国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (11)

シリーズ第11回は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) 南スーダン事務所 シニア・プログラムオフィサーの柏富美子さんです。UNHCRは、2011年の独立以前から南スーダンの国内避難民、帰還民、そして南スーダン国内にいる難民のための保護・人道支援活動を行ってきました。150万人を超える国内避難民を抱えて未だ情勢が不安定な南スーダンですが、この国が、同時に27万人を越える周辺国からの難民を受け入れていることを忘れるわけにはいきません。今回は難民の人々のストーリーも交えて、柏さんが所属するUNHCRの南スーダンでの活動をご紹介します。

 

第11回 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) 南スーダン事務所

シニアプログラムオフィサー 柏富美子さん

難民の保護・人道支援活動を続ける

 

                                         f:id:UNIC_Tokyo:20160809114228j:plain

                                                                        柏 富美子(かしわ ふみこ

                                                   UNHCR南スーダン事務所 シニア・プログラムオフィサー   

2001年にJPOとしてUNHCRチェコ共和国プラハ事務所で勤務を開始。その後、アフガニスタンカンダハール及びジャララバード事務所、ジュネーブ本部のアジア太平洋地域局での勤務を経て、2014年より南スーダンのジュバ事務所にシニア・プログラムオフィサーとして勤務。

 

2011年に独立した南スーダンは世界で最も新しい国。UNHCRは、独立以前から南スーダンの国内避難民、帰還民、そして南スーダン国内にいる難民のための保護・人道支援活動を行ってきました。

 

2013年12月に勃発した国内紛争、そして引き続き国内各地で起きている戦闘により、現在72万人を超える南スーダンの人々が周辺国(ウガンダ、エチオピア、コンゴ民主共和国、ケニア、スーダン中央アフリカ共和国)に難民として逃れ、さらに150万人以上の人々が国内での避難生活を余儀なくされています。更に、今年7月初旬に起きた首都ジュバでの戦闘の再燃は、これまで比較的安定していたエクアトリア地域から、新たに数万人の難民と国内避難民を生み出しています。独立に際して希望を胸に帰還した南スーダン難民の多くの人々が、わずか数年後に再び難民・国内避難民として家を追われている現状は、非常に胸の痛むものです。この人道危機に対して、UNHCRは南スーダン国内及び難民受け入れ諸国で支援活動を行っています。

 

このように150万人を超える国内避難民を抱え、未だ情勢が不安定な南スーダンですが、この国が、同時に27万人を超える周辺国からの難民を受け入れていることも忘れるわけにはいきません。南スーダンは、国境を開放してホスピタリティの精神を持って、庇護を求める周辺国からの難民を受け入れてきました。2016年前半だけで、すでに7000人を超える難民が南スーダンに庇護を求めています。難民と受け入れコミュニティーの関係に問題が生じることもありますが、南スーダンの人々の難民へのアプローチは、「共感」が基本にあります。これは、政府関係者を含む南スーダン人の多くが、過去に難民であった経験があることに関係しているのでしょう。南スーダンの国内問題を考えると、彼らの難民を受け入れ姿勢は特筆すべきものです。

 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160809114408p:plain

スーダン難民のアマル・バキスは、子どもたちに、アジョントック・キャンプに到着して初めての朝食を作っている。南コルドファンからの長い道のりでは、腐った食べ物しか口にすることができなかった © UNHCR/Rocco Nuri

 

 

南スーダンにいる難民の大多数はスーダン人で、南コルドファン及びブルーナイル州で5年近く続いている紛争を逃れてきています。その他、コンゴ民主共和国、エチオピア、中央アフリカ共和国からの難民が、国内にまたがる8ヶ所所の難民キャンプ、またはジュバその他の地方都市で生活しています。UNHCRは、南スーダン政府、国連機関及びNGO団体と協力し、難民の保護活動、支援物資の配布、その他シェルター、医療、水・衛生、教育、自立促進、女性のエンパワメントなど、多岐にわたる支援活動を行っています。また、難民の存在が長期化し、(紛争によりすでに困難な状況にある)受け入れ地域への負担が増すことを受け、現地コミュニティーへの支援、及び難民との平和的共存を目的とした活動も積極的に行っています。

 

祖国で家を追われ、南スーダンで新たな生活を始める難民の人々の暮らしは、困難の連続です。それでも、彼らの多くが、日本を始めとしたドナー国の人々の支援により、必要最低限の水と食料、教育、医療サービスを受け、キャンプで安全に生活することができています。中でも、人々の将来を築く教育支援は、多くの難民にとって、最も大切な支援の一つです。困難な生活環境にもかかわらず、笑顔で、教育の大切さ、将来への希望と夢を語る難民の人々のレジリエンス・強さには、いつも頭が下がる思いです。

 

そんな難民の人々のストーリーを、UNHCRスタッフが行ったファラとサイラのインタビューを通して紹介したいと思います。

 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160809114526j:plain

カヤ・キャンプに住むファラの夢は、教員資格を取ること ©UNHCR/Eujin Byun.

 

ファラ(22歳)は2012年にスーダンから逃れてきた難民の一人です。彼は、南スーダン北部マバン州にあるカヤ難民キャンプで、小学生に英語を教えています。キャンプで一番若い先生です。

 

「それまでも僕の村の周りでは、たくさんの人が爆撃により命をなくしてた。でも、ある日爆弾が僕の家の直ぐ近くに落ちたんだ。これ以上はここにいることはできない。そう思って、その日の夜、着の身着のまま自分の家を離れたんだ」

 

紛争のため、ファラは中等教育を終えることができませんでした。ファラは言います。「でも、僕は決して教育を諦めていない。僕の夢は、勉強を終えて、教員の資格を取ることなんだ」

 

「僕は読書が大好き。目を瞑ると、高く積み重なった本の山の上に座って、世界を眺めている自分が見えるくらいだよ。本がバオバブの木に実ればなぁ、なんて思うくらい。そうそう、バオバブの木は、スーダンの家の思い出なんだ。スーダンにいた頃は、学校が終わると、バオバブの木の下で日が暮れるまで何時間も読書をしていた。本を読んでいると、どんな悩みや辛さからも解放されたんだ」とファラは続けます。

 

「キャンプにる僕の生徒には、良い教育を受けることで、将来のリーダーになる道が開けるのだと信じて欲しい。生徒たちが、授業中に他のことに気をとられると、僕はダンスを踊るんだ。これが、魔法のようにうまくいくのさ。最初はみんな笑いだし、でもすぐに静かになって、勉強に集中するんだ。そういえば、スーダンにいた頃も、よくダンスを踊ったよ — 特に雨が降った後には。村のみんなが集まって、雨を祝福して踊るんだ。それは、本当に純粋な喜びの一時だった」 ちょっと遠い目をして、ファラはそう語ってくれました。

 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160809114614j:plain

ドロ・キャンプに住むサイラ(写真右)の夢はパイロットになって、世界中を旅すること ©UNHCR/Eujin Byun.

 

サイラは15歳。マバン州にあるドロ難民キャンプで暮らしています。彼女も、スーダンブルーナイル州で起きた紛争を逃れ、2011年、家族と共に南スーダンに辿り着きました。

 

「今でも、家を離れた日のことははっきりと覚えています。9月6日の午後4時頃でした。爆弾が私たちの町に落ちて、全てが焼き尽くされました。一瞬にして、逃げ出さなければなりませんでした。私は、当時2歳だった妹のダイアナを抱きかかえて、できるだけ速く走りました。教科書も、成績表も全部家に置いたままです。妹を守る以外は、家から何も持ち出すことはできませんでした。食べ物も飲み物もないまま、5日間道なき道を歩き続けました。当時11歳の私にとって、本当に辛すぎる状況でした」

 

サイラは家族と共に、ドロ・キャンプで新しい生活を始めました。UNHCRが最初にキャンプに開設した小学校で、サイラは勉強を再開することもできました。

 

「私は小学校をこのキャンプで終えました。そして、今でも中等教育を続けています。私の両親は、私の一番の理解者です。まだ10代なのに、友達の多くはすでに結婚しています。でも、私のお父さんは、私が好きなだけ勉強して、教育を終えるようにと、励ましてくれます。お父さんは、私と妹にいつも言うのです。教育が一番大切なことだって。お父さんは私たちに学校を卒業して、自分たちで結婚相手を決めて欲しいと言っています。そして何よりも、私たちに、他の女性に希望とインスピレーションを与えるような、強い女性になって欲しいと思っています」

 

「お父さんは、私に学校の先生になって、他の子ども達のロールモデルになって欲しいと言っています。でも私は、パイロットになって、世界中を旅したいのです。学校の授業で、世界には、スーダン南スーダン以外にも沢山の国があることを学びました。私は全部の国を訪ねてみたい。だから、パイロットになるのが、私の夢を叶える一番良い方法だと思うの。難民キャンプの先の世界を見るという夢を」 サイラは、大好きなお父さんと一緒に、笑顔で彼女の夢を語ってくれました。

 

南スーダンにいる難民の大多数は、祖国の情勢が不安定なため帰還の見通しが立たず、人道援助を引き続き必要としています。また、難民を受け入れている南スーダンの人々も、長引く紛争、そしてそれに伴う経済の疲弊、食料不足など相次ぐ試練に直面し、国際社会のさらなる支援を必要としています。

 

彼らは支援の受益者ですが、全く無力な人々ではありません。ファラやサイラのように、一人一人のストーリーがあり、それぞれの苦悩があり、そして困難を克服し夢を実現する可能性・力があるのだと、日々の活動を通して実感しています。

 

難民・国内避難民と一括りで語りがちですが、その裏には、それぞれのニーズとキャパシティーを持つ個別の人々がいる、そのことを忘れずに支援活動を続けていきたいと思います。

 

南スーダンの人々に一日も早く安定した生活が戻ることを祈りつつ。

 

 

UNHCRのホームページはこちら>>>http://www.unhcr.or.jp/html/index.html

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (10)

シリーズ第10回は、国連人間居住計画(国連ハビタット)を取り上げます。南スーダン国連ハビタットが実施しているプロジェクトには、日本政府が資金を拠出しているものがあります。例えば、紛争で故郷を離れた国内避難民が再定住するための用地を整備したり、道路を修復する国連ハビタットの事業を日本が資金援助し、実際の敷地造成などの作業も日本の派遣施設隊が行うなど、両者が連携し、国づくりを支援しています。

 

第10回 国連人間居住計画(国連ハビタット

~住民参加型の事業を通じた平和構築~

長期にわたる紛争の後、包括和平合意を経て2011年に独立した南スーダンは、今、復興・開発への長い道のりを歩み出しています。この道のりを阻む大きな課題の一つが洪水対策です。度重なる洪水により家屋や穀物が被害を受け、国内避難民たちの定住を困難なものにしているのです。また、安全な水や衛生設備へのアクセス等、居住環境の整備も重要な問題です。国連ハビタットは、南スーダンにおいて日本政府支援を通じた住民参加型の事業を展開しています。国連ハビタットの住民参加型の事業は、ホストコミュニティと国内避難民・帰還民の協力関係を強化し、事業関係者の開発への取組に対するオーナーシップを高めることにより持続性を確保しています。

 

事業では専門家たちを現地に派遣し、洪水に強いコミュニティの構築、きれいな水の供給、衛生状態の改善、生計機会の提供を通じ、国内避難民・帰還民・そして難民を受け入れるホストコミュニティが共に計画と実施に参画しながら再統合を目指すという、迅速かつ確かな支援活動を行っています。

 

国連ハビタットの住民参加型事業を通して、私たちは次世代のために力を合わせるというコミュニティの絆を学びました」と、ジュル川郡コミュニティ開発委員会会長のボン・マギエット氏は言います。

 

国土住宅都市開発省や州政府、地元自治体の協力を得て、ワウやジュバで実施した事業では、洪水管理対策を施し、地域の人々の住宅や農作地を含めた環境を守り、受益者たちの再統合・再定住をも支援しました。特に堤防やダムを建設し、長さ2㎞広さ5,000エーカーの土地を洪水から守り、増えすぎた水を居住地や農地から遠ざけることに成功しました。これは社会的に取り残された何千世帯もの人々に希望をもたらしました。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160526102644j:plain持ち運び可能な太陽光エネルギーを利用した給水システム。日本が支援し、国連ハビタットが実施した洪水予防、水と衛生、生計向上プロジェクトの一部。ワウ地区アレルチョク地域で (UN-Habitat)

 

また、国内避難民や帰還民を受け入れるホストコミュニティを対象に、安全な水や衛生設備へのアクセス向上、健康や生活環境改善を図り、受益者たちの平和的な再統合に寄与しました。 ハンドポンプや井戸そして給水管を整備しても一握りの人々にしか利益をもたらさず、多くの人々は不衛生で安全ではない水での生活を強いられており、開放井戸や池、川からの水に頼っていました。

これに対し、国連ハビタットは給水システムの向上に取り組みました。ボーリング孔を削孔して水の供給容量を増量し、コミュニティへの給水のスケールアップを図ったのです。この取り組みによって、国内避難民、帰還民、そしてホストコミュニティ、約50万人の生活が改善する予定です。

 

「このプロジェクトは神がお与えくださったものだ。私たちコミュニティの女性や子どもは遠くまで水を汲みに行かなくてもよくなった」と、ワウのアレルチョクに住むディエング・ロング氏は言います。

 

「この水と衛生事業は浄水を供給するだけでなく、人々の健康状態を向上させ、子どもたちがコレラやチフスのような病気にかかるリスクを軽減しています。そして、大きな意味で、過去に部族紛争で戦った人々の平和定着に貢献しているのです」と南スーダンを担当する国連ハビタット シニアオフィサーのトーマス・チェランバは言います。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160129231445j:plain住民たちも給水塔の進捗状況を確認 (UN-Habitat)

 

更に、コミュニティ住民たちは本事業への参画を通じて技術を習得することが出来ます。本事業の実施にあたっては、コミュニティと国連ハビタット間でコミュニティ実施協定を結んでおり、その一環として特に若者への技術習得機会を提供し、今後の生活設計に役立てています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160801134648j:plain

日本の支援を得て開かれた、洪水予防、水と衛生、生計向上のための住民参加型プロジェクト計画の協議会の様子。ワウ地区アレルチョク地域で (UN-Habitat)

 

また、国内避難民、難民、帰還民及びホストコミュニティに対する支援以外に、自治体政府に対し、インフラ整備計画に関する能力向上プログラムも実施します。

 

「この事業を実施するまで、女性や子どもが水を遠くから汲んでくる際にレイプ事件に遭遇したり、部族間の争い巻き込まれて亡くなることで憎しみに発展するケースなど、住民たちは多くの問題で苦しんでいました」と国連ハビタットのプロジェクトマネージャー、オビオラ・アネネは言います。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160801134727j:plain

水汲みに来る住民たちとプロジェクトマネージャーのオビオラ・アネネさん(右端)(UN-Habitat)

 

紛争で立ち退きを余儀なくされた人々が故郷に戻り、生活をやり直すための第一歩を国連ハビタットは日本政府と共に支援しています。人々の意識改善に取り組み、国内避難民、難民、帰還民とホストコミュニティのネットワークを構築しています。同時に、専門家を派遣し、コミュニティと協働して長きにわたり南スーダンの課題である洪水からの影響を最小限に抑える対策をたてています。これにより、気候変動への対応能力を強化するとともに、持続可能な住居、スラム改善、都市開発、政策や調査、衛生や安全な水の供給、生計等慢性的な問題への解決策を提案しているのです。

 

2016年1月29日、在南スーダン日本国大使館の紀谷大使が、南スーダン政府関係者、地方政府、事業の実施パートナーと共に現場を視察しました。現場に出向いていただくことで多くの人々にこの事業を知ってもらう機会となっています。また、南スーダン政府やコミュニティのプロジェクトに対するオーナーシップを高めることを含めよい結果に繋がっています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20130125094237j:plain南スーダン日本大使館の紀谷昌彦大使による現地視察 (UN-Habitat)

 

今後、更なる平和定着に貢献し持続可能な開発へと南スーダンを導くためにも、国連ハビタットは同プロジェクトの継続と更なるアップスケールを検討していく必要があると考えています。

 

住民参加型の事業を通じてコミュニティへの意識を高めて人々の絆を強める―平和定着への道は簡単ではありませんが、人々の心にある平和への願いと力を私たちは信じています。

 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160129033817j:plain

日本への感謝を表す住民 (UN-Habitat)

 

2016年7月に入り戦闘が激化、治安が不安定な状態となりましたが、ジュバに駐在するプロジェクトマネージャーのオビオラ・アネネは国連安全保安局(UNDSS)と連携し、状況を注意深く見ながら業務を遂行しています。状況が許す限り、南スーダンの人々と協働したいという国連ハビタットの強い意志は変わりません。

 

国連安全保安局(UNDSS)とは

国連の安全管理体制を統合し、強化する目的で2005年に設置された組織であり、運営上の支援、監視を提供し、国連のスタッフや家族の安全確保を行っている。また、世界を通じその計画や活動を安全に、効率よく実施できるように活動している。

国連安全保安局(UNDSS)ホームページはこちら>>> http://www.un.org/undss/?q=home

 

国連ハビタットについて詳しくはこちら>>> http://www.unhabitat.org/

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (9)

シリーズ第9回は、JICA南スーダン事務所の大井綾子さんです。 紛争が長く続き、識字率も低い南スーダンで効率的、効果的に広報活動を行うため、JICA南スーダン事務所は社会的影響力の強い広報アドバイザーを迎えました。ファッションアイコンとして若者を中心に人気のアトン・ディマーチさんと、幅広い人々の目に留まる風刺漫画を手がけるアディジャ・アスィユさんの2人を起用することで、JICAは南スーダン社会で平和や開発に関するメッセージの発信に力を入れています。(この寄稿は2016年7月の戦闘再発の前に執筆されたものです)

 

第9回 JICA南スーダン事務所 大井綾子さん

~平和と開発の情報発信を続ける異色の広報アドバイザーたち~

スーダン時代を含めて紛争の経験が長い南スーダンで、いかに国民に適切な情報を伝達できるか、さらに識字率が20パーセント台の国でどうすれば効果的に広報を行えるか模索しています。JICA南スーダン事務所は、あらゆるメディアツールを通じた取り組みを行っており、今回はその中でも異色の経歴を持つ2人の広報アドバイザーを紹介します。

 

                       f:id:UNIC_Tokyo:20160713143727j:plain

                                            大井綾子(おおいあやこ)  南スーダン事務所員

                                               (写真:2016年1月の全国スポーツ大会にて、現地の記者と)        

慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、日本テレビ放送網株式会社報道局勤務。退社後、イギリスInstitute of Development Studiesでガバナンスと開発修士号取得。UNDP東ティモール事務所で国内避難民の帰還支援、在アフガニスタン日本国大使館で地方復興とガバナンス支援に携わる。2013年、社会人採用でJICA入構。人間開発部を経て、2015年8月より南スーダン事務所勤務。                          

 

トップモデルになるより祖国の発展に貢献したい

アトン・ディマーチさんは、南スーダンの初代ミス・南スーダンとして「ミス・ワールド中国大会(2012年)」に出場し4位に入賞しました。ミス・ワールド・アフリカにも選ばれた後、モデルとして多数のオファーを受けました。しかし、祖国の発展に直接貢献できる道を選択、2015年2月からJICA南スーダン事務所で広報アドバイザーとして働き始めました。国際関係と外交学を学ぶために大学にも通い、南スーダン文化大使も務めています。

 

                            

                                       f:id:UNIC_Tokyo:20160713143856j:plain

                     「祖国の発展に貢献することが使命」と語るアトン・ディマーチさん(JICA)

 

ディマーチさんのファーストネーム「アトン」は「戦争」を意味します。1983年から2005年まで続いたスーダン内戦の最中、1988年に生まれたことから名付けられました。「戦争を忘れてはならないという教訓を込めたこの名前が、私の使命を表している」と話し、祖国の平和を願うその想いは強いものがあります。

 

幼少期からミス・ワールドの舞台に立ちたいという夢を持ち、努力を重ねてきたディマーチさんは、記念すべき独立の年に初代ミス・南スーダンとなり2012年の中国大会に出場。本選でも116か国からの参加者の中で4位入賞を果たすと同時に、「ミス・ワールド・トップモデル賞」と「ミス・ワールド・インタビュー部門最優秀賞」を受賞。その夢を実現させ、「ミス・ワールド・アフリカ」や「アフリカ大陸美の女王」として、国内だけでなく世界中にその名が知られるようになりました。

 

そんなディマーチさんがJICAの広報アドバイザーに就任したのは、知人の紹介でJICA南スーダン事務所員と知り合い、日本の支援を知ったことがきっかけでした。南北包括和平合意(CPA)が署名され、南スーダンに国民統一政府が樹立された2006年にJICAは、南部スーダン向けの初めての協力案件「ジュバ市内・近郊地域緊急生活基盤整備計画調査」を開始しました。その後もインフラ整備や保健、教育など様々な側面から南スーダンの復興を支援してきました。中でも彼女が強い興味を覚えたと話すのは、ナイル架橋計画(南スーダン名ではフリーダム・ブリッジ)です。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713144131j:plain

サルバ・キール南スーダン大統領(左)も出席したナイル架橋の起工式に出席した              ディマーチさん(右から3人目)    (JICA南スーダン事務所)

 

首都ジュバを東西に分断するナイル川の両岸を結ぶ架橋計画は、国際物流面の円滑化だけでなく、地元の雇用創出、さらには新しい経済活動をも生み出す可能性を持つとその効果に期待を寄せています。また、2013年12月に首都ジュバや各地で暴力行為が深刻化した際もJICAが支援を続けたことも、広報アドバイザーになる決断の後押しになったといいます。

 

ディマーチさんは現在週3回、事務所に勤務しています。地元メディアとの関係構築、プレスリリースなど広報資料作成、イベント企画などの広報業務にあたっており、その知名度と人脈を活かしてJICA事業の広報や農業など開発課題の啓発に大きな成果を挙げています。今後は、ジェンダーへの取り組みにも力を入れ、より多くの人が政府開発援助(ODA)に関心を持ってくれるよう、世界のミス・コンテスト関係者のネットワークを活用した広報活動も行っていきたいと考えています。

 

人気風刺漫画家がメッセージ発信

今年、JICA南スーダン事務所にとても嬉しいニュースが入ってきました。2月13日、主要な市民社会組織Community Empowerment for Progress Organization(CEPO)が毎年発表しているメディア賞漫画家部門で、当事務所の広報素材制作担当官として勤務している風刺漫画家アディジャ・アスィユさんが受賞したのです。この賞は、平和・民主主義・人権などの推進のため、南スーダンの人々に有用な情報発信を行った漫画家に贈られるものです。アスィユさんは、当事務所との契約で農業などの開発課題について南スーダンで発行されている主要英字紙に風刺漫画の連載を行っており、国民にとって重要なテーマを分かりやすく伝えたことが評価されたのでした。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713144432j:plain灌漑システムを夢みて”

 

当事務所は、開発課題の啓発を含めた広報活動に力を入れています。識字率が20%台と低い南スーダンで、漫画を通じて南スーダンの重要な開発課題を考えてもらうため、人気漫画家であるアスィユさんに2015年6月から広報素材制作担当官として勤務してもらっています。アスィユさんは週4回、農業開発などに関する風刺漫画を掲載しています。国家歳入の98%を依存する石油の代替産業育成として、JICAは農業開発マスタープランの策定などを支援しており、アスィユさんは灌漑整備の重要性と農民の苦労や、これまで産業として十分な育成が行われてこなかった林業および漁業の潜在性などを風刺漫画で伝えてきました。

 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713144528j:plain

“川には魚がたくさん”

 

識字率は低いものの、南スーダンでは英字紙、アラビア語紙を含め10紙以上が発行されるなど、活字メディアは盛り上がりを見せています。字の読めない人でも掲載されている漫画は見る人も多いとのことで、また、政治家をはじめとする要人もアスィユさんの漫画を見ており反響が寄せられています。例えば、市場で地面に座って物を売る母子を描いた風刺漫画(1)が新聞に掲載された後、南スーダン経済団体連合会の会長が市場の団体にテーブルを寄付してくれました。また、職業訓練センターが農村をつなぐ様子を描写した漫画(2)を掲載した際には、労働省がこの漫画を引用し職業訓練センターの必要性を訴えました。

 

風刺漫画(1)

f:id:UNIC_Tokyo:20160713144650j:plain “品物はテーブルの上に並べたいけど・・

 

 

風刺漫画(2)

f:id:UNIC_Tokyo:20160713144731j:plain職業訓練が農村開発につながる”

 

JICA南スーダン事務所では、引き続きディマーチさんとアスィユさんの知名度を活用した啓発および広報活動を展開していきます。今後は、ディマーチさんによる世界のミスとのネットワークを通じたメッセージ発信や、アクィユさんのこれまでの作品をまとめた本の出版、プロジェクトで策定するガイドラインの漫画の作成などを通じ、重要開発課題やJICAの事業を広く南スーダンの国民に発信していくことも検討しています。

 

 

 

日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(1)

2016年は国連と日本のあゆみにとって重要な節目の年です。1956年12月18日に日本が80番目の加盟国として国連に加盟してから、今年で60年になります。日本の国際連盟脱退から23年を経ての国連への加盟は、国際社会への復帰の象徴として国民から大変な歓迎を受けたことは、国連のアーカイブ映像からもご覧いただけます。

それから60年 - 日本は加盟の翌々年の1958年にはすでに安全保障理事会非常任理事国となり、今年1月からは加盟国中最多の11回目の非常任理事国としての責務を担っています。日本政府だけではありません。それぞれの立場から国連の理念につながる活動や努力を積み重ねている方々が大勢います。このシリーズでは、バラエティーに富んだ分野から国連を自分事と考えて行動している方々をご紹介します。

 

シリーズ第1回は、国連平和ポスター・コンテストで作品が入選した、奈良県在住のグラフィック・デザイナーの中里久美さんです。たまたま新聞記事でコンテストについて知った父親から勧められ、応募した中里さんは、ニューヨークに短期留学している最中に9.11に遭遇し、それも「平和」について考えるベースになっていると語ります。「反~~」とか「~~をなくす」とか、ネガティブな方向性でのメッセージが多くなりがちな社会的な課題について、それをどのようにポジティブな方向で、ユーモアのある、見て自然と共感できるような形で伝えるかということを考えたいと意欲的です。

国連平和ポスター・コンテスト 受賞・入選作品 パネル展が、国内各地ならびに世界を巡回します。詳しくは記事をご覧ください。

 

第1回 グラフィック・デザイナー 中里久美さん

~デザインで平和を訴える~

国連は設立以来、核兵器をはじめ大量破壊兵器の廃絶を目指しています。1946年に総会で最初に採択された決議は、「原子力の発見に関する問題に対処する委員会の設立」に関するものでした。現在でも、核兵器は人類存続に対する脅威です。

それから70周年の今年、核兵器のない世界への希望を描く「国連平和ポスター・コンテスト」が開催され、奈良県在住の中里久美(なかざと くみ)さんの作品が入選しました。日頃は音楽関係を中心にグラフィック・デザインを手掛け、奈良の大学でデザイン科の学生たちと触れ合いながら仕事をしている中里さんからお話をうかがいました。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160624163333j:plain

                     中里 久美

                    ナカザト クミ 

【2001年奈良芸術短期大学美術科卒。音楽関連のビジュアルデザインをメインに、ブランディング・広告・パッケージ・空間デザイン等を手掛ける。奈良県在住、グラフィックデザイナー】

 

 

根本:入選、おめでとうございます! 国連のコンテストに日本からの応募作品が入選したことは、日本を拠点にしている国連広報センターにとって大変嬉しいニュースです。どのような経緯で応募なさったのでしょうか?

 

中里:ありがとうございます。きっかけは父が新聞でコンテストのことを知って、「やってみたら?」と勧めてくれたんです。両親は私が子どもの頃から世の中のいろいろな問題について家庭で話すほうでして、そうした影響が大きいかと思います。それから、ニューヨークに短期留学している最中に9.11に遭遇して、それも「平和」について考えるきっかけになっていると思います。社会的なメッセージを伝えるデザインに興味があったので、今回参加させていただき、その結果が評価されてとても嬉しいです。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160712121023p:plain

9.11当日/本人撮影

 

根本:中里さんの入選作品は「ゼロ」をモチーフの中心にしていて、大変シンプルですね。このイメージはすぐ思いついたのですか?

 

中里:案としてはいくつか作っていたのですが、比較的早い段階で「これで行こう!」と原案が固まりました。自分の作風が基本「シンプル」で、加えるよりは引き算して単純化していく方向で考えます。「核兵器をなくさなければならない」というところで、突き詰めていくと、「ゼロ」かな、と。また、爆弾はモチーフに不可欠かと思いました。それらを組み合わせ、より簡潔に無駄なものを削ぎ落としていく中で、このようなものになりました。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160712121149p:plain    

入賞作品、本人提供

 

 

根本:受賞・入選作品を見ると、中里さんのものが一番スッキリしているかもしれませんね。

 

中里:今回はデザイン・コンテストではなくポスター・コンテストなので、他の方々の作品はどちらかと言うと「アート」だと思うんですが、自分のものはむしろ「デザイン」寄りだと思います。「視覚的にインパクトを持たせ、同時に感覚的にそこにある理念・メッセージがまっすぐ伝わるもの」を念頭に形にしていきました。これはロゴやシンボルデザインの考え方で、今回の題材に関してシンボリックに見せたいという意図は当初からありました。デザインを勉強して、普段はクライアントにハッピーになってもらう商業ベースの仕事をしていて、それももちろん大切ですが、自分の専門性で社会に還元する、影響を与えることは重要だと思います。これからもそんな作品を残していけるといいな、と。

 

 

根本:入選したことに、周りの方々はどんな反応を?

 

中里:自分よりも周りの方が喜んでくれて、それが何より嬉しいですね。恩師、友人、知人はもちろん、全く知らない方からも感想をいただき、大きな励みになっています。特に家族には本当に感謝しています。いつも応援してくれてありがとう!

 

 f:id:UNIC_Tokyo:20160712121209p:plain

 ニューヨーク本部から届いた賞状、本人提供

 

 

根本:中里さんはどんなものからインスピレーションを得ていますか?

 

中里:音楽です。音楽は自分から切っても切り離せない存在です。特にレゲエミュージックから大きな影響を受けました。ボブ・マーリーの曲は弱い立場の人々に立ったメッセージ性のある歌詞で、大好きです。その他にもヒップホップやジャズ、R&Bなど仕事中はずっと音楽をかけているのですが、莫大なパワーをもらっています。音楽の力は私の作品に流れ込んでいるんじゃないかと思います。音楽やアート、スポーツなど人種や年齢を超えて伝える、繋がれる力があるものは本当に人間の為す素晴らしい業だと思います。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713120826j:plain  f:id:UNIC_Tokyo:20160712121358p:plain

左:Bob Marley ©The Island Def Jam、右:ゆかいな音楽仲間たち@野外フェス、本人提供

 

 

根本:日本のアーチストでは?

 

中里:宮澤賢治が好きです。言葉選びが美しく、文章にリズムがあって音楽のようで。派手ではないけれど感情の豊かさを感じさせられます。それから彼は文学だけでなく、音楽、農業、自然との交流と、いろいろ手掛けているんですね。実は私も畑で野菜を作っています。デザイン制作のために家にこもりっきりになるんですが、あいまに畑に行って土いじりをして風を感じていると、いい気分転換になって頭がクリアになります。無機質な要素の強い作品を作るうえでも、自然を知ることはいい影響を与えてくれます。仕事で関わる人たちには私が畑をやっていることを「作品から想像できない」と驚かれたりもしますけど、自分にとってはすごくバランスがとれている。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160712121615p:plain

作品:「eclipse」、本人提供

 

 

根本:今後はどんな社会的な作品を手掛けたいですか?

 

中里:社会的なことって、「反~~」とか「~~をなくす」とか、ネガティブな方向性でのメッセージが多いですよね。それをどのようにポジティブな方向で、ユーモアのある、見て自然と共感できるような形で伝えるかということを考えたいと思っています。先にも言いましたがデザインには音楽などのように色んな壁を超えて直に感覚に訴える力があると思うので、それを活かしていきたいです。ところで、選ばれたポスターは日本では展示されないのでしょうか?一般の方々に直接見てもらえる機会があるといいなと思うのですが。

 

根本:国連総会では9月26日を「核兵器廃絶のための国際デー」に定めています。日本人の間で関心の高い課題ですので、市民社会と協力してポスター展を開催できればと考えているところです。楽しみにしていてください!

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160624164948j:plain

 インタビュー後の記念撮影(左:中里さん、右:根本所長)©UNIC Tokyo

 

 

国連広報センターの「国連平和ポスター・コンテスト 受賞・入選作品パネル展が、核兵器廃絶日本NGO連絡会の協力で、国内各地ならびに世界を巡回します。当面の予定は以下の通り。今後の予定は核兵器廃絶日本NGO連絡会 | Japan NGO Network for Nuclear Weapons Abolitionのウェブサイトに順次更新されます。
 
---
8月2~3日(火水)東京
世界宗教者平和会議(WCRP)国際軍縮 ・安全保障常設委員会特別会議ならびに公開シンポジウム
核兵器による威嚇、使用の合法性関す国際司裁判所 (ICJ) の勧告的意見発表 20 周年に寄せて~
場所:国連大学
問い合わせ:世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会 03-3384-2337
 
---
8月5日(金)長崎
核のない世界へ ナガサキから
時間:17:45受付
場所:長崎水辺の森公園 出島岸壁 オーシャンドリーム号 船内
主催・問い合わせ:ピースボート 03-3363-7561
 
---
8月6日(土)広島
ヒバクシャ国際署名 8/6 イベント in Hiroshima 
趣旨:広島・長崎の被爆者が呼びかけ、核兵器を禁止し廃絶する条約の締結を求
める国際署名を立ち上げるイベントです。国内外著名人によるリレートークやメッ
セージなど予定。
時間:17:30-記者会見、18:00-イベント
場所:広島県立体育館(グリーンアリーナ)大会議室
主催・問い合わせ:ヒバクシャ国際署名連絡会 03-3438-1897
イベントの詳細についてはこちら
 
---
8月18日(木)~11月29日(火)
ピースボート第9回「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」と共に世界21カ国を
回ります。
主催・問い合わせ:ピースボート 03-3363-7561

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (8)

シリーズ第8回は、JICA南スーダン事務所の古川光明所長です。長期の紛争を経て2011年に独立した南スーダンは、2013年12月に再び政治的理由から紛争に陥ったため、JICA南スーダン事務所の日本人関係者は一時同国から退避せざるをえませんでした。しかしその間もJICAは日本や隣国ウガンダからの支援を試みたり、開発が比較的進んでいる周辺諸国の人材などを活用する「南南協力」を進めたりするなど、新たな形での開発支援を行いました。古川所長は、これらの活動を通じてアフリカ開発会議TICAD VI)で話し合われる平和構築のあり方にも貢献することを目指しています。(この寄稿は2016年7月の戦闘再発の前に執筆されたものです)

 

第8回 JICA南スーダン事務所 古川光明所長

~退避中も続けた支援で強まった両国の絆~

          f:id:UNIC_Tokyo:20160713102630j:plain

               古川 光明 (ふるかわ みつあき)

                   JICA南スーダン事務所所長

大阪府出身。法政大学経済学部卒業後、清水建設を経て、JICA(当時 国際協力事業団)入団。1997年米国デューク大学院公共政策学部修士、2014年一橋大学より博士号(社会学)。国際捜索救助諮問グループアジア太平洋地域の初代議長、タンザニア事務所次長、英国事務所長、JICA研究所上席研究員などを経て、2014年より現職

 

2016年7月9日で、独立から5年を迎える、世界で最も新しい国、南スーダン。独立以降、世界はその復興の歩みに注目していました。しかし2013年12月に発生した政府与党内の派閥抗争が激化し、国内各地で暴力行為が深刻化しました。JICAは関係者を騒乱の直後に日本に一時退避させましたが、その間も現地に残る南スーダン人職員らと連絡を取り合いながら支援を継続しました。首都ジュバのある南部は2015年1月に治安の改善が確認され、JICA関係者はジュバへの渡航と駐在を再開しました。その後、和平プロセスの交渉は難航し、ようやく2015年8月に和平合意がなされ、2016年4月、暫定政権が樹立しました。

 

南スーダンは40年以上と長期化した南北スーダン紛争により、ガバナンスや経済社会開発を含む全ての面が大きな影響を受けています。社会経済指標は極めて低く、国家歳入の98%を石油に依存しているため、紛争と世界的な石油価格の下落で財政赤字が急増しています。また、6か国に隣接する内陸国で生活必需品の多くを輸入に依存しているにもかかわらず昨年末に急きょ為替の変動相場制に移行したため、物価の上昇も大きな課題となっています。長年続く紛争の主な要因は、大統領ポストなどの政治的な権力争いと、農村部での伝統的紛争とも呼ぶべき、牛など家畜の争いに起因するものです。南スーダンでは牛を婚資とするなど、伝統的に重要な資産として扱う一方、その略奪などを巡り部族間や村落間で殺し合いが頻発してきました。それが部族間の遺恨につながり、銃がまん延する中で政治的権力争いによる部族間抗争とも重なって紛争が助長されているのです。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713102744j:plain南スーダンでは伝統的に重要な資産である牛 UN Photo/Tim McKulka

 

退避後のJICA支援

JICAは、2013年12月の紛争発生後の退避期間中も、南スーダンへの支援を継続しました。JICA南スーダン事務所はウガンダ事務所に執務拠点を移し、南スーダンに残った現地スタッフや南スーダン政府関係者と連絡を取り合いながら、日本国内での研修員受け入れや周辺国に南スーダン関係者を招いたセミナーや研修を行いました。また、現地では南スーダン関係者が日本側の専門家からの遠隔指導アドバイスを受けながら活動を続けました。具体的には、南スーダンテレビ・ラジオの組織能力強化プロジェクトで、ウガンダケニアのテレビ局と連携し、研修を行うなど、通常業務では実現できなかった支援対象国外からの支援という、新たな形の南南協力を展開しました。

 

また、職業訓練支援フォローアップ事業として、南スーダン人インストラクターの技術向上に加え、ウガンダに定住している南スーダン難民に対する支援を目的とする事業を行いました。南スーダン人の裁縫、木工、左官の3人の職業訓練インストラクターを2週間、JICAが支援してきたウガンダのナカワ職業訓練校に送り、業務を通じた教育(OJT)でスキルアップを目指してもらいました。3人のインストラクターは、カンパラの北約200キロの所にあるキリヤンドンゴ難民居住区で主に南スーダン人難民を対象に木工、左官、ヘアードレッシング、裁縫など3か月間の職業訓練を実施しました。この訓練により、卒業生98人のほとんどがウガンダで職に就くことができ、大きな成果を上げました。講師としてウガンダに派遣された1人は、子どものころにこの難民キャンプ過ごした経験があり、手に職を付けることで、故郷南スーダンに帰ることができたのです。このように難民キャンプから自国に戻った人材が再びキャンプを訪れ今度は講師として支援する姿は、今もなお難民として生活している人たちに大きな勇気を与えました。 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713103057j:plain

ウガンダのナカワ職業訓練校(JICA南スーダン事務所)

 

JICAは、これらの取り組みの事業成果をFacebookへの投稿、テレビドキュメンタリー作成、メディアへのプレスリリース発表、広報誌への寄稿などを通じて国内外に発信しました。その結果、南スーダン政府高官から「JICAは我々を見捨てなかった(JICA never abandoned us)」の発言を得るなど、JICAの南スーダンにおける活動の認知度を向上させることにつながりました。

 

現在の支援

JICAは現在、様々な支援を展開しています。例えば、南スーダンを横断するナイル川に初めての恒久橋を架けるナイル架橋建設、ジュバ港の拡張工事、ジュバ給水施設建設、職業訓練支援、農業開発支援、テレビ・ラジオ支援、生活廃棄物支援などです。今後も様々な支援を通じて、平和構築に向けた安定と国家建設支援を行っていきたいと考えています。そのためには、紛争などで疲弊している南スーダンの人々に目に見える成果を示すこと、人道援助から開発援助への切れ目のない展開を実施することが重要となります。その理念の下、今後も重要幹線で地域を結ぶ「回廊インフラ」の整備や拠点都市インフラの整備、主に石油資源依存型経済からの脱却を目指すための農業の振興、それを支える職業訓練や教育支援などを展開していく必要があります。 

 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713125459j:plain  建設中のナイル架橋(JICA南スーダン事務所

 

南スーダンでの事業を行っていく上で、南スーダンの特殊性も考慮する必要があります。一つ目は、政府と反政府、首都と地方、部族間などのバランスを考えた平和構築支援が必要であるということです。紛争で引き裂かれた国民間の信頼醸成と結束を向上させるため、スポーツを通じた平和構築も有効な手段だと思います。南スーダンは昨年8月、国際オリピック委員会にオリンピック正式メンバーとして承認され、スポーツを通じた国民の結束や信頼醸成を高めるには絶好の機会となっています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713103636j:plain開会式で入場行進する選手団 (JICA南スーダン事務所) 

 

具体的な取り組みとして、たとえば、今年、1月16日、南スーダン独立後初となる全国スポーツ大会を文化・青年・スポーツ省とともに開催しました。首都ジュバで開幕し、全国9都市から男女約350人の選手が参加。政府はこの日を「National Unity Day(結束の日)」と決め、大会テーマを「Peace and Unity(平和と結束)」としました。国立競技場で行われた開会式には副大統領をはじめ大臣6人も出席し、盛大に行われた。開会式でスピーチを行った政府高官の一人は「今、われわれは平和と結束を最も必要としている」と述べるとともに、選手が南スーダンの国旗を手に入場行進した際には、涙する閣僚もいたほど、本大会は南スーダンにとっての悲願だったのです。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713103727j:plain開会式は政府高官が多数出席して行われた(JICA南スーダン事務所)

 

また、伝統的な紛争の大きな要因となっている牛への考え方や管理のあり方の変容をもたらすための、取り組みも重要であると考え、現在、そのための調査を実施しています。

 

2点目は、適正技術移転の観点からもJICAが支援する南南協力に適した国であるということです。2011年に独立した新しい国ということもあり、南スーダン政府の行財政能力は極めて低く、ウガンダケニアエチオピアなど周辺諸国から行政能力強化のため行政官を受け入れています。JICAも、その視点を持ちながら事業を展開していきます。

 

3点目は、南スーダンは現在唯一日本が国連平和維持活動(PKO)施設部隊を派遣している国であるということです。2015年に改定された開発協力大綱にも明記されたように、PKO施設部隊との事業連携も強化し、オールジャパンとして南スーダンへの協力を進めていきたいと考えています。すでに、ジュバ港拡充支援の一環として自衛隊による防護柵の設置や、南スーダンテレビ(SSTV)・ラジオの組織能力強化プロジェクトに関連してSSTVの敷地で自衛隊施設部隊が側溝整備を行ったほか、職業訓練生の自衛隊による実地研修、大使館、JICA、自衛隊、ジュバ市によるクリーンアップキャンペーンの開催、道路の改修、ナイル架橋起工式での自衛隊による和太鼓と花笠踊りの披露など、多くの連携を行っており、今後もオールジャパンとして対南スーダン協力に取り組んでいきます。また、これらの活動を通じ8月にナイロビで開催されるTICAD VIでの平和構築のあり方にも寄与できるようにしていきたいと考えています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160713103848j:plain

道路の補修を行う自衛隊施設部隊(JICA南スーダン事務所)

   

 

 

 

 

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (7)

シリーズ第7回は、赤十字国際委員会(ICRC)南スーダン医療事業マイウート病院プロジェクトマネージャーの吉田千有紀さんです。ICRCは、長年にわたる紛争で疲弊しインフラも未整備の南スーダン支援に力を入れており、吉田さんも電気や通信手段がまだない過酷な状況下、地域唯一の病院で働いています。長年、途上国での人道支援活動に携わっている吉田さんは、人間の尊厳が保たれ平和と安定が実現してこそアフリカ開発会議TICAD VI)が目指す持続可能な開発が可能になると、保健医療活動に力を入れています。

 

第7回 赤十字国際委員会(ICRC)南スーダン医療事業 吉田千有紀さん

~紛争後の地域医療をゼロから構築する~

          f:id:UNIC_Tokyo:20160504150100j:plain

                                吉田 千有紀 (よしだ ちゆき)    ICRC/Layal Horanieh    

        赤十字国際委員会南スーダン医療事業病院プロジェクトマネージャー(日本赤十字社より10か月派遣)

日本赤十字社和歌山医療センターで1986年より看護師として勤務。2008年から看護師長。正看護師、助産師、公衆衛生修士号の資格を有する。人道支援や緊急救援要員として、主に中東やアフリカなどで海外ミッションを多数経験。2015年10月より現職。ICRC南スーダン医療事業に派遣され、北東部マイウートの病院のプロジェクトマネージャーとして保健事業や地元の病院支援に携わる

 

7月8日、独立5周年を翌日に控えた南スーダンの首都ジュバで、激しい戦闘が火ぶたを切りました。ジュバから北東に約500km離れたマイウートに私は常駐していますが、首都における戦闘激化に驚き、同時に同僚や知り合いなど現地の人々のことが心配になりました。でも、そこは紛争地の最前線で150年以上人道支援を行っている赤十字国際委員会(ICRC)。日頃の職員の安全対策と危機管理に加えて、迅速な情報収集と事態の把握によって混乱を乗り越えてきたので、マイウートにいる私たちもパニックに陥ることはなく、強い気持ちと使命をもって日常業務をこなしました。

 

南スーダン北東部、エチオピア国境から20kmしか離れていないマイウートは、サブサハラ草原の中心に位置しています。公共交通機関は全くなく、電気も通信手段もない場所にある小さな保健施設を、赤十字国際委員会(ICRC)は2014年12月から支援しています。アフリカでの平和の定着が持続可能な開発に貢献するとして、アフリカ諸国が自らのイニシアチブで紛争や災害に対応できるよう力を貸すのも、ICRCの大事な取り組みの一つです。その活動は幅広く、保健事業や医療支援に加え、食料や生活必需品の緊急支援、水と衛生環境の整備、生計の自立支援や、離散家族の再会支援、拘束された人の人道的処遇を確認するための収容所訪問など、アフリカ大陸に31か所の拠点を設け、戦闘の犠牲となっている人たちのニーズに応えるべく、日々奔走しています。

 

第4回アフリカ開発会議TICAD IV)後のICRCによるアフリカ支援の進捗状況についてはこちら  >>> http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/report/partners/P0000095.html

 

約90か国に活動拠点を置く世界で最も歴史の古い国際人道支援組織のICRCは、世界で一番新しい国南スーダンで人材・財政両面で大規模な活動を展開しています。同国がまだスーダンから分離独立する前の1980年に現在の首都ジュバに拠点を置き、以来35年以上、地元の人たちに寄り添ってきました。現在は480人近いスタッフが活動しています。

 

シリアやイラクの情勢が国際社会の関心を集める一方で、ICRCが2014年に最も資金を投入した国は、南スーダンでした。戦闘拡大で行き場をなくした住民は難民となり、女性は性暴力の犠牲に、子どもたちは兵士として駆り出されるなど多くの人道問題が起こっています。そうした状況を受け、日本政府もICRCの南スーダンでの活動に毎年多額の資金を拠出しています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160615131805j:plain

6月半ば、日本の紀谷昌彦駐南スーダン大使(中央男性)がマイウート病院を視察。病棟や診療室に加え、使用している医薬品などもチェックした   ICRC/Layal Horanieh 

 

日本政府によるICRC南スーダン事業への貢献についてはこちら >>> http://jp.icrc.org/event/pr0502/

 

一般の寄付から成り立っている日本赤十字社と異なり、戦争や紛争の犠牲となった人々を支援、保護するICRCの活動は、戦時下のルールを設けた「ジュネーブ諸条約」に加入している各国政府からの拠出金で主に成り立っています。年間活動資金の8割以上を占めており、日本政府をはじめとする条約加盟国に紛争の現場で何が起こっているのか、人々はどのような支援を必要としているのかを伝えるのも、私たちの重要な仕事の一つです。8月にケニアで開かれるアフリカ開発会議TICAD VI)では主に開発に主眼が置かれ、アフリカ全体の発展について話し合われますが、平和と安定あってこその繁栄という観点から、ICRCも南スーダン支援に積極的に関与しています。 

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160615135441j:plain

赤十字のマークを掲げている施設、個人や団体は、いかなる攻撃からも守られなければならないことが国際法で定められている  ICRC/Layal Horanieh 

 

ジュネーブ諸条約についてはこちら  >>>  http://www.youtube.com/watch?v=x2LivEocnK4

ICRC活動資金の拠出元と使途についてはこちら >>> http://jp.icrc.org/finance/

 

南スーダンの医療事情

チェコやヨルダンキューバ、オーストラリアなど、世界中から集まった外科医や看護師など10人以上からなる医療チームのリーダーとして、マイウートの病院と保健事業の支援を行って9か月になりました。当地では2013年12月に勃発した内戦のため戦傷外科のニーズが高まりました。武器による外傷に加えて、マラリアや栄養失調、呼吸器系感染症産婦人科関連など幅広い領域の様々な年齢層の患者さんも診ています。

 

南スーダンの人々にとり医療は身近な存在ではありません。また、医療の質も日本とはかけ離れており、医療器具や医薬品も十分ではありません。5歳以下の幼児は免疫をつけるためのワクチン接種をほとんどせず、妊婦が定期健診にやって来るのもまれです。私たちは若者や社会的に弱い立場にいる人たちに対して、もっと頻繁に病院を訪れる必要性を説いたり、地元のスタッフを教育したりしてICRCの支援が終了した後も自分たちで切り盛りできるところまでもっていくお手伝いをしています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160615132258j:plain

 ICRCが支援するマイウート病院は、外科と内科を備えた、上ナイル地域唯一の医療施設  ICRC/Layal  Horanieh 

 

人々により頻繁な来院を促す上でまずは病院までの交通手段の確保が先決ですが、まだまだ課題が多いのが現状です。患者さんは3-5日ほどかけ歩いてやって来ます。南スーダンは一年を通して気温が高く強い日差しの中を歩き続けるため、やっと病院にたどり着いたころには疲れ果て、中には脱水状態の人もいたりします。

 

ある日、痙攣を起こした小さな子どもを抱えた母親が病院にやってきました。到着した時には子どもは既に息を引き取っていました。それでも母親は息を引き取った子を離そうとしません。私たちは無念な気持ちを振り払いながら十分な別れの時間を取れるよう手配し、赤十字ボランティアの助けを得て遺体の埋葬を準備しました。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160615133404j:plain

ICRCは南スーダンで7つの医療施設を支援しており、今年に入って全土で1600件の外科手術を実施している  ICRC/Layal Horanieh 

 

また、栄養失調や飢餓も見過ごせない問題です。私たちは、三度の食事を準備できるよう病院の体制を整えています。日本では朝食をとるということは当たり前かもしれませんが、ここでは朝、お粥を作るために大変な努力が必要です。前日から水と炭の準備、安全に保管する場所の確保、食材の調達が必要になります。それでも患者さんが美味しそうに食べ物を口にする様子をみると、頑張って用意した甲斐があったと感じます。銃であごを撃たれた13歳の少年は口からものが食べられず、骨と皮だけにやせていました。栄養摂取のためお粥などの流動食を与え、やがて彼は回復に向かいました。今では再び話せるようになっています。

 

マイウートでの生活

マイウートの住民は明るく気さくで、町にはヤギやヒツジが闊歩しています。家畜の飼育や売買は、南スーダンでは一大ビジネス。子供や女性も家畜の世話と小さな畑仕事に従事しています。長きにわたる紛争の結果、全ての公共サービス、医療、教育、労働の機会も閉ざされ、人々は不自由な生活を強いられる毎日を送っています

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160615145053j:plain

医療事業だけでなく、ICRCの「水と住環境整備事業」チームが病院のニーズに対応して給水塔タンクを設置した   ICRC/Layal Horanieh 

 

治安に関しては、私がかつて赴任したアフガニスタンイラクと比べると状況は落ち着いており、私のように海外から来た支援者も好意的に受け入れてくれます。ようやく平和合意の方向で動き始め、いま人々は新たな国づくりに臨もうとしています。しかし、それはたやすいことではありません。ICRCの支援で労働の機会を与えられた多くの若者たちは、働くことの大切さを知り充実感を覚えながら懸命に生きています。

 

南スーダンは世界最貧国の一つであり、マイウートでの生活も質素です。木や泥、ワラで作られた家がほとんどで、私もトゥクルと呼ばれる伝統的な建物に住んでいます。コンクリート製の家に比べて涼しく、暑さもしのげます。娯楽も限られており、食材も豊富にあるわけではないので簡単な食事しかできません。しかし、同僚と囲む食卓はいつもいろいろな話題で盛り上がります。うだるような暑さやありとあらゆる物が不足していることで、労働環境への愚痴もしばしば。それでも、そういうことを言い合える仲間がいることは本当にありがたいと思っています。

                                                        

f:id:UNIC_Tokyo:20160615145204j:plain

トゥクルと呼ばれる藁ぶき屋根の伝統的な建物。この3棟は新築で、今後診察室か待合室として使われる予定   ICRC/Layal Horanieh 

 

紛争下での人道支援に携わって12年

 

そもそも私は日本赤十字社の看護師ですが、紛争地を活動の舞台とするICRCの医療事業にたびたび派遣されています。私たちが一般にいう「赤十字」というのは、実は3つの機関で構成されていて、正式名称を「国際赤十字・赤新月運動」と言います。日本赤十字社を含めた190の各国赤十字赤新月社、その190社を束ねる国際赤十字・赤新月社連盟、紛争地で活動するICRC、の3つの機関が共通の7原則を掲げて人種や宗教に関わりなく人道支援を行うこと。それが赤十字の使命です。私も海外で人道支援に従事するようになって既に12年の歳月が経ちました。今まで、支援のために訪れた国は、アフガニスタンスーダンパキスタンイラクシエラレオネリベリアなど13か国に上ります。

 

人のためになる、命と健康を支える看護師を目指したころ、まさか日本を離れ、これほど長く人道支援の現場に身を置くことになるとは全く考えてもいませんでした。たくさんの方々の支援もあり、こうして元気に活動を続けて来られたことに感謝しています。何かのために私たちは生かされている、と常々感じています。まだまだ私たちにできることはたくさんあり、支え合い生きることの意味を伝えることも、私の重要な役割だと自負しています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160615131753j:plain

明日も頑張ろう!という気にさせてくれるのは患者とその家族の笑顔。こうした笑顔の連鎖が、アフリカを繁栄へと導くのだろう   ICRC/Layal Horanieh 

 

まだ南北スーダンが一つの国だったころに長期間の内戦を経験し、5年前に独立を果たした南スーダン。私の10か月の任務も残りわずかとなりましたが、医療を通してこの国の人々に寄り添いながら思うのは、平和に安心して暮らせる日々が早く来てほしいということだけです。

 

首都ジュバで大規模な戦闘が行われている中、私たちはプライマリ・ヘルスケアの施設をマイウートに立ち上げました。プライマリ・ヘルスケアの概念は、地域の資源やインフラを活用し、その国において社会的・技術的に実践できるレベルの保健医療サービスを提供することです。現地のニーズに基づき、そこに暮らす人たちのイニシアティブと主体的な参加によって運営、定着させるという戦略のもとに実践されています。ICRCのプライマリ・ヘルスケア事業はこちら(英語):  https://www.icrc.org/en/publication/0887-primary-health-services-primary-level

 

地元の人々に自決と自立を促し、自分たちが持っている資源や能力を有効活用することで、社会や経済の発展にも貢献することが可能となります。この概念は、まさにTICADの意図するところと合致します。

 

ただやはり、そうした発展も平和と安定あってこそ、と実感しています。国際社会の支援がより効果を発揮し、アフリカ全体が繁栄するためには、そこに暮らす人々が暴力に怯えることなく、人間らしく尊厳の保たれた生活を送れるようにすることが一番です。私は、赤十字を通してそのお手伝いを今後もしていきたいと思っています。 

 

赤十字国際委員会(ICRC)とは

「公平・中立・独立」を原則に、紛争地で活動する国際人道支援組織。本部はスイス・ジュネ―ブ。詳しくはこちらをご覧ください:  http://jp.icrc.org/faq/

                         

 

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (6)

 

シリーズ第6回は、国連地雷対策サービス部(UNMAS)の南スーダン事務所に6月まで勤務し、現在はUNMASシリアでプログラムオフィサーとして勤務する吉岡由美子さんです。南スーダンは、独立までの長い紛争とその後の国内紛争で、多くの地雷やクラスター爆弾などが使われました。現在も残っている地雷や不発弾は、人々の生活だけでなく国の開発や復興も妨げています。これらを除去する地道な作業が進んでこそ、TICAD VIで協議されるアフリカの包括的な開発が可能になります。吉岡さんに、南スーダンでの地雷除去の状況などを寄稿していただきました。(この寄稿は2016年7月の戦闘再発の前に執筆されたものです)

  

6回 国連地雷対策サービス部(UNMAS) 吉岡由美子さん      

~平和の礎を作る仕事で不可能を可能にしたい~

 

                                     f:id:UNIC_Tokyo:20120516185137j:plain

                                                        吉岡 由美子 (よしおか ゆみこ)

                                     国連地雷対策サービス部(UNMAS) シリア   プログラム・オフィサー

山口県出身。大阪外国語大学(現大阪大学)、同大学院修了、在学中にダマスカス大学へ留学。大学院修了後、JICAヨルダン事務所でイラク復興支援担当企画調査員、外務省中東アフリカ局中東第一課で対パレスチナ支援担当官。その後、国連地雷対策サービスでアビエイ、リビア南スーダンを経て、2016年6月よりUNMASシリア プログラム・オフィサー

 

 

南スーダンの首都ジュバは、アフリカ初開催のTICADが開かれるケニアのナイロビから北西に約1100キロ、飛行機で約1時間半のところにあります。私はジュバにあるUNMAS(United Nations Mine Action Service, 国連地雷対策サービス部、以下UNMAS)の南スーダン事務所に2016年6月まで3年4か月勤務していました。

 

2011年7月に、世界で最も新しい国として独立した南スーダンは、南北スーダン時代からの数十年にわたる紛争のため、また、13年12月に発生し現在も断続的に続く武力衝突のため、今なお地雷や不発弾などの爆発性危険物が残っており、人々は爆発物の脅威を感じながら生活しています。日本で生まれ育った皆さんは、日々、爆発物の恐怖と隣り合わせの生活というのは想像し難いのではないでしょうか。UNMASは、爆発性危険物を見つけ出して処理し、開発や復興支援、またその前段階にあたる人道支援、人々が安全に安心して暮らすための基盤を整える役割を負っています。それは平和の礎を作る仕事であり、同時に困難なミッションでもあります。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20120617120107j:plain

除去作業を行う作業員  ©UNMAS

 

 

南スーダンで地雷対策の仕事をしています。住居と事務所はコンテナを改造したもので、同僚の大半は元軍人で自国の軍でも爆発物の処理を行なっていた男性たちです」とお話しすると、「それはとても大変で厳しいお仕事なのでしょうね」と皆さん気遣ってくださいます。もしかしたら米国の映画『ハート・ロッカー』(2009年公開のイラクでの米軍の爆発物処理班の活動を描いた映画)に出てくるような派手な爆発物処理シーンを想像されているのかもしれません。現場でも一番の最前線で活動する作業員は、気温40度という過酷な環境の中で10キロの防護服を身につけ、気の遠くなるような地道な作業を続けながら爆発性危険物の除去活動に取り組んでいます。また、彼らは、爆発物から自分の身を守ることを目指す危険回避教育や、被害者支援、キャパシティ・ディベロップメント、啓発活動なども行なっています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20130411122430j:plain

 地雷注意マーク (筆者提供)

 

南スーダンは2013年12月以降、深刻な人道危機にありますが、地雷対策の地道な作業は、人々の生活に安全と安心をもたらし、人道支援を可能にします。それだけではなく、インフラ整備、農業、市場での買い物といった小さな経済活動から、国内外の物流といった大きな経済活動までをも支えることとなります。さらに、教育や医療といった分野の支援にも繋がります。ここでは、困難なミッションの成功例を紹介します。

 

【ミッション1:移動インフラ支援 ~人々の安全な移動を確保せよ~】

南スーダンでは基礎インフラの整備が遅れています。道路整備の遅れは、人の移動や物資輸送を困難にしています。国の総面積は日本の約1.7倍にあたる64万平方キロですが、雨季になると60%以上の国土に陸路ではアクセスできなくなってしまいます。国内で舗装されている国道は、首都のジュバからウガンダ国境へ抜ける192キロのみです。このため、食糧や医療などの人道支援関係者は空路で移動しています。彼らが安全に支援活動を行えるよう、UNMASはヘリが発着する飛行場の安全確認調査を頻繁に行っています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160630142455p:plain

 UNMASが安全確認を行った空港から離陸するヘリ  ©UNMISS

 

数年前、WFP(World Food Programme)がフィーダー・ロード・プロジェクト(Feeder Roads Projects)を始めました。遠隔地へ飛行機から直接食糧を投下するのではなく、道路を建設し陸路で輸送することで、飛行機を飛ばすコストを削減し、少しでも多くの食糧を支援しようとする試みです。WFPからの要請を受け、UNMAS は道路建設予定地で調査や地雷など危険物の除去作業などを行いました。道路完成後、この道を使って助けを必要としている人々のもとに食糧を届けています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160630142532j:plain

 WFPの食糧配給のためのコンボイ  ©アルバート・ゴンザレス・ファッラン

ミッション1、完了。

 

【ミッション2:教育インフラ支援 ~教育への安全なアクセスを回復せよ~】

南スーダンでは、就学人口の約半数の子どもが学校に通えない状態にあります。紛争で800あまりの学校が破壊され、場合によっては兵士たちに使用されることもあり、兵士が去った後には爆発性危険物や武器が残されていることもあります。UNMASはこういった場所の安全性を調査し、必要であれば除去し、子供が安全に学校に通えるようにしています。また、子供たちに危険回避教育を実施しています。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160630142631j:plain

 UNMASの調査と地雷除去後、ベンティウのフレンドリー小学校で行った危険回避教育   ©UNMAS

 

北部の町レールでは、学校建設や修復を支援するため、UNMASは40カ所近くを調査し除去作業などを行うと同時に、児童、教員や両親に危険回避教育も重ねてきました。

ミッション2、完了。

 

【ミッション3:農業・経済支援 ~人々に安全な経済活動の場を提供せよ~】

北部ユニティー地方のニョロ村では、地雷が残っていたために農業を行なうことができず、また、水源へのアクセスも阻まれていました。この村で、UNMASは64個の対人地雷と8個の対戦車地雷、さらに5個の不発弾を除去しました。人々は水源の利用を再開し、農業ができるようになりました。村の長老は「我々はようやく自由を手に入れたのです。以前はまるで牢獄にいるようでした。地雷の脅威のためにどこへも行くことができず、いつも、爆発物の脅威に怯えていました。今は、安心して水を汲みにいけるし、十分な食糧を育て収穫できるようになりました。それだけでなく、売りに出すための農作物も収穫できるようになったのです。これは我々にとって大きな変化です」と話してくれました。

 

f:id:UNIC_Tokyo:20160630142705j:plain

ニョロ村での聞き取り調査。住民との対話は重要な情報源  ©MAGショーン・サットン

 

UNMASは爆発性危険物の残された市場でも除去作業を行い、人々が安全に市場を使えるようにするなど、住民の日々の経済活動を支えています。

ミッション3、完了。

 

こういった活動を可能にしてくれているのは日本政府、また日本の皆さまの支援のおかげでもあります。日本はUNMASへの最大のドナーでもあり、特に南スーダンにおいては、12年以降、支援総額は1200万ドル以上に上ります。この支援なくして、我々の活動は成り立ちません。また、南スーダンは日本が唯一PKO活動に参画している国であり、UNMISSの陸上自衛隊派遣施設隊とUNMASとの緊密な協力関係も12年1月の派遣以降、続いています。

南スーダンには、いまだ爆発性危険物の残る危険地域が800カ所近くあります。この脅威を取り除き、人々に安全と安心を届けるために、今日もUNMASのミッションは続いています。そうしてこれらのミッションは、TICADで協議されるアフリカの包括的な開発、例えばインフラ、経済、農業といった活動を支える確固たる平和の礎となるのです。

  

【「日本、ありがとう!」 日本と南スーダン:国連平和維持活動の取り組み (日本の国連加盟60周年記念)】 >>>

www.youtube.com

 

【国連地雷対策サービス部局(UNMAS)南スーダン事務所 吉岡由美子職員に聞く】

 

 

 

UNMASホームページ >>>  http://www.unmas.org/

 

UNMAS Facebook >>>

https://www.facebook.com/UnitedNationsMineActionService