動への貢献を称えられ、外務大臣賞を受賞。また2015年春には瑞宝章瑞宝中綬章)を受賞。国際基督教大学国際大学で教鞭を執り、国連大学客員教授を経て、日本国連協会理事を含む多くの分野で積極的に活躍。】

 

国連の現状と理想のギャップー “Accountability” の視点から

根本:マルチラテラリズム(多国間主義)を担う国連がいま大変な危機、岐路に立たされているなかで、「説明責任」の徹底が非常に求められており、財政、マネジメントの部分に対しての説明責任、また、世界の平和構築を左右しかねない政策決定に対しての説明責任、その両面において国連は非常に試されています。

これまで「説明責任(Accountability)」に取り組んでこられた久山さんから、いまの国連の状況というのはどのようにみえますか。

 

久山:まず基本的なことですが、国連憲章の前文には、”We the Peoples of the United Nations” と書かれています。この ”First seven words” が象徴するように、国連をつくったのは確かに国家ではありますが、その受益者は地球市民全体(Global Citizens / Peoples)であるというのが国連の基本的な性格であり、この点については国連研究者の間でも大方の意見が一致しています。

 

そのような国連の基本的性格に照らしてみた場合、「現状はどうなのか」「国連のやっていることが本当に Peoples の利益・関心事に適ったものとなっているのだろうか」というと、現状は非常に問題があると言えます。では何が問題なのでしょうか。簡単に言えば、それは国連の正統性(Legitimacy)並びに説明責任(Accountability)の欠如です。Legitimacy については、国家、すなわち国連をつくった Member States からみると、当事者であることもあり正統性を一応は満たしている、しかし、受益者、すなわち Peoples からみると、正統性に欠ける情況となっています。

 

根本:どうして正統性が欠けているのでしょうか。

 

久山:Peoples からみて国連の正統性が高まり、価値ある存在となるためには、受益者である Peoples からの権限委譲を受けて、国連が行なっていること(事業等)並びにその効果・結果等について Peoples にきちんと説明し、期待通りの結果等が出ない場合は責任を取ることが必要になります。これが ”Accountability” であり、この Accountability を遂行することにより、国連は初めて Peoples の眼からみても正統性をもった存在となるのです。換言すれば、Peoples からみて国連の正統性が欠けているのは、Peoples に対する国連の Accountability が欠如しているからだと言えます。ちなみに Accountability の日本語は、私の話からもお分かりの通り、単に「説明責任」ではなく、「説明及び結果責任」というべきです。

 

ところで、国連のオペレーションは、基本的には第1段階で政策・事業等に関する意思決定、第2段階でその実施、第3段階でそれを評価し、その結果を新たな意思決定にフイードバックすることにより好循環を実現させることが理想的な姿として期待されています。例えば最近の SDGs(持続可能な開発目標) 作成過程では、Peoples の声もある程度は反映されるようになって来てはいますが、一般に国連総会等における色々な政策決定はあくまでも Member States が行っているわけです。

 

すなわち、意思決定過程において、Member States は、Peoples の声に対して「おっしゃることは参考までに聞いておきましょう」といった姿勢であり、それはあくまでも Member States が意思決定を行う際の参考としているに過ぎません。しかしながら Accountability の強化を含め、国連の有効性(Effectiveness)、効率性( Efficiency)、妥当性(Relevance)の改善のためには、第1の意思決定過程で Peoples の声がきちんと反映されるようなシステムを構築することが極めて重要です。

           

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                             インタビューで語る久山氏 ©UNIC Tokyo

 

オペレーションの現場での挑戦―JIU議長としての貢献

根本:現在16ヶ所で展開しているPKO国連平和維持活動)のうち、3つのミッションが縮少・終了の見通しですが、国連の組織論というものをみていると、つくる時は良いけれども、Exit Strategy(出口戦略)を実行することが本当に難しい組織であると思います。これは民間企業であれば利益という尺度がはっきりとしていますが、国連の場合は、財政的な無駄というものがあったとしても、一度つくったものを閉める、閉じるということが本当に難しい組織運営になっていると感じています。これをどう自ら改革していくのか、非常に気になるところです。

 

久山:何十年も前から議論されていることではありますが、”Sunset Rule”(サンセット・ルール)というものが非常に重要であると思います。例えば特定の事業(プログラム)について、5年なら5年の期限を最初に設定し、期限到来時は勿論のこと、期限前であっても、策定時に定めた目標達成のうえでの当該プログラムの効果(Effectiveness)の度合いをきちんと評価し、効果のないものは取りやめる。すなわち、マンデート上は有効であったとしても、実際のオペレーションの段階で色々な問題が出てきた場合、その時点で見直しをして、より望ましい方向に転換する、または新しい要素を加える、あるいはカットする、そういうことをちゃんとやっていくべきだと思いますね。

 

根本:以前お話しになっている講演録のなかで、Sunset Rule が中々導入できない、財政的な部分で考えると安易な予算増につながっているというご指摘もありましたね。実際に安易な予算増を見直すということは、どのように出来るものなのでしょうか。

 

久山:一言でいえば、すでにお話した通り、国連オペレーションの第3段階である評価機能の強化もその一つかと思います。私がいた国連合同監査団(JIU)でも Evaluation(評価)は、Inspection(監察), Investigation(調査)と並んで主要機能の一つであり、JIU の諸提言を通じ、国連システム全体の予算増問題にもそれなりの貢献をしてきたのではないかと考えています。

 

これとの関係で、私がJIUの議長であった頃に力を入れたのが、フォローアップシステムの構築・整備です。具体的には、JIUから政策提言(予算問題とも関わりのある提言を含む)が出された場合、関係国連機関はそれぞれの提言に関し検討・審議し、Acceptable(受諾) か否かについて決定を下すと共に、Acceptable なものについては、これをきちんと実行する義務を負うというもので、このようなフォローアップシステムについて関係国連機関と個別に協議のうえ、機関別にそのようなシステムを構築・整備したことは、私の一つの貢献であったかと思います。

 

ちなみに私がJIUで最初(1995年)に作成した報告書は ”Strengthening of the UN system capacity for conflict prevention” というものでしたが、このような内容のものを選んだ理由は、国連の紛争予防能力を強化することが出来るならば、紛争により発生する難民・人道援助等に関わる支出を大きく減らすことが可能となり、それにより浮いた資金(予算)は開発援助等、より建設的な目的のために使用可能となると考えたからです。

このような考えのもとに、同報告書は早い機会に国連総会等で審議されることを期待していたわけですが、事務局の総会担当責任者より、「国連総会として Prevention(予防) を扱う議題はない」との返答を受けた時には大きな驚きで、これは国連最大のジョークだと思いました。この点、現在はどうなっているのか未確認ですが、確か2015年の事務総長報告のなかに、課題の一つとして、今後 Prevention を国連総会の独立議題とすべしとの文言が入っていることから、ひょっとしたら未だに同じ状況なのかも知れません。

 

根本:実行を阻んでいる最大の原因は何だと思われますか。

 

久山:Prevention の問題を真正面から取り上げることへの躊躇があるとすれば、歴代の事務総長も指摘している通り、それは Member States の政治的意思に関わる問題だからでしょう。コンセンサスになっているはずの国連憲章の考え方に従えば問題はないはずですが、状況によっては「内政干渉」として問題視されることもあり得るということでしょう。いずれにせよ、グテーレス新事務総長は ”Prevention is not merely a priority, but the priority” と宣言していますので、Prevention への対応ぶりは今後ポジテイブな方向へ大きく転換するものと期待しています。

 

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                                              久山氏の話に聴き入る根本所長 ©UNIC Tokyo 

 

国益と国際益の追求―国連に関わる2つの立場を経験

根本:久山さんは日本の外交官という立場だった時もあり、国連のなかの要職も占めておられ、その両方を行ったり来たりのご経験をされていますが、日本政府のなかから国連に関わる仕事と、国連のなかで職員として国連に関わる仕事とはどのように性格が違うのでしょうか。

 

久山:国連の仕事に関わっている主要アクターは、Member Statesと事務局です。両者の機能の違いを国連の政策作りについて言えば、政策のドラフト作成(「お膳立て」)は主として事務局、その決定(意思決定)は Member States の機能ということになります。なお、Member States と事務局に加え、JIUのような ”Oversight body”(監査機関)も第3のアクターとして重要な役割を果たしており、また将来的には既に言及した通り、”Peoples” が第4のアクターとして組織的に関わるべきだと考えます。

 

根本:見ている方向性として、国益と国際益というものがあり、国連のニューヨーク本部はある意味で両者が最もせめぎ合う場所ではないかと思います。同じものを見ていても立ち居地が違う。両方をご経験されている久山さんにはどういう風に風景が違ってみえたのでしょうか。

 

久山:私はたまたま国連代表部で9年間外交官として仕事をしましたが、国連代表部で仕事をするというのは、日本政府の国益にしたがって仕事をするのが基本です。たとえば国連の主要委員会に出席する場合、それぞれの議題について原則として外務本省から対処振りについての「訓令」を受けて行動する。また「訓令」がない場合は、あらかじめ「請訓」というかたちで本省の指示を仰ぎ、それに基づいて行動することになります。ただ現実には色々な理由で代表部(現地)サイドでの裁量の余地も結構あります。すなわち、原則的には国益が基本という縛りがあっても、現実には単に日本だけではなく、広い意味での利益、つまり国際益も考えて対処するという余地が私の場合は結構ありました。

 

たとえば私が国連総会第5委員会の議長だった時のちょっとしたエピソードですが、ある時、審議中の特定の問題点について、米国の大使とキューバの担当官が発言したいとして同時に手を挙げたことがありました。その際、私としては米国の代表を先に指名すると、議論が錯綜し取りまとめが困難になるとの判断でしたので、敢えてキューバを先に指名した結果、うまく議論をまとめることが出来ました。会議の直後、ある国の外交官から「米国の盟友である日本の議長として、貴方の今日の采配振りは非常に勇気があった」とお褒めの言葉をもらいましたが、会議に出席していた日本の大使からは、ニコニコしながらも「久山君、あれは訓令違反だよ」と言われました。

 

今から30年以上も前の話なので正確には覚えていませんが、議長として国連加盟国全体の利益(国際益)を念頭におきながら公正な審議を心がけていた私にとって、若干日本の国益に反することもあったかも知れません。いずれにせよ、私としては国益というものは出来るだけ国際益とも一致することが理想的な姿だと考えています。

 

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                                  1983年に国連総会で議長を務めた当時(久山氏ご提供)              

 

最後に一つ余談ですが、第5委員会は毎年クリスマス前までの会期中には審議を終了することが出来ず、翌年に持ち越されるのが常態となっていました。しかし、第5委審議の若干の合理化導入に加え、第1回会合において「なるべく発言は簡潔に…。“point of order” には全く関心がないので、ご協力のほどを…」といった要請を行ったことの成果もあってか、その年はスケジュール通りに審議を終えることが出来、通常お世辞を言わない ACABQ議長(Conrad S.M.Mselle氏)が公式のランチョンの席で、「今年の議長はさすが日本人で、マネジメントに長けている」と述べていたのが想い出されます。

 

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                     インタビュー後の記念撮影。久山氏と根本かおる所長(右)©UNIC Tokyo

 

 

スポーツ×開発×平和の未知なる可能性

スポーツと開発・平和が密接に関わっていることをどれくらいの人が知っているのでしょうか。国連は2014年から今日4月6日を「開発と平和のためのスポーツの国際デー」と定め、スポーツが幸福と健康を増進し、寛容と相互理解を育む側面に着目してきました。今回は、4月6日の国際デーを前に先月東京で開催された開発と平和のためのスポーツに関する国際シンポジウムの様子を国連広報センターインターンがお伝えします。

このシンポジウムは、途上国や難民キャンプをはじめ、世界各国のスポーツや開発に携わる若者を対象として実施されている「ユースリーダーシップキャンプ(YLC)」のこれまでの卒業生を中心に行われたイベントです。国連開発と平和のためのスポーツ事務局(UNOSDP)スポーツ庁により開催されました。

YLCは日本でも2013年から東京や東北で3回開かれました。今回はさらにステップアップして、「開発と平和のためのスポーツ(Sport for Development and Peace: SDP)」を担う人材が更なるリーダーシップ力やマネージメントスキルを身につけるための研修が東京で実施され、最終日に行われたシンポジウムでは、研修参加者の中から選抜された若者たちが、自らのプロジェクト提案を行い、成果を発表しました。

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          シンポジウムの成功を祝して記念写真 ©UNIC Tokyo

 

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                2014年のYLCでの様子 ©UNIC Tokyo

スポーツをより効果的に平和構築に取り入れるには

オリンピック出場も果たした水泳選手としてのキャリアや、数々の国で復興支援に携わった豊かな経歴を持つ井本直歩子(いもと・なおこ)さん。そんな井本さんのスカイプによる基調講演でシンポジウムは幕を開けました。現在井本さんは、UNICEF職員としてギリシャで教育プログラムチーフを担い、シリア等からの難民の子どもの教育支援を統括しています。

スポーツがその場で楽しむアクティビティーの枠を超えるために

井本さんが教育支援に携わっていたマリでは、孤児院の子ども達が通常の教育の課程から外れてしまうことも多いそうです。また、国内に異なる民族が共存していることを、多くの子どもたちが知らない現実もあります。そんな子どもたちがお互いを知るきっかけ作りとして、マリではスポーツをはじめ、演劇や対話などを有効に利用していたそうです。井本さんは「子どもたちが互いを認め合うことや、子どもたちに起こるポジティブな変化が親の世代にまで影響を及ぼす」と、子どもからの変化の大切さについて強調し、これには私たちインターンをはじめ、会場の多くの人がそのメッセージに共感しました。

「皆が集まって、ただ楽しくスポーツをするだけでは持続可能な平和の構築は達成できません。」というオリンピアンとして、そして長年教育支援に携わってきたプロとして、双方の立場からスポーツの可能性を熟知している井本さんだからこその意見にはっとさせられました。それと同時に、こうして気づきが芽生えていくのだと実感しました。

 

I am a leader! 」一人ひとりがこの世界のリーダー

マレーシア出身のDaniel Lee(ダニエル・リー)さんは、参加者代表の一人としてスポーツを通したリーダーシップ向上プロジェクトを発表しました。格差や貧富の差に苦しむマレーシアの若者のためにこのプロジェクトを発案し、「スポーツをするにはエネルギーと熱意が必要です。それはまさにリーダーにとって大切な要素でもあります。」と、熱く語りました。自身もパワーに満ち溢れるダニエルさんは、2020年の東京オリンピックパラリンピックでパラリンピアンとして活躍することを目指しています。障害がハンディキャップであると微塵も感じさせない強さと明るさを持つダニエルさんのメッセージは、参加者一人ひとりを奮い立たせるものでした。

 

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           プレゼンテーション中のダニエルさん ©UNIC Tokyo

         

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              シンポジウムでの参加者の様子 ©UNIC Tokyo

国や文化の枠を超えた絆が生まれるきっかけに

シンポジウム後の交流会では、終始和やかな雰囲気の中でこれまでYLCに参加した14名の若者やシンポジウム参加者が意見を交わしました。私たちインターンも参加者にインタビューを行い、それぞれの熱い想いにせまりました。

 

困難にも負けずに笑顔で前に進む力

以前YLCに参加した加朱将也(かしゅ・まさや)さんはエチオピア青年海外協力隊として滞在し、現地では子どもたちに体育教師としてチームで協力する大切さを教えていました。「強い信念を持って、楽しみながら目標に向かっている人に人間は惹きつけられるものです。」と、困難な状況に合っても、前向きにチャレンジし続ける他の参加者をみて、新たな気づきに出会えたそうです。

実際に参加者たちは、それぞれ抱えている問題があるにも関わらず、明るく情熱を持って目標に向かって突き進んでいます。そんな姿に、国や文化の違いを超えた若者の持つ可能性とパワーを感じざるを得ませんでした。

     

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        地域開発や女性支援に関してのプロジェクトを発表中の加朱さん ©UNIC Tokyo

 

国々や人々の架け橋に

Asha Asaria Farrell (アーシャ アザリア・ファレル)さんの母国であるバルバドスには、昨年日本の大使館が設立されたばかりです。日本とバルバドスの交流が強まることを願い、バルバドスの学生が日本で、日本の学生がバルバドスでインターンシップをしながら文化交流を行うプログラムを提案しました。アーシャさんはスポーツは言語学習においても効果的だと強調し、スポーツや文化交流を通して「母国と日本の架け橋になりたい」と語りました。   

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             自身のプログラムの中でSDGsの重要性についても
          言及するアーシャ アザリア・ファレルさん ©UNIC Tokyo

 

子どもの豊かな感性に着目

スポーツを通じてインドとパキスタンの子どもたちの交流をはかるプロジェクトを発案したインド出身のRevina(ルビーナ)さんは、子どもの純粋な感受性の可能性について熱心に話してくれました。「偏見や差別は生まれながらに持つものではないからこそ、子どもたちへのアプローチが大切です。」という言葉がとても印象的でした。

 

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                                      交流会での参加者の様子 ©UNIC Tokyo

 

シンポジウム参加前は私たちインターンも、スポーツと平和・開発の関係性について漠然としたイメージしか持っていませんでした。しかし、今回のシンポジウムを通してYLC参加者の熱意に直に触れ、言葉ではなかなか越えられない壁があるときに、スポーツは誰かに歩み寄る一歩として、大きな役割を果たすのだと実感しました。子ども達とスポーツの組み合わせが差別や紛争をなくす鍵になることも、今回の取材を通して学んだことのひとつです。なにより、スポーツを通した平和構築のため、母国の発展のために信念を持って突き進んでいる一人ひとりの参加者の姿を間近でみて、身が引き締まる思いでした。日本はオリンピック・パラリンピックを3年後にひかえています。4月6日の「開発と平和のためのスポーツの国際デー」を機に、「スポーツ×平和×開発」について私たちができる身近なことは何なのか、まわりの人と話してみるきっかけにしても良いかもしれません。

3ヶ月のインターンシップを終えて

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2016年の11月中旬から2月中旬までの3カ月間、インターンシップに参加した安田佑介です。国連広報センターのインターンシップに応募したきっかけは、報道機関への就職が決まったことでした。ニュース制作支援、特に国際報道に関わることになるため、入社前に国連の役割と活動についての理解を深めて仕事に活かしたいと考えたからです。また、在学中の大学で人間の安全保障や難民・移民、国際開発などの授業を履修する中で国連への興味・関心が強くなってきました。キャリアの選択肢として「国連で働く」ことについても考えてみたい、そんな思いを抱きながらインターン生活が始まりました。

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新聞クリッピング国連広報センターでのインターンシップの基本です。毎朝夕、主要紙と英字紙の計8紙に目を通す作業は、刻々と変わる世界情勢の把握につながっただけではなく、情報処理・分析の鍛錬になりました。普段は何気なく読み過ごしていた新聞でしたが、国連という立場から読んでいくと、国連が世界の様々な分野に携わっていることが分かり、より身近な存在となりました。特にアメリカ大統領が変わってからは、関連記事が増え、迅速かつ的確に情報を把握するよう努めました。また、読み比べも意識的に行い、新聞各社の取り上げるニュースの傾向や考え方がわかり、様々な角度から物事を考えていく練習にもなりました。

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山本忠通 アフガニスタン担当国連事務総長特別代表、根本かおるUNIC所長、インターンとともに

さらに、記者会見やインタービューに同行する機会にも恵まれ、国連で活躍されてきた職員のお話を目の前で聞くという貴重な経験ができました。また、取材を通じて、写真撮影や記事作成に必要な準備や注意点など実戦から得られる収穫が数多くありました。その他には、翻訳作業にも携わり、どう訳せばよりわかりやすく明確に伝わるかと言葉選びに悩みに悩み、情報発信をする広報の難しさを実感するなど、毎日が学びの3カ月でした。

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朝鮮民主主義人民共和国DPRK)の人権状況に関する国連特別報告者の記者会見(2016年11月、国連大学

いま振り返ってみると、一緒に働いた個性的で優秀なインターン、そして様々な業務を任せてくださった職員の皆さんには感謝の気持ちで一杯です。的確に仕事をこなしていくインターンと働く中で、社会人になる上での課題をたくさん見つけました。彼らとの昼食の時間も非常に有意義なものでした。留学経験やキャリア、進学、趣味といったいろいろな話で盛り上がり、自分の知らない世界を知る機会にもなりました。広報業務以外にもデータ処理や資料作成など、毎日幅広い仕事を任せてくださった職員の皆さんにも感謝しております。国連への理解が深まっただけでなく、働くことへの姿勢も学んだこの濃密な3カ月間。国連広報センターで得た知識と経験を今後に活かしていけるよう、これからも精進していきたいと思います。ありがとうございました。

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日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(13)

           第13回 法務省 萩本修 人権擁護局長 

        ~違いは個性、多様性から生まれる豊かさを尊ぶ~

 

今日、日本を訪れる外国人の数が増える傾向にあるなか、2020年の東京オリンピックパラリンピックを契機にさらにその数は増加するだろうと言われています。言語、文化、宗教、習慣等の違いに起因する人権問題は日本でも起きており、法務省を含む政府全体で外国人に対する偏見や差別をなくし、多様性を受け入れる社会に転換する取り組みが行われています。今回は、国連が実施するTOGETHERキャンペーン(難民や移民の排斥・排除の風潮が世界的に高まるなか、多様性に満ちた包摂的な社会に向けた価値観を育むための国連主導の試み)にも参加されている法務省の萩本修 (はぎもと・おさむ)人権擁護局長から、3月21日の国際人種差別撤廃デーを前にお話を伺うことができました。

(聞き手:国連広報センター所長 根本かおる)

            

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            萩本 修 (はぎもと・おさむ) 人権擁護局長

【1986年に早稲田大学法学部を卒業後、司法修習生(40期)を経て、1988年に判事補に任官。その後、東京地裁那覇地・家裁に勤務し、1994年から法務省民事局付。1998年から甲府地・家裁判事に着任。東京高裁勤務を経て、2005年に法務省民事局参事官に任官。その後、大臣官房参事官、民事局民事法制管理官、大臣官房審議官(民事局担当)を経て、2014年には法務省大臣官房司法法制部長に就任。2016年8月から現職。】

 

マスコットキャラクターを通した人権啓発

 

根本:3月21日の国際人種差別撤廃デーに向けて、萩本人権擁護局長から様々なお話を伺えればと思います。近頃、「人 KEN まもる君」と「人 KEN あゆみちゃん」のマスコットキャラクターをいろいろな場所で見かけてとても嬉しく思うのですが、どのような思いを込めたマスコットなのでしょうか?

 

萩本:アンパンマンで有名なやなせ たかし先生にご協力頂き、まもる君とあゆみちゃんが誕生しました。全国各地で人権啓発のイベントをする際に、子どもたちの関心を惹きつけることができ、多くの方から好評を頂いています。髪形が漢字の「人」の文字を表していて、下のKENとあわせて「人権」を意味しているんですよ。

 

根本:ほんとうですね。最近は吉本興業とのコラボレーションもしていらして、楽しげなイベントにまもるくんとあゆみちゃんが登場する機会も多いように感じます。

 

萩本:人権と言うと、どうしても学校の社会科で勉強する憲法の中の小難しいコンセプトだと思われがちです。そのようなイメージを払拭して、国民の皆さんにもっと身近な「自分事」として人権を捉えて頂くよう努めています。

 

 

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         インタビューでの萩本局長。人 KEN まもる君(右)、人 KEN あゆみちゃんと(左)と  ©UNIC Tokyo

 

根本:いろいろな社会課題に対して敷居を低くして自分事として考えていただく働きかけは大切ですね。今回は外国人の人権、難民移民を取り巻く状況などについてお話を伺えればと思うのですが、外国人の人権問題としてはどのような事例がありますか?

 

萩本:外国人というだけで人種・言葉・文化や習慣の違いから差別を受けるという事例があります。例えば、銭湯で入浴を拒否されたり、理髪店で入店拒否されたり、アパートを借りる際に外国人は断られてしまうケースが未だにあります。震災などが起きたときに、外国人が悪さをしたというデマが広まるということもありました。昨年熊本で起きた地震のときも実際にそのような報道が一部でありました。いわゆるヘイトスピーチも事例のひとつです。このように、外国人を巡る様々な人権問題が日本では起きているという状況が残念ながらあります。

 

隙間からこぼれおちてしまう人権課題がないように

 

根本:外国人の子どもに対するいじめも問題になっていますね。

 

萩本:外国人というだけでいじめの原因になったり、仲間はずれにされてしまったり、ということが子どもたちのコミュニティーでも問題になっています。

 

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          イメージキャラクターを使った法務省による外国人の人権啓発活動 ©UNIC Tokyo

 

根本:私自身、子ども時代も含めて外国に暮らす経験をしてきて、言葉や文化、慣習の違いからとまどう場面もありましたが、相談する場所を見つけるのがなかなか大変でした。日本ではそういった外国人の方々を対象にした特別な相談窓口などはありますか?

 

萩本:政府全体、あるいは地方自治体を含めた行政全体でもそれぞれの分野で人権に関する相談窓口を設けています。法務省を例にすれば、人権擁護局という部署を設立し、人権に正面から取り組んでいます。人権擁護局では、広くあらゆる課題に対応しようと心がけています。外国人の人権もそのような課題のひとつです。外国人の人権擁護の一環として法務省では、外国人を対象とした人権相談窓口を設けています。この窓口で外国人の人権相談を受けてきたわけですが、この4月から外国人の人権相談への体制を強化することにしました。具体的には、新たに韓国語・タガログ語ポルトガル語ベトナム語が加わり、英語・中国語を含めて6言語での相談に対応できるようになります。手段としては電話やインターネットもあれば、直接法務局の窓口にお越しいただく形でも相談を受け付けるようにしています。

 

根本:人権擁護局はまさに人権の課題に対する調整役を担っているわけですが、人権問題というのは一人ひとりの足元での問題ですね。この意味で、地域に根付いた全国1万4000人の人権擁護委員の方々の活躍が非常に重要な役割を果たしているのではないでしょうか?

 

萩本:そうですね。人権擁護委員という制度は戦後まもなく設立されて、世界の中でもユニークな取り組みのひとつです。人権課題というのは国や専門家だけが取り組めばいいのではなく、民間の取り組みと行政の取り組みを車の両輪として協力しながら行うという信念からできた制度です。志が高い方々に委員として活躍していただいて、まさに地元に根ざした活動を担っているのが人権擁護委員のみなさんです。日本が世界に誇れる試みのひとつです。

 

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                                                人権擁護委員による小学校での人権教室 ©法務省

 

フェアプレー精神を人権のフィールドでも

 

根本:萩本局長のインタビュービデオ(霞ヶ関からお伝えします 2016)を拝見しました。Jリーグのサッカー選手による人権啓発の呼びかけが印象的でした。フェアプレーの精神でルールを守ることに重きを置いて活躍しているスポーツ選手だからこそできる取り組みですね。具体的にはどのようなコラボレーションが行われていますか?

 

萩本:人権を国民の方々にもう少し身近な問題として、自分自身の問題として感じてもらうためにはどうしたらいいだろうという観点から始めました。試合はお互い真剣勝負ですが、試合が終われば国やチームの枠を越えて相手をリスペクトするスポーツの精神は人権の本質を理解、共感するためにふさわしいものです。Jリーグのあるクラブの試合での「ジャパニーズオンリー」という横断幕が大きな問題になりました。その結果、無観客試合などの制裁を厳しく行いましたが、それを機にサッカー協会全体が、差別や人権啓発にもっと真剣に取り組まなければという意識を持つようになったと思います。人権擁護局がやりたいことも同じ方向を向いているので、タイアップして活動していくことになりました。現在、Jリーグの試合で一緒に人権啓発活動を行う「スタジアム啓発」や、子どもたちへのサッカー教室と人権教室をあわせて行うスポーツ人権教室などの取り組みも一緒に行っています。

 

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                            北海道コンサドーレ札幌の試合前に行われた「スタジアム啓発」の様子 ©法務省



一人ひとりの基本的人権を守るために

 

根本:街中で拝見して嬉しく思うのが「ヘイトスピーチ、許さない」のポスターです。黄色をバックにした非常に力強いポスターで、目に飛び込んできます。ヘイトスピーチ対策法が作られましたけれども、こういった法規制が必要であった背景を教えて下さい。

 

萩本:いま、世界中で排他的な価値観が広がり、日本も例外ではありません。一部で特定の民族、国籍、出自の人々を狙い撃ちして、合理的な理由なく日本から追い出そうとしたり、人間として見なさないかのような言動があったりして、社会問題になっています。本来は、法律で規制するのではなく、そのような行為をする人々を含めた国民の心に訴えかけて、ヘイトスピーチなどが起きないようにできればそれに越したことはありません。しかし、事態がここまで深刻になると、理想だけを唱えても現実は良くならないだろうという危機意識から、ヘイトスピーチは許されない、ということを掲げる法律が議員立法という形で昨年成立し、施行されたという経緯です。

 

根本:施行が始まって変化は感じられますか?

 

萩本:これまでもヘイトスピーチが許されないとの考えのもと、様々な取り組みをしてきましたが、この法律ができたことにより、ヘイトスピーチが許されないことが法律で明確になりました。また、法律ができたことでマスコミがヘイトスピーチの問題をより大きく取り上げるようになりましたし、裁判所サイドの司法判断にも一部影響を与えているとも言われています。そういう意味では、ヘイトスピーチは許されない、あってはならないもの、ということが社会の中で広く認識される大きなきかっけになったのではないかと思います。

 

根本:ヘイトスピーチ対策法の精神をくんだ地域、自治体の条例等も生まれていますね。

 

萩本:そうですね。地方が動いて国が動かされることもあれば、国が動くことによって地方も動きだす、という両方のパターンがあると思います。ヘイトスピーチに関しては、地方が少し躊躇していた部分もありましたが、国が法律を制定したことが大きな後押しとなって、勇気づけられた自治体が地域の実情に照らして必要なこと、ふさわしいこと、あるいはやれることをやろう、という雰囲気になってきているように感じます。                                                                                                                                                                                                                                               

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            萩本局長の話に耳を傾ける根本所長 ©UNIC Tokyo

 

違いに馴染むこと

 

根本:外国人の排除や差別意識というのは昔から少なからずあったとは思うのですが、最近それが顕著になってきていると感じられます。このような言動を生んでいる背景や理由について、どのようにお考えですか?

 

萩本:日本に限って言うと、やはり島国であり、未だに外国人に慣れていないということが大きいと思います。私の子どもはたまたま都心の小学校に通っていて、そこの学校には1クラスに5人以上は外国の子どもがいました。クラス名簿を見ると、カタカナの名前の子どもが何人かいるんですね。でも、いじめなどはなく、その子たちがいるのがもう当たり前のような雰囲気らしいのです。入学当初から周りに外国の子どもたちがいたから、違和感が生じなかったんだと思います。

 

しかし、そのような環境が地方にもあるかというとそうでもありません。外国の子どもがクラスに1人もいなかったり、極端になると全学年を見てもいるかいないかという学校もあると思います。そうなると、違い自体に馴染みがないために、違和感を覚えてしまったりすることがあると思いますね。

 

根本:2020年の東京オリンピックパラリンピックは、スポーツ・文化・環境の祭典であり、日本の社会をどう持続可能なものに転換して、多様性あふれる社会をつくっていくかという起爆剤のようなものになると思われます。外国人という要素も含めて、そのような多様性を受け入れられる社会に日本をつくり変えていくという課題に、法務省としてはどのような取り組みをしていらっしゃるのでしょうか?

 

萩本:法務省だけでなく、政府全体で2020年に向けて多様性を受け入れた共生社会を目指そうとしています。政府では「心のバリアフリー」という言葉を用いて、違いを受け入れて理解し合おうと呼びかけています。あらゆる機会に、一人ひとりに自分の問題として考えてもらえるよう啓発活動をしていく必要性を感じます。

 

昔だと電車の中で日本語以外の言葉が飛び交っていると遠巻きに見るなんてことがありましたが、いまはそれも当たり前と感じるようになりました。それは外国から観光客などがたくさん日本に来られ、外国人の存在に慣れてきて、違和感・抵抗感がなくなってきているからだと思うんです。対象が外国人に限らず、そのような意識変化がもっと進んで、違いが当たり前のことになるような取り組みを意識して進めていく必要があると思っています。

 

根本:ロンドンではパラリンピックがずいぶんと盛り上がり、またボランティアの参加がすばらしかったと思います。リオは持続可能性というものを前面に押し出して、それと同時に難民選手団という新たなレガシーができました。では東京は何だろう?という点に大いに期待しています。

 

萩本:そうですね。確かにリオのオリンピック・パラリンピックでは、私も難民選手団を初めてテレビで見たときに、ああこういうのがあるんだと思いました。日本開催の際にも、なるほどと思ってもらえるような取り組みができればと思っています。

 

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                 国連はオリンピック停戦を宣言し、
        世界中の人々にオリンピック期間中は武器を置くよう求めています。©UN Photo

 

理想と現実のバランスを取りながら

 

根本:TOGETHERキャンペーンでは、国連が呼びかけ、関連国連諸機関、JICA、市民社会、そして法務省のみなさまにも参加していただいて、みんなで難民・移民を受け入れられるようなオープンな社会について発信していこうと取り組んでいます。局長として、このマルチ・ステークホルダーで進めるキャンペーンについてどのような期待をお持ちですか?

 

萩本:日本だけでなく、国連の加盟国全体で取り組んでいるキャンペーンですから、いま政府全体で取り組んでいる2020年に向けた共生社会の実現と共に、相乗効果で成果を上げられたら、と期待しています。

 

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           法務省もTOGETHERキャンペーンをサポートしています
              (左:根本所長 右:萩本局長) ©UNIC Tokyo



国連広報センター広報官 妹尾:このTOGETHERキャンペーンを日本で広げていく上でのアドバイスがあれば、お伺いできますか?

 

萩本:多くの外国人が来日し、特にオリンピック・パラリンピックで日本の社会が世界から注目を浴びるときに、ハード、ソフトの両面で日本って成熟した良い国だな、と世界から思ってもらえるようにみんなでいまから取り組みましょうって言われると、多くの人が共感して、自分もその一助になることであれば協力しようと思ってもらえるのではないかと思います。

 

その一方で、我々も国内向けの様々な啓発を行いながらいつも思うのですが、平等の大切さや差別はいけないなどと理想ばかり唱えても、現実的には、なかなか自分事として受け止めてもらえないこともあります。でも、現実ばかりを見て対処療法的になると、大きな目指すところを見失ってしまうので、理想は掲げなければなりません。その理想と現実の狭間でどちらにどのくらいのウエイトを置くかというのは難しい問題です。その答えは直ちには出ないので、取り組みながら、ああちょっと理想にばかり軸が傾いていて誰も振り向いてくれないな、となったらもう少し現実に近づいていったり、結局はそのようなバランスのなかで進めていくしかないのかなと思います。

 

また、法務省による啓発活動に関して言えば、世の中には様々な主義・主張を持つ人がいて、それを唱えてはいけないというわけではないですよね。表現の自由もありますし、その主義・主張が国家の政策に反していても堂々と唱えられるのが成熟した民主主義国家です。人権侵害の歴史を紐解くと、最も人権を侵害してきた主体は行政なので、我々が国民の言論活動に良い悪いとコメントしたり、一定の制約をすることは危険をはらむものであるという思いは忘れてはいけないですし、日々反省、自戒しつつ取り組むべき難しい課題だと感じています。

 

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           インタビュー中の根本所長(左)と萩本局長(右) ©UNIC Tokyo

 

違いを認め、その良さを言葉で発信して

 

国連広報センター・インターン 岡嵜:あらゆる人々の人権について考える立場にある萩本局長ですが、普段の生活においてどのように視点を平等にすることを心がけているのでしょうか?

 

萩本:法務省は様々な人権課題を扱い、どこかに特別なフォーカスを当てているわけではないからこそ気づいたことですが、外国人、女性、子ども、障害のある方もみんな、違いは個性みたいなものです。違いがおかしいのではなく、いろいろな人がいるのが社会として当たり前だし、むしろ多様性があるからこそ豊かであり楽しいんだ、と自然に思えるようにするのが一番大事だと思います。法務省は人権課題を絞っていないので、様々な課題に関して関係者の方とお話しするたびに感じるのは、どの課題も根っこは一緒だということです。その同じ根っこにスポットを当て、それを啓発活動の際に対外的に発信していけたらいいなと日々意識しています。

 

インターン 広野:萩本局長は寛容さという点に重点を置いていらっしゃると思いますが、2020年を迎えた後にもレガシーとしてその寛容さを次の世代に受け継ぐために、私たちの身近なことでできることなどアドバイスはありますか?

 

萩本:私は日々の生活の中で違いに気づいたときに、その良さを言葉にして言うことが大事だと思うんです。みんな、違いに対して、「え、なに?」「やだ」とかマイナスな表現はよくしますよね。そうではなくて、「ああいう人もいるんだ、良いね」と違いの良さに目をつけて言葉にして言っていると、人間って流されやすいところがあるので、周りが言っているからそういうものか、と共感する人がどんどん増えると思います。日々の生活の中で文句を言いたくなることはあるし、それをつい口に出してしまうのも人間だから仕方がない気もします。けれど、良いことも楽しいこともたくさんあるはずなので、それをぜひ口に出して発信して周りにも良い影響を与えて、明るい人が増え、その明るいグループをどんどん大きくしていってほしいなと思いますね。

 

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             今回のインタビューの企画・実施に携わったインターンと共に
                       ©UNIC Tokyo







 

日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(12)

        第12回 国連宇宙空間平和利用委員会 科学技術小委員会議長の向井千秋さん

                    ~国の枠を越えた、「UNITE」を実現する宇宙利用を目指して~

 

アジアで初の女性宇宙飛行士として2度の宇宙飛行を果たし、日本の宇宙開発分野に大きく貢献されてきた向井さん。2017年1月からは外務省の嘱託として国連宇宙空間平和利用委員会の科学技術小委員会議長に就任し、世界の宇宙活動の持続的で協調的な発展に関する多くの審議に取り組まれました。理系分野における女性の活躍への期待が社会に高まるなか、東京理科大学の副学長としての試みや、これまでのご自身のキャリアの築き方について、3月8日の国際女性の日を前に幅広く貴重なお話をお伺いすることができました。

(聞き手: 国連広報センター 根本かおる所長)

 

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                                                   向井 千秋(むかい ちあき)さん ©UN Vienna

 

【1952年群馬県館林市出身。慶應義塾大学医学部卒業後、同大学博士号取得。慶應義塾大学医学部外科学教室医局員として病院での診療に携わる。85年、宇宙飛行士に選定された後、NASAジョンソン宇宙センターの宇宙生物医学研究室にて心臓血管生理学の研究に従事。1994年スペースシャトル・コロンビア号、1998年には同ディスカバリー号に搭乗し、日本人として初めての2度目の宇宙飛行を経験。仏国際宇宙大学修士コースの客員教授JAXA宇宙医学研究センター長などを歴任した。2015年4月より東京理科大学の副学長に就任し、2017年1月からは国連宇宙空間平和利用委員会の科学技術小委員会議長を務める。】

 

根本:1月30日から2月10日まで、日本人として初めて、また女性の宇宙飛行士として初めてウィーンの国連宇宙空間平和利用委員会(COPUOS) 科学技術小委員会で議長を務められましたが、どんな感想をお持ちですか?

 

向井:任務が終わってホッとしています。科学技術小委員会の議長というとこれまで男の人ばかりでしたし、科学技術や宇宙というエリアに入ってくる女性は非常に少ないんですよね。小委員会では、議長の私のことを「マダム・チェア」と言う呼び方をしてくださっていて、その「マダム・チェア」という音の響きでも、多くの人に科学技術小委員会のような場所で女性が議長をやっていると感じ取ってもらえたと思っています。ジェンダー平等の面でも貢献できていたらいいなと思いますね。

 

根本:国連宇宙部(UNOOSA)の部長も女性ですよね。

 

向井:そうですね、シモネッタ・ディ・ピッポさんも女性ですし、前任のマズラン・オスマンさんも女性でした。

 

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                                     シモネッタ・ディ・ピッポ国連宇宙部長 ©UN Photo/ Runa A

 

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                                    マズラン・オスマン国連宇宙部長 ©UN NEWS CENTRE

 

 

根本:インタビュー前の打ち合わせで、向井さんと持続可能な開発目標(SDGs)の話で盛り上がりましたが、科学技術小委員会で議論されていることがどのようにSDGsの課題につながっているのでしょうか?

 

向井:小委員会では、各国の宇宙活動のステータス、デブリ宇宙ゴミ)の問題を含む持続可能な宇宙空間の利用方法、あるいは人工衛星を用いて地球環境をどう守るかなど、テーマごとの議題がたくさんあります。SDGsにどうやって貢献していくかという点については、縦割りのテーマというよりは横軸で通しての捉え方になります。2018年に開催されるUNISPACE+50(宇宙空間の探査と平和利用に関する国連会議50周年記念会合)では、国連に対し宇宙がどういう役割を果たすか、というテーマが7つあり、そのそれぞれのテーマが実際にどうSDGsに貢献していくのか、を議論しようとしています。

 

宇宙こそが“UNITE”を体現する場

根本:先ほど、ホッとしているというのが率直な感想だということでしたけれども、議長を務められて、何が大変で、何が醍醐味でしたか?

 

向井:一つはリソースの配分がポイントですね。国連で6ヶ国語に通訳するので6ヶ国分のリソースが必要になるんですよね。だから会議時間内に決められたアジェンダを全部こなしていく、特に最後のアドプション(採択)の場面では、どのくらい議論が出て来るかわかりませんから、時間配分・調整については気を遣いました。

 

二つ目は、皆さんがプレゼンテーションをされるので、時間がないとはいえ十分に皆さんが言いたいことを言える環境を作らないといけません。開発途上国の人でも先進諸国の人でも自由に意見を言える雰囲気を作っていくということが難しいし、醍醐味だと思いました。

 

もし私がもう1回議長をやることになったとしたら、UNOOSAや国連の自体の枠組みのなかでもっと宇宙について取り組めたらなと思います。なぜかというと、今の一番の悩みが、宇宙に限ったことではなく、国連も“UNITED”というように、みんなでUNITEしようよ、という意味で戦後に作られた体制が変化しようとしていることです。ヨーロッパも、それぞれの国が“UNITE”してヨーロッパ連合(EU)を作り結束する方向だったのが、今やブレクジットでイギリスがEUを離れようとし、アメリカではトランプさんが「アメリカ・ファースト」を唱えていて、“UNITE”ではなくて孤立の方向に振り子がふれているように感じます。

 

国連の議論においても私が期待をしているのは国の枠を超えた人類としての観点での議論ですが、どうしてもその前段階で各国の国益がぶつかりあっていると思うんですね。でも宇宙というのは1967年に宇宙条約が締結し、宇宙は海や空みたいに国の領域はなく、どの国にも属さないと定義されています。つまり宇宙のリソースはみんなが共有する場所なのです。だから本当の意味で各国が“UNITE”して、違いから学びあって、同じであることを慈しんで、そして国連の本当の意味でのスピリットを出せるのは、宇宙なんじゃないかと思うんですよね。

 

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                  科学技術小委員会議長を務められる向井さん (シモネッタ・ディ・ピッポさんTwitterより)

 

根本:宇宙からみた地球の写真をみると、謙虚な気持ちになれるのは何故だろうと思っていたのですが、なんだか腑に落ちました。

 

向井:もちろん自分の国や街、家族を良くしていくために取り組むことは、していかなければならないことですが、まずは一度問題解決をするときに、国や、自分が所属している組織などの枠の一つ大きい垣根で物事を考えてみると、今まで壁に当たって考えつかなかったものが考えられるのではないかなと思います。

 

根本:宇宙では多国籍のチームと協力し、また閉鎖された空間のなかで長期間チームとして活動されていたかと思いますが、その時の躍動感やチームスピリットというのは、今の世界の宇宙開発の議論に参画されているなかで活きていますか?

 

向井:まず宇宙はなぜ一つでまとまれるか、というと、共通の目的を持っているからです。みんなで取り組まないと事故や問題が起きたら生存できない、あるいは自分がやろうと思っていたミッションがあるとしても、1人でやれることには限界があって宇宙飛行士だけでなくて地上のチームとみんなで連携しないと仕事ができないんですね。だから連携することが当たり前だと思っています。同じ意見の人とチームを作れば楽かもしれないけど、ダイバーシティがあるなかで各々がリーダーシップと共通の目的を持つことで、初めて強いチームが出来ます。ダイバーシティはウエルカム、違う意見もウエルカム。そうでないと、どんなに出来る人でも自分の見落としている部分や、新たな発想は見えてこないからね。

 

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                 1998年 軌道上にて、スペースシャトルディスカバリー号のクルーたちと共に ©JAXA/NASA

 

であること

根本:向井さんは、本当に色々と「初」という冠のつく肩書きが多いですね。どうやって未知の分野、誰もやったことがない立場を色々と切り開いていくことが出来たのでしょうか。怖くないですか?

 

向井:怖いっていうより、どっちかというと面白いです。人間って知らないものを見たら、ドアを開けてみてみたい、聞いてみたい、食べたことないものを食べてみたい、って誰でもあると思うんですね。私はそこが自分のちょっと悪いとこでもあって、面白そうってうちに、どんどん仕事の数が増えちゃって(笑)。 最近は年取ってきて、昔みたいに3日で出来ると思ったものが出来なくなったりしてるから、あんまり引き受けすぎてしまうと皆さんに迷惑がかかるので、調整をするようにはしています。ですが、本来は話を聞くと、「何それ、おもしろそう、私知らない、教えて教えて」ってなります。

 

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                                                           インタビュー中の向井さん ©UNIC Tokyo

 

根本:子どもの頃から好奇心の塊だったんですね。宇宙飛行士分野では「アジアで初の女性飛行士」、今回の小委員会の議長は「日本人として初」ですよね。そういうところで、背負ってしまう部分や身構えてしまう部分はありませんでしたか?

 

向井:そういう“初”というのってグループ分けを小さくするから初になるだけであって。「向井さんは女性初の宇宙飛行士ですよね」って言われると、「うん、まあそうなんですけど、群馬県館林初の飛行士ですから」っていうんです。私だって、ガガーリンみたいな、まだ、本当にそういう空間で人が生きられるかも分からないところに挑戦していった人類初の取り組みはすごいと思います。でもその後の、新聞見出しになるために、グループ分けを小さくして“初”になっても、誰だって何だって“初”なんて作れるよ、って思ってしまいますね。もちろん、それによって地元の人が喜んでくれたりするのはとても嬉しいです。でもだからといって、私が初だから、ということで背負い込んだりすることはないですね。

 

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                         1994年 スペースシャトル・コロンビア号搭乗クルーとなった向井さん  ©JAXA/NASA

 

理系専攻を仕事につなげる流れを作りたい

根本:ウイーンでは、科学における女性・女児の国際デーに向けたパネルディスカッションで登壇なさっていましたね。まだまだ科学分野、理系、STEM分野での女性の割合が少ないですが、どうすればもっと女性がこの分野で活躍できるようになるでしょうか?

 

向井:まずは母集団が少ない。この分野に女性をいれる努力は今まで沢山の人がされてきて、中学生や高校生が理科に触れ合う機会は増えていますし、理科が好きな女の子もいっぱいいるんです。でもそれだけでは不十分で、今私が副学長を務める東京理科大でやろうとしていることは、流れを作る、つまり東京理科大にきて勉強したり、理系を面白いって思ったことを仕事につなげていく出口をつくることです。研究職や企業勤め、教員など、もっともっと出口がたくさんあるようにしていかないと、入り口だけ増やしても意味がないと思います。

 

また、理科系を勉強して将来マネジメントをしてもいいわけですよ。理科系にはいると、学部の縦の繋がりのなかでのみ自分の将来を考えがちですが、そうではなくて、学んだことを使って違う分野に、私が医学を学んで宇宙に飛び出したように、違う分野に飛び出していってもいいと思います。自分の将来を広げていくような考え方を学生たちが持つようになれば、元々理科が好きな人たちが理科系に進むことが増えるんじゃないのかな、と思いますね。

 

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                           「女性の宇宙(Space for Women)」の会議に参加する向井さん ©UNOOSA

 

向井:私は幸か不幸か子どもがいないので、24時間を自分のために使ってきましたが、やはり男の人もふくめて、自分がやりたいと思ったキャリアをバランスをとりながらやっていけるような環境を作らないといけないと思いますね。今はITも進んでいて、必ずしも仕事場にいかなくても、仕事が出来ますし、自分の努力だけではなくて、社会で子育てや介護をする、社会の努力で出来るようになる仕組みをつくらないといけないと思います。

 

自分の体験から共感を見つけて 

根本:向井さんは現在、東京理科大学の副学長として、国際化の推進という大きなテーマにも携わっておられます。最近の若者は内向き思考であるとよく言われますが、彼らが世界に足を踏み出すにあたってどのようなメッセージを送りたいと思っていらっしゃいますか?

 

向井:やはり、世界中の人たちはどこに住んでいようと、どの言葉を話していようと、結局人としては同じだと心に留めておくことです。例えば、母親が子どもを心配する気持ちだとか、自分が恋した人を愛する気持ちなどは、日本人であれどこの国の人であれ同じです。また、自分が大事にしていた人やモノをなくすこと、それは交通事故で亡くすにしても戦禍の下で亡くすにしても、その時に流れる涙も同じです。そのように考えると、例えばテレビの映像で爆弾を踏んで足がなくなってしまった子どもを見た際に、自分の子どもに置き換えて考えてみると、やはり涙は流れるだろうし、理不尽な悔しさも生まれます。また、自分が好きな食べ物を美味しいと思うのと同じように、相手も同じものを食べて美味しいと思ってくれるんだと気づいたりすると、相手の国が好きになってみたり、とどのつまり皆同じ人間なんだと思うことができます。そのようにして私たちが共感し合えること。それが本当の意味での国際化なのかなと思います。

 

根本:必ずしも国際化とは世界に行くことではなく、やはり普遍的なメッセージを読み取って、共感し、痛みがわかるところが基本なんですね。

 

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                                                            対談中の根本かおる所長 ©UNIC Tokyo

 

向井:その共感に至るために、やはりコミュニケーション手段として英語ができたほうが良いし、社会についても勉強していたほうが良いと思いますが、それらはツールだと思うんです。けれど、そのツールだけを教えても、こういうことをやってはいけないとか、こういうことをやらなければならないとか、自分の中から湧き上がってくる感情が大元にないと、ツール自体を使えないですからね。だから、自分の体験の中から勉強するということが大事なんじゃないのかな。

 

自分のプライオリティを選んでいく

インタビューに同席した国連広報センター インターン岡嵜:

これまで向井さんがご自身のキャリアを選ぶ上で、数多くの選択肢の中からどのように歩む道を選んできたのですか?

 

向井:やはりそれは自分の中のプライオリティじゃないでしょうか。人間って1日24時間しか時間がないし、自分も必ず死ぬということを考えると、いくらお金を持っていたって偉くたってみんな平等です。だからその人生をどのように使うか?私の場合、人生が終わるときに、もう一度生まれ変わってもこの人生をやりたいって思えるような人生が一番良いものだと思っています。

 

私は小さい頃からオペラ歌手になろうと思ったり、スキーのオリンピック選手やパン屋さんになりたかったりと夢がたくさんある好奇心旺盛な子どもでした。でも、脚の不自由な弟と一緒に過ごすなかで、苦しんでいる人たちを助けたいという気持ちが常にあったため、数多くのやりたいことがある中でも、一番強かった夢は医者になることでした。

 

そうやってプライオリティを選択していく上で大事な事は、自分でそれを選ぶ事です。自分で選ぶと後悔しないですから。お父さんとか、お母さんとか誰かが選ぶと、辛い時に文句が言いたくなって、逃げ道を作っちゃうんですね。辛い時って自分の選んだ道でもいくらでもあるし、好きでやってる仕事だって辛いことはたくさんあるけれど、自分で選んだからしょうがない、って自分を納得させて考えることができますから。

 

『女性だから』と言い訳をしない

国連広報センター インターン城口:

これまでのキャリアにおいては、今ほど女性の活躍が推進されていた時代でもなく、悔しい思いをされたこともあったかと思いますが、どのような思いでご自身の道を突き進まれてきたのでしょうか。

 

向井:私は仕事に関して、例えば失敗した時などに、その理由を女だからとか男だからとか、そういう言葉で考えないようにしてきました。日本人だから失敗したの?アメリカ人だったら成功してたの?というふうに考えると、別にどの国の人であっても自分が成功するかしないかだけなんです。女だから失敗した、というように性別によって自分を納得させるのではなく、男であれ女であれ日本人であれアメリカ人であれと考えて、逃げられない状況を作ったほうが良いです。自分の能力が達していなかったからこの仕事が失敗したんだって思うようにね。私はそういう風にやってきていて、同じように他の人のことも評価しています。実際は、『〇〇だから』って、多くの人が自分で垣根を作っちゃっているけれど、仕事が良い悪いというのは、その人ができる能力なり環境にあるかであって、女性とか男性とかじゃないと思うんですよね。

 

根本:3月8日の国際女性の日に向けて、女性のロールモデルとして活躍されてきた向井さんからエネルギーが欲しいという女性たちに一言メッセージをいただけますか。

 

向井:いや、女性はみんなエネルギーあります!(笑)だから、自分が今やっていることで本当に良いと思うことを、仲間を作って進めていくことですかね。やっぱり1人じゃできないこともあるから、自分に追い風を吹かしてくれるような同志を見つけること。私は女性は一般的にはかなりエネルギーがあると思うけど!

 

あと、女性はやろうと思ったならば見栄も外聞もなく、ばんっと実行できるような勢いもあります。お互いがwin-winの関係になるような解決策を見つけ出すことも得意だと思うし、そのような強みのある分野に女性がたくさん入っていくことも良いと思いますね。

 

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                                インタビュー後の記念撮影。向井さんと根本かおる所長(左)©UNIC Tokyo

 

 

日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(11)

                     第11回 CERF(国連中央緊急対応基金)諮問委員会委員/
                             国際協力NGO JEN代表理事の木山啓子さん

                     ~市民社会の代表として等しく尊い全ての人のために~

 

今、人道問題は史上最悪ともいえる状況にあります。世界の難民・国内避難民の数は6530万人に達し、気候変動などによる災害も絶えません。そうしたなか、国連の機関の中でも重要視されているのがCERF(国連中央緊急対応基金)の存在です。この基金の諮問委員会に現在日本人として唯一参加しているのが、今回お話しを伺った木山啓子さんです。諮問委員としての活動や、市民社会国連の在り方、危機的状況にある人道問題などについて木山さんにお話を伺いました。

(聞き手: 国連広報センター 根本かおる所長)

 

 

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                                          木山啓子(きやま・けいこ)

                                            認定NPO法人ジェン(JEN)代表理事

1994年、JENの創設に参加。紛争中の旧ユーゴスラビア地域代表として難民・避難民支援活動に従事。緊急支援が依存を生むことに着目し、24に及ぶ国と地域で緊急自立支援活動を展開してきた。JENは現在、アフガニスタンパキスタンイラク、ヨルダン、スリランカと東北、熊本で活動している。2005年日経ウーマン誌のウーマンオブザイヤー大賞。2016年9月より国連中央緊急対応基金(CERF)諮問委員。

 

 

                                                         www.youtube.com ©OCHA 神戸事務所

 

CERFの特色・仕組み

 

根本:木山さんは、国連機関の諮問委員などにメンバーとして任命、参加されるのは今回が初めてですか?

 

木山:はい、初めてです。私の他に7名の新たなメンバーが加わり、新メンバーでの諮問委員会が昨年10月末に行われたのですが、非常に興味深かったです。
CERFはまだ知名度が低いという現実がありますが、
CERFの忘れ去られた危機へのアプローチは、1番感銘し、共感しているので、もっとCERFを知ってもらう努力をしていこうと思います。

CERFの諮問委員のメンバーの中には、CERF立ち上げから携わっている人々もいて、財政支援を提供する国の色づけをしないからこそCERFは、高潔な基金で、尊いのだとおっしゃっていました。ただ、資金を出す側からの、何に使われたのかが判るほうがアピールにもつながるという意見も理解出来ます。

諮問委員の役割の一つとして、まずCERFを広報していかなければなりません。私自身もCERF自体の存在は知っていましたが、具体的な内容は諮問委員になるまで知りませんでした。メリットデメリットも含めてもっと多くの人々、団体に知ってもらう活動をしようと考えています。

昨年末にOCHA神戸事務所の方ともお話しすることが出来て、CERF諮問委員会の報告会などをやってみてはという話が出ています。CERFの存在自体、まだ国際協力NGOの中ですらあまり浸透していません。少しずつでもCERFの存在、仕組みを知ってもらうことが大事だと思っています。

 

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                                   インタビュー中の木山さん ©UNIC Tokyo

 

CERF基金10億米ドル目標達成までのロードマップ

 

根本:CERFは新たに1ヵ年において2018年までに基金を10億米ドルに増やすという目標を掲げましたね。この目標を達成するには、あと2年の間に基金を倍以上にすることが必要という現状ですが、CERF内、CERF諮問委員会の中でその目標を達成するための道筋などについてはどのように議論されていますか?

 

木山:実は昨年10月の諮問委員会もそれがメインテーマでした。普段、諮問委員会は年に2回秋がニューヨークで、春がジュネーヴで行われていたのだそうですが、今回はわざわざ順番を変えて春にニューヨークで行い、それによって潘基文(パン・ギムン)事務総長(当時)にも委員会に参加して頂くことが出来ました。その結果、この新たな10億米ドル目標を掲げ、この目標の認識を更に深めることが出来たと聞いています。10月末の諮問委員会では、目標達成のために事務局に提出された多くの案のうちの一つの新機軸のアイディアにフォーカスして話し合いました。

 

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      1994年 ネパールでブータン難民支援活動中に子どもたちと(木山さん提供)

 

根本:CERF諮問委員会では色々な国の人々と議論されると思うのですが、お国柄の違い、あるいは発想の違いを感じることはありますか?

 

木山:7割くらいの方が外交官なので、話し方や進行の仕方などは勉強になりました。CERFが方向転換したときから密接に関わっているという委員の方が新機軸の資金調達増強策の案に対して強く反対されたときに、冷静に議論の流れを建設的なほうに持っていくことが出来る方が何人もいらして、とても勉強になりました。

 

NGOという立場からの国連

 

根本:そもそも何がきっかけで人道援助の世界に身を投じることになったんですか?

 

木山:友人からのアドバイスがきっかけです。アメリカで修士号を取得後、日本に帰国して一般企業で受付の仕事をしていたときに、その友人から、「世界中で大学レベルまでの教育を受けられる人は5パーセントにも満たない。修士の勉強までしているのに、もっと直接的に世界のために貢献できる仕事をすることを考えて」という助言を受けました。自己イメージが低かったので、国際貢献なんて出来るか不安でしたが、それがきかっけとなり、今に至ります。

 

根本:木山さんはJENのトップというだけでなく、日本においてはジャパン・プラットフォームの共同議長もなさって、今回全ての経験をベースに日本出身として一人だけのCERF諮問委員会委員になられましたね。ご自分の所属する組織や業界を越えて、国やコミュニティー全体のために代弁する立場に立ったからこその手ごたえ、やりがいはありますか?

 

木山:“どういう世界をつくっていけば良いのか”と全体像から考えて問題に取り組んでいく姿勢が大切だということは以前から考えていたのですが、その大切さをより強く意識するようになりました。この姿勢は例えば、なぜシリアの問題が起こっているのかを考えるときに、5年後10年後に難民の方々がどうなっていくことが大事なのか、この人たちの幸せのためには他の方面がどうなっていけば良いのか、つまり、対症療法をするときにでも、根本解決を念頭に、という考え方をすることです。CERF諮問委員会委員のメンバーに加えていただいたことで、更に世界全体がどうなったらよいのかという視点を強く持つようになりました。

 

根本:木山さんは一貫してNGOからの立場で人道問題に関わっていらっしゃいますが、木山さんから見て国連はどんな存在ですか?

 

木山:1994年のネパールでの支援活動のときからUNHCRと付き合いがあり、他にもUNICEF、WFPやUNDPなど色々な国連グループの方々と仕事をしてきました。現場で働いていたときの第一印象は、大きすぎて掴みどころがないということでした。でも、CERFの諮問委員会委員にしていただいたことで、今までは、頭でしか理解していなかったことですが、国連も、ひとつひとつの機関が問題解決や目標達成のために動こうとしている組織のかたまりだという実感をし始めました。

委員として活動するようになったからこそ、CERFならではの悩みがあることにも気づきました。CERFは基金を各国連機関に提供して、各機関がCERFからの基金などをもとに支援活動をしています。そのシステムの中で、CERFのアイデンティティとは何なのか、どんな仕事をしているのかを説明するときにどうしても難しさが生じることがあります。例えば、もし仮にCERFがこの国の難民を助けていますと報告したとしても、その支援を現場で実際に行っているのは他の国連機関だと言われてしまいます。それは緊急援助を行っている日本のNGOの中間支援組織であるジャパン・プラットフォームと似ているなとも感じました。

そうやって身近なものとして捉えてみると、国連でもNGOでも、ひとつの組織として動いていくために大事なことは一致しているし、国連もトップのリーダーシップのもとに動いている、大きいけれど1組織には変わりないんだなということを改めて認識しました。

このような難点に立ち向かっていくためには、CERFで掲げている目標や計画、そしてそのプログラムを明確にして、その方針から外れる機関に対しては、基金を配分できないという姿勢をとることでCERFの使命・方針を全面に出していく必要があると思います。

 

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     2014年11月 ヨルダンのホストコミュニティーにてシリア難民の子どもたちが
     JENの活動のひとつである衛生キットを実際に使っている様子(木山さん提供)
    

 

史上最悪とも言われる人道危機に立ち向かうには

 

根本:昨年は世界人道サミットもあり、初めて人道のコミュニティー、開発のコミュニティー、政府、市民社会、そして国連機関が一同に会しました。サミットでは、史上最悪ともいわれる人道危機について話し合われましたが、木山さんはどのように今年この一年を乗り切っていこうと思っていらっしゃいますか?

 

木山:おっしゃるとおり状況は極めて悪いです。けれども、この状況を変えていくことが出来るのが人間だ、人間が作ったことは人間が変えられると信じて、今までも、そしてこれからも取り組んでいくつもりです。

その中でも、「連帯していくこと」が重要なんだなと感じています。連帯するということは、まったく違う意見を持った人々とも寛容につながっていくということです。対立を深めるのではなく、お互い建設的な連携姿勢で取り組むことが大事だと思います。難しいことではありますが、どれだけこれを実践していくかというのが自分自身の人間力を高めていくことにもつながると思っています。また、世界の構造的な問題にどのように対応していくかということを色々な人たちと手を取り合って一緒に考えていきたいと思っています。

 

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                    会談中の根本所長 ©UNIC Tokyo 

 

根本:今年からグテーレス新事務総長が着任しました。彼は10年余り紛争が原因でふるさとを追われた人たちに寄り添ってきた人ですから、いかに根本治療をしなければいけないかということは、いやほど知っている人です。そんな新たな事務総長のもとでのCERFの今後の展望についてお聞かせ下さい。

          

木山:CERFでもプライベートセクターを巻き込んで、資金を提供してもらうということは必要だと認知されてきています。根本治療とおっしゃられていましたが、人道問題の解決に関してもプライベートセクターを巻き込まずには根本的解決は出来ないのではないかと考えていて、この方向もCERFにおいて視野に入れていく必要があるのではと思います。

           

           

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           2015年8月 ヨルダンのザータリキャンプ内で
         女性の衛生教育をしている場所についてきた少女と(木山さん提供)

 

 

海外・国内両方の支援現場での経験を通して

 

根本:木山さんはJENやジャパン・プラットフォームでも、海外ではもちろんのこと、日本の震災被災者にも寄り添ってこられましたよね。国内と海外での人道的な危機をつなげてご覧になってきて、新たに見えてくる日本の風景はありますか?

 

木山:東日本大震災のときに痛感したことがあります。日本の教育のあり方はいかに規則を守るか、もしくは教えられたことを教えられたとおりにやれるかが大事だということが最優先になっています。つまり、言い換えれば、教えられていないから出来ませんという発想になりやすいです。依存心が強く、自分の頭で考えられる教育が成り立っていないのではないかと懸念しています。確かにルールを決めた以上守ることは大事ですが、ルールは人を守るため、地球を守るためにあるはずであって、ルールを守るためにルールがあるわけではないということを忘れがちになっている気がします。考える力を自由に伸ばすような教育が必要になってきています。

具体的なエピソードとして、例えば海外の支援活動ではいくら緊急事態であっても、緊急支援を提供しながらも、少なくとも数週間から数ヶ月先までを予測してそれに対して支援計画を練るというのが当然です。しかし、東日本大震災のときは、同じような発想で取り組もうとしている人々になかなか現場で出会えませんでした。ですから、その分被災された方に負担が長く続いてしまいました。先を見越して計画される支援活動が少なかったことは、未だに仮設住宅に住まざるを得ない方々がいるという状況の一因になっていると思います。

 

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       2011年3月 東日本大震災の支援現場での木山さん(木山さん提供)

 

根本:支援現場で実際に被害に遭われた人々と関わっていく上で、一番必要な力、スキルはなんでしょうか?

 

木山:かわいそうな人だと思わないことだと思っています。等しく尊い一人の人間であるということを、状況が悪いとつい忘れがちになってしまう人がいると思うのですが、支援を受ける側の方々にも、もちろん各個人として優れている部分も得意ではない分野もそれぞれあります。人間としての価値には優劣がなく、それぞれが等しく尊い存在だということを忘れないようにすることが大切だと思います。そうでないと、自立する力を発揮する機会を奪い、結果的に復興が長引きます。

 

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      1994年 ネパールのブータン難民キャンプにて子どもたちと(木山さん提供)

 

根本:そのような思いに達したのはいつ頃ですか?

 

木山:1994年にネパールでブータン難民の方と出会ったのが1番はじめのきっかけです。土間みたいなところをまるで神社のように綺麗に保っていて感動しました。その当時は背中を支えるというか、少し後ろからサポートすることが大切だと思っていました。

ただそんな考えに変化をもたらしたのが、フィリピンで少数民族への支援を行っている友人から聞いた言葉でした。友人は少数民族の人々に「あなた達が私たちの上に乗せている足をちょっとどけてくれればいい。」と言われたそうです。

この言葉は日本で私たちが人材を育成をする際にも、気をつけなければいけない点かもしれないのです。伸びる場を作れば彼らは伸びるのに、教えよう、引っ張ろうとしすぎて逆に邪魔をしているのではないかと疑問に思うときがあります。

これは難民支援においても同じことで、難民自身にもっと自由があれば、もしくは難民として逃げた先の国での制限をもう少し少なくすれば、彼ら自身で仕事を生み出して、現地の人々を雇っていけるようになる可能性もあるのではと思います。

 

根本:JENのプロジェクトもそのようなコミュニティー支援が中心となっていますか?

 

木山:そうしたいのは山々ですが、全ての事業で実施しているとは言えない状況です。例えば、今、水すらないという人々に効率的に水を提供することが命に関わるという緊急事態では、コミュニティの巻き込みは必須ですが、自立の要素までを入れ込むと時間がかかり過ぎる場合もあり、容易ではありません。それでも、自立支援をもっと強く進めていきたいとは考えています。大分状況が落ち着いてきているスリランカなどでは、それこそシームレスな自立支援の色の強いプロジェクトを行っています。

  

 

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                      JENのモットーであるENs of JEN JENの事務所にて ©UNIC Tokyo 

 

これからの世代の人々へのおもい、エール

 

根本:最後に、これからの世代へのメッセージや思いをお聞きしても良いですか?

 

木山:日本にも、様々な状況の若者がいて、貧困も存在します。どのような国や状況に生まれて育っても、本当に学びたいことを学び、送りたい人生を送れれば、困難を乗り越えた人々が世界中の困難な状況にいる人々をサポートする側にまわってくれると思います。それこそ、私たちの足を、そんな次の世代の人々からどけるようにしながら、彼らが枠にとらわれずに自分の可能性を信じて活躍できるようなサポートをしていきたいです。

 

    f:id:UNIC_Tokyo:20170118172313j:plain      インタビュー後に記念撮影 (左:木山さん 右:根本所長) ©UNIC Tokyo

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (8)

長谷川祐弘(はせがわ すけひろ)さん

 

-平和構築の現場から体得した紛争予防と国際支援の在り方-

 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」第8回は長谷川祐弘さんです。1969年以来、国連開発計画、国連ボランティア計画、国連平和維持活動で要職を歴任されてきました。カンボジアソマリアそしてルワンダでジェノサイド直後から現地で活動し、混乱の中で東ティモールの平和構築に尽力された長谷川さん。長年にわたり紛争の現場で平和維持活動に従事されたご経験に裏付けられた、貴重なお話を伺うことができました。

 

第8回:元国連事務総長特別代表(東ティモール担当)長谷川祐弘(はせがわ すけひろ)さん

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【1978年から、ネパールとインドネシアにていずれもUNDP常駐副代表を務め、1984年より南太平洋地域における国連常駐調整官兼UNDP常駐代表として任務を遂行。1986年にUNVジュネーブ本部事務局次長に就任した。その後、カンボジア総選挙におけるUNV選挙監視団統括責任者や、第二次国連ソマリア活動(UNOSOM II)政策企画担当部長、ルワンダ国連常駐人道調整官等として要職を歴任。1996年に、UNDPニューヨーク本部においてアジア太平洋地域局次長に就任し、1999年にUNDP駐日代表、2002年4月に緊急危機復興に関するUNDP総裁顧問を歴任した。2002年7月から2004年5月まで国連事務総長特別副代表(東ティモール担当)及び国連東ティモール支援団(UNMISET)副代表を務め、2004年5月に国連事務総長特別代表(東ティモール担当)に任命され、同時にUNMISET代表となる。その後、2005年5月に設置された国連東ティモール事務所(UNOTIL)代表として、2006年9月まで国連事務総長特別代表(東ティモール担当)を務める。】

 

虐殺後のルワンダで体験した厳しさ

根本:長谷川さんはこれまで色々な組織、地域で働かれてきました。中でも、ルワンダには94年の虐殺の直後に現地に国連常駐調整官として勤務されましたが、どのようなご経験をされましたか?

 

長谷川:現地に着いて国連機関の本部事務所が集まった敷地に入っていくと、まずお墓が目に入りました。24人の殺害された現地職員の名前が刻んでありましたが、実はその人たちは国連側から迎えのバスが来ると言われて待っている間に殺害されてしまった、という話を聞きました。危機の状況に至った時に誰を救出して避難させるかという事案は、国連の活動に関して長く議論されている課題の一つでもあります。国連の国際職員を救出することは決まっていますが、いつも問題になるのは現地職員をどうするかという点です。ルワンダの一例でも、現地の職員たちを見放してしまい、結果として殺害されてしまった方々が多かったのです。

 

また、首都キガリにある私の事務所にいた時に、カラシニコフ銃を持ったRPF (ルワンダ愛国戦線)の少年兵が入ってきて危機的な状態になった事がありました。彼らは私の部下であるルワンダ人の職員を逮捕したいと引き渡すように要求してきました。彼ら少年兵の多くは家族をフツ族に殺されています。そして、私の部下がフツ族であるから虐殺に関わっていたはずだという理由で、彼を逮捕するよう命令されて来ていたのでした。少年兵の半分くらいは麻薬にかかったような心理状態であり、かつ武器を所持しているので、私たちの説得に応じようとはしなかった。しかし、不当な要求を受け入れることを拒否することになると、人間と人間との間の対決というか、腹の見せ合いになりました。結局その日は、少年兵は引き下がり、私の部下を連行することを諦めました。しかし、翌週の月曜日に部下は事務所に現れませんでした。実は彼は土曜日に自宅にいたところを逮捕されていたのです。その後刑務所に行って彼に会いましたが、このような普通ではあまりない経験をルワンダではしてきました。

 

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         1995年 ルワンダ国家警察に対して演説をする長谷川さん(長谷川さん提供)

 

部門間の調整力を現場で鍛える

根本:長谷川さんは開発や紛争後の国づくりなど、幅広く活躍されてきたのですね。これまで携わってこられた様々な分野の間の繋がりについて、どのようにお考えですか?

 

長谷川:開発も平和維持活動も、すべてのことが蜘蛛の巣のように繋がっております。ですから、特定の事柄を一箇所だけ注目したり、起こっている事柄の進行状態を一本の線としてだけを見ていては不充分だと思います。先日グテーレス事務総長が国連の各部門が一緒になって仕事をしなければならない、部門を統合する決意を表していました。その必要性が多々あります。課題は、ただ書類を読んでいるだけでは繋がりは見えないので。やはり実際に各部門に入って仕事をすることで、いかに各部門に繋がりを作ることが難しいかを熟知する必要があります。

 

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         2004年8月 東ティモールにて、同国シャナナ・グスマン元大統領(右)、

             マリ・アルカティリ元首相(左)と(長谷川さん提供)

 

根本:そのような組織間の繋がりは、どのようにして可能になるのでしょうか?

 

長谷川:各部門が協働するためには、主に二種類の統合を実現することが重要です。第一に、物理的な統合です。私が初めて現地に行ったのは、UNDP常駐副代表としてネパールを訪れた1978年ですが、その時、私自身、ネパールで国連ハウスの建設に関わりました。国連の各部門が同じ建物に入り、皆が密接な交流関係を保ちながら一緒になって仕事をすることを目指しました。また、現地において、国連機関、例えばUNHCRとUNICEF、が運搬車などを共同で使うことも物理的な統合の一例です。

 

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        2006年8月 ラモス・ホルタ東ティモール元大統領と(長谷川さん提供)

 

第二に、人事の交流です。これは国連機関の間で施行されているようで案外行われていません。UNDPで働く中堅レベルの方がUNICEFに行って、1年間してまたUNDPに戻ってくるというような例はあまり無いですね。組織と組織を移動すれば、異なる役職を担うことで知見を広げることができます。その点から、人事の交流を頻繁に行うことは統合を実現するための手段と言えます。

 

根本:その通りですね。私も2年間UNHCRから国連WFPに出向しました。自分でポストを見つけて応募したわけですが・・・。様々な機関で働くことはとても良い経験であって、思考回路の違いを見出したり、多方面を見ることができるのは非常におもしろいと思います。

 

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                対談中の根本かおる所長 © UNIC Tokyo

 

政策と理念を如何に統合するか

長谷川:「統合」を達成していく上で最も大事な事で、それと同時に実現がとても難しいのが、「政策と理念の調整」だと考えています。

 

その難しさの一例として、私がルワンダにいた当時に起きたキベホ避難民キャンプでの虐殺が挙げられます。ルワンダ南西部に位置したキベホ避難民キャンプでは当初、フランス軍が避難民を保護していましたが、フランス軍の撤退後はUNAMIR(国連ルワンダ支援団)がキャンプを統治していました。しかし、当時のルワンダの新政府は、インターハムウェと呼ばれる前政府の民兵がキャンプで避難民の中に紛れているとして、キャンプの閉鎖を要求したのです。避難民が新政府によって虐殺される恐れがあるため、強制閉鎖はさせない、というのが、国連、特にUNHCRの固い理念でした。一方で、新政府にとっては、インターハムウェによるキャンプの支配は国家の安全保障に関わる緊急の課題でした。結果として、国連が政府軍の代わりに避難民を帰還させるという政策を立てましたが、帰還予定の当日は想定外の大雨となり、国連の用意した車両は舗装されていない、雨でぬかるんだ道を移動することが出来ませんでした。すると、待機していた避難民の中でまず動き出してしまったのは子どもたちで、匿われていたキャンプから逃げ出そうとしたのです。そして、政府軍が彼ら避難民に対して発砲し、国境なき医師団によると約8000人、国連によれば4000人が犠牲となった悲劇が起きました。

 

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       1995年4月 キベホ避難民キャンプの様子(長谷川さん提供)

 

このキベホ避難民キャンプの例が示すように、政策と理念の統合というのは非常に難しいですが、それが上手くいかないと、悲惨な結果となってしまいます。政策と理念を調整し、起こっている問題に対してどのように解決していくかを皆で話し合うとき、私は虚心坦懐な気持ちでいることが重要だと思います。それは、世の中に一つしか正しいことがない、ということはあまり無く、見方により、社会により正しいことは変わってくるからです。しかし、だからと言って普遍的な価値観がないかと言えばそうでもなく、それを守っていくためにはどうしたら良いかと考えることが、私が経験して学んだことです。

 

紛争の種は人間の心の中にある

根本:新しく就任したグテーレス事務総長は紛争予防の重要性を強調していますが、御自身の経験を通して、長谷川さんは紛争予防のためにはどのようなことが必要だと思われますか?

 

長谷川:平和構築や平和維持の活動において一番核心的なのは、実りのある紛争予防を行うにあたって、紛争の種は人間の、そして指導者の心の中にあると認識することです。人間は理性的で優しいということではなく、非常に貪欲で危険な生き物です。南スーダンにおけるサルバ・キール大統領とリアク・マシャール元副大統領の争いも、権力や富に対しての欲望に基づいています。ですから、人間の基本的な貪欲さを理解し、それを十分に取り入れた上で対処をしていけば紛争予防も可能になると考えます。

 

もう一つ重要なのは、国家の基盤となる確固とした政府機構を築くことです。アフガニスタンでは、冷戦が終結して1989年にロシア軍が撤退した後に、政府が汚職をしたり、国民を弾圧したりするなどして腐敗していました。そして、国民の政府に対する信頼が少なくなった時にタリバンが台頭し、アフガニスタンの紛争が続きました。このように、紛争予防の場合には、政府という国の土台をしっかりと作っていくことが大事だと思います。

 

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2005年2月 国連事務総長特別代表(東ティモール担当)として国連安全保障理事会で発言する長谷川さん © UN Photo

                      

 

意図と行動に一貫性のある、ビジョンを持った国際支援を

根本:そのような人間を理解しようとする力や、人と人とを繋ぐ能力、相手のオーナーシップを尊重したり、組織の活動に対して正当性を与える調整力などは日本人の多くが資質として持っているものであり、国連の活動において非常に有益に活用できるものではないかと思いますが、国連で働く日本人職員にはどのような期待をお持ちですか?

 

長谷川:日本人の国連職員の活躍に関しては、他のアジア各国を見ていても相対的に実感する事ができます。日本人職員数がなかなか増えないというもどかしさもある一方で、現在国連で働いている日本の方々はとてもよく活躍されていますし、職員の底が厚いですので、その点は自信を持って良いのではないでしょうか。

 

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     2006年9月 コフィー・アナン国連事務総長とニューヨークの国連本部にて © UN Photo

 

根本:日本は非常に多額のODAを出している一方で、その実行段階の政策に関してあまり注文を出さないできたという現状があるように思われます。日本は今後、ODA国連の場において、国際支援をどのように行っていくべきでしょうか?

 

長谷川:日本が政策面においてあまり要求をしないというのは、その支援を通してどのような結果を願うのかというビジョンが充分とは言えないからかもしれません。国が国連を通じて政策を推進し、自らの国益にも繋げるためには、その支援をする結果にどのようなことが達成されるべきか、というはっきりとしたビジョンを持つことが重要です。哲学者イマニュエル・カントの思想にも関連しますが、慈善活動でお金を寄付する際に大事な点は、その動機と行動が一致していることです。

 

例えば、企業が自然災害の被災地に対して寄付をしたとき、その事実を新聞に掲載して株主に知らせたり、税額の控除が目的である場合は、寄付の行為はその意図と行動に一貫性がないということになります。同じように、他の国が支援するから、お付き合いとしてするという動機では、支援の本質とは異なってしまいます。このような例では、支援自体が長続きしないと同時に、支援に対する評価の度合いも少なくなってしまいます。

 

ですから、出資だけでなく、軸となるビジョンをより明確にした上での国際支援に期待しています。

 

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                         国連広報センターにて。長谷川さんと根本かおる所長(左)© UNIC Tokyo